SGRAエッセイ

  • 2003.10.27

    AAN李恩民「進む新華僑華人の両極化」

    SGRA「歴史問題」研究チームチーフの李恩民さんのコラムが、10月27日の朝日新聞朝刊に掲載されましたので、お知らせいたします。   -----------------------------   「進む新華僑華人の両極化」   李恩民(リ・エンミン) 桜美林大学助教授(中国)   改革開放以来の四半世紀に来日した「新華僑華人」は35万人。いま両極化し、岐路に立っている。包丁やはさみを手にコックや理髪師、裁縫師として生き抜いた年配の華僑華人と違って、新世代のほとんどは日本留学歴または就学歴の持ち主。ビジネス以外の分野でも存在感を増している。   全文は以下をご覧ください   http://www.asahi.com/international/aan/column/031027.html 
  • 2003.10.26

    JAANUSご紹介

    SGRAの共同研究のひとつである、英文による日本建築美術用語辞典(JAANUS:Japanese Architecture and Art Net Users System)が、インターネット・サイトに公開されましたのでお知らせいたします。このサイトは、鹿島美術財団をはじめ多くの皆様のご支援とご協力により、故メリー・ペーレント博士が20年にわたって続けてきた作業をまとめたもので、SGRAは主にプロジェクト管理とIT技術上の支援をしています。   http://www.aisf.or.jp/~jaanus/   このオンライン辞書は日本の伝統建築、庭園、絵画、彫刻、図像に関する用語約8000項目を、英文で説明しています。上記分野に関連する工芸用語も加えました。各項目は、特定の日本語辞書の英訳ではなく、複数の辞書や他の資料に基づき、英語を母国語とする外国人研究者が直接執筆しました。数多くの用語が初めて英訳されました。   現在公開されている辞書は、まだ完成したものではありません。できるだけ正確に定義しようと努力いたしましたが、新しい発見や学説をさらに付け加え、あるいは書き換える必要がでてくると思われます。また、写真とイラストも追加中です。今後も逐次改訂していく所存でございますので、お気づきの点を下記へご連絡いただきますようお願い申し上げます。大変申し訳ございませんが、 お返事をさしあげられない場合もございますので、あらかじめご理解いただきますようお願い申し上げます。   日本建築美術史用語辞典(JAANUS)編纂会 連絡先:[email protected] 
  • 2003.09.25

    SGRAレポート「日本とイスラーム」再録出版

    SGRAレポート#10「日本とイスラーム~文明間の対話のために~」が下記に再録出版されましたのでお知らせいたします。      板垣雄三(いたがき・ゆうぞう)    「イスラーム誤認」     岩波書店 2003年9月25日発行   湾岸戦争を契機として、アメリカの超大国化が冷戦後の世界に亀裂を走らせ、イスラームに独善的・排他的なイメージを押し付けて、敵意と衝突を加速化させている。いまこそ憎悪と報復のサイクルを脱するためにイスラーム本来の文明観を理解し、文明間の対話を積極的に行っていかねばならない。第一部で、イスラームへの偏見によって歪められた世界認識をただし、文明間対話を通して公正と平和を回復すべきことを主張し、第二部で、日本とイスラーム圏との長い交流の歴史を踏まえ、日本に対する親愛と信頼という国際的資産を活かす提言を行う。湾岸戦争、パレスチナ紛争、9・11同時多発テロ、アフガン戦争、イラク戦争など、世界の変動に触れて発表された著者の持論の精華を集成。  
  • 2003.09.07

