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エッセイ181: シム・チュンキャット「罰金大国シンガポール」

シンガポールを紹介する本やウェブサイトなどでは、必ずといっていいほど「Singapore is a Fine Country!」という言葉が目につきます。平常時なら「天気がいい」とか「気持ちがいい」もしくは単なる「美しい」という意味をもつFineなのですが、TPOを変えれば、なぜか「罰金」という意味に変貌してしまうのです(ときに英語も日本語に負けないぐらいややこしいですね)。さっきの言葉に戻りますが、つまり「シンガポールは美しい国なのですが、罰金大国でもあります!」ということに対するシンガポール人の一種の自嘲的な皮肉です。シンガポール以外の国なら「あ、すみません、ついうっかり…」ということとして片づけられそうなことでも、シンガポールではことごとく罰金の対象とされてしまうのです。

 

ゴミやタバコのポイ捨て、路上でのタン吐き、冷房の効いている場所での喫煙や、交通規則を無視しての道路横断などの「けしからぬ」行為に罰金がつくことぐらいなら、シンガポールではもう小学生でも熟知している常識です。そのほかに、罰金制度のマイナー部分では、例えば公園の花を摘むと罰金(花は花屋で買ってください)、カラスやハトなどの野鳥に餌をやると罰金(そんなに鳥が可愛いのなら、ペットとして家で飼ってください)、トイレで水を流さないと罰金(誰がどこで見ているのかは知りません)、地下鉄やバスの中で飲食することはもちろん、可燃性のものやドリアンの持ち込みでも罰金(にんにくと同様、それ以上に個性的な臭いをもつドリアンの場合でも、一緒に食べたなら問題はないのですが、周りに一人でも食べていない人がいたら、その人の鼻は間違いなく地獄に陥ります。そう、まさに酸鼻の地獄!)などの罰則もあります。

 

 
とりわけ、地下鉄での罰則については、僕にはちょっとほろ苦くも恥ずかしい記憶があります。時はずいぶん遡りますが、シンガポールで初めて地下鉄ができた頃、当時青春真っ盛りの僕は日本で花の大学生生活を送っていました。それである年ひさびさに帰国した僕は、ずっと気ままに東京の電車網を使っていたせいもあり、当然ながらシンガポールの地下鉄の壁に貼ってある罰則に圧倒されてしまったわけです。これもダメあれもダメで、つまるところシンガポールの地下鉄は乗るだけの乗り物です。「フン、アホくさ、こんな国を出ておいて良かった」と自分の国をバカにしたように鼻で笑った僕にはすぐそのツケが来ました。ガムや飴を食べることも原則的にできなかったので、退屈していた僕は普通に本を取り出して読書を始めました。それから間もなく周りの冷たい視線を感じ取った僕はハッとしました。まさか、ノー・リーディング!?と僕はその場でいきなりいつものクールさを失って慌てて本をかばんの中に突っ込みながらも、警戒しながらきょろきょろ周りを見回しました。「ナニをやってんの、こいつ?」と周りの空気がさらに冷たくなったのは言うまでもありません。本当のアホは僕でした。周りの人々が僕を見ていたのは恐らく僕にひげがあったのと(シンガポール人は一般にひげを生やさない)、乗る距離が短いから普通は地下鉄の中で読書をしないためなのでしょう。とにかく、学力重視のシンガポールが地下鉄でのリーディングを禁止するはずがありません。このエピソードは、罰金制度がいかに身に染みついていて、またいつも誰かに見られているかもしれないと思う自分を見事に映し出したものでした。本当に恥ずかしいというか、情けないです。でも、この話を友達に話したら、「お前だけだよ!」と皆の失笑を買っただけでした(笑)。

 

そしてシンガポールの罰金制度の王様といったら、さきほども少し話に出ましたが、それはもうなんてったってチューインガムの禁止令なのです。なんでチューインガムがシンガポールにそこまで憎まれなければならないの?という質問をよくされますが、う~ん、大した理由はないですよ。まあ、でも視点を変えれば大した理由もあったかもしれません。

 

 
時はまた遡りますが、僕がそれもまた青春真っ盛りの高校生だった頃まではチューインガムはシンガポールでも普通に噛まれていました。でも噛んだあとのガムを、ポイ捨てはダメなわけですから、シンガポールの若者はこっそりとあちこちに貼り付けたりしていました(もちろん僕はやりませんでしたよ)。そしてそれがエスカレートしてしまって、その後できたばかりの地下鉄の座席の裏やドアの隙間に突っ込んだり、団地のエレベーターのボタンに貼り付けたりするケースが続出して、そのため地下鉄の運行に支障を来したり、またエレベーターのボタンがベタベタと汚くて押せないという苦情が増えたり…とにかくガムは「公害」そのものだったわけです。もちろん、悪いのはそのような悪質ないたずらをした若者であり、決してガムではありません。でも美しい国を作ることを目指してきたシンガポールにとって、ガムは目障りでしかありませんでした。それで「ガムを噛むな!」という禁止令が90年代の頭に出され、一日にしてガムはシンガポールから姿を消し、今日に至ったわけです。

 

 
そしてガムの大量持ち込みには最高罰金である1万シンガポールドル(2008年12月現在、63万円ぐらい)がついてしまいました。まあ、「大量」はいったいどれぐらいの量を指すのかは明文化されていませんが、僕が捕まったときの経験からいうと、8箱ぐらいですかね。そうです、カミングアウトします。僕はその昔ガムの密輸で警察に連行されたことがあるのです。うそではありません。僕は前科もちです。はい、説明しますね。

 

 
ガムは、シンガポールにはもうありませんが、国境の大橋を渡ればマレーシアにはたくさんあります。そしてあるとき、僕は8箱のガムをシンガポールに持ち込もうとしましたが、またひげのせいか税関で足を止められ、かばんの中身をチェックされてしまいました。「これは何ですか」と税関の捜査官。「ガムですね」と潔く正直に答えた僕。「ついてこい!」とその後僕は連れていかれた冷房の効きすぎの小部屋で名前とその他の個人情報を書かれました。「1万ドルもってないよ!」と叫ぼうとしたところ、「初めてだから、見逃してやるよ」と捜査官は一瞬にして天使になりました(まあ、正確にいえば、捕まったのは初めてでしたが、ガムを「密輸」したのは数回目でしたけどね)。

 

 
以上が、僕がシンガポールの法に触れた最初で最後の体験です。本当です。この僕の前科に関するエピソードからもわかるように、シンガポールの罰金制度は確かに細かくてうるさいのですが、僕の周りに罰金を取られたという人はそんなにいないです、というか、いないです。そのアバウトさというか、ゆるさがシンガポールも結局東南アジアの国だなぁと思わせるところです。また、敢えて法を犯すようなことを皆はしないというか、要はルールをきちんと守り、「けしからぬ」行為をしなければいいわけです。

 

 
ただ、ガム禁止令のせいでシンガポールの今のほとんどの子どもがガムも噛めないという現実が少し寂しいと思います。例えば、僕が日本から「少量」のガムをシンガポールに持ち込み、甥っ子とか姪っ子に与えようとしたら、いつも兄夫婦と弟夫婦に慌てて止められたりします。なぜなら、甥っ子や姪っ子は噛んだあとのガムを吐き出すことを知らず、飴だと思ってつい飲みこんでしまうからです。ガムを噛めなくてもいいと兄夫婦と弟夫婦は言いますが、ガムを噛めずに一生を終える人生なんてやはりどこか寂しい気が僕はします。

 

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<シム・チュンキャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。現在は、日本学術振興会の外国人特別研究員として同研究科で研究を継続中。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)、『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。
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