SGRAエッセイ

  • 2003.03.21

    マキト「マニラ・レポート」

    SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ フェルディナンド・マキト   4月14日から一ヶ月、マニラに帰省した。その間、フィリピンで活躍している日系企業と国際組織を尋ねて、今後の研究のための資料やデータを収集した。秋にSGRAの顧問である平川均名古屋大学教授に研究客員として招聘していただいたので、今回のマニラの調査も参考にして研究を纏める予定にしている。   訪問したのは、富士通、ホンダ、トヨタのフィリピンにある子会社と、日本にその経営が任されたアジア開発銀行(ADB)の本部である。現地の協力者は、以前私が勤めたアジア太平洋大学(University of Asia and the Pacific、UAP)で、元同僚であったピター・ユー博士(Dr. Peter U)が担当してくれた。ユー博士は、多忙中にもかかわらず私の調査依頼を受けいれて、日系企業にアポイントを取ってくれた。企業訪問の目的は、フィリピンにある日系企業が、「共有された成長」という日本が体験した開発方法を、いかにフィリピンで実現しているかを調査するためである。全体的に印象的だったのは、訪問先の皆さんが大変協力的だったことだ。日本人役員の方々が会ってくださるか心配したが、結局、会長・社長クラスの方々が貴重な時間を割いてくださった。追加的なデータも後で送ってくださる。   アジア開発銀行では、いつも私の日本のODA研究に関してアドバイスしてくれる、フィリピンの友人に連絡したところ時間をかけて応対してくれた。ADB本部は私がUAP(当時まだ大学でなく研究所だった)に勤めたときには、マニラ湾に面しているところにあったが、今回はUAPの近くに移転したのでずいぶん便利になった。UAPのときの同僚とも偶然出会って協力してくれたのでラッキーだった。二回の訪問で、参考になることを色々と教えてくれた。この調査目的は、「自助努力を支援する」という理念を掲げている、ADBによる対フィリピンの日本ODAの経済学的評価である。   さらに、今回のマニラ滞在中、今年の秋に実施する予定のUAPと名古屋大学とのオンライン授業についてもあらためて確認した。テーマは「グローバル化のなかの日本」に決定した。   以上のプロジェクトは、名古屋大学の平川教授のご支援のもと実施するが、同時にフィリピンでのSGRAの存在感を強化することにも役立つと思っている。訪問先では必ずSGRAレポートを配って、私はSGRAの研究員として臨んだ。フィリピンのような発展途上国で活躍している日本の企業や組織が(他の国のやり方とは違う)日本独自の強いところをフィリピンでもちゃんと生かすことができているかを検証することと、日本に対する正しい理解を深め発信していくことが国際的なNGOとしてのSGRAの役割だと思っている。日本での「失われた10年間」は、海外で日本の強さが見失われた時期でもあったと考えれば、この役割の重要さが明らかであろう。 この場を借りて、滞在期間で協力していただいた下記の方々に改めて感謝の意を述べたい。 Shigeo Tsubotani Fujitsu Philippines, Inc. Chairman & CEO 高野 光成 Honda Cars Philippines, Inc. 取締役 社長 田畑 延明 Toyota Motor Philippines Corporation 社長 永峰 正昭 Fujitsu Computer Products Corporation of the Philippines 社長
  • 2003.03.18

