SGRAエッセイ

  • 2023.08.03

    エッセイ744:李鋼哲「キャリアと天職」

    大学のゼミに「キャリア・デザイン」という科目が設置された。その意味すら分からなかったので、担当することになった時に『大学生のためのキャリア・デザイン入門』を購入し、勉強した。「働き方、社会活動と生き方に繋がりをつけ、自分の人生の中でどう働き、どう社会活動をしていくかを考え、計画し実行するのがキャリア・デザイン」とある。職業人生に焦点を当てているので、学生たちに「将来就きたい仕事について」レポートを書かせた。以前、「人生100歳時代をどう生きるか」のテーマを出し、各自パワーポイントを作って発表させたこともある。今回も学生たちはいろいろな資料を調べて、それについて自分の考え方を発表した。   しかし、私は日本の学校教育において何か欠けているのではないか、といつも考えている。日本の小中高校教育に携わったことがないので、どのように教育を受けたのかは個人面談などを通じて推測するしかない。何が欠けているだろう?30数年間日本に住み観察しているが、日本の教育は「サラリーマン」を育てるのが主な役割のようだ。もちろん、社会が成り立つためには大勢のサラリーマンが必要であろう。それを進めているのが「キャリア・デザイン」かな、と思う。しかし、それでは物足りないのではないか。   その答えを韓国人の友人のエッセイに見つけた。昨年12月、「世界平和フォーラム」からフィリピンに招待された時、私の講演の姿をイラストに描いて私に見せてくれたので一緒に写真を撮り、その後も日本と韓国で2回お会いした方である。建設現場で日雇いの仕事をしていると聞いてびっくりした。現場で働く労働者を直に観察しながら、人間や社会の深層を探求し、イラストで表現して社会に訴えている。それ自体が素晴らしい生き方だと私は感心するばかり。   友人が送ってくれた韓国の新聞に掲載されたというエッセイを読んでひらめいた。人間の職は3種類あるという。1つ目はジョブ(Job)で、生存するための仕事。2つ目はキャリアで、会社や社会で自分の才能や技能を十分に発揮できる仕事。そして、3つ目のコーリング(Calling)が「天職」である。日本に来てから「学校の教師は職業なのか、それとも天職なのか」という議論を聞いたことがあったが、「天職」についてそれ以上のことは知らなかった。ましてや「コーリング」とは何か、辞書で調べた。「呼ぶこと、叫び、点呼、召集、天職、(神の)お召し、職業、強い衝動、欲求、性向」。   さらに、チャットGPTに「天職またはコーリングについてどう解釈しますか?」と聞くと、「天職またはコーリングは、個人が自身の生き方や仕事において本質的な目的や使命感を感じることを指します。それは単なる職業や仕事以上のものであり、個人の価値観や情熱と深く結びついています・・・」。この答えに大変満足した。中国の聖人孔子の言葉「五十にして天命を知る」に通じる。私も50歳で「天命」を知ることになったと考えている。   先週、大学の講義の前に、学生たちに「3つの職業」について話した。まず「キャリアとは何ですか」と質問を投げかけて学生の答えを聞いた後に、説明した。学生たちは目を丸くしていたので、全員の学生が初めて聞く話であることが分かった。   世間でよく言われる「日本の教育は学生に夢を抱くように教えない」、「日本の教育には哲学がない」、などの議論を考えると、学生には「職業」や「キャリア」だけではなく、「天職」についても教えるべきではないか。崇高な理想や夢をもって「Job」をこなし、「キャリア」を磨くような教育が必要ではないか?   自分の人生を振り返ると、小学生の時には「全世界に共産主義を実現し」、「世界の無産階級(プロレタリアート)の解放のために」勉強し、人生を頑張るという教育を受けていた。幼いころは、まじめにそれを受け止めていた。もちろん、今考えるとそれは「共産主義のイデオロギー教育」となって否定的に捉えることが多い。しかし、全人類の幸せのために頑張る人生観を身に着けるという意味では、今の「持続可能な開発目標(SDGs)」と通ずるところがあるのではないか。昨年、渥美財団関口グローバル研究会(SGRA)のフォーラムでも取り上げたように「誰一人残さない」というスローガンと、「良き地球市民」とは一致するのではないか?渥美財団との出会いは、私にとってはもう一つの「コーリング」に目覚めた機会だったと思っている。   その目標を、共産主義を通じて実現するのか、資本主義を通じて実現するのか、あるいは「第三の道」で実現するのかについて人々はそれぞれの考え方を持ってはいるだろうが、「誰一人残さない」というスローガンは立派なものであり、それをもって自分の人生観を育んでいたら、人類社会はどんなに素晴らしい社会になるだろう。   学校での教えで立派な夢を見て育ったが、いざ社会人になった私は、貧しい農村で如何に生存するかが重要な課題になってしまい、その貧しさから脱却するために4年間も農業労働をしながら受験し、「死ぬほど」勉強して、8億中国人民が憧れる首都北京の大学生になり、人生が180度転換した。大学では共産主義の教育を受け、率先して共産党員になり「全世界で共産主義を実現するために終生奮闘する」と党旗の前で宣誓した。   その後、北京で大学院に入り大学の先生になった。1989年の天安門広場での学生デモに参加して、政治改革を呼びかける学生を声援したが、それが武力により無慈悲に鎮圧されるのを見て、共産党や共産主義の理想に幻滅し、職を放棄し、資本主義で自由な国日本への留学を決意した。   目標や夢のないまま、そしてお金もなく裸一貫で日本に来て、10年間も「就学生」や「留学生」という在留資格を持ってアルバイトで生計を立てながら放浪していた。大学院まで卒業し大学の先生にまでなっていた私は、日本で学ぶ目標もなかった。何かのきっかけを見つけたかったかも知れないが、そんなに簡単には行かないのが現実だった。   日本語学校を経て、ビザを延期するためには日本の大学院に行かざるを得ない。大学院では国際経済学を学んだが、たまたま「図們江地域の国際開発構想」(「とまんこう」と呼ぶが、朝鮮半島では「豆満江」:どぅまんかんと呼ぶ)という研究テーマ(国連UNDPが関わる開発プロジェクトで、中国、北朝鮮とロシア参加国国境地帯を共同で開発する構想)に出会った。この地域の中国側は私の故郷であり、私はたまたま中国語と韓国語(朝鮮語)をマスターし、中国の大学院ではロシア語を独学していたので「この研究はライフワーク」と確信した。その時、天職(calling)という言葉は知らなかった。   東京の大学などでこの研究をする人はほとんどおらず、修士の指導先生からは「李君、そのようなテーマを研究しても日本では飯を食えないよ」と言われた。それでも私は諦めず、この研究に突き進んでいた。その後、素晴らしい出会いがあり、人生の転機を迎え、東京財団で「東北アジア開発銀行設立構想」について研究する研究プロジェクトの一員になり、当時の小泉純一郎首相へ政策提言した。「キャリア」としての人生が始まった。内閣府の国策シンクタンク総合研究開発機構(NIRA)の研究員にもなり、「東北アジアの未来を構想する」様々なプロジェクトに携わった。そして、大学の教員として「東北アジア経済」などを教えることになる。   3年前に一般社団法人・東北アジア未来構想研究所(INAF)を有志たちと設立し、将来はシンクタンクとして、この地域に平和と繁栄が実現することを目指して、生涯をかけて頑張ろうと決意している。結局、この研究と活動が私の「天職」なのかもしれない。     英語版はこちら     <李鋼哲(り・こうてつ)LI Kotetsu> 1985年北京の中央民族大学業後、大学院を経て北京の大学で教鞭を執る。91年来日、立教大学大学院経済学研究科博士課程単位修得済み中退後、2001年より東京財団、名古屋大学国際経済動態研究所、内閣府傘下総合研究開発機構(NIRA)を経て、06年11月より北陸大学で教鞭を執る。2020年10月1日に一般社団法人・東北亜未来構想研究所(INAF)を有志たちと共に創設し所長を務め、日中韓+朝露蒙など多言語能力を生かして、東北アジア地域に関する研究・交流活動に情熱を燃やしている。SGRA研究員および「構想アジア」チームの代表。近著に『アジア共同体の創成プロセス』、その他書籍・論文や新聞コラム・エッセイ多数。     2023年8月3日配信
  • 2023.07.27

