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エッセイ749:加藤健太「『国際交流への関心』再考」
2022年度渥美奨学金に応募する際に自己紹介文として「国際交流への関心」について書くように言われ、私は以下のようなことを述べた。少し長くなるが、部分的に抜粋し、引用しよう。
国際交流は、私にとって、青年期からの憧れであると同時に、それが故に批判の対象でもありました。[…] 留学を二度経験し異文化交流の楽しさを享受してきた一方で、国際的な環境の内部に存在する力関係を感じ取るようになりました。特に大学院に進学し学問と真剣に向き合うようになってから、学術的な言説空間における英語中心主義を実感しています。[…] 英語を身につけ、映画学の文献を英語の原書で読み、海外の学会において英語で発表することに奮闘していた修士課程時代の私は、すぐにアカデミアに存在する不均等な関係性に気付かされることとなります。国際的に活躍できる学者になりたいと夢見ていたものの、まさにその「国際」という言葉を疑問視することがなかったがために、自分もアメリカを中心とした知の秩序を無批判に受け入れていたのです。[…] 国際的な学術活動に積極的に参加することで、常にその「国際性」を疑問視できるような研究者になりたいと考えています。
1年以上前の文章ではあるが、今読むとなんて生意気なことを応募書類に書いたのだろうかと思う。ただ当時の気持ちとしては「国際交流は他国の社会・文化の理解促進につながりとても有意義である」というお行儀のよい薄っぺらな文章は書きたくなかったのだ。仮にこれで奨学金をもらえなくても自分の意見をしっかりと表明したい、という妙な意地もあったかもしれない。いずれにせよ、こんな生意気な自分を快く迎え入れてくれた渥美財団の懐の広さには今でも驚いている。
渥美財団で1年間過ごして、私の「国際交流への関心」に何か変化はあっただろうか。奨学生としての期間を終えた今、簡単に振り返ってみたい。
正直に言えば、そこまでの変化はなかったように思う。2022年度は16人が奨学生として採用され、内11人が留学生、5人が日本人である。十分に「国際的」と言える環境ではあるが、他の奨学生と接する際は、留学生ではなく、同じく研究者を志す学生として、研究や大学の話をしていた印象が強い。また、2022年度は初めて日本人を奨学生として迎えた年でもあり、何かある度に「初めての日本人奨学生として…」というフレーズが頻繁に使われていた。しかし、これも一種の枕詞と化しており、留学生が多くいることで逆に自分が日本人であることを認識させられるような体験とは異なるものであった。もちろん、「国際性」を意識せずに済んだのは、自分が日本人であり、使われている言語も日本語であったからで、留学生は違う体験をしたかもしれない。それでも、最初の集いの自己紹介テーマが「あなたは犬派?猫派?それとも何派?」であったように、あまり国際交流という側面は強調されていないように感じた(このテーマは今でも強く印象に残っている)。
しかし、現在の社会では国内利益のための「国際化」がより強くなっているように感じられる。外国人技能実習生の過酷な労働環境や、外国人が日本の素晴らしさを褒めちぎるテレビ番組の氾濫などは、その最たる例であろう。また、「反日・親日」といった、特定の個人・国家を「日本のことが好きか嫌いか」という単一な尺度で判断する国家主義的な言説も多くみられるようになった。もちろん、「国際化」(inter-nationalization)という言葉の通り、それは国家間の交流であり、そこでは国の存在が前提として置かれている。したがって、「国際化」が「日本」という想像された共同体を構築することは自明のことである。しかし、「国際化」が相互理解ではなく、自国の利益のために促進される傾向が顕著になっているのではないか。
この1年で、自己紹介文に書いたような、「国際」という言葉の実践からその「国際性」を疑っていきたい、という気持ちは更に深まったように感じる。しかし、渥美財団の集いでは驚くほどにそういったことを考えなかったのも事実である。基本的に悲観的な性格ではあるが、奨学生として1年間過ごしたことで、一時的にでも楽観的にさせてもらえたかもしれない。
英語版はこちら
<加藤健太(かとう・けんた)KATO Kenta>
2022年度渥美国際交流財団奨学生。2023年9月早稲田大学国際コミュニケーション研究科博士後期課程修了。博士(国際コミュニケーション学)。2023年4月より早稲田大学国際教養学部助手。専門は映画研究で、主に日本映画をクィア理論、男性学の観点から分析している。
2023年10月19日配信