SGRAかわらばん

  • 2014.06.25

    エッセイ414:崔 佳英「『小さな留学生』から20年」

    「小さな留学生」を覚えているだろうか。2000年に放映された、中国から父親の転勤で、日本の学校に通うことになった9歳の少女の2年間を追ったドキュメンタリーである。今年、2007年から7年目を迎える私の日本での留学生活は、3度目の長期日本滞在である。1回目は、小学校の時に父の仕事のために家族4人で初来日。2回目は、その約10年後、2003年の1年間の交換留学、それから5年後、現在の大学院留学のための来日である。   初来日時は、もう20年以上も遡る1992年の春だった。まったく日本語がわからない状態で日本に行くことが決まり、渡日1週間前に韓国の学校に届けを出し、ひらがなの勉強を始めた。自己紹介の言葉を日本語の発音をそのままハングルで書いてもらい、一生懸命練習した記憶がある。こんにちは、はじめまして、以外には日本語が全くわからず、まさに、ドキュメンタリーの「小さな留学生」と同じだった。   偶然にも、私の小学校の時の経験は、「日本の学校のニューカマー受け入れ」の展開と軌を一にする。1990年の入管法の改正とともに、ニューカマーの外国人が急増し、これに連動して外国人の子どもの教育問題が注目され始めたのである。1991年には、文部省が初めて「日本語指導が必要な外国人児童生徒」の数の調査に着手し、1993年の『我が国の文教政策』で「外国人児童生徒に対する日本語教育等」に初めて言及した。日本でニューカマーの子どもの教育問題が浮上し、その取り組みが始まってから20年も経つ。韓国では、2000年代から「多文化」問題が社会問題の重要なトピックとなり、アジアの国で先に移民問題に対面した日本の取り組みについての研究に、注目が集まっていた。私が日本に留学してから参加したボランティア団体では、外国につながりを持つ子ども(ニューカマーの子ども)への学習支援の活動をしており、そのはじまりは「在日韓国・朝鮮人」の子どもの高校進学支援からで、長い蓄積をもつ。   しかし、おもしろいことに、私が最近出会う外国人子女教育問題の研究者や支援者からよく耳にすることは、「韓国は進んでいますね、韓国の話が聞きたいです」という言葉である。確かに、この10年間に韓国では、外国人統合政策である「在韓外国人処遇基本法」、「多文化家族支援法」を制定、二重国籍の許容、外国人参政権の付与など法制度における様々な動きがあり、学校教育においては2007年から政府主導で「多文化教育」を実施している。社会化の課程に「切断」を経験する移民の子どもにとっては、社会参加や階層移動の機会などの意味から、制度化された学校教育がもつインパクトは強い。   さて、ここで、20年も前の話をしてみようと思う。 私が初めて来日した当時の札幌には、「外国人の子ども」の存在は珍しいもので、区役所から地図をもらい、家族4人だけでいくつかの学校を実際に回り、編入する学校を決めた。私が通うことになった学校にとっても、外国人はもちろん初めてのことであった。正規のクラスに入るのか、どの学年に編入するかも教育委員会の方針が定まっていなかった時期で、その分、一つ一つのことを学校と保護者、そして私の意志を反映し相談していったことを覚えている。   担任の先生と私の父は、交換日記的な一冊のノートに私の1日について書いて連絡を取り合っていた。日本の学校で1年程が経った頃に、私の日本語の先生がやってきた。まだ20代の若い先生で、先生になる前の「先生」と聞いた。国語の時間には、職員室で「みんなのにほんご」という本で、はじめから日本語を勉強した。日本語の先生との勉強が1年を過ぎた頃には「アンクルトム」を全部読み切ったことを今でも覚えている。のちに、数学以外の授業も少しずつ耳に入るようになり、テストも受けられるようになった。それでも、社会や理科などのテスト問題を解くには困難があった。担任の先生は、私の答案用紙の全ての項目に×をつけることはなかった。100点が満点ではなく私の日本語力に合わせた採点をしてくださった。40点/44点と。   そこに込められた教員の教育理念とは、「日本人の子ども」のみを対象とする教育、日本語を基準とした評価ではなく、日本語の問題と生徒の学習力の問題を切り離し、一斉共同主義に基づかない、学生個々の「学びの権利」を保障するコア的なものであると思える。これは、多くの「大人の」留学生が抱く問題の一つでもある。議論を中心とする大学院での授業で日本語力の不足のために委縮してしまったり、または、その発言に耳を傾けてもらえなかったり、教員や同僚とのスムーズな意見交換の困難、正確にはコミュニケーションの文化的差異から生じうる誤解などをどのように捉えるかは、大学の「国際化」を謳うアジアの多くの大学の課題となりえるだろう。     ---------------------------------- <崔 佳英(ちぇ・かよん)Choi, GaYoung> 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻にて修士号2010年取得。現在、同研究科で博士後期課程在学中。2013年度渥美奨学生。専門分野は、日本と韓国における外国人子女教育。 ----------------------------------     2014年6月23日配信
  • 2014.06.18

