SGRAかわらばん

  • 2005.02.16

    新刊紹介「だから私は日本を選んだ!」

    渥美財団の10周年を記念して出版した本です。執筆者は全員SGRA会員です! ひとりでも多くの人に読んでいただきたいので、是非、お知り合いの方々に勧めてください。現在、八重洲ブックセンター、丸善、三省堂にはおいてあるそうですが、ジャパンブックに直接申し込めるそうです。 皆さんの大学や近所の図書館で購入してもらってください!   だから私は日本を選んだ! 外国人留学生が見たサプライズ・ニッポン 今西淳子編 2005年2月16日 (株)ジャパンブック発行 TEL 03-3219-0811 ISBN4-902928-01-9   <目 次> 第一部 私と日本 F.マキト 「僕にはジャパニーズドリームがある」 金 政武 「日本刀とスリッパ」 朴 貞姫 「日本語を考える」 M.アリウンサイハン 「成功の秘密」 葉 文昌 「日本に追いつけない理由」 林 少陽 「クラスメートと日本」 孫 建軍 「新漢語の成立をたどる喜び」 李 鋼哲 「『三国人』と犬の文化」 高 熙卓 「『江戸時代』との出会い」 李 恩民 「日中間の歴史の葛藤」   第二部 異文化の中で 尹 ヒスク 「オゴリ文化とワリカン文化」 M.ティシ 「面白い日本の私」 梁 明玉 「『冬のソナタ』ー韓国と日本のお年寄り」 K.カタギリ 「きまりだらけの日本、きまりのないタイ」 方 美麗 「日本人の鎧」 M.トレーデ 「日本の大学、ドイツの大学」 M.ゾンターク 「東京自転車物語」 B.ブレンサイン 「やさしさへの誤解」 羅 仁淑 「日本は開放的?閉鎖的?」 陳 姿菁 「温めますか?」   第三部 留学生活 ブ・ティ・ミン・チィ 「ベトナム人留学生の夢と歴史」 胡 炳群 「私を支えてくれた人たち」 林 泉忠 「三人の年配の恩人たち」 白 寅秀 「日本人が教えてくれた大切なもの」 郭 智雄 「愉快な仲間たち」 金 賢旭 「下町の留学生活」 張 桂娥 「自分探しの旅」 于 暁飛 「落花生」 ルイン・ユ・テイ 「天からの贈り物」 フスレ 「青空のもとで」  
  • 2004.08.30

    AAN「漂流する対米同盟 浮上する『対テロ戦略』」

    7月24日に開催した第16回SGRAフォーラム in 軽井沢「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」の報告が、朝日新聞アジアネットワーク(AAN)のウェブサイトに掲載されましたのでお知らせします。   -------------------------------   漂流する対米同盟 浮上する「対テロ戦略」 --日本、韓国、フィリピン、台湾の同盟関係の現状を見る   都丸 修一 「アジア型共同体への道」研究チーム主査   「地球化(グローバリゼーション)」という現象は、国際・国内経済ばかりか、国家のありよう、地域社会の姿からテロリズムにまで、従来の物差しでは測れない変化を日々私たちに見せつけている。人、モノ、金の自由な動きと情報革命。グローバリゼーションは間違いなく人間社会の発明なのだが、グローバル化という「発明品」は、人間が追いつけないほど強大、かつ複雑な妖怪に育って、どう処していいのか分からないほどである。将来の予測がこれほど難しい時代はないかもしれない。   グローバル化の深化にあらがうように、欧州や米州で新時代の羅針盤として「地域主義」が台頭している。アジアでも同様である。ただし、アジアの動きは欧米に比べて遅い。しかも、南北が分断されたまま、核戦争の脅威まででている朝鮮半島を抱え、冷戦構造を残したグローバル化時代を生きるという宿命を負わされている。   アジアの安全保障の将来像は、どうあるべきか。7月24日、軽井沢で開かれた第16回関口グローバル研修会(フォーラム)は「東アジア軍事同盟過去・現在・未来」と題して、日米同盟、韓米同盟、台米同盟、米比同盟の専門家が語り合った(朝日新聞アジアネットワーク後援)。新たなトランスフォーメーション(軍の世界的再編)に動き出す米国。この超大国を軸とするアジア諸国の同盟を読み比べると、あらためてアジアの多様性に気がつく。「東アジア共同体」といった構想はずいぶん出てきたが、あるべき将来像を描く道のりは険しい。それでも、地球化のうねりを乗り切るには、やはりアジアの新しい羅針盤が必要とされる。   全文はasahi.comをご覧ください。  
  • 2004.06.28

