SGRAエッセイ

  • 2008.05.23

    第31回SGRAフォーラム「水田から油田へ~日本のエネルギー供給、食糧安全と地域の活性化~」報告

    2008年5月10日(土)、昨日の暑さを一掃したかのような冷たい雨のなかで、東京国際フォーラムガラス棟G610会議にて第31回SGRAフォーラム「水田から油田へ:日本のエネルギー供給、食糧安全と地域の活性化」が開催された。SGRA環境・エネルギーチームにとって、久々の東京国際フォーラムでの開催でありながら、現在地方都市で大問題とされている「農業」を取り上げた。近年、世界中で叫ばれている地球温暖化温室ガスの削減、石油等のエネルギー価格の高騰、そしてそれが一因とされている食糧価格の高騰を背景に、長年不振が続いている日本の地方都市、特に農業にとって、植物から油を作るバイオマスは「水田から油田へ」転換する1つのチャンスとして捉えることができるのか、2人の講師を招き、活発な議論が行われた。    フォーラムでは、今西淳子(いまにし・じゅんこ)SGRA代表による開会の挨拶に続き、2人の講師による講演が行われた。まず東京農工大農学部准教授の東城清秀(とうじょう・せいしゅう)先生より「エネルギー、環境、農業の融合を考える―バイオマス利用とエネルギー自給・地域活性化―」という演題で、様々な植物系から廃棄物までを原料に作られているバイオマスのプロセスを紹介し、CO2を増加させないクリーンなエネルギーであることを明らかにした。さらに、自然と共生し、自然の恵みを享受してきた日本の農業の活性化をめざして、1万人の町をモデルに食料からエネルギーまで、すべて自給自足できる環境に優しい地域モデルの試算例を紹介しながら、今後のエネルギー・環境・農業の展開とバイオマス利用について考えた。    次は地方都市の中の小さな町である福岡県築上町を対象に、町の産業課資源循環係である田村啓二(たむら・けいじ)氏より「福岡県築上町の米エタノール化地域モデル:水田を油田にするための事業構想」が紹介された。田村氏は日本農業とりわけ稲作農業が、お米の消費の減退で転作率40%を越える中で危機に瀕し、全国240万haの水田のうち100万haでお米の生産が出来ないあるいは放棄されている現状を指摘したうえ、迫力のある写真と生々しい現場の話で、水田農業の衰退の一途を食い止めるための、新たな需要としてお米から燃料用のバイオエタノール化への取り込みを紹介した。お米からエタノール化の目的は、食料だけでなく飼料化、燃料化によって、お米の新たな需要と役割を水田がになうことで、減産から増産への新たな道程を確保することである。    2人の講師による講演を終え、本日のコメンテーターSGRA顧問である埼玉大学経済学部教授の外岡豊(とのおか・ゆたか)先生も交え、近年の地球温暖化問題から発した世界規模のエネルギーと食糧価格の高騰、日本農業の活性化問題など、様々な角度からバイオマス利用の是非について活発な議論が行われた。特に米国のトウモロコシ等を原料に石油代替燃料であるバイオエタノールの大量生産政策や、バイオエタノール需要拡大への期待から投機資金の穀物市場への流入は、近年の食糧価格の高騰を招き、アフリカの低所得者たちは著しい食糧不足に見舞われ暴動も引き起こし、日本でも飼料の高騰で畜産家はきわめて深刻な打撃を受けている一方、米国ではバイオエタノール向けのトウモロコシで農家は潤うという富の偏在が際だっている厳しい現実が指摘された。バイオエタノールは自動車燃料として使われているのであり、つまり「クルマ」が農産物を食べ始めたために、「人」が農産物を食べられない事態を生んでいることに警鐘をならした。    フォーラム終了後、当東京国際フォーラム地下2階にあるカフェテリアで懇親会が行われた。会場で議論しつくせなかった問題等を含めて、3時間にも及んだ活発な私的交流を経て、次の第32回SGRAフォーラム in 軽井沢「オリンピックと東アジアの平和繁栄」へバトンタッチした。   運営委員の足立さんが写した当日の写真は、下記URLよりご覧いただけます。   http://www.aisf.or.jp/sgra/photos/   -------------------------- <李 海峰(り・かいほう)☆ Li Haifeng> 中国北京出身。1991年来日、早稲田大学理工学部建築学科に入学し、学部、修士、博士課程を経て、現在、北九州市立大学国際環境工学部特任准教授・早稲田大学理工学術院客員講師、SGRA環境・エネルギーチームのサブチーフ。 --------------------------
  • 2008.05.17

    エッセイ130:林 泉忠「聖火リレーと中国ナショナリズム」

    北京五輪の聖火が混乱を巻き込んだ海外でのリレーを終え、ようやく「安全地帯」の中国に入った。だが、CNNへの抗議デモ、仏系スーパー・カルフールへのボイコット、そして中韓間の罵声合戦といった動きはすぐ収まりそうもない。   3月以来、中国と欧米諸国との一連の軋轢はチベット暴動に起因するが、その中で3年ぶりに高まりを見せている中国ナショナリズムにおいて中心的な役割を果たしたのは、欧米などにおける聖火リレーをめぐる摩擦であった。チベット独立支持派の妨害、およびそれを「容認」する西側に対する中国人若者の反発という構図である。   では、聖火と中国ナショナリズムの関係をどう考えればいいのか。そしてその影響は? 聖火は五輪の象徴と関連している点が重要であろう。オリンピックにおける聖火リレーの導入は1936年に開催されたベルリンオリンピックであったが、聖火は戦後もオリンピックのシンボリックな存在として重要視されてきた。   14万ほどの亡命チベット人にとって、聖火リレーを妨害する理由は、長い間国際社会そして中国人まで届かなかった自らの訴えをアピールすると同時に、メンツを大切にする中国人を傷付ける絶好のチャンスと見ることにある。一方、北京五輪は多くの中国人にとってかつての東京とソウルのオリンピックと同様、国威の発揚にとどまらず、近代以降味わってきた民族的屈辱を晴らし尽くすには欠かせないプロセスなのである。言い換えれば、中国人から見れば、聖火リレーへの妨害は民族的自尊心の回復を妨害することを意味する。そのため、中国人の民族感情はこれで一気に爆発したのである。   ただし、今回の新たな中国ナショナリズムの高揚は国際社会から理解を得ていないようだ。これは、中国人のイメージをダウンさせてしまうばかりか、オリンピックへの影響もむしろマイナスである。CNNニュースキャスターの「失言」や西側の一部の報道の偏りへの批判には一理あるものの、仏製品の不買運動は理性的批判の枠を超えており、毎週日曜日に一か月もアメリカにおいて行われるCNN批判に対する大規模なデモは、「成熟した大国の国民に相応しくない」というイメージを与えてしまいかねない。というのは、民主主義の国において行なわれるデモは、多くの場合、自国政府の政策への不満であるが、外国への反発に向けた大規模デモは希だからである。しかも、今回の場合、自国でのデモが許されずホスト国でのデモであるだけに、民主主義の「実践」の合理性が疑われても仕方がない。さらに、チベット騒乱における暴徒の暴力行為を非難せず、むしろ中国政府の「鎮圧」と伝える西側メディアの偏向に対する批判にもダブルスタンダードが見られる。というのは、「真相の究明」のはずだが、どうも3月14日に暴動が発生する前の三日間の真相を中国人が追求しなかったからである。   チベット事件そして聖火リレーに絡んだ中国ナショナリズムの高揚に対する西側のマイナス的評価は、4月15日に発表されたイギリスのフィナンシャル・タイムズの調査結果にも反映されている。調査はイギリス、フランス、ドイツ、スペインそしてイタリア五カ国で行なわれ、その結果、35%の回答者が中国を国際社会の安定における最大の脅威とみなしており、その数字はアメリカやイランおよび北朝鮮を上回ったことが示された。   また、今年のゴールデンウイークを利用した中国への旅行者数は前年比で20%減少したという調査(JTB)もあり、北京五輪へのマイナス的な影響はすでに出ているようだ。 ナショナリズムは両刃の剣であると言われている。今回の中国ナショナリズムの波も例外ではない。 (2008年5月3日ケンブリッジより)   ---------------------------------- <林 泉忠(リム・チュワンティオン)☆ John C. T. Lim> 国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、東京大学大学院法学研究科より博士号を取得。琉球大学法文学部准教授。4月より、ハーバード大学客員研究員としてボストン在住。 ----------------------------------  
  • 2008.05.13