    エッセイ413:ヴィラーグ ヴィクトル「人口減少ニッポンから多民族ニッポンへ?」

    ~大規模移民受け入れ前に不可欠な統合政策:労働力移入ではなく、人間移住であることを忘れないために~   日本の新聞を読むと、移民受け入れの可能性について徐々に取り上げられるようになっています。もちろん、移民受け入れの可否を巡る議論は新しいものではありません。バブル期の労働力需要に対する人材不足が問題になり、また人類の歴史上まれにみる少子高齢化に日本が直面することが予想されるようになって以来、しばしば持ち出される課題です。日本社会は実際に人口が減少しており、アベノミクス、東日本大震災後の復興、東京五輪の準備などが相まって、建設業をはじめとした労働力不足が顕著になっている現在、少子化対策の専門家や経済界が改めて移民受け入れについて本格的な議論を進めようとしているのは当然でしょう。一方、一般国民、政治家や官僚はもちろん安易には踏み出せず、政策自体が進んでいないのが実状です。何せ、来日するのはロボットでも、単なる「労働力」でもなく、24時間日本で生活することになる移民及びその家族、即ち様々な社会サービスまで必要とする「生身の人間」なのです。   私は日本の参政権を持たない身であり、また人口学及び労働経済学は専門領域ではないので、移民受け入れの可否について構築的な意見を述べるのは相応しくないかもしれません。しかしながら、私の出身地である欧州を始め、他国の歴史的な経験を基に考えれば、人口減少国として安定した経済をいかに維持していくのかという議論どころか、経済縮小をどう避けるのかすら想像しようとしない日本の状況に無関心ではいられません。勿論、移民を受け入れず、人口問題と向き合うことが選択肢の一つとしてないわけではありません。全国民的な議論の結果、それが民意の結論であれば、経済小国化の覚悟を決めることも充分にあり得ます。しかし、経済成長を諦めることを選択しないのであれば、グローバルな時代における経済的な競争力の低下を防ぐためには、移民受け入れ以外の方法は考えにくいのではないでしょうか。   ここでは、日本が最終的に後者の移民受け入れの選択をした場合に、注意してほしい幾つかの点をまとめることにします。その中で、私が、既に日本に住んでいる文化的なマイノリティを対象としたソーシャルワークの研究者であると同時に、実際に一人の当事者であるという立場も重視したいと思います。日本に定住している文化的なマイノリティが抱える様々な問題に関する経験を基に論点を整理してみます。   結論からいえば、最も大きな課題は中央行政レベルの総合的な統合政策の不在です。実際には国際結婚や家族統合のための来日といった、いわゆる管理できない移住も増えているにも関わらず、入口をコントロールする入国管理政策は国際的にみても非常に厳格な形で整備されています。その半面、本来なら日本に定住する移民の適応に向けた支援、すなわち言語に代表される日本人と異なる特別な文化的ニーズ等に対応する教育、医療、福祉などの各種社会サービスなどの移民統合政策は、ほぼ皆無の状態です。そのため、既に日本にいる移民を取り巻く多くの社会問題が起きているので、このまま更に大規模な受け入れ拡大を進めることは極めて危険と言えるでしょう。   もちろん例外もたくさんありますが、一般的にみれば、日本では文化的なマイノリティの周縁化が深刻な問題です。例えば、生活保護受給率、低所得者の割合などが全国平均を上回っていることから、移民の貧困を読み取ることができます。これは、新しく移住してきた第一世代なら、よく見られる現象ですが、日本に特徴的な驚くべき実態は、場合によって全国平均の半分にも満たない高校及び大学進学率の低さです。つまり、第二世代以降も著しい貧困の再生産などの負の世代間連鎖が懸念されています。実は、これは、世界の移民研究において、きわめて珍しい現象です。また、このような状態はもちろん社会的な摩擦と不安に繋がりやすく、そのため更なる社会的な排除と結びつく悪循環を生むリスクも高いのです。   移民などの文化的なマイノリティの存在によって生じる、上記のような社会的な負担を軽減するための統合政策が欠如する理由の一つは、単一民族の神話です。具体的には、「日本人」と「外国人」という二分法で日本社会を捉えようとする建前です。このような考え方は琉球民族やアイヌの人々、そして在日コリアンに代表される旧植民地出身者及びその子孫のようなマイノリティの歴史を無視しています。また、現代の法治国家の枠組みでみた場合、「文化」や「民族」による分類ではなく、「日本国籍者」と「外国籍者」という法的な二分法に繋がり、日本社会の中に実際に潜んでいる多様性への適切な対応、真の取り組みを妨げています。第一に、国家レベルの統計では、帰化者や国際結婚において生まれた人々のように日本国籍をもつ文化的なマイノリティが不可視化されているため、多様性の本当の規模が見えていません。第二に、本来は文化的多様性による問題を、国籍による問題、つまり「外国人」の問題、更にいえば「(日本に関係のない)外の国(の人)」の問題として再構成する傾向も強くなります。このような捉え方は、一時的なデカセギによる臨時滞在を超えた定住化によるニーズに応えることができません。また、予算編成の上でも、いくら納税者とはいえ、非国籍者のための統合政策を公的財源で実施することも難しくなります。   最後に、好ましい統合政策の内容についても述べたいところですが、本稿の性質上、基本理念ともいえる対等性と、当事者参加の原理の説明に止めます。先述の「国籍」による二分法の問題にも関連しますが、様々な社会的な場面における対等な扱い方が保障されないと、移民などの文化的なマイノリティは不利益を被りやすく、社会的に弱い立場から抜け出せないのです。このような社会的な不利益は、底辺化・周縁化、更なる社会的な排除、即ち上述の悪循環現象の引き金となる可能性が高くなります。対等な扱い方は、社会サービス等に関する法の下での平等も含みますが、それよりも日本人と全く同じ扱いは必ずしも公平ではなく、真の平等(機会あるいは結果の平等)にならないということを意識しなければなりません。なぜなら、置かれている状況とニーズが異なるからです。要するに、一見平等に見える「みんな同じ」扱い方は、むしろ不平等を生みだし、あるいは既存の不平等を再生産、固定化してしまうだけだからです。例えば、馴染めない人に対して窓口における日本語や日本的な価値観などの文化規範の強要は、車椅子を利用している人に階段を上ることを求めるのと大して変わらないことで、真のバリアフリーにはなりません。結果的に、必要なサービスへのアクセスを妨げ、社会的な排除に繋がり、不平等を改善できません。   底辺化を防ぐために、公共の場を超えた社会全体、とりわけ重要な領域は、労働市場における不当な扱い方からの保護も欠かせません。このために、行政が区別化を強調・助長・強化しないと共に、民間部門における差別を明白に防止することが求められます。具体的には、国際条約の批准にも関わらず、日本において未だに欠如している差別禁止法、あるいは移民人権法の制定が望まれます。これは、国際的な批判を浴びながらも無理やり維持されてきた、そして現在拡大が検討されている、いわゆる「外国人研修・技能実習制度」と正反対の流れにあります。   このような法的な手段による、対等な扱い方の原理の最終的な徹底は、当事者参加の原理を前提としています。つまり、この場合は移民に関する統合政策、即ち、当事者である彼ら・彼女らの人生を大きく左右する、ありとあらゆる施策を策定する際に、計画から実施まで、なるべく全ての段階において当事者の声を反映させるということです。なぜならば、当事者のニーズを最もよくわかるのは、当事者自身であるからです。これは、米国における障がい者の権利運動から生まれた「Nothing About Us Without Us」という理念と同じです。日本語でその意をまとめると、「私達を参加させないまま、私達のことを決めないで」という考え方です。この考え方はもちろん倫理的な意義も大きいのですが、企画段階からの参画は当事者の意欲向上と動機づけにもなります。この場合は、先述したホスト社会の移民への対応と並行して、統合政策のもう一本の大黒柱ともいえる、移民によるホスト社会への適応に向けた努力について想像すると良いでしょう。もちろん、対等性と当事者参加の原理について考える上で、政治的な平等の獲得と、自分たちを巡る政策に対する意見表明の機会の確保という意味で、参政権に関する議論も避けて通れない課題ですが、詳しい説明は本稿の範囲を超えているため、割愛します。   本稿では、日本に既に住んでいる文化的なマイノリティとしての経験を基に、今後進むかもしれないより本格的な移民受け入れに向けた主要な課題について整理しました。民主主義国である日本では、移民受け入れ自体も、またそれに伴う統合政策も民意を基に実施されることが理想の形です。民意を形成するために、国民的な議論を展開する必要があります。このような議論の中では、現状と可能性について国民に対する適切な情報提供が求められ、国家行政の担当者の他に、政治家も、また専門職や研究者などの専門家も事実に基づいた啓発活動に専念する責任をもっています。本稿がこのような議論と啓発に役立つ一材料となれば幸いです。   -------------------------- <ヴィラーグ ヴィクトル Virag Viktor > 2003年文部科学省学部留学生として来日。東京外国語大学にて日本語学習を経て、2008年東京大学(文科三類)卒業、文学学士(社会学)。2010年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科博士前期課程卒業(社会福祉学修士)、博士後期課程進学。在学中に、日本社会事業大学社会事業研究所研究員、東京外国語大学多言語・多文化教育研究センター・フェローを経験。2011/12年度日本学術振興会特別研究員。2013年度渥美奨学生。専門分野は現代日本社会における文化等の多様性に対応したソーシャルワーク実践のための理論及びその教育。 --------------------------     2014年6月18日配信
  • 2014.06.11

    エッセイ412:謝 志海「ウーマノミクス(2):日本の女性が日本の未来を導く(その2)」

    前回のエッセイでは日本の女性が継続して働き続け、就労人口の底上げを期待されていることについて書いたが、同時に少子化問題も日本の切実な悩みであり、こちらにも女性への期待がかかっている。   5月19日、今後の少子化対策について話し合った内閣府の有識者会議「少子化危機突破タスクフォース」が提言をまとめた。そこには目標出生率の具体的数値は無かった。「国が女性に出産を押し付けると誤解されかねない」との意見が多かったそうだ。一人っ子政策をしている中国から来た私が言うのもなんであるが、具体的な目標出生率を(今は)定めない、という慎重な提言を出したことは画期的であり、女性にプレッシャーを与えたくないという気づかいのあらわれと前向きに捉えたい。というのも、働き手が減るから、年金が足りなくなるから、もっと子供を産もうというのでは、日本の女性にとって子供を産むことが魅力的に感じられるのだろうかと、以前から感じていたからだ。   一方で、将来を予測して具体的な数値を出し対策をとることはとても大事だ。日本の女性が生涯に産む子供の数が、2.07人に増えて、かつ働き続けたとしても、50年後には働く人が1000万人以上減ってしまうと予測されている( 内閣府の将来予測)。2人以上子供を産んでも将来の就労人口は足りないと試算されているのだ。このとどまるところを知らない少子化を食い止めようと、森雅子少子化対策担当大臣は、少子化対策の3本の矢という、子育て支援、働き方改革、結婚妊娠出産支援を打ち立てている。子育て支援というと、保育所の新設、政府がよく言う「待機児童ゼロ」。働き方改革は前回取り上げた、時短勤務など取り入れ、育児と仕事の両立支援。この二つは官民が策を練り改善が進んでいるように見える。最後の矢、結婚妊娠出産支援、中でも結婚に関しては具体的に政府がどうからんでいくのか、前出の二つと比べると見えにくい。まず結婚して、妊娠して、出産してやっと子育て支援と働き方改革の恩恵を受けられる立場になるのに、結婚する人が増えない。初婚年齢が高くなるだけでなく、生涯未婚率は増加している。日本の若者にとって、結婚して家族を持つことが素晴らしいと写らないのだろうか?婚姻率の上昇が出生率上昇の要ではないか?   先日、自民党が配偶者控除の見直しの提言案をまとめた。これも女性の社会進出を促すのを狙っている。夫婦単位の控除にすることで、共働きと、夫婦どちらかが働く世帯との間で所得税額の差を出にくくし、専業主婦に与えられる優遇措置と長く言われてきた制度の見直しだ。不思議なのが、ここに少子化の事は全く懸念されていない事である。もちろん、女性の社会進出を促すと言っている手前、子育て世代の女性を支援するため、ベビーシッターを雇った費用などを所得税額から差し引ける「家事支援税制」の導入も盛り込んだ(朝日新聞より)とあるが、では例えば、配偶者控除を廃止したとして、出生率が上がる、もしくは出生率には何も影響は出ないであろうという未来予測はできているのだろうか?結婚し子育てするメリットが減ってしまわないか?子供を2人以上持てる家庭は増えるか?そしてベビーシッターを雇った費用は所得税額から差し引けるというが、安心して子供を預けられるベビーシッターの数は、それを求める人々の数と合っているのだろうか?   日本のメディアでは日々、働くお母さんが保育園やベビーシッター探しに奔走している様子や、仕事と育児をいかに両立させるかが取り上げられている。仕事をしながら、子供を手元に置き自分で育てていることの大変さは私の想像を越えるだろう。中国では、保育園や託児所等の施設が充実していないので、子供が小さいうちは実家に預けっぱなしの親も多い。日々の生活で少しでも子供と過ごす時間を捻出しようという姿勢は、日本の家庭と比べるとはるかに低い。   日本には少子化問題に特化した対策担当大臣もいて、子育て、女性の活用、待機児童ゼロ、様々な問題を議題に挙げているのだから、個別に対処していくのではなく、総合的に解決していくことが、女性の社会での活躍と子どもの未来、そして将来の日本の活性化につながるのではないかと思う。   --------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 ---------------------------     2014年6月11日配信
  • 2014.06.04

