SGRAかわらばん

  • 2015.10.08

    エッセイ470:謝 志海「子どもとスマートフォンの関係性における大人の役割」

    最近の子どもに関する事件は、彼らが所持するスマートフォンが密接に関わっている。夏休み後半には、愛媛県で同級生に暴行を繰り返し、その画像をLINEで拡散した中学生が逮捕されるという事件があった。似たような事件が日々報道されているが、なかなか改善策が見出せずにいる。それは、スマートフォンと共に成長した子どもが大人になった状態を、我々がまだ見ていないからではないか。急速に変化する子どもたちのネット環境により、ネット上でのいじめや、被害者にも加害者にもなりうる犯罪が起きてしまうようになった。   おそらく小中学校の教育現場では最重要課題の一つであろう。しかし、どれだけ学校で先生が注意喚起しても、生徒たちのLINEのネット上でのコミュニティには入れない。また親が子どもに与えるスマートフォンにフィルタリング機能を搭載したとしても、写真や動画のアップロードは防げない。ひとたび画像や動画がネット上にあがって拡散されてしまったら、学校や親はおろか警察さえ完全に削除することはできないだろう。教育現場ではどのように対処しているのだろう。   所変わって、私の出身地である中国でも状況は同じで、子どもとスマートフォンの関係については社会問題になっている。スマートフォンを使ったLINEと同じようなアプリ、「微信」(WeChat)で友達同士いつもつながっていないと気が済まないネット依存症の若者が多い。もちろん大人も便利に使っている。フェイスブック、ツイッターが使えない国だが「微博」(Weibo)なるツイッターと極めて似た機能を持つミニブログ、前出の微信、チャットの「QQ」、ネット上で人とつながり、意見を交換する場はいくらでもある。こうなると中国も世界に負けないネット依存大国だ。そして子どもとスマートフォンの関係性だが、日本と同様、国が定めた法令はないが、各学校が、授業中はスマートフォンを先生に預ける等の対応をとっている。こちらも各学校や、教育機関の手腕が問われるところだ。   日本ではLINE上での仲間外れなど、LINEばかりが目立っているが、LINEに追いつけ追い越せで、次々と新しいアプリが開発されている。最近の学生の間での流行りはスマートフォンで撮った動画をアプリで編集し投稿することだそうだ。インターネットのスピードが早くなり、Wi-Fiへのアクセスが増えたことで、動画は(ファイルのサイズが)重いという問題が払拭された。   先日、青少年育成団体に所属する方々と話す機会があったが、スマートフォンの使用で懸念しているのは、LINEだけではなく、芸能人を起用して派手にテレビコマーシャルを打つオンラインゲーム。これは父兄の方までハマっていることもあり、子どもとゲームを引き離すことが難しく、とても困っているようだ。また、最近トラブルが多いのは、不用品を売る専門のアプリで、18歳以下は使えないなどの制限がかかっていないものがあることが問題だそうだ。すなわち、18歳以下の子どもがアプリを操作し物が売れたら、お金を手にすることが可能になってしまう。次々と開発され便利で楽しい機能満載のアプリ、我々大人の方がついていくのに精一杯で、子どもへどのくらい悪影響を及ぼすのかまで想定しきれていないのが現実かもしれない。   このまま放っておくわけにはいかない子どもとインターネットの関係性。まずは親が現状を知り、家での利用時間の制限などモラル作りをしてあげ、子ども自身が上手にスマートフォンと付き合えるようになるのが理想だろう。   学校側は、父兄へのお願いとして大人のスマートフォン利用、すなわち自身のスマートフォンとの関係をも省みて欲しいとお願いしているそうだ。これは我々にとっても耳の痛い話である。ただ我々はスマートフォンが無かった時代も良く知っているが、今の子どもはそうではないことが問題だ。ネット上での何気ないやりとりが人を傷つける凶器になったり、事件に巻き込まれるなどの恐ろしいものになり得ることを良く理解させ、子どもたちが自分の身は自分で守れるように導いてあげないといけない。     英語版はこちら ---------------------------------------------------------------------------------- <謝志海(しゃ・しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 ---------------------------------------------------------------------------------- 2015年10月8日配信  
  • 2015.10.01

