SGRAかわらばん

  • 2015.02.18

    エッセイ449:謝 志海「日本の盲点: 冬の寒い住居」

    冬に日本へ一時帰国する海外在住の日本人の友人たちは、皆口を揃えて言う。「日本の冬は寒くて、過ごしにくい」と。彼らはみんな日本より寒い国や地域に住んでいるというのに、日本の家(主に彼らの実家)が寒いというのだ。私が勝手に抱いていたイメージは、日本の冬の「こたつでみかん」を楽しみにと思っていたのに、現実は違っていた。彼らが暮らしている国々は日本より冬が厳しいが、家中が暖かく保たれているそうで、日本の住居のように、暖房をつけた暖かい部屋を一歩出たら寒い廊下、そして寒いトイレに行くということが無いそうだ。思えば私が長年暮らしていた北京の冬は、日本より寒いが室内はどこも暑い程だった。家電製品は日々進化し、便利な生活を整えるため次から次へと新しい技術が産み出される日本で、何故日本の家は寒いままなのだろう。   ニューヨークから一時帰国してきた日本人の友人が教えてくれたのだが、ニューヨーク州の法律では、冬季(10月から5月)に外気温が10度を下回ったら、アパートの大家は室温を20度にしなければならないと定められているそうだ。しかもこの暖房費は家賃に含まれているとのこと。セントラルヒーティングで家中に暖房がいきわたり、家に帰れば家の中がすでに暖かいのはいいよと絶賛していた。このようなことが法律で定められていることに驚き、ニューヨークの近隣の寒い地域についても調べたら、米国東海岸の他の州はもちろん、カナダのトロントや、英国も同様に、住宅の最低室温に関して規制があった。そしてこれは健康への配慮からなる法規制であった。日本には住宅に対してこのような規制は無い。   インフラが整い、全てが完璧のような日本に落とし穴を見つけた気がした。日本のテレビでは毎日のように健康についての番組が放映され、現に国民の一人ひとりが健康への関心が高い。しかし日本の家の中は寒いままだ。そして冬のニュースでよく耳にするのが、高齢者のお風呂場、脱衣所で心臓発作による死。熱い湯船に浸かり、外気と同じくらい寒い脱衣所に出る。この急激な温度変化で体調が急変することを「ヒートショック」と言うそうだ。厚生労働省の報告書によると、入浴時の事故死だけで、年間1万9千人以上と推計されるそうだ。   このような事故死を防ぐため、日本の冬の住居環境を見直すべきだろう。欧米のように住宅の法規制として、断熱化を進めるべきではないだろうか。光熱費が高い日本では、家そのものの工夫が必要だろう。察するに、高齢の日本人は我慢強く、少しくらい寒くても我慢してしまうことが多い。暖房器具があっても使われなければ意味がないし、何よりも住居内での温度差が危険なのだ。家中の室温を一定に保つことが重要だ。北海道の家は冬も暖かいので、ヒートショックも少ないそうだ。身近な所から冬を過ごし易い住環境を取り込み、改善すべきだ。それは日本の高齢者を守り、人口減を緩やかにする。健康への関心が高い、先進国の日本人が、このように未然に防げそうな事故で毎冬あっけなく命を失うのは大変惜しい。     英語版エッセイはこちら   ----------------------------------------<謝 志海(しゃ しかい) Xie Zhihai>共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。---------------------------------------- 2015年2月18日配信
  • 2015.02.11

    エッセイ448:アロツ=ラファエル アインゲル「国とアイデンティティ:自分の居場所はどこか」

    多くの人は、自分が何人であるかについて話す時、つまり「私は日本人です」、「私はスペイン人です」と言う時、おそらく何の違和感、疑問を感じないだろう。ただし、私たちが「私は日本人です」、「私はスペイン人です」と言う時、自らの客観的、正式的、パスポートに書いてある国籍を指しているだけではなく、自分がある国、あるコミュニティーへの帰属意識、いわば自分のアイデンティティの一側面を表現してもいると言えよう。   私は留学がきっかけで、自らの国・国籍とアイデンティティについてしばしば考えるようになった。そして、この課題についての私の考え方は留学によって大きく変わった。本稿では、私の考え方がどう変わったかを説明するために、まず私の背景について、次に10年以上前に初めて留学することによって私の観点がどう展開したかを、そして最後に国とアイデンティティについての現在の私がどのような立場であるかを述べたい。   私はスペイン北部にあるバスク地方で生まれ育ち、22歳までバスク地方の最大の都市、ビルバオに住んでいた。バスク地方ではスペイン語と違う言語が話されており、また、その歴史・社会構造・経済構造の面からも他のスペインの地方との相違点が多く、バスク人の一部はスペインからの独立を願っている。このような複雑な地域では、「あなたは自分をバスク人と考えていますか、スペイン人と考えていますか」というような質問を問いかけられることがよくある。しかも、バスク地方では、自分をスペイン人かバスク人かと認識することは、自分の家系や母語とは直接関係なく、むしろ自身の政治的立場や感情と深くかかわっている。例えば、自分の家族がスペインの他の地方の出身であって、自分の母語がスペイン語であっても、自らをスペイン人でなくバスク人と考える人もいれば、家族がバスク地方出身であり、バスク語を母語とする人で自らをスペイン人と考える人もいる。   私自身は、バスク地方に住んでいた時、自信をもって「私はスペイン人ではなく、バスク人である」と言うことができた。それは、バスク地方以外の地域に対して何らかの抵抗を感じていたからではなくて、むしろバスク地方の独自性、いわばユニークさに一種の愛着を持っていたからであり、また、私の周りの人々、つまり家族や友だちが同様な観点を持っていたからであった。   しかし、私は22歳の時にイタリアのボローニャ大学に留学することになり、初めてバスク地方ではない国で生活し、また、バスク地方以外のスペインの各地方やヨーロッパの各国から来た友だちができることによって、私が、自分自身が、バスク人であるということの意味を深く考え直すことになった。バスク地方に住んでいた時の私はバスク地方の特殊性、スペインの他の地域との相違点などを重視していたのに対して、イタリアで生活を始めた当時の私にとっては、相違点というより、むしろスペインの他の地域やヨーロッパ各国との共通点の重要性がわかるようになった。したがって、私はイタリアで国籍を聞かれた時、だんだん違和感を持たずに「スペイン人です」と答えるようになり、かつ、自分をバスク人だけと考えていた以前の私の立場を排他的で度量の狭い立場のように見るようになった。そうして私は、「バスク人」「スペイン人」というような名称が自分の背景をある程度説明していることを理解すると同時に、自分にとって実際それらの言葉にたいした意味がなくて、自分のアイデンティティとしてはむしろヨーロッパ人としてのアイデンティティがもっと重要なのではないかと考えるようになった。なぜなら、ヨーロッパという概念からは、国境を超えた豊富な歴史を背景としながら、多様で充実した社会を目的とする民主主義的プロジェクトを構築していくことができると考えたからであった。   しかしながら、私は2007年に、ヨーロッパから離れて日本に留学することになり、自分の立場をあらためて考えることになった。イタリアに留学することによって私の視野が広くなったと同じく、はじめてヨーロッパ以外の国で生活し、日本およびアジア各国から来た友だちができ、実際に人間同士をつなげるものは共通の文化的背景などではなく、むしろ価値観、世界観であることがはっきり分った。   こうして、日本に留学することによって、私のバスク人、スペイン人、ヨーロッパ人としてのアイデンティティが、いったいいかなるものであるかをふたたび反省することになり、国とアイデンティティについて、より明確に考えるようになった。つまり、国とアイデンティティの間の関係において二つの側面を区別することができると思う。一方では、「私はスペイン人です」、「私は日本人です」などの表現によって、私たちがどこから来ているか、どこで育ったかを説明しているのであって、例えば私の個人的な場合に、やはり私がバスク人であること、スペイン人であること、ヨーロッパ人であることのそれぞれが、私の背景、いわば私の個人的な歴史を語っていると言えると思う。他方では、「私はスペイン人です」「私は日本人です」などの表現が、ある国、あるコミュニティーへの帰属意識を表しており、すなわち自らがどこから来たかだけを表すというより、むしろ自らがどこに帰属したいか、どこを自分の居場所にしたいかということを表していると思う。この二つ目の側面は、一つ目の側面より自由であり、個人が各々の人生において、様々な経験を重ねるにつれて、変わっていくことが可能であろう。   留学生として日本で7年間生活してきた私は、自分がバスク人、スペイン人、ヨーロッパ人であるということが、上述したように私のある重要な側面を捉えていると思う。なお、上記の二つ目の側面については、つまり私がどこに帰属したいか、どこを私の居場所にしたいか、「何人でありたいか」と聞かれるとしたら、バスク地方はもちろん、スペインやヨーロッパももはや狭すぎて、ありふれたひびきのある言い方であろうが、おそらく私の居場所が世界、地球であり、私が帰属したいコミュニティーは各国の狭い国境を超えた世界の市民のコミュニティーであると答えるしかないであろう。   -------------------------------------------------------------- <アロツ=ラファエル アインゲル Aingeru Aroz-Rafael> 2005年Deusto大学文学部歴史学科卒業(ビルバオ、スペイン)。2008年マドリード自治大学学部東アジア学科卒業。2008年同大学マドリード自治大学大学院哲学研究科比較文学専攻修士課程修了。2003年ボローニャ大学留学(イタリア)。2007年上智大学留学。2007年平和中島財団奨学生。2008年〜2012年国費留学生。2013年渥美財団奨学生。研究関心は近代日本哲学史、近代日本言語学史・国語学史・人文科学史、言語哲学。現在、東京大学大学院学際情報学府博士後期課程。 --------------------------------------------------------------   2015年2月11日配信   
  • 2015.02.04