    李鋼哲「イラク戦争を止めろ!!! 民主主義を救え!!!」

    SGRA研究員・李鋼哲   2003.3.18朝10時ブッシュの演説を聞きながら   アメリカ軍のイラク攻撃は秒読みの段階に入っている。今更戦争を止めろ、といっても止めそうでもない。だからといって、我々は「対岸の火事」を見ているだけでよろしいでしょうか。   国連の決議なしに単独主義行動で、アメリカなどがイラク攻撃を踏み込んだ場合、世界は第二次世界大戦後の最も深刻な危機に陥ることは間違いないと私は見ている。国際関係を見ると、「9.11」を契機に、世界はポスト冷戦時代の米国中心の「一超多強」世界秩序から、ポスト・ポスト冷戦時代に突入した。一時的な混乱を経て、世界はアメリカ「帝国」の衰退を迎え多極化時代に入るだろう。この転換期に国際社会が直面した危機は深刻である。   まずは、国際秩序の破壊危機である。戦後国際社会は資本主義勢力と共産主義勢力との対立が険しいなかでも、米ソ両超大国を中心とする均衡の取れた世界秩序を創った。もちろん、軍備競争や局部戦争は起こっていても、世界は第三次大戦にはならなかった。冷戦崩壊を迎えて、共産主義陣営は崩れ去り、アメリカ超大国が主導するグローバリズムの世界に入った。この秩序において、1991年に起こった湾岸戦争、昨年に起こったアフガニスタン戦争などは何れも国連決議に基づいて行っており、国連の結束と権威が一応保てられていた。しかし、今度のアメリカの軍事行動は、国連の賛成を得られないまま独走し、国際社会の秩序が破壊されてしまう危険性が非常に高い。そうなると、世界は冷静な価値判断基準が乱れることになり、正義と非正義が混沌してしまう。フセイン大統領は「世界各地が戦場になる」と宣言し、アラブ世界とアメリカなどとの対立が深まり、「9.11テロ」現象がアメリカを始め世界各地で起こっても不思議ではなくなるだろう。世界世論を背ける今度の戦争で、アメリカはイラクとともに敗者になるに違いない。   次は、国際的、国内的民主主義の危機である。国際社会において国連中心の体制においては一応の民主主義が貫徹されてきたが、アメリカ単独主義行動の独走に対して国際社会は歯止めをかける力を完全に失ってしまったのを見て、世界の人々は国連に対する強い不信感を抱くことになろう。一方国内では、とりわけイラク攻撃に参加する、またはこの戦争を支持する国々では、民主主義の深刻な危機を迎えざるを得ないだろう。ブッシュ政権、ブレア政権、小泉政権はいずれもが国民多数の反対を無視しており、民主主義を踏みにじっている。これらの政権はイラク戦争によりいずれも交替せざるを得ない運命になっていると私は見ている。   最後は、世界経済が深刻な危機に陥る。国際秩序の破壊、民主主義の危機は直接国際社会に対する経済界の不信感を強め、株価暴落を始め世界経済は大きな危機を迎えつつある。世界の3大経済大国アメリカ、日本、イギリスが国内市場の最大危機を迎えており、それが国際経済に与える影響は甚大である。世界同時不況はさらに深刻になるだろう。   このような国際社会が直面した危険、世界経済の危機を無視してまで行うイラク攻撃戦争に対して、地球市民としいてのSGRAは何を考え、何を発信すべきか。我々の発信が世界にとっては「茫々大海に投じた一石」に過ぎず、何にも役に立たないかも知れない。しかし、世界には我々と同じように、または我々よりもっと積極的に、ドラスティックに発信し、行動する市民やNGOが千万と数え切れないほど存在している。最近、世界各国で起こっている反戦デモを見てもこれは明らかであり、強まる市民社会の力を示している。   世界が直面した深刻な危機を転換させるために、我々は自分の声を世界に発信し、我々は自ずと行動を示さなければならない。戦争を止めるために、民主主義を救うために!!!   今、ブッシュの演説を聞いているが、全く説得力と論理性が見えない。頭が狂っている。  
  • 2003.03.14

    ANN朴栄濬「急増する日本人留学生」

    本日朝日新聞に掲載された朴栄濬研究員のソウルレポートです。   -----------------------------   「急増する日本人留学生」   韓国の大学で外国人留学生が増えている。特に日本人留学生の増加が目立つ。昨年日本から帰国し講師をつとめていた大学でも、岩手県の高校を卒業して韓国語を勉強するために来た女学生、早稲田大学を出て韓国の政治経済を研究している大学院生などが私のクラスに参加した。   http://www.asahi.com/international/aan/column/030314.html  
  • 2003.03.11