    エッセイ743:葉文昌「日本酒と紹興酒について」

    2018年ごろだろうか、渥美財団関口グローバル研究会からこれまで台湾でやっていた日台フォーラムを島根でやってくれないかという打診が来た。自分の分野ならフォーラムをやっても良いかと思ったが、文系メンバーが圧倒的に多い関口グローバル研究会(SGRA)である。「文系にも分かるテーマで」という難題を突き付けられた。「文理融合」「文理相互理解」の印籠だ。でも思うのだが、理系人間は教養という名のもとに文系の言葉を理解することが求められるのに対して、多くの文系人間は理系の言葉を理解しようとしないし、しなくても許されているのはおかしくないか?   愚痴っても仕方がないので、どういうテーマなら私も参加者も楽しめるかを考えた。キーワードは「島根」と「台湾」、そしてSGRAからの注文として「文理融合」、さらに私も楽しめるテーマということで「ものづくり」とした。古代からのものづくりで島根県が誇るものとして「たたら製鉄」と「日本酒」がある。着任早々に地元のものづくりに敬意を表して司馬遼太郎の「砂鉄の道」を読んだことがあった。「日本酒」も親身に理解しようとしていた。この中で「酒」ならそれだけで文理融合できそうというわけで「酒」にした。では「台湾」の要素はどうするか?実は日本酒の近年の風潮に古酒がある。本来は鮮度が特徴の日本酒を数年間熟成させるのである。飲んでみたら紹興酒に似た要素があった。紹興酒を調べたら、紹興酒ももち米を主原料としていることがわかった。これでテーマを「日本酒と台湾紹興酒」とした。   かつて中国の文豪である李白や杜甫も、酒によって知的創造が盛んになったらしい。そして松江も江戸時代から漢詩創作が盛んだった。酒を多次元に捉えるため、さらに皆様の知的創造が盛んになることも願って、江戸時代から明治時代にかけての松江での漢詩創作についてお話できる講師もお招きした。   酒の成分はアルコールである。アルコールを作り出すには糖分を酵母で発酵させる必要がある。ワインの場合は、葡萄の糖分が酵母によってアルコールに変換される。一方で米は澱粉であって糖分は含まないので、酵母でアルコールを作り出すことはできない。そこで澱粉を糖分に変える方法が必要になる。唾液の酵素で糖化するのが昔から世界各地にあった口噛み酒である。もう一つの方法として麹菌で糖化する方式である。この方式が今の日本酒や紹興酒で使われている。澱粉と麹と酵母を混ぜて、糖化と発酵を平行に進行させるので、平行複発酵という。なぜ「複発酵」なのか?糖化も微生物の力を借りているので広義の発酵だからであろう。要するに日本酒も紹興酒も、米を平行複発酵で酒にしているのである。   日本酒の酒蔵はいくつか見学したことがあった。酒蔵のかなめは麹室である。それは檜部屋だった。なぜステンレスではなく木造なのか?木に生える常在菌をうまく生かして麹を作るそうだ。台湾の滷肉飯や日本の鰻屋の秘伝のたれと同じ思想だ。100年間洗ったことがない鍋。私は30歳までに「百年洗わない鍋はすごい、きっと美味しい」から目覚めた。一流のシェフが、神のサイコロに味をゆだねて良いはずがない。最先端の半導体工場でも、神が宿っているからと成膜室を洗わずに使い続けて良い半導体が作れるものか。これを酒飲みに披露すると大抵非難される。私は檜部屋や秘伝のたれを批判している訳ではない。伝統は大事だし、それで美味しいものを採算合って作れていれば変える必要はない。でもものづくりなら、神のサイコロにゆだねずに、1+2=3という風に、この菌とこの菌を混ぜてこう作ればこういう味になる、と神に頼らないで作ることを目指すのがロマンだろう。実は日本酒も、何人かの伝説的な先人によって、江戸時代の「きもと」から明治時代の「速醸」へ、それと戦後から泡なし酵母など幾度の革新があり、まさに合理化効率化の道を辿っていたのである。   一方で紹興酒はどうだろうか?フォーラム準備にあたって、台湾紹興酒を作っている台湾煙酒公司(元台湾煙酒公売局)の埔里酒廠で打ち合わせと見学をしてきた。日本酒の工程と非常に似ていた。同じ平行複発酵だから無理もない。しかし現代工場の麹室も檜部屋だったのは意外だった。「きもと」「酒母」「もろみ」、使う言葉は違うかもしれないが、説明すれば通じるものは多くあった。では日本酒と紹興酒の違いは何か?そして台湾紹興酒と中国紹興酒の違いは何か?特に台湾紹興酒は日本統治時代の日本酒を作っていた酒蔵を、戦後に中国から渡ってきた紹興酒職人によって紹興酒酒蔵に転換されたが、中国紹興酒との違いは何か?ここでは種明かしはせず、ぜひ会場に足を運んでいただき、味の違いを五感で感じながら、講師のお話を聞いて解き明かしていただきたい。     英語版はこちら     <葉文昌(よう・ぶんしょう)YEH Wenchang> SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、2008年同副教授。2010年4月より島根大学総合理工学研究科物理工学科准教授、2022年より教授。     2023年7月27日配信      
  • 2023.06.29