    エッセイ129:キン・マウン・トウエ「初めてのサイクロン経験」

    誰でも皆、忘れられない思い出がたくさんあると思います。良いこともあるし、悪いこともあるでしょう。私の人生の中で一生忘れられない思い出ができました。2008年5月2日にヤンゴンで経験した、風速190~220キロの暴風が吹き荒れた大きなサイクロンです。ナーゲッ(Nargis)という名前がつけられました。こんなに大きなサイクロンがヤンゴンに来ることは珍しく、97歳の私の祖母にとっても初めての経験でした。   5月1日の夜11時ごろ、自宅へある軍情報局関係者から電話があり、明日ヤンゴンにサイクロンが来ると知らされました。しかし、こんなに大きなサイクロンになるとは全く考えませんでした。4月28日ごろ、ベンガル湾で小さなサイクロンが生まれました。ベンガル湾では5月は一番サイクロンが多い時期です。しかし、海中で発生してもそのまま消えていく、または、インド側へ移動していくことが普通です。ですから、今回も海中で無くなると予測していました。確かに、今年は例年と違っていて、サイクロンの影響で、ヤンゴンの雨季が少し早く始まりました。この日、ナーゲッはだんだん大きくなりながらヤンゴンの方向へ移動していたのです。時速約25キロという、かなり遅い速度で移動していました。   5月2日の午前中、ヤンゴンは曇り後雨でした。風もなく、普通の雨季の雨なので、昨日の情報が間違いだと思いました。しかし、午後になると空の色が変わってきました。いろんな方からサイクロンの情報の電話が何度もかかってきました。一方、国営テレビからもサイクロンに関する情報が流れています。しかし、ヤンゴンはそんなに影響が無いようです。ベンガル湾側のビーチにホテルを持っている友人へ電話したら、彼らのところには大きな影響がなく、被害も無いようでした。しかし、ナーゲッは、予測ルートからはずれ、ベンガル湾とアンダマン海の間、ミャンマーのハイージー島方面から、午前11時に上陸しました。風速は上陸時の約130~160キロからさらに強くなり、約200キロ前後になりました。サイクロンの半径は320キロもありました。この頃から電話が全く鳴らなくなり、正しい情報がヤンゴンに伝達されなかったため、ヤンゴンの人々は普通の小さなサイクロンだと思い、何の準備もしませんでした。国営テレビは何も報道しなかったので、サイクロンのことを知らない人も多かったのです。午後9時頃になって、やっとハイージー島の被害情報が伝わりましたが、準備をするのには遅すぎました。   午後10時半にヤンゴン市全体が停電し、風も強くなりました。速度がかなりゆっくりだったので、12時半になってから、本当に大きな暴風雨がやってきました。私は、家の中から、激しい雨と風の状況を見ていました。映画で見たり本で読んだりしたことあるような風の音が聞こえました。大きな木やココナツなどが風によって大きく揺れていました。そのうち、ガラスが割れる音や屋根が飛ばされる音が、風の音に混じって聞こえました。私も日本で台風を経験したことがありましたが、今回は、それよりはるかに強いものでした。午前3時ごろなると、風の方向があっちこっちに変わっています。サイクロンは暗い真夜中のヤンゴンの街の中心を、ゆっくり移動しています。午前4時半になると風はもっと強くなり(後で風速約190~220キロと知りました)、暗い街のあっちこっちで屋根などが大きな鳥のように飛んでいます。がんばっていた大きな木もほとんど倒されてしまいました。電線が切れ、電話回線が使えなくなりました。強い風は、午前11時ごろまで続きました。おかげさまで私の家は、風向きの反対側にあり、近くに大きな木も無かったので、大きな被害はありませんでした。   3日午後2時、やっと外へ出られる状況になったので歩いて行って見たら、ヤンゴンの街は大変でした。車はとても使えません。大きな木、電線、家の屋根など、いろいろなものが飛び散っていました。町中停電です。水道も来ない、電話回線もインターネットもダメ、このままでは、いつ回復するのかも予測できない状況で、ヤンゴンは全滅かと思いとてもがっかりしました。   サイクロンの影響を一番受けたエーヤーワデイ管区のいくつの村は、全く無くなってしまいました。水位が7メータぐらい上がりました。ハイージー島の80%は、存在しない状態です。ボカレー町の95%も壊滅的な状況です。政府の発表によれば、この台風の影響で本日(11日)までに、亡くなった方は2万8千人以上、行方不明の方は4万人以上です。実際はこの数字を上回るはずです。2004年12月にタイのプーケットに起きた津波よりももっと大きな被害です。   ヤンゴンでは、物価が上がり、特に食べ物に大きく影響しています。たとえば、以前一個100キャト(10円)だった卵が、現在300キャト(30円)です。交通機関にも影響が出ています。毎日停電です。発電機の値段も2倍ぐらい上がり、燃料費も大変です。2日後、水の配給が始まりましたが、停電はまだ続いています。ヤンゴンは、緑が多い町と言われていましたが、今は大きな木はほとんど残っていない状況です。いつになれば、元のヤンゴンのようになるでしょうか?いくつかの写真を下記URLよりご覧ください。   http://www.aisf.or.jp/sgra/photos/   私の場合、停電なってから発電機の生活でしたが、おかげさまで8日の夜から一番早く一般の電気配給が部分的に得られるようになりました。現在に至るまで、停電している地域が多いです。しかし、ヤンゴンから80キロ離れたところにある弊社が所有する100エーカーの農園は大きな被害を受けました。   ---------------------- <キン・マウン・トウエ ☆ Khin Maung Htwe> ミャンマーのマンダレー大学理学部応用物理学科を卒業後、1988年に日本へ留学、千葉大学工学部画像工学科研究生終了、東京工芸大学大学院工学研究科画像工学専攻修士、早稲田大学大学院理工学研究科物理学および応用物理学専攻博士、順天堂大学医学部眼科学科研究生終了、早稲田大学理工学部物理学および応用物理学科助手を経て、現在は、Ocean Resources Production Co., Ltd. 社長(在ヤンゴン)。SGRA会員。  
  • 2008.05.02