    禹守根「頑張ろうよ、日本!」 

    SGRA会員ではないのですが、日本留学後、現在アメリカの大学院で研究している韓国の方から、下記の文章が送られてきたのでご紹介します。彼は、日韓の学生が共同でカンボジアに小学校を作るNPOの創始者でもあります。   ------------------------   「頑張ろうよ、日本!」 禹守根   1970~80年代の国際社会を驚かした”従属理論(dependency theory)”の創始者であるアンドレ・フランク(Andre Frank)は最近、”リオリエン(Reorient)”という名の本を出版した。この本から、著者の問題意識はタイトルの通り”Reorient”であることが伺える。”新たな方向を提示する”というこの言葉は、同時に”東洋の復興”という意味を含んでいるのだ。   「グローバルな経済体制は、はるか昔から形成されていた。その中で優位な立場にあったのはヨーロッパではなく、アジアであった。」そんな彼の主張の背後にあるメッセージは明らかである。「世界の歴史を創り上げた中心はヨーロッパではない。そして、アジアが後れを取り始めたのは近来のことであり、昨今のアジアの再浮上は、世界の中心がこの地域に再び移ってきている」ということの表れである。   これまでアジアからみてきた日本。そして、今、アメリカで見られる日本。なんと、大きな格差があることだろう。複雑な気持ちは交差するものの、連帯感と同質感の強いアジアの中の日本は、ここアメリカにおいては、何も言わなくても自らアメリカの下にくっついてくれるアメリカの言いなりの存在にしか映し出されないようである。嗚呼、無念・・・。   だから今、Yale大学の歴史学者のポールケネディカネが、ある雑誌に”小さくなる一方の日本”というコラムを書けたのであろう。そこで彼は改めて強い懸念を抱いていた。「いつも西欧の目を気にし、堂々たる姿勢を見せない日本の政治家たち。そんな彼らに主体的な青写真を期待する日本の国民はいない。こんな日本において最も深刻なのは、深まるばかりの自信の喪失なのである」   自信感の喪失。   そんな政治家がいることは事実だが、”人を責める”前に冷静に考えてはいかがだろう。この悪循環の原因、その改善のために、はたして我々は何をしてきたのかということを。   NGOの大父と呼ばれるゼレミリフキン(Jeremy Rifkin)博士。「他人の役に立てられるということで、自分にも自信が沸いてくる。」そんな言葉を残した。そして、先のアンドレ・フランク。「アジアは、ヨーロッパや西欧のモデルばかり追従する必要もなく、そうしてもならない」と話している。   アジアには我々の助けを必要とする人々が少なくない。彼らには、“こんな私に・・・”と思えるかもしれない、市民一人でも出来ることがたくさんあるのだ。 失った自信の回復、そしてリオリエントのためにも、いま、我々に求められているのは自らの一行。もはや「百聞は一見に如かず」ではなく、「百見は一行に如かず」。   さあ、気を取り直して頑張ろうよ、日本のみなさん! まだ遅くありません。ずっと応援していますよ!!   We Love Asia, Asia Loves Japan!!  
  • 2003.03.10

    マキト「京都議定書批准時の外交努力を思い出そう」

    SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ フェルディナンド・マキト   緊迫した最近の政治情勢のなかで、父親のブッシュ政権における湾岸戦争と、その時の日本の悔しい思いがよく取り上げられる。しかし、私はむしろ京都議定書の批准と、その時の感動的な日本の外交努力を今こそ思い出したい。   当時の様相はこうだった。米国が京都議定書に批准しないことを決めて、国際社会の合意にストップをかけようとしていた。日本は議定書の運命に対して決定的な票を握っていた。日本は、議事国らしく見事にその困難な問題を解決した。世界環境だけでなく、世界の秩序そのものに最も影響力のある米国に、できるだけ批准するように働きかけた。米国が決意を変えようとしなくても、日本は米国に束縛されず、京都議定書に批准し、国際社会の決定を維持した。内容をみると、エネルギー資源に乏しい日本は、聖域であった原子発電所においては譲ったが、森林が豊富な日本は、森林の重要さを議定書に盛り込むことに成功した。   今の様相はこうみえる。米国は国連の決議に従わないという強い信号を発信している。単独の軍事介入によってでも、イラクの武装解除を実施しようと宣言している。投票権がなくても日本はこの中で、事実上国連の運命に対して決定的な決断に迫られている。果たして、日本は、平和憲法を持つ唯一の先進国らしく、見事にこの困難な問題を解決できるだろうか。   どのような外交が水面下で行われるかは、そのうち歴史が語り裁くが、普通に考えれば、京都議定書が試したいくつかの要素があれば、悪くない結果を生み出すであろう。まず、従おうとはしない米国に対してできるだけ働きかける。しかし、米国が決断を変えようとしなければ、日本が国際社会の決定を支持するのは当然であろう。日本が譲れるところは色々と考えられるが、この地域の平和に重要であるものの行き詰まった平壌宣言にヒントがあるであろう。活かすべきことは、日本が豊富に持っている平和理念にほかならない。   あくまでもこれは私の期待だったが、京都議定書批准において活躍した川口大臣が、今回も活躍しているのはわずかな希望を抱いた。しかし、日本は、国連で否決されても米国を支持すると腹を決めた。   今年の日本の建国記念日に、小泉総理大臣が鋭く指摘したように、最近日本では悲観的な見方が支配的であるが、本当に強いところはまだまだたくさんある。その強さを見失った世論が間違っているといえようが、国民の反対の声に聞く耳を持たないわけにはならないであろう。根っから親米の小泉総理やその周辺の政治家は、本来日本にある強さ、そして米国が掲げている、本来、社会の合意を徹底的に維持する真摯かつ偉大なる民主主義を国際舞台で生かすことはもはやできないのか。   あの感動的な外交努力を、もう一度、平和を愛する日本の国民、いや平和を愛する地球市民に示してほしかった。   追記:アメリカの大学に勤める者として、少しでも生徒と教員の安全に貢献したいと思い、この文章を投稿します。  
  • 2003.03.07