    新刊紹介:範建亭著「中国の産業発展と国際分業:対中投資と技術移転の検証」

    新刊紹介   SGRA「人的資源・技術移転」研究チームのサブチーフの範建亭さんより、下記のご本とその紹介文お送りいただきましたのでご紹介します。   ------------------------------------------------------ 範建亭著「中国の産業発展と国際分業:対中投資と技術移転の検証」 風行社 A5判 約250頁 定価3675円(本体3500円) ------------------------------------------------------   ■出版に寄せて 上海財経大学 範 建亭   このたび、拙作の『中国の産業発展と国際分業―対中投資と技術移転の検証』が出版されました。本書は、一橋大学経済学研究科に提出した博士学位論文を基礎に、国際分業の視点から中国の発展要因を明らかにしようとするものであり、特に日本企業の対中直接投資や技術移転を通じた日中間の分業関係に着目しています。   1970年代末に改革・開放を実施した中国は、驚異的な経済成長と産業発展を遂げつつありますが、中国経済における際立った変化の一つは、海外から大量の直接投資と技術が導入されたことであります。日本を含む世界各国の対中投資は、資金の導入や輸出入の拡大などへの貢献に限らず、様々な製造技術や製品技術、および生産管理の手法などが合弁パートナー企業や現地企業に移転、波及し、中国の産業発展に寄与していることは明らかであります。そして、外資系企業の現地生産活動を通じて、中国企業との間に緊密かつ多様な分業・協力関係が築かれつつあります。しかしながら、中国経済論の文献は多数刊行されているにもかかわらず、国際分業との関連から中国の発展要因を研究したものは必ずしも多くないです。   そこで、本書は国際分業を後発国の発展要因として捉え、貿易や直接投資などの展開が中国の産業発展にいかなる影響を及ぼしたのかということを考察しています。研究対象の一つは、日本企業の対中直接投資を通じた技術移転の効果であり、第Ⅱ部では、機械工業企業を対象に行った独自のアンケート調査に基づき、日系企業内外の技術移転構造とその決定要因についての検証が展開されています。もう一つの研究対象は中国の産業発展と国際分業との関わりであり、第Ⅲ部は中国の家電産業を取り上げ、その追いつき発展の特徴と諸要因を輸入代替化のプロセス、日本家電産業の技術供与や現地生産との関連から検証しています。   私は日本語学校から学部を経て大学院の博士課程を修了するまで、合計12年の留学生活を送りました。以前、私は建築関係の仕事に従事しており、経済学とは全く無縁でした。もし日本に留学していなかったら、新しい学問に挑戦する機会もなかったでしょう。長年の留学生活を恵まれた研究環境のなかで送ることができ、そして著作としてまとめることができたのは、渥美財団をはじめ、大勢の方々からのご指導とご援助のおかげであり、ここに改めて御礼申し上げます。   私は昨年の夏に帰国し、大学の先生として久しぶりの現地生活をスタートしました。故郷の上海は十数年の間にとてつもない変貌を遂げており、激動の中国経済を象徴するような大都市となっています。近年、海外から戻った研究者は増えつつありますが、経済学に関しては日本留学組はまだ少数派であります。今後、教育と研究の両面において日本で学んだ知識を生かし、日中間の経済関係と分業体制のあり方を幅広く考えていきたいです。   ■目次 序 章:研究課題と方法 第I部:理論的アプローチと現状分析  第1章:理論と先行研究の検討  第2章:中国の外資導入と日本企業の進出 第II部:対中直接投資を通じた技術移転  第3章:日系現地企業の技術移転構造  第4章:技術移転の決定要因分析 第III部:中国家電産業の発展と国際分業  第5章:家電産業の輸入代替メカニズム  第6章:家電産業の発展における日中間分業関係 終 章:総括と展望  
  • 2004.04.16