    エッセイ469:白 智立「方法としての東アジアの日本研究」

    去る7月18日、東アジアの日本研究の第一線で活躍する研究者20名が一堂に会して、SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」が開催された。このフォーラムにお招きいただき、多くの研究者との議論と交流の機会を与えていただいた渥美国際交流財団、早稲田大学東アジア国際関係研究所及び早稲田大学の皆さまに心からお礼を申し上げたい。   このフォーラムでの焦点の一つとして、「方法としての日本研究」が議論された。この「方法としての日本研究」、ことさらに「方法としての『東アジアの』日本研究」について、私の日頃の考えを、ここにエッセイとしてまとめて、このフォーラムの報告に換えさせていただきたい。   「日本研究とは何か?」。日本研究を志す研究者、とりわけ中国や韓国といった東アジアの研究者にとっては、答えることが難しい問いかけである。   私だけでなく、多くの東アジアの日本研究者は、特別な想いやきっかけによって日本研究を志している。この特別な想いやきっかけがあるが故に、単純な学術研究から離れて、日本をとおして自己を見つめ、あるいは自己を再確認、再認識するという内面的、精神的な活動に向かわざるを得ないのである。自国、自民族の歴史や発展、あるいは個人の人生経験などの「自」の要素と重ね合わせ、否応無く自国の歴史・発展過程と向かい合わざるを得ない。   つまり、東アジアの研究者にとって「日本研究」は、あたかも自己や自国の在りようを深層まで映し出す「合わせ鏡」のような、自己や自国との内的な対話の一つの方法=「方法としての日本研究」となるのである。   このような考え方は、言うまでもなく東アジアの近隣という地理的な限定、そして近代以来の歴史の複雑な展開を土台にして生まれたものである。   具体的には、日本は明治時代以降、他の東アジアに先駆けて近代化を達成し、戦争の時期を経て、戦後の平和的発展期から今日に至って、欧米諸国に並ぶ経済・社会の発展を遂げた。     この明治以降の日本の近代化の過程は、今日でもなお、身近な東アジアとの相互関係の上に成り立っている。その意味で、東アジアの日本研究は、日本研究であると同時に、東アジア研究であり東アジア諸国の「自国研究」であり、東アジアの日本研究者は無意識のうちに「方法としての日本研究」を繰り広げているのである。   「方法としての日本研究」は純粋な日本研究ではない、との危惧や批判は当然存在する。しかしながら、一人の研究者、一人の人間として日本という研究対象に向かい合い、自他混合と紙一重となるような思索の緊張を保ち続ける中で、自己の精神を磨き、自己の精神を再形成して行く過程を無価値として見過ごすことはできない。こうした思索の緊張関係と自己省察は、学術的な日本研究以上に、予期せぬ結果が得られると考えられるのである。   方法としての東アジアの日本研究の、自己の精神形成という側面を強調する時、研究者は必然的に、過去の被害者歴史と対面せざるを得ない。すなわち、東アジアの最大の課題である「歴史の和解」そのものに直面せざるを得ないのである。   和解は、謝罪による加害者側の自らの心の救済であると同時に、被害者側の心の救済とならなければならない。このリアルな課題に直面し、その解決を模索する時、方法としての東アジアの日本研究の知的蓄積と研究者個人個人の内面的省察が大きな糧となり手がかりになるのではないだろうか。   東アジアの日本研究者は、自国との相互関係性を視野に入れて思索するため、東アジアの日本研究は東アジア研究にシフトすることになる。これは言うまでもなく、東アジア全体を包み込む視点であり、その思索は、前述の歴史の和解の先の、東アジアの知の共同体、ひいては東アジア共同体へと飛躍して行く。   方法としての東アジアの日本研究は、日本の西欧近代化の所産である。依然近代化の過程にある中国にとっては、今後の自国の近代化の展開を探求する上で、いち早く近代化を達成した日本との対話を重ねて行くことが不可欠である。その意味で、「方法としての日本研究」は未だに現実味を失ってはおらず、今後の東アジア、アジア、世界を考える上で、一層その重要性を増していると言えるであろう。   さらに「資本主義の終焉」が語られる今日、すでに近代化の諸過程を歩み終え、大きな転換点にある日本には、ポスト近代の、新しい文明の創造に向けて邁進することが期待されているからである。   日本研究ないし東アジアの日本研究は、これからも重要性を失うことはないであろう。   しかし、東アジアの日本研究に緊張感を持たせ続けるためには、「方法としての日本研究」をさらに一歩進めた「方法としての東アジア研究」にいかにアプローチするか、が一つのポイントとなる。   「方法としての日本研究」を進化させた「方法としての東アジア研究」を価値あるものとして認めるならば、そして東アジアの知の共同体を指向するのであれば、これまでの無意識的な方法から意識的な方法へと昇華し、さらに精緻化し、体系化し、共有する努力がこれからの東アジアの日本研究者に求められるであろう。   英語版はこちら --------------------------------------------------------------------------------- <白 智立(はく ちりつ)Bai Zhili> 北京大学政府管理学院副教授・北京大学日本研究センター副院長。1997年法政大学博士課程修了。政治学博士。 ---------------------------------------------------------------------------------     第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」報告は、ここからご覧いただけます。   2015年10月1日配信
  • 2015.09.24

    エッセイ468:太田美行「電話ボックス」

    近頃日々困っている。「これでいいのかニッポン」とつぶやきたくなるくらいだ。何かというと公衆電話の話である。携帯電話の普及による公衆電話の減少は著しく、平成14年度の584,162台から25年度には195,514台にまで減っている(出典:総務省『情報通信白書』)。公衆電話が減っているという事は電話ボックスも減っているはずで、ある程度はやむを得まい。しかし私は電話ボックスを減らさないでほしいと思う類の人間だ。いや、それどころか増やしてほしいとすら思っている。それは災害時や高齢者のためだけでなく、もっと現代的な理由からだ。   LINEの利用が増えたとしても電話をかける機会は明らかに増えている。それに伴い、私たちが騒音に対していっそう鈍感になったように思えてならない。街中で、建物の中で、電話はいつでもかかってくるし、またかけてもいる。「電車内での通話はご遠慮下さい」とよく聞くが、では代わりの場所は用意されているのだろうか。騒々しい駅のホームではもちろん無理だ。道の真ん中で? いや端でだってうるさくて無理だろう。街中でなくても、住宅街の道でも、危険はある。今度は静か過ぎるから辺りに話の内容が筒抜けなのだ。電話だと対面の会話と違って声が大きくなるためで、自宅にいて通行人の携帯電話の会話をうるさく感じることもしばしばだ。   では建物の中では? ビルのロビーは音がよく響く。そんな所で何かの予約や、商品の取り置き依頼をしたり(最近は美容院であろうがデパートであろうが、ほぼ確実に「ではお名前をフルネームで仰って下さい」と言われる)、自分の携帯電話の番号やクレームを言ったりはしたくないのである。周囲の人にも迷惑だ。だからといって建物の人気がない所、は危険だ。このご時世、警備員が出てきたりしかねない。そもそも「関係者以外の立ち入りを禁じます」とある中にどうして入ることができよう(入ってるけど)。そんな時こそ電話ボックスは、その秘めたる価値を顕わにする。   騒音は一定程度遮られ、透明で周囲の様子もわかる電話用の個室。そこで電話をしても何ら怪しい事はない。そういう訳で私は公衆電話でなく、携帯電話で話すために電話ボックスをよく利用している。傍から見るとおかしいらしく、道行く人に笑われたこともある。しかしそれが何だというのであろう。電話のための空間で電話をする。何も間違ってはいない。笑う人たちは音のマナーに鈍感なのだ。ああ気の毒に。   昔の映画によく登場する、また今でも高級ホテルのロビーで見かける電話室。そのために電話ボックスを増やしたい。電話ボックス復活は今やマナー改善、ひいては人間尊重につながる大事な手段なのである。   英語版はこちら ------------------------------------------------------------------------------------ <太田美行(おおた・みゆき)>東京都出身。中央大学大学院 総合政策研究科修士課程修了。シンクタンク、日本語教育、流通、コンサルティングなどを経て2012年より渥美国際交流財団に勤務。著書に「多文化社会に向けたハードとソフトの動き」桂木隆夫(編)『ことばと共生』第8章(三元社)2003年。 ------------------------------------------------------------------------------------   2015年9月24日配信
  • 2015.09.04

