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2005.10.01
中国黒龍江省泰来県には515 人が居住するウンドル村がある。2003 年8 月30 日、笹川科学研究助成による満州語の調査をしていた私の目の前で、村の人々の心を痛める事件が発生した。1946 年に設立され、多くの人材を育てた歴史をもつモンゴル族小学校が火事によって一瞬の内にその形を変えてしまった。村の人々はあまりにも悲惨な出来事に言葉を失った。
この村ではモンゴル族が全体の73%、漢民族が15%、満州人が10%、ダグル族が2%を占めている。
村の周辺はすべて中国語が話されている環境であるが、ウンドル村の人々の日常用語にはモンゴル語がもっとも多く使われている。小学校の児童は40 名程度で、母語であるモンゴル語を勉強できる唯一のモンゴル族小学校であった。しかし、火事が発生する前から一部の人による小学校合併の動きがあった。小学校4 年生から2.5 キロ以上離れた別の村に通わせ始めていた。火事が発生した後、小学校3 年生からのすべての児童を別の村に通わせた。教師もそれぞれ別の村へ派遣された。仮教室に1 年生と2 年生の児童及び教師一人が残された状態であった。
村民が学校再建委員会を設け、地元の行政へ事情を説明し、学校再建を求めた。その後、県教育局の責任者が村に行って、村民たちに経済的な理由により再建できないという説明をした。絶望した村民たちは、私宛に日本からの応援を求める手紙を送ってきた(2004年4 月6 日)。手紙を読んだ私は、日本側を代表する責任の重さを感じる一方、母校でもあった小学校のために何かをしなければいけないと思い、母校出身3 名が中心となり、在日小学校再建委員会を立ち上げ、様々な活動を開始した。
しかし、実行は容易ではないことに気づいた。多くのボランティア団体(東武練馬コスモスの会、東京・
沖縄・東アジア社会教育研究会、SUNUS、フフ・モンゴル・オドム、モンゴル民族文化基金など)に支援を求めた。国際交流も視野に入れて、東武練馬コスモスの会の支援のもとに留学生たちが中心となり、様々な祭り(10 回程度)に参加し、モンゴル料理の販売をした。それによって、異文化を紹介し、国際交流を進める一方、学校再建資金の一部(他は支援金)を集めることができた。
その時、最も重要なのは教師を派遣できるかどうかという問題であることに気づき、2005 年3 月に一時
帰国して地元の各行政機関を訪問し、黒龍江省民族委員会から学校再建に必要とする資金の半分を支援する約束をしてもらった。泰来県教育担当の副県長さんも日本の多くの皆様と多くの留学生のご支援を理解し、特別な計らいによって、小学校に5人の教師を派遣し、モンゴル語科目の再開も許可された。今年の5 月に日本から10 万人民元を学校側に渡し、小学校の再建を求めた。9 月に東武練馬コスモスの会が中心となる日本人10 人グループが小学校の開校式に参加した。地元の行政官僚も大勢参加し、日本への感謝の気持ちを述べ、日中友好関係が永遠に続くことを祈ると発言した。
最後に言いたいことは、村民の笑顔を取り戻した「小学校再建活動」の背景には、渥美国際交流財団からの欠かせないご支援が存在していた。お金と時間のかかる小学校再建活動は、私にとって、経済的に大きな支えがなければできないことであった。財団の奨学金とご支援が私のパワーとなり、それらを活動に生かせたからこそモンゴル族小学校が再建できたと位置付けている。
(2005 年10 月記)中国黒龍江省泰来県には515 人が居住するウンドル村がある。2003 年8 月30 日、笹川科学研究助成による満州語の調査をしていた私の目の前で、村の人々の心を痛める事件が発生した。1946 年に設立され、多くの人材を育てた歴史をもつモンゴル族小学校が火事によって一瞬の内にその形を変えてしまった。村の人々はあまりにも悲惨な出来事に言葉を失った。
この村ではモンゴル族が全体の73%、漢民族が15%、満州人が10%、ダグル族が2%を占めている。