    なのはなコンペ最優秀賞

    千葉大学電子光情報基盤技術研究センター(ベンチャービジネスラボラトリー http://www.vbl.chiba-u.jp)では、(財)双葉電子記念財団と(株)千葉銀行の後援のもと、千葉大学教職員を対象に、恒例の「なのはなベンチャーコンペ2004(教員版)」を実施致しました。本コンペは、ベンチャー企業に通じる研究成果・アイデア、先端的な研究、将来性のある研究計画に助成することを目的とします。本コンペでは、審査委員会において推挙された優秀な研究成果・アイデア及び研究計画を表彰し、その実現促進のための研究経費を助成します。   本年度のなのはなベンチャーコンペには、SGRAの研究員であるJosaphat Tetuko Sri Sumantyo (千葉大学電子光情報基盤技術研究センター講師(中核的研究機関研究員 http://www.pandhitopanji-f.org/jtetukoss/index.html)の研究である「ベンチャー発移動体衛星通信用パッチアレーアンテナ」が最優秀賞を受賞しました。本研究の概要として下記をご参考下さい。表彰式の日程と場所は下記の通りです。ただし、表彰式が14:00~14:40で、14:40以後は前年度の受賞者の研究成果報告を行う予定です。表彰式後、記者会見や研究室訪問を行う予定です。参加ご希望の方は、Josaphatさんまでご連絡ください。よろしくお願い致します。   日時:平成16年4月19日(月)14:00~16:30 場所:千葉大学自然科学研究科大会議室    (西千葉キャンパスhttp://www.chiba-u.jp/general/about/map/route.html)   研究要旨 平成16年と17年にそれぞれ宇宙航空研究開発機構(JAXA)と順天頂衛星(QZS)より打ち上げ予定の技術試験衛星Ⅷ型(ETS-Ⅷ)で、移動体衛星通信の高度化が進むと考えられている。この衛星を用いるSバンドの周波数を使用した国内における移動体衛星通信サービスが予定されている。自動車,船舶,電車,航空機等の移動体において音声,画像等のマルチメディアデータ通信を可能にするためには,方向が変わった場合でも絶えず所望の衛星を追尾することができる小型,安価,インテリジェントなアンテナが必要である。本研究では、車載、船体を対象とした移動体衛星通信用アンテナとして、簡易な給電回路で構成可能な衛星追尾型アンテナの開発を行っている。本アンテナは2周波共用円偏波パッチアレーアンテナを使用し、移相器を必要としない簡単なON・OFFの給電制御によってビームを常に静止衛星の方に向けるように切り替える衛星追尾型アンテナである。各ビームは垂直面内に幅が広いため、ビーム切り替 えのみで,静止衛星を用いた移動体衛星通信の用途に対応可能である。本アンテナは,平成18年に衛星通信産業における移動体マルチメディアデータ通信市場に進出準備のため,国内特許(移動体通信用アンテナ,2003-014301)と国際特許(移動体通信用アンテナ,PCT/JP03/05162)を出願した。   連絡先(日本語 OK) Josaphat Tetuko Sri Sumantyo, Ph.D. Lecturer - Post Doctoral Fellowship Researcher Center for Frontier Electronics and Photonics, Chiba University 1-33 Yayoi, Inage, Chiba 263-8522 Japan Phone +81 43 290 3934 Fax +81 43 290 3933 http://www.vbl.chiba-u.jp/PD/tetuko.htm     インドネシアに設立したJosaphatさんの研究所(英語とインドネシア語版) リモートセンシング研究所 http://rsrc.pandhitopanji-f.org 美術研究所 http://arc.pandhitopanji-f.org 教育研究所 http://erc.pandhitopanji-f.org  
  • 2004.01.24