    エッセイ467:謝 志海「ドローンの行く末」

    このところ、世界情勢の様々な事が深刻で、目が離せない。ギリシャ経済危機、テロ組織ISをはじめアジアでは中国の株価暴落、日本は集団的自衛権をめぐる安保法案についてなど。どれもが先の見通しが予見しづらい上に、明日には状況が大きく変わっているかもしれないと思うと、朝、起きてから一日中ニュースを追う事になる日々だ。そしてつくづく感じるのは国際関係、経済、政治、外交など、全てが繋がっているということ。自分の専門分野を超えて研究と分析をし続けなければいけない。   そんな変わりゆく世界情勢を追いかけ整理するのに忙しいさなか、興味深い記事を拾い読みした。ニューズウィーク日本版7月14日号の半ページほどの小さな記事「ドローンが目障りでも撃ち落としちゃダメ」。アメリカでドローンを飛ばしていた人、それを銃で撃ち落とした人の話だ。小型ドローンの普及はおどろくほど速く、それに伴う法整備が追いつかないという。この記事でも自分の実家(米カリフォルニア州)で小型ドローンを飛ばしていたら、隣人にそのドローンを銃で撃たれ墜落したというエピソードから始まる。撃ち落とした人はCIAの監視用ドローンだと思ったのだそうだ。これは訴訟問題に発展し、ドローンを飛ばした人はどうにか損害賠償を勝ち取ったそうだ。   自分の家の上空にドローンが飛来していたら?そのようなことはつい最近まで考える必要はなかったはず。日本の首相官邸の屋根にもドローンが着地していた事件が話題になったことにより、日本でも自分の家の窓を開けたらドローンがいたらどうしよう、と一瞬ではあっても意識する生活がはじまった。そう、これはもうアメリカ上空だけの懸念ではない。前出の記事では、ドローンが他人の敷地を飛行するのは不法侵入に当たるのかどうかについて、この解釈は曖昧になるであろうと懸念している。確かに家と家の間には垣根などの境界があるが、上空何メートルまでを境界とし、どこからを違法とするのかとなると難しい。個別の事例に対処していく課程で法整備は進むだろうとしているが、事例が起こってからではなく、早急に法整備した方が良いのではないかという別のドローンのニュースが飛び込んできた。   このニューズウィークの記事に前後して、なんと銃を発砲するドローンが浮遊している映像がユーチューブ(YouTube)にアップされたというのだ。テレビのニュースによると、そのようなドローンを飛ばしたのはアメリカのまだ10代の大学生だそうだ。利便性や人を危険から守る為に作られたはずのドローンがあらぬ方向へ動き出している。皮肉にも、法整備もままならないうちに世界中に飛び交ってしまっているドローンは、あたかも空に国境はないのだよと言っているようだ。   研究の合間に読んだこのドローンの記事は、まるで私に自分の専門分野だけにとどまらず、常に広い視野を持って研究をしなさいと示唆しているようだ。そして私はこれからドローンの行く末も見守り続けなければならない。     英語版エッセイはこちら   --------------------------------------------------- <謝 志海(しゃ しかい) Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 ---------------------------------------------------   2015年9月3日配信
  • 2015.07.16

