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エッセイ020:葉 文昌 「台湾の通勤電車でガムと飲食が禁止されたことについて」

昔、あるアメリカ人から「シンガポールは最も嫌いな国だ」と聞かされたことがある。「なぜなら、ガムを噛んだだけでお尻を鞭打ちされるからだ」と。なるほど、ガムを吐き捨てる行為は他人に影響を及ぼすからいけないが、噛むことは誰にも迷惑をかけないから禁止するのはあまりにも自由がない。僕は「シンガポールは街が綺麗な国」という良いイメージを持っていただけに、この外国人の言うことが新鮮な意見に映り、「さすがは自由なアメリカ人だ」と思った。

 

時も場所も変わって2001年、僕は自由な日本から台湾に戻ってきた。悲しいことに台北のMRT(Mass Rapid Transport 通勤電車)ではガムはおろか、飲食もいけない(「飲」からして水も含まれる)。でもここまでは一企業の規定だからいいとしよう。しかし2004年、国会で「MRTではガムと飲食をしてはならない。勧告に応じないものは1500-7500元の罰金(約5000-25000円)」と言う法律が可決されてしまった。これで電車の中でガムを噛んだり水を飲んだりすることが法律で禁止されたことになる。自由が奪われた気分だ。

 

可決後の2004年4月28日の新聞記事の一部を紹介しよう。「台湾MRTでは先進国を見習ってMRT内と駅での飲食、ガム、タバコ等を厳格に禁じてきた。しかし現在の法令では『吐き捨て』についてのみ罰せられるので、取締りができなかった。今回の法改正により、以上の行為をした者に対して、勧告に応じない場合罰せられるようになった」。

 

庶民の反応はどうだろう。同僚との議論では、全員規制に賛成だった。ネット上の意見を見てみると・・・「この規制はいい。少し我慢すればいいことだからね」、「華人の公衆道徳を顧みて、強烈賛成」、「この改革に賛成。さもなければMRTは滅茶苦茶になる」、「シンガポールのように全面禁止すればいい。処罰は同じく鞭打ち。そうすれば誰も食べなくなるだろう」。圧倒的大勢は賛成のようだ。

 

日本ではこのような規制についてどう思われるだろうか。おそらく僕が考えたように「そんな窮屈な!」と思うだろう。しかしよく考えてみれば冒頭の「誰にも迷惑をかけなければいい」の論理に一貫性をもたせるならば、自衛目的の銃の所持も、ポルノも、麻薬もいいことになる。これらは何れも日本では規制されている。アメリカ人から見れば、日本は窮屈な国と映るだろう。しかしアメリカもオランダ人から見れば一部窮屈だ。そしてアメリカ人も銃規制されたオランダ人を窮屈に思うだろう。こうしてしまいに揚げ足取り論議になる。世界を見渡せば、おそらく全部自由な国はない。どの国でも現状として「誰にも迷惑をかけないからいい」は通用しておらず、どこかしら規制は存在している。だから他国の規制されたものを見て「あなたの国は自由ではない」と言うのは五十歩百歩である。

 

規制はその社会にとって、最良であればいい。例えば、北欧諸国でポルノを解禁したところ、性犯罪の件数が顕著に減少したという事実がある。慣習や従来の価値観に頼るのではなく、それぞれの社会のその時代の発展に見合って、規制したり、開放したりすればいい。そしてたとえある国の社会で規制の度が過ぎて発展を阻むようなことがあったとしても、それは国際競争で取り残されるだけで、他国に云々言われるものではない。自国の規制に関してはあたりまえ、他国の規制に関しては「自由がない」。これでは自国の価値観の押し付けになってしまう。

 

こう考えれば、MRTのガムと飲食の禁止は、台湾の社会での最良の選択であって、やむを得ないが受け入れるしかない気がした。数年後の秩序ある社会の創出のため、これからはガムと水をMRT内で意図的に噛んだり飲んだりするのはやめることにしよう。

 

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葉 文昌(よう・ぶんしょう ☆ Yeh Wenchuang)
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員
2000年に東京工業大学工学より博士号を取得。現在は国立台湾科技大学電子工学科の助理教授で、薄膜半導体デバイスについて研究をしている。研究や国際学会発表は自分に納得しているが、正論文の著作は怠っており、気にはしてはいないが昇進が遅れている。

 

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