村の周辺はすべて中国語が話されている環境であるが、ウンドル村の人々の日常用語にはモンゴル語がもっとも多く使われている。小学校の児童は40 名程度で、母語であるモンゴル語を勉強できる唯一のモンゴル族小学校であった。しかし、火事が発生する前から一部の人による小学校合併の動きがあった。小学校4 年生から2.5 キロ以上離れた別の村に通わせ始めていた。火事が発生した後、小学校3 年生からのすべての児童を別の村に通わせた。教師もそれぞれ別の村へ派遣された。仮教室に1 年生と2 年生の児童及び教師一人が残された状態であった。
村民が学校再建委員会を設け、地元の行政へ事情を説明し、学校再建を求めた。その後、県教育局の責任者が村に行って、村民たちに経済的な理由により再建できないという説明をした。絶望した村民たちは、私宛に日本からの応援を求める手紙を送ってきた(2004年4 月6 日)。手紙を読んだ私は、日本側を代表する責任の重さを感じる一方、母校でもあった小学校のために何かをしなければいけないと思い、母校出身3 名が中心となり、在日小学校再建委員会を立ち上げ、様々な活動を開始した。
しかし、実行は容易ではないことに気づいた。多くのボランティア団体(東武練馬コスモスの会、東京・
沖縄・東アジア社会教育研究会、SUNUS、フフ・モンゴル・オドム、モンゴル民族文化基金など)に支援を求めた。国際交流も視野に入れて、東武練馬コスモスの会の支援のもとに留学生たちが中心となり、様々な祭り(10 回程度)に参加し、モンゴル料理の販売をした。それによって、異文化を紹介し、国際交流を進める一方、学校再建資金の一部(他は支援金)を集めることができた。
その時、最も重要なのは教師を派遣できるかどうかという問題であることに気づき、2005 年3 月に一時
帰国して地元の各行政機関を訪問し、黒龍江省民族委員会から学校再建に必要とする資金の半分を支援する約束をしてもらった。泰来県教育担当の副県長さんも日本の多くの皆様と多くの留学生のご支援を理解し、特別な計らいによって、小学校に5人の教師を派遣し、モンゴル語科目の再開も許可された。今年の5 月に日本から10 万人民元を学校側に渡し、小学校の再建を求めた。9 月に東武練馬コスモスの会が中心となる日本人10 人グループが小学校の開校式に参加した。地元の行政官僚も大勢参加し、日本への感謝の気持ちを述べ、日中友好関係が永遠に続くことを祈ると発言した。
最後に言いたいことは、村民の笑顔を取り戻した「小学校再建活動」の背景には、渥美国際交流財団からの欠かせないご支援が存在していた。お金と時間のかかる小学校再建活動は、私にとって、経済的に大きな支えがなければできないことであった。財団の奨学金とご支援が私のパワーとなり、それらを活動に生かせたからこそモンゴル族小学校が再建できたと位置付けている。
(2005 年10 月記)
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2005.10.01
フィリピンのアジア太平洋大学(UA&P)とSGRAで立ち上げた日本研究ネットワークの活動の一環として、マキトは中国の広東省と香港特別行政区にてフォーラムに参加することになった。マキトは初めての中国である。香港でのフォーラムは2005年11月1日から3日までGOLD COASTホテルで開かれ、East Asia Development Network (世界銀行が主催するGlobal Development Networkの傘下にある開発経済の研究ネットワーク)から受賞した助成による研究の中間報告が行われる。この研究は正式に今月からスタートして来年の4月までUA&Pのピター・リー・ユ先生とシッド・テロサ先生との共同で進められている。研究テーマは「フィリピンの特区は共有型成長の触媒になるのか」というSGRAが2年前から始めた研究である。香港のフォーラムは中国語が話せるユ先生と同行なので面白い発見もありそうではないかという期待がある。
引き続き、お招きをいただいたので、11月4日から7日まで香港政策研究所や広東省社会科学院の主催によるフォーラムにUA&P・SGRA共同研究チームの代表として一人で参加し、香港から広州市に途中で移動する予定である。フォーラムのテーマは"A Tale of Two Regions: China's Pan-Pearl River Delta and ASEAN Cooperation for Mutual Benefit"(二つの地域の物語:共同利益のための中国の汎珠江デルタとASEANとの協力)
