SGRAかわらばん
エッセイ753:ナーヘド・アルメリ「変わってくれた夫」
「不思議だね。私と同じように大きな大人で、手も2本あって、しかも55年間の人生を生きているのに、こんな簡単なこともできないなんて本当にかわいそう」、「コーラン(イスラム教の聖書)のどこかの章に家事は女性の義務だと書かれてあったかしら」、「私は人生がまだ33年しか過ぎていないのに、仕事も家事もちゃんとできて。世話してくれる妻や母がいなくて一人になったら、男は子どもみたいになって、生活能力がなくてかわいそう。だから男性の方がぼけやすいんだ!」等々、皿洗いや掃除をしながら、夫に聞こえる声で、独り言のように、心配しているかのような優しい口調で文句を言う。
3年あまり前に日本で博士号を取得して帰国し、留学する前から付き合っていた人とすぐに結婚した。大学での仕事も始まり、通勤は往復で5時間もかかり、時間にほとんど余裕がない。夫は勤続年数が満了したため、私が帰国する1年前に退職した。シリアでは、特に都市に住んでいると、仕事以外にも男がしなければならないこと多い。例えば、パンや食糧の購入、給水タンクの水位の確認、電話代や電気代などの支払い。だが、私の勤務時間と通勤時間を比べれば、それほど長い時間がかからない。
帰宅すると、夫はだいたいリビングでごろごろしていて、私がご飯を作るのを待っている。食べ終わったら、夫は食卓に座ったままで、私が皿洗いを終えるまで待っていることが多い。皿洗いを終えたらお茶を2人で飲んでから、私がまだ終わっていない家事や仕事を続ける。そのように半年くらい経つと、もともと出ていた夫のお腹(おなか)も少し大きくなり、物忘れもするようになった。「大変ですね、おばさん。妊娠何カ月ですか?」などとおなかをなでながら冗談のように意地悪いことを言う。そして、子どもがほしいと頻繁に頼む彼に、「もう既に大きな子どもが一人いますよ!」とまた優しい口調で意地悪い返事をしたりする。
夫はもともと公安部隊ダマスカス(シリアの首都)支部の人。黒帯5段の空手家なので、支部全体のトレーニング担当が主務だった。師範として人気もあって他の地区の警察トレーニングのために地方に派遣されることもよくあった。だが、退職して、トレーニングどころか、身体を動かすことすら少なくなった。
このままでは夫は年を取っていくだけだと最初から目に見えていた。しかし、結婚したばかりのころは、退職後の不安や寂しさも溜まっているだろうと思い、大好きで尊敬している夫に何も言えなかった。夫に聞こえるように意地悪い独り言や返事ができるようになるまで1年あまりかかった。
大学時代からジムに行くことを日常生活の基本の一つにしている私にとって、帰国して、段々と高くなる月々のジム代が1年後に払えない金額になり、ジムをやめて、家の周辺を散歩し、簡単なトレーニングをすることにした。家から1キロくらい離れたところに車や人の行き来も少ない通りを発見し、ジョギングに使うことにした。特に夏は朝の爽やかな風が気持ちよいので、週末や学校の仕事が休みの日に、朝早い時間に起きてジョギングしている。「行ってきます!」と一人で出ていたが、そのうち夫を一緒に出させるようにした。
少し早歩きして屈伸をして、身体が温まったら走り始める。すると、夫が息苦しくなり足も痛くなるので、ジョギングをさぼる。さぼっている夫の姿が面白くて可愛いと思ったが、「誰が長い間空手師範をしていたのかしら?」などと冗談風に言いながら、夫の速さに合わせて走って3分ごとに呼吸を整えるため1分間休むように工夫した。何十キロも続く県道を公安部隊のメンバーと走っていた30~40代の時の夫には全くかなわないと十分に分かっている私にとって、退職後の夫の男女役割分担に加えて自らの生き方についての認識に変化を起こしたかった。