    エッセイ466:劉 傑「『日本研究』を『アジアの公共知』に」

    日中韓の東アジア三国は歴史認識と領土問題をめぐって、70年代以来の難局に直面している。アジアインフラ投資銀行がいよいよ創設されるなか、金融を梃子にした経済提携が期待される一方、日本は中国が主導する同機構の透明性と公正性に懐疑的で、慎重な姿勢を崩していない。終戦から70年が経過するが、アジアにおける「信」の欠如は、政治的関係を著しく後退させ、国民感情にも暗い陰を落としている。長期的に安定した地域関係を構築するために、信賴の醸成は不可欠であるが、その前提条件は、共有できる「知」を編み出すことである。この重責を担う各国の知識人に求められているのは、国境を越える「知」の「公共空間」を構築することである。   歴史の束縛から解放されていない東アジアにおいて、地域研究としての「中国研究」「日本研究」及び「韓国研究」の諸分野で、「公共空間」を形成することは極めて難しい。各国がそれぞれのコンテクストの中で他地域を研究している現状は、憂慮すべきことである。各国が描く他国のイメージと当該国の自己認識との間に大きなズレが生じている。例えば、中国と韓国の研究者がもっている日本の近代史像と、日本人研究者がもっているそれとの距離は、この30年間で拡大の一途を辿った。中国研究への傾斜が顕著な今、東アジアにおける日本研究の停滞は、この地域の国際関係に大きな影響を及ぼしている。   問題は先ず日本側にある。そもそも日本のアジア研究から日本研究が排除されたことで、日本の日本研究は「日本的空間」のなかに閉じ込められた。このことが世界の日本研究に与えた影響は大きく、日本の「独自性」が特別に強調される結果をもたらした。しかし、19世紀以来のアジアの歩みには、戦争と革命はいうまでもなく、社会・経済の近代化や文化の伝達と発展など、どの分野からみても、日本が深く関わってきたことは一目瞭然である。日本研究の視野を広げ、アジア研究のなかに踏み込まなければ、本当の意味の日本研究は成り立たない。   一方、中国や韓国の日本研究のあり方にも大きな問題がある。中国についていえば、清末から中華民国時代にかけて大量の留学生が日本、アメリカそしてヨーロッパに渡ったが、彼らが追い求めたのは、中国を近代国家に進化させる道筋であった。彼らは中国の歴史から近代化のさまたげとなるものをえぐり出し、中国の歴史、思想、文化などを西洋の近代的な学問体系を用いて再解釈することに力を入れた。半面、中国の知識人は日本経由で近代の「知」の概念を貪欲に吸収しながらも、日本や欧米に対する研究には大きな関心を示さなかった。そのため、中国には本当の意味の「日本学」も「アジア学」も確立しなかった。   1980年から始まった第二波の留学ブームもこの伝統を継承した。文系を専攻とする留学生の学問的関心は相変わらず、中国近代史、中国政治、中国社会、中国経済などに集中し、日本研究を志すものは比較的少なかった。日本の教育研究機関における中国研究は大変充実しており、留学生に恵まれた環境を提供した。日本には戦前から内藤湖南や狩野直喜らがリードする「支那学」の伝統があり、戦後は「中国学」に継承された。1947年に設立された東方学会は、民間の学術団体として、日本のアジア学の発展と東方諸国の文化の進展に貢献することを目的に活動し続けている。また、アジア政経学会に集まる研究者の大半は中国研究に従事する研究者である。留学生の受け入れに積極的な日本の大学は、中国や韓国の日本研究者をどのように育成していくのか、喫緊な課題である。   東アジアの歴史和解を実現するとともに、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するには、「公共知」の力が求められる。日本研究をこのような「公共知」に育成することの意味は無視できない。近代日本はアジア諸国と複雑な関係を歩んできた。日本が経験した成功と失敗をアジア全体が共有する財産に昇華させることは、歴史を乗り越えることでもある。また、戦後の日本はアジアのどの国よりも、環境問題、高齢化問題、エネルギー問題、自然災害などの問題をたくさん経験し、多くの知見を蓄積してきた。これらの経験をアジア共有の財産に育て上げることの意味はいうまでもない。アジアが求めている現代日本学は、失敗と成功の2つの側面からの「日本経験」に他ならない。   それでは、「アジアの公共知」としての「日本研究」をどのように創成していくのだろうか。   第一は、歴史を乗り越えることである。そのための第一歩は、中国の「国史」と日本の「国史」、韓国の「国史」を対話させることである。「国史」研究者同士の交流は共有するアジア史につながり、日本のアジア研究に日本研究を取り入れる環境整備にもなる。   第二は、日本が中心になって日本研究のプラットフォームを形成し、これをアジアの公共財に育成することである。日本には日本研究に必要な資源がもっとも集中している。「日本文化」だけではなく、人文科学と社会科学の融合を目指した日本研究の拠点が必要である。これは多方面の提携協力が必要であるが、既存の研究環境の活用から着手することが重要であろう。   第三は、情報の共有を目指すことである。「アジア歴史資料センター」という試みは、世界の日本研究に大きな貢献をしている。歴史資料だけではなく、今まで蓄積された日本の「日本研究」の成果を、多言語に翻訳し、多様な型式で発信する事業も重要であろう。   第四は、アジアにおける日本研究ネットワークの構築である。各国には日本研究の組織が多数存在するものの、国際的な連携を図る仕掛けは存在しない。ネットワークと共同研究の場の形成に向けて、日本はハブ機能とリーダーシップを発揮しなければならない。   英語版はこちら   ----------------------------------------------- <劉 傑(りゅう けつ)Liu Jie> 早稲田大学社会科学総合学術院教授、博士(文学)。専門は近代日本政治外交史、近代日中関係史、現代日中関係論。北京外国語大学を経て、1982年に来日。1993年東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。1996年4月より早稲田大学社会科学部に勤務。コロンビア大学客員研究員、朝日新聞アジアネットワーク客員研究員などを歴任。著書に『日中戦争下の外交』(吉川弘文館、1995年)、『中国人の歴史観』(文藝春秋 文春新書、1999年)、『漢奸裁判―対日協力者を襲った運命』(中央公論新社 中公新書、2000年)、共著に『国境を越える歴史認識』(東京大学出版会、2006年)、『新華僑老華僑』(文春新書、2008年)、『1945年の歴史認識』(東京大学出版会、2009年)など。 -----------------------------------------------   *本文は、2015年7月18日に開催する第49回SGRAフォーラム「日本研究の新しいパラダイムを求めて」の問題提起として書かれたものを著者のご同意を得て、SGRAかわらばんで配信します。     2015年7月16日配信
  • 2015.07.09