    エッセイ411:謝 志海「ウーマノミクス(1):日本の女性が日本の未来を導く(その1)」

    安倍政権になってから、日本の女性はこれまでにないほど、沢山の期待を背負わされているのではないだろうか?今回は特に安倍首相が掲げる成長戦略のうちの一つ、女性の活用 「ウーマノミクス」を取り上げたいと思う。   ウーマノミクスとは、女性が社会で活躍することにより、経済活性化を目指すというものだ。日本は人口減少の一途をたどっており、それによる将来の働き手不足を懸念している。内閣府による予測では、およそ50年後には労働力人口が今より2割ほど減ってしまうとされている。人口の減少、すなわち少子化問題も早期解決の目処は今のところなさそうだ。外国人労働者の受け入れは、他国と比べて日本は非常に弱腰である。ではどうやって働き手を確保するかというと、女性だ。   最近のウーマノミクス関連のニュース記事でよく目にする言葉に「M字カーブ」がある。日本人女性の働く人の割合を示す就業率年齢分布はM字カーブを描く。左右の高い部分は20代と40代後半、くぼみの一番深い年齢が30~40代で、出産を機に仕事から離れるからだ。このくぼんでいる部分の人に、労働市場に戻ってもらえば、GDPも上がるであろうと思われている。30~40代の女性に働き続けてもらうには、出産後も働きやすい環境を整える事が大事であり、産休の充実、復帰後の時短(短時間勤務)の適用、保育園、幼稚園を増やす等は、すでに様々な制定がなされており、大手企業にとってそれらの制度は最近導入したことではない。なのになぜ未だに日本女性の就業率はM字を描いているのか?   経済協力開発機構(OECD)が2013年に発表した「雇用アウトルック2013」によると、日本の25-54歳の女性の就業率は69%で加盟国中、24位だった。(上位はノルウェーなどの北欧諸国で80%を超えている。) 約6割の女性が第一子出産を機に退職するからだとOECDは指摘する。これらの6割の女性は喜んで退職しているのか?日本政府が増税とインフレ2%に執心のさなか、そうは思えない。勤務先は時短制度が無い、復帰後に働きやすい環境が待っていないなどで、やむを得なく去っていくケースも多いのではなかろうか?日経新聞によると、女性の活用に関しては、企業の対応はまだ手探りの段階。そこで、横浜市が中小企業女性活用推進事業を始める。女性の就労継続を支援するために中小企業にコンサルティングをしたり、かかる費用の一部を助成する計画を打ち出した。市町村が、働き続けたい女性が求めること、また女性社員に残ってもらいたいが、そのシステム作りに悩む企業の声に耳を傾け、手助けすることは素晴らしい事だと思う。   同じ日経新聞の記事内に「出産女性の就業継続は夫が子育てを分担することも不可欠」とあった。私は「これだ!これが答えだ!」と思った。中国では、夫は当たり前に家事をする。子供がいてもいなくてもだ。家事は女性がするという概念が無い。どうしてかと聞かれると、うまい答が見つからない。自分の家も、周りも親は共働きで、家事を普通にこなす父親を見て育っているので、そういうものだと思っているとしか言い様がない。一方、日本の男性にとって、掃除、育児は女性がするものという固定観念が根強くある、年齢が高ければ高い人ほどそういう傾向だ。これでは女性にばかりしわ寄せが多く、育児と仕事のバランスがうまく取れず、就労継続することが困難な状態になる、それがM字カーブを描いてしまうのであろう。   家庭と仕事の両立支援制度の話に戻ると、男性にも育児休業を設けている会社が多い。育児をする男性=イクメンという言葉まで定着しているのに、問題はそれを活用する人が少ないこと。厚生労働省の「雇用均等基本調査」によると、2012年度の男性の育児休業取得率は1.89%である。日本の男性は残業もいとわず日々真剣に働いているので、育児休業=一線から外れてしまう、また取得後の人事評価などを懸念して、育児休業を取ることに臆病になっているのであろう。彼らの上司(40代後半から50代)の育児休業についての理解が低いことも、取得率を下げる大きな一因だと思う。上司の時代にはイクメンが存在しなかったのだから。中国には男性の育児休業なんてものは存在しないので、私にとっては制度があって、使う権利があるのに行使しないことをもったいないと感じる。   日本の企業は時代に合わせて社員が働きやすい環境を整えていて素晴らしいと思う。しかし、それらを社員が活用できているかまで、会社はしっかりとモニタリングしているのだろうか?社員に活用するよう推奨しているのか?上司や同僚の目が気になって、育児休業の取得を切り出せないようでは、制度を作った意味がなくなる。男性達も、一度思い切って育児休業を取ってしまえば、自分の子と過ごせる時間を与えてくれた会社に感謝し、勤務時間中はより業務に集中し、貢献度が上がるかもしれない。こうして小さな子を持つ父親たちが、当たり前のように育児休業を利用したり、積極的に家事へ参加し、周りもそれを当然の事として受け止めることが、女性の就労継続につながり、実は一番のウーマノミクス成功への近道なのではないか。ウーマノミクス、と女性をあおる前に男性の家事と育児に対しての意識改革が必要だ。女性の労働人口が上がり、経済的に元気な日本になることを期待する。   --------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 
---------------------------     2014年6月4日配信
  • 2014.05.21