    エッセイ042:今西淳子 「活躍するSGRAの仲間たち:広州・香港(2)」

    大学城から広州市へ戻る途中で広東料理レストランへ寄りました。「食は広州にあり」ですから、広州のレストランの大きさと活気にはいつも圧倒されます。典型的なレストランは数百人ものお客さんが軽くはいれる1階のフロアーと2階に個室がたくさんありますから、予約もせずにふらっとはいっても、10人くらい何でもありません。レストランのお店の前には、水槽があって様々な魚が泳いでいます。その横の金網の籠の中には亀や蛇。勿論、全部食材です。食材の多さに料理法の多様さが加わって、何ページもあるメニューをみながら、中国の皆さんは、ああでもない、こうでもないと、喧々諤々話しあいながら何を食べるか決めてくれます。たとえば、私の大好物の青菜炒めでも、5種類くらいの青菜から選ぶことができます。   胡さんは、日豊興業というトヨタ系列の会社に勤めています。トヨタが広州郊外の南沙という経済特区に工場を作ったので、胡さんの会社もここに進出しました。残念ながら、今回は南沙まで行く時間がなかったのですが、既に事務所を購入されたとか。胡さんは、成型、塗装、組み立て関係の設備製作、消耗品の提供とアフターケアの管理が仕事のようです。私が「昨年10月に北京に行った時には、日本車が少なくて、ヒュンダイばっかりだったので、日本企業はだめと思ったけど、広州にきたら、圧倒的にトヨタとホンダだったので安心した」(私が日本の自動車産業を擁護しなければならない理由は何もないのですが・・・)と言うと、「中国の自動車産業は、地方政 府との結びつきを考えなければだめですよ」ということ。胡さんは、広州トヨタの工場が一段落したので、現在天津のトヨタ系列の工場建設に加わっていますが、天津トヨタと広州トヨタは全く違う会社だということです。しかも、もっと凄いのは、天津のT社が胡さんの設計したモノの図面(ノウハウ)を他社に提供して発注したとのこと。その上、今度は、それが広州に進出するニッサンの工場も使われるのだそうです。わざわざニッサンの系列会社が来るほど生産規模が大きくないので、「日本の」系列会社をシェアするわけです。こうなってくると何が何だかわかりません。同じ中国のトヨタでも全く別の会社かもしれないし、トヨタとニッサンというライバル会社でも、同じ系列会社が請け負うということもあるのです。「これから中国の自動車産 業は戦国時代です」とは胡さんの説明です。   久しぶりに会った仲間たちとの会話が弾みすぎて、香港行きの列車に乗り遅れました。広州駅に着いたのは、発車10分前だったのですが、「出入国検査」があるので、もう構内にいれてくれませんでした。「一国二制度」とは、他に類のない制度ですが、旅行者から見れば要するに別々の二つの国です。広州駅で中国側の出国審査をして、香港の駅で香港への入国検査をします。胡さんは、用事があるので深せんまで送ってくださるとのことだったのですが、深せんから香港まで徒歩で「国境」を渡るのは、普段は30分くらいの列ですが、お正月は大変混雑していて2時間以上並ばなければならないので、電車の方が速いと思ったのです。中国人にとって、香港に行くためには、戸籍のある場所で発行する特別の許可証が必要です。中国パスポート+ビザでないのは「一国」だからでしょう。現在、アジアの人が日本へ来る時に、ビザが不要なのは、シンガポールとブルネイと香港と韓国だけです。香港パスポートは特別です。だから、中国からたくさんの妊婦さんが出産をするために香港へ行くのです。運の悪いことに、10分遅れたために私が乗ることになった次の列車は、2時間半遅れで出発し、香港には予定より4時間遅れて、夜11時に到着しました。残念ながら、予定していた夕食会はお流れになってしまったのですが、ホンハム駅には、SGRA会員の叶盛さんが待っていてくれました。