    エッセイ742:謝志海「チャットGPTと付き合うには」

    日本では今年になってからだろうか、チャットGPT(生成AI)の存在(話題)である。実体が何だか分かったようで分からない間に、開発された当の米国では、地方自治体が学校での利用規制を定めたという。同時に「チャットGPTを上手に活用する方法」といった授業を用意し、積極的な活用を促す教員もいるらしい。チャットGPTの存在はアカデミックな世界では脅威とも言える。スマートフォンの新機能や最新家電に弱い私も、チャットGPTについては学生に使い方を教えてもらう場合ではない。むしろ先回りして授業、課題、テスト対策を考え直さなければならない。もちろんチャットGPTの存在はアカデミック界だけでなく「全ホワイトカラーに衝撃!」(「週刊東洋経済」の見出し)とも言われている。専門的なテクノロジー業界やAI研究者のものではなく、誰でもアクセスでき、使えるAIだ。チャットGPTよってAIがより身近になった2023年、「もう後戻りは出来ないんだよ」とチャットGPTに宣言されたかのようだ。   脅威だ衝撃だと怖がってばかりでは始まらないので、早速アカウントを作ってみた。Eメールアドレスと名前、生年月日の登録に加え、携帯電話番号を入力し、その携帯に送られる認証コードを入力する。携帯電話を持っている人にしか作れないということになる。難しいことは特になく、あっさり開設でき、すぐに使える状態となった。ここから以下のエッセイをチャットGPTに仕上げてもらえたらかなりの時短になるだろう。そういう訳にもいかないので、早速質問を打ち込んでみた。「大学生に向けて、チャットGPTを使うにあたり注意すべき点を教えてあげたい」。すると20秒足らずでものの見事に回答してくれた。   大学生がチャットGPTを使用する際には、以下の点に注意してください。   ソースの確認: チャットGPTは2021年までの情報しか持っていないため、最新の情報を正確に提供できない可能性があります。重要な情報については、信頼性のあるソースで確認することをおすすめします。   個人情報の保護: チャットGPTは機密情報を保護するためのツールではありません。個人情報やプライベートな情報を共有しないようにしましょう。   バイアスの認識: チャットGPTはトレーニングデータから学習しており、バイアスの影響を受ける可能性があります。情報を判断する際には、客観的な視点を保ち、独自のリサーチも行うことが重要です。   時間管理: チャットGPTは非常に便利なツールですが、時間を適切に管理することも重要です。過度に依存せず、自分自身で問題を解決する能力を養いましょう。   クリティカルシンキング: チャットGPTの提供する回答はあくまで機械が生成したものであり、必ずしも正しいとは限りません。疑問を持ち、情報を疑ってかかるクリティカルシンキングを心がけましょう。   以上が、チャットGPTを使用する際に大学生が注意すべき点です。これらのポイントを頭に入れながら、ツールを上手に活用してください。   なんとも滑らかできれいな日本語に驚かされた。まるで人(もちろん日本人)が一生懸命に考え、まとめた文章にしか見えない。これまで出会った、どこかぎこちないAIの受け応えとはまるで違う。また、分かりやすく箇条書きにしてあることにも驚いた。私は「箇条書きで」とは指示していない。最も驚いたのは5番目にある、注意点というよりはアドバイスで「クリティカルシンキングを心がけましょう」。我々教員が常に授業中に言っていることだ。なんだか教員の手法を見抜かれたかのような気すらして、怖いぐらいだ。   チャットGPTへのたった一つの質問で私は大きなパンチを受けた。米半導体大手、エヌビディアの最高経営責任者(CEO)、ジェンスン・ファン氏が今年3月、開発会議での基調講演で、生成AIは「AIにとっての『iPhoneモーメント』が始まった」と発言したニュースを、ちょっと大げさだなと聞き流していた自分が恥ずかしい。でも今なら分かる。スマートフォンと同じで、使い過ぎるのも怖い、だからと言って全く使わないのはもっと怖いのがチャットGPTをはじめとする生成AIなのだろう。   5月にチャットGPTの開発元「オープンAI」のCEOが米連邦議会の公聴会で、AIを規制するように訴えた。これはどれだけ重い意味があるだろう。危険性と短所を一番認識している人がそう言うのだから米政府はすでに生成AI開発会社の代表者たちと対話を重ね、AI利用に関する具体的な指針の策定段階に入っている。実際のところ、チャットGPTの技術を取り入れた検索エンジン、ビング(bing)を提供しているマイクロソフト社の幹部も「AIを安全に人々に提供するための政府や規制当局の役割を歓迎する」としている。政府も開発側の企業も注意深く前進しようとしているようだ。日本はどう対応していくのだろう。4月に発行された週刊東洋経済の「チャットGPT仕事術革命」特集では「警戒する日本企業」として大手各社のチャットGPTの利用方針についてまとめている。パナソニックをはじめ、いくつかの企業は「社内規定を定めた上で利用可」という。日本の良い所はこのように「社内規定」を作って従業員がそれを遵守することだ。   大学はどうだろう。私の勤務先は文科省のガイドラインを待っていた。しかし、教育の現場ではもはや待てない状態になり、急遽、生成系AIに関する方針を検討し始めた。「早稲田大学」、「チャットGPT」をグーグルで検索してみると、大学ホームページの「生成AIなどの利用について」というページがヒットする。4月18日付の学生・教職員へ向けたメッセージだ。そこにはチャットGPTの使用を認めるか否かだけを明記したのではなく、生成AIの強み、弱み、活用の仕方、やってはいけない使い方を分かりやすく伝えている。   企業、学校が定めた規定を個人がどの程度守りながら誰でもアクセスできる生成AIを活用出来るかはまだ分からない。twitterやLINEが世に出た時も、まずはみんな飛びつき、その後使い方によって問題があらわになった。チャットGPTの場合は開発会社の代表自らが規制を求める仕組み作りを公の場で訴えている。そのぐらい「社会と人類に深刻なリスク」をもたらす可能性があるということだ。   実際に使ってみて思うことは、人間のように上手に言葉を操るチャットGPTよりも自分は賢くならないといけない、ということ。チャットGPTに頼り過ぎるのはもちろん、支配されてはならないと強く思う。あくまでも今のところではあるが、チャットGPTより賢いユーザーの在り方は前出の週刊東洋経済の表紙に記してある。「正しく恐れて、知ろう、使おう」。生成AIの開発はこの瞬間も世界のどこかで、いや世界中で行われているのだから。     英語版はこちら     <謝志海(しゃ・しかい)XIE Zhihai> 共愛学園前橋国際大学教授。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイト、共愛学園前橋国際大学専任講師、准教授を経て、2023年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。     2023年6月29日配信  
  • 2023.06.22