    今西淳子「延辺訪問記」

    SGRA研究員の李鋼哲さんと金香海さんのお誘いを受けて、中国吉林省延辺朝鮮族自治区の延吉に行った。人口200万人というこの自治区の約40%が朝鮮族だが、延吉市内では50%を超えるという。自治区内では中国語と朝鮮語を併記することが義務づけられているというが、市内ではむしろハングル文字の方が多く、また韓国資本の会社が多く進出していて、韓国人観光客も多かった。   このような小さな地域にもかかわらず、日本にいる留学生の中には中国朝鮮族が非常に多く、渥美財団でも既に数名支援しており、また、多くの人が中国語と朝鮮語と日本語を話すということで、以前から注目していた。教育熱心で高学歴者が多いのが朝鮮族の特徴というが、延辺自治区では人口の約10%が海外や地域外に流出しており、人材不足が問題ということだった。いわば、高学歴の人材が出稼ぎにでている状況で、延辺に大きな産業がないのに購買力が増加しており、韓国の商品がたくさん輸入され、日本の商品の輸入まで始まりそうだということだった。   このような状況下、日本で博士号を取得して延辺大学に戻った金香海さんは、大学から大歓迎を受けているようだった。延辺大学では、国際交流センター長や教務処長が日本留学経験者で、日本で留学生支援をしている者としては嬉しく思った。このように日本留学組が大学の主要ポストについている大学は他にないのではないか。金さんが、主に日本語を勉強している政治学部の学生20名くらいと懇談する機会を作ってくださった。皆さん日本留学に関心があり、入学方法、奨学金、アルバイトなどに関する質問が多かった。日本語は、中学1年生から、既に7年間勉強しているという。中国語と朝鮮語を子供のころから使い、中学から日本語を勉強し、三ヶ国語をマスターするのは、今後北東アジアが発展するにつれて非常に大きな可能性を含むのではないかと思う。この比較優位性を活かして、同時通訳まで視野にいれた通訳と翻訳家の養成プログラムを作るべきだと提案した。しかしながら、近年は日本語ではなく英語を選ぶ学生が多いとのこと。英語が必要なことは充分わかるが、日本語ではなく英語ということになってしまうのは、今まで日本語教育が蓄積されてきた土地柄だけに、日本人としてはとても寂しい。中国語、韓国語、日本語、英語の4ヶ国語を操れる人材育成をめざしてもらいと思った。中国では大学卒業後も就職が大変難しいと聞く。延辺に限ったことではないが、欧米の学校のように、子供たちに早いうちから自分の生き方を考え(情報を充分に与え)、何に向いているかを認識させ、どのように自分を磨いていくべきか検討する機会を与えサポートしていくシステムが必要なのではないかと思う。   延辺訪問のもうひとつの興味は北朝鮮だった。李鋼哲さんが研究している開発計画の舞台である中国とロシアと北朝鮮が国境を接する豆満江デルタ地帯に案内していただいた。豆満では、小さな川を挟んで北朝鮮と中国の町が隣接し、70年前に日本が建設したという小さな橋で繋がっていて、その真ん中が国境だった。橋のこちら側では人民解放軍の若い兵隊さんが3人くらい警備していたが、銃をもっているのは一人だけで、ロックミュージックが流れ、リラックスした雰囲気だった。兵隊さんのひとりに入場料を払って、別の兵隊さんに付き添われてぶらぶら橋の真ん中まで歩いて行った。橋の上のコンクリートの上に国境線がペンキで書いてあったが、1mほど北朝鮮にはいって記念撮影。付き添いの兵隊さんにお願いしてシャッターを押してもらった。時々、北朝鮮からトラックが通ったり、歩いて橋を渡る人がいたりした。いわゆる脱北者はこのあたりから上流にかけて出没するそうだが、「脱北者」の中には、中国側で買物をして北朝鮮に戻る人も多いそうで正確な人数の把握は難しいという。北朝鮮と中国の国境は、きわめてのどかだった。北朝鮮には香港資本のカジノがあり、中国人観光客が行くという。延辺大学は、金日成大学と協定があり、現在でも数人が博士号取得のために留学しているという。このような「交流」はむしろ予想通りだった。   ところが、北朝鮮から延辺大学への留学生はいない。北京大学には来ていたが、最近は引き上げてしまったとのこと。延吉でも脱北者と接触するのは許されず、北朝鮮の人たちと交流はない。延辺の方が、北朝鮮の体制がいかにおかしいか、行ってみたらどんなに貧しかったか話してくださったし、脱北者の調査をしている延辺大学の教授でさえ、「北朝鮮はわからない」とおっしゃった。国境地帯でも、以前は北朝鮮側で行われていたフリーマーケットが中止になったというし、北朝鮮から中国へ来ることは「資本主義」に毒されるので以前より厳しく禁止されているとのこと。「北朝鮮人を『見に』行きましょう」と誘われて、延吉市内の北朝鮮人経営のレストランでご馳走になった(在日朝鮮人の資本という)。金日成バッヂをつけ少々表情が硬いが綺麗にお化粧をした女性が給仕してくれるので、観光スポットになっているようだった。ユニバーシアードの美女軍団は俄か作りでないことがよくわかった。彼女たちは2年くらいのシフトで勤務するらしいが、延辺の方が彼女らを食事に誘ったけど決して応じなかったとのこと。「彼女たち」のショーもあった。ショーといっても、ひとりかふたりがカラオケにあわせて歌うというものだった。レストランには韓国の団体旅行客が多かったが、すぐに男性が花束を渡してデュエットを始め、祖国統一歌になった時は、レストラン中が大いに盛り上がった。韓国人観光客の勢いに圧倒されると同時に、何か不思議な光景を見ているような気がした。   (2003年9月7日北京にて)
  • 2003.08.28

