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エッセイ503:グロリア・ユー・ヤン「ノマドの二都物語」

(『私の日本留学』シリーズ#4)
 
◆グロリア・ユー・ヤン「ノマドの二都物語」
 
「どこから来たどのような人が日曜日朝5時にJRに乗るか。そして何をしにどこに行くのだろう」。
私は本を読むふりをしながら新宿行きの電車を観察していた。手元の本は、井上章一の新書「京都ぎらい」。
 
これは実に妙な本だ。今まで読んできた京都関連の本は、主に季節、源氏物語、伝統、「和のこころ」をテーマにして、
抹茶、祇園、寺、町屋という「古都コンビニセット」を売り尽くすほかに、「番茶はいかが」や「一見さんお断り」など「イケズ」のネタを「京特産」に作り上げている。そして、「イケズ」について、ほとんどは「分析」や「批判」と名乗り、実際にはただ礼賛し、また神秘化させるだけだ。その流れの中に、淡々と自分の痛みを取り上げ、鋭く「イケズ」と思われる社会の構造と本質を真剣に深く追求するこの作は、実に異色である。そして、堂々と京都への憧れと大衆メディアの売り上げとの利害関係を明らかにするという勇気も素晴らしい。
 
「へえ・・・」ある京都人は、微笑みながらさりげなく質問を投げた。「(井上さん)嵯峨に生まれ、宇治に住んでいて、そして桂で働いているに?」嵐山(嵯峨)や桂離宮(桂)など京都の名勝として聞き慣れている人にとって、この質問の意図はさっぱりわからないかもしれないが、京都に住んだことある人は、これはすでに討伐の旗を揚げたことだという。井上さんは本の冒頭に嵯峨の昔話を始め、「洛中洛外」の意味、「洛中」の優越意識と「洛外」への差別などわかりやすく詳しく述べている。ここでは省略するが、一言でいうと、「京都人じゃないくせに、京のことなんか話にならん」ということだ。
 
去年まで京都で2年間暮らしていた。その前に日本に何度か来て、横浜にも住んだことがあったから、日本に慣れていると自信を持っていた。が、京都では、かなりショックを受けた。食べ物、言葉遣い、風俗習慣、人間関係、すべてが違う。ここは日本じゃない。ここは新しい世界だ。いや、むしろ本に載ってない昔のままかもしれない。京町屋のおとなしい出格子から、細く暗く奥深い裏にイケズのビッグボスが待っている恐怖がうすうす透けて光っている。
 
おもてなしとイケズのズレは、京都の特産ではない。商品として造られた見せ場としての観光空間が地元の社会関係の現場である生活空間と一致しないことは、世界中で繁栄している観光地の共通点である。表と裏の二重構造も、あらゆる事物の中に存在する。例えば、中世に、日本寺院建築は細長の部材でも大きな屋根を支えられるようになった。その秘密は、屋根の裏に桔木を入れ、それで屋根の重量を分散する野小屋という構造だ。目に見えないが、屋根の尾垂木の裏側に釘痕があることから、裏に桔木が繋がっていることがわかる。同じように、いかに錯綜しても表と裏は必ずどこかでつながっている。表から裏への通り庭を見通すのは、研究者の訓練と楽しみだ。
 
自分の研究と同じ熱情で、先行研究の通読(イケズ文学と京大怠け者たち)、事例の聞き取り(噂の紅白歌合戦)、そしてイケズの路上観察など様々な試みを行ない、京都の社会と文化の暗号を解読しようと日々努力した。結論から言うと、私は京都を知り尽くしたのではなく、歴史学者を目指している私は、京都からいくつか重要なインスピレーションをもらった。一つだけ例をあげる。京都の街(観光地区以外)に個人の八百屋や定食屋はコンビニやチェーン店に完勝するぐらい点在している。お店の営業は儲けるよりただ永遠に続くことを目標としている。通っている常連客は店主と会話を弾ませながら料理やコーヒーを味わい、一緒に「時間」を過ごすのを目的としている。このようにして何十年間かが経ち、付き合いが成り立つ。世の流行に抵抗してでも個人のこだわりとお付き合いを優先する町だ。現在の自分を常に歴史の流れに置いていくという歴史学の感覚は、京都において日常生活のセンスだ。
 
だんだん見えてきて日々も楽しくなった。歴史的な考え方、素朴な生き方、地味なファッション、安くて美味しい食べ物。鴨川。下鴨神社の納涼祭。賀茂神社。雨の貴船。山紫水明。朝茶のお稽古。霧が大文字山に降りてきた出町柳橋の朝。やっと「住めば都」と感じてきて、「古都風月」の連載が取れるぐらいネタを持った時、「東下り」することになった。
 
