SGRAかわらばん

エッセイ061:梁 蘊嫻 「三題噺:かわら版・はしか・カンヌ映画祭」

落語には「三題噺」という、あらかじめ演題を用意せずに、寄席で観客からもらった三つの題目を噺の中に織り込んで、即興で落語を作るという噺家の技量を試す芸がある。明治時代、三遊亭円朝が「卵酒」「鉄砲」「毒消しの護符」の三つ、まったく関係のない言葉によって作りあげた三題噺「鰍沢」(かじかざわ)は今日でも広く知られている。あらすじを簡単にまとめておく。

 

父親の骨を納めるために、新助は身延山へやってきたが、帰り道に一軒の家に宿泊した。泊めてくれた女主人・お熊は金銭目当てで毒入りの『卵酒』を新助に飲ませる。そのあと、新助は隣の部屋で寝たが、『卵酒』に毒が入っていた話を耳にした。慌てて『お題目』を唱えて、転びながら逃げ出したが、鰍沢の川に落ちてしまう。幸いに新助は一本の材木を掴まえることができた。追いかけてきたお熊は『鉄砲』で新助を撃とうとするが、新助が再び『お題目』を唱えると、弾は命中しなかった。大難から逃れた新助は「お祖師様のご利益、たった一本の『お材木(題目)』で助かった」と感激する、という落ち。

 

噺としては単純だが、絶大な人気を呼んだ理由はやはり噺家の話芸にあずかったところが大きいだろう。さて、ここでも三題噺の形態に倣って「かわら版」、「はしか」、「カンヌ映画祭」の三つのキーワードでエッセイを書いてみたい。

 

一、かわら版

 

 「かわら版」をキーワードとして選んだのは、ほかでもなく我々SGRAメンバーが意見を交換する場がこの「kawaraban」だからである。いつも「かわら版」のおもしろい話を楽しく拝読しているが、かわら版はもともとどのようなものだったのか。時代をさかのぼって見てみよう。

 

 新聞のない時代、各種のニュースや、事実を題材とする浄瑠璃・各種の語りもの、小唄などを印刷した一枚摺りあるいは二枚ないし数枚のパンフレットなどが口頭で読み上げられて売られていた。こういうパンフレットは、街角で読んで売られたことから「読売」、または事件を早く伝えるために木版摺の一枚ものに仕立てられたことから「摺物」と呼ばれていた。「かわら版」と呼ばれるようになったのは幕末の頃であった。瓦に彫刻して印刷したことに由来する説もあれば、瓦が実際に使われていなかったという意見もある。また、京都の河原町の出来事を報道するものだから、「かわら版」になったという論もある。様々な説があって一定しない。いずれにしても、街中の風説を一枚のチラシに印刷して人々に売るという点ではニュースの原型といえるに違いない。現在でも時々街角で新聞の「号外」版が配布されるが、光景はあれに似ていると言えようか。

 

 また、「かわら版」に載っている話は、地震・火事といった災害事情から、流行病、敵討ち、孝行美談、町中の風説、心中、怪談・奇談・珍談、神仏の霊験譚にいたるまで、実に多様である。では、一つ、二つ紹介しておこう。

 

二、「はしか」の流行

 

 いま日本中で「はしか」が流行しており、大学は次々と休講措置をとり、大変深刻な事態になっている。実は江戸時代でも数年置きに「はしか」が流行していた。その様子はかわら版からも窺われる。たとえば、『はしか能毒心得草』(文久二年〈一八六二〉)では、「大根、ゆず、やきふ、毒なし、食すべし」「青梅を食すれば、はしかのうちへ入り男は淋病、女は長血しうちとなる」と、民間療法的な処方が書かれており、『為麻疹』(文久二年)では、その大流行の様子が「さてもないないつまらない、今度のはしかは逃れない、しかし命に別状ない、どこのお医者も暇がない、毒立て多くて食べ物ない、八百屋魚屋から売れない、船宿さっぱり乗り手がない、籠屋は夜昼休みない、……」と記述されている。医者に暇がなく、籠屋に休みがない、というわけで、よほど多くの病人が出ていたということが想像できるだろう。また、「はしか」の流行がすべての生業に影響を及ぼしたという実態をも窺い知ることができる。
 そして、「つまらないヘイヘイ上下そろいまして十文で六せんでござい」という記載から、当時の人々は「はしか」流行の様子を知るために、こういった内容が載っている「かわら版」を購入していたことがわかる。このように、「かわら版」は江戸時代に町中の出来事を伝えるマスコミとしての役割を果たしていた。