    エッセイ741:安ウンビョル「たった一日の病床日記」

    3月17日。子宮筋腫とポリープの除去手術を受けた。簡単な手術でたった一日の入院だったが、博士論文で心の余裕がなかったことを口実に、ほぼ1年間先延ばしにしていた。しかし体を大事にしろというシグナルか、博士論文審査原稿の提出前日に、びっくりするほどの出血があって、急いで再検査を受けて手術を予約した。   日本での入院は初めてだったこともあり、10年前に韓国で入院した時の記憶を思い起こし比較することになった。韓国の大学病院は、賑わう複合施設のような場所で、医師も看護師も忙しそうで、患者をかすめていくような感じがある。しかし、今回お世話になった東京郊外の病院は、人が多い時間帯にもなぜかゆったりとしていて、そこで働く人たちは私に最大限注意を払ってくれているように感じた。最近、20年以上日本に在住している韓国人女性が、日本ではすべての病院で断られた手術を韓国の大きな病院に行ってようやく受けることができたという話を聞いたが、韓国では経歴を誇示するために手術を重要視し、日本の場合はなるべく手術を避けようとする傾向があるという。日韓の医療現場を比較してみると、韓国は手術を、日本はケアや介護をより重視するという文化的傾向が見つかるかもしれない。   また、問診票に答える時、これまで受けてきた健康診断のものと「想定されている回答者の身体的状況」があまりにも違うという点に気がついた。普段の痛みや病歴、体に装着している補綴物などを細かく問う問診票に答えながら、高齢者の日常や速度をほんの少し想像することができた。問診票が場所によってどのように変わるのか比較したらどうなるのだろう。   いかなる状況に置かれていても、このように「比較文化的レンズ」を通して観察したり、こんな研究をしてみたらどうだろうか、と思考を巡らせたりするのが、日本に来て大学院で勉強し始めた頃からの癖である。もちろん、だいたい有効な考えには発展せず終わるけど。今回と10年前の経験の「違い」の意味は、個人的なものでもあった。そもそも疾患も手術法も違うし、10年も過ぎたから記憶が風化したということはある。けれども2回、手術や入院を「違うもの」として経験したということは、これからの人生において重要な記憶の糧になるだろう。どんな記憶を残すのか、それでどのように想像するかは、未来に起きることを「対比する」だけではなく、その経験を作っていく「力」を持つ。   なかでも麻酔の覚め方の違いが、一番記憶に残る。 10年前に全身麻酔から覚めた時は直ちに回復室に運ばれ、30分間放置された。その時経験した恐ろしい気分と寒さが手術をためらわせた理由の一つでもあった。しかし、今回は手術後すぐ病室の(一時的だが)「自分の場」に移され、とても穏やかな気持ちでいられた。不思議な幸福感ともうろうとした気分、起き上がった時に何を読もうかといった空想などが混合し、これからは全身麻酔という言葉自体に怖がる必要はないと思った。   手術が終わったのは正午だったが、夜眠れないことを憂慮して昼寝はせず、本を読んだりユーチューブ動画を見たりした。読んだものの一つはジョルジュ・ペレックの『考える/分類する』。収録されている「読むこと―社会-心理的素描」で、ペレックは「読む<行為>」を「肉体」と関連させて、また周辺(状況的なもの)と関連させて分類している。後者のものとしては、「間の時間」(何かを待っている間に読む)、「交通手段」、そして「その他」の「病院に入院している時」などと分類されているが、私の状況はこれが一つにつながっているようだった。夜を待つ長い「間の時間」であり、身体的な不動性によって生まれる長距離飛行のような状況でもあった。退院という目的地に向かって、回復という通路を通る長距離飛行。この時間こそ、「読む」そのものだと思った。実は私は短い飛行や乗車においても「降りたくない」と思うことが多い。目的ではなく過程が重要だという表現は、私にとってはしばしば、ただの比喩ではなくなる。   入院中、先日亡くなった大江健三郎が中期に書いた『新しい人よ眼ざめよ』も読んだ。闘病中の「H君」は「僕」に、次のように言う。 「生きる過程で、他人を傷つける、あるいは他人に傷つけられる、ということがあるね。それをやはり生涯のうちに、貸借なしとする。…… しかし、生きてるうちに精算がつくという問題じゃないね。結局のところ、自分が傷つけた他人には許してもらうしかないし、こちらはもとより他人を許す。そのほかにないのじゃないかと思ってね。……」 この作品で、障害を持った息子がいる「僕」は生きることの恐怖を克服するために、英国の詩人ウィリアム・ブレイクの詩に頼る。「僕」の恐れは、自分の死後に息子のイーヨーが一人で生きていくことである。ブレイクを読むだけでなく、この小説を書くこと自体が「僕」にとって「克服する」旅程であっただろう。もちろん生きることの恐怖は、「生きてるうちに精算がつくという問題じゃない」。しかし、誰かが「言葉」に頼って生きている姿を記録した「言葉」を読んでいる「間」には、勇気と希望とともに歩んでいくことができる。   病棟は静かすぎてキーボード音も畏れ多いほどだったが、深夜には生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。病院の前には碑石があり、ヨハネ福音書の言葉が刻まれている。「私は復活なり、生命なり」と。     英語版はこちら     <安ウンビョル AHN Eun-byul> 2022年度渥美奨学生。東京大学大学院学際情報学府博士課程に在学中。学際的なモビリティ・スタディーズの観点から、鉄道に乗って移動する経験とそれが社会的世界を生産する過程を研究。韓国では元『PRESSian』出版担当記者で、現在も物書きとして活動中。韓国語での単著『IMFキッズの生涯』(2017)共著『拡張都市仁川』(2017)『研究者の誕生』(2022)『すぐ手を振るかわりに』(2023)など。     2023年6月22日配信
  • 2023.06.15

    エッセイ740:陳虹宇「AIでできること、できないこと」

    人工知能(artificial_intelligence:AI)は1956年、計算機科学者・認知科学者のジョン・マッカーシー教授によって提案された言葉で、「知的な機械、特に知的なコンピューター・プログラムを作る科学と技術」と定義されていた。AIに関する研究が進んだ現在、その定義が研究者・研究領域ごとに異なり、さまざまな分野でAIを活用した自動化や効率化が進められている。例えば自動車の自動運転、工場における不良品検知、クレジットカードの不正使用検知などだ。これらの技術はコンピューターが画像や音声認識、あるいはパターン読み取りなどによって、大量の情報を自動的に取得し、学習することで実現されている。また、最近登場した人との自然なコミュニケーションや文章の自動生成、要約、情報収集ができる「ChatGPT」は専門的な知識が無くても活用できるAIとして、世界中で話題だ。   私の研究分野は有機化学。化学反応の開発の新たな潮流として、機械学習・データ科学の利用が注目されている。特に、現状では研究者の試行錯誤をもとに行われている立体化学を制御できる不斉触媒反応の開発をデータ科学により促進することは、有機合成の難題と位置づけられる。私は博士課程で複雑分子をグリーンに供給する立体分岐型不斉触媒システムの設計に機械学習を導入する方法論の構築と実証、および開発した不斉触媒システムを用いた新規有機合成に先鞭をつけることを目指して研究に取り組み、複雑な新規触媒システムの効率的な開発に成功し、AIの便利さを実感できた。   一方、「AIが発達することで人間の仕事が奪われるのではないか」と不安を持つ人が増えている。現在開発されているAIはほとんど問題特化型で、1つのモデル化・数学化した問題の解決にのみ機能しているが、将来、シンギュラリティ(技術的特異点=人間の脳と同じレベルのAIが誕生する時点)が近づくにつれ、人間にしかできなかった多くのことが機械に代替され、人間の生活環境は大きく変わるだろう。清掃や配達などの単純作業だけではなく、医療・金融など専門性が高い領域にも適用される可能性が高い。   では、どんなに技術が進歩してもAIに代替されない仕事があるのだろうか。原理的にはシンギュラリティに到達すると、コンピューターが人間と同じレベル、あるいはそれ以上の知恵を持つことになる。手間や人為的なミスを削減できるため、人間と比べコスト削減や効率向上が実現できる。しかし、仕事によっては、こういった「ミスが起きない」完璧さが逆にデメリットになる可能性がある。例えば、幼稚園教員。事前にシステムを設定すれば、AIが子供たちに知識やマナーを教えたり、遊んだりできる。しかし、幼稚園時代は発達において重要な時期であり、「人間教員」が無意識に表す感情やミスなども子供たちの性格や社会性の形成にとっては必要不可欠だ。AI教員を導入すると、この時期の子供たちにふさわしい生活リズムを獲得させにくい可能性が高い。   AI技術は急速に発展している。シンギュラリティに到達するまでにはまだ長い年月が必要かもしれないが、人間がどのようにAIと共存し、互いに補完しあう存在になるかが重要な課題だ。     英語版はこちら     <陳虹宇(チン・コウウ)CHEN Hongyu> 2022年度渥美奨学生。大塚製薬株式会社CMC本部合成研究部研究員。東京大学大学院博士課程修了(薬科学博士)。研究領域は有機合成化学、計算化学。     2023年6月15日配信
  • 2023.06.08