    エッセイ465:ダヴィド ゴギナシュヴィリ「イデオロギーをめぐる考え」

    ~「どんな人が一番嫌い?」という質問から得られた示唆~   ある飲み会で、「どんな人が一番嫌い?」 と聞かれた。「〇〇主義者」が一番嫌いだと心の中で思ったが、そう答えても、相手が理解してくれないだろうと考えたため、反論を招かないように無難な回答をさがして、誰もが共感するであろう「裏表のある人が嫌いだ」という答えを選んだ。   理解してもらえないだろうと思った理由は、相手が日本人であり、私とは全く違うバックグラウンドを持っていたからである。私は、長い間様々な「〇〇主義者」によって苦しめられてきたジョージアという国で生まれ育ったのだが、そのような経験をしていない人間にとって「〇〇主義者が嫌いだ」というような発言は、すんなりと理解できないのは当然であろう。   ここで、そのように答えたかった私の気持ちの背景、この質問が私に提起した問題、そしてそこから導いた結論を説明したいと思う。   私が子供だった頃は共産主義者が人々の自由を抑圧しており、ソ連崩壊後は過激主義者と分離主義者、そしてその分離主義者を後押ししていた隣国(ロシア)の帝国主義者がジョージアを分断しようとしていたことが記憶に刻まれている。一方で、国を守ろうとしていた愛国主義者(彼らは私の憧れであった)もいた。ただし、その愛国主義者の中でも健全な愛国主義と偏狭な民族主義を区別できず、イデオロギーの名の下で内戦に火をつける人も多かった。そういった「〇〇主義者」と呼称されていた人たちのせいで私の国は政治・経済的な危機、そして戦争に直面してしまった。当時の混乱は、私と同じ世代のジョージア人なら誰もがよく覚えているはずだ。   21世紀に入ると、ジョージアは様々な改革を実施し、著しい発展を成し遂げたが、「〇〇主義者」によって痛めつけられた傷は未だ国中に強く影響を残している。   大学生になって海外留学や海外旅行をしていたら、ジョージアでは見たこともない様々な類の「〇〇主義者」に出会った。   例えば、アメリカの南部では白人至上主義者に襲われそうになったり(幸いに、私がコーカス地域出身である、すなわち、英語で白人の人種を意味する「コーカソイド」であると認められ、白くはない肌にもかかわらず見逃してくれた)、オーストリアのウィーン郊外のバスでは、ネオナチ主義者とトルコ人の殴り合いに巻き込まれそうになったり(何とか逃げ出すことができた)もした。また、ある時は、ネパールのカトマンズのレストランで、私が共産主義の悪口を言っていたせいでレストランを出た途端に、その話を聞いていた共産党毛沢東主義者の店員とその仲間に絡まれたこともある(幸いにも話し合いで問題を解決できた)。   一方で、上述の人々とは違う、非暴力的な平和主義者の類の人々にも会ったこともあるが、当然そうした「〇〇主義者」に対しては決して嫌悪を感じない。しかし、残念ながら平和主義のようなイデオロギーは極めて観念的、かつ非現実的な思想に基づいており、暴力的な現実から目をそらすことによって、むしろ間接的に悪の繁栄を促進しているのではないかという疑問が生じる。イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルが書き残したように、「悪人が成功を遂げるために必要なたった一つのことは、善人が黙視し、何もしないことである」(注)   まさに現代の世界では、いわゆるジハード主義者のボコ・ハラムやイスラム主義者の組織と呼ばれるISILが拡大し続けているし、または神政主義者と言われているジョゼフ・コニーが未だに子供を誘拐して、少年兵として利用している。このような事態を許している主な原因の一つには、国際社会がそれらの被害者の叫び声に十分に耳を傾けていないことである。   この21世紀においても人間は、宗教またはイデオロギーの名の下に、心の中にある悪を養い、人道に対する罪まで犯している。それにもかかわらず、この悪を阻止できるはずのアクターは、利己主義または平和主義の名の下で介入を回避しているという現実に鑑みると、「〇〇主義者が嫌いだ」という私の答えはもはや不自然ではないだろう。   しかし、上述の問題を生み出している原因をイデオロギーや宗教に求めるという考えは完全に間違っている。イデオロギーや宗教は、憎しみが生まれ育ちやすい周囲の教育や社会環境が存在する条件下において、偏狭な考えしか持ち合わせない人々により「憎しみを養うためのツール」として利用されているに過ぎない。つまり、問題の根源は人間の心の中に潜んでいる憎しみであり、その感情に対してはいかなる餌も与えてはいけないのだ。   以上のような考察を経た後で、「〇〇主義者が嫌いだ」という私自身の意見をもう一度よく考えてみると、私が間違っていたことに気がつく。つまり「嫌いだ」とずっと思い続けていたことこそが間違っていたのではないか。なぜなら憎しみは「さらなる憎しみ」しか生み出さないからである。   *筆者の訳。原文は下記の通りである:"Bad men need nothing more to compass their ends, than that good men should look on and do nothing". 出所:Mill, John Stuart, Inaugural Address Delivered to the University of St. Andrews, London: Longmans, Green, Reader, and Dyer, 1867, p. 36.   <ダヴィッド ゴギナシュビリ David Goginashvili> 渥美国際交流財団2014年度奨学生 グルジア出身。慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程。2008年文部科学省奨学生として来日。研究領域は国際政治、日本のODA研究。   2015年7月9日配信
  • 2015.07.02

    エッセイ464:謝 志海「どうなる地方創生」

    地方創生はうまくいっているのだろうか?具体的には何をしているのだろうか?ぱっと頭に浮かぶのはゆるキャラ、町おこしのプロモーションビデオ。しかしこれだけで、都心に住む人が地方都市をどれほど知ることができるのか?行ってみたいと思う人はいるのだろうか?実際に地方都市の人口は増えているのだろうか? もちろん地方創生は地方だけの問題ではない、国の問題だ。政府は「まち・ひと・しごと創生本部」を設置していて、各府省庁はそれぞれの視点で地方創生の策を練っている。   例えば、総務省は地方へ若者の人口流入を促すべく、「地域おこし協力隊」として移住政策を推進している。移住先でローカルの仕事を斡旋する仕組みや、住居なども整えてあげている。あるいはその土地で起業する人への財政支援もしている。これらは大体1~3年という期間が設けられているところが多いが、約6割の人が任期終了後も同じ地域に定住しているそうだ。しかも若い人が多い(平成25年6月末時点。まち・ひと・しごと創生本部資料より)。 すでに実績も出ていて、素晴らしいプロジェクトだと思う。一方で有識者会議によるCCRC(Continuing Care Retirement Community)構想も発表されている。これは東京圏をはじめ大都市の高齢者が、本人の希望に即して地方に移り住むことを支援するというもの(まち・ひと・しごと創生本部資料より)。 こちらのすごい点は、移住した後の生活まで支援体制を整えているところで、引き続き健康でアクティブな生活を送れること、後に医療や介護が必要になった時の為の体制も確保することを目指している。定年後は首都圏から離れて穏やかに過ごしたいが、その術がわからずイマイチ踏み出せない、という人にチャンスを与えることができるはずだ。   このような素晴らしい地方創生のプログラムがたくさんありながら、都市部と地方には大きなギャップがあると感じるのはどうしてだろう。現在私は地方都市に住んでいて、東京には時々仕事で行くぐらいだ。この往復で思うのは、東京と地方の温度差(気候ではない)が未だに大きいこと。東京はやはりエネルギッシュな都会だ。オリンピックを5年後に控え、観光客で賑わい、衰えることを知らない感じがする。他方、地元にいると地方創生をしようという雰囲気は特に感じられない。   政府が地方の活性化にどんなにいいプログラムを策定しても効果はそれほど上がらない。やはり、元からいる住民がその土地で楽しく暮らし、住民たちの手で広め、呼び込むことが大事なのではないだろうか。例えば、東京の広告代理店に頼んで、地元活性化のプロモーションビデオを作ってもらって、YouTubeにアップロードして終わりでは、結局お金が東京の会社に支払われるだけで本末転倒になってしまう。プログラムを作った分だけ地元に還元されるべきだろう。地元の人々が、政府が用意してくれた様々な地方創生プログラム案をその土地に合うようにカスタマイズし、運用していく所から活性化していくのではないだろうか。実際、すでに地方創生が盛んな地域とそうでない地域の差が出始めている。地方創生がうまくいっている地域は、東京からのアクセスが良くなかったりする。ということは、きっとその地方の人々の努力の賜物だろうと私は勝手に推測している。   これから地方創生に求められるのはスピード感ではないだろうか。人口減少必至の日本、乗り遅れると一気に過疎化してしまうのでは?と心配になる。町が生き生きとするかどうかは、地元に住んでいる人が自ら動き出すかどうかによるのではないだろうか。     英語版はこちら -------------------------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 --------------------------------------------   2015年7月2日配信  
  • 2015.06.25

