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2014.11.05
3年前の出来事。趣味で金箔を一箱10枚6000円台でネット購入した。金箔で有名な金沢の、ネット検索で最初に出てきた会社である。他の会社がほとんど0.001mmであったのに対してこの会社の金箔は0.002mmのものがあり、価格が1~2割高かっただけだったので、これを選んだ。
しかし商品が届いてがっかりさせられた。あれは0.001mm未満であろう、透けて見える上、私が今まで接した金沢職人金箔と比較して、台紙から剥がせばボロボロになるほど極端に薄いのだ。(透過率測定か電子顕微鏡で観察すればデータは取れるが)
私は業者に問い詰めた。そうしたら「これは伝統技術で手作りなので、誤差」だと言われた。「0.001mmと0.002mmでは誤差は100%だぞ、これは詐欺だろう!」と怒った。
私のたかだか数千円の損はどうでも良い。真面目な業者がいる一方で、伝統を言い訳に不誠実なことをする業者が許せなかった。
消費者センターにも相談したが、これは職人技なので非は追及できないという答えだった。「匠を知らない外国人」vs「金沢伝統工芸」という構図になっていたのだろう。これ以上是非を追及しても無駄と、私は諦めた。
この金箔は使えなかったので、その後別の会社から0.001mmのものを買った。そうしたら透けて見えない上、台紙から剥がせる厚さの、まともな品が届いた。私のクレームは間違っていなかった。
世の中には「伝統」をつければいいと思っている人が多い。また外国人はどうせわからないと思い込んでいる人も多い。今年参加したある国際学会の晩餐会で日本伝統大道芸が披露された。和傘でお椀を転がしていた。演者は袴を着ていかにも「日本伝統」なのではあるが、普段着で道端でやっている大道芸のことを想像すれば普通の腕前で、そこに感動はなかった。
京都の枯山水。Wikipediaによれば「枯山水は水のない庭のことで、池や遣水などの水を用いずに石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式」とのこと。日本人にその美しさを理解しているか聞かれる。私は、枯山水は非常に素晴らしく、日本が世界に誇れる創造的な芸術と思っている。しかし次のことを付け加える。「石ころを水に見立てているのでこれは現代美術の先駆けである。素晴らしい創造力だ。当時コンクリートというものが発明されていれば、コンクリートの枯山水もあったかもしれない。だが私にとって現代美術は自然を越えられない。だから自分が庭を持つとしたら私は石ころを並べるよりも、本当の水を流した木々が鬱蒼と茂る庭を作るであろう。」大抵の場合、外国人は和を理解できない、というオチになるのだが。
通販和菓子、日本酒の利き酒・・・「和」がつけば「外人にはわからない」といい加減にする人は多い。台湾人にも「外国人はわからない」と美味しくない烏龍茶をプレゼントする人がいるのと同じである。それでは外国からの信頼を失うことになる。
日本の伝統工芸や芸能を否定しているのではない。それに逃げている、或いはそれだけを売りにしているのが少なくないと感じるのである。
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<葉 文昌(よう・ぶんしょう) Yeh Wenchang>
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。2010年4月より島根大学総合理工学研究科機械電気電子領域准教授。
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2014年11月5日配信
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2014.10.29
会議に参加する皆さんの2 日前にバリ入りして、ホテルのプールサイドで潮風を楽しんでいたら、ベルギーからやってきたヴォルフガング・パペさん(Dr. Wolfgang Pape)と知り合った。飛行機の便の都合で会議のだいぶ前に着いてしまったそうだ。欧州連合(EU)で長く働いた法律家。その日は夜遅くまで(プールサイドからバーに移って)、アジア(特に東北アジア)のことや欧州(特にEU圏)のことを話した。お酒抜きでウェルカム・ドリンクのチケットで出てきたトロピカルジュースを飲みながら。
国際情勢について、お互い勝手に意見をぶつけあったのだが、僕がウェストファリア条約に触れた時、パペさんの雰囲気が何となく変わった。少しだけ語気を強めて「ウェストファリアはもう古い。ウェストファリア体制は終わったんです」と語った。欧州統合で欧州人はウェストファリア体制のくびきから解放されたんだ‥、人々は自由に移動できる‥、世界は変わりつつある‥、アジアはまだかもしれないけれど‥。(それは正しい方向だという確信を彼に感じた。)
1648年にドイツのウェストファリアで三十年戦争の講和条約が結ばれた。これがウェストファリア条約として主権国家や内政不干渉などの原則をうたい、その後の国際法を規定したというのが、僕たちの理解だ。絶対主義も帝国主義も、米ソ冷戦も9・11ですら、見方はいろいろあるだろうが、ウェストファリア体制下の国際秩序のもとでの出来事だった、らしい。多くのアジア諸国も当然、何らかの形で欧米中心の国際秩序に組み入られ、その中で植民地時代を経験し、独立を達成し、そして新興国家として発展してきた。
パペさんが「ウェストファリアはもう終わった」と語った文脈は、欧州の秩序確定以来370年以上続いてきた西欧の国家主義は緩んで、融和に向かうEUの実験は後戻りすることはない、人類は欧州の達成をスタートラインにして、