    エッセイ739:曹有敬「美学的観点からみるAI音楽」

    私の研究人生は2008年に来日した日本で、「美学(Aesthetics)」という学問と出会ったことから始まる。「美学」という学問を一言で定義するのは容易ではないが、端的に言うと人間はどのようにして「美しいもの」を知覚するのか、そしてその時に働く「感性」はどういうものなのかを考える学問である。それゆえ、人間が営むあらゆるものが対象となりうる。そして、範囲は無限に広がる。そのため、「美学」という学問は時代や国によって議論の中心が思想だったり、芸術だったりしている。また「芸術」の定義が多様化されつつある中で、本エッセイで紹介するような研究も可能なのである。例として人工知能(AI)音楽を美学的観点から見てみよう。   AI音楽とは既存の音楽を大量にAIシステムに入力し、AIがそのデータの分析を基に作り出す類似様式の音楽を指す。例えば、作曲家デイヴィッド・コープが創り出した「AI作曲家エミリー・ハウエル」はベートーヴェンやマーラーなど、昔の作曲家の様式に基づいて数多くの作品を短時間に作ることができる。また、大衆音楽の分野においても、韓国光州科学技術院のアン・チャンウク研究チームが開発した「AI作曲家EvoM」がアルゴリズムを通してKポップを含む様々な大衆音楽を作ってきた。このAIによるほとんどの作品に対して、学問・非学問の領域を問わず、世間はAIの歴史、科学的潜在力、そして商業的価値などといったAI自体の科学技術的側面や実用的価値に主な関心を寄せてきた。しかし、近年では環境哲学者による社会・倫理的問題や美学・哲学の領域におけるポストヒューマニズムの枠組みまで議論は拡張している。   AI音楽と人間との関係から、「美学」の主要概念の一つである「創造性」を再考することができる。西洋芸術音楽すなわちクラシック音楽におけるAI音楽への評価では、AIによる曲は偉大なクラシック作曲家の曲を単純に模倣した趣味の悪い曲だと批判されている。実際AIが作った曲を聞いてみると、確かに「人間作曲家」が作った曲に比べ、作品の質ははるかに劣っているかもしれない。しかし、こういった批判は実は18世紀後半以降問題にされてきた「人間作曲家」における独創性の問題にも繋がっている。18世紀後半に「天才」や「独創性」という概念が台頭したことにより、中世から綿々と行われてきた既存の音楽を用いて作曲する行為が、批判の的となった。   つまり、借用行為自体がオリジナリティーのないものとされたのである。例えば、後期ロマン派作曲家のグスタフ・マーラーの引用技法は彼の生前において「ユダヤ性」――否定的意味として――と結び付けられ、オリジナリティーが疑われたのである。このような傾向は1950~1960年代のモダニズムまで続いていた。常に新しさを求めたこの時期の進歩主義作曲家及び批評家にとっては、調性音楽の使用は「過去への回帰」を象徴するもので、既存の音楽を引用する作法はある種の「汚れた音楽」だった。   AI音楽における「創造性」への熟考は、この問題を再び考えさせるきっかけになるだろう。AI音楽にまつわる1)創造性とは何か2)作曲家の役割は何か3)作品とは何か4)聞き手はどう受け止めるのかといった様々な美学的問いに対して、次のように答えられるだろう。AIに情報を入力する際にその情報を選択するのは「人間作曲家」である一方で、そこから実際に一つの新たな曲を作り出すのはAIである。上述のコープが示しているように、たとえ「人間作曲家」が情報を収集・選択し入力するとしても、AIは予想外の結果物を作り上げることができる。   この原理からAIは「創造性」を有することができる。コープによれば「創造性」は人間の霊感のみに依存するものではなく、機械という他の要因によっても発生する。そして「創造性」はそれを巡る文脈において成立し、また無から生まれるものではなく、他者の作品の合成から生まれるものである。さらに重要なのは「創造性」の有無は美的なものを受容するか、拒否するかを判断する他者の判断に依拠するということだ。こういったコープの主張は「創造性」を完成した作品という結果物ではなく、創造のプロセスから見いだすものである。このAIの「創造性」に関連する議論は、人間の「創造性」をより深く理解するための重要な端緒を提供している。またこのことは、無から新しいものを創造するという近代的神話に縛られたわれわれの鑑賞態度を見直すために、大きな示唆を提供する。   英語版はこちら   <曹有敬(チョー ユーキョン)CHO You Kyung> 東京大学大学院人文社会系研究科に在籍中。2021年度渥美奨学生。日本学術振興会特別研究員DC2(2019年4月?2021年3月)。研究領域は戦後西ドイツ音楽文化、音楽とテクノロジー、現代音楽美学、グスタフ・マーラー研究など、音楽学、美学、文化史学にまつわる学際的研究を行なっている。刊行物としては共著『テクノロジーと音楽の新しい出会い』(2023、韓国語)、「B.A.ツィンマーマンの時間哲学の再考――哲学、文学、音楽の結節点に注目して」『美学』261号(2022、日本語)、共訳『デジタル革命と音楽』(2021、韓国語、2022年度セジョン優秀学術図書に選定)、“Reading Mahler: György Ligeti’s Music Criticism in the 1970s”(2019、英語) 他多数。     2023年6月8日配信
  • 2023.06.01