    エッセイ410:張 亮「私の日本留学」

    私は大学の時、中国リハビリ研究センターでの臨床実習をきっかけに、リハビリテーション医学に接した。リハビリテーション医学は、病気を狙った臨床治療医学ではなく、患者が病気、事故などにより失った機能をできる限り再生し、患者の残された能力を生かすための医学分野である。脳卒中などの後遺障害が起こる病気でも、歩けない患者さんが、だんだん自分で歩けるようになったり、手を使えない患者さんが、だんだん自分で服を着たり、トイレも使えるようになるときは、患者さんだけではなく、家族と周りの人々にとっても幸せである。ある意味で、病気で失った機能を再生し、患者さんの生活の質を向上させることが、患者の治り難い病気を完治するより、もっと大事だと考えている。この新しい医学体系といわれるリハビリテーション医学は、私にとって大変魅力的だった。   学生の時から、リハビリ医師になる道を目指した。卒業してから、リハビリセンターの整形外科に入局し研修医として勤務した。3年間のリハビリセンターでの実習を合わせた勉強により、リハビリの重要性は私の心に深く入り込んだ。しかし、現在中国ではリハビリというものはまだ人々に理解されていないと実感した。たとえば、多くの脳卒中の患者は、神経内科の治療が終わってから、家に戻らせてそのまま寝たきりの状態で、ハリ、マッサージなどの治療を続けるケースが多い。リハビリを行っている病院はとても限られているのが中国のリハビリの現状である。せっかくリハビリ医師になる道を選んだので、この領域のもっと先進的なものを知りたいと思ったが、周りの環境も整っていないので海外に留学することにした。中国のリハビリ研究センターは、もともとJICAの計画により、日本の技術支援を受けて建てられたもので、中国のリハビリのシンボルといわれている。したがって、日本のリハビリ医学は進んでいると考え、日本に留学することにした。   日本へ来て、訪問研究員として大学に入って、臨床のリハビリを勉強した。日本の大学病院では、見たことも聞いたこともないものがたくさんあり、日本のリハビリ医学は中国より遥かに進んでいると実感した。早く日本の医療技術を身に着けようと思ったが、目の前には、全くわからないことが想像以上に多く、なかなか覚えられなかった。しかし運が良いことに、日本の先生方はとても親切で、丁寧に教えてくださった。特に筋電図は、リハビリ分野の医師にとって、とても重要な技術だとよく言われているので、それを中心に勉強した。1年間の臨床での勉強で、中国ではほとんど勉強できないものをたくさん学んだ。   さらに難病のメカニズムの解明と治療法の開発のために、私は博士課程に進学した。臨床から基礎研究に移ることは私にとって新しい経験だった。基礎研究は臨床とは全然違い、研究の手法をはじめ、考え方もなかなか慣れることができなかった。ラボの先生方が丁寧に教えてくださったので、研究の基本的な技術を身に付け、研究に徐々に慣れてきた。私のラボは脊髄損傷を研究している。脊髄損傷は難治性の疾患で、いまだ治療法がないのが実状である。脊髄損傷した人は、重い後遺症になり、生涯に渡って障害が残る。リハビリはこのような患者さんにとってとても重要な手段と考えているが、特に完全脊髄損傷の運動機能回復に有効とされているリハビリ方法はなかなかない。博士課程の私の研究で、ラット脊髄完全損傷モデルのリハビリ治療法を開発し、明らかな機能回復効果を示した。さらに、脊髄損傷患者の臨床治療に向けて、軸索を再生させる新しい薬との併用治療の研究に従事し、その効果を明らかにし、メカニズムも検討できて、海外学術雑誌に論文を載せることができた。   日本へ来てからの数年間は、研究面だけではなく、生活面でも良い経験をした。博士課程の間は日本の民間財団から奨学金をいただき、研究に専念でき、いい成果を挙げることができたことを感謝している。これから私は、まず日本で今の研究を終わらせ、その後アメリカへ留学し、リハビリ医学をさらに勉強したい。リハビリ医学は、世界にとっても新しい分野なので、まだわからないところがたくさんある。この分野の発展に自分の力を尽くしたいと考えている。   ---------------------------------------------- <張 亮(ちょう りょう) Liang Zhang> 2005年中国首都医科大学医学部臨床医学専攻を卒業。中国リハビリテーション研究センターと中国北京軍区総病院勤務医として働き、その後退職。2006年来日、慶應義塾大学リハビリテーション医学科で訪問研究員を経て、博士課程に入学し、脊髄損傷の基礎研究に従事、2015年博士課程修了見込み。現在、慶應義塾大学整形外科学教室研究員として、脊髄損傷の再生医学の研究に従事。 ----------------------------------------------     2014年5月21日配信
  • 2014.05.14

    エッセイ409:許 漢修「日本で科学者になること」

    科学を学んで14年目の私は、今年初めて社会人として自分が習得した技術を活用でき、しかも、アジアの中の科学強国の日本で就職することができた。しかし、今、日本では小保方捏造疑惑が報道され、日本における科学者への信頼が揺らいでいる。このような状況の中で日本の科学者の一員になった私は、いかなる態度をとるべきかを考えなければならない。   科学者は「真実」を実証し、社会に伝える義務を持ち、国民の税金や企業の予算で新しい技術を開発し、社会的に応用することにより、キャリアを形成する。このような科学者の育成は技術と基本知識以外に、観察力と社会への関心を育てなければならず、非常に難しい。   私は日本と台湾で、生物科学者としてのトレーニングを受け、その違いを感じた。2014年度の日本の科学研究予算は、台湾の12倍である。このため、台湾の生物科学者には短期で実用的な研究が多く、日本では基礎理論と実用両方の総合的な研究が進んでいる。台湾での生物研究は即時実用化の目的で食品、漢方、医療機器、美容整形などに応用され、日本では基礎研究の幹細胞、再生医療、組織培養や生物素材など、相当時間と研究費がかかる領域の開発が行われている。日本人は職人の文化を持ち、近年素晴らしい研究、論文が生まれている。一方、台湾人は模倣が得意で、商業化に敏感であり、新たな技術を実用化し、収益を上げた。以前はオリジナル性が注目される社会だったが、今の世界では、理論と実用の両方が大事であることを、私は博士課程の4年間で理解できた。   その中で、私は基礎理論の研究を選んで来日し、筑波大学の博士課程で腎臓の発生期におけるV型コラーゲン線維の役割について研究した。コラーゲンの様々な特性、理論を習得、現在は産業技術総合研究所で、コラーゲン線維素材でiPS細胞の培養法を改善する研究を行っている。   iPS細胞はノーベル賞を受賞したのに、なぜ改善研究が続いているかというと、「死の谷」を乗り越えなければならないからである。死の谷とは、1998年に米国連邦議会下院科学委員会副委員長であったバーノン・エーラーズが命名したもので、全ての科学研究にある、発見/発明から商品化/市場化までの、必ず乗越えなければならない谷間の期間である。科学の発見から商品化までは非常にたくさんの時間、金、労力がかかるわけであり、iPSも例外ではない。風邪薬、内視鏡、X線などの歴史は、最初から人々に注目されたわけではなく、一生懸命研究や改善に努め、最後に市場化されることにより「夢が叶う」ことを示している。iPSは今ちょうど死の谷に入ったばかり、臓器再生の夢まではまだ何十年もかかるわけである。実は、私は大学2年生の時(2002年)、台湾の陽明大学で山中伸弥先生の幹細胞の講演を聞いたことがある。あの時から10年の努力で2012年にノーベル賞を受賞した研究であるが、その実用化には、これから何十年、何億円かかるか分からない。このように考えると、私は、こんな大時代に研究ができることにわくわくする。   来日から5年、一人での海外生活の寂しさはあるものの、まだまだ頑張らないといけないと考えている。SGRAが開催しているフォーラムやアジア未来会議などの会合は、世界中の様々な人に非常に良い交流の機会を提供している。仲間が見つけられることは何より幸せなことである。今の世界はグループ行動の社会で、様々な領域の人材が集まると、今まで見られなかった風景を一緒に見ることができる。私はあと数年は日本に滞在する予定なので、このチャンスを活用したい。   尚、日本だけではなく、世界のどこにあっても、科学者は自分の力を信じることが重要であると考えている。たとえ他人から疑われることがあっても、自分の力を信じることができれば充分である。自信を持ち、能力を高め、社会からいただいた力(財団の支援、大学と国の研究環境など)を使って、十倍、百倍の恩返しをしたい。   ----------------------------------------- <許 漢修(きょ・かんしゅう) Han-Hsiu Hsu> 1996年イギリスオックスフォード大学英文課程修了。2008年台湾中原大学生物科技専攻修士号取得、2010年中華民国陸軍關渡指揮部本部退役。2010年来日、2014年筑波大学生命環境科学研究科生命産業科学専攻博士後期課程修了。現在、産業技術総合研究所ナノシステム研究部門特別研究員。iPS幹細胞、人間間葉系幹細胞の骨と軟骨誘導について研究中。専門分野:組織工学、再生医療、遺伝子工学、細胞外マトリックス(コラーゲン)、泌尿器発生。 -----------------------------------------     2014年5月14日配信
  • 2014.05.01