    第31回SGRAフォーラム「水田から油田へ:日本のエネルギー供給、食糧安全と地域の活性化」へのお誘い

      下記の通り第31回SGRAフォーラムを開催いたしますのでご案内いたします。   日時:2008年5月10日(土)午後2時30分~5時30分 その後懇親会   会場:東京国際フォーラム ガラス棟G610会議室 http://www.t-i-forum.co.jp/function/map/index.html   参加費:無料(フォーラム後の懇親会は、会員1000円・非会員3000円)   申込み・問合せ:SGRA事務局 Email: [email protected] TEL: 03-3943-7612, FAX: 03-3943-1512   ■フォーラムの趣旨   現在、石油に代わるエネルギーとして、農地から収穫されるバイオエタノールに世界中の熱い視線が集まっています。バイオエタノールは、サトウキビや穀物などの農産物をアルコール発酵させて製造します。また、木材や農産物の茎葉などに含まれるセルロースを原料にする方法も研究されています。石油などの化石燃料と異なって永続的な生産が可能であり、CO2を増加させないクリーンなエネルギーです。   一方、日本では、コメ余りによる生産調整で、水田の約4割が転作を強いられています。多くの農山村では高齢化が進み、集落の維持すら困難になってきたところもあります。もし、バイオエタノール用のコメ栽培という仕事ができれば、年々増える農地の荒廃を防ぐとともに、稲作技術の伝承を図ることができ、村に人が残ります。崩壊寸前の地域の暮らしから、国のありよう、地球規模での環境問題にまでつながるバイオエタノールですが、それですべてが解決されるわけではありません。世界60億人のうち、飢餓人口が8億人いる時代に、食料を燃料として使うことの是非や、エネルギーの大量消費に支えられたライフスタイルの見直しなど、世界横断で論議すべき課題がたくさん含まれています。   農林水産省は大規模製造プラントのモデル事業を公募し、昨年6月初旬に、福岡県築上町など6地区の中から候補地を選びました。これから本格生産への一歩を踏み出す運びですが、構想実現までには数多くの壁があります。   本フォーラムは福岡県築上町の米エタノール化地域モデル-水田を油田にするための事業構想を紹介しながら、エネルギー、環境、農業の融合を考えます。   ■プログラム   詳細は下記URLをご覧ください。 http://www.aisf.or.jp/sgra/schedule/forum31program.doc   ○基調講演:東城 清秀(東京農工大農学部 准教授) 「エネルギー、環境、農業の融合を考える:バイオマス利用とエネルギー自給・地域活性化」   ○事例報告:田村 啓二(福岡県築上町産業課資源循環係) 「福岡県築上町の米エタノール化地域モデル:水田を油田にするための事業構想」   ○パネルディスカッション   司会:高 偉俊(北九州市立大学国際環境工学部教授、SGRA研究員) コメンテーター:外岡 豊(埼玉大学経済学部教授、SGRA顧問) パネリスト:上記講演者    
  • 2008.05.02

     

