SGRAかわらばん

  • 2003.03.07

    エッセイ042:今西淳子 「活躍するSGRAの仲間たち:広州・香港(2)」

    大学城から広州市へ戻る途中で広東料理レストランへ寄りました。「食は広州にあり」ですから、広州のレストランの大きさと活気にはいつも圧倒されます。典型的なレストランは数百人ものお客さんが軽くはいれる1階のフロアーと2階に個室がたくさんありますから、予約もせずにふらっとはいっても、10人くらい何でもありません。レストランのお店の前には、水槽があって様々な魚が泳いでいます。その横の金網の籠の中には亀や蛇。勿論、全部食材です。食材の多さに料理法の多様さが加わって、何ページもあるメニューをみながら、中国の皆さんは、ああでもない、こうでもないと、喧々諤々話しあいながら何を食べるか決めてくれます。たとえば、私の大好物の青菜炒めでも、5種類くらいの青菜から選ぶことができます。   胡さんは、日豊興業というトヨタ系列の会社に勤めています。トヨタが広州郊外の南沙という経済特区に工場を作ったので、胡さんの会社もここに進出しました。残念ながら、今回は南沙まで行く時間がなかったのですが、既に事務所を購入されたとか。胡さんは、成型、塗装、組み立て関係の設備製作、消耗品の提供とアフターケアの管理が仕事のようです。私が「昨年10月に北京に行った時には、日本車が少なくて、ヒュンダイばっかりだったので、日本企業はだめと思ったけど、広州にきたら、圧倒的にトヨタとホンダだったので安心した」(私が日本の自動車産業を擁護しなければならない理由は何もないのですが・・・)と言うと、「中国の自動車産業は、地方政 府との結びつきを考えなければだめですよ」ということ。胡さんは、広州トヨタの工場が一段落したので、現在天津のトヨタ系列の工場建設に加わっていますが、天津トヨタと広州トヨタは全く違う会社だということです。しかも、もっと凄いのは、天津のT社が胡さんの設計したモノの図面(ノウハウ)を他社に提供して発注したとのこと。その上、今度は、それが広州に進出するニッサンの工場も使われるのだそうです。わざわざニッサンの系列会社が来るほど生産規模が大きくないので、「日本の」系列会社をシェアするわけです。こうなってくると何が何だかわかりません。同じ中国のトヨタでも全く別の会社かもしれないし、トヨタとニッサンというライバル会社でも、同じ系列会社が請け負うということもあるのです。「これから中国の自動車産 業は戦国時代です」とは胡さんの説明です。   久しぶりに会った仲間たちとの会話が弾みすぎて、香港行きの列車に乗り遅れました。広州駅に着いたのは、発車10分前だったのですが、「出入国検査」があるので、もう構内にいれてくれませんでした。「一国二制度」とは、他に類のない制度ですが、旅行者から見れば要するに別々の二つの国です。広州駅で中国側の出国審査をして、香港の駅で香港への入国検査をします。胡さんは、用事があるので深せんまで送ってくださるとのことだったのですが、深せんから香港まで徒歩で「国境」を渡るのは、普段は30分くらいの列ですが、お正月は大変混雑していて2時間以上並ばなければならないので、電車の方が速いと思ったのです。中国人にとって、香港に行くためには、戸籍のある場所で発行する特別の許可証が必要です。中国パスポート+ビザでないのは「一国」だからでしょう。現在、アジアの人が日本へ来る時に、ビザが不要なのは、シンガポールとブルネイと香港と韓国だけです。香港パスポートは特別です。だから、中国からたくさんの妊婦さんが出産をするために香港へ行くのです。運の悪いことに、10分遅れたために私が乗ることになった次の列車は、2時間半遅れで出発し、香港には予定より4時間遅れて、夜11時に到着しました。残念ながら、予定していた夕食会はお流れになってしまったのですが、ホンハム駅には、SGRA会員の叶盛さんが待っていてくれました。