    エッセイ447:謝 志海「日本の人口減少問題」

    昨年末の日本経済新聞で、厚生労働省による2014年の人口動態統計の推計が発表されていた。それによると、死亡数は、戦後最多の126万9千人、出生数は100万1千人で出生数が死亡数を下回る人口の自然減は26万8千人で過去最大となった。2011年以降この自然減は毎年20万人を超えているという。出生数が増えないことには人口の自然減は食い止められないということだ。今は元気な団塊の世代が減りはじめたら、日本はどうなってしまうのだろう。政府として何か策は練っているのか? 政府の中位人口推計では、このままだと2020年代初めには、60万人減、40年代は年に100万人と減少速度が加速、2050年を前に総人口が1億人を割る見通しだそうだ。私の母国である中国の人口13億人を思うと、国際社会において政治、経済のいずれの面からも見ても大国である日本は人口が1億人を下回る国になるのは想像し難い。このまま人口が減って行くと、日本の国力と国際発信力にも大きな影響を及ぼすのだろう。日本政府はどうにか人口1億人を維持したいようだが、実現性は不透明という気がする。内閣府に設置された、「選択する未来」委員会が2014年に中間報告として示した「人口減少数の将来推計」によると、2030年に出生率2.07となれば、2060年以降も1億人程度の人口を維持できるとの推計を示した。しかし2013年の出生率(合計特殊出生率)は1.43人であり、1975年以来ずっと出生率2人を割っている。この現状を見ると、内閣府の将来推計は現実味に欠ける。 減りゆく人口に嘆いてもしょうがないので、始まったばかりの2015年が人口減少問題の解決に大きく1歩踏み出す年になると良いなあと思う。幸い日本は民間企業が社会問題に向き合い、福祉を考慮しながら従業員を守っているので、改善の余地はあるはずだ。そして、日本が官民一体で立ち向かう人口減少問題は、今後追随するであろうアジア全体の高齢化の手本になるはずだと期待している。例えば、ソフトバンクは社員に子どもが産まれる度に出産祝い金なるものを支給していて、第二子、第三子と増えるにつれて、祝い金の額が上がる。たくさん産めばたくさんもらえる仕組みだ。また、大和ハウス工業では、子供1人の出生につき100万円を支給する制度(次世代育成一時金)がある。このように、日本では政府の対策を待たずに、企業が知恵を絞り、国の問題解決に積極的に関わる様はとても美しいし、大きな意味がある。 しかしながら、民間企業にばかり頼っていても、日本の人口減少は歯止めが利かないであろう。何しろ毎年20万人以上もの自然減が起きている国だ。地方自治体も自分の街から人が減るのを食い止め、かつ積極的に呼び込むことに早急に対処した方がいい。地方創生に関しては、頑張っている自治体とそうでないところの差がとても大きい。東京から遠い市町村の方が、移住者の呼び込みや、地元の活性化が盛んで、実は東京へのアクセスが良い市町村から若者がどんどん減っていたりする。切れ目の無い地方創生が実現すれば、日本全体が活気づいて、人口減少によりさびれる街も減り、人口の底上げにもつながるのではないだろうか?客観的な意見だが、日本は面積の狭い国ではあるが、砂漠のような住めない場所というのはそれほど無いのだから、人口減少と地方創生を一緒に解決出来るポテンシャルがあると思う。事実、日本のどんなに小さな町でも意外と外国人が住んでいたりするものなのだ。その辺りをヒントに住みやすい日本で人口維持に向けて全国的に取組んだ方が良い。 --------------------------------------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai>共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 --------------------------------------------------------- 2015年2月4日配信
  • 2015.01.28