    ■李 鋼哲「SGRAの皆さんへ」   今度の聖火リレーを巡る中国の動き、海外中国人の動き、海外メディアの反応、海外市民の反応を見て、自分なりのスタンスを考えていたが、私にとっては複雑な問題であり、どちらが正しくどちらが間違っているか、という次元ではなかなか答えを見出せなかった。それが、日本の長野聖火リレー、韓国ソウルでの聖火リレーを巡るいろいろの動きを観察することで、一つ自分なりの結論を見出すことができた。   1)北京五輪は全世界のオリンピック大会であり、中国の五輪ではないことを認識すべきである。   国際オリンピック大会を催す場所として北京が選ばれたのであり、聖火リレーは世界の人々の心を、五輪を通じてつなぐという立派な催しである。それがパリであっても、長野であっても、ソウルであっても、中国人のための物ではないということである。それに反対する、または人権問題を理由で妨害する行動やマスメディアの報道も基本的な視点を欠いていると思わざるを得ない。同じような視点で考えると、聖火リレーを守るために、中国政府が警察学校の生徒まで派遣する仕草には問題があり、海外にいる中国人たちが(留学生が主体?)聖火リレーを守るために活動をしているのも問題がある。つまり、海外で聖火リレーを行う国では聖火を守ることができないの で、中国人が立ち上がったという、二極対立の構図を世界各国でメディアを通じて造り上げたようなことではないか。   私が所属する北陸大学や金沢大学からも100名以上の学生がバスをチャーターして長野に行ってきた。彼らは自発的に動いたのではなく、東京に本部がある中国人留学生総会の呼びかけで動いたのである。誰が呼びかけたかはさておいて、問題は、彼らは何のために呼びかけ、何のために行ったのかである。基本的な意識は「聖火」を護るということである。私は組織者代表たちとお会いしたとき、このように助言した。「貴方たちが聖火を守るために長野に行くという認識は正しくない。なぜなら聖火は世界人民の聖火であり中国のものではないからだ。仮にそれに反対したり、破壊したりする人がいても、それを護るのは日本政府(警察)であり、日本国民である。聖火リレーに参加するランナーも全員日本人である。貴方たちが取るべき態度は聖火を声援することにつきる」。組織者の代表は熱心にノートし肯いていた。聖火リレーを応援に行く留学生たちの安全のための事前会合であったが、皆さんが無事で帰ってきて、ほっとした。   今度の聖火リレーでは、それが世界人民のためのフェスティバルであるという意義に対する認識とPRが不足したために、結果的には、中国と国際社会の溝や対立を深める始末になったのである。もしこの催しが失敗だとしたら、その失政は国際オリンピック委員会の失政であり、中国オリンピック委員会の失政である。また、それを企画した中国政府も誤算だったかも知れない。逆の効果が大きかったからだ。もちろん、それをもたらしたきっかけはチベット暴動であるに違いない。   もし、人々が地球市民という意識が多少あるならば、このような事態は起こらなかったかも知れない。SGRAの役割がますます重要になってくると思われる。   2)聖火リレーとチベット問題は分けて見るべきである。   聖火リレーの妨害事件が起こったきっかけは紛れもなくチベット暴動であり、その背景には中国の台頭に対する「脅威論」が潜んでいることも想像に難くない。中国が人権問題、民族問題を抱えているのは否定しがたいが、だからといって、世界人民の平和祭典の一つであるオリンピック行事を妨害したり、破壊したりすることは、非難されるべき行為であり、違法行為をしたものは法律により厳罰を受けるべきである。もし、中国の人権問題、民族問題に対して抗議するのであれば、手段と機会は別にいくらでもある。オリンピック聖火を破壊、妨害しようとする行為は、理性的な行動であると思われないし、世界平和に対する冒涜であるとしか思えない。   チベット人の人権のために行ったと理屈を言うかも知れないが、その人たちがチベット問題に対してどれくらいの知識と理解があるのか。長野で逮捕された数人は、本当にチベットのことを理解して、人生を賭けてチベット人のために戦う覚悟がある人たちであるのか。到底そうは思えない。感情に訴えて、ストレス解消のために暴れる「ちんぴら」にしか思えない。なぜかというと、チベット人の参加者は誰もそのような違法行動に訴えなかったこととは対照的であるからだ。   3)チベット問題は客観的な視点で見るべきである。   チベット問題は、中国にとって敏感な問題であり、「チベット独立」となると絶対容認できない領土主権問題である。しかし、中国政府や中国民衆のチベット問題に対する態度は硬直的で、感情的(ナショナリズム的)なものであり、対外的に説得力が乏しいものであると思われる。最近、「人民日報」(海外版)にはチベットが歴史的に中国であったという論文が連載されているが、歴史的事実を述べた部分もあるが、それはあくまでも前提が「チベットは中国の領土である」というもので、論理的・客観的な結論とは到底思えない。もちろん、私は現在「チベットの独立」を支持するという意味ではない。ましてや亡命政府のダライラマも「独立を望んでいるのではなく、高度の自治を望んでいる」というのに。私が言いたいのは、歴史真実を隠そうとすることは世界から中国不信感を招くだけということだ。   中国政府が「チベットは中国の領土」という理由は二つある。一つは、歴史的に中国とチベットは冊封関係があったこと、もう一つは、中国共産党はチベットを奴隷社会から解放してチベット人に幸福を与えたということである。ところが、私が調べたところ、チベットは歴史的にずっと中国の一部であったということは事実とは大きくかけ離れている。中国がチベットを支配したのは清朝の時からであり、中華民国の国民党政権の時は支配が及んでいなかった。だからこそ、共産党中国は解放軍をチベットに派遣して支配を確立する必要があったのである。   もう一つの「チベットを奴隷社会から解放したから、チベット人は感謝している」というような中国人の主張は、外国の侵略や支配を受けた経験のある中国人としては、冷静に考えて言うべきものであろう。旧満州地域が日本に支配されて近代的な産業やインフラが発達したからといって、それが良かったというのは日本の右翼である。イギリスが香港を占領支配して、貧しい香港から豊かな香港を造ったから、イギリスに感謝しろと中国人に言ったら、誰もが、それは植民地支配であり、香港は奪還すべきものであったと思うのではないか。社会や経済が以前より発展したとしても、一つの民族が他の民族に支配されるような構造は、支配される民族側から見ると不公平であり、受け入れ難いことである。中国人(漢民族)は懐が深いから、チベット民族を含む中国の少数民族のそうした気持ちを理解すべきであり、その上でもっと合理的な政策や制度を考案する努力を注ぐべきである。イラクが独裁国家だからアメリカが軍隊を派遣して独裁から解放し、民主主義国家で豊かな国家を作ったとしても、イラク人の多数は快く思わないだろう。それに対して中国人はどう見ているだろうか。言うまでもなく、アメリカの覇権主義・帝国主義だと思うに違いない。「チベットは中国の領土である」というネティズン世論のほとんどが感情論であり、チベットの歴史を客観的な知識として知ろうとするものではないことが、林泉忠先生のブログ(註)に対するコメントからもよくわかる。   チベット問題がたびたび起こり(1989年にも暴動が起こっている)、国際的な関心を呼んでいるのは、中国の民族政策に問題があるからではないか。今度の事件をきっかけに、中国は民族問題や民族政策を根本から考え直す必要があるのではないか。武力と多数の論理で、中国の多民族国家の永久の安定を保つことは、恐らく長続きできないだろう。今の時点で、中国人皆さんに、客観的で冷静な観点でチベット問題を見るべきだと言っても、現実的には無理であり、誰も受け入れようとしないだろう。   だからこそ地球市民を目指すSGRAの皆さんに、自分の考えを伝えるのは価値があると思い、以上短見を述べた次第である。   (註)SGRA研究員の林泉忠さんのブログが下記よりご覧いただけます。(SGRA事務局) http://blog.ifeng.com/1305287.html     ■(匿名投稿)   観客が聖火走者を見ることができないような聖火リレーなら止めたほうがいい。 私の提案:国立競技場のような大きな競技場で、走者一人ずつ1周廻る聖火リレーにすれば、観客は全部の走者を観ることができる。ウエアもお揃いのではなく、自身のウエアのほうがいい。お金もかからない。     ■(匿名投稿)   SGRAの「聖火リレーは続けるべきでしょうか」を拝読させていただきました。私の感想を少し書かせていただきます。   中国人として、今回の聖火リレー妨害活動は心が痛みます。我々のような海外にいる中国人は、外国の文化や考え方をよく理解できるので、母国を擁護する一方、外国人の立場にも立って、もっと中国の難しさを理解してもらう責任があるではないでしょうか。   今の中国は、農村と都市部の経済格差、教育格差等の様々な問題を抱えています。これから経済成長とともに、民主化を進めていく過程で、現状ではどうしても中央集権でないと解決できない問題が山ほどあります。かつて日本の高度成長期も同じような難問を抱えながら、現在の経済大国まで成長したのと同じように、現在の中国も大変難しい時代に差し掛かっています。   今回の聖火リレー問題は、民主化が進んでいる欧米先進国からみれば、中国国内における民主化(特に報道の自由化)が進まない限り、外部の人々(一部の中国人も含む)は聖火リレーを妨害するような極端な手段をとるしかないと考えているのかもしれません。   21世紀に入って、中国やイスラムの台頭に伴い、アメリカやヨーロッパを中心とする大国が大きな脅威を感じているかもしれません。イラク戦争など、まさに文化と文明の衝突の時代に突入しています。文明の衝突だからこそ、対話によって相互の利害関係を緩和・解決する努力がもっと必要であると思います。そういう意味で、SGRAの活動はすばらしいと思います。   2008年4月29日の日本経済新聞に「中国のナショナリズム台頭:欧米メディアが分析、知識層にも猛烈に拡大」という記事が掲載されました。私は健全なナショナリズムが必要だし、それこそ中国の民主化を推進させる原動力であると考えています。
  • 2008.04.29

