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エッセイ750:武内今日子「『研究者』を続けること」

先日、母校の高校で大学の研究生活について講演する機会があった。学生たちは私の話に対して「研究者をやってきて良かったことはあるのですか?」と尋ねた。学生たちが研究者にマイナスのイメージを持っているということではない。私があまりにも過労、ハラスメント、経済的な課題など、研究職に関した多岐にわたるネガティブな側面に焦点を当てすぎてしまったということである。

 

考えてみれば、私は何かになりたいと思ったことがほとんどなく、研究者になりたいとも研究職に就きたいとも思ってこなかった。私の研究関心はジェンダー・マイノリティ-の経験に関するものなので、日常における性をめぐる規範と深く関わり合っており、研究と生活を切り離すことが難しい。そしてジェンダーやセクシュアリティを巡る社会の状況に許せないことがとても多いので、どれほど日本の研究者の環境が良くなくても、やむにやまれず研究しなければならない、という気持ちが強くあった。

 

研究以外の仕事があまりにも多いと言われる日本を脱出して英語圏の大学に行ったり、国外の大学に就職したりする知人もたくさんいる。国際的な場に研究を展開していくこと自体は重要だし、私も日本で生活しながらも英語を日々勉強し、国際学会やシンポジウムなど可能な限り国際的な交流や発表の場面に関わるようにしてきた。他方で、多少の違和感も覚えてきた。一つには英語至上主義がある。翻訳ソフトが発達してきている現在においても、非英語圏を対象とする調査研究をしている人でさえ、英語圏の情報や研究だけに依拠して議論を進めることがある。

 

もう一つには、コミュニティーへの貢献がある。調査研究をしているからかもしれないが、調査を終えて成果を発表すると日本から離れ、協力者との関係も途絶えてしまうというふるまいは問題含みだと感じる。少なくとも大学や研究機関だけでなく、日本にいる対象者が理解できるかたちで成果を報告する必要があるだろう。また個人的には研究環境が良くないからこそ、自分が大学の環境を変えていったり、非常勤などを含む授業で研究成果を学生に伝えたりできたら良いと思うし、将来的には性的マイノリティーのことを研究する人たち、国外からの多様なバックグラウンドを持つ人たちが所属しやすい研究室の候補を増やすことに貢献したい。

 

そう考えると、あまり明確に意識できるほど強いものではないが、研究者をやって良かったと思える未来を遠くに見据えていると言えるかもしれない。その道中ではしんどくなることも多かった気がするが、知らなかったことに気付いたり既存の知識を更新したりする楽しさやもどかしさ、授業で得られる手ごたえ、研究で得られる新たな可能性と出会い、それを日々の燃料とする側面もある。いずれにせよ、研究者であることを今のところ続けてみるという選択肢を可能にしてくれた渥美国際交流財団に感謝したいし、これからもラクーン(渥美奨学生)たちとの交流を続けて縁を活かすことができれば良いと思う。

 

 

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<武内今日子(たけうちきょうこ)TAKEUCHI Kyoko>
2022年度渥美奨学生。2023年東京大学大学院人文社会系研究科博士号(社会学)取得。現在、東京大学大学院情報学環特任助教。社会学・ジェンダー論の視座から、トランスジェンダー/ノンバイナリー史を研究。

 

 

 

2023年11月3日配信