SGRAかわらばん

エッセイ017:今西淳子 「続・バシコルトスタン共和国訪問記」

「民族友好パレス」の建設現場を見学しました。リシャットさんは、この地域のランドスケープ・デザインのコンペで優勝し、その中に含まれている民族友好パレスの施工がさっそく始まっているわけです。工事が急ピッチで進んでいるのは、2007年の秋、ロシア中の共和国の首脳が集まる大会議がここで行われる予定だからです。プーチン大統領も来るのだそうです。

 

現場について最初にびっくりしたのは、建設現場管理方法の違いでした。日本の建設現場は、まわりが塀で囲まれ、入り口には数人の警備の人が立っていて、人や車の出入りを管理しています。勿論、リシャットさんと一緒だったので、誰にもとがめられることなくどんどん現場にはいれましたが、もしかしたら誰でも入れてしまうかも・・・・既に巨大な建物のコンクリートの床と壁はできていました。友好パレスのエントランスからショッピング街になる部分の屋根の上に行きましたが、とにかく広い。高台の建設現場から川岸までの広大な斜面にあった広葉樹は全て伐採され、一部は針葉樹を、一部は芝生を植えていました。おそらく、ランドスケープの工事は、短い夏の間に全部しなければならないのでしょう。現場のすぐ横に、労働者用の簡易宿
舎がありました。リシャットさんが、「この人たちは、北朝鮮から来ているんですよ」と説明してくれました。

 

その後、リシャットさんが設計した競馬場の工事現場を見に行きました。こちらはもうほぼ出来上がっていました。リシャットさんの設計事務所では、空港のターミナルも設計中だそうです。これだけのプロジェクトをしているのですから、リシャットさんは、今や「時の人」で、雑誌(?)に特集されていたりしていました。

 

奥様のさえこさんと生後7ヶ月のけんちゃんと一緒にランチをしました。奥様は東京で編集のお仕事をしていますが、現在産休中なので当地に来ています。なにしろコンペに当たってから全てが想定外になっており、今後のことは未定のようでした。ウファに来ても、リシャットさんは忙しすぎるから、義理のご両親と一緒にサナトリウム(保養地)に行ってきたそうです。山やステップ地方の澄んだ空気と、多様な効能成分と特質を有する鉱泉や治療用泥土はバシコルトスタンをロシアでも指折りの保養地にしているそうです。「けんちゃんは、何語で育てるんですか」と聞くと、お二人とも迷わず、お母さんは「日本語」、お父さんは「バシキール語」。その時になって、はじめて、バシコルトスタン共和国では、標識などはロシア語とバシキール語の
ふたつの言語で併記されていることを知りました。どちらも英語のアルファベットではないので、私には区別さえつかないわけです。けんちゃんは、日本語とバシキール語とロシア語と多分英語の最低4ヶ国語はマスターしなければならないということでしょう。リシャットさんの中に、不思議にもバランスよく共存している、バシキール人とロシア人のアイデンティティーは、けんちゃんにはどう伝わっていくのでしょうか。

 

午後7時をすぎてからウファの町を観光しました。とても高い塔のあるモスクに行きました。バシコルトスタンは、イスラーム教の国で、モスクがいくつかありますが、毎日のお祈りに集まるという習慣があるのはごく一部の(お年よりの?)人たちだけのようです。昨晩、一緒に田舎に行った旅行会社社長のグリニサさんが、乾杯しながら「私たちはモスリムですけど、何でも食べるし、お酒も飲むの」と、ちょっと恥ずかしそうに教えてくれました。スカーフをかぶっている女性も殆ど見かけません。宗教の戒律が非常にゆるやかに守られているわけです。最後に、川をわたって、反対側からウファの町を眺めました。ウファは3方を川に囲まれた高台の上にある町で、そ
の北側の3分の1くらいは、巨大な石油関係の工場関連施設であることが一望できました。ウィキペディア(インターネット上の百科事典)によると、バシコルトスタン共和国の経済はもっぱら石油工業に依存しており、産業の大部分は私有化され、大統領の親族に支配されているということですから、今後、ウクライナをはじめ旧ソ連から分かれたいくつかの国々が経験した民主革命のようなことが起こりうるのでしょうか。

 

バシキール語で「ありがとう」は「ラフマット」と言うと聞きた時、思わず「ウィグルと同じじゃない」と叫んでしまいました。今年の5月に、中国新疆ウィグル自治区のウルムチに、SGRA会員のアブリズさんを訪ねて行った時、恥ずかしながら唯一覚えたウィグル語だったのです。両者ともトルコからの影響を受けているわけですが、私から見ると、リシャットさんとアブリズさんは対照的です。今まで、むしろ大国の中で主流の民族と文化に抵抗している少数民族の方々に接することの方が多かったので、リシャットさんの中にバシキール人としての誇りと、ロシア人としての誇りが同時に存在していることや、バシコルトスタン共和国がロシア連邦と上手く関係を保っていることの方が、むしろ変わっていることのように感じられます。同じロシアでも、チェチェン共和国のように、ロシア連邦からの独立派が弾圧され、さらにテロリストが入り込んで、めちゃくちゃになってしまっているところもあるのです。中央アジアの政治的、宗教的、民族的な複雑さを垣間見た気がしました。

 

もし可能であれば、リシャットさんの「民族友好パレス」が完成したら、またウファに行ってみたいと思います。でも、今度はモスクワ経由ではなく、ウズベキスタンのタシケント経由で行こうかと思っています。勿論そうしたところで、空港で8時間つぶさなくてもいいという保証はありませんが。

 

★バシコルトスタン旅行中の写真は、下記URLからご欄いただけます。
http://www.aisf.or.jp/photos/index.php?spgmGal=Russia%20August%202006

 

★ウルムチを含む私の「ゴールデンウィークの中国旅行記」は、下記URLからご覧いただけます。
http://www.aisf.or.jp/aisf_private/aisfnews-j.htm

 

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今西淳子(いまにし・じゅんこ)
学習院大学文学部卒。コロンビア大学大学院美術史考古学学科修士。1994年に家族で設立した(財)渥美国際交流奨学財団に設立時から関わり、現在常務理事。留学生の経済的支援だけでなく、知日派外国人研究者のネットワークの構築を目指す。2000年に「関口グローバル研究会(SGRA:セグラ)」を設立。また、1997年より異文化理解と平和教育を促進する青少年交流事業を行うグローバル組織、CISV(国際こども村)の運営に参加し、日本国内だけでなくアジア太平洋地域や国際でも活動中。
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