    マキト「マニラ・レポート(2003年冬)」

    今回は、フィリピンのアジア太平洋大学(UAP)とSGRAとの共同研究を中心とした滞在でした。   まず、UAPのPETER LEE U助教授と一緒に、ホンダフィリピンの下請け会社を調査して、今年から始まるフィリピンと日本とのFTA(自由貿易)交渉のための準備調査報告を執筆しました。   次に、フィリピン経済特区当局と交渉した結果、準備調査の補足的なデータとして、特区に入っている日系企業のデータへアクセスすることができました。企業の名前を公表せず、収集したデータのファイルのコピーを当局にも渡すという条件で許可されました。ほこりをかぶって忘れられ、最後には処分されたデータが救われたということです。SGRA実行委員会にご承認いただき、その研究費を使って、200日を越す計画で、データ保存作業が現在でも続いています。NHKの世界遺産をDIGITALで保存するプロジェクトのように、当局のデータをSCANしてDIGITAL化するこの作業によって、さらなる分析が進み、日比両側のためにお役にたてればと思っています。経済特区に入っている日系企業の本社は、日本の「共有された成長」に大きく貢献しました。この日系企業の特徴的な機能が、今後のフィリピンに発揮されるように努力していきたいと思っています。   第3に、UAPとSGRAの初めての一般公開プロジェクトとして、3月に、 「JAPANESE COMPANIES IN THE SPECIAL ECONOMIC ZONES: ENHANCING EFFICIENCY AND EQUITY(経済特区における日系企業:効率と所得分配の改善)」というようなテーマのWORKSHOPを企画しています。WORKSHOPでは、部分的に日本語の発表もいれるようにしようかと考えています。   フェルディナンド・マキト SGRA「日本の独自性」研究チーフ フィリピンアジア太平洋大学研究助教授 2004年1月24日投稿  
  • 2003.10.27

    AAN李恩民「進む新華僑華人の両極化」

    SGRA「歴史問題」研究チームチーフの李恩民さんのコラムが、10月27日の朝日新聞朝刊に掲載されましたので、お知らせいたします。   -----------------------------   「進む新華僑華人の両極化」   李恩民(リ・エンミン) 桜美林大学助教授(中国)   改革開放以来の四半世紀に来日した「新華僑華人」は35万人。いま両極化し、岐路に立っている。包丁やはさみを手にコックや理髪師、裁縫師として生き抜いた年配の華僑華人と違って、新世代のほとんどは日本留学歴または就学歴の持ち主。ビジネス以外の分野でも存在感を増している。   全文は以下をご覧ください   http://www.asahi.com/international/aan/column/031027.html 
  • 2003.10.26

    JAANUSご紹介

    SGRAの共同研究のひとつである、英文による日本建築美術用語辞典(JAANUS:Japanese Architecture and Art Net Users System)が、インターネット・サイトに公開されましたのでお知らせいたします。このサイトは、鹿島美術財団をはじめ多くの皆様のご支援とご協力により、故メリー・ペーレント博士が20年にわたって続けてきた作業をまとめたもので、SGRAは主にプロジェクト管理とIT技術上の支援をしています。   http://www.aisf.or.jp/~jaanus/   このオンライン辞書は日本の伝統建築、庭園、絵画、彫刻、図像に関する用語約8000項目を、英文で説明しています。上記分野に関連する工芸用語も加えました。各項目は、特定の日本語辞書の英訳ではなく、複数の辞書や他の資料に基づき、英語を母国語とする外国人研究者が直接執筆しました。数多くの用語が初めて英訳されました。   現在公開されている辞書は、まだ完成したものではありません。できるだけ正確に定義しようと努力いたしましたが、新しい発見や学説をさらに付け加え、あるいは書き換える必要がでてくると思われます。また、写真とイラストも追加中です。今後も逐次改訂していく所存でございますので、お気づきの点を下記へご連絡いただきますようお願い申し上げます。大変申し訳ございませんが、 お返事をさしあげられない場合もございますので、あらかじめご理解いただきますようお願い申し上げます。   日本建築美術史用語辞典(JAANUS)編纂会 連絡先:[email protected] 
  • 2003.09.25