オンライン記事をご参照ください
テーマは関心のある経済特区とも関係があるし、中国大陸への訪問チャンスでもあるので参加を申請させていただいた。父の父の父の国に初めて足を踏むことになるだけにちょっとわくわくしている。
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2005.04.28
2005年4月8日、SGRA(関口グローバル研究会)のメーリングリストに、以下の呼びかけをしました。ちょうど、中国で反日デモが始まった頃でした。 【質問】現在中国や韓国で沸き起こっている反日運動についてあなたはどう思いますか。この事態を収拾するために、あるいは今後繰りかえさないために、私たちは、あるいは、日本人は、中国人は、韓国人は、何をすれば良いでしょうか。 SGRAは、日本の大学院から博士号を取得した外国人研究者が中心となって設立した研究会で、会員は約 250名、そのうちの半数が中国人と韓国人を中心としたアジア諸国からの留学生や元留学生で、少数ですが欧米やアフリカ出身の方々もいらっしゃいます。残りの半数は、この活動を支援してくださっている日本人の方々です。そのうち、メーリングリストに参加しているのは約220名、公用語は日本語ですが、インターネットのおかげでアジア各国だけでなく、アメリカやヨーロッパに在住している元留学生も参加しています。
http://www.aisf.or.jp/sgra/kawaraban/kawaraban9.pdf
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2005.02.16
渥美財団、10歳のお誕生日おめでとう!
2005年2月16日(水)、人類の歴史の新しいページを開く京都議定書の正式発効とともに、渥美国際交流奨学財団の設立10周年を祝うイベントが、東京赤坂の鹿島KIビルで開催された。当日の朝の震度5の地震や冷たい雨にも関わらず180名もの関係者が集まり、渥美健夫氏の遺志で10年前に設立された、規模が小さいが夢が大きいこの財団の記念日を一緒に祝ってくださった。
渥美理事長と今西常務理事の指導のもと、数週間前から数回にわたる準備会を重ねてきたが、当日は現役と来年度の奨学生らで構成する渥美奨学生、元奨学生からなるラクーン会、ラクーン会から発展した関口グローバル研究会(SGRA)の運営委員と研究員・会員(とその子供たち)、そして鹿島建設の皆さんがお手伝いに駆けつけ、記念講演会の成功に繋がった。渥美ファミリが一堂に動いたと凄く感じた。
記念講演会は午後4時に始まった。最初に渥美理事長から財団の設立の背景と特別講演をされる緒方貞子さんのことについてお話があった。次ぎに、今西常務理事から、パワーポイントのスライド付きで、財団の設立からの今に至る経緯についての説明があった。遠慮深い理事長から「あまり宣伝しない」と言われたということだったが、常務理事はSGRAのコンセプトは渥美財団と一致していると断った上で、財団の話に重ねてSGRAの紹介とその活動へのお誘いを、遠慮なく発表した。
午後4時半ごろに、JICAの理事長である緒方さんがみえて、一休みもせずに「人間の安全保障」というテーマの講演が始まった。奨学財団の講演会だから教育という側面に関心が高いであろうという前提で、人間の安全のためには人間を強化すべきなので、その一つの有力な手段として教育が非常に重要であるということにお話の焦点が当てられた。特に、国際教育の面では多様性を尊重し、排除しないinclusiveな人を育てる教育が一番大事だとされた。このような特質の欠如こそが人間の安全を脅かすと強調された。これは、確かに、渥美財団とSGRAの「多様性のなかの調和」という原理に基づく「良き地球市民の実現に貢献」というビジョンと一致している。同時に、「グローバラゼイション」という名で呼ばれている、あまりサイレントではない津波によって、この多様性の尊重が実現できるのかどうか考えさせるところだった。「会場の皆さんと一緒に考えましょう」という緒方さん自身のお招きもあって、さばききれないほどの質問を受けてから、記念講演は、午後5時45分に終了した。