    エッセイ463:蔡 炅勳「隣の幽霊の金縛り」

    日本のホラー映画が世界的に有名であることに異論のある人はあまりいないだろう。最近では少し停滞しているが、一時期『リング』や『呪怨』のような日本のホラー映画が外国で注目を集め、ついにハリウッド映画でリメイクされることにもなった。『リング』の場合は、韓国でもリメイクされ、『リング』に出た幽霊の貞子は、長い間人々の話題となっていた。ホラー映画は、他ジャンルの映画に比べて好き嫌いがはっきりと分かれ、観客層が限られている。そのため、映画ランキングの第1位を占めるのは容易ではない。正確な記憶ではないが、『リング』や『呪怨』も 映画ランキング1位を占めたことはなかったと思う。にもかかわらず、それらの映画をはじめ、日本のホラー映画が注目を浴びたのには何か特別な理由があるのだろう。   その理由の一つとして、私は日本映画に出てくる幽霊のそれぞれの存在理由が、主人公に劣らず詳しく描かれ、物語がより豊かになっているからだと言いたい。幽霊の存在感を浮き彫りにするこのような傾向は、他者を眺める日本人の視線に関係があると思う。字数が限られおり、また映画の批評でもないため、複雑な話は省略したいが、重要なことは、幽霊や怪物がこの社会の他者を形象化した存在であり、日本のホラー映画の幽霊は他者としての強力な存在根拠を持ち、主人公に決して避けられない恐怖を与えるのだ。   映画のみならず、アニメーション、漫画、小説、ビデオゲームなど、日本の大衆文化の中には幽霊や妖怪や怪物のような異質の存在がしばしば登場する。これらは通常、恐ろしくてグロテスクだが、時には『隣のトトロ』のように親しみやすく、『ポケットモンスター』のように可愛く、そして『うる星やつら』のように人間と大きく変わらない存在としても出てくる。もしかすると、日本人の中に、主流の特定宗教がなく、唯一神の信仰が定着していないこととも関係があるのかもしれない。また、八百万の神を祀っているという話のように、あまりにも多くの異質の存在が到る所にいるからかもしれない。私はこのような日本文化の特徴の中に、現代人に求められる人間的な価値や美徳の大きな可能性があると思う。   前述したように、幽霊、妖怪、怪物のような異質のものは、その社会の他者の形状を通じて生まれた、つまり他者化された存在である。すべての他者がそのようなものではないのだが、ほとんどの他者は、個人にとっても社会においても脅威の存在とみなされる。そのため、他者は追放されるか封印されるべき存在であり、社会追放と封印の過程を経て、全体性の中に整然と統合される。中世の魔女狩りが共同体の構成員の同質性を回復し、共同体の存立のためになされる他者化の代表的な例であろう。我ら人間は、このような他者の犠牲のおかげで自分の世界を維持することができたのだ。そして、魔女狩りは現在も続いている。   しかし、現代社会は他者に関する新たな視点と理解を求めている。特に、様々な人々が国境を越えて自由に移動し、コミュニケーションをとっている現代社会で、他者とのコミュニケーションはますます重要な問題となっている。2年前のOECDの調査報告書でも、移住の問題は、宗教、民族、人種などが幅広く関連しているため、現代社会の中で最も重要な問題の一つだと指摘されている。激しい宗教紛争、民族問題、人種差別、領土紛争などが起きている今日、自分に代表される同一者と他者との葛藤は、もはや従来の認識論的体系では解決不可能の状態にある。これまでの同一者中心の欧米のロゴス的認識体系では、他者とのコミュニケーションに限界があることを知り、他者に関する新たな模索を試み、他者を他者本来の位置に戻そうとしている。   他者も皆それぞれの歴史を持ち、自分なりの物語を持つ。それを私たちが判断し、評価を下すことはできない。そもそもそのような権利さえない。他者は他者として、幽霊は幽霊として、妖怪は妖怪として存在しなければならない。また何よりも、私たち自身も幽霊の姿をしている他者であることを覚えておかなければならない。このようなことから、私は他者との共存可能性の糸口が日本の文化の中にあると思うのだ。ハリウッド映画の優しいモンスターは常に人間の味方で人間のために戦い、ある意味では、神のような特別な存在である。一方、日本の怪物は日常の中で生きながら人々と付き合い、時には葛藤したり、喧嘩したりして共存する存在として登場する。もちろん、最終的には物語の主人公の世界観や社会の一般常識によって異質性が評価され、統合されてしまう限界はあるが、怪物を怪物として、幽霊を幽霊として認識し、受け入れようとする試みが見られるのが日本の大衆文化の特徴だと思われる。   八百万の神を祀っていることは、一方で八百万以上の犠牲になった他者(即ち幽霊や妖怪や怪物のような異質のもの)が存在していると考えることもできるかもしれない。その分、他者を徹底的に排除してきたとも言えるが、同時に幽霊や怪物は、すでに消えた他者を記憶して哀悼する方法でもある。実際に私たちの社会は他者の犠牲によって存立しているが、すでに忘れ去られて幽霊や怪物にもならなかった無数の犠牲者がいたことも忘れてはいけない。他者を少しでも多く、より長い間覚えて悼もうとするために、八百万にも達する神を祀っているのかもしれない。このように考えて、私は日本文化に他者とのコミュニケーションの取り方の可能性を見るのである。   しかしながら、現代の日本社会は、本来日本文化の中に存在しているはずの「異質なものをそのまま受け入れる」力が失われてしまっているのではないだろうか。現代の日本社会は、他者に関する想像力が非常に低いようにみえる。この問題は、自分自身も鬼の姿をしている他者でもあるということを認めようとしていないためではないだろうか。「おもてなし」に代表される他人への配慮は、むしろ他者に向かって自分のことを隠して他者の視線から避ける行為のように見える。他人のことを先に考え自分のことを譲るのも、他者に対する配慮ではなく、他者との衝突を避ける卑怯な行為のようにも見える。日本人は他者を認めようと努力はしているが、自分自身が異質の存在として他者の位置に置かれることは恐れているようだ。しかし、自分もまた他者として、他者の生を規定し、規定されるのは、あまりにも当然のことで、避けることは絶対に不可能なのである。   ということで、他者の怖い目つきに堪えなければいけない。恐怖そのものであるけれども、私たちは他者という異質の存在に直面しなければならない。これがエマニュエル・レヴィナスの話した他者に向かう無限の責任であり、他者に対する倫理ではないだろうか。『リング』の貞子がテレビの画面を突き抜けて私たちの前に顕現することをちゃんと見つめ、『ステキな金縛り』の武士の幽霊と一緒に過去の真実を裁判所で証言しなければならない。他者との出会いで葛藤は避けられないが、重要なことは、葛藤と向き合うことによって他者に一歩近づくことができるということであり、それはまた、他者の金縛りになった我らを自ら解放させることなのである。   ------------------------------ <蔡炅勳(チェ・キョンフン)Che Kyounghun> 韓国外国語大学校卒業、東国大学校大学院文学修士号取得。映画評論家として活動。2010年来日。現在、東京芸術大学大学院映像研究科博士後期課程映像メディア学博士号候補者。実験映画監督として作品活動。研究テーマは、他者性を基にして記憶と空間の問題を扱い、在日韓国・朝鮮人の映画的な表象と映画の中の風景との関係を研究している。論文のタイトルは、『風景として現われた在日朝鮮人-映画的な記憶と在日朝鮮人の表象』。 ------------------------------   2015年6月25日配信  
  • 2015.06.18