    エッセイ446:葉 文昌「遂客令」

    歴史は繰り返すとよく言われます。なかにはスケール等を変えて繰り返されることもあります。グローバル化は、同質(なかま)の中に異質(よそ者)を取り込んで、より進化して多様化された新たな同質を作る過程だと思いますが、それはつい最近始まったものではなく、どの国でも内部で多くの邦に分れていた時期に幾度か経験しているはずです。   これから紹介するのは、2250年前の中国で、秦がまだ中国を統一していなかった戦国時代の出来事です。当時の中国は多くの国がひしめき合っていました。一部の国では技術や政治戦略の専門家を外国から招へいしていました。ある人材が持つ技術が高度であるほど、代替性はなくなり、一部の人材は国境を跨いで仕事していたことは想像に難しくありません。   ある日、灌漑工事の技術指導で秦に招へいされていた韓国人の鄭氏が、秦の財政を疲弊させるような工事をしている疑いをかけられました。それから秦の政界で「外国人を追い出そう (逐客令)」という運動が始まりました。現代のネオナチ又はヘイトスピーチのようなものでしょう。そこへ出てきたのが、李斯でした。彼も外国人で、このまま「外国人出て行け」運動が発展すれば自分も追い出されることになります。そこで彼は「諌逐客書」という有名な諌言書を秦王に出しました。内容は今見てもとても斬新なもので、これが2250年前に書かれたことには驚かされます。今回はこの書を翻訳して皆さんに紹介することにします。    *   *   *   *   「外国人を駆逐すると聞いておりますが、私が思うにそれは過ちであります。   その昔、秦の穆公(ぼくこう)は人材を得るために、西からは戎国の由余を求め、東からは宛国から百里奚を求め、宋国から蹇叔(けんしゅく)を迎え、邳豹(ひひょう)や公孫支を招き入れました。この5名は秦の出身ではないものの、穆公は重用し、それで二十の国を併合し、西戎を支配しました。   また孝公は外国の商鞅(しょうおう)の法制を取り入れたことにより、社会気風と習わしを変え、国民は栄え、国は豊かになり、民は自ら進んで国に仕え、諸侯は感服し、楚と魏の兵を下して千里の領土を得て現在に至っております。   惠王は張儀の謀略を使って三川を攻略し、西に巴と蜀(しょく)を併合し、北に上郡を収め、南に漢中を取りました。更に九夷(きゅうい)の地を併合し、鄢(えん)、郢(いん)を取り、東に成皋(せいこう)の要塞を占拠し、肥沃な土地を収め、六国連合を瓦解させ、秦国に臣服させて利益は今日まで続いています。   秦昭王は范睢(はんしょ)を得て、穣侯(じょうこう)を罷免して華陽君を駆逐し、中央統治者の権力を増強させ、その他即得権益者や彊土を蚕食する諸侯を途絶させ、秦の帝業を成就させました。   この4名の君主の成功は、外来人材の貢献に依る所が大きかったのです。従って外来人材は秦に対して負い目はありません。もしこの4名の君主が外来人材を排除していたならば、秦はここまで豊かな実益も強大な威名もなかったはずです。   今日陛下は昆山の玉石、隨侯(ずいこう)の明珠、卞和(べんか)の宝玉を得て、差すのは太阿(たいあ)の名剣、乗るのは繊離の駿馬、掲げるのは翠鳳(すいほう)の旗、使うのは鰐(わに)の太鼓です。これらの中で秦に産するものは一つもありませんが、なぜに陛下はこれらを好むのでしょうか?秦のものしか使わないとするならば、夜光の玉壁は朝廷には飾らず、犀角(さいかく)象牙の器は使わず、鄭や衛の美女は後宮にせず、駿馬は馬屋におかず、江南の金錫は使わず、西蜀の顔料は使わずとなりましょう。   後宮の妾からすべての装飾や楽しませてくれるものは秦のものでないと駄目ならば、宛珠(わんしゅ)の簪(かんざし)、傅璣(ふき)の耳飾り、阿縞(あこう)の衣、錦繍の飾り等は陛下には献上できません。今風で雅、艶めかしく窈窕な趙の女も傍にはいないでしょう。甕缶を叩き、竹箏を弾き、太ももを敲いてリズムを取ってわいわい騒いで楽しむ、それこそが秦の本来の音楽であります。鄭・衛・桑間や、韶虞(しょうぐ)・武象などは、異国の音楽です。甕缶叩きをやめて鄭衛の音楽にし、竹箏弾きをやめて韶虞にしたのはなぜでしょう?それが面白いからです。   しかし陛下の任官はそうではなく、能力を問わず、実直かも問わず、秦出身でなければ追い出す。これは即ち重んじる所は色気音楽珠玉、軽んじる所は人民になります。これは海内を跨いで諸侯を制する術ではありません。   土地が広がれば育つ粟(あわ)は多くなり、国が大きければ人も多くなり、軍が強ければ兵士も勇ましくなると聞きます。太山はあらゆる土壌を受け入れたからこそ、いまある大きさになり得ました。海はあらゆる細流を選ばないからこそ、その深さになり得ました。王たるものは衆人を退けないからこそ、仁徳は広まります。土地は東南西北を隔てない、人民は本国他国を区別しない、そうすれば一年四季は充実し、鬼神も降臨して福をもたらすでしょう。これこそが五帝三王が無敵である所以であります。   今日陛下は庶民を棄てて敵国に資させ、賓客を駆逐して他国に尽くさせており、その為天下の人材の秦への入国を憚らせております。これは糧食を強盗に与えて武器を敵に貸し出すことと同じではないでしょうか。物は秦の産出ではないが宝となるものは多いです。人材も秦の産出ではないが秦に忠心を尽くす者も多いです。外国人を駆逐して敵国に資し、人口を減らして敵国の実力を増長し、この結果自国は弱体化される上に外国人の恨みを買って敵国に尽くす人を増やす、これで国が危険にさらされない訳がないでしょう。」   これを以って秦王は外国人駆逐命令を廃除し、李斯の官位を回復させました。   ----------------------------------------- <葉 文昌(よう・ぶんしょう)   Yeh Wenchang> SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。2010年4月より島根大学総合理工学研究科機械電気電子領域准教授。 -----------------------------------------
  • 2015.01.15