その後、緒方さんにもお時間が許す限り参加していただいて、KIビルのカフェテリアで懇親会が開かれた。渥美財団の選考委員長を10年間務めていらっしゃる、「失敗に学ぶ」というベストセラーで有名な畑村洋太郎先生の挨拶と乾杯でスタートした。参加者全員がレセプションを楽しんだ。渥美直紀鹿島副社長が、建設業らしく、三三七拍子の手拍子とともに中締めをした。
様々な方々とお話ししたが、なかでも、渥美健夫さんの同期で、毎年数千人の留学生の面倒をみているロータリー米山記念奨学会の加美山節副理事長(渥美財団評議員)からいただいた「素敵な財団ですね」という言葉が大きいなお祝いになった。渥美健夫さんもきっと同じことを考えているであろう。
※今西常務理事の要請により、記念講演会場の模様を全振煥さん(2001年ラクーン)が取った写真を集めて、AISF PICTURE GALLERYを立ち上げました。他の写真もこれから掲載する予定です。
(文責:M.マキト)
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2005.02.16
渥美財団の10周年を記念して出版した本です。執筆者は全員SGRA会員です!
ひとりでも多くの人に読んでいただきたいので、是非、お知り合いの方々に勧めてください。現在、八重洲ブックセンター、丸善、三省堂にはおいてあるそうですが、ジャパンブックに直接申し込めるそうです。
皆さんの大学や近所の図書館で購入してもらってください!
だから私は日本を選んだ!
外国人留学生が見たサプライズ・ニッポン
今西淳子編
2005年2月16日
(株)ジャパンブック発行
TEL 03-3219-0811
ISBN4-902928-01-9
<目 次>
第一部 私と日本
F.マキト 「僕にはジャパニーズドリームがある」
金 政武 「日本刀とスリッパ」
朴 貞姫 「日本語を考える」
M.アリウンサイハン 「成功の秘密」
葉 文昌 「日本に追いつけない理由」
林 少陽 「クラスメートと日本」
孫 建軍 「新漢語の成立をたどる喜び」
李 鋼哲 「『三国人』と犬の文化」
高 熙卓 「『江戸時代』との出会い」
李 恩民 「日中間の歴史の葛藤」
第二部 異文化の中で
尹 ヒスク 「オゴリ文化とワリカン文化」
M.ティシ 「面白い日本の私」
梁 明玉 「『冬のソナタ』ー韓国と日本のお年寄り」
K.カタギリ 「きまりだらけの日本、きまりのないタイ」
方 美麗 「日本人の鎧」
M.トレーデ 「日本の大学、ドイツの大学」
M.ゾンターク 「東京自転車物語」
B.ブレンサイン 「やさしさへの誤解」
羅 仁淑 「日本は開放的?閉鎖的?」
陳 姿菁 「温めますか?」
第三部 留学生活
ブ・ティ・ミン・チィ 「ベトナム人留学生の夢と歴史」
胡 炳群 「私を支えてくれた人たち」
林 泉忠 「三人の年配の恩人たち」
白 寅秀 「日本人が教えてくれた大切なもの」
郭 智雄 「愉快な仲間たち」
金 賢旭 「下町の留学生活」
張 桂娥 「自分探しの旅」
于 暁飛 「落花生」
ルイン・ユ・テイ 「天からの贈り物」
フスレ 「青空のもとで」
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2004.08.30
7月24日に開催した第16回SGRAフォーラム in 軽井沢「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」の報告が、朝日新聞アジアネットワーク(AAN)のウェブサイトに掲載されましたのでお知らせします。
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漂流する対米同盟 浮上する「対テロ戦略」
--日本、韓国、フィリピン、台湾の同盟関係の現状を見る
都丸 修一
「アジア型共同体への道」研究チーム主査
「地球化(グローバリゼーション)」という現象は、国際・国内経済ばかりか、国家のありよう、地域社会の姿からテロリズムにまで、従来の物差しでは測れない変化を日々私たちに見せつけている。人、モノ、金の自由な動きと情報革命。グローバリゼーションは間違いなく人間社会の発明なのだが、グローバル化という「発明品」は、人間が追いつけないほど強大、かつ複雑な妖怪に育って、どう処していいのか分からないほどである。将来の予測がこれほど難しい時代はないかもしれない。