    SGRAレポート「日本とイスラーム」再録出版

    SGRAレポート#10「日本とイスラーム~文明間の対話のために~」が下記に再録出版されましたのでお知らせいたします。      板垣雄三(いたがき・ゆうぞう)    「イスラーム誤認」     岩波書店 2003年9月25日発行   湾岸戦争を契機として、アメリカの超大国化が冷戦後の世界に亀裂を走らせ、イスラームに独善的・排他的なイメージを押し付けて、敵意と衝突を加速化させている。いまこそ憎悪と報復のサイクルを脱するためにイスラーム本来の文明観を理解し、文明間の対話を積極的に行っていかねばならない。第一部で、イスラームへの偏見によって歪められた世界認識をただし、文明間対話を通して公正と平和を回復すべきことを主張し、第二部で、日本とイスラーム圏との長い交流の歴史を踏まえ、日本に対する親愛と信頼という国際的資産を活かす提言を行う。湾岸戦争、パレスチナ紛争、9・11同時多発テロ、アフガン戦争、イラク戦争など、世界の変動に触れて発表された著者の持論の精華を集成。  
  • 2003.09.07

    今西淳子「延辺訪問記」

    SGRA研究員の李鋼哲さんと金香海さんのお誘いを受けて、中国吉林省延辺朝鮮族自治区の延吉に行った。人口200万人というこの自治区の約40%が朝鮮族だが、延吉市内では50%を超えるという。自治区内では中国語と朝鮮語を併記することが義務づけられているというが、市内ではむしろハングル文字の方が多く、また韓国資本の会社が多く進出していて、韓国人観光客も多かった。   このような小さな地域にもかかわらず、日本にいる留学生の中には中国朝鮮族が非常に多く、渥美財団でも既に数名支援しており、また、多くの人が中国語と朝鮮語と日本語を話すということで、以前から注目していた。教育熱心で高学歴者が多いのが朝鮮族の特徴というが、延辺自治区では人口の約10%が海外や地域外に流出しており、人材不足が問題ということだった。いわば、高学歴の人材が出稼ぎにでている状況で、延辺に大きな産業がないのに購買力が増加しており、韓国の商品がたくさん輸入され、日本の商品の輸入まで始まりそうだということだった。   このような状況下、日本で博士号を取得して延辺大学に戻った金香海さんは、大学から大歓迎を受けているようだった。延辺大学では、国際交流センター長や教務処長が日本留学経験者で、日本で留学生支援をしている者としては嬉しく思った。このように日本留学組が大学の主要ポストについている大学は他にないのではないか。金さんが、主に日本語を勉強している政治学部の学生20名くらいと懇談する機会を作ってくださった。皆さん日本留学に関心があり、入学方法、奨学金、アルバイトなどに関する質問が多かった。日本語は、中学1年生から、既に7年間勉強しているという。中国語と朝鮮語を子供のころから使い、中学から日本語を勉強し、三ヶ国語をマスターするのは、今後北東アジアが発展するにつれて非常に大きな可能性を含むのではないかと思う。この比較優位性を活かして、同時通訳まで視野にいれた通訳と翻訳家の養成プログラムを作るべきだと提案した。しかしながら、近年は日本語ではなく英語を選ぶ学生が多いとのこと。英語が必要なことは充分わかるが、日本語ではなく英語ということになってしまうのは、今まで日本語教育が蓄積されてきた土地柄だけに、日本人としてはとても寂しい。