    エッセイ445:太田美行「選ぶ-第8回SGRAチャイナ・フォーラム-に参加して-」

    これだけ近い国だというのに中国へ行くのは初めてである。そういう訳で空港からのタクシーの中では念願の中国をよく見ようと、ひたすら車窓に張り付いていた。大陸の広さを感じた。何よりも建物の一つひとつが大きく、隣の建物との間が広い。そして道路はひたすら真っすぐだ。東京に生まれ育った身としてまず感じたのがこの空間感覚の違いである。ここから中国の人たちとの間に何となく感じる感覚の違いの背景に納得する。フォーラム会場の中国社会科学院文学研究所から天安門まで官公庁が並ぶ、中国で最も広いであろう通りを歩いた時は都を訪れる遣隋使はたまた遣唐使の気分で、「威容」が与える心理的効果についてしばし考えた。こうして私の中国訪問とチャイナ・フォーラムは幕を開けた。   第8回チャイナ・フォーラム初日の中国社会科学院では佐藤道信先生が「近代の超克-東アジア美術史は可能か-」で「ヨーロッパ美術史」が存在するのに対して日本、中国・台湾、韓国に同様の広域美術史がなく、一国美術史が中心となっている現状と課題について、木田卓也先生は「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」の講演で中国へ渡った近代日本の工芸家について講演をされ、2日目の清華大学では「脱亜入欧のハイブリッド:『日本画』『西洋画』、過去・現在」を佐藤先生が、「近代日本における<工芸>ジャンルの成立:工芸家がめざしたもの」で木田先生が近代日本と中国の美術・工芸のあり様について講演をされた。フォーラムの詳細は林少陽氏の報告書でご覧戴いたと思うので、ここでは私がフォーラム及び参加者との交流で感じたことを、広域史を中心にご紹介したい。   フォーラムは近代日本と中国、東アジアの美術・工芸のあり様と関わりを丁寧に、そして学術的に掘り起こし、整理していくものだった。私たちが当たり前にとらえている美術史が当時の時代背景と(恐らく)必要性や気運によってどのように「作られていった」のかを佐藤先生は「自律と他律の自画像」という言葉を用いながら、木田先生は工芸家の足跡をたどりながら、それぞれ明らかにした。   歴史というものは事実、起きたことの単なる集合体ではなく、どの「事実の集合体」を掘り起こして、どの角度から光を当てるか、それをどのように取り扱っていくのかの意図によって異なる意味をもってくる。その観点からすると今回のフォーラムでは、多くの事柄から「東アジア美術史」、「広域史」、「影響し合う」を選び、未来に対して前向きな意欲が感じられる発表と議論の場だった。一方で佐藤先生は「新しい基軸を作ることは新しい誤解を作ることになるのかと思う(こうした研究をするのは)自分がどこに立っているのか知りたい、それだけ」と語る。佐藤先生の指す「新しい誤解」への懸念はよくわかるものの、ある基軸を知ることで自分を取り巻く世界の構成が、成立の過程が、見えてくる。ひとつの基軸を知ることは他の基軸を感じ取る手がかりとなる。だから私はこの新しい基軸を積極的にとらえたい。   10年以上も前に「ワールド・ミュージック」が流行していた頃、確か音楽家の坂本龍一が雑誌の対談か何かで「今のワールド・ミュージックを語ると沖縄民謡のような民族音楽を語ることになってしまい、ワールドではなくなってしまう」という趣旨のことを言っていたのを思い出した。確かに当時彼が発表した音楽は沖縄民謡のアレンジ曲だった。同じように広域史を論じると自国史や「個」はどうなるのだろう。実際その点への心配の声が会場にはあった。しかし広域史を語ることは個や独自性を否定するものではないはずだ。独自性とは何か。人で考えた場合、個人の性質や能力、教育、経験の積み重ね、取り巻く環境とその歴史(国家だけでなく家族、友人、民族も含む)などから育まれ、磨かれたものではないか。ならば他との関わり(広域史)の中にある自己(自国史)を見出し、自己(自国史)の中に他(広域史)を見出すことはごく当たり前のことだ。自分の立っている場所を検証し続け、考えることこそが必要である。   もし自分の頭で考え物事を選ぶことをやめたら、すべてが曖昧なまま流されてしまいかねない。私たちは考え、掘り出し、そして選ぶ。その先にあるのが未来だ。何かを選ぶ時点で既に自らの態度を表明しているともいえないか。「東アジア美術史」、「広域史」、「影響し合う」を選ぶのは「影響し合う」未来を前向きなものにしたいからである。一見すると今回の講演は学術的で地味なものだろう。しかし、とかく考証の怪しげな歴史小説やドラマが溢れ、熱気を帯びた雰囲気や流れに足元をすくわれかねないような昨今、一つひとつを丁寧に掘り起こし、検証しつつ事実を浮かび上がらせることには大きな意味がある。   講演後の質問では少なからず論点から外れたというか、一足飛びのものがあったり、若い日本研究の学生と話していて意外にも現代日本の作家が読まれていないことに驚いたこともあった。(中国にも多数いるという村上春樹ファンはどこにいるのだろう?) それも事実なら、会場に大勢の学生が来てくれたこともまた事実だ。彼らの中に今回のフォーラムが種となり、芽吹く日が来ることを願っている。   木田先生は1920~30年代の「新古典派」を「懐古趣味的な保守反動勢力でなく、新しく東洋趣味的な工芸を作り出そうということを目指していた」、「『日本の近代』は、いかにあるべきか?、さらには『アジアの近代』はいかにあるべきかという問いが含まれていたと思われます」と語る。その頃の日本が発信する「東洋」と今の日本や他国がいう「東アジア(あるいは東洋)」では異なる点は多いだろう。だからこそ日本からだけでなく、その他の国から、人からの「東アジア広域史」を論じる声を聞き、共に今と未来とを選びたい。   --------------------------------------- <太田美行(おおた・みゆき)>東京都出身。中央大学大学院 総合政策研究科修士課程修了。シンクタンク、日本語教育、流通などを経て2012年より渥美国際交流財団に勤務。著作に「多文化社会に向けたハードとソフトの動き」桂木隆夫(編)『ことばと共生』第8章(三元社)2003年。 ---------------------------------------   2015年1月15日配信
  • 2014.12.24

    エッセイ444:奇 錦峰「憂慮すべき現在の中国大学生(最終)」

    3. 多くの大学の中の変な雰囲気   3.2 ほとんどが低レベルの繰り返しの研究   近年、「インデックス」学術評価システムの導入と推進の結果、大学スタッフ(特に教授)の評価は、論文数だけが必須条件として強調され、社会的、経済的効果を問わず、論文のレベルは掲載された雑誌のランクで定義されるようになった。そのため、迅速に結果がだせる科学研究のテーマを容認する雰囲気が作られた。中国の学者の多くが高リスク、長時間の基礎研究に消極的であるだけではなく、数値化評価システムに対応するため意図的に、短期的な効果を求めるようになっている。さらに、学術詐欺、研究偽造、不正競争、ゴミ論文などの出来事はエンドレスで、国全体で大量の低レベルの繰り返しの研究が蔓延し、創造的な新規のテーマを追究しようとする土壌を奪ってしまった。現在の大学では、虚偽、誇張を軽蔑し、孤独な研究に耐える人たちの姿を見ることがますます困難になってきている。単純な「指標化」学術評価システムが中国の科学研究成果と投資のバランスを劣化してしまい、間違った道へ滑り落ちてしまったと言える。   一言で言うと、社会生活中のあらゆる不正や醜い行為を大学キャンパスの中にも見いだすことができる。本来、清潔で道徳的であるべき大学キャンパスは、大分前に消失してしまった。大学は科学的精神、人間性、人格形成などの面から大学生に対して教育を行うべきなのに、卒業証書だけを重視する風潮が大学教育を本来の目的から乖離させ、人格育成や人材養成を無視するだけではなく、「金銭万能」を自ら実践し、政府の推奨するGDP重視の市場経済に入ってしまったと思わざるを得ない。そこは大学卒業証書のバブルで、大学レベルの教育を受けたとしても、ほんの少しの専門知識を持つ以外は、教育を受けなかった人とあまり変わらない。   いずれにしろ、このような状況であるから、大学教育及びその生産品(大学生)は、今までにはなかった道を進まざるを得ない。中国の大学は、ますます行政化、官庁化、もしくはヤクザ化しているため、今の大学の価値観は、本来のあるべきものとはかなり異なってしまっている。大学を含むあらゆる教育、研究機関における、評価、昇進、招聘、採用などの場合、助手の決定からアカデミシャン(つまり中国科学院、中国工程学院のメンバー)の選抜まで、皆「評議員」(つまり決定権を持っている人)と「連絡する」ことが必須条件になっている(この評議員達に賄賂をしなければ、本人は安心できなくなっているそうだ)。皆がそうしているのに自分だけがしなければ、間違いなくその人は失敗する。こんな雰囲気の中で、学術機関が低レベルの繰り返しの研究をするのは不自然ではない。   3.3 研究を産業化し、大学では「研究リッチ」族が新興   ほとんどの大学では、研究ファンド(資金)を獲得できれば、その一部を申請者が「流用」することができる(政府からの資金の場合は10%で、企業からの場合は40%ということもあるそうだ)と言われている。そのため、中国では、研究活動を産業として運営し、研究で「リッチ」になった一族が新興している。一部の研究者が、このような「豊かになれる道」をひた走っているのも事実である。メディアの報道によれば、流用した研究資金で自家用車やマンションの購入もできた学者もいるようだ。「研究」という名目でリッチになる人々がにわかにでてきて、大勢の研究者が、研究活動及び論文執筆をも「金持ちになれる産業」とみなすようになってしまった。さらにもっと酷いのは、大学が「博士号」の授与権を利用して、政府の関係者と「プロジェクトのチャンス」、「企業の協力プロジェクト」などを交換し、学術活動を丸ごと功利に向かって行うようになり、学術腐敗は常態化してしまった。今、学術詐欺、研究偽造、不正競争、賄賂流行などは中国の大学で普通の現象であるが、さらに不思議なことに、近年、数多くの大学が、政府の統計を満足させるために、偽の卒業生の「就職率」を作ることもやり始めた。すなわち卒業する時、卒業生が就職の「契約書」(偽にしろ、真にしろ)を本人の学校に出して見せなかったら、その人は卒業証明書、学位証明書などを貰えないのだ。言い換えれば、大学の実際の「就職率」は政府の統計報告書よりかなり低いのである。   終わりに   如何なる社会でも未来の発展は、若者に依存している。有用な人材を親の世代が育成しなければ、次の世代の繁栄は幻想となってしまうのである。   中国の今の大学生は小、中、高校時代に試験指向教育を強制的に受けさせられ(だから今の学生の大半が勉強嫌い)、大学時代には大量のクラスメートと付き合うようになった(学生を大量に募集したから)ため、本人の意欲から学習環境まで、しっかりと勉強できる場所とはいいがたい。特に生命理科系の学生は実験/実習が良くできなかったから、習得した知識が非常に限られてくる。さらにこの時代の大学生は、幼い頃から両親の溺愛(甘やかし)、放任、社会の悪戯容認のもとで育てられたため、言い換えると教育の躾(しつけ)がなかったため、これらの学生が、どの様な人間になっているのか、普通の人は想像できないと思う。   何故、今日の大学生がこんなに問題ばかりなのか? 怠け、贅沢、礼儀の欠如、エゴイズム、人格の低下……。本質的な問題を考えてみると、その原因・責任は両親と初・中等教育の学校にあると思わざるを得ない。不思議なことは、現在の大学生の親達は一般的に言うと1950 年代から1960 年代が終わるまでの期間に生まれた人々で、貧乏な生活から豊かな生活まで経験した大人なのに、何故自分の子供の教育の面でこのように集団的に失敗したのか?つまり、この世代の人々は、自分の両親からきちんとした教育(躾)、ケアを受けたと思うが、どうして自分が自分の子供に対して親のまねをし、きちんと子供を導かなかったのか?!まとめて言うと、習慣がだめ、教育が下手、人口が多いという社会的な要素の組み合わせで、大学に合格した人間も育成できないのに、優秀な人材を養成するなんて可能なのだろうか。(完) 奇 錦峰「憂慮すべき現在の中国大学生」のバックナンバー --------------------------------------------------- <奇 錦峰(キ・キンホウ)  Qi Jinfeng>内モンゴル出身。2002年東京医科歯科大学より医学博士号を取得。専門は現代薬理学、現在は中国広州中医薬大学の薬理学教授。SGRA会員。 ---------------------------------------------------   2014年12月24日配信
  • 2014.12.17