    エッセイ408:謝 志海「アース・デイ(地球の日)に考えるボーダレスな地球」

    4月22日は「アース・デイ(Earth Day)」地球の日だ。1970年にアメリカで、地球環境について考える日として提案された記念日である。今では192ヶ国以上がこの日を祝うと言われている。私の母国、中国では環境保護の意識がまだ薄く、アース・デイの存在すら知らない人もたくさんいるであろう。日本でも各地でアース・デイのイベントが開催されているが、アメリカほど知名度はないのではないか。   だが日本人は普段から環境に関しての意識が高く、環境保全の活動は今や生活の一部になっているようだ。アース・デイのようにわざわざ記念日を設けなくとも、環境保全を啓蒙するイベントは年間を通じて日本の各地で行われている。私が日本でホームステイ生活を始めてびっくりしたことの一つは、ゴミの分別がとても細かいことだった。ペットボトルや紙(新聞、段ボール)はともかく、肉、魚のトレイ、牛乳パック、卵のプラスチックケースまで!中国ではこんなことは有り得ない。2008年の北京オリンピックの前まではゴミの分別は一切無かったが、オリンピックを機にやっと「回収可能」と「回収不可能」の二種類に分けられた。しかし、何が回収可能で、何が回収不可能か、はっきりと分けるルールがなく、国民は困惑しているようだ。そんな国から来た私が日本に来て更に驚いたのは、日本人はゴミの分別を自然にやってのける上に、どの曜日がどのゴミの回収日ということも把握していて、きっちり指定された日にゴミを出す。これは賞賛に値する。その後私はホームステイを終え、一人暮らしを始めたが、ゴミの分別までは自宅で出来ても、それぞれをいつ出すかの習慣まではなかなか定着しなかった。指定日に出しそびれることもしばしばで、正直、家がゴミ捨て場のようになってしまったこともある。   日本人の友人は米国留学時に、自宅アパートの巨大なゴミ用コンテナに生ゴミ、衣類、家電、はたまた家具やベッドのマットレスまでが一緒に捨てられていて、大変ショックを受けたそうだ。アメリカ大陸に比べ、国土の狭い島国の日本はゴミの行き場が無いので、ゴミをなるべく少なくしたり、再生したりする必要があるのだろう、と感じたらしい。学校教育でも、小学校から環境についてしっかり教えている。環境問題をテーマにポスターを描くことは、義務教育を受ける者なら誰もが通る道である。それだけでなく、例えば、世田谷区の公立小学校では、学校がリサイクル可能なゴミを受け入れて分別している。そのゴミを業者が集めにきて回収し再生するというシステムを作っている。学校の生徒だけでなく、学校周辺の人もゴミをリサイクルに持ち込むことが出来る。これはPTAの活動であるが、リサイクルに出したゴミの収益金は子どもの教育活動に還元されている。ゴミの分別、回収、再生、そして自分たちに返ってくるといった流れを幼いうちから知ることはとても大事だと思う。   こういった教育が、日本人を「環境保全を意識する国民にする」のだと痛感するばかりだ。中国では環境教育は一応道徳教育の枠組みに入っているが、あまり重視されていないようだ。全体的に、国民の環境に対する意識がかなり低い。近年よく報道されるのは、大型連休(10月の国慶節)の時、公の場で大勢の観光客が去った後、いつも山のようなゴミが散らかっている光景だ。国民の環境保全意識をあげるため、日本のように、子どもの段階から学校教育でしっかりこの課題について取り組む必要があるのだ。2009年から国際連合環境計画の協力によって、ようやく「中国子ども環境教育」というプログラムが発足した。   昨今のアジアを悩ます環境問題といえば、中国が排出するPM2.5であろう。 環境省のホームページによると、PM2.5は大気中に浮遊している2.5マイクロメートル(1マイクロメートルは1ミリメートルの千分の1)以下の小さな粒子のことで、非常に小さいため、肺の奥深くまで入りやすく、呼吸器や循環器系への影響が心配されている。日本で取り上げられるニュースはもっぱら、見通しの悪い北京や上海の光景と、日本に飛来してくるPM2.5の量である。しかし、よみうりテレビの最近のニュースによれば、日本で検出されるPM2.5は必ずしも中国飛来のものだけでなく、日本国内で発生しているものもあるとのこと。環境科学研究センターの成分分析によると、中国発生のPM2.5は石炭を燃やした際の化学物質や、工場から排出される煙が主な原因であり、日本(群馬県)で検出されたPM2.5は自動車や工場などから排出したものであることがわかった。日本国内ではそのどちらも検出されているのだ。   PM2.5の測定は、日々日本の各地で行われており、随時インターネットや、テレビニュースで知ることが出来るが、対応策に関してはなかなか進まないようである。中国でももちろんPM2.5はマスコミでよく取り上げられている。国民も強く懸念しており、ネット上では文句が絶えない。政府としても十分危機感を抱いてはいる。今年3月に李克強総理は「政府工作報告」の中で、大気汚染と戦う強い意志を表明し、今年度だけですでに350億ドルの財政資金を確保し大気汚染抑制を図る。そのほか、石炭の利用の減少、古いバスや車等の処分、新エネルギーの開発等、いろいろ対策を講じてはいる。日本も中国も早急に解決しなければならない問題は同じなのである。   皮肉にもPM2.5は人為的に引いた国境線が何の意味も無いことを教えてくれる。 日本の子どもと中国の子どもを思うと胸が締めつけられる思いだ。日本の小学生は毎日の学校生活を通じて、環境について学び配慮していても、空から降り掛かってくるPM2.5には抗えないではないか。また中国の子どもたちも外で元気に走り回れない理由を知り、自分たちで改善するチャンスが欲しいはずだ。アース・デイには国境をひとまず取っ払い、地球規模で環境について考え、未来に何を残したいかについて熟考したいものだ。後世に残したいのは、明確な国境線なのか、空気がきれいで緑豊かな地球なのか。   --------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載された。 ---------------------------     2014年5月1日配信
  • 2014.04.23