ありがとう!叶さんは、バイオテクノロジーを専攻して東大から博士を取得した後香港で就職し、現在は香港城市大学で研 究員をしています。中国の大学時代にしていたのはお茶の研究で、東京でお会いしていた時には最先端の科学者のわりにはおっとりしていたのに、今やすっかり香港人になって「研究の目的ははっきりしています、金儲けのため!」とのことでした。   急遽、翌日に昼食会をすることになりました。香港人のSGRA会員は日本やアメリカに滞在中ですが、中国人のSGRA会員が2名香港で活躍しています。叶さんと、もうひとりは侯延昆(本当は王+昆)さんです。侯さんは、東工大から化学の博士号を取得した後、エール大学でポスドクの研究をし、渡米後3年目には米国化学アカデミーに就職して、渡米5年めにはオハイオ州に芝生に囲まれた一軒家を購入し、日曜日にはゴルフなども始めてみましたが、それでは物足りなくて、奥さんに家族と家計を支えてもらって1年半の最短期間でコーネル大学のMBAを取得しました。この間、アメリカのパスポートをもつお子さんが2人生まれました。東京で少し働いた後、香港の美国雷曼兄弟亜州投資有限公司で働くことになりました。どこの会社だと思いますか?名刺には、Lehman Brothers Asia Limited, Analyst: Asia Ex-Japan Equity Research - Auto/Auto Partsとあります。当初は、化学製薬関係の証券アナリストを目論んでいたのですが、世界で有数のこの投資銀行が必要としていたのは、中国の自動車産業と部品産業の会社を投資家のために分析できる人物だったのです。これは、今までに誰もやっていなかった分野で、しかもまだまだ情報も少なく、侯さんはしょっちゅう広州に行っているとのことでした。今の会社は、半分以上が中国出身のアナリストで、その仕事ぶりは本当に凄いということです。   侯さんの会社のあるのは、香港島のInternational Finance Center(IFC)ですが、ここは東京の大手町とあまり変わりません。そこの地下のレストランで昼食会を開催しました。勿論、香港ですから飲茶です。その時の会話で印象に残っていることがふたつあります。ひとつは、「ポスドクの頃はあんなに貯金できたのに、給料が数倍になったのに今は・・・」という話。まあ、今は家族もいますし、引越しも多かったから仕方ないですね。もうひとつは、「昔は中国標準語を香港で話していると見下されるように感じたけど、今はそんなことはなくなった」とのこと。香港では広東語が主流で、今でも標準語を話さない人も多く、標準語よりも英語が通じる場合も少なくないようです。それにしても、香港における「標準語を話す人」の評価が、中国の経済発展とともに変っていったというのは興味深い話でした。   侯さんは、「東京は空港が遠くてすごく不便」と言います。それもそのはず、IFCの地下には空港エクスプレスの駅がありそこでチェックインすれば、あとは電車に15分間乗って、30分前までにゲートに行くだけ。これでは成田はとてもかないません。   -------------------------------------- 今西淳子(いまにし・じゅんこ) 学習院大学文学部卒。コロンビア大学大学院美術史考古学学科修士。1994年に家族で設立した(財)渥美国際交流奨学財団に設立時から関わり、現在常務理事。留学生の経済的支援だけでなく、知日派外国人研究者のネットワークの構築を目指す。2000年に「関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)」を設立。また、1997年より子供のキャンプのグローバル組織であるCISV(国際こども村)の運営に参加し、日本国内だけでなく、アジア太平洋地域や国際でも活動中。
  • 2003.03.02