    エッセイ738:郭立夫「トランス嫌悪言説の中で性的マイノリティーとして教えること」

    非常勤講師の仕事が大変です。その理由は一般的に労働条件が悪いだけでなく、私自身が性的マイノリティーとしてジェンダー論を教える時に「絶望」を感じるからです。その「絶望」の方が私のストレスになっています。   2022年の春学期、非常勤講師として2つの大学で「トランスジェンダー」をテーマにしたジェンダー論の授業を始めました。2021年の東京オリンピックでニュージーランドの重量挙げのトランス女性選手が「女性」として出場したことが、中国と日本の会員制交流サイト(SNS)で炎上したからです。「男性」としてトレーニングされてきたトランス女性選手は「シスジェンダー(出生時の体の性別と性自認が一致する人々)」の女性選手の「脅威」として語られ、まるで「加害者」であるかのように批判されました。それを目にした私は、一人の研究者、そして大学の教員として授業を通じて何かできることがないか模索したいと強く感じました。しかしそれは簡単なことではなく、本エッセイを書いている今(2022年5月)、春学期が始まってもう1カ月ほど経っていますが、いまだに学生のコメントに「シス女性を守るために、トランス選手の試合参加は認めてはいけない」などの意見が見られ、その難しさを感じています。   英語では女性の権利を掲げながらトランスの権利を否定する人たちを「TERF(Trans Exclusionary Radical Feminists)」と呼んでいます。この言葉の略称が多くの問題(例えばこの人たちはフェミニストといえるのかどうか)を生むのは言わずもがなで、もはやこの言葉を使うこと自体が大変な物議を醸すようになってきています。特にトランス嫌悪的な発言をする人たちは、この言葉を常にトランス活動家たちによる自分に対する「攻撃」だと認識し、その言葉の使用を拒否し、強く反対しています。彼らは女性の権利保護を掲げつつも、フェミニズム思想と運動が何十年もかけて作り上げてきた「ジェンダーもセックスも社会的・政治的に構築された」という思想を否定し、「女性とは誰か」というフェミニズム思想の根本的で定番の質問に対して、安易な生物決定論で答えているのです。   今、TERFについての研究は欧米を中心に展開されています。それらの研究から分かるのは、TERFの概念は政治的・宗教的保守勢力から大きく影響を受けているということです。ジェンダーに真に批判的である「Gender Critical」であり、同時にTERF思想を掲げる活動家たちは多くの場合女性が主体となっていますが、不思議なことに彼女たちは政治的な保守勢力(多くの場合はこれまで女性運動に抑圧的な態度を取っていた政治的・宗教的勢力)と連動しており、女性運動をこれまで抑圧してきた保守勢力とも手を繋ぎ、今やトランスジェンダー女性を排除しようとしているのです。   一方、東アジアでは欧米でのこうした活発な動きに比べると学術的な研究がまだまだ不足しています。実際、韓国の女性運動をまとめた『根のないフェミニズム』という本では、「ゲイとトランス女性はジェンダー・イデオロギーのカルトであり、トランス男性こそ本当の女性だ」というあたかも誰の性自認も承認しないような発言すら見られます。そして日本語にも翻訳され、今まさに販売されているのです。   私はオリンピックの事件を契機にプログラミング言語を学習し、TwitterとWeiboで調査を行いました。そこから分かったことは、中国と日本のトランス嫌悪的な言説も各国の保守勢力と緊密に連動しているものの、英国や米国の活動家がフェミニズムや女性の権利を主張し自らのヘイトスピーチを合理化しようとするのに対し、日本や中国のトランス嫌悪的な言説はあくまで「生物学的」、つまり科学言説に論拠している、ということです。   もう少し詳しく見てみると、中国では米トランプ前大統領の発言を引用し、トランス排除を合理化しています(Weiboにおけるトランス嫌悪的なコンテンツではトランプ支持の内容が最も多かった)し、日本は中国よりも「女性の権利」を掲げる声が大きいものの、生物学やルールの公平性などそもそもジェンダーの観点に触れない言説が圧倒的に多いのが印象的です。そして、それらの言説はトランス批判を契機に、LGBTとフェミニズムを左翼勢力とし、右翼こそ日本を救うものだとする典型的な「ネトウヨ(インターネット上で活動する右翼団体)」言説が多いと思われます。そして、三分の一程度の割合で、中国の陸上選手に関するデマが見られます。つまり、日本のネットにおけるトランス嫌悪は「嫌中」とも連動しているのです。まだまだ研究をする余地がありますが、トランスジェンダーに関する議論が東アジアでもジェンダー・ポリティクスを考える上で必要不可欠なものとなっていることは間違いありません。   冒頭のエピソードに戻りましょう。私自身も性的マイノリティーなので、ジェンダー論を教える事、とりわけトランスジェンダーに関する知識を教える事とは自分自身の再確認でもあります。教えている時に感じた「絶望」とは、自分の自己再確認が学生によって疑問視されていると感じたからかもしれません。学生から批判的な意見が届くたびに怒りで震えてしまいます。しかし、その怒りこそ私を動かすものなのです。良い意味でも、そして悪い意味でも。   <郭立夫(グオ・リフ)GUO Lifu> 東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程。日本大学、神奈川大学、東洋英和女学院大学などで非常勤講師。     2023年6月1日配信
  • 2023.04.13

    エッセイ737:カキン・オクサナ「疲れている心を癒す日本の美しい自然~省エネでも行ける混雑ゼロのお出かけスポット*東京編*~」

    博士論文を書いていると、精神的に疲れることが多い。論文を書いていなくても、生きるだけで大変な世の中なので、ストレスや疲れが溜まりやすい。疲れている心を癒すために様々な方法があるが、私にとって効果があるのは、自然が美しく、人混みがなく、落ち着いているところに出かけることである。自然と体の力が抜けて深呼吸ができるようになり、心と体がリラックスするのだ。満たされた気分になり「よしもうちょっと頑張ろう!」という気持ちになる。去年は週1でそういうところへ出かけたからこそ、論文を完成することができたのではないかと思う。経験を生かし、今回は心を癒すお出かけスポットを紹介したい。   最初は、留学生の間では意外と知られていない国立科学博物館所属の自然教育園だ。東京メトロの白金台駅から歩いてすぐのところにあるこの公園は、東京の他の公園とはちょっと違う。小石川後楽園や新宿御苑のような庭園ではなく、まるで本物の森だ。散策するための歩きやすい道や橋などがあるが、様々な植物が森のように自然と生えている。高い木がずっしり並んで周りの街の姿を隠しているので、都内にいることを忘れる。普段は片道3時間の遠い山などに行かないとこの感覚を味わえないだろう。日常を忘れてゆっくり散歩を楽しむのにうってつけだ。   どの季節も美しいが、紅葉の時期は特にだ。紅葉の名所は庭園やお寺などが多いが、庭園の紅葉の木は大きくなりすぎないように枝切りされている。しかし、自然教育園では枝切りされていないため、紅葉の木も非常に高い。真っ赤に染まった高い木が並ぶ絶景を都内で見ることができるのはここだけではないかと思う。まだ元気が残っていたら、隣の東京都庭園美術館に寄ってみてほしい。近代の建築や歴史が好きな人は美術館を楽しめるし、庭園も非常に美しい。   もう一つのお勧めは横浜にある三溪園。横浜は、みなとみらいや山下公園などが有名だが、人気スポットは人だらけで余計に疲れる。しかし、三溪園は山下公園からバスで10分ほど離れた静かなところにあって、混んでいない。実業家の原三溪によって1906年に公開されたこの庭園は、非常に広くて歩きがいがあり、梅の咲く時期は特に奇麗だ。東京湾をのぞむ上から眺める港の景色も良い。だが、一番の目玉は、京都や鎌倉などから移築された建造物だ。歴史的に貴重なものが多く、日本の建築や歴史を知りたい人にはぴったりだ。また、三渓園の周りは豪邸が並んでおり、ぶらぶらしながら現代建築を見るのも面白い。   最後は、桜の咲く季節にぜひ一度行ってほしいところだ。花見の名所はどこも非常に混んでいて、桜を見に行く気にならない人もいるだろう。だが、今回紹介するところは、目黒川の桜に美しさで全く負けていないのに全然混んでいない石神井川沿いの桜だ。石神井川は長いが、お薦めはJR、東京メトロ王子駅のすぐそばにある音無親水公園から東武東上線・中板橋駅までのコースだ。石神井川の旧流路を整備して造られた風変わりな公園で、それだけでも見る価値があるが、そのまま川沿いを歩くと5キロぐらいずっと桜が続く。目黒川のように屋台などはないが、その代わり人も少なく落ち着いて桜を楽しむことができる。好きな音楽でも聴きながら桜並木を眺めて歩くのは最高に癒される。   ストレスが絶えない毎日だが、たまには気分転換に美しい景色を見に行って心を癒そう。   <カキン・オクサナ Oksana KAKIN> 2021年度渥美奨学生。国立研究大学経済高等学院(HSE University)アジア・アフリカ研究所日本学科講師(サンクトペテルブルグ)。お茶の水女子大学大学院博士課程修了(社会科学博士)。研究対象は現在の日本社会と文化、ポップカルチャーとファン。9年間の日本留学を経てふるさとへ帰り留学経験と専門知識を生かし、日本語を始め日本文化論、日本社会の社会学、東アジアの文化経済学など教えている。     英語版はこちら     2023年4月13日配信
  • 2023.04.06