    エッセイ407:李 鋼哲「歴史認識と「洗脳教育」を如何に超克できるのか?(その2)」

    もう一つ取り上げたい問題は、歴史教育の「洗脳性」についてである。   前回のエッセイで述べた歴史の複雑性と歴史認識の多様性は、ある集団が政治的な目的により歴史を操作する可能性を提供している。政治家はある目的により、歴史操作(または歪曲)を行い、マスコミはそれを国民に伝える。もちろん、民主主義国家では言論の自由(研究の自由)と報道の自由が保障されているという前提で、様々な側面から歴史を検証することになっている。一方、共産主義国家や独裁国家ではそれが保障されていないというのが世間一般の認識であろう。しかし、この前提に対する考え方は本当に正しいのだろうか。筆者の答えは「NO!」である。いくつか歴史に関する洗脳教育の例を取り上げて説明したい。   筆者は、共産主義国家中国で生まれ育ち、教育を受け、共産党員になったこともある。しかし、1980年代以降は、改革・開放政策によって西側の情報に接することができるようになり、振り返って見ると、毛沢東時代に甚だ「洗脳教育」(「毛沢東や共産党政府のやっている全てのことが正しい」という教育)を受けてきたことに気づきはじめた。共産党や政府に対しても否定的な見方ができるように変わってきた。新聞などで共産党に対して公に批判はできなくても、「洗脳教育」からある程度は脱却できたことは確かである。そのような若者達が増えたから、「民主化」を唱えるようになり、結局「天安門事件」という惨事にまで至ってしまった。筆者はその当時は大学教員として若手インテリの一人であったが、当時は北京のインテリ(特に若手インテリ)層のほとんどが学生運動を支持していた。もちろん、インテリだけではなく、デモのピーク時には200万人以上の北京市民が学生運動を声援し参加していた。これは「洗脳教育」から解放された若者達を中心とする中国人の愛国主義的なエネルギーの噴出であったと筆者は考えている。   このような愛国主義的な若者を武力で鎮圧するような共産党が率いる中国の前途および自分の前途は、筆者には真っ暗に見えたのだ。憧れの的は民主主義国家の日本や欧米だった。当時、筆者を含む多くの若者達は、自分を育ててくれた祖国に背を向けて、出国の道を模索したのである。   中国人の日本に関する認識で言えば、毛沢東時代の「侵略戦争は一部軍閥主義者による行為」というのは、歴史事実は別として一種の「洗脳教育」であり、江沢民時代に始まった「反日教育」も紛れもなく「洗脳教育」であった。残念ながら習近平時代にもそれは続いている。数多く作られる抗日映画やドラマ、抗日戦争記念館などは見るに堪えない。10年前に山東省威海市近くの柳公島にある「甲午戦争記念館」(日清戦争)を見学したことがあるが、その時にびっくりしたのは、日本軍が中国住民を虐殺する写真などが赤裸々に展示されていたが、それに対する歴史的なストーリの解説はまったくなかった。歴史の知識が乏しい子供達や一般民衆がそれを見ると、「日本人は如何に残虐無道な悪魔=鬼子」であるか、という印象しか残らない。過去形ではなく現在進行形になり、彼らの頭には、現在の日本人とそれが重なるはずである。だとしたら、このような歴史教育は現在の日本人に対する憎しみを植え付ける役割しか果たさない。「これは中国人自身にとっても良い教育ではない」と筆者は案内役の地元政府スタッフに異議申し立てをした覚えがある。   これと似たような状況を筆者は韓国でも体験したことがある。「独立記念館」、「歴史博物館」などを見学したときに、子供達を引率する先生や親たちは、一所懸命に「日本が武力で韓国を植民地化した」ことを教えていた。もちろん、それ自体は歴史教育として悪いことではないし、教育すべきである。しかし、筆者が問題にしたいのは、ある国あるいは国家間の複雑な歴史や歴史認識のある側面だけを誇張して強調し、その否定的なイメージを現在の平和時代を生きる国や国民と結びつけてしまうような教育は、危険な「洗脳教育」に他ならないということである。   韓国はすでに立派な民主主義国家なのに、未だに共産党独裁国家である中国と似たような歴史的な洗脳教育をすることは、筆者には到底納得がいかない。もちろん、筆者も朝鮮半島にルーツを持ち、親の世代は満州で日本の支配と迫害を受けた事実を子供の時から聞かされているし、感情的にはその加害者の日本人が嫌いであり、「倭寇」、「日本鬼子」は許せない気持ちはある。しかし、それはあくまでも歴史であり、今の21世紀を生きる人間としては、歴史を忘れてはならないが、未来志向で、平和志向で生きるべきであり、考えるべきではないか。   民主主義国家である韓国では、言論の自由と研究の自由が保障されているはずなのに、近代史を客観的に研究する、とりわけ日本との関わりに関する研究者は、研究成果が歴史事実に基づいたとしても、朝鮮王朝の腐敗・堕落について言及すると、たちまち「親日派」、「売国族」の扱いをされ、罵倒されることになる。ここで、ある韓国の学者の言葉を引用する。   金完燮(キム・ワンソプ)という評論家が、2002年に日本で『親日派のための弁明』という本を出版しベストセラーになった。本のなかで、著者は「韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら、もっと今日の暮らしが良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で外勢の侵略がなかったならば静かで平和な国家を保てたろうと錯覚する。しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。」と述べた。この本は日本支配下になる前の朝鮮王朝の暗黒な社会を赤裸々に描き出したのだ。   しかし、著者はその言論が日本の植民地支配を美化するとして批判されるだけではなく、裁判を受けたり暴行を受けたり、様々な迫害を受けたのである。彼は別に親日派でもなく、かつては反日感情が非常に強い民主化運動家だったが、外国(オーストラリア)に一時移住して対日観が変わったと言われている。学問と言論の自由が保障されているはずの現代の先進国であり民主主義国家の韓国で、このようなことが起こるということをどう理解すればよいのか。(SGRAの読者の韓国学者達は理解できるでしょうか?もし筆者の見解が間違ったら批判してもらいたい)。   話を日本に戻す。筆者が「天安門事件」の衝撃を受け、前途が見えない中国を脱出して、憧れの日本に来て、自由な空気を吸い始めたのは、今から24年前である。北京の大学教師の職を放棄し、日本ではアルバイトで生計を立てる就学生に転落したが、精神的な解放感を感じたのは確かである。日本では言論の自由・学問の自由が保障されている。しかし、長い間日本の社会を観察していると、日本でも「洗脳教育」が横行しているように見えてしまう。戦後の歴史教育はかなりの部分に「洗脳教育」要素があるのではないか。敗戦国家でアメリカによる支配の中で、歴史教育の基礎が定められたのではないか。マッカーサー元帥が「3S」(セックス、スクリーン、スポーツ)政策を仕組んで、日本国民の政治意識を麻痺させた、という陰謀説さえもあるほどだから。   近年のことでいうと、北朝鮮の拉致問題やミサイル・核実験、中国の反日デモなどについて、日本のマスコミの集中豪雨的な「洗脳教育」により、日本国民の多くは北朝鮮嫌い、中国嫌いになりつつあり、近年はまた韓国嫌いにもなりつつある。それには日本の右翼が深く絡んでおり、右翼的な政治家も絡んでいることは否定しがたい事実であろう。民主主義国家、言論の自由な国家なのに、公正で客観的な議論ができず、偏向的な報道が中心になっているのではないか。周りの日本人と議論してみると、かつて洗脳された経験が豊かな筆者から見ると、彼らもいつの間にか「洗脳」されているような気がする。現代社会ではテレビの影響が大きいので、ある事件で無数に繰り返し報道すると、それに接する国民は自然に「洗脳」されていくのである。「中国と韓国が結託して優しい日本人を虐めている」という話を何度も日本人の友人から聞いたことがある。筆者から見ると、恐ろしく世論に洗脳されているとしか見えないが。   ところで、世界で最も民主的な国家である米国にも同じような現象がある。広島・長崎に落とした原爆は正義のためだったと、戦後60数年も米国民および世界に対して歴史教育の洗脳をして来たのではないか。これについては米国の映画監督オリバー・ストーン氏が、米国の現代史を検証するドキュメンタリーにて、原爆投下の必要性について疑問を呈したことから、筆者も興味を持って歴史事実を勉強するようになった。そのほか、ベトナム戦争、イラク戦争など、多くの歴史的な出来事について、政治家やマスコミは国民を洗脳してきたのではないか。反対の意見はあってもそれはある政治勢力により圧殺されていることは否定できないだろう。   ここで改めて「洗脳教育」を「マインド・コントロール」という言葉と絡んで吟味してみたい。「私の考え・価値観は、マインド・コントロールされて形成されたものだ」と言う人は、ほとんどいない。また、「私の言動は相手をマインド・コントロールするものだ」と言う人も、滅多にいないだろう。大方の人は、「私は正常だ」「私に悪意はない」と考え、またそのように主張する。しかし、そう主張したところで、その当否を判断するのは相手方なのだ。重要なのは、各人の「思い」ではなく、外形的事実だ。   マインド・コントロールとは何か? 簡単に言えば、「強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、あらかじめ決められた結論へと誘導する技術のこと」(*「ウィキペディア」参照)だろう。最も重大かつ危険なマインド・コントロールは何かと言えば、「国家によるもの」ではないか。国家は国民に対して一定の「強制力」を持つゆえ、私たちは国家に対して、さらに「洗脳」の危険性も併せて考慮しなければならない。   民主的で、言論が自由な国でも、独裁国家とは程度の差はあれ、為政者はマスコミや教育という道具を使って、国民に対する洗脳教育をしている歴史や現実を我々は理解せねばならない。そして、まず、自分が洗脳されないように、また人々が洗脳されないようにするためには、「国民意識」からの脱却が不可欠であろう。一つ言っておきたいのは、日本や米国では学問の自由と言論の自由が保障されていることである。筆者の書いたこの文章がもし中国や韓国で発表されたら、「親日派」、「売国賊」のレッテルが貼られるかも知れない。   筆者のいう「不偏不党」のアジア人、またはSGRAが目指す「地球市民」というのは、まさに「国民意識」を超えてからこそ、実現されるものではなかろうか。   --------------------------------- <李 鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu> 1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研究、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書に『東アジア共同体に向けて――新しいアジア人意識の確立』(2005日本講演)、その他論文やコラム多数。 ---------------------------------     2014年4月23日配信
  • 2014.04.16