グローバル化の深化にあらがうように、欧州や米州で新時代の羅針盤として「地域主義」が台頭している。アジアでも同様である。ただし、アジアの動きは欧米に比べて遅い。しかも、南北が分断されたまま、核戦争の脅威まででている朝鮮半島を抱え、冷戦構造を残したグローバル化時代を生きるという宿命を負わされている。
アジアの安全保障の将来像は、どうあるべきか。7月24日、軽井沢で開かれた第16回関口グローバル研修会(フォーラム)は「東アジア軍事同盟過去・現在・未来」と題して、日米同盟、韓米同盟、台米同盟、米比同盟の専門家が語り合った(朝日新聞アジアネットワーク後援)。新たなトランスフォーメーション(軍の世界的再編)に動き出す米国。この超大国を軸とするアジア諸国の同盟を読み比べると、あらためてアジアの多様性に気がつく。「東アジア共同体」といった構想はずいぶん出てきたが、あるべき将来像を描く道のりは険しい。それでも、地球化のうねりを乗り切るには、やはりアジアの新しい羅針盤が必要とされる。
全文はasahi.comをご覧ください。
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2004.06.28
新刊紹介
SGRA「人的資源・技術移転」研究チームのサブチーフの範建亭さんより、下記のご本とその紹介文お送りいただきましたのでご紹介します。
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範建亭著「中国の産業発展と国際分業:対中投資と技術移転の検証」
風行社 A5判 約250頁 定価3675円(本体3500円)
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■出版に寄せて 上海財経大学 範 建亭
このたび、拙作の『中国の産業発展と国際分業―対中投資と技術移転の検証』が出版されました。本書は、一橋大学経済学研究科に提出した博士学位論文を基礎に、国際分業の視点から中国の発展要因を明らかにしようとするものであり、特に日本企業の対中直接投資や技術移転を通じた日中間の分業関係に着目しています。
1970年代末に改革・開放を実施した中国は、驚異的な経済成長と産業発展を遂げつつありますが、中国経済における際立った変化の一つは、海外から大量の直接投資と技術が導入されたことであります。日本を含む世界各国の対中投資は、資金の導入や輸出入の拡大などへの貢献に限らず、様々な製造技術や製品技術、および生産管理の手法などが合弁パートナー企業や現地企業に移転、波及し、中国の産業発展に寄与していることは明らかであります。そして、外資系企業の現地生産活動を通じて、中国企業との間に緊密かつ多様な分業・協力関係が築かれつつあります。しかしながら、中国経済論の文献は多数刊行されているにもかかわらず、国際分業との関連から中国の発展要因を研究したものは必ずしも多くないです。
そこで、本書は国際分業を後発国の発展要因として捉え、貿易や直接投資などの展開が中国の産業発展にいかなる影響を及ぼしたのかということを考察しています。研究対象の一つは、日本企業の対中直接投資を通じた技術移転の効果であり、第Ⅱ部では、機械工業企業を対象に行った独自のアンケート調査に基づき、日系企業内外の技術移転構造とその決定要因についての検証が展開されています。もう一つの研究対象は中国の産業発展と国際分業との関わりであり、第Ⅲ部は中国の家電産業を取り上げ、その追いつき発展の特徴と諸要因を輸入代替化のプロセス、日本家電産業の技術供与や現地生産との関連から検証しています。
私は日本語学校から学部を経て大学院の博士課程を修了するまで、合計12年の留学生活を送りました。以前、私は建築関係の仕事に従事しており、経済学とは全く無縁でした。もし日本に留学していなかったら、新しい学問に挑戦する機会もなかったでしょう。長年の留学生活を恵まれた研究環境のなかで送ることができ、そして著作としてまとめることができたのは、渥美財団をはじめ、大勢の方々からのご指導とご援助のおかげであり、ここに改めて御礼申し上げます。