結婚1年半後に夫は皿洗いをしたり、家具の表面にたまったほこりを拭いたり、私の帰りが遅い時や仕事が忙しい時にご飯を作ったりするようになった。最初はあまり上手ではなかったが段々とできるようになった。そして、現役の時のボスに連絡して、公安部隊でバイト契約ができた。物忘れも少なくなり、腹筋も出た。
最初は、「若い娘と結婚したからしょうがない」、「困った娘と結婚してしまった」などの文句を素直に受けたが、夫は本当にそう思っていたのかもしれない。しかし、日常生活では、仕事やトレーニングだけでなく、家庭のことから始めて責任感を持ち、受け身から能動的な存在に変わってほしいと思っていた。夫はきっとその成果が身に沁みたので、変わり続けてくれた。だが、何よりそれを可能にしてくれたのは、夫婦としての愛情と信頼感なのだと思う。
思い出すのは、母の家事に対する自分の子どもの性差意識と教養のことだ。保守的で伝統的な家庭に育った両親は2人とも「男は外で働き、女は家事や育児」という意識が強い。女3人の次に男3人を生んだ母は、長女の私と妹2人ばかりに家事を手伝わせた。弟たちは成長しても遊んでいるばかりで家事に手を借りてはいけなかった。私と妹が大学に入り家から離れると、母の負担は大きくなった。祝日で帰省したある日、家事で大変そうだった母に、弟たちに家事を教えて手伝わせるよう提案をした。「でも、男だから」と違和感を表す母に、「このままでは、弟たちはわがままばかりでお母さんはどんどん辛くなるだけよ。男も女と同じ人間だから、家事をさせていけないことはないよ。教えてあげれば息子も娘と同じことができる。将来一人暮らしになった場合の息子のためでもあるから。お母さんに頼まれたらきっと素直にやってくれる」と説得した。弟たちは最初嫌がっていたが、母から頼まれているのでだんだんと家事を手伝わなければという意識が生まれた。
2番目の弟は結婚してダマスカスに住んでいて、2歳の娘がいる。休みの日には娘のおむつ替えまで手伝っている。家族で集まる時には、夫と弟も当たり前のように自発的に私たちと一緒に行動する。だが、家族でない人がいると夫や弟に家事を頼めない。残念ながらシリアはまだまだ男優位の社会で、男が家事に手を貸すなんてとんでもないと思われているからだ。
恥ずかしいけど、身内の「男女の役割分担」をめぐる意識について日々の生活断片を明かした。ここで男女平等の必要性を唱えているわけではない。男女平等の課題は時代遅れだと思っている。21世紀の進展とともに女性の社会進出が進んでいるものの、男女の役割分担についての社会通念・習慣・しきたりなどが世界的に見ても残念ながらまだまだ根強いのが現実なのだ。自分には性別による役割分担の意識が無くても、親や周囲から固定観念を押し付けられることで制限を受け、能動的に生きることを阻害されてしまう。むしろ、男性の生きる能力を妨げている男性優位の既存の区分を超えて「個人」としての意識を発展させることが、各家族を始め社会全体としての家庭問題の解決や個人の前向きな生き方へとつながり、よりポジティブな社会の在り方が芽生えてくるだろう。そして、それは社会の責任であるが、母親たちの役割も大きいと思う。
<ナーヘド・アルメリ Nahed ALMEREE>
渥美国際交流財団2019年度奨学生。シリア出身。ダマスカス大学日本語学科卒業。2011年9月日本に留学。2013年4月筑波大学人文社会科学研究科に入学。2020年3月博士号取得。博士論文「大正期の童謡研究――金子みすゞの位置づけ」は優秀博士論文賞を受賞。2020年11月『金子みすゞの童謡を読む――西條八十と北原白秋の受容と展開』港の人から出版。2021年、第45回日本児童文学学会奨励賞受賞。現在、ダマスカス大学文学部日本語学科教員。
2023年1月18日配信