中国語、韓国語、日本語、英語の4ヶ国語を操れる人材育成をめざしてもらいと思った。中国では大学卒業後も就職が大変難しいと聞く。延辺に限ったことではないが、欧米の学校のように、子供たちに早いうちから自分の生き方を考え(情報を充分に与え)、何に向いているかを認識させ、どのように自分を磨いていくべきか検討する機会を与えサポートしていくシステムが必要なのではないかと思う。   延辺訪問のもうひとつの興味は北朝鮮だった。李鋼哲さんが研究している開発計画の舞台である中国とロシアと北朝鮮が国境を接する豆満江デルタ地帯に案内していただいた。豆満では、小さな川を挟んで北朝鮮と中国の町が隣接し、70年前に日本が建設したという小さな橋で繋がっていて、その真ん中が国境だった。橋のこちら側では人民解放軍の若い兵隊さんが3人くらい警備していたが、銃をもっているのは一人だけで、ロックミュージックが流れ、リラックスした雰囲気だった。兵隊さんのひとりに入場料を払って、別の兵隊さんに付き添われてぶらぶら橋の真ん中まで歩いて行った。橋の上のコンクリートの上に国境線がペンキで書いてあったが、1mほど北朝鮮にはいって記念撮影。付き添いの兵隊さんにお願いしてシャッターを押してもらった。時々、北朝鮮からトラックが通ったり、歩いて橋を渡る人がいたりした。いわゆる脱北者はこのあたりから上流にかけて出没するそうだが、「脱北者」の中には、中国側で買物をして北朝鮮に戻る人も多いそうで正確な人数の把握は難しいという。北朝鮮と中国の国境は、きわめてのどかだった。北朝鮮には香港資本のカジノがあり、中国人観光客が行くという。延辺大学は、金日成大学と協定があり、現在でも数人が博士号取得のために留学しているという。このような「交流」はむしろ予想通りだった。   ところが、北朝鮮から延辺大学への留学生はいない。北京大学には来ていたが、最近は引き上げてしまったとのこと。延吉でも脱北者と接触するのは許されず、北朝鮮の人たちと交流はない。延辺の方が、北朝鮮の体制がいかにおかしいか、行ってみたらどんなに貧しかったか話してくださったし、脱北者の調査をしている延辺大学の教授でさえ、「北朝鮮はわからない」とおっしゃった。国境地帯でも、以前は北朝鮮側で行われていたフリーマーケットが中止になったというし、北朝鮮から中国へ来ることは「資本主義」に毒されるので以前より厳しく禁止されているとのこと。「北朝鮮人を『見に』行きましょう」と誘われて、延吉市内の北朝鮮人経営のレストランでご馳走になった(在日朝鮮人の資本という)。金日成バッヂをつけ少々表情が硬いが綺麗にお化粧をした女性が給仕してくれるので、観光スポットになっているようだった。ユニバーシアードの美女軍団は俄か作りでないことがよくわかった。彼女たちは2年くらいのシフトで勤務するらしいが、延辺の方が彼女らを食事に誘ったけど決して応じなかったとのこと。「彼女たち」のショーもあった。ショーといっても、ひとりかふたりがカラオケにあわせて歌うというものだった。レストランには韓国の団体旅行客が多かったが、すぐに男性が花束を渡してデュエットを始め、祖国統一歌になった時は、レストラン中が大いに盛り上がった。韓国人観光客の勢いに圧倒されると同時に、何か不思議な光景を見ているような気がした。   (2003年9月7日北京にて)
  • 2003.08.28

