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エッセイ746:銭海英「新たな人生の船出」

桜が舞う時期に、新たな人生へ船出する決意をした。でも、そもそも「新たな人生」とは一体何を指すのか、これまで生きてきた自分自身と一体何が違うのか、このエッセイを通じて発信したい。

 

2022年度の渥美国際交流財団の奨学生として、本来であれば、3月末に博士学位を取得するはずだった。同期の奨学生たちの多くが4月から新しい進路でそれぞれの道を頑張っていく。ポストドクターに進んでいく方もいるし、助教職、常任教員職を得た方もいる。しかし、私は引き続き博論の完成に向けて頑張っていくのであり、何も変わらないようにみえる。「新たな人生の船出」とはよく使われる新年度のフレーズでしかないと思われるかもしれない。

 

普段の私は、勉強以外では運動が好きで、常に体力をつけることを意識している。コロナ禍ではクロスバイクを買い、サイクリングを始め、今では電車を使うこともほとんどなくなった。体力をつけることを意識するようになった理由は、研究者にとって最後の踏ん張り時には体力が大事だと教わったからである。しかし、昨年2月のある日突然、アウトドア派の私にとって、予想外の病気が発覚した。

 

東京医科大学病院で乳がんのステージ2Bと診断された。乳腺科の主治医から「やっぱりがん(悪性)です」と腫瘍の病理診断(良性悪性を識別)を伝えられた際に、私は非常に冷静、そして理性的だった。冷静に主治医と治療方針について検討していくことができたのは、病理検査結果を待っている2週間に乳がんに関する医学知識を増やしたからだ。東京医科大学病院乳腺科の先生たちが書いた医療記事や論文を確認したのはもちろん、国立がん研究センター、北京大学腫瘍医院、アメリカがん研究センターにもアクセスして乳がんの最新治療および臨床データも確認した。確認すればするほど、乳がんに対する恐怖も次第に減少した。「恐れとは無知からくるのだ」と、改めて確認できたことは意外な収穫だったかもしれない。

 

とはいえ、腫瘍の病理診断を待っている間が心理的に最も辛かった。乳がんについて調べれば調べるほど、「私は、ほぼ間違いなくがんなのだ」と確信を深めるのは苦痛でしかなかった。しかし同時に「乳房の腫瘍は実は9割以上が良性だよ」という、気休めの声が自分に語りかけてくるのである。人生で最も長く感じた2週間は、「やっぱりがんです」という診断結果で終わりを告げた。悪性ではない可能性が現実に覆された時、目が醒めた。がんに直面して、これからは主治医が提案する治療方針に納得した上で取り組むほかない。そうしてこそ、患者として合格に値する。

 

乳がんと診断されて以降の1年間で、私は「未受精卵の凍結」、「抗がん剤治療」、「手術」、「放射線治療」といった一連の標準治療を受けてきた。その間一度も主治医に「私はあと何年ぐらい生きることができますか」と質問しなかった。なぜなら個人差があることを知っていたからだ。そのかわり、「先生、私のステージ及びサブタイプ分類から見れば、現在の臨床データから10年生存率はどのぐらいですか」と確認した。「90%ですよ」と告げられた際、嬉しかった。この90%は、あくまでも平均値で、自分は絶対にこの平均値以上だと思っている。

 

確かに、がんは厳密に言えば、治癒できない病気である。だから、医学では治癒に近い「寛解」を持ち出した。例えば、5年生存率、もしくは10年生存率。10年生存率とは10年しか生きられないという意味ではなく、10年以内にがんで死亡しなかったことを意味する。また、10年間で再発していないことも意味する。がんが10年たっても再発しない場合、その後再発する可能性は極めて低いということであり、ほぼ治癒に近いと理解してもいい。

 

がんの説明ばかりになってしまったが、知識を皆さんに伝えたかったのではない。30代前半で自分の死を意識した衝撃は本当に大きかった。「新たな人生の船出」とは、文字通り私にとってこれまでの人生とは違う人生を始めることだ。時間をより大切に使うようになり、そして、何を一番やりたいのかがより明確になった。怖がらず、侮らず、乳がんとともに生きる。これからは、さらに大望を抱いて残りの人生を積極的に生き、自分のために尽力したい。

 

 

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<銭海英(せん・かいえい)QIAN Haiying>
2022年度渥美奨学生。中国江蘇省出身。明治大学大学院教養デザイン研究科博士後期課程に在学中。近代中国政治思想史・教育思想史を専攻。現在、成城大学非常勤講師、有間学堂東洋史学専属講師。

 

 

2023年9月21日配信