    エッセイ#128:太田美行「世界のセンターと世界の田舎者」

    葉 文昌様   SGRAかわらばん154号「差別化問題とグローバル化」を大変興味深く拝読しました。 日本のように人的資源以外なく、国土的にも小さな国がグローバル時代にどう生きるか考える上で、国際学会の話は示唆に富んでいますね。   しかし、「世界のセンター」は今の時代、本当に存在しているのでしょうか?また必要なのでしょうか?7年くらい前になりますが、「米国のホワイトハウスで政策立案に携わっている」という20代の女性と話す機会がありました。その時、「米国は世界の警察としての役割を担ってきたが、911事件以来それが揺らいでいる」と言われ、「そんなことを考えているのはアメリカくらいだ」と思い、そんなことを無邪気に信じている政策担当者に腰が抜けるほど驚きました。自分の周囲のことしか知らない人のことを「田舎者」と評することがありますが、その時は正直、「なんて田舎者的発想なのだろう」と思いました。アメリカだけが自分を世界のセンターと考えているのでは?(その人が少数派であることを祈ります。)   では逆に「世界の田舎者」は存在するのでしょうか。ここ数週間私が抱いている疑問です。   日本に関して言えば、今の日本は「世界の田舎者」になりつつあるのではないかと心配しています。その理由は第一に発信力が弱いこと、第二に日本以外の他者を知ることへの探究心が弱まっているような印象を最近受けるからです。   一つ目の発信力に関する要素の大部分は、英語力の弱さにあると思います。日本の公立の小中学校における英語教育のあり方には目を覆いたくなるものがあります。もちろん「英語力=グローバル(ビジネス力)」ではありませんが、国際社会で共通語ができないために効果的な主張ができにくいことは確かです。そして企画力やアピール力の弱さも挙げられるでしょう。昨年シンガポールに旅行しましたが、その際、韓国観光局によるCMの多さに驚きました。日本でも良く知られた俳優を起用したCMを放送したり、伝統だけでなくエネルギッシュな韓国の「今」を紹介するCMなど大変よくできていました。恐らくテレビの放送枠を買い取って放映しているのでしょう。   二つ目の問題に関しては、日本人に限った問題ではなく、そして外国だけでなく自国内の問題への無関心という点で日本以外の他国の人々も同様かもしれません。以前、日本に留学していた裕福なフィリピン人学生が、スモーキーマウンテン等に象徴されるフィリピン内の貧しい人々の状況を、日本のメディアを通して初めて知ったということがありました。彼女は裕福な家庭出身のため、自国内で貧しい人たちと接点がなく、知らなかったのです。そしてその貧しい人たちに外国人が支援をしているという実態を知り、「自分も帰国したら、彼らのために何かボランティアをしたい」と話していたそうです。   もうひとつの例としては、私が日本語教師をしていた時、中国人学生同士でも民族が異なると、互いに全く話をしないということがありました。教科書を忘れたある中国籍の少数民族の学生に、漢族の生徒の教科書を見せてもらうよう指示したところ、お互い話もしないし(授業中なのに)すぐに自分の席に戻ってしまうのです。教師の間ではよく知られていることらしいですが、新米教師だった私には大変ショックな出来事でした。日本に住む日本人だけでなく、世界中どこでも、多数派は往々にして自己中心的になりがちなのかもしれませんね。日本に留学していたウイグル族の留学生が帰国してみたら、いつの間にか漢族の町ができていて、膨大な数の漢族が移住してきていて、自分たちの文化が消されてしまうのではないかとショックを受けていたこともありました。   やや話が逸れてしまいましたが、「世界の田舎者とは自分と自分の周囲のことしか見ない人」と考えられないでしょうか。では「世界のセンター」とは何なのでしょうか。経済力、政治力、そして豊富な資源や文化的な影響力・・・。思いつくままに国力の要因と考えられるものを挙げてみましたが、これだけではないでしょう。しかし本当に今でも「世界のセンター」は必要とされているのでしょうか?交通機関の発達、留学生や移住者の増加、そして何よりインターネットの登場により、個々の発信力が強まった現在において必要なのは、「もっと違うこと」ではないでしょうか。   自国の情報源だけでなく、各国メディアを通して自国がどのように報道されているか、そして自分は本当に自分の国のことを知っているのか、「国は」でなく、「自分は」何を知りたくて、何をすべきなのか。それらを複数のメディアを通して、それらの意図やフィルターを考えた上で自分のすべきことをすることが必要なのではないでしょうか。   「国単位」だけでなく、「メディア」単位でも意図やフィルターはあります。日本のテレビ局や新聞社もそれぞれ主張や傾向があります。A社のトップニュースがB社では全く扱われないということもありますし、ある有名な海外政治家の発言が新聞社の主張に合わせた形に編集されて報道されたこともあります。そうなると各メディアの比較検討が個人レベルでも必要となってくるでしょうし、現在の技術はそれを容易にしていると思います。   私が大学に入学した時、国際関係論の教授は学生にイギリスの経済紙「FINANCIAL TIMES」を必ず読むように指導し、それに合わせた課題も出しました。なぜ「HERALD TRIBUNE」や「THE WALL STREET JOURNAL」でないのかと学生が質問すると、「日本ではアメリカの情報を簡単に入手できます。しかし世界はアメリカだけではありません。その複数の視点を養うためにイギリスの経済紙を選んだのです。本当はフランスの「LE MONDE」が良いのですが、フランス語を読みこなせる人はあまりいないと思うので」と答えられました。そして学部付属の図書館には「FAR EASTERN ECONOMIC REVIEW」を初めとするアジアの雑誌も揃えられました。身近にそうした環境が整えられていたことは大変ありがたかったものです。   更に重要なのは、それらから得た知識を分かち合い、議論することではないでしょうか。気に入らないサイトに対するサイト攻撃などがありますが、そのような独りよがりになることなく、互いに議論する。まどろっこしく、牛歩にも似た動きのようですが、それこそが長い目で見ると、大きな力になると信じます。国家というのは常に自国の利益を優先する存在です。もし真の他者理解や交流を図るのであるならば、私たちは常に「私」という「個」に戻る必要があるでしょう。私が大学院生であった頃、チベット仏教を研究している学生が授業で研究発表をし、その後皆で議論をしました。その時ただ一人いた中国人学生は、自分が「クラスに一人の中国人」という立場であるためか、「中国政府擁護」に終始し、その場にいた学生は誰も中国人である彼女個人を非難していたわけではなかったのですが、結局議論は噛み合わないまま終わってしまいました。外国で自国の批判をされて気持ち良いはずがありませんが、問題は彼女がチベット問題を何も知らないまま政府擁護をしてしまったことにあるように思いました。   今回のオリンピックの聖火リレーで中国人留学生や中国系住民が祖国の聖火リレーを応援する気持ちはとても自然なものだと思います。しかしオーストラリアで行われたリレーで見たある映像には正直がっかりし、悲しくなりました。それはテレビのインタビュアーがチベット系住民にインタビューをしようとしたところ、中国人留学生たちが中国旗で画面を埋め尽くし、「One China!」の連呼でインタビューを打ち切ってしまった出来事です。その光景は正に、数に物を言わせた暴力として私の目には映りました。もしあの場に限らず、中国人留学生たちとチベット系住民の間で議論(対話)が生まれたらとても良かったのですが。   チベット問題に限らず、議論の結論が簡単につくとは思いません。もしかしたら結論がつかない議論を死ぬまで続けることになるのかもしれません。しかし「話し合う」、その事にこそ意味があり、互いに学べるのではないでしょうか。その意味で、「世界のセンター」ではなく、知の発信地が世界のあらゆる所にあり、議論(対話)が無数にあることを願ってやみません。私たちの時代にはもしかしたら何も解決しないかもしれませんが、長い人類の歴史の中で少しでもそうした動きが進歩のステップになれば、それで良いのではないでしょうか?   --------------------------- <太田美行☆おおた・みゆき> 1973年東京都出身。中央大学大学院 総合政策研究課程修士課程修了。シンクタンク、日本語教育、流通業を経て現在都内にある経営・事業戦略コンサルティング会社に勤務。著作に「多文化社会に向けたハードとソフトの動き」桂木隆夫(編)『ことばと共生』第8章(三元社)2003年。 ---------------------------  
  • 2008.04.25

    SGRAからの質問:聖火リレーは続けるべきでしょうか(1)