    エッセイ736:謝志海「日中両国の空き家事情」

    大学で教えているProblem Based Trainingという授業では、学生たちが自分で様々な社会問題について英語で提起し、みんなで解決策を考える。最近よく挙げられるテーマの一つは空き家問題である。少し調べてみると、これは地方の大学生たちが実感した問題であるだけでなく、マスメディアでもよく取り上げられていることがわかった。   昨年のフィナンシャルタイムズ電子版で、日本の空き家が多いことと中国の不動産バブルがかつてのように「日本化」するのではないかと危惧する記事を読んだ。日本の空き家と中国の空き家に類似点など無いように思えたし、日本の空き家から中国は一体なにを学べばいいのかと、特に気づきが生まれることもなく記事(Japan’s Empty Villages Are a Warning for China, Financial Times, October 30, 2022)を読み終えた。しかし、それからというもの両国の空き家について悶々と考えることになってしまった。   あくまでも自分の勝手なイメージだが、日本の空き家と言えば、かつて長い間人が住んでいた家屋が、住人が亡くなるなどで次の住み手がおらず、ずっと手付かずのままの状態の事である。実際、私の家から最寄り駅までの徒歩15分の間でもこの3年の間にそういう家が数軒現れて、今では立派な空き家地区と言える。   一方で中国の空き家のイメージとは、投機目的で高層の集合住宅をいくつも建てたものの、人が居住している様子が全くない建物とそういった建物が群立する地域である。どちらも人が住んでいない住居に変わりはないが、成り立ちは全く違う。私は日中の空き家をそう区別していたのだ。   実際のところ、中国はそういった高層住宅群が未入居のまま手付かずになっていて、そのようなエリアは「鬼城」と呼ばれている。これは日本でも結構知られていることだろう。一方、日本のゴーストタウンと言うと、かつて人々が居住していた痕跡だけが残り、住む人が消えた町を言う。日本にも住宅街にぽつりぽつりとある空き家の他にも、ごっそり人が居なくなったゴーストタウンは確かにある。そしてそれらの増加はしっかり数値にも現れていて、総務省の土地統計調査(5年ごと)によると、平成30年の空き家率は13.6%で過去最高であり、20年間ずっと右肩上がりだ。   日本でも中国でもない国から見れば、日中の空き家はただの空き家でしかないのだろうとにわかに思いはじめた。FTの記事では80年代の日本における不動産バブル崩壊からの経済回復がないまま現在に至ることを引き合いに、中国の現在の過剰なまでの住宅投資建設を懸念している。なるほど、日本のバブル期まで時を戻せば、中国の空き家事情と類似点は見出せる。   さらにFTの記事では、このままだと中国の不動産市場も日本の不動産バブル崩壊の二の舞になりかねないことに警鐘を鳴らしている。なぜなら中国もとうとう人口減少へ傾きはじめたからだ。一方、日本はとうに人口減少国であり、高齢者が多い。空き家が増えているのもこれが大きな原因で、そこには相続問題が大きく横たわる。土地家屋の相続がうまく片付かないと空き家は空き家のままであり続ける。このような誰も手をつけられない土地家屋は治安の悪化や都市開発の遅滞を招く。   中国だけでなく日本も不動産問題は多岐に渡っていると分かったところで、中国は日本から何を学べるのだろうか?中国恒大集団の過剰債務問題は記憶に新しく、過剰なまでの不動産向け融資や高騰するばかりの不動産価格が浮き彫りになった。これは日本の不動産バブルの崩壊前と似ている。恒大の規制後、実は資金繰りに困っていたり、負債を抱えたりする不動産会社がどんどんあらわになった。不信感を抱いた購入者が恒大の不動産の購入取り消しに動き出したりすると、混乱は一般市民にまで及んだ。日本総合研究所の関辰一主任研究員は「しかし、中国政府も十分に日本から学んでいる」としている。住宅ローン金利の引き下げや不動産会社向け融資規制の緩和措置などを行なっているためだ(週刊エコノミスト 2022年9月13日 毎日新聞出版)。これ以上問題が大きくなっていないと良いのだが。   日中両国にとって不動産がいかに尊い資産扱いされているかがわかる。(もちろんそれは日中だけにとどまらないが。)また、とにかく建てることで経済が活性化すると信じられているということも両国を見ていると痛感する。人口減少、少子化、高齢化社会、とにかく毎日それらのいずれかがニュースのトピックになっていると言っても過言ではない日本で、これらの重大問題を尻目に今も日々住宅は建設されている。実際のところ、2022年の新設住宅着工数は前年比の0.4%増と2年連続増加した(国土交通省データ)。中国はまだ高齢化社会とは言えないが、人口は昨年初めて減少に転じた。日中両国共に互いの不動産事情を俯瞰的に見て、自国の未来の人口予測と住宅供給のバランスを見直すことができたらと思う。     英語版はこちら     <謝志海(しゃ・しかい)XIE Zhihai> 共愛学園前橋国際大学教授。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイト、共愛学園前橋国際大学専任講師、准教授を経て、2023年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。     2023年4月6日配信    
  • 2023.03.30