    マキト「マニラ・レポート(2003年夏)」

    SGRA「グローバル化のなかの日本の独自性」研究チーム チーフ F・マキト   夏休みを利用して、一時帰国した。 帰国早々、7月27日に、マニラのビジスネス街マカティで軍兵士の反乱事件が起きた。幸いなことに、反乱兵士たちの思惑ははずれ、一般市民の支持を全く得ることができず、一日のうちに無血で事件は終了した。反乱兵士たちは、フィリピン軍内の汚職を訴えようとしたが、彼らに武器の使用権を認めた国民の信頼を裏切った結果になったと私は思う。正当な主張があるのならば、とりわけ自分の命を掛けるぐらいならば、平和的ルートを通して訴えを表明する方法は他にいくらでもある。国家を危機に晒し、一般市民に武器を向けずに済むはずだ。今回の反乱事件の計画者を厳しく裁いてもらいたい。この事件による経済影響を心配したが、フィリピンのアジア太平洋大学(UAP)の発表によれば、フィリピンが様々な危機から受ける打撃は毎回減ってきているようである。フィリピン国民が、だんだん危機への対応に慣れてきたと考えられている。   今回のマニラ訪問の後半には、SGRA研究チームの顧問をお引き受けいただいている名古屋大学の平川均教授が同行してくださり、充実した調査ができた。反乱事件が起きたので心配したが、先生は予定通り来比してくださった。日本貿易振興会(JETRO)を通じて、次の4社を訪問した。JETROマニラの白石薫さん(Director)が4社の訪問に同行してくださったが、「フィリピンの将来がなければ、私の将来もない」という彼の言葉がとても印象的だった。(このような日本人がもうちょっと増えてほしいですね)   4社で、暖かく受け入れてくれたのは次の方々である。この場を借りて、改めて感謝の意を述べたい(訪問順)。今回の調査は、平川先生の特別依頼もあって、工場を見学してきた。現場の貴重な意見を詳しく聞かせていただき、大変勉強になった。   小藤田 洋成 ASAHI GLASS PHILIPPINES、EXECUTIVE VICE PRES. 石井 明 SANYO PLASTIC PHILIPPINES、INC.、PRES. SAKAMOTO HITOSHI、ENOMOTO PHIL. MFG.、SENIOR VICE PRES. YAMAJI TADASHI、 P.IMES CORPORATION, PRES. WAKABAYASHI SHUJI、 P.IMES CORPORATION、DIRECTOR CESAR A. MORAÑA、P.IMES CORPORATION、MANAGER   4社訪問以外に、今年5月に調査したトヨタ・フィリピンの田畑社長と、ホンダのALFREDO MAGPAYO、AVPと、アジア太平洋大学(UAP)のEXECUTIVE LOUNGEでそれぞれ朝食とランチの会議を行った。田畑社長は、その場で携帯電話から、フィリピンにあるトヨタの部品下請け会社であるTOYOTA AUTO PARTSの社長とアポイントをとってくださった。そのおかげで次の方々にもお会いしたので、お礼を申し上げたい。   三宅 譲治 TOYOTA AUTOPARTS PHIL.、INC. PRES. 矢澤 文希 TOYOTA AUTOPARTS PHIL., INC. DIRECTOR 木村 和彦 TOYOTA AUTOPARTS PHIL., INC. DIRECTOR   以上の会議は、フィリピンのアジア太平洋大学(UAP)のPETER U先生が手伝ってくださった。今後も、引き続き、この方々と連絡して、調査を進める予定である。   平川先生の特別依頼で、日本大使館のSAKUMA HIROMICHIさん(FINANCIAL ATTACHÉ ATTY.)と意見交換した。先生も私もSGRAのことをPRし、去年の軽井沢フォーラムのレポート(英語と日本語版)を大使館においていただくようお願いした。   今回の調査はフィリピン開発研究所の助成金によって行われた。調査の最終目的はフィリピンの工業製品の対日輸出戦略を立案することである。調査の過程は次のようになっている。第1段階は、中長期的に日本へ輸出可能な製品、いわゆる生産計画の特定。第2段階は、その生産計画の構造的関係の根拠の分析。第3段階はその生産計画の構造的根拠のインセンティブ構造の分析。今年の12月ごろに最終提案書を提出する予定である。   今回の訪問で、大・中企業の生産計画の大枠を把握できたが、やはり、小企業のほうは、大企業に頼る部分が大きく、生産計画を自ら作成しないというのが基本方針のようである。ただ、小企業といっても、高い技術でバリバリ輸出しており、ここからも輸出戦略を立てるための貴重な情報が得られないわけはないので、引き続き調査の対象としたい。   8月19日に成田に戻り、翌日の始発の新幹線で名古屋に向かった。これから3ヶ月半、平川先生のご指導のもと、SGRA研究チームの仲間の李鋼哲さんと一緒に、客員研究員としてお世話になる。名古屋に近づくと、新幹線の窓から工場団地がよく見かけられた。平川先生によれば、名古屋大学は、東アジアの発展の原動力とも言える「雁行形態開発」という発想の発祥地ということだ。ASEANと日本の協力関係の更なる進展という私の期待への可能性を探るために、日本の「ものづくり」の心臓部への旅がはじまった。   (2003年8月28日)