    AAN 「アジア人」を紹介します

    AANのインターネット版に、李鋼哲研究員が次のように紹介されましたので、お知らせいたします。   ■一線から■   ・「アジア人」を紹介します 国に過剰に頼ることのないアジア人。中国共産党員としての栄達を未練気なく手放した李さんのような人は、「アジア共同体」を一足先に具現化している人なのかもしれません。   http://www.asahi.com/international/aan/issen/issen34.html  
  • 2003.02.28

    李鋼哲「北東アジア開発銀行、その成否のカギは朝鮮半島にあり」

    少し前になりますが、李鋼哲研究員より下記のお知らせをいただきましたので、転送します。   --------------------------   韓国のハンキョレ新聞から、大統領選の直前に、もし廬氏が大統領になったら北東アジア経済協力を積極的に進めると公言したので、開発銀行に関する特集記事を1月1日のコラムに載せるという依頼がありまして書き上げました。ハンキョレ新聞といえば、歴史は短いが韓国で最も進歩的な新聞であります。その記事は韓国語になっているので、日本語原稿を添付します。ご参考まで。   --------------------------   한겨레 신문 기고 「北東アジア開発銀行、その成否のカギは朝鮮半島にあり」   北東アジア地域協力の要をなしている開発銀行設立構想は、10年前から議論されていたが、最近になっては実現に向けて動きが関連諸国で活発化している。3年前に中国天津市政府は開発銀行を同市に誘致すると宣言し、近年韓国でも大統領、及び大統領候補たちは同開発銀行構想を推進するとしている。それでは日本は乗り出すのかどうかが現段階のキーポイントとなろう。   同開発銀行構想について、日本国内では関心度がかなり低いのが現状である。日本は冷戦後に、北東アジア地域協力はさることながら、東アジア地域協力にも消極的であった。とりわけ、北東アジアにおいては日米同盟と日朝関係がそれぞれ大きな足かせとネックとなっている。それに日本国内の長引く不景気が、開発銀行構想のような前向き思考を停止させたと言っても過言ではないだろう。しかし、日本の地域協力への姿勢と政策はアジア通貨・金融危機をきっかけに変わっていることが注目される。「ASEAN+3」枠組み、及び日中韓3国枠組みの形成と拡大は、日本のこうした姿勢の変化なしにはあり得ない。さらに、朝鮮半島での情勢変化に日本の反応は俊敏であり、2000年6月の南北首脳会談の成功に対する日本の対応は積極的と言える。北東アジア開発銀行構想に関する本格的な調査・研究プロジェクトが東京財団により実施されたのもその現れでの一つであろう。   去る2002年7月29日、東京財団の北東アジア開発銀行プロジェクトチームは、小泉純一郎首相宛に「北東アジア開発銀行(NEADB)創設のための5つの政策提言」並びに『報告書』を進呈した。総理官邸で内閣官房長官福田康夫が首相に代わって提言の申し入れを受理し、研究代表の説明を受けた後、「この問題は何れ取り組まねばならない課題だ。貴重なご研究と提言に感謝する」とコメントをした。   同研究プロジェクトが日本のトップレベルの民間シンクタンクにより行われ、また域内外諸国や国際機関に発信されていることは、日本の対北東アジア姿勢は変わりうることを示した。ユニークなことは、同研究プロジェクトチーム構成メンバーが多国籍であること。日中韓ロなど域内4カ国並びに台湾、米国など関連国・地域の出身者、そしてアジア開発銀行、国連経験者など多国籍メンバーにより構成されされたチームは、国際的な視点から、日本の対外協力政策の焦点を北東アジアに当てる必要性と緊要性を日本政府に訴え、日本がイニシアティブを取るように働きかけたことは、日本国内では珍しいケースである。   同政策提言では、まず、北東アジア開発銀行の創設は同地域多国間協力のモデルとして位置づけるべきだと訴え、2006年を目途に北東アジア開発銀行の創設を推進することを提案し、その実現に向けた推進戦略とアクションプログラムを提示した。日中韓3カ国首脳会合で推進宣言を出し、日中韓協力政策の一環として位置づけ、同3カ国が中核となって共同でイニシアティブを取ることを進言している。   これをもって日本が北東アジア地域協力に対する姿勢を変えているとは言えないが、日本では北東アジア地域協力に関する最初の政策提言であることに注目されたい。その背景には、南北首脳会談が成功し、日本では朝鮮半島の問題が歴史的転換に向けて本格的に動き出したとの判断があったと考えられる。政府とマスコミに対する影響力が強く、政府に直接提言できる立場にある東京財団(当時は、現金融・財政大臣竹中平蔵が理事長)が一足早くこの動きに反応し、同プロジェクトを成立させた意味は大きい。   さらには、9月17日小泉首相平壌訪問の翌日に行った東京財団のNEADB研究プロジェクト発表会には、予想以上に政府関係者や国会議員、政府系シンクタンク、金融機関や財界などから幅広い参加者が見られた。首脳会談と「平壌共同宣言」の効果が現れたと考えられる。   しかし、この地域の複雑な歴史と国際関係の現状を考えると、日本が率先的に北東アジアを引っ張る可能性は少ない。戦前の「大東亜共栄圏」失敗の教訓、戦後の日米同盟が日本の足枷となっている。にもかかわらず、EUやNAFTAなどリージョナリズムの外圧は、日本にとっては近隣の中国や韓国などとの地域協力を進める推進力となる。また、日朝国交正常化に伴う日本の対北朝鮮経済支援を考えると、日本は何れ北東アジア地域協力に関心を高めるだろう。   一方、中国は大国を自覚した自制心から、北東アジア地域協力に関心を示しながらも慎重に対応している。国務院発展センター幹部の言葉から中国政府の姿勢を窺える。「日中は東アジア列車の二つのエンジン。日本は前頭エンジンで中国は後部エンジンだ。日本が引っ張れば中国は後ろで押す」。中国は先頭に立つことを控えている。   むしろ、北東アジア地域協力でイニシアティブを取れるのは韓国しかない。日中韓3カ国のなかでも韓国の立場が一番有利、日中両大国の間で調整者の役割を果たせるのだ。同時に北朝鮮が国際社会に入らなければ、北東アジア地域協力は成り立たない。そういう意味で「朝鮮半島が北東アジア開発銀行の成否の鍵を握っている」といって良いだろう  
  • 2003.02.17