    マキト「マニラ・レポート(2003年夏)」

    SGRA「グローバル化のなかの日本の独自性」研究チーム チーフ F・マキト   夏休みを利用して、一時帰国した。 帰国早々、7月27日に、マニラのビジスネス街マカティで軍兵士の反乱事件が起きた。幸いなことに、反乱兵士たちの思惑ははずれ、一般市民の支持を全く得ることができず、一日のうちに無血で事件は終了した。反乱兵士たちは、フィリピン軍内の汚職を訴えようとしたが、彼らに武器の使用権を認めた国民の信頼を裏切った結果になったと私は思う。正当な主張があるのならば、とりわけ自分の命を掛けるぐらいならば、平和的ルートを通して訴えを表明する方法は他にいくらでもある。国家を危機に晒し、一般市民に武器を向けずに済むはずだ。今回の反乱事件の計画者を厳しく裁いてもらいたい。この事件による経済影響を心配したが、フィリピンのアジア太平洋大学(UAP)の発表によれば、フィリピンが様々な危機から受ける打撃は毎回減ってきているようである。フィリピン国民が、だんだん危機への対応に慣れてきたと考えられている。   今回のマニラ訪問の後半には、SGRA研究チームの顧問をお引き受けいただいている名古屋大学の平川均教授が同行してくださり、充実した調査ができた。反乱事件が起きたので心配したが、先生は予定通り来比してくださった。日本貿易振興会(JETRO)を通じて、次の4社を訪問した。JETROマニラの白石薫さん(Director)が4社の訪問に同行してくださったが、「フィリピンの将来がなければ、私の将来もない」という彼の言葉がとても印象的だった。(このような日本人がもうちょっと増えてほしいですね)   4社で、暖かく受け入れてくれたのは次の方々である。この場を借りて、改めて感謝の意を述べたい(訪問順)。今回の調査は、平川先生の特別依頼もあって、工場を見学してきた。現場の貴重な意見を詳しく聞かせていただき、大変勉強になった。   小藤田 洋成 ASAHI GLASS PHILIPPINES、EXECUTIVE VICE PRES. 石井 明 SANYO PLASTIC PHILIPPINES、INC.、PRES. SAKAMOTO HITOSHI、ENOMOTO PHIL. MFG.、SENIOR VICE PRES. YAMAJI TADASHI、 P.IMES CORPORATION, PRES. WAKABAYASHI SHUJI、 P.IMES CORPORATION、DIRECTOR CESAR A. MORAÑA、P.IMES CORPORATION、MANAGER   4社訪問以外に、今年5月に調査したトヨタ・フィリピンの田畑社長と、ホンダのALFREDO MAGPAYO、AVPと、アジア太平洋大学(UAP)のEXECUTIVE LOUNGEでそれぞれ朝食とランチの会議を行った。田畑社長は、その場で携帯電話から、フィリピンにあるトヨタの部品下請け会社であるTOYOTA AUTO PARTSの社長とアポイントをとってくださった。そのおかげで次の方々にもお会いしたので、お礼を申し上げたい。   三宅 譲治 TOYOTA AUTOPARTS PHIL.、INC. PRES. 矢澤 文希 TOYOTA AUTOPARTS PHIL., INC. DIRECTOR 木村 和彦 TOYOTA AUTOPARTS PHIL., INC. DIRECTOR   以上の会議は、フィリピンのアジア太平洋大学(UAP)のPETER U先生が手伝ってくださった。今後も、引き続き、この方々と連絡して、調査を進める予定である。   平川先生の特別依頼で、日本大使館のSAKUMA HIROMICHIさん(FINANCIAL ATTACHÉ ATTY.)と意見交換した。先生も私もSGRAのことをPRし、去年の軽井沢フォーラムのレポート(英語と日本語版)を大使館においていただくようお願いした。   今回の調査はフィリピン開発研究所の助成金によって行われた。調査の最終目的はフィリピンの工業製品の対日輸出戦略を立案することである。調査の過程は次のようになっている。第1段階は、中長期的に日本へ輸出可能な製品、いわゆる生産計画の特定。第2段階は、その生産計画の構造的関係の根拠の分析。第3段階はその生産計画の構造的根拠のインセンティブ構造の分析。今年の12月ごろに最終提案書を提出する予定である。   今回の訪問で、大・中企業の生産計画の大枠を把握できたが、やはり、小企業のほうは、大企業に頼る部分が大きく、生産計画を自ら作成しないというのが基本方針のようである。ただ、小企業といっても、高い技術でバリバリ輸出しており、ここからも輸出戦略を立てるための貴重な情報が得られないわけはないので、引き続き調査の対象としたい。   8月19日に成田に戻り、翌日の始発の新幹線で名古屋に向かった。これから3ヶ月半、平川先生のご指導のもと、SGRA研究チームの仲間の李鋼哲さんと一緒に、客員研究員としてお世話になる。名古屋に近づくと、新幹線の窓から工場団地がよく見かけられた。平川先生によれば、名古屋大学は、東アジアの発展の原動力とも言える「雁行形態開発」という発想の発祥地ということだ。ASEANと日本の協力関係の更なる進展という私の期待への可能性を探るために、日本の「ものづくり」の心臓部への旅がはじまった。   (2003年8月28日)
  • 2003.08.21

