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エッセイ755:近藤慎司「アカデミア研究者になるという人生の選択」

2023年3月、無事に博士の学位を取得し、アカデミア研究者としてのキャリアをスタートする事が出来た。 少なくとも大学に入学した10年前の私は、こんな人生を歩むとは全く思っていなかった。振り返ると昔から明確な夢はなく、小学生の卒業文集に載せる将来の夢には「サラリーマン」と書いたほどである。大学の進路では、数学が好きだったために理系と決めたものの、興味のある専門はなく、周りの友人に化学科志望が多かったために「流されて」出願した記憶がある。

 

明確にやりたい事が見つからず、漠然とした将来を描いていた私にとって、人生で初めてのめり込んだのが大学での基礎研究だった。思い返すと、当時の先輩や指導教官のモチベーションの上げ方が非常に上手だったおかげかもしれない。いざ研究に没頭するとあっという間に時は過ぎるもので、修士2年になった。ここで博士課程への進学か就職かの選択に迫られるわけだが、周囲に流されてきた私にとって、いくら研究が好きとはいえ、博士課程の厳しさ・経済的不安を知っていたため決心がつかず、就職を選んだ。人生、所々に岐路があるわけだが、ここで就職を選んだことが結果的にアカデミック研究者という道に進む大きな分岐点になった。

 

企業での仕事は充実しており、電気自動車の制御部品の一部であるコンデンサーの材料開発だけでなく、量産化に向けた技術課題の解決や、品質管理部門との折衝など実用化に向けたプロセスを任せてもらっていた。製品として社会を豊かにするモノづくりの一端を経験させてもらう中で、将来どのように社会に貢献していきたいか改めて考えるようになった。そこで心残りであった博士課程に初めは社会人枠として入学し、企業の業務と大学の研究活動の両立に努めてきた。当時は自宅の大阪、時には出張先の佐賀から横浜の大学に土日だけの研究活動のために往復3~4万円の交通費を払って通った。

 

今考えると非効率的であり、根気があったなと思う。しかし、両方の活動をしてきたからこそ、長年の基礎研究の成果が既存技術の限界をブレークスルーし、革新的な製品を生み出すことに大きな魅力を感じ、アカデミック研究者になりたいと決意できた。当時25歳にして初めて人生の夢ができたわけである。決意したからには企業を退職、博士課程1本に絞り研究に没頭してきたおかげで今日を迎える事が出来ている。

 

こうした人生の選択は、もちろん自分だけでなく会社の上司や大学の指導教官、友人などの周囲の支えやアドバイスがあったおかげであることは間違いない。特に博士課程に進んでからは、国際学会で出会った人や渥美財団の奨学生たちとの交流を通して、自分の価値観や選択肢が大きく広がった。4月からオーストラリアの大学で研究を行えることになったのも間違いなく昔の私なら考えられない事である。今後も様々な人生の岐路があると思うが、どの選択をしても後になって悔いが残らないよう常に自分を見つめ直し、努力していきたい。

 

<近藤慎司(こんどう・しんじ)KONDO_Shinji>
2022年度渥美国際交流財団奨学生。2023年3月、横浜国立大学大学院理工学府博士号(工学)取得。現在はオーストラリアのDeakin大学JSPS海外特別研究員として、次世代リチウムイオン電池に向けた材料研究を行っている。

 

 

2024年2月8日配信