    SGRAから、購読者の皆さんに質問しました。 「聖火リレーは続けるべきでしょうか」   ■ 聖火リレー問題について意見を申し上げます。 チベット問題について一定の理解があるものの、今回のように聖火リレーを妨害することは下作だというしかありません。もともと聖火リレーは国際オリンピック委員会によるものであり、聖火は世界の平和を象徴するもので、聖火等を奪うようなテロ行為は本来なら世界が許すものではありません。ダライ・ラマ氏が言うように、暴力等をふるって問題を解決するものではありません。オリンピックを自分たちの政治に利用するのも卑怯です。中国政府に問題があるとしても、世界が望む四年に一度の平和の象徴のオリンピックを侮辱するのは決して許せるものではありません。平和的にオリンピックを行われることを祈っています。今回のような事件は、チベット問題を解決するのに何も役に立つことがないと思います。聖火リレーを妨害するのは得策ではないです。   ■フランスで車椅子のランナーの手から聖火を奪う場面を見て、本当に驚きました。自由の国のフランスで、不自由な方にこのような恐怖を与えるのはわれわれ普通の人から見れば不思議でならないです。地球市民って難しいですね。いろいろな国々があって、それぞれの立場・利益からものの見方が変わってきます。日本のメディアも中国への非難一色で、聖火リレーを妨害する過激な行動が民主的ではないことは誰も批判しませんね。ま、どっちもどっちでよくわかりません   ■私は縮小、或いはやめた方がいいと思います。本来の目的は達成しませんので、聖火リレーを続ける意味はないと考えます。   ■今回の聖火リレーについては、本当にいろいろと考えさせられました。中国国内では、ナショナリスティックな意見も少なくないですが、マスコミは意外と冷静でした。リレーのトラブルに関する報道は規制されているせいか、衝撃な映像などはあまり流されていないです。   それに関連して、日本の報道ぶりに驚きました。上海の自宅で日本のNHKのニュースが見られるので、 聖火リレーの様子をキャッチできますが、昨日は衝撃を受けました。NHKの報道によると、インドネシアでの聖火リレーは中国政府の要請で専ら現地の運動場の中で行われたということでしたが、その直後、中国国内のニュースをみると、リレーは明らかに街の中でも行われている映像が流されていたのです。NHKも欧米のメディアと同じく、過大報道、中立でない報道、意図的な報道などといった問題を抱えているといわざるを得ないです。   チベットで起きた暴動事件などについても、真実はまだ見えないですが、マスコミの報道を単純に信じるのは危ないと強く感じました。中国政府を代弁するつもりはまったくないですが、今回の聖火リレー事件を通じて、中国国民が欧米諸国を見る目が変わったと思います。   日本での聖火リレーはどうなるか、注目したいです。   ■北京に行ってきました。海外のテレビで流れている聖火リレーとそれをめぐる数々の騒動、およびそれによって出来上がっている北京五輪のイメージと、北京空港や北京街頭で体感した北京五輪の雰囲気とはだいぶ異なるような気がします。もちろん、私は今北京に住んでいないし、あくまでもこの4日間だけの滞在でしたので、私の「体感」もある意味ではこの4日間だけの私個人の感覚に過ぎないと思います。   しかし、昔に比べるとさわやかな緑(昔なら埃を被った緑)がずいぶん増えたなあとまず感心しました。まっすぐで大きい道路や立派な建物、そしてあの広々した開放感のある空間作り(それは昔もそうだったが、今はより広く感じられます)に癒されました。そして何よりも接してきた人々のあの親切さ、ホテルの人、タクシーの運転手、空港のスタッフ。みんな自然に笑顔があって心のゆとりを感じました。「ずいぶん変わったなあ」と感心しました。   海外のメディアはやはり海外のメディアらしく、彼らの意図や想像によって情報を取捨選択して流していると思います。もちろん、中国のメディアもそれなりの取捨選択で報道していると思いますが、しかしCNNの報道や、時には日本の民放の報道ぶりをみていると、彼らに中国のメディアを批判する権利はないなぁと思います。やり方はよりソフトに見えるかもしれませんが、情報操作とは言わなくても先入観があまりにも甚だしい。   私は普通の北京の人々が自然に笑顔で優しく接してくれるのが何よりも嬉しく思いました。もちろん中国にはまだ人権問題や環境問題など数多くの問題があります。程度の差はあるが、それはパリでも東京でもあると思います。しかし、中国人にも、北京オリンピックも含めて世界の人々と交流を深める中、自然な笑顔が溢れる「幸せ」を追求する権利はあります。そして北京で確実にそれが見えてきたのが何よりも嬉しいです。   海外のメディアは“洗練”されているかもしれませんが、その“洗練”の下には「アジア蔑視」「偏った先入観」が隠されているときもあります。“洗練”したカッコウをした「行き過ぎ報道」より、私にはタクシーの運転手や空港の若いスタッフ等の素朴な北京の人々のほうが正直で良いと思いました。  
  • 2008.04.22

    エッセイ127:徐 景淑「文化は力‐茶の湯」

    日本には他国にはない文化がある。それは茶の湯という飲茶の儀式とそこから生まれた侘び寂びの美意識である。茶の湯は分かっても、「侘び寂び」という言葉の意味については理解に困る。   私のような外国人には当然のことで、日本人でさえよく分かっていない気がする。私は正式にお茶を習ったことはない。研究対象が茶道具であるから茶道に興味がある程度であるが、「侘び」と「寂び」については今もたくさん考えさせられる。   鎌倉時代に中国から禅宗の飲茶法が導入されてから千利休(せんのりきゅう)の生きた安土・桃山の時代まで、美意識は、豪華で耽美的なものであったが、その反面、単純美を否定し、時を経て傷んだわびしい状態の美を肯定する精神的な美意識もあった。「侘び」とは広辞苑によると「①わぶること。わびしいこと。思いわずらうこと。②閑居を楽しむこと。また、その所。③閑寂な風趣。茶道・俳句などでいう。さび」とある。この説明では「侘び寂び」が何の意味かますます分からなくなる。基本的に「侘び」とは侘しい(わびしい)「寂び」とは寂しい(さびしい)という意味で捉えられる。   「寂び」は「錆び」とも書き、時間の流れによって古くなる様子、それが完全な美しさに到達していない、ある趣の美である。これには村田珠光の「草庵の茶」という新しい試みがあり、茶道具を通して形象化されたのである。草庵の茶とは四畳半という狭い空間で、飾り付けも少なくし、道具も歪みや不正形の、完全には物足りない道具で茶を点じることである。その後、紹鴎が踏襲し、ついにその弟子千利休が侘び茶を大成したのである。完全たる形、概念、日常、常識を超えて、あえて汚す、歪む、散らす美である。   それでは、日本でなぜ侘び・寂びの美意識が生まれたのか。武士政権が主導する日本とは違って王権政治をした朝鮮半島の例をみるといい。ごく簡単にいうと、政治面で日本は藩間の戦争が耐えることなく続いていたのに比べ、朝鮮は中央集権体制のもとで国内での戦いがなく、両班(文班と武班の貴族)のうち、文班(文臣)が権力を握るときが多かった。宗教面では、日本が華麗な仏教を中心にしたのに比べ、朝鮮時代は質素な儒教を支持していた。朝鮮でも飲茶の風習は古代からある。先祖に祭る祭祀を「茶禮」といい飲茶の痕跡は度々見られるが、茶室という特定の場所を設けてはいない。戦争のない平和な時代に茶室などは必要なかっただろう。   日本の場合は、江戸時代に入るまでは緊張を緩めることができない時代であった。俗世から離れて安らぎを求めるため、時には敵同士で非武装して向き合うため、ある時は仲間との親交の場として四畳半の空間はとても適したと思われる。生きるか死ぬか、勝つか負けるかの厳しい現実で、失敗は許されなく、全て完璧さが求められたに違いない。その現実において、四畳半の窮屈な茶室で完全とはいえない茶碗でお茶を飲む。これこそ究極の安らぎの空間であり、自分を見極める瞬間であっただろう。そして、こういう時代であったからこそ生じた茶の湯の文化、侘び寂びではないかと思われる。   茶の湯は今の日本を豊かにしたといっても過言ではない。茶の湯が残した数多くの美術品は人々の心を豊かにし、それを求めて各地を巡った商人の活動は日本が経済大国になる基礎になったのではないかと考える。文化は力なり。茶の湯は日本の大きな力となった大事な文化であるといえよう。   -------------------- <徐 景淑 (ソ・キョンスク) ☆ Seo Kyoung Sook> 韓国釜山の東亜大学芸術学部工芸学科(陶磁工芸専攻)卒。現在、慶応義塾大学大学院文学研究科(美学美術史学専攻)博士課程で高麗茶碗の研究をしている。SGRA会員。 -------------------- *このエッセイは、2006年度渥美国際交流奨学財団年報に投稿していただいたものを、筆者の許可を得て再掲載しました。  
  • 2008.04.20

