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エッセイ057:範 建亭 「我が家の“お手伝いさん”」

帰国してもうすぐ4年になる。上海の生活は日本に比べて不便なところが少なくないが、便利なところも結構ある。家事の“お手伝いさん”はその一つである。

 

中国の大都会では、お手伝いさんを雇うことはかなり普及しており、ごく普通の一般家庭にもよく見られる。その背景として、都会に住む人たちには仕事で忙しく、また核家族であるから家事に困っている人が多く、その一方、都会にやってくる地方出身の出稼ぎ労働者には、特別な技能を持たない女性が少なくないという事情が挙げられる。そこで、多くの出稼ぎ女性労働者は、家事の“お手伝いさん”という特殊な職業に従事していくのが現状だ。

 

家事のお手伝いと言っても、その雇用形態はほとんど非正式なものとなっている。家政婦紹介所あるいは口コミでお手伝いさんを紹介してもらうが、働く時間、仕事内容、時給などは双方で相談し合って決める。そのメインの仕事はトイレ、キッチンと部屋の掃除であり、ほかに洗濯、料理の仕度、子供の世話などもある。時給は上海の場合、現在7元(約100円)が相場であるが、2-3年前には6元であった。

 

我が家もこれを利用して、毎週2回、計5時間程度でお手伝いさんに来てもらっている。そのお陰で、80平米ぐらいの部屋の掃除は自分たちでしなくていいから、生活はかなり楽になった。しかもその代償は月に140元ぐらいしかないから、経済的な負担にもならない。だが、お手伝いさんの働きぶりなどに少し不満もある。一番困るのは急に辞めることだ。

 

これまで、二年未満のうちに我が家にやってくるお手伝いさんは4人も入れ替えた。辞める理由はさまざまで、彼女たちの生活事情などをよく反映していると思う。最初の彼女は家政婦紹介所で見つけた。30代で、愛想がよく、家事の仕事もテキパキこなしたが、ある日から突然来なかった。彼女からの連絡はないし、こちらから連絡してもなかなか取れない。やっと上海にいる彼女の夫が捉まったので事情を聞いたところ、なんと田舎にいる息子のことが心配になって急に帰郷したという。

 

1ヶ月ほど待っても彼女が戻ってこないから、紹介所を通じて2番目のお手伝いさんを探した。今度の彼女は40代で、旦那も子供も一緒に上海に出稼ぎしているから、帰郷する心配はなかった。だが、3ヵ月後にやむをえない事情で彼女も辞めてしまった。それは、彼女が下宿しているアパートを建て直すため、遠いところに引っ越さなければならないということであった。幸い、彼女からすぐに知り合いの仲間を紹介してもらった。

 

3番目のお手伝いさんは一番若く、明るい人であり、時には家内の話し相手にもなっていた。だが、彼女も数ヵ月後に辞めた。それは妊娠したので仕方がないが、びっくりするのは、彼女にとっては3番目の子供で、理由はどうしても男の子がほしいという旦那さんからの圧力であった。もともと彼女は「一人子」政策に違反しているから、田舎から上海に逃げてきたという事情もある。

 

今度の4番目のお手伝いさんは来てからもうすぐ3ヶ月になる。彼女は40代で、これまでのお手伝いさんの中で一番気遣う人であるから、長くやってもらいたいが、そんな保障はどこにもないと思う。

 

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範建亭(はん・けんてい ☆ Fan Jianting)
2003年一橋大学経済学研究科より博士号を取得。現在、上海財経大学国際工商管理学院助教授。 SGRA研究員。専門分野は産業経済、国際経済。2004年に「中国の産業発展と国際分業」を風行社から出版。
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