 

ところで、「かわら版」には作り話もよく載っていた。たとえば、小判をくわえる猫の話。病気になった主人のために、猫は普段可愛がってくれる魚屋から小判をくわえてくる。主人はその話を聞いて激怒して猫を殺したが、その後魚屋は猫の屍骸を廻向院に葬り石碑を建てた、という話である。「猫に小判」ということわざを念頭にこのような話を作り上げたかどうかはわからないが、この話のように、当時の「かわら版」はいろいろな珍談をまるで本当の出来事であるかのように書くものが多々あった。今日のマスコミではこのようなでっち上げが許されないことは言うまでもない。

 

三、カンヌ映画祭

 

 今日のニュースは真実を客観的に伝えなければならないと要求されている。しかし一つの事柄は異なる視点からの報道によって読者に異なった印象を与える。たとえば、最近盛り上がっているカンヌ映画祭についての報道。

 

北野武監督は映画祭60周年記念イベントに日本代表としてカンヌ映画祭に出席し、松本人志監督は「大日本人」と題する作品で監督週間部門に参加した。そして木村拓哉、香取慎吾はそれぞれ主演映画「HERO」「西遊記」の宣伝のため、駆けつけた。これに関する報道はたくさんあるが、以下対照的な記事を挙げておこう。

 

 
(1)毎日新聞
 (木村拓哉は)今回のキャンペーンは映画祭とは直接関係なく、世界中から集まる映画買い付け業者にPRするために滞在中。成田からパリまでの便は、松本人志と一緒で、木村は「同じカンヌに行くんだ、と思ったらうれしくなった」と映画祭の空気を楽しんでいる。

 

(2)台湾ヤフー(2007/05/25 07:10” 記者:記者傅繼瑩/綜合報導)
「同じカンヌに行くんだ、と思ったらうれしくなった」と嬉しさを示している木村に対しては、松本がキムタクを見かけたかという質問されたときの反応は非常に微妙。松本はしばらく考えてから笑顔を絞り出して「そうだ。彼も行っていた。」そして「僕たちは同じ飛行機で行ったんだけど、向こうでは会わなかった。」と言った。(筆者訳)

 

以上の記事を比較してみると、『毎日新聞』は木村拓哉の映画PRに関心を寄せていることが明らかである。それに対して、台湾のヤフーニュースは松本人志がキムタクの存在を無視したことに注目しているわけである。つまり、前者はキムタクに好意的であるのに対して、後者は彼を貶めるような書き方になるのである。二つの記事はおそらくいずれも事実に基づくものだろうが、読者に発するメッセージの意図はまったく正反対といえる。今日では、あからさまにニュースを捏造することはない(と信じたい)が、事実に基づきながらも、読者にある程度の印象操作を行なうことはよくあるだろう。事実をどのように報道すれば、最も客観的な形で提示することができるだろうか。これ「はしか」し、どんなに優れたジャーナリストでも答えが出せない問題であり、それは将来もkawaraないだろう。

 

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梁 蘊嫻 (りょう・うんけん☆Liang yunhsien)

 

台湾花蓮県玉里鎮出身。淡江大学日本語学科卒業後来日。現在東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化研究室博士課程に在籍。博士論文は「江戸時代における『三国志演義』の受容」をテーマとしており、今年度提出予定。母語を忘れてはいけないと思っているので、現在勉強の合間を縫って、母語の客家語を教えている。学生には、日本人、台湾人、二世客家人、ニュージランド人、マレーシア人などがいる。
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