    徐向東「中国に『新中間層』台頭」

    日本経済新聞「経済教室」2003年2月17日(月)朝刊   (日経の要旨)中国の都市部で新中間層と呼べる階層が台頭し、おう盛な消費をリードするとともに、外資・新興企業の中堅として経済成長の担い手となっている。その比率はまだ低いが、中間層の着実な拡大は社会安定につながり、またこの層からの優秀な人材の確保が中国ビジネスのカギとなる。   ☆日経に問い合わせたところ「経済教室」は外部者の執筆によるため、著作権に関する承諾がとれず、Nikkei Netに掲載できないこと。また日経記事の電子媒体での転載は一切禁じるとのことでした。この記事は、次回レポート発送時にコピーを同封させていただきます。  
  • 2003.02.14

    AANブレンサイン「『民族企業』成長に光と影」

    2月14日の朝日新聞に掲載されたブレンサイン研究員の内モンゴルレポートです。   -----------------------------   「民族企業」成長に光と影   一杯の牛乳が日本人を変えた--中国のマスコミで最近よく見かける言葉だ。戦後の学校給食を通じて日本人の体格が大きく向上したことに、中国人が後れを取ったと焦る気持ちをあらわしたものらしい。経済成長を続ける中国では都市住民を中心に、毎日牛乳を一杯飲み、肉を食べる。それも内モンゴルなどの天然の牧草地で産出する牛乳や肉を食べるという緑色食品ブームが起きている。   (全文は下記をご覧ください)   http://www.asahi.com/international/aan/column/030214.html