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エッセイ185:于 暁飛「ホジェン族の少女(その3)」

バスの警笛に私は目覚めた。街津口に着いたのだ。乗客は降り始めた。今日はフェイフェイの姿が見えない、私が前もって具体的な時間を電話で言わなかったためだ。夏場の町は冬場と比べると、活気が多く、道端で数人が屋台をならべ、スイカや瓜を売るもの、自家作の野菜を売るものがいる。村に唯一軒の売店も開いていて、中を見ると生活用品が乱雑に並べられている。道を行くとすぐ尤文蘭の家についた。彼女はオンドルの上で魚皮の服を縫っている。聞くと、街津口でホジェン族の魚皮工芸品展覧会があるので、展示するために用意しているのだという。話しているうちにフェイフェイが外から駆け込んできて、あえぎながら「同級生の家に遊びに行って帰ってきたらもうバスは着いていたの」と言う。

 

半年も見ないうちにフェイフェイは美しい娘になった、身に着けているものは全て私が冬にあげたものだ。短いジーパンをはき、肩紐のついたシャツを着ている。「あら、お洒落な女の子だね」と驚いて言った。この着こなしは、東京の最新の流行だ。彼女の祖母尤文蘭はいう。「夏になって、この服をきてから、着替えようとしない。毎日この格好なの」。私は知っている。田舎の人は毎日服を着替える習慣がない。習慣がないと言うことは、経済的余裕がないことである。一人が四季を通じ数着の衣服しかもたず、毎日着替える余裕がないのだが、フェイフェイがこの服をどんなに気に入ったかということも解った。

 

私が最も知りたいことはフェイフェイの高校進学のことだ。彼女は、発表はまだだと言うが、できは悪くなく、見込みがないわけではなさそうだ。私は慌てて「高校へ合格しなかったら、大学にもいけなくなるのよ」というと、彼女は何も言わない。私もそれ以上聞けず、発表を待つしかない。

 

仕事の時間以外は、いつもフェイフェイと一緒にいた。私たちは川辺の釣魚台へ行き、山里のホジェン族の郷土園をみた。そこには、ホジェン族のいろいろな伝統的な生産生活用具から民族習慣を写した写真などを展示している。ホジェン族の伝統的な魚皮工芸品は、観光客に売るためである。

 

フェイフェイは言う。「高校に合格できなかったら、川辺で民族工芸品店を開きたい。きれいなお店を開いて、祖母が持っている写真や、作った魚皮服や、魚皮を切り張りにした絵などいろいろなものを並べるの。日本にも持ち帰って、皆に見せて」と希望に満ちた目で言った。しかし、彼女は一寸考え込んでから言う。「もし合格しても、高校へ行けるかどうかもわからない」私はそれを聞いて一寸つらくなった。

 

夜尤文蘭にたずねた。「高校へ入学すると一年にいくらかかるの?」彼女はいう。「小中学校は義務教育だけど、高校は自分で沢山お金をださなければならない。村には高校がないので、同江市へ行って勉強しなければならないから、学費以外に、寄宿と食費を加えると、一年に1万元位かかる。いま彼女の母が政府の援助でテンを養殖しているが、まだ利益がでない」。私は、もしフェイフェイが合格したら、私が学費を出してもよいと思った。

 

翌々日、尤文蘭はフェイフェイに一通の手紙を渡して「見てごらん」という。私が見ると同江市のある高校からの通知書である。「フェイフェイは合格した!」私は興奮して叫んだ。しかしフェイフェイは意外に思ったのか、ただ微笑でいた。外出したとき、村の道で、フェイフェイのお母さんが数人の女性と立ち話をしているのを見つけた。私は急いで彼女に「フェイフェイが合格したよ」と言ったのだが、彼女の表情は変わらず、「自分とは関係ないよ」というような感じで「そう」と言っただけだった。私は戸惑った。まさかうれしくないことはないだろうに?都会の母親ならば、待ち望んでいたことでないか?

 

尤文蘭一家は間もなく開かれる展覧会の準備に忙しく、フェイフェイも例外ではない。合格したことはもう話さなかった。卒業までまだ日がある。私は一週間の調査を終えて、あわただしく街津口を離れた。

 

街津口の後、長春に行き満州族関連の資料収集の仕事をした。長春では、甥の家に泊った。その夫婦にはフェイフェイと同年の女の子チンチンがおり、彼女も高校受験である。私が行ったとき、通知がきて、比較的良い高校に合格し、家族全員喜んだ。夏休みになり、高校も決まったのに、チンチンは毎日朝早く出て夜帰るという忙しさだ。朝早く父親が車で彼女を送り、夜母親が車で迎えに行く。私は高校課程の補習塾と知り、やっと事情がわかった。高校入学後学業について行けないことを心配して、このような補習塾がある。余裕のある学生はほとんど皆通う。高校の競争率はさらに高くなり、遅れをとると大学合格に決定的に不利になる。学生ばかりでなく、親たちも緊張する。都会の子供にはどんな休みもない。普通の学校の学習以外に、やり尽くせない宿題をしなければならない。親も子供に、ピアノを習わせたり、外国語を学ばせたり、多く習い事をさせ、このような学習塾はますます多くなる。

 

私は、フェイフェイのことを思い出した。高校始業も近いから、彼女も決めなければならない。電話をすると、尤文蘭の声だ。すぐにフェイフェイのことをたずねた。「開店資金を準備するため、フェイフェイはハルビンへ働きに行った。今レストランでウエイトレスをしている」という。私は言葉を失った。その年、村では10人の子供が高校に合格したが、誰も進学しなかったという。

 

翌日、成田へ向かう飛行機は予定通りに出発し、間もなく海に出た。空と海は一面紺碧であったが、私の心は重かった。

 

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<于 暁飛(う・ぎょうひ)☆ Yu Xiaofei>
2002年千葉大学大学院社会文化科学研究科より学術博士を取得。現在日本大学法学部准教授。専門分野は文化人類学、北方民族研究。SGRA会員。
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于さんのエッセイの前半は下記URLよりご覧いただけます。

 

于 暁飛「ホジェン族の少女(その1)」

 

于 暁飛「ホジェン族の少女(その2)」

 

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