    エッセイ406:李 鋼哲「歴史認識と「洗脳教育」を如何に超克できるのか?(その1)」

      近年、日本と韓国および中国との関係は厳しい冷え込み状況に陥り、なかなか解決の糸が見つからない。この問題は日本と中韓両国との関係だけの問題にとどまらず、米国政府も巻き込み、欧米世論も巻き込んだ世界的な大論争に発展した。1月のダボス・フォーラムでも安倍首相の基調演説に対し、司会者が質疑応答で取り上げるほどになっている。その根底にあるのは歴史認識の問題にほかならない。靖国神社参拝の問題にしても、領土・領海問題にしても、歴史認識問題の延長線上に生まれた派生的な問題であると筆者は見ている。   この問題について筆者は、自称「アジア人」として、国家・民族を超えた意識に基づいて「不偏不党」の視点を提示したい。一つは、歴史の複雑性と歴史認識の多様性について、もう一つは、歴史教育の「洗脳性」について、私見を述べたい。   歴史の複雑性   筆者は歴史学者ではないが、歴史とは相当複雑であり、勉強すればするほど面白くなっていることに気づいた。歴史というのは、それを見る、あるいは解釈する主体者によってその事象が異ってくる。歴史のなかに生きた人の経験は千差万別である。さらに、歴史を動かしている人々、歴史を評価したり、歴史を書く人々の立場や考え方には複雑な要素が絡んでいる。したがって、歴史は複線であり、単線で単純なものではないことは自明の理である。歴史に対する認識や見方には多様性があることを認めざるを得ない。そして、歴史は動くものであり、したがって歴史に対する認識も時代(歴史)の変化に伴い変化する。このことを哲学では歴史弁証法という。   中国で生まれ育って、教育を受けた筆者の個人的な体験から言うと、日本に関して、または日中歴史関係についての認識は時と共に変化してきたのである。   1960~70年代、子供であった筆者は、田舎にいても「共産党の抗日戦争」(当時、政権党であった国民党は抗日に消極的であったと教育されていた)の映画をたくさん見てきた。でも、子供だったので、ただの戦争ごっこにしか受け止めなかった。映画の焦点は共産党の八路軍と新四軍が如何に日本軍と勇敢に戦って勝利したのか、日本軍は如何に三光政策を実施したのか、にあった。   1972年に日中国交正常化したが、田舎の人々はそのようなことはあまり知らなかった。ただし、学校教育では抗日戦争の映画を見せる時に、先生は「日本の中国侵略は一部軍閥主義者たちによるものであり、日本国民も被害者であり、日本国民は我々と同じ無産階級(プロレタリア)なので団結すべきであり、憎むべきではない」と教え、そのまま信じた。おそらく、そのような教育指針が政府から出されたと推測できる。   そして、偶然にも小学生の頃、日本人に初めて接する機会があった。1969年頃、ある有名な画家の家族が地元の都市延吉市から私の住んでいる村に下放されてきたのだが、その画家の奥さんが日本人であった。「文化大革命」の真っ最中であり、知識人や外国と関係がある人達は悪者扱いされ批判の対象になる時代であった。   しかし、村に来たその家族は不思議なことに批判の対象とはならなかった。村人達は誰一人、日本人の奥さんを悪者とは思わなかった。逆に、その礼儀正しさ、優しさを村人達は尊敬しており、仲良く過ごしていた。その家の末息子が小学校の同級生だったので、私はいつも神秘感(日本人的な生活スタイルに対して)を持ってその家に遊びに行ったりした。   私が高校を卒業して大学受験に4年間もチャレンジするうちに、外国語の試験が加わったため、日本語の本一冊を持って、「日本語を教えてください」と、友達のお母さんに頼んだら、すぐ承諾してくれた。日本語の仮名の読み方から教えてもらった上で、独学で日本語を勉強した。   大学生の時には、専門は哲学であったが、引き続き外国語として日本語を独学し、大学に来ていた日本人留学生(日本では社会人)と初めて日本語会話を試み、そのうち親しい友人になり、中国語と日本語を混じりながら会話し、周りの友達とも混じりながら交流していたが、誰一人、日本人だから嫌いという人はいなかった。逆に、日本人と親しく交流できる私は周りの学生から「日本通」と言われた。その後も日本友人との交流はずっと続いていた。これが1980年代の北京での私の日本人体験であった。つまり、毛沢東時代と鄧小平時代までは「反日教育」、「反日」は中国では非常に限定的であったということを物語っている。中国で「反日教育」が盛んになったのは1990年代の江沢民時代からであることは周知の事実である。   歴史認識の多様性   話を歴史認識に戻すと、国家間で戦争が発生した場合、必ず強いものと弱いもの、侵略者と被侵略者、加害者と被害者が出てくる。日本が中国で侵略戦争を起こしたことは否定し難い歴史的な事実である。しかし、その戦争によって侵略した側、侵略された側の両方にそれぞれの受益者と被害者がいることも理解せねばならない。どの勢力が国の政治を司るかによって、歴史認識も変わってくるのである。これは何処の国でも当てはまることだと思う。   あるエピソードを取り上げよう。昭和39 (1964) 年7月、日本の社会党訪中団が中国を訪問し、毛沢東と会見した。社会党の佐々木更三委員長が毛沢東に対し、日本の侵略戦争について謝罪したのに対し、毛沢東は「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。・・・もし、みなさんの皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結して、みなさんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう。ですから、日本の皇軍はわれわれにとってすばらしい教師であったし、かれら(日本国民)の教師でもあったのです。」「過去のああいうことは話さないことにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも助けたのです。日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った一部の将軍をも含めて、かれらは今では、われわれの友人に変わっています。」と述べたという。   この発言は奥の深い哲学的なものの考え方によるものである。中国には「因禍得福」という諺がある。禍によって結果的に福がもたらされるという意味である。日本軍の侵略は中国に大きな禍をもたらしたが、それを結果的に、そして大局的に見ると人民による新中国の誕生につながったことも事実である。 もう一つ、「反面教師」という言葉も中国でよく使われている。仮に悪いことをしても、それを反省し、教訓を汲むことができれば、良い結果につなげることができる。毛沢東は思想的には哲学者でもあり、物事を考えるときに常に「一分為二」(一つの物事の二つの側面)という弁証法的に考えるべきだと中国人民に教えたのである。中国ではその当時毛沢東が絶対的な権威をもっており、国民の信任が厚かったので、毛沢東はそのような「ジョーク」で会談の雰囲気を変えることができたのだと思う。もちろん、その発言は外交記録にあるのみで、マスコミに発表されたわけではない。   このような考え方で、日韓関係を見ると、もし日本の植民地支配がなかったら、今日の韓国の繁栄はなかったかもしれない。独立運動家は生まれなかっただろうし、韓国民の覚醒もなかっただろうし、朴正煕大統領のような立派なリーダーは生まれなかっただろう。しかし、もし韓国の某大統領が「日本の植民地支配に感謝する」と発言したとしたら、それは国賊扱いにされるに違いないだろう。韓国では「親日派」を徹底的に追求するキャンペーンを行ったが、それは「反日」である前に、まずは国内での政治勢力間の戦いに見えるのではないか。歴代大統領が替わるたびに、「反日」になったり、「親日」までは言えなくとも日韓関係の歴史に終止符を打とうとする、二つの勢力の争いが繰り返されている。現在の朴大統領が対日政策で強硬姿勢に出るのは、親の「親日レッテル」という負の遺産から自分のイメージを払拭したい、という心理的コンプレックスによるものと見受けられる。   筆者なりに歴史を客観的に評価するとしたら、日本の侵略と支配により、隣国は大きな被害を被り、日本はその加害者責任から逃れられない。しかし、加害過程における受益者がいることも否定しがたい歴史的な事実である。歴史というものは完全に客観的に評価できない側面もあることも理解せねばならない。一つの民族、集団の文化としての歴史は、自分達の過去であると同時に現在と直結している自分たちのアイデンティティの整合性の最も重要な部分である。言い換えれば、歴史自体が自己とアイデンティティの主な部分を占める。だからこそ、歴史は解釈であり、勝者と為政者が自分たちの正当性やアイデンティティの形成に利用するものである。したがって、歴史は最も「作為性」と「虚為性」として粉飾される客体であり、主体でもある「文学的な物語」である、とある学者は指摘している。 結論的に言うと、歴史認識というのは時代の産物であり、為政者が自分たちの正当性を主張するための道具という側面があることを認識しなければならない。 (つづく)   --------------------------------- <李 鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu> 1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研究、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書に『東アジア共同体に向けて――新しいアジア人意識の確立』(2005日本講演)、その他論文やコラム多数。 ---------------------------------   2014年4月16日配信
  • 2014.04.07