私は昨年の夏に帰国し、大学の先生として久しぶりの現地生活をスタートしました。故郷の上海は十数年の間にとてつもない変貌を遂げており、激動の中国経済を象徴するような大都市となっています。近年、海外から戻った研究者は増えつつありますが、経済学に関しては日本留学組はまだ少数派であります。今後、教育と研究の両面において日本で学んだ知識を生かし、日中間の経済関係と分業体制のあり方を幅広く考えていきたいです。
■目次
序 章:研究課題と方法
第I部:理論的アプローチと現状分析
第1章:理論と先行研究の検討
第2章:中国の外資導入と日本企業の進出
第II部:対中直接投資を通じた技術移転
第3章:日系現地企業の技術移転構造
第4章:技術移転の決定要因分析
第III部:中国家電産業の発展と国際分業
第5章:家電産業の輸入代替メカニズム
第6章:家電産業の発展における日中間分業関係
終 章:総括と展望
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2004.04.16
千葉大学電子光情報基盤技術研究センター(ベンチャービジネスラボラトリー http://www.vbl.chiba-u.jp)では、(財)双葉電子記念財団と(株)千葉銀行の後援のもと、千葉大学教職員を対象に、恒例の「なのはなベンチャーコンペ2004(教員版)」を実施致しました。本コンペは、ベンチャー企業に通じる研究成果・アイデア、先端的な研究、将来性のある研究計画に助成することを目的とします。本コンペでは、審査委員会において推挙された優秀な研究成果・アイデア及び研究計画を表彰し、その実現促進のための研究経費を助成します。
本年度のなのはなベンチャーコンペには、SGRAの研究員であるJosaphat Tetuko Sri Sumantyo (千葉大学電子光情報基盤技術研究センター講師(中核的研究機関研究員 http://www.pandhitopanji-f.org/jtetukoss/index.html)の研究である「ベンチャー発移動体衛星通信用パッチアレーアンテナ」が最優秀賞を受賞しました。本研究の概要として下記をご参考下さい。表彰式の日程と場所は下記の通りです。ただし、表彰式が14:00~14:40で、14:40以後は前年度の受賞者の研究成果報告を行う予定です。表彰式後、記者会見や研究室訪問を行う予定です。参加ご希望の方は、Josaphatさんまでご連絡ください。よろしくお願い致します。
日時:平成16年4月19日(月)14:00~16:30
場所:千葉大学自然科学研究科大会議室
(西千葉キャンパスhttp://www.chiba-u.jp/general/about/map/route.html)
研究要旨
平成16年と17年にそれぞれ宇宙航空研究開発機構(JAXA)と順天頂衛星(QZS)より打ち上げ予定の技術試験衛星Ⅷ型(ETS-Ⅷ)で、移動体衛星通信の高度化が進むと考えられている。この衛星を用いるSバンドの周波数を使用した国内における移動体衛星通信サービスが予定されている。自動車,船舶,電車,航空機等の移動体において音声,画像等のマルチメディアデータ通信を可能にするためには,方向が変わった場合でも絶えず所望の衛星を追尾することができる小型,安価,インテリジェントなアンテナが必要である。本研究では、車載、船体を対象とした移動体衛星通信用アンテナとして、簡易な給電回路で構成可能な衛星追尾型アンテナの開発を行っている。本アンテナは2周波共用円偏波パッチアレーアンテナを使用し、移相器を必要としない簡単なON・OFFの給電制御によってビームを常に静止衛星の方に向けるように切り替える衛星追尾型アンテナである。各ビームは垂直面内に幅が広いため、ビーム切り替
えのみで,静止衛星を用いた移動体衛星通信の用途に対応可能である。本アンテナは,平成18年に衛星通信産業における移動体マルチメディアデータ通信市場に進出準備のため,国内特許(移動体通信用アンテナ,2003-014301)と国際特許(移動体通信用アンテナ,PCT/JP03/05162)を出願した。
連絡先(日本語 OK)
Josaphat Tetuko Sri Sumantyo, Ph.D.