    今西淳子「地球市民とは」

    8月21日午後7時より、SGRA会員の山下英明さんの主宰されるセンチュリーフォーラムで、SGRAの活動を基にして「地球市民とは」というお話をさせていただきました。まず、地球市民に不可欠な要素として「行動」がありますから、私の活動を紹介しました。ひとつは渥美財団と関口グローバル研究会(SGRA)で、もうひとつは、CISV(Children’s International Summer Villages)という世界60カ国の子供たちに短期合宿生活させて異文化理解を推進するグローバルな平和教育運動ですが、どちらも「地球市民の育成」を目標にしています。これらは財団法人と社団法人ですが、このような民間による(NGO/NPO)公益活動自体が「地球市民」の重要な要素のひとつと考えます。   次に、この言葉がどれくらい使われているか、インターネットの検索エンジン(google)で調べてみたところ、「地球市民」が336,000件、「global citizen」が929,000件、「earth citizen」が634,000件ありました。たとえば「地球市民財団」は地球市民を「異なる文化や歴史を、一人の人として互いに尊重し、理解しあい、認め合う意識を持った人々」と定義し、地球上に住むすべての人が幸せに暮らせるよう、途上国を支援するNPOを助成しています。広島県の国際化推進プランでは、「地球市民意識の醸成」のために「国際理解・多文化理解の促進」と「平和・人権意識の高揚」をあげています。また、高崎市の「地球市民宣言」では、「歯磨きや洗顔のときは、水をこまめに止める」「買い物には買い物袋を持参する」など環境に配慮した日常生活上10項目の注意点をあげています。このようにみてみると、「地球市民」という言葉は既にかなり広く使われ、充分に「市民権」を得ているといえると思います。   さて、朝日新聞社「知恵蔵」に、「地球市民」の項では「1970年代から、地球的視点で行動する主体として『地球市民』が登場する。その意味で『地球市民』とは、昔からあった抽象的・理念的な『世界』『人類』とは違い、物質的条件に迫られ、生存をかけた意識である。」と定義されています。さらに、SGRA「地球市民」研究チームでは、「地球に住む人類として、全く新しいアイデンティティーとして芽生えて」きた意識であり、その特徴は「近代社会の基本理念である自由と平等を継承すること、地球規模の『公共圏』において、かつての国家権力に頼る征服や同化ではなく、お互いに意を尊重し合い、共に生きる、つまり『共生』を求める自立的な市民であるべきという認識」であるとしたことを紹介しました。(SGRAレポート#1「地球市民のみなさんへ」p.27) SGRAの定義の特徴は、自由・平等・民主主義といった近代社会の普遍的価値と公共性(公益性)を強調したことです。   しかし「知恵蔵」は、「それはまだ意識のレベルであって、行動はローカルに根を持ち、国境を超えるトランスナショナルではあっても一挙にグローバルではない」と指摘します。山下氏より「地球市民の生命と財産は誰が守るのか」という質問をいただきましたが、まだ制度的な検討はほとんど始まっていないと言わざるをえないでしょう。しかしながら、この点を検討するための参考として、本年5月のSGRAフォーラムでは、EU日本事務局の高橋甫氏から「EUと市民」というお話を伺いました。高橋氏は、欧州統合のキーワードとして①戦争を二度と起こさないという理想に根差したビジョン②強力な政治的な意志③現実的な漸進主義④制度的な裏付け(理事会と委員会と議会と裁判所)⑤文化的な多様性の確保、を指摘された後、「市民に近いEU」と呼ばれ、既に1979年から、加盟国の議会の代表者ではなく、直接選挙によって議員が選ばれていること、これによって、欧州市民というレベルでEUの政治に参加していることを紹介してくださいました。これが、欧州市民権や欧州基本権憲章の制定に発展したということです。(高橋甫「市民とEU」SGRAレポート#18「地球市民研究:国境を越える取り組み」9月発行予定)   最後に、「地球市民」意識の啓蒙活動の意義について述べました。本年2月お台場のSGRAフォーラムで、京都大学の白石隆教授は、アメリカの圧倒的な影響の下、アジア各国に、大きなマスとして中産階級が台頭してきていることを指摘されました。