    エッセイ443:奇 錦峰「憂慮すべき現在の中国大学生(その7)」

    「憂慮すべき現在の中国の大学生(その1)」 「憂慮すべき現在の中国の大学生(その2)」 「憂慮すべき現在の中国の大学生(その3)」 「憂慮すべき現在の中国の大学生(その4)」 「憂慮すべき現在の中国の大学生(その5)」 「憂慮すべき現在の中国の大学生(その6)」   3. 多くの大学中の変な雰囲気   3.1 2種類の「無駄論」   次に大学の中身を覗いて見ましょう。近年、中国各地の大学が「研究型大学を建設しよう」という目標を掲げ、「研究を大事に、教育を軽く」という教員評価をするようになったために、皆「研究、開発、論文」などに全力を尽し、直接的な学生教育を軽視するのが一般的な現象となっている。教官たちは本業(講義)に興味が薄く、地位の高い教員ほど教壇に立たない。若い教師たちを代わり教壇に立たせ、教授は、研究指導の名目で後ろでブラブラしたり、行政的仕事、及びエンドレスな会議で時間を費やしたりしていることが意外に多いようだ。   政府の教育管理部門は「教育の質量を保つためには、まず数量を保証しよう」という政策を示したから、人々はこの政策を「大学の本科教育の高校化、修士教育の大学化、博士教育の修士化」していると冗談の種にしている。学術研究の不正行為や汚職、講義や監督の担い手の疲労、教授の教育前線からの脱走の黙認、カリキュラム時間の大幅な短縮等々……大学教育が崩れ去っていると言わざるを得ない状況である。一方、「勉強は無駄(勉強無用/読書無用)」という愚かな言い方が、最近再び氾濫し始めたように思う。最近は「知識の単価」が上がり、貧しい人にとって、教育費用を支払うことがかなり困難になったことと、大学レベルの教育を受けても仕事が見つからないこと等々の理由から、この「無駄論」が出て来たと思われる。教育の公平性は、社会の公平の基礎で、教育が公平でなければ社会正義を達成することは出来ないであろう。貧しい家庭の子供たちが貧困のために教育を受けられなくなると、最終的には、社会は対立的な利益獲得階級と利益臨界階級とに分かれる可能性があると思う。   他方、大学のキャンパスの中では、近年また「教え無用/教書無用」という思想が流行ってきている(もう一種の「無駄論」)。その意味は、大学で教育しても(個人に対して)何の役も立たない、それより研究ファンドを申請して採択されれば偉くなる、或いはSCI論文をたくさん書けば、その本人に非常に役立つという考えで、それらを支持する体制になってしまっている。これでは、大学では講義をするのが最も意味のない、もしくはやるべきではない仕事として見られるようになってしまった。   その故、数多くの大学の教員が講義に行きたくない、講義に行っても責任を持って行わない、質の高い講義をしない。そして、「研究」という名目で、一生懸命に実験室の外で活動する。例えば研究ファンドの申請が許可されるように誰かに賄賂などをするとか(しなければ、申請は無理と皆に知られている)、人間関係、人筋、人脈などのために、時間と金銭を費やしていると言われている。   正直に言えば、今の大学の教員の大半は自分のことばかりに「忙しくて」大学生に近付かない、いわば大学生に人間的なケアを与える暇がない。彼らは「研究リッチ」、「IF点数」の深い沼に落ちてしまい、「教育」にほとんど気が入らない。このような状況だから、今日のおかしな大学生を養成した責任の一端は、大学の教員にもあると言わざるを得ない。結局、大学生が大学教育問題の最大の犠牲者であり、大学の教育機能が無用化されていると言える。   ある調査によると、数多くの教師の講義は、責任を持ってするのではなく、ただ任務を負うために行っていることが多い。講義が終わったらすぐ教室から消えてしまい、学生たちに人間的なケアはもちろん、付き合う時間もほとんどない。これも勉強をしに大学に来ている学生数が減ってきた原因の一つと言われている。高校までは、試験指向の教育(毎日練習、宿題ばかり)、大学に来たら教師の(講義での)お喋りだけで、すなわち先生と学生が、人として付き合うことはない!中国の最近の大学生の勉強、生活の環境は、あまりにも可哀想だ。この様な状況で育った学生(人間)が、今までの人間と違うのは当たり前のことではないだろうか?人間的なケア(親及び先生、それから社会によるケア)をあまり享受したことがないため、学生は独立した思考と学習能力が欠如しており、反面自己主張が強い。職業及びキャリアを選択する際に、自信と競争意識が弱く、盲目的に周りの人を見て流れに身を任せることしかできない。   場合によって、教室はあたかも牧草地となり、教壇で先生は一生懸命に喋っているけれども、聴講生の中には無関心で、好きなことをやっている人が多い。チャットをしたり、寝たり、食べたり、飲んだり、出たり入ったりして、後ろの方ではカップルが抱き合っていたりする場面がよく見られる。教師たちが責任を持って、これらの行為を阻止するべきなのに、黙認してきたために、教室が教室ではなくなってしまった。(つづく) --------------------------------------------------- <奇 錦峰(キ・キンホウ) Qi Jinfeng>内モンゴル出身。2002年東京医科歯科大学より医学博士号を取得。専門は現代薬理学、現在は中国広州中医薬大学の薬理学教授。SGRA会員。 --------------------------------------------------- 2014年12月17日配信
  • 2014.12.17