Lecturer - Post Doctoral Fellowship Researcher
Center for Frontier Electronics and Photonics, Chiba University 1-33 Yayoi, Inage, Chiba 263-8522 Japan Phone +81 43 290 3934 Fax +81 43 290 3933 http://www.vbl.chiba-u.jp/PD/tetuko.htm
インドネシアに設立したJosaphatさんの研究所(英語とインドネシア語版)
リモートセンシング研究所 http://rsrc.pandhitopanji-f.org
美術研究所 http://arc.pandhitopanji-f.org
教育研究所 http://erc.pandhitopanji-f.org
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2004.01.24
今回は、フィリピンのアジア太平洋大学(UAP)とSGRAとの共同研究を中心とした滞在でした。
まず、UAPのPETER LEE U助教授と一緒に、ホンダフィリピンの下請け会社を調査して、今年から始まるフィリピンと日本とのFTA(自由貿易)交渉のための準備調査報告を執筆しました。
次に、フィリピン経済特区当局と交渉した結果、準備調査の補足的なデータとして、特区に入っている日系企業のデータへアクセスすることができました。企業の名前を公表せず、収集したデータのファイルのコピーを当局にも渡すという条件で許可されました。ほこりをかぶって忘れられ、最後には処分されたデータが救われたということです。SGRA実行委員会にご承認いただき、その研究費を使って、200日を越す計画で、データ保存作業が現在でも続いています。NHKの世界遺産をDIGITALで保存するプロジェクトのように、当局のデータをSCANしてDIGITAL化するこの作業によって、さらなる分析が進み、日比両側のためにお役にたてればと思っています。経済特区に入っている日系企業の本社は、日本の「共有された成長」に大きく貢献しました。この日系企業の特徴的な機能が、今後のフィリピンに発揮されるように努力していきたいと思っています。
第3に、UAPとSGRAの初めての一般公開プロジェクトとして、3月に、
「JAPANESE COMPANIES IN THE SPECIAL ECONOMIC ZONES: ENHANCING EFFICIENCY AND EQUITY(経済特区における日系企業:効率と所得分配の改善)」というようなテーマのWORKSHOPを企画しています。WORKSHOPでは、部分的に日本語の発表もいれるようにしようかと考えています。
フェルディナンド・マキト
SGRA「日本の独自性」研究チーフ
フィリピンアジア太平洋大学研究助教授
2004年1月24日投稿
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2003.10.27
SGRA「歴史問題」研究チームチーフの李恩民さんのコラムが、10月27日の朝日新聞朝刊に掲載されましたので、お知らせいたします。
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「進む新華僑華人の両極化」
李恩民(リ・エンミン)
桜美林大学助教授(中国)
改革開放以来の四半世紀に来日した「新華僑華人」は35万人。いま両極化し、岐路に立っている。包丁やはさみを手にコックや理髪師、裁縫師として生き抜いた年配の華僑華人と違って、新世代のほとんどは日本留学歴または就学歴の持ち主。ビジネス以外の分野でも存在感を増している。
全文は以下をご覧ください
http://www.asahi.com/international/aan/column/031027.html