井上さんの嵯峨話が示すように、京都人は土地に対して強い粘着力・執着心を持っている。高い建物がないからか、それとも何百年の家族が多いからかは明白でないが、京都には目に見えない地霊があると思えるぐらい人々がその生まれた土地に縛られている。そのおかげで地元の町内会は元気満々だが、地元以外のところを排斥する傾向も強い。京都対東京、そして洛中対洛外だけではなく、洛中の中にも西陣が中京と対戦している。強い郷土意識の中で育ってきた人は、地元の味が口に合うし、付き合いも優しいし、最も暮らしやすいと感じ、それを世々代々守り続ける。その故、土地柄は人を判断する「型」になる。逆に土地の「型」に嵌られない「よそさん」は、浮草のように受け入れられない。京都で最初に聞かれた質問は、「どこにお住まいですか」。二番目は、「どちらから来ましたか」。これは単なる雑談ではなく、この人の「型」を探り出す投げ石だ。
 
だから京都を去ることにした。私の郷土意識は極めて薄いからだ。小さい頃から中国の南北を転々として暮らし、大学で上京し卒業してからアメリカに留学、そこで日本語を習い、また日本にきた。海外留学の十年間、ちょうど中国の社会文化や国際環境が激変した。その結果、時代のエスカレーターに乗れなかった私は、「ふるさと」に戻っても、懐かしいよりむしろ未来の既視感がある。「昭和感覚」の持ち主と思われ「よそさん」扱いされるのも当然だ。
 
十年間無意識のうちに、中国人というアイデンティティの年輪には、様々な言語、料理のレシピ、風景や異文化の断片が刻まれてきた。そして、過去・現在・未来、生涯にわたって「On_the_Road」になるかもしれない。どこでも「よそさん」でありながら「地元人」でもある。一見すると自由の光を浴びているが、裏に孤独の影も濃い。様々な社会や文化の間に転々とする私が、京都に来てから初めてわかったのは、自分は「ノマド」であることだ。どこでも郷土ではないが、どこでも生き生きできる「ノマド」だ。京都のあらゆる風景と食べ物は懐かしいと思うが、東京に来たことは正解だ。いかに京都を愛しても、「型」で認識が固まっている土地で生きられないからだ。
 
井上さんは、京都の裏構造を社会学的なアプローチで理解しようとしている。ただの経験談や裏話ではなく、国家の教育系統や地域風土の相違など社会と歴史的な原因を探り、古都の「型」を明らかにする。「京都人じゃない」からこそ、より一層京都のことが見えるというスタンスは素晴らしい。どの社会においても、土地、職業、性別、民族などによって様々な「型」が存在する。社会に対する認識は、「型」の奥深さを追求する縦軸があれば、観察と分析によって「型」と「型」の関連性を引き出す横軸もある。さらに、「型破れ」と「型」以外の存在を理解し受け入れることによって多様性のある社会が成り立つ。多文化を越境する「ノマド」の存在は、このような共生を前提にしている。グローバル化時代にノマドが増え続け、いつか「ノマドの型」も定着するだろう。
 
日曜日の朝5時にJR電車には、仕事終わりのすっぴんキャバ嬢、目覚めてない部活の高校生、終電を逃した飲み友、カラフルな登山者、わけがわからない人などが乗っている。その人たちを見る度に感動する。どのような人もありのままで電車に乗ってお互いに気にしないことは、実に幸せだ。東京の漠然は自由と寛容を与える。美しくなくてもよい。謎だから楽しい。ここで関西弁や「古都なまり」を持ちながらまた伸び伸び成長できるように頑張ってみたい。それができると思わせるきっかけは、渥美財団とのお付き合いだ。様々なイベンドと活動で、多文化の共生する可能性を示し、ノマド同士の国際コミュニティを作り上げ、そして、広い世界に導いてくださる渥美財団に深く感謝を申し上げる。お陰様で、東京が、心のふるさとのように感じてきた。色々大変お世話になり、ホンマにありがとう!
 
<グロリア・ユー・ヤン(Gloria_Yu_Yang)楊昱>
2015年度渥美奨学生。2006年北京大学卒業。2008年からコロンビア大学大学院美術史博士課程に在籍。近現代日本建築史を専攻。2013年から2015年まで京都工芸繊維大学工芸資料館で客員研究員、2015年から東京大学大学院建築学伊藤研究室に特別研究生として、植民地満洲の建築と都市空間について博士論文を執筆。2017年5月卒業予定。
 
 
2016年8月25日配信