    エッセイ462:胡 艶紅「『迷信』をめぐって」

    2006年に来日してから、あっという間に8年が経ちました。日本に留学した感想については、様々な面から述べることができますが、私は日本で民俗学を専攻しましたので、民俗学を勉強してからの自分自身の変化や感想を述べたいと思います。   日本に来て民俗学を選んだ時には、衣食住などの習俗に関する面白いことを研究する学問としか考えていませんでした。ところが、研究生として筑波大学で民俗学専門のゼミに参加してみると、ゼミでよく議論されていたのは、衣食住などの習俗ではなく、人々の日常生活に関わる民間信仰でした。しかし、中国で無神論の教育を受けてきた私にとって、ゼミで聞いた信仰の話は体系的な宗教ではなく、中国で「迷信」と呼ばれるものでした。   日本に来る前までは「迷信」に対して強い抵抗がありました。私が大学一年生の時、祖母が癌に罹りました。病院で治療しても治らなかったので、祖母は大金を惜しまず、儀式を行って病気を治療する民間の宗教職能者に頼もうとしました。当時、無神論の教育を受けていた私はそれに大反対しました。お金を無駄にするということが理由の一つでしたが、自分の家族がこうした「迷信」的な行為をすることをとても恥ずかしく思ったということもありました。結局、宗教職能者が招かれ、儀式が行われました。その日、本来ならベッドで横になっていた祖母を看護すべきだったのですが、私は祖母に対して不満の言葉を吐いて、家を出てしまいました。そのため、祖母の心を傷つけてしまいました。間もなく、祖母の病気は重くなり、そして亡くなりました。   そのようなことから、こうした「迷信」が日本民俗学で議論され、研究されるほどの価値が一体どこにあるのか、当時は疑問を持ち、自分が選んだ道に対して戸惑いも覚ました。しかし、柳田國男が唱える民俗学の目的の一つに、人々の心意現象を明らかにすることがあるのを知り、約2年にわたる民俗学の勉強を経て、私は民俗学に対する理解を深め、こうした「迷信」を研究する価値も徐々に理解していきました。つまり、「迷信」の背後には、人々の考えや思いが潜んでおり、そこから地域の深層文化を読み取れるということです。これは文化研究に対して大きな意義を持っています。文化の差異の最も根底にあるのは、人々の考えや思いです。こうした認識を持つことにより、私の修士論文のテーマも飲食文化から水神信仰に変りました。   日本で「迷信」について勉強して、日本人や日本文化に対する理解が深まりました。同時に、こうした「迷信」に関する研究にも興味を持つようになりました。一方、中国における「迷信」をめぐる事情についても考え始めました。すると、もう一つの疑問が浮かび上がりました。それは、私の周りにも私の家族にも「迷信」への関わりが頻繁に見られるにも拘らず、なぜ私は、以前はそれに対して強い抵抗があり、全く関心を持つことがなかったのだろうか。なぜこうした有意義な研究が中国であまり行われていないのだろうか。私は、こうした疑問を持って博士課程に進学し、「迷信」による行動を盛んにとっている中国の漁民を研究対象として選びました。   研究の過程で、私は「迷信」的な行動を盛んにとる中国の漁民の考え方を次第に理解できるようになりました。なぜ私が当初「迷信」に対して強い抵抗があったのかもよくわかるようになってきました。そして、臨終の祖母の心を理解できず、不満の言葉を吐いた当時の私を思い出して、後悔の気持ちでいっぱいになりました。   日本での留学を通して、様々な収穫がありましたが、最も大きな収穫は、むしろこうした日本人・日本文化を理解することによって、自分自身、自国の制度や文化を見直せたことだと考えています。   -------------------------------------------------- <胡 艶紅(こ・えんこう)Hu Yanhong> 2006年来日。2010年3月筑波大学人文社会科学研究科 国際地域専攻修士課程修了。同年4月同研究科 歴史・人類学専攻一貫制博士課程編入、2015年7月同課程修了見込み。専門は、東アジア歴史民俗学。主要論文「現代中国における漁民信仰の変容」(『現代民俗学』4)。 --------------------------------------------------   2015年6月18日配信
  • 2015.06.12