    エッセイ405:李 彦銘「首相の靖国参拝と日本のイメージ―中国人の思い込みはどこからきたのか」

    昨年末、とうとう安倍首相が靖国神社を参拝した。安倍首相にとって、中韓の反応を配慮し8月15日の終戦記念日に行かなかった代わりに、選びに選んだのがこのタイミングだったのだろう。   しかしそうした「努力」は中韓には無視された。中国側の反応は案の定であり、外交部がこれを「悍然」なる参拝として批判した。その後、イギリスをはじめ世界各国に駐在する中国大使を動員し、英語での日中輿論戦が繰り広げられ、さらに韓国をも巻き込んだ。この一連の動きはおそらく、中国側が安倍参拝の必至を見越して、事前に用意した対策だと思われる。そして1月のダボス会議に出席した王毅外交部長・元駐日大使はフィナンシャルタイムズ社のインタービューで、「いま中国外交の急務としては、国際社会に日本の動きを危惧するように呼びかけることだ」と訴えた。   一方、中国国内では、公式に日本の軍国主義復活論を提起することはなく、あくまで靖国神社は軍国主義の象徴であることを強調し、むしろ焦点は、憲法改正などを唱える安倍政権が日本を軍国主義の道に導こうとしていることに絞った。つまり安倍政権の批判のみで、政権交代の際の交渉の余地を残した。   この靖国参拝は、中国側の政策決定者にとって、安倍政権との交渉をあきらめさせる決定的な要因となったと思われる。「悍然」なるという評価は、中国外交において公式に使われることは少なく、中国側のレッドラインに踏み込んだというメッセージを強く伝えているという外交分析がある。ちなみに一番最近に使われたのは、2006年に北朝鮮が中国に事前通知なしで核実験を行ったときだった。小泉元首相の靖国参拝に対しても、2005年からこの言葉を使って批判していた。しかしながら、小泉内閣からの積極的な反応はなく、中国側は政権交代を期待するしかなかった。   歴史をさかのぼると、日本の首相による靖国参拝がはじめて日中の外交問題となったのは、1985年8月15日の中曽根公式参拝であった。その一週間後、新華社(中国政府の公式通信社)が批判の社説を発表し、靖国参拝と歴史責任を結びつけた(『絶不允許混淆侵略戦争的性質』、1985年8月22日)。しかし鄧小平などの国家指導者は靖国神社参拝を批判しながらも、日中友好の重要性を訴えた。転換点になったのは、むしろ9月18日(満州事変の発端である柳条湖事件記念日)に、天安門広場で行われた大学生による反日デモであり、20日に外交部が改めて靖国参拝を強く批判し、二国間の外交問題として位置づけたことによる。   それ以降、中曽根氏は在任中に靖国神社に行くことはなく、今日まで40年近くの間、首相の公式参拝は安倍氏を除いてこの一回のみであった。在任中に私的参拝をした首相も、小泉氏と橋本氏のみであった。ただし橋本氏は私的参拝した翌年の1997年に、中国瀋陽にある「九・一八事変(柳条湖事件)記念館」を訪問することで、自らの歴史認識が中国側と共通していること示し、その後は参拝しなかった。つまり、首相や外相が在任中に靖国参拝をしないことについて、自民党内では一定の了解があるのだ。   これらの前例に照らしながら、2012年に大規模な反日デモが中国を席巻したこと、またダボスでの安倍氏の物議を呼ぶ発言から考えると、安倍氏を交渉相手にすることは、中国側にとっては対内的に説明がつかないことになる。よほどの国内・国際の事情がない限り、中国側が第二次安倍政権と対話することはないだろう。   それでは、一般の人々にとっては、日本の首相が靖国を参拝することは何を意味するのか。なぜ中国社会では靖国参拝が歴史認識問題として受け止められるのか。それはただ単に共産党の言説をそのまま受容したからなのだろうか。   当然のことながら、1985年以前、ほとんどの人は靖国がどんな場所であるのかをよく知らなかった。中曽根参拝後、中国では名前が知られるようになったが、果たして靖国ではどんな人が祀られているのか、ひいてはそもそも神道とはどんな宗教であり、宗教法人とはどのような位置づけと法的権利を持つのかについては、長い間中国では広く知られていなかった。   限られた情報と知識の中、唯一はっきりいえるのは、そこにはA級戦犯が祀られていること。戦争責任二分論(つまり日中戦争はごく一部の軍国主義者が発動したもので、ほとんどの日本人も中国人と同じように軍国主義の被害者であるという、日中国交正常が行われた際の中国政府による対内説明)が広く受け入れた時代では、A級戦犯はまさに戦前の日本を国家主義、軍国主義、さらに残忍な虐殺に導いた張本人であると認識するのは当然であろう。   さらに、ここには文化的な違いも確かに存在する。中国には神道がなく、「靖国神社に祀られる英霊」というフレーズを聴いたとき、自然と浮かび上がるイメージは、廟やお寺や道観の中のことである。祀られるということは、「供奉」という言葉になるが、亡くなった人の身代わりである「牌位」を供養することである。この「供奉」は、ただ宗教上の崇拝ではなく、道徳の意味も含まれている。仏教にしても、道教にしても、崇拝の対象はいずれも現世に生きた間に善行を行い、そしてその功績が認められ初めて成仏あるいは神になったもの。つまり、宗教施設で供養されることは、死者の生前の行為に対する最大の肯定であり、現在を生きる人々のお手本となるべきというメッセージを含んでいる。日本でもよく知られるのは、三国誌の中の関羽が原型となった関帝廟や、海外の華人社会で多く信仰される媽祖、孔子廟である。こうした誤認識を示す一番最近の例は、2012年靖国神社前で抗議した香港人活動家が、東条英機などの位牌を持参し、それを燃やすことによって憤慨をあらわにしたことだ。   これらの施設を訪ね、彼らの位牌の前で合掌して、自分の願い事の実現を祈ることは日本の神道と共通している。だがこのこと自体が「供奉」の対象の功績を認めることになる。こうしたイメージのなか、靖国参拝=戦犯の行為に対する肯定という図式が成り立ち、そして一国の首相による参拝は許されない挑発行為だと考えるのはむしろ自然なことである。   ただし日中の確執の激しさが増すとともに、ようやく中国でも知識の普及がもたらされた。特に安倍政権になってから靖国についての紹介文も多くメディアに掲載され、神社の中にはいわゆる位牌のようなものがないことに気づき始めたのである。「百度知道」(ヤフー知恵袋のようなもの)でさえ、最近は靖国神社に関する情報が豊富かつ正確になってきている。   以上のように、日中の誤解は、ただの無知から生じたものに過ぎないのかもしれないが、安倍氏による「心の問題」というような説明ではなかなか理解できないだろう。一方で靖国参拝=戦犯の行為に対する肯定という図式は、中国あるいは華人社会のみに存在する観念ではなく、国際社会ではもはや一般的になってきている。その理由は、小泉内閣期に、遊就館とその言説がますます脚光を浴びるようになったことである(田所昌幸・添谷芳秀編『「普通の国」日本』千倉書房、2014年)。遊就館に関する知識もまた、いま中国社会に浸透しつつである。靖国参拝は遊就館と無関係であるという説明は果たして成立するだろうか。参拝の正当性を主張するならば、これらの難問を解くような説明をきちんとする責任がある。   もうひとつ、気をつけないといけない中国社会の思い込みがある。「日本人は自らより強いものに対して服従するが、弱者を相手にしない」という考えだ。第二次世界大戦において日本人はアメリカ人に負けたから、アメリカの言うことに耳を貸すが、中韓の感情を平気に踏みにじるのは彼らに負けていないからという論理である。「百年の屈辱の歴史」に対する記憶と被害者意識はいまだに中国社会に広く存在しているため、こうした感情的な思い込みは相当強い。だからこそ、日本側の歴史認識には敏感に反応したり、それを中国に対する挑発や嫌がらせだと受け止めたりする。もちろんその背後には、戦後日本の平和主義と民主主義の定着に対する根本的な無知と不信感がある。このような認識は、いささか論理が飛んでいるが、遊就館が米紙の批判を受けて言説の一部を修正したなどの事実もまた、そうした思い込みを強める。   筆者は中国社会、ひいては指導層までに存在する以上のような認識の誤差は、長い間における相互認識と情報の極めて不十分な状況と、2000年代に入るとともに大量な日本に関する情報が急激に人々の手に届くようになり、民間の発言空間が生まれた状況との間の巨大なギャップによって生じた結果だと考えている。しかし幸いなことに、中国社会では人々の関心とともに知識の普及が進んでいる。また、2000年代に入ってから、東アジアとの間の歴史問題や戦争責任の再整理にさほど大きな関心を示さなかった日本社会でも、ようやくこれは日本の国際イメージの根幹とかかわる問題だと気づき始めた。   を知り己を知」るのは、戦争に勝つためではなく、有効な外交を展開するためだ。なぜ相手が自らのスタンスを理解できないのかを一方的に責める前に、誤解のわけを知り、それを解くための説明をしたほうが有効な外交ではないか。その意味で、安倍政権は相手を知らな過ぎたかもしれない。選びに選んだ参拝のタイミングも、なんと毛沢東の誕生日と重なっていたのだ。ただし、時代はすでに変わり、外交はますます政府の特権でも外交官だけに頼る専門分野でもなくなった。市民の一人ひとりの発言権が大きくなったとともに、背負う責任、つまり相手を知ることと自国を説明することが重要になっている。日中双方の努力が必要であるが、いまの相互無知と誤解の状況は必ず改善されると信じたい。   ------------------------ <李 彦銘(リ・イェンミン) Yanming LI> 大学共同利用機関法人人間文化研究機構地域研究推進センター、慶應義塾大学東アジア研究所・現代中国研究センター研究員。中国北京大学国際関係学院を卒業後、慶應義塾大学にて修士号を取得し、同大学後期博士課程単位取得退学。研究分野は国際政治、日中関係と中国外交。現在は日本の経済界の日中関係に対する態度と影響について博士論文を執筆中。 ------------------------     2014年4月2日配信