SGRAかわらばん

マキト「マニラ・レポート(2003年夏)」

SGRA「グローバル化のなかの日本の独自性」研究チーム
チーフ F・マキト

 

夏休みを利用して、一時帰国した。
帰国早々、7月27日に、マニラのビジスネス街マカティで軍兵士の反乱事件が起きた。幸いなことに、反乱兵士たちの思惑ははずれ、一般市民の支持を全く得ることができず、一日のうちに無血で事件は終了した。反乱兵士たちは、フィリピン軍内の汚職を訴えようとしたが、彼らに武器の使用権を認めた国民の信頼を裏切った結果になったと私は思う。正当な主張があるのならば、とりわけ自分の命を掛けるぐらいならば、平和的ルートを通して訴えを表明する方法は他にいくらでもある。国家を危機に晒し、一般市民に武器を向けずに済むはずだ。今回の反乱事件の計画者を厳しく裁いてもらいたい。この事件による経済影響を心配したが、フィリピンのアジア太平洋大学(UAP)の発表によれば、フィリピンが様々な危機から受ける打撃は毎回減ってきているようである。フィリピン国民が、だんだん危機への対応に慣れてきたと考えられている。

 

今回のマニラ訪問の後半には、SGRA研究チームの顧問をお引き受けいただいている名古屋大学の平川均教授が同行してくださり、充実した調査ができた。反乱事件が起きたので心配したが、先生は予定通り来比してくださった。日本貿易振興会(JETRO)を通じて、次の4社を訪問した。JETROマニラの白石薫さん(Director)が4社の訪問に同行してくださったが、「フィリピンの将来がなければ、私の将来もない」という彼の言葉がとても印象的だった。(このような日本人がもうちょっと増えてほしいですね)

 

4社で、暖かく受け入れてくれたのは次の方々である。この場を借りて、改めて感謝の意を述べたい(訪問順)。今回の調査は、平川先生の特別依頼もあって、工場を見学してきた。現場の貴重な意見を詳しく聞かせていただき、大変勉強になった。

 

小藤田 洋成 ASAHI GLASS PHILIPPINES、EXECUTIVE VICE PRES.
石井 明 SANYO PLASTIC PHILIPPINES、INC.、PRES.
SAKAMOTO HITOSHI、ENOMOTO PHIL. MFG.、SENIOR VICE PRES.
YAMAJI TADASHI、 P.IMES CORPORATION, PRES.
WAKABAYASHI SHUJI、 P.IMES CORPORATION、DIRECTOR
CESAR A. MORAÑA、P.IMES CORPORATION、MANAGER

 

4社訪問以外に、今年5月に調査したトヨタ・フィリピンの田畑社長と、ホンダのALFREDO MAGPAYO、AVPと、アジア太平洋大学(UAP)のEXECUTIVE LOUNGEでそれぞれ朝食とランチの会議を行った。田畑社長は、その場で携帯電話から、フィリピンにあるトヨタの部品下請け会社であるTOYOTA AUTO PARTSの社長とアポイントをとってくださった。そのおかげで次の方々にもお会いしたので、お礼を申し上げたい。

 

三宅 譲治 TOYOTA AUTOPARTS PHIL.、INC. PRES.
矢澤 文希 TOYOTA AUTOPARTS PHIL., INC. DIRECTOR
木村 和彦 TOYOTA AUTOPARTS PHIL., INC. DIRECTOR

 

以上の会議は、フィリピンのアジア太平洋大学(UAP)のPETER U先生が手伝ってくださった。今後も、引き続き、この方々と連絡して、調査を進める予定である。

 

平川先生の特別依頼で、日本大使館のSAKUMA HIROMICHIさん(FINANCIAL ATTACHÉ ATTY.)と意見交換した。先生も私もSGRAのことをPRし、去年の軽井沢フォーラムのレポート(英語と日本語版)を大使館においていただくようお願いした。

 

今回の調査はフィリピン開発研究所の助成金によって行われた。調査の最終目的はフィリピンの工業製品の対日輸出戦略を立案することである。調査の過程は次のようになっている。第1段階は、中長期的に日本へ輸出可能な製品、いわゆる生産計画の特定。第2段階は、その生産計画の構造的関係の根拠の分析。第3段階はその生産計画の構造的根拠のインセンティブ構造の分析。今年の12月ごろに最終提案書を提出する予定である。

 

今回の訪問で、大・中企業の生産計画の大枠を把握できたが、やはり、小企業のほうは、大企業に頼る部分が大きく、生産計画を自ら作成しないというのが基本方針のようである。ただ、小企業といっても、高い技術でバリバリ輸出しており、ここからも輸出戦略を立てるための貴重な情報が得られないわけはないので、引き続き調査の対象としたい。

 

8月19日に成田に戻り、翌日の始発の新幹線で名古屋に向かった。これから3ヶ月半、平川先生のご指導のもと、SGRA研究チームの仲間の李鋼哲さんと一緒に、客員研究員としてお世話になる。名古屋に近づくと、新幹線の窓から工場団地がよく見かけられた。平川先生によれば、名古屋大学は、東アジアの発展の原動力とも言える「雁行形態開発」という発想の発祥地ということだ。ASEANと日本の協力関係の更なる進展という私の期待への可能性を探るために、日本の「ものづくり」の心臓部への旅がはじまった。

 

(2003年8月28日)