白石教授は、過去30年ぐらいのスパンで見ると、アジア各国はかつてよりはるかに多くのものを共有するようになっているということ、このとうとうとしたアメリカ化の中で、私たちは規範についても相当いろいろなものを共有するようになってきていること、そして、その上にこそ、いずれマーケットの地域統合の上に、制度として地域というものを作っていくということも構想できるようになるのではないか、と結論されました。(白石隆「日本とアジア」SGRAレポート#17「21世紀の世界安全保障と東アジア」p.12)   さらに、昨年7月軽井沢のSGRAフォーラムで、宮澤喜一元総理大臣は「何か共通のものを頼って、何かができるというような動き方には急にはなっていきません。しかし、オーディオ・ビジュアルな時代ですから、過去において何世紀もかかったことが、これからも何世紀かかるということもない」と仰いました。(SGRAレポート#14「グローバル化の中の新しい東アジア」p.8)ドッグイヤーの時代ですから、アメリカ化という共通基盤のもと、アジア地域の共通規範の確立もそれほど遠いことではないかもしれません。   以上のことから、アジアにおける「地球市民」意識啓蒙には、次のような意義があると考えます。①アジア各国における中産階級の台頭により拡大する共通基盤作りの促進②多様なアジアにおける「自由」や「平等」という普遍的価値の普及③欧米化ではなく文化の多様性の尊重を基本とする意識の普及④共通基盤に基づく連帯意識の醸成と、地域統合への方向づけ⑤地球規模の問題解決への取り組みを推進(アジアは最大の人口を有し、経済発展が著しい)⑥社会の激しい変化に対応。   SGRAでは、今後も「地球市民」について考えていきたいと思っています。 
  • 2003.06.25

    おめでとう フィリピン・プロジェクト

    SGRA「グローバル化のなかの日本の独自性」研究チームが、フィリピンのアジア太平洋大学と共同で進めている在比日系企業調査のプロジェクトに対して、フィリピン開発研究所からの助成が決定したとのお知らせをいただきました。おめでとうございます。以下は研究チーフのマキトさんからのメールです。   -------------------------------   先日「マニラ・レポート」で報告したように、フィリピンのアジア太平洋大学のピーター・ウー博士と在比日系企業の準備調査を始めた。帰国後間もなく、ウー氏から、フィリピンの開発研究所のもとで管理されているPhilippine APEC Study Center Networkが日比間の自由貿易協定に関する研究提案を募集中なので、共同調査をベースにして応募してみないかと誘われた。幸いに、その研究提案が採択されたそうである。SGRA研究員という肩書きで初めて認定されたものだけで嬉しさもひとしおである。   研究提案は「Formulating a Medium- to Long-Term Strategy for Exports of Manufactured Goods from the Philippines to Japan under a FTA with Japan: A Survey of Japanese Corporations in the Philippines 日比間の自由貿易協定において、フィリピンによる対日本製造品輸出をめぐる中長的戦略の立案:在比の日系企業の調査」というもので、日本企業と協力していかにフィリピンの経済発展と日比関係を進めるかということが、このプロジェクトの基本目的である。日本が世界に向けて可能であると示した「共有された成長」についてのさらなる解明もめざしている。   これと関連して、当研究チームの顧問で名古屋大学の平川均教授が8月にマニラを訪れ、準備調査を一緒に進めてくださることになった。先生のご指導のもとで調査が本格化しつつあるという気がして、わくわくしている。今回は、大手企業ではなく、中小の日系企業に焦点をおく。このようにして小さくても、在比日系企業の企業集団のサンプルが出来上がれば、これからの研究に何か貴重なヒントを与えてくれるものと期待している。   SGRA会員の皆様で、在比日系中小企業をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご紹介ください。   M.マキト  
  • 2003.06.16