    エッセイ442:李 鋼哲「日中関係は本当に最悪なのか?」

    金沢市内のホテルで、去る12月7日(日)に標記のテーマでシンポジウムが開かれた。24年前に設立された環日本海国際学術交流協会が主催したものである。2年以上途絶えた日中首脳会談で日中関係が「最悪」という世論に日本国民が当惑するなか、実態の日中関係はそこまで悪くないというメッセージを市民に発信する試みであった。10月に私がこの協会の理事として提案し開催にこぎつけた。経済貿易、環境協力、人的交流の3つの分野から日中両国間の実情について報告し、活発な議論が交わされた。 幸い、11月10日に安倍晋三首相が北京で開催されたAPEC首脳会議へ参加したことをきっかけに、中国の習近平主席との2年半ぶりの首脳会談が実現し、凍り付いていた首脳外交が再開された。そのお陰でこのシンポジウムが意図した趣旨と内容が市民に受け入れやすい雰囲気になったように見受けられた。   それに先立ち、11月7日に筆者はNHK国際放送局の電話インタビューを受けた。今度北京でのAPEC首脳会議の際に日中首脳会談が実現するか、そして首脳会談ではどのような事が議論されるか、という問題に3分間中国語で答えた。実は数日前からNHKの要望で発言を準備していたのだが、日中首脳会談が実現されるかどうかは予測できない状況であった。それでも日中両国がおかれている現状や国際情勢を分析し、大胆に発言することを決めた。インタビュー収録が放送される予定は午後6:00~6:15時だったが、幸いなことに、その数分前に日中首脳会談が決まったというニュースがラジオで流れた。ある意味ではラッキーだった。 その発言要旨を簡略に紹介する。   今度、日中首脳会談が実現される可能性は大きいと思います。最近の動静を見ると、APEC首脳会合を成功裏に開催することにより、中国の存在感を世界にアピールすることを目標に、中国政府は積極的な準備を進めているように見受けられます。 中国にとっては、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に参加できない現状を考えると、APEC機能強化やアジア太平洋自由貿易構想(FTAAP)を強く訴えることが、この地域における米国との駆け引きの重要なポイントだと、私は考えています。しかし、米国と競争するためにも日中関係が硬直したままでは、中国にとって不利になることは明らかです。福田元首相が最近訪中した際にも習近平国家主席と会談しましたが、そのときに習氏の発言では、アジア地域協力が重要であることを強調しているのです。アジア地域協力において、中国側にとって最も役立つ国は日本にほかなりません。 一方、日中間では歴史認識問題や領土問題がネックであり、打開される見込みは立っていませんが、両国の領土問題の議論も山場を超えて、冷静に議論する段階に入りつつあり、歴史認識問題でも安倍首相が今年8月15日に靖国神社参拝を見送ったことで、中国などに一歩譲歩したと中国政府は判断しているでしょう。 以上の状況から見ると、中国首脳が日本首脳と会談することで中国国内世論に強く反対される可能性は低くなりました。最近、中国国務院政策研究室の局長などが20日間ほど日本全国を視察し、帰国後の報告書「日中両国の発展格差を深刻に認識すべき」という長編論文を「人民論壇」で発表し、日本は先進的な文明国であり、中国はまだまだ日本に勉強することがたくさんあると強く訴えました。これも日中政治対話のための世論形成の一つだと見受けられます。   以上は、インタビューの概要だが、本題に戻って「日中関係は本当に最悪なのか?」について、シンポジウムでの報告内容を簡潔に取り上げる。   その前に、日本国民は日中関係についてどのように感じているのかについて紹介しよう。内閣府が11月23日に発表した「外交に関する世論調査」で、中国に「親しみを感じない」と回答した人が80.7%(前年比0.1ポイント増)となり、昭和53(1978)年の調査開始以来、過去最高となったことが分かった。韓国への親近感も低く、日本と両国との最近の関係冷え込みを反映した結果となった。日中関係について「良好だと思わない」は91.0%だった。中国で反日デモが相次いだ昨年の調査(92.8%)に次ぐ過去2番目の高さだった。 このようなデーターが発表されると、その影響で日本国民の対中国感情はさらに悪化するのではないかと危惧する。世論が世論を呼び、実態とはかけ離れた対中国観が日本で蔓延しているのである。また、中国での世論調査結果を見ても日本と似たような情況にある。 一方で、今年の中国人の日本観光客は過去最高(1-10月で200万人を突破)を記録していると報道されている。日本にとって最大の貿易依存度の国は紛れもなく中国である。日本企業の対中国投資が今年減少したと言っても、2万3千社の日系企業が中国市場でビジネスを展開しているし、撤退する企業はわずかである。また、日系企業で働く中国人従業員は1千万人を超えている。日中関係が「最悪」という状況と、実際の関係がここまで相互浸透している実態をどのように見るべきか。 私のシンポジウムでの発言趣旨を紹介する。   21世紀に入ったここ十数年間、日中韓関係は摩擦が漸増してきた。これは、戦後の枠組みを変える大きな転換期に入っていることを示す。戦後長く維持されてきた「特殊な関係」としての日中関係、日韓関係は、21世紀における脱戦後的な「普通の関係」に転換しつつある。 日中関係の構造転換の全体的な原因は、小泉政権時の東アジア外交に示されている日本の政治システムの転換、中国の経済力や軍事力の急成長、日米同盟の強化、日中摩擦の激化、などである。日中関係をめぐる国際環境が変わり、また日本と中国の位置づけと立場が変わり(GDPで見た国力の逆転)、両国の摩擦度が「友好協力」の要素を超えたからである。かつての「友好協力」の背景は、世界第2の先進国になって心に余裕がある「強い日本」と、改革・開放政策で経済発展が至上命題で、そしてそのために謙虚に日本の先進的な技術と経験に学びたい「弱い中国」であった。 しかし、そのような立場が逆転したのである。「失われた20年」で「自信喪失の日本」、急速な高度成長で着実に大国に浮上した「驕る中国」という構図になった。一方では、このような立場の逆転に心の準備ができずに「アジアの盟主」という意識が抜けない日本、他方では、大国の地位は回復したものの、まだ発展途上国の地位から脱却できていない「驕り」と「弱者意識」または「被害者意識」が交錯する中国がある。これが日中両国の葛藤が生じやすい「不可避な歴史的な過渡期」としての現実だと筆者は考えている。 しかしながら、現代の国家間関係を判断する上で、古典的な外交関係の思考から「新思考」に頭を切り換えないと我々は思考停止に陥ってしまう。21世紀における経済のグローバル化の深化に伴い、国境の壁が低くなり、国家間の関係および外交は、古典的な政府中心の「一元的外交」から、現代的な政府、財界、地方自治体、NGO(NPO)など民間も含めた「多元的外交」時代に転換しつつある現実をしっかり把握しなければならない。 従って、国家間の関係を判断する上で、視点またはパラダイムを転換しなくてはならない。つまり、政府間関係、あるいは首脳間関係だけに着目して国家間関係の全体を判断するのは時代錯誤にほかならない。 日中関係を見る上でも同様であり、首脳間関係、政府間関係、そして経済・文化・人的な交流関係(企業、自治体、NGO)など総合的な視点が不可欠である。そのような視点で見た日中交流関係の実体については次の機会に報告する。   --------------------------------- <李 鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu> 1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研究、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書に『東アジア共同体に向けて――新しいアジア人意識の確立』(2005日本講演)、その他論文やコラム多数。 ---------------------------------   2014年12月17日配信
  • 2014.12.10