    エッセイ131:林 泉忠「中台関係は果たして改善するのか」

    去る3月の総統選で当選した馬英九は22日に中華民国第12代総統に就任し、台湾は新たな時代に入る。馬英九時代の中台関係は改善する方向へ進むだろうと期待されているが、その根拠には必ずしも十分な説得力をもつとは限らない。中台関係は果たして蜜月の時代になるか。馬氏の強みと弱みを探ってみたい。    陳水扁時代の民進党政権は、中国に対話の相手として一貫して承認されてこなかった。そのため、1990年、李登輝時代に設置された中台間の実務窓口である台湾側の海峡交流基金会と、中国側の海峡両岸関係協会によるハイレベルの対話も事実上ストップしたままであった。中台対話中断の背景には「台湾独立」を掲げる民進党に対する中国側の深い不信感がある。   一方、当時の国民党主席・連戦氏は、2005年に57年ぶりに中国本土を訪問し、共産党との歴史的和解の道を開いた。その後4回にわたって国民党と中国による経済フォーラムが開催され、経済分野における台湾の中国進出の便宜図りに実績を積んだ。   これは両岸関係における国民党の強みにもなり、こうした中国の発展の勢いを台湾経済の活性化にうまく利用しようとする姿勢が、今回の台湾の政権交代につながったものとみることができる。    しかし、中台の政治的対話の進展や台湾の国際社会における存在感の強化については、楽観視できる材料が必ずしも多くない。馬氏個人の中国との交流歴はほとんどないばかりか、これまでにも中国を批判する言動が少なくない。   例えば、毎年6月の天安門事件記念座談会への出席や、「反国家分裂法」への反対、共産党独裁に関する批判文の発表、法輪功に対する寛容的対応の呼び掛け、そして最近のチベット問題に対する中国への批判など、これらはいずれも中国の逆鱗に触れるものであった。   また、馬氏は一昨年、国民党主席在任中に「独立は台湾の未来における選択肢の一つ」という新聞広告を出し、さらに昨年、総統選における国民党候補の公認になった後、「国連復帰」を求める住民投票を推進していた。これら一連の行動は中国の怒りを買うことにもなった。   ただし、馬氏は昨年の暮れから中国に妥協する姿勢も示した。中国は、民進党の「国連加盟」とともに国民党が自ら進めている「国連復帰」の住民投票に対し、アメリカや日本といった台湾に影響力のある国への反対表明呼び掛けを成功させたと同時に、国民党名誉主席の連戦氏や、中国に進出している台湾企業などにもボイコットを呼び掛けさせた。   こうして、これまであくまで自らの立場を堅持した馬氏は最終的に中国に屈服し、「国連復帰」を含めた住民投票のボイコットを事実上容認し、不成立に追い込んだのであった。    馬英九氏の台湾新総統就任によって、中国との両岸間の経済関係や人的交流は今後一層強化されるだろうが、政治的対話は果たしてどの程度進むかは依然不透明のままである。両岸の統一について、馬氏は任期中協議しないと公約したため、今後は、馬氏が承認を強く求めている台湾の地位をどう扱うかということが焦点になる。   これまで中国は台湾を自らの一つの省としか公式に認めず、台湾の国際社会における存在感の強化を厳格に阻止してきた。中国は李登輝政権の後半から陳水扁政権にかけて、台湾が希求してきた国連復帰(もしくは加盟)や世界保健機関(WHO)への加盟キャンペーンを「台湾独立の動き」として片づけてきた。   しかし、これらの動きに対しては国民党も支持し推進してきた。来る馬英九新時代においては、このようなキャンペーンは今後も継続されるか、国民党の選択を迫られる一方で、中国にもプレッシャーを与えている。   なぜならば、馬氏は北京の顔を伺いながら、国際地位の強化運動を止めることになれば、台湾内部からの反発を受け、政権の安定に悪影響を及ぼすことになるからである。しかし、統一派のイメージが鮮明な馬氏が、もしこのような運動を継続させた場合、中国は苦しい立場に追い込まれることになる。   というのは、もしそれを同じく「台湾独立」の動きとして批判するならば、両岸の民衆のみならず海外数千万の華僑・華人からの支持が得られない。そればかりか、そうすると台湾社会は朝野を問わず皆独立に傾斜することになり、これまで独立派は少数にすぎないという中国自らの主張と矛盾するだけでなく、台湾の遠心力を阻止できなかった、過去二十数年間の対台湾政策の失敗を事実上認めることになる。   国連やWHO加盟問題だけではない。そもそも中国は、これまで「総統」や「外交部」(外務省)と呼ばず「指導者」や「渉外部門」と台湾を「矮小化」する名称を使用してきた。これに対して強い不満を表明してきた馬氏は、名称の正常化要求を堅持する限り中台の摩擦は避けられない。   馬英九新時代の中台関係は、ますます目が離せなくなるに違いない。   --------------------------------- <林 泉忠(リム・チュアンティオン)☆ John C. T. Lim> 国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、東京大学大学院法学研究科より博士号を取得。琉球大学法文学部准教授。4月より、ハーバード大学客員研究員としてボストン在住。 --------------------------------- *このエッセイは、『沖縄タイムス』朝刊3月30日、31日に発表された記事を加筆修正し、筆者と新聞社の許可を得て転載させていただきました。  
  • 2008.04.15