ありがとう!叶さんは、バイオテクノロジーを専攻して東大から博士を取得した後香港で就職し、現在は香港城市大学で研 究員をしています。中国の大学時代にしていたのはお茶の研究で、東京でお会いしていた時には最先端の科学者のわりにはおっとりしていたのに、今やすっかり香港人になって「研究の目的ははっきりしています、金儲けのため!」とのことでした。   急遽、翌日に昼食会をすることになりました。香港人のSGRA会員は日本やアメリカに滞在中ですが、中国人のSGRA会員が2名香港で活躍しています。叶さんと、もうひとりは侯延昆(本当は王+昆)さんです。侯さんは、東工大から化学の博士号を取得した後、エール大学でポスドクの研究をし、渡米後3年目には米国化学アカデミーに就職して、渡米5年めにはオハイオ州に芝生に囲まれた一軒家を購入し、日曜日にはゴルフなども始めてみましたが、それでは物足りなくて、奥さんに家族と家計を支えてもらって1年半の最短期間でコーネル大学のMBAを取得しました。この間、アメリカのパスポートをもつお子さんが2人生まれました。東京で少し働いた後、香港の美国雷曼兄弟亜州投資有限公司で働くことになりました。どこの会社だと思いますか?名刺には、Lehman Brothers Asia Limited, Analyst: Asia Ex-Japan Equity Research - Auto/Auto Partsとあります。当初は、化学製薬関係の証券アナリストを目論んでいたのですが、世界で有数のこの投資銀行が必要としていたのは、中国の自動車産業と部品産業の会社を投資家のために分析できる人物だったのです。これは、今までに誰もやっていなかった分野で、しかもまだまだ情報も少なく、侯さんはしょっちゅう広州に行っているとのことでした。今の会社は、半分以上が中国出身のアナリストで、その仕事ぶりは本当に凄いということです。   侯さんの会社のあるのは、香港島のInternational Finance Center(IFC)ですが、ここは東京の大手町とあまり変わりません。そこの地下のレストランで昼食会を開催しました。勿論、香港ですから飲茶です。その時の会話で印象に残っていることがふたつあります。ひとつは、「ポスドクの頃はあんなに貯金できたのに、給料が数倍になったのに今は・・・」という話。まあ、今は家族もいますし、引越しも多かったから仕方ないですね。もうひとつは、「昔は中国標準語を香港で話していると見下されるように感じたけど、今はそんなことはなくなった」とのこと。香港では広東語が主流で、今でも標準語を話さない人も多く、標準語よりも英語が通じる場合も少なくないようです。それにしても、香港における「標準語を話す人」の評価が、中国の経済発展とともに変っていったというのは興味深い話でした。   侯さんは、「東京は空港が遠くてすごく不便」と言います。それもそのはず、IFCの地下には空港エクスプレスの駅がありそこでチェックインすれば、あとは電車に15分間乗って、30分前までにゲートに行くだけ。これでは成田はとてもかないません。   -------------------------------------- 今西淳子(いまにし・じゅんこ) 学習院大学文学部卒。コロンビア大学大学院美術史考古学学科修士。1994年に家族で設立した(財)渥美国際交流奨学財団に設立時から関わり、現在常務理事。留学生の経済的支援だけでなく、知日派外国人研究者のネットワークの構築を目指す。2000年に「関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)」を設立。また、1997年より子供のキャンプのグローバル組織であるCISV(国際こども村)の運営に参加し、日本国内だけでなく、アジア太平洋地域や国際でも活動中。
  • 2003.03.02