    エッセイ735:オリガ・ホメンコ「この状況で経営者はどうしているのか?」

    ウクライナ西部でイースト(発酵剤)とペットフードの会社を兄弟で経営している友人がいる。ロシアに侵攻された後もさまざまな問題を乗り越えて頑張っている姿を見るのは嬉しい。しかしながら、新聞に出ないような辛い話もたくさんある。   戦争が始まって自社の商品が生活必需品であることをさらに実感した。最初の3カ月間、家でパンを焼くためにイーストを買う人が激増した。危機感があるとイーストが売れる。コロナ時代の2020年3~4月もそうだった。トイレットペーパーと同じようにイーストが売れた。不思議な傾向だが、危機感を感じる時にパンの消費が伸びる。逆に安心して平和な時代には健康を気にしてパンの消費が減るようだ。   最後まで戦争になるとは信じたくなかったが、国際メディアが騒ぎ始めた2021年12月ごろから少しずつ備え始めた。パラノイック(偏執病)だと思いながらも、300人も働いている会社だから、万が一のためにシェルターを準備した。万が一のために空襲警報のシミュレーションと避難訓練をした。本当は「カイゼン」が好きで在庫を持たないが、念のために2カ月分の材料を備蓄した。ウクライナで買えるものは全部そろえた。その中には、東部で製造している硝酸、硫酸、パッケージなどもあった。戦争の影響を受けずに2カ月間は製造できるので、とりあえず安心と思った。侵攻が始まっても2、3人しか避難しなかった。   その頃ポーランドの物流と販売の関係者から「従業員の子供たちを保護者と一緒に引き受けましょうか」と言われた。最初は誰も行く気がなかったが、空襲警報が増えて、ミサイルも飛んで来るようになると希望者が出てきた。結局数百人をポーランドに避難させてもらった。ポーランドの取引会社の社長も自分の家に6人住ませてくれた。ポーランドの小さな田舎町だったが、子供は学校で勉強し、週末には観光もさせてくれた。自然な形で助けてくれたので、皆とても感謝している。   会社の敷地内にもミサイルが飛んできた。運良くオーストリア・ハンガリー時代の頑丈な塀の間に落ちて爆発しなかった。ソ連製のミサイルだった。   ウクライナ各地に工場を3つ持っている。西ウクライナ以外の2つはハルキフとクリビーイ・リーグにある。最初の1カ月間は西部にある工場しか稼働できずに大変だったが、残りの2つの工場も再稼働できた。商品の5割は海外輸出用である。1年前にウクライナの通貨が下落した時に外貨を得て、新しい工場施設を建てたことも役立った。大変な状況の中で輸出先の海外関係者は一人も減らなかった。もちろん、万が一製造が止まった時の「プランB」も考えていたが、誰も戦争だから取引をやめますとは言わなかった。特にクロアチアとドイツの取引先の人々は素晴らしく、輸出量も伸びた。クロアチアのバイヤーは「我々も戦争を経験している。平和の時によくやっている会社は戦争の時も大丈夫だ」と勇気づけてくれた。   実はロシアにも工場があったが2015年にカナダの合弁会社に譲った。3月10日に残っていたもの全部をカナダの関係者に100ドルくらいで売った。ロシアに資産を持ったらいけないと思った。とにかく手放したかった。購入したカナダの関係者からは「これからの5年間、利益の5割をあなたたちが好きな方に回してもいい」と言われた。   友人はトレンドに敏感な女性の社長で、数年前に健康志向によってパンの消費が減り始めたことに気づき、イーストを他に利用する方法を考えてバイオビジネスにも進み始めていた。バイオテクノロジーの研究開発(R&D)部門も持っている。侵攻が始まった時、ターゲットになりやすいかもしれないので会社のウェブサイトを閉じた。そして密かに軍隊に寄付した。「1年に1回、イーストのひとつのブランドの売り上げの2割を軍隊に寄付する」と告げて、その春に400万~500万グリブナを寄付した。   侵攻が始まる1年前から新しい工場を建てるために建設費の半分を借金した。侵攻後数週間は工事が止まった。2022年の夏にオープンする計画だったので、3月半ばに工事再開を決めた。工事を止める意味がないと思った。ウクライナの将来を強く信じるし、それが会社の方針でもあるので続けることにした。2023年2月末のオープンが決まり、海外関係者を招いたが誰も来なかった。それでもオープンした。新しい工場が作っているものは2つある。   1つ目は日本の「味の素」みたいな調味料。イーストで出来たもので、うま味を自然に引き出す。最初の宣伝用商品は海外に送った。2022年秋には侵攻後最初の海外展示会でパリに行った。そこでは「ウクライナだから関わりたくない」という反応はなく、逆に「ウクライナ製」というブランドがプラスに働いた。もちろんブランド性だけでは長続きできず、商品の質が良くなければいけない。2015年から欧州連合(EU)内で関税がなくなっただけで、今回何か特別なものが得られたわけでもない。ヨーロッパでプロバイオティクスのイーストとイーストで出来た家畜用のサプリメントを売るためには許可が必要だが、それは既に取ってあった。新しい施設を作るために借りたお金も予定通りに返している。400人の従業員に給料も払い続けている。一人も辞めてない。ただ空襲警報によって仕事効率が落ちる。イーストは空気と接触したら発酵するので、時間通りにパッケージ化しないといけない。警報でシェルターへ降りないといけないので、それができない時もある。だがこの1年間、売上高もEBITDA(編者注:グローバル企業の業績や多国間の業績を比較・分析する際に用いる指標)も伸びた。   もう1つは家畜用のサプリメント。パンの売り上げが減った時に、いろいろ探して見つけたビジネスアイディアである。畜産業に目を向けて、イーストから鳥、豚、牛が自然に体重を増やすサプリメントを作った。今では国内だけではなく24カ国に輸出している。アジアにも販売網を広げようとしている。日本では北海道の農家に話を持っていこうと考えている。   20年前、ビジネスを拡大するために、イーストと似ている製造ラインで何をできるかと考え、ペットフードの会社も設立した。コロナ時代には、家に長時間居るのは寂しいし、散歩の理由が欲しいので犬や猫を飼う人が増えた。ペットフードの消費も増えた。2014年以降はロシアのメーカーがウクライナ市場からほぼ撤退したので、シェアを拡大するチャンスになった。設備投資、新技術の導入、新商品開発もしていたので大きく発展した。ペットフードを32カ国に売り、1300人の従業員が働いている大きな会社だ。   コロナの最中にリトアニアで大きな工場をオープンし、ウクライナからの輸出ではなく、EUで作って直接ヨーロッパ市場で売ることにした。動物に優しい食べ物と環境を作る会社のために努力し続けた。ペットの世話や心理を説明しているラジオ番組まで立ち上げていた。従業員は会社に飼い犬や猫を連れてくる。ウクライナ全国で「自分のペットを会社に連れて来よう」というキャンペーンもした。とても興味深いイノバティブな会社だ。戦争が始まった時、捨てられた犬や猫を会社に連れて来て世話をして、新しい飼い主探しまでしてあげた。   国内避難者が西ウクライナに多く来ているし、それまでは自分で犬の食事を作ってあげていた人も市販のペットフードを使うようになったので、ペットフードの売り上げが伸びた。戦争だから犬や猫も避難生活をしなければいけないので、かわいそうだと思う飼主が多い。もう少し良いものを買おうとするので、プレミアムセグメントの商品を増やし、米国やヨーロッパの国々にも輸出している。戦争の時も前向きで頑張っているこの兄弟からは見習うことが多い。   子供は海外にいる。時々会いに行く。「この状況下でビジネスをするのはどんな感じ?」と聞くと、「もう慣れた」という返事がくる。ミサイルもどちらから飛んできているか区別できるようになった。ベラルーシからドローンが飛んで来ている時と、カスピ海から飛んでくる危険物の区別は音でできるそうだ。「今どこから元気をもらっているの?」と聞くと、毎朝7時からジムかプールでパーソナルトレーナーと運動しているので、そこから元気をもらえるという。ピラテスと水泳をやっている。「家にもジムがあるのに、どうして?」と聞くと「シェルターとして使っている」と笑いながら言う。「一人で運動してもつまらないし」って。   一番大変だったのは、停電でインターネットが落ちた時だった。情報が入らない時は本当に不安になる。電池式ラジオを買って少し安心した。最初の数カ月間は読書や映画を見ることが全然できなかったが、今はネットフリックスで映画も見ている。小学生の子供も時々海外から遊びに来る。「ウクライナに居る時、子供はどんな感じで反応する?」と聞くと、「前と違ってぼんやりしてない。戦争だとわかっているので集中力が自然に上がる」という。   去年の10月にインフラをやられて停電が始まった時、非常に大きな2メガワットの発電機をトルコから買った。大きなトラックのサイズのもので、停電になっても工場の電気を保つ。   侵攻後初めて海外に出た時に、たまたま海の近くの街で、海岸沿いの通りに出ている喫茶店で、平和にリラックスしてほほ笑んでお酒を飲んでいる人々を見た時に大きなショックを受けた。辛かった。どうして自分の国は今苦しい目に遭わなければいけないのかと問い続けた。従業員から最初の9カ月間休みは要らないと言われて、休暇なしで働いた。最初に連休をもらって休んだのはクリスマスだったかもしれない。「アドレナリンで走っている」と分かっているので、自分の部下のことを、特に感情を出さない男性従業員のことを心配している。   <オリガ・ホメンコ Olga_KHOMENKO> オックスフォード大学日産研究所所属英国アカデミー研究員。キーウ生まれ。キーウ国立大学文学部卒業。東京大学大学院の地域文化研究科で博士号取得。2004年度渥美奨学生。歴史研究者・作家・コーディネーターやコンサルタントとして活動中。藤井悦子と共訳『現代ウクライナ短編集』(2005)、単著『ウクライナから愛をこめて』(2014)、『国境を超えたウクライナ人』(2022)を群像社から刊行。   ※留学生の活動を知っていただくためSGRAエッセイは通常、転載自由としていますが、オリガさんは文筆活動もしていますので、今回は転載をご遠慮ください。   ※昨年4月から毎月オリガさんにエッセイを執筆していただきましたが、この号をもって終了します。ご購読ありがとうございました。     2023年3月30日配信