    エッセイ126:葉 文昌「差別問題とグローバル化」

    「ヘアスプレー」というミュージカル映画を見た。60年代の黒人差別がまだ濃く残っていて且つ白人がメディアを牛耳っていたアメリカで、黒人のダンスの人気とは裏腹に舞台上演のチャンスを奪われたことをきっかけに、体形で差別されていた白人の女の子と、差別を良しとしない仲間の協力を得て、ついに黒人R&Bが大衆の支持を得て優勝したという内容である。この映画の中で、その頃は一般的であったであろう黒人や肥満などへの差別に対して、黒人と白人、肥満と普通、それぞれ多様であると訴えているところが印象的であった。   アメリカ社会は人種問題が激しい。それがない日本や台湾の方が住みやすいと日本と台湾に住む人々は言う。自分もかつてはこのような場所に生まれて良かったと胸を撫で下ろしていたものである。しかしエネルギー消費が増大すれば、地理的な活動範囲が拡大するは自然の摂理である。人間の歴史は、これまで幾度もそれを経験してきた。何らかの技術革新により人々の行動範囲は郷から県に広がり、また何らかの技術革新(例えば鉄砲)により県から国、そして何らかの技術革新(例えば発動機)により国から地球に広がった。そしてそれぞれの時代の中で、それまで郷内しか知りえなかった者が「よそ者」に抱く感覚や差別と、それまで国内しか知らなかった者が他国人に抱く感覚や差別は同じものだったと思う。だとすると単一民族とはある時点の特別な状態であって、差別問題はいつでも起こりうる。したがって60年代に社会の多様性を訴えて差別をなくす努力をしてきたアメリカは、グローバル時代を先取りしていたと言える。   昔、日本は単一民族国家だから外国人との付き合いに慣れていないと聞いたことがある。しかしグローバル化が進めば外国人との往来は益々増える一方で、それを拒むのは不可能である。また資源のない日本は外国との関わりを持つことによって豊かさを得ている面もある。開国する以上、一人よがりの中途半端な対応ではアジアからの人望を失う。人望を失えば人と金は集まらない。人と金が集まらなければ活気を失う。日本は開国することを選択した以上、中途半端な対応は許されず、今以上に外国人に対する意識の変革が求められているのだ。台湾人が日本に抱く感情の一つに「電子製品が優れている」ということがあるが、同時に「閉鎖的」とも聞く(多くは2~30年前のことが言い伝えられているが…)。日本はアジアからの人望がまだ不足しており、一流の人材は日本よりアメリカを選ぶようだ。そしてアメリカの影響力は強まり、電子製品ではアメリカと(日本を除く)アジアのグローバルスタンダードが出来上がる。そして日本の企業の業績に影響がでる。アジアと日本は近所なのに残念な話である。   ここで実例として産業に近い国際学会Aを紹介したい。この産業は日本が切り開いてきたが、その後韓国がトップの地位を確立したX産業に関する学会である。A学会は日本で設立され、毎年日本で開催される。組織委員会は大勢が日本の関連企業のお偉い役員で固められているが、その後韓国でこの産業が発達してきて研究レベルも向上したので、韓国人が主催を求めるのは当然の流れである。しかしこの学会の委員は頑なに外国での主催を拒んでいた。堪りかねた韓国人と日本人は、共同で同じ分野のB学会を設立し、毎年日本、韓国と台湾で掛け持って開催することにした。その際には、旗振り役の日本人研究者はA学会の人からクレームがついたそうである。また、B学会はその後ヨーロッパ人の要請でヨーロッパでも開催することになった。そしてこれをきっかけに、以前はアジアまで来なかったヨーロッパ人の参加者が増え、当然学会は益々盛り上がり、レベルが上昇するようになった。一体日本人組織委員だけで固められた学会に外国人が喜んで参加すると思うのであろうか?人が集まらねば当然高いレベルは維持できない。そして当然A学会はしぼんでいくことになろう。これは独善的な対応が行き詰ったことの実例である。このような状況はここで挙げた学会だけの話ではなく、他の分野でも起こっていると思う。日本では若い人ほど国際化に慣れている。国際化に彼らはうまく対応できよう。しかし問題は今会社の舵取りをしている世代なのである。グローバル化という時代の変革に適応していない人が少なからずいるのではないかと思う。   日本に牽引力がないのであれば、中国やアセアン諸国の一流人材を台湾に吸い込めたらどんなにいいかと思ったことがある。しかし一筋縄には行かないようだ。「台湾は外国人に親切と思うか」と台湾人に聞いてみると、「とても親切に接している」と言う。しかし彼らの言う「外国人」とは実際は自分より豊かな欧米諸国や日本からの外国人で、実は自分より貧しいアジアの国々の人に対しては「外国人」ではなく「外労」(外国人労働者の略称)として差別しているのである。6年前に台湾でかなりの規模の企業の工場を見学したことがあったが、本国人社員と外国人労働者の食堂が別々にあるのに気づいた。これは誰が見ても非効率である。そこで案内してくれた管理職の方に理由を聞いたところ、平然と「外国人労働者にはある種の寄生虫がいるから」と真顔で答えられた。このように日常的に差別が存在し過酷な搾取を受けているので、台湾ではこれまで外労の暴動が起きたこともある。日本人や欧米人にはやさしいが自分より貧しいアジアの国の人たちには厳しい。これでは弱い立場の平社員には厳しいが上司にはへつらう中間管理職と一緒である。当然部下からの人望は集められないし、偉くもなれない。たまたまリーダーになってしまったら、それは災の始まりである。だから台湾が他の国の人材を吸い込むのは難しい。   弱い立場の人間には厳しいので、皆学歴や家柄や人脈を強調して、自分を強く見せていじめられないようにする。台湾で路上の果物売りから果物を買っていた時に近所の人が通りかかったことがあった。後で「そんなやさしい顔をしていたら高く買わされるよ」とアドバイスを受けた。僕としては、相手は貧しい農民なのだから少しくらい高く買わされてもいいと思っていたのであるが、台湾ではそう考えないらしい。強い人にはへつらうが弱い人には厳しい。これは魯迅の言う阿Q精神で、中華文化の一部である。欧米的価値観では貴族の義務があって、社会上層にはより厳しい要求があると聞く。中華圏は反対で「貴族の権利」と「底辺の義務」しかなさそうだ。弱いものには厳しく当たるので弱い立場の辺境民族や農民は搾取の対象となる。そしてたまりかねて蜂起が起きる。これだから中国もリーダーの人望と品格は持ち得てない。   アメリカでは今や企業の雇用に国籍を問われないことが多く、世界から直接応募が集まり、企業も国籍問わずに対応すると聞く(註)。今後人々の地理的な活動範囲が増えればこの傾向は益々強まるであろう。それはアメリカが60年代に人種差別問題に真摯に取り組んだことがある程度影響しているのかもしれない。スポーツの世界でも、脂の載ったアジアの選手が次々と向こうに行って活躍し、給料以上の金をアメリカに集めさせている。「社会の発展は人にある」とすると、やはりこの先もアメリカが世界のセンターとして君臨続けるのではないかと思う。   註:http://nvc.nikkeibp.co.jp/report/jinji/leader/20070906_000701.html 参照。   --------------------------- <葉 文昌(よう・ぶんしょう) ☆ Yeh Wenchuang> SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2000年に東京工業大学工学より博士号を取得。現在は国立台湾科技大学電子工学科の助理教授で、薄膜半導体デバイスについて研究をしている。 ---------------------------