    エッセイ441:奇 錦峰「憂慮すべき現在の中国大学生(その6)」

    「憂慮すべき現在の中国の大学生(その1)」 「憂慮すべき現在の中国の大学生(その2)」 「憂慮すべき現在の中国の大学生(その3)」 「憂慮すべき現在の中国の大学生(その4)」 「憂慮すべき現在の中国の大学生(その5)」   次は小、中、高校の責任 今の大学生達の著しい人間性の欠如の理由の一つは、人間社会での共存能力がとても低いことによると思われる。他の人とうまく交流できない。人間関係、つまり同級生、同寮生、同校生との関係が希薄なことは、恐らく史上まれなことと思われる。 今の大学生達が大学に入る前の12年間の小、中、高校教育の段階では、面倒を見てくれている両親や祖父祖母以外の他人と付き合うのは、たぶん講義中のクラスメートだけであり(例えば食事を一緒に作って食べるとか修学旅行など、講義以外の集団活動は、中国の小、中、高校では殆どない)、本当の社会的な人付き合いということをまだ知らないのだ。しかも唯一朝晩付き合ってきた親たちは世話、譲歩、溺愛……つまり子供にサービスするだけなので、いわば王子様、王女様ばかりを育成してきた。小、中、高校においては、このような人間で構成されたクラスを、責任を持って指導しなければならないのだが、問題に気づきながらも教科書を教えることのみに力を尽くす。責任を感じて躾をしようとした一部の教師は、生徒に罵倒され、殴られたり、酷いことに殺されたりすることもあったのだ。 大学で寮生活を始めると、高校時代まで続いていた試験の圧力がなくなり、教師や父母の監視からも遠く離れ、突然、彼らは人生の解放感を抱き、初めて束縛されない自由の楽しさを謳歌できることを知るのだ。しかし彼らが分かっていないのは、これは解放ではなく、大人になって自己コントロールが必要な人生が始まるということである。ここを理解せず、無秩序に行動し始める。丁度この時期に、いろいろな誘惑(唯物的な誘い、セクシュアリティ……)で溢れた現代社会の中に放り出され、彼らは人間の動物的本能の力に勝つことが出来ず、本能のまま生きる。そのため、小、中、高校の教育は子供に何を教えたのか?という疑問が生じる。この時期の教育は、生き残ることばかりを教え、真面目な人間になることを教えなかったと言える。 大学の責任 中国の大学には問題がたくさんあるけれど、大学教育と関係のあることについて列挙する。 1. 大学生募集の「大躍進」vs 学生の質の大暴落 4年間連続して大規模な大学生の募集拡大をした結果、2002年に中国の大学教育の大衆化(国連の定義では、大学の入学生数が、入学可能である年齢の人口の15%に達すると、大学レベルの教育が大衆化に達成したと言う)が、国家の「十・五」(第10回の5年経済目標)目標期日である2010年より8年も早く実現した(17%に到達した)。このスピードは、同じ期間中の国の経済成長率よりはるかに高いものであった。しかし逆に、この教育「大躍進」が国内外の厳しい批判を受けることになった、例えば「科学的合理性の欠如の大躍進」だとか、「人類文明の規律違反」「大学教育の軽蔑」などと言われている。 2006年の第3回中外大学学長フォーラムの際に、米国スタンフォード大学学長ジョン•ヘネシー博士は、「盲目的に大学募集人数を拡大することは、特にトップクラスの大学には、教育の質に影響を与える。なぜならば、短期間に優秀な教師を十分に確保することができないから」と率直に批判している。 この批判は事実と合致している。中国の大学が募集した学生数は爆発的に拡大したが、一方教師数をあまり増やさなかったため(学生の数が20~30倍も増加したのに、教員の数は平均2倍も増加しなかった)、教師と学生の比率が極端な数値になってしまった(一説には、教師1人に学生30人)。しかも教師の素質の向上に力を十分入れなかった結果、ハイレベルのエリートや、学術チームのリーダーとしての優秀な人材が著しく不足してしまったことは、誰でも知っている事実となった。また大学教員の国際化率も非常に低く、全国的に外国人教師の割合は1%未満となっている。 さらに、国全体のGDPを重んじる管理システムが大学教育管理にも流れ込み、大学教育が、あたかも前例のない産業化の道へ滑り込み、大学精神が衰退、学術的倫理観を失い、アカデミックな雰囲気を一変させ、商売重視の方向へ進み始めてしまった。 1998年から始まった大学の合併、昇格(専科大学が総合大学にアップグレード)、新設などの大学「大躍進」は、1950年代末にあった中国の経済「大躍進」とあまり変わらないと言われている。現在中国全土に2000校を超える大学があり、世界で大学数が一番多い国になっている。人口が多い上に大学への入学率が高いため、中国は今や2500万人以上の大学生を有し、毎年700万人以上の卒業生が大学から排出されている(統計年鑑によると、中国では、毎年1000万人近くの若者が大学受験をし、700万人が入学する)。今や中国は、何処もかしこも大学生の時代になった!中国の大学教育は質を犠牲にしてまで、数量を増やし、国民の教育レベルを高めることを目指したが、実際には逆の結果を得たと言われている。 中国の大学教育の質に対しては数多くの評価と解釈があるが、そのほとんどが、大学のハードウェア及びソフトウェアの建設の確立が、大学教育の規模の急速な拡大(大学生募集の大躍進と大学規模の無限の拡張)及び大学教育の資金調達問題の解決に追いつかないため、中国の高等教育の質の管理に大きな影響を与えたと指摘している。 2006年のオンライン世論調査では、35 %の回答者が「大学では、役に立つことをあまり学ぶことはできなかった」と遺憾の意を示した。面白いことに、これは「知識の低下」または「勉強無用」を意味するものではなく、大学は無くてはならないけれども、あっても役に立たない今日の大学教育を批判していることになる。 さらに学部学生だけではなく大学院生の募集も最近20年の間に11倍も増加し、毎年20万人が大学院に入学する(毎年100万人以上の大学生が受験する)。しかし高学歴の氾濫のため、「大学院生の質の低下」が顕著で、大学院生の雇用が著しく困難になっている。例えば2013年には、大学生の就職率が30%、大学院生の就職率が25%であった。一方、皮肉なことは数多くの企業の工場が非常に深刻な人手不足問題に直面しているが、労働者をいくら募集しても応募する人がいない状況にある。何故こんなことが発生するのか?その理由は単純だ。大学卒業生の多くは肉体労働をしたくない。工場での収入が少ないのももう一つの理由らしい。結局、これも高等教育の大衆化によるものと思う。そのため、今の大学生達がはっきり認識していることは、卒業はイコール失学、イコール失業ということだ。 2. 中国の大学の授業料は世界一高い? 中国の大学では、1988年から授業料の徴収を開始し(最初は試しとして200元/年)、1995年には800元になり、2005年には急に6000元まで上昇した。一方、同期間における都市住民の一人当たりの年間所得は、4倍増加、物価要因を控除した後では、2.3倍の実質の成長であった。すなわち、大学の授業料は20年間で、25倍も増加し、一人当たりの年間所得よりは10倍も伸びたことになる。中国はこの20年間、「世界レベル」の大学を構築しようとしてきたが、実際はまだ世界トップクラスの大学を作ることができず、一方で「世界トップクラス」授業料をすでに始めたと言える。 都市及び農村の一般住民が教育経費の激増に耐えられなくなり、教育の社会的格差調整の役割も果たせなくなってしまった。今は知識の時代で、教育が受けられないと貧乏な人はさらに貧しくなる。もし「貧困の罠」に落ちてしまうと、自分自身を救い出すことができなくなる。社会の各階級の間のコミュニケーションと相互連絡がブロックされると、階級対立及び衝突の可能性が高くなると危惧される。 高価か、安価かを判断するためには、相対的な購買力を配慮しなければ比較できない。2005年6月1日「オリエンタルモーニングポスト」に、中国系アメリカ人の学者薛涌氏が「一人当たりのGDP は中国、米国、日本でそれぞれ1,000ドル、36,000ドル、31,000ドル」であると書いている。つまり米国と日本は中国の36倍と31倍だった。薛氏によれば、日本の大学の授業料は、世界でも高い方らしい(日本の高い方を年間11万中国元に仮定し、一人当たりGDPの比でこの11万元を計算すると中国の3550元に相当すると書いている)が、この数字を「支払い能力」という観点から見ると、大学授業料が中国の方が日本よりも3倍高くなるという。さらに実際の費用を全部計算すると、授業料は6000元、宿泊代、食事代を合わせると10000元以上は普通である、8億人の農民の年間一人当たりの収入が3000元(2008年前後)であることを考えると、比較にならないと言う事実を忘れないでほしい(あるマスコミによると、2013年には農家年間一人当たりの収入が8896元まで上がったというが)。 昨今、このような各階級の間の目詰まりが発生した。中国「大学教育の公平問題についての研究」の報告は、「高学歴の増加に連れて、都市と農村との間のギャップが徐々に拡大している」と指摘している。都市では高等学校、専門学校、専科、大学、大学院の学歴を持っている人の割合は、農村の人口の3.5倍、16.5倍、55.5倍、281.55倍、323倍である。低投資、高授業料が引き起こした不正競争は、社会的紛争の発火点になりつつある。学費が高い、有用な知識が習得できない、卒業したら就職不可能……。こんな大学が若者たちに憎まれるのは当たり前だと言わざるを得ない。(つづく) --------------------------------------------------- <奇 錦峰(キ・キンホウ) Qi Jinfeng> 内モンゴル出身。2002年東京医科歯科大学より医学博士号を取得。専門は現代薬理学、現在は中国広州中医薬大学の薬理学教授。SGRA会員。 --------------------------------------------------- 2014年12月10日配信
  • 2014.12.10