    AAN 「アジア人」を紹介します

    AANのインターネット版に、李鋼哲研究員が次のように紹介されましたので、お知らせいたします。   ■一線から■   ・「アジア人」を紹介します 国に過剰に頼ることのないアジア人。中国共産党員としての栄達を未練気なく手放した李さんのような人は、「アジア共同体」を一足先に具現化している人なのかもしれません。   http://www.asahi.com/international/aan/issen/issen34.html  
  • 2003.02.28

    李鋼哲「北東アジア開発銀行、その成否のカギは朝鮮半島にあり」

    少し前になりますが、李鋼哲研究員より下記のお知らせをいただきましたので、転送します。   --------------------------   韓国のハンキョレ新聞から、大統領選の直前に、もし廬氏が大統領になったら北東アジア経済協力を積極的に進めると公言したので、開発銀行に関する特集記事を1月1日のコラムに載せるという依頼がありまして書き上げました。ハンキョレ新聞といえば、歴史は短いが韓国で最も進歩的な新聞であります。その記事は韓国語になっているので、日本語原稿を添付します。ご参考まで。   --------------------------   한겨레 신문 기고 「北東アジア開発銀行、その成否のカギは朝鮮半島にあり」   北東アジア地域協力の要をなしている開発銀行設立構想は、10年前から議論されていたが、最近になっては実現に向けて動きが関連諸国で活発化している。3年前に中国天津市政府は開発銀行を同市に誘致すると宣言し、近年韓国でも大統領、及び大統領候補たちは同開発銀行構想を推進するとしている。それでは日本は乗り出すのかどうかが現段階のキーポイントとなろう。   同開発銀行構想について、日本国内では関心度がかなり低いのが現状である。日本は冷戦後に、北東アジア地域協力はさることながら、東アジア地域協力にも消極的であった。とりわけ、北東アジアにおいては日米同盟と日朝関係がそれぞれ大きな足かせとネックとなっている。それに日本国内の長引く不景気が、開発銀行構想のような前向き思考を停止させたと言っても過言ではないだろう。しかし、日本の地域協力への姿勢と政策はアジア通貨・金融危機をきっかけに変わっていることが注目される。「ASEAN+3」枠組み、及び日中韓3国枠組みの形成と拡大は、日本のこうした姿勢の変化なしにはあり得ない。さらに、朝鮮半島での情勢変化に日本の反応は俊敏であり、2000年6月の南北首脳会談の成功に対する日本の対応は積極的と言える。北東アジア開発銀行構想に関する本格的な調査・研究プロジェクトが東京財団により実施されたのもその現れでの一つであろう。   去る2002年7月29日、東京財団の北東アジア開発銀行プロジェクトチームは、小泉純一郎首相宛に「北東アジア開発銀行(NEADB)創設のための5つの政策提言」並びに『報告書』を進呈した。総理官邸で内閣官房長官福田康夫が首相に代わって提言の申し入れを受理し、研究代表の説明を受けた後、「この問題は何れ取り組まねばならない課題だ。貴重なご研究と提言に感謝する」とコメントをした。   同研究プロジェクトが日本のトップレベルの民間シンクタンクにより行われ、また域内外諸国や国際機関に発信されていることは、日本の対北東アジア姿勢は変わりうることを示した。ユニークなことは、同研究プロジェクトチーム構成メンバーが多国籍であること。日中韓ロなど域内4カ国並びに台湾、米国など関連国・地域の出身者、そしてアジア開発銀行、国連経験者など多国籍メンバーにより構成されされたチームは、国際的な視点から、日本の対外協力政策の焦点を北東アジアに当てる必要性と緊要性を日本政府に訴え、日本がイニシアティブを取るように働きかけたことは、日本国内では珍しいケースである。   同政策提言では、まず、北東アジア開発銀行の創設は同地域多国間協力のモデルとして位置づけるべきだと訴え、2006年を目途に北東アジア開発銀行の創設を推進することを提案し、その実現に向けた推進戦略とアクションプログラムを提示した。日中韓3カ国首脳会合で推進宣言を出し、日中韓協力政策の一環として位置づけ、同3カ国が中核となって共同でイニシアティブを取ることを進言している。   これをもって日本が北東アジア地域協力に対する姿勢を変えているとは言えないが、日本では北東アジア地域協力に関する最初の政策提言であることに注目されたい。その背景には、南北首脳会談が成功し、日本では朝鮮半島の問題が歴史的転換に向けて本格的に動き出したとの判断があったと考えられる。政府とマスコミに対する影響力が強く、政府に直接提言できる立場にある東京財団(当時は、現金融・財政大臣竹中平蔵が理事長)が一足早くこの動きに反応し、同プロジェクトを成立させた意味は大きい。   さらには、9月17日小泉首相平壌訪問の翌日に行った東京財団のNEADB研究プロジェクト発表会には、予想以上に政府関係者や国会議員、政府系シンクタンク、金融機関や財界などから幅広い参加者が見られた。首脳会談と「平壌共同宣言」の効果が現れたと考えられる。   しかし、この地域の複雑な歴史と国際関係の現状を考えると、日本が率先的に北東アジアを引っ張る可能性は少ない。戦前の「大東亜共栄圏」失敗の教訓、戦後の日米同盟が日本の足枷となっている。にもかかわらず、EUやNAFTAなどリージョナリズムの外圧は、日本にとっては近隣の中国や韓国などとの地域協力を進める推進力となる。また、日朝国交正常化に伴う日本の対北朝鮮経済支援を考えると、日本は何れ北東アジア地域協力に関心を高めるだろう。   一方、中国は大国を自覚した自制心から、北東アジア地域協力に関心を示しながらも慎重に対応している。国務院発展センター幹部の言葉から中国政府の姿勢を窺える。「日中は東アジア列車の二つのエンジン。日本は前頭エンジンで中国は後部エンジンだ。日本が引っ張れば中国は後ろで押す」。中国は先頭に立つことを控えている。   むしろ、北東アジア地域協力でイニシアティブを取れるのは韓国しかない。日中韓3カ国のなかでも韓国の立場が一番有利、日中両大国の間で調整者の役割を果たせるのだ。同時に北朝鮮が国際社会に入らなければ、北東アジア地域協力は成り立たない。そういう意味で「朝鮮半島が北東アジア開発銀行の成否の鍵を握っている」といって良いだろう  
  • 2003.02.17