    エッセイ461:金 兌希「日韓関係の変化について」

    2012年8月、イ・ミョンバク前大統領の竹島訪問があった一週間を私はとてもよく憶えています。この時期、三つの出来事がありました。イ・ミョンバク前大統領の竹島訪問と天皇への謝罪要求発言、そしてロンドンオリンピックにおける男子サッカーの日韓戦で韓国の選手が「竹島は韓国の領土である」と記載されたプラカードを掲げた事件です。そしてこの時を境に、韓国に対する日本の報道、そして世論が大きく変わったと感じました。その変わりようがあまりにも早くて、非常に驚いたのを今でもよく憶えています。その後、日韓関係は急速に冷え込み、今日に至っています。   よく、イ・ミョンバク前大統領の竹島訪問などの一連の出来事がなかったら、日韓関係は今のようにはならなかったのではと尋ねられることがありますが、私の考えは違います。私は日韓が今日抱えている問題の根本的な原因はずっと前から存在していたもので、イ・ミョンバク前大統領の竹島訪問は一つの契機に過ぎなかったと思っています。また、それぞれの国に対する世論において、より大きく変化したのは韓国ではなく、日本であるように思います。   なぜならば、韓国の世論が歴史問題で日本政府に対して批判的な態度をとってきたのは、大韓民国の建国以来続いてきたことであり、近年に始まったことではありません。ただ、日本で韓流ブームが始まる前は、日本における韓国のプレゼンスはそれほど大きくなく、韓国内の情報もそれほど日本のメディアに流れることはありませんでした。1990年代まで、韓国はNIES諸国と呼ばれ、IMF経済危機まで経験し、経済的にも影響力が弱かったのです。   しかし、2000年代に入って、韓流ブーム、サムソンなどの企業の国際的台頭、インターネットメディアの発達により状況は変わりました。経済レベルでも、民間レベルでも、韓国に対する関心は大きく高まり、同時に韓国に対する情報量も一挙に増えました。経済的・文化的交流が大幅に増え、韓国のプレゼンスが日本国内で高まった時期だったように思います。   その結果、韓国世論がどれほど歴史問題について対立的な態度をとっているか、改めて多くの人が知ることになりました。日本は既に「戦後70年」ですが、韓国では戦前の植民地時代の問題が解決していないと認識している割合が高いように思います。このような両国内の歴史問題に対する「時差」は、日韓両国の関係が深まるにつれ、いずれは衝突を起こす潜在的な要因だったのです。   両国の対韓・対日感情を改善するためには、色々な方策が考えられます。例えば政府レベルでの外交関係を改善する、経済レベルでの協力を緊密にする、民間レベルの交流を増やすなどがあります。しかし、それらは必ずしも世論を改善することにはつながりません。根本的な改善のためには、互いの交流以前に両国内で歴史問題や両国関係に関する成熟した議論が必要ではないかと思います。   韓国では、日韓問題について、国内の議論が成熟していない部分があります。特に歴史問題は非常にデリケートで、多様な議論が充分満足に行われているとは言い難いのではないかと思います。そのため、どうすれば歴史問題を終結させ日韓関係を改善することができるのか、という議論も明確にまとまっていないように思います。例えば、日本に対する要求に関しても(謝罪など)、具体的な中身については韓国国内ですら意見の食い違いがみられます。まず韓国では、日韓問題について多様な議論を自由に行える土台を作る必要があります。また歴史問題の解決を日本の出方に任せるのではなく、どうすれば歴史問題を終結させることができるのか、韓国は自らが主体となって冷静に議論し答えを出していく努力が必要です。   一方で、日本は、韓国が歴史問題をどのように認識しているのか、どのような「時差」が日韓の間に生じているのか、理解する必要があるのではないかと思います。また、今日の日本では、憲法改正の可能性も高まっており、安全保障の問題において歴史的な変化の時期を迎えようとしています。同時に、歴史に対する見方、外交政策の方針などにおいても変化の時期に入っているように思います。これらが今後の国の在り方を決めるにあたって、基礎となる非常に重要な問題であることは言うまでもないことです。これらの議論を政治レベルに一任するのではなく、市民レベルにおいても十分な議論を行う必要があるのではないかと思います。また、韓国との関係が悪化したことで、嫌韓デモや在日韓国人に対するヘイトスピーチなどが行われることがありました。これは、日韓の外交問題が契機となって表面化したことかも知れませんが、あくまで日本国内の問題です。国籍や人種をもとにした差別や暴力は、韓国に対してだけでなく、他のマイノリティーにも今後広がる可能性は十分にあります。国際化の推進や、海外からの労働力導入を検討している今、多様化した社会で起こりうる差別とどう向き合っていくか、考えていく必要があるのではないかと思います。   *対韓国意識の変化については、内閣府世論調査などをご参照ください。   英語版エッセイはこちら   ---------------------------------------- 金 兌希(きむ・てひ)Kim Taehee 慶應義塾大学法学研究科助教。延世大学政治外交学科卒、慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程修了、同大学院博士課程単位取得退学(2015 年)。現在博士論文の提出を準備中。専門は、投票行動、政治参加、市民意識の国際比較など。 -----------------------------------------   2015年6月12日配信