    AAN朴栄濬「「核」と鎖国は破滅への道 」

    月曜日の朝日新聞に、SGRA「東アジアの安全保障と世界平和」研究グループ、サブチーフ朴栄濬さんのコラムが掲載されましたので、お知らせします。 -  ----------------------------   「核」と鎖国は破滅への道   朴栄濬 (韓国国防大学校安全保障大学院助教授)   平壌を訪れた米代表に北朝鮮が核兵器開発を明言してから8カ月余、恫喝戦術か、真相の告白か、多くの議論が展開されてきたが、少なくとも北朝鮮が核開発をテコに対外政策を有利に進めようとしていることが明らかになってきた。4月北京で行われた米中朝3者会談でも北朝鮮代表が同様の発言を繰り返し、今月には朝鮮中央通信が「核抑止力を備えなければならない」と明言した。その実態や実用性は別にしても、既に朝鮮半島は北朝鮮の核脅威にさらされているのである。   北朝鮮が核兵器開発にこだわるのには、理解できる面もある。元々「遊撃隊国家」が起源で、軍事力強化は国是である。伝統的な友邦であったソ連が崩れ、中国が改革・開放へ転換してからは、孤立した社会主義体制の生き残りのためには、絶対兵器の誘惑に逆らうのはむずかしかっただろう。   しかし、生き残りの戦略として選択した核開発がはたして自国の安全確保に貢献しているか、北朝鮮は見極めなければならない。   (全文は、以下のURLをご覧ください)   http://www.asahi.com/international/aan/column/030616.html 
  • 2003.05.19

    朱庭耀研究員トリプル受賞

    会員の朱庭耀さんより、嬉しいニュースをいただきました。トリプル受賞おめでとうございます。   ---------------------------------   お蔭様で、この度、日本造船学会第106期年度通常総会(5月14日)において、私が書いた以下の三編の論文   1)「タンカーの主要構造部材に対する設計荷重の実用的設定法に関する研究 第1報 設計海象」、日本造船学会論文集, 第191号, pp. 195-207, 2002.   2)「タンカーの主要構造部材に対する設計荷重の実用的設定法に関する研究 第2報 設計規則波及び設計荷重」、日本造船学会論文集, 第191号, pp. 209-220, 2002.   3)「バルクキャリアの主要構造部材に対する設計荷重の実用的設定法に関する研究」、日本造船学会論文集, 第192号, pp. 723- 733, 2002.   は、最優秀論文として、   日本造船学会賞(The Prize of the Society of Naval Architects of Japan)、 日本造船工業会賞(The Prize of the Shipbuilding's Association of Japan)、 日本財団会長賞(The Prize of the Chairperson of the Nippon Foundation)   それぞれ授賞いたしました。それを今西様にご報告致します。これからも頑張って研究を続けって行きたいと思います。これからも宜しくお願い致します。   朱@日本海事協会  
  • 2003.04.07

    李鋼哲「地域協力の中心、狙う韓国」

    昨日朝日新聞に掲載された李鋼哲研究員のコラムです。   -----------------------------   地域協力の中心、狙う韓国   李 鋼哲(リ・ガンゼ) 新世紀アジア人開発研究センター理事長(中国)   イラク戦争が現実となり、日々戦火のニュースがメディアを埋め尽くす。北朝鮮の核開発をめぐる緊張を抱える朝鮮半島にどんな影響が出るのか。日本を含む北東アジアの平和と安定が大きく揺らぎかねない。   韓国は米韓同盟の立場からイラクでの対米支援を決断、反戦の声が高まる中、国会が派兵を認めたが、他方で対北平和解決の道を全力で模索している。   http://www.asahi.com/international/aan/column/030407.html