    徐向東「中国に『新中間層』台頭」

    日本経済新聞「経済教室」2003年2月17日(月)朝刊   (日経の要旨)中国の都市部で新中間層と呼べる階層が台頭し、おう盛な消費をリードするとともに、外資・新興企業の中堅として経済成長の担い手となっている。その比率はまだ低いが、中間層の着実な拡大は社会安定につながり、またこの層からの優秀な人材の確保が中国ビジネスのカギとなる。   ☆日経に問い合わせたところ「経済教室」は外部者の執筆によるため、著作権に関する承諾がとれず、Nikkei Netに掲載できないこと。また日経記事の電子媒体での転載は一切禁じるとのことでした。この記事は、次回レポート発送時にコピーを同封させていただきます。  
  • 2003.02.14

    AANブレンサイン「『民族企業』成長に光と影」

    2月14日の朝日新聞に掲載されたブレンサイン研究員の内モンゴルレポートです。   -----------------------------   「民族企業」成長に光と影   一杯の牛乳が日本人を変えた--中国のマスコミで最近よく見かける言葉だ。戦後の学校給食を通じて日本人の体格が大きく向上したことに、中国人が後れを取ったと焦る気持ちをあらわしたものらしい。経済成長を続ける中国では都市住民を中心に、毎日牛乳を一杯飲み、肉を食べる。それも内モンゴルなどの天然の牧草地で産出する牛乳や肉を食べるという緑色食品ブームが起きている。   (全文は下記をご覧ください)   http://www.asahi.com/international/aan/column/030214.html  
  • 2003.01.31

    AAN薬会「姓名判断復活、ビジネスに」

    「グローバル化と地球市民」研究チームチーフの薬会さんのコラムが、本日(1月17日)の朝日新聞朝刊に掲載されましたので、お知らせいたします。   -----------------   「姓名判断復活、ビジネスに」   中国各地で「起名公司」が大繁盛だ。縁起のよい企業名をひねり出すのが売りの広告会社もあるが、大半は姓名判断が業である。インターネットをのぞくと、「中華起名網」「好名網」「取名網」「美名網」などのサイトがずらりと並んでいる。   http://www.asahi.com/international/aan/column/030117.html  
  • 2003.01.31

    AAN李鋼哲「越境者問題で板挟みの中国朝鮮族」

    いつもこのメーリングリストにOpinionをお送りくださっているSGRA研究員の李鋼哲さんのコラムが、昨日(1月31日)の朝日新聞朝刊に掲載されましたので、お知らせいたします。   -----------------   北朝鮮の難民問題が、核問題とともに日本でも関心を呼んでいる。川一つ挟んだだけの中朝国境。出口の見えない食糧危機で、北朝鮮難民が数万人規模で越境している。もともと中朝両国は友好国。国境警備はそれほど厳しくなく、豆満江(中国名は図們江)、鴨緑江を渡ると、中国の朝鮮族が助けてくれるからだ。   本文は以下をご覧ください。   http://www.asahi.com/international/aan/column/030131.html  
  • 2003.01.31