    エッセイ440:謝 志海「カジノ法案のゆくえ」

    9月末に始まった国会は、開始早々から閣僚の相次ぐ辞任などにより、法案審議が遅れた。その中で、遂に審議を断念した案件に統合型リゾート(IR)推進法案(カジノ法案)がある。安倍首相も経済成長戦略の一環と考え、カジノを解禁にするかどうか、またカジノを含む総合エンターテイメント施設の建設と整備を進めるか、この審議については国会だけが盛り上がっていて、国民は冷ややか、もしくは興味を持っていないという見方をしているメディアや有識者が多い。   日本にはすでに公営賭博(公営競技すなわち、競馬、競輪、競艇、オートレース)やパチンコがさかんではないかというのが、日本在住の外国人ジャーナリストの視点で、日本に暮らす外国人も同じ見解だろう。特に、パチンコ•パチスロは約20兆円産業というのは有名な話だ。カジノ法案について議論する際、賛成派も反対派もこのすでにある公営競技については触れず、統合型リゾートの建設は外国からの観光客を呼び込める素晴らしい施設となり、日本国民の雇用も増えるなど、壮大だが具体性に欠けた内容で、経済効果うんぬんと言われても日本国民にはカジノの必要性は伝わらないのかもしれない。   ではカジノ合法化において、地域振興や経済効果などを試算する経済学者たちはどう予測しているかというと、カジノ収益は予測できても、ギャンブル依存症の程度、有害性における社会的費用は試算が困難であるとしている。ここでも公営競技とカジノ法案は切り離されている。日本には公営競技やパチンコの依存者がどのくらいいて、どのような犠牲があるか統計サンプルが取れそうなものなのに。カジノ法案を巡っては、カジノ利用に関し、シンガポールや韓国のように国民と観光客を区別するかどうかも論点だが、すでにいるギャンブル好きの日本人がどの程度、カジノに流入するのかさえも推計されていない。   日本政府としては一体どのようなカジノリゾートを目指しているのだろう?安倍首相は今年シンガポールのカジノへ視察に行かれたそうだし、国会議員らもマリーナ•ベイ•サンズへ押し掛けているということは、その辺りを目指しているのか。しかし、アジアにはすでにいくつものカジノリゾートがある。今更後追いしても日本にカジノ目当ての観光客は来るのだろうか。少なくともアジアに今あるカジノとは差別化した方が良い気がする。   もし日本が本気で持続可能なIRを目指すのなら、ハリウッド映画が参考になるかもしれない。近年、ラスベガスが舞台の映画では、ラスベガスはもはやカジノの為の場所として描かれていない。単に気晴らし、バカ騒ぎしに行く所という設定だ。現在のラスベガスはカジノ無しでも楽しめる仕組みが随所にちりばめられている。例えば、ラスベガスでしか観られない大物歌手のコンサートやショー。各ホテルは集客の為、部屋のインテリア、ビュッフェの食事に工夫をこらし、全米や世界で話題のレストランも出店させる。ニューヨークやロサンゼルスで有名なナイトクラブも入っている。これらのエンターテイメント目当てで来た人がカジノもちょっとしてみるかという流れになっている。コンベンション施設もしっかり整っているのでビジネスで来ている人も多い。多様な目的の人が集まり、一大ショービジネスタウンとなっている。無論、このようなオープンで安全なイメージを維持すべくラスベガスにはカジノ場だけでなく至る所に監視カメラが設置されていて、おそらくアメリカ人はその存在に気付いているから、無茶をしないのであるが。   日本にラスベガスを作ることを勧める訳では無いが、海外のカジノの好例、悪例をもっともっと研究し、日本に合う持続可能なカジノ施設を含むIRを具体的に示し、何より日本国民から同意を得られる施設を目指す事に注力すべきだ。国際観光業での経済利益を狙うだけではIR実現そのものがギャンブルになってしまう。   ----------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 -----------------------------   2014年12月10日配信