    AAN李鋼哲「越境者問題で板挟みの中国朝鮮族」

    いつもこのメーリングリストにOpinionをお送りくださっているSGRA研究員の李鋼哲さんのコラムが、昨日(1月31日)の朝日新聞朝刊に掲載されましたので、お知らせいたします。   -----------------   北朝鮮の難民問題が、核問題とともに日本でも関心を呼んでいる。川一つ挟んだだけの中朝国境。出口の見えない食糧危機で、北朝鮮難民が数万人規模で越境している。もともと中朝両国は友好国。国境警備はそれほど厳しくなく、豆満江(中国名は図們江)、鴨緑江を渡ると、中国の朝鮮族が助けてくれるからだ。 本文は以下をご覧ください。   http://www.asahi.com/international/aan/column/030131.html  
  • 2002.12.16

    AANマキト「日本の尊い非軍事技術」

    マキト運営委員のコラムが、本日の朝日新聞朝刊に掲載されましたので、お知らせいたします。 ----------------- 「日本の尊い非軍事技術」 フィリピンのアキノ元上院議員の暗殺事件から19年たつ。事件解決の決定的な証拠の一つが、マニラに到着した飛行機から兵隊に連れ去られたアキノ氏の映像だった。長さわずか10秒で、アキノ氏の姿はほとんど映っていない。その音声の分析結果を、身の安全が保証されなかったにもかかわらず自らフィリピンの裁判所へ提供したのが、今話題の玩具、犬語翻訳機の開発の基となる研究を率いた音声学者の鈴木松美博士だったと知った。 全文は以下のAANホームページをご覧ください。 http://www.asahi.com/international/aan/column/021206.html
  • 2002.12.13

    マキト「グローバル化、デジタル・ディバイド、オープソース」

    昨年12月10日~13日にベトナムのハノイで開催された「ヤング・リーダーズ・ワークショップ」で発表したマキト研究員の報告です。 ----------------------------- 「グローバル化、デジタル・ディバイド、オープソース」F. マキト(SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チーフ) 大学の仕事の合間に、「良き地球市民」を目指す日本のNGO「関口グローバル研究会」(SGRA)の活動に参加している。昨年末、ハノイで開催されたヤング・リーダーズ・ワークショップに派遣された。シンガポール以外のアセアン9カ国の若者が参加した。ワークショップでは、若きリーダー達が、情報技術(IT)の推進するグローバル化とどう上手く付き合うべきか、ということがひとつの議論の中心となった。私は次のような意見を発表した。ITによるグローバル化においては、デジタル・ディバイドとオープン・ソースという二つの現象が取り上げられる。前者については、ITにアクセスがある者(先進国)と不自由な者(発展途上国)の格差がどんどん広がっており、グローバル化の脅威となっている。後者は、リナックスのように、プログラムを殆ど無料で一般公開する動きを指し、ITによって与えられる機会(チャンス)である。伝統的な市場主義経済学からすると、デジタル・ディバイドは当然起こり得る現象である。所得がある(ない)ものは良い(良くない)教育を受け、ITを容易に利用できる(できない)。一方、市場からの報奨がなくソフトを一般公開するプログラマーの行動は、伝統的な経済学者にとっては不思議な現象だとされている。このように考えていくと、アセアン諸国で情報技術革新を進めていく上で、次のような戦略が考えられる。まず、市場を補完する社会メカニズムを構築することと、そして、ローカルな情報をオープンにしてグローバルに分かち合い、利用し合うようにすること。具体的な案が2つある。まず、ベトナムはアセアンの若き加入国として、ITにおいては先入国より遅れているが、日本の「成果を共有される成長」をいかに導入するか、体系的な調査としては先駆的であろう。一橋大学の石川滋名誉教授が担当者として、海外援助が広い範囲でその効果を発揮させる現地の調査を実施したからである。このような経験を、他のアセアン諸国と分かち合うために、オンラインの情報バンクを構築すると良いであろう。このような事業は国境を越えるNGOによって推進することができるだろう。もう一つは、アメリカ型市場主義とは違う日本の経済システムの体系的分析を、オンライン授業で、将来のリーダーになるアセアン諸国の大学生達に紹介する試みである。実は、SGRAは、来年度、フィリピンと日本を結ぶプロジェクトを企画中である。 さらに詳しくは、下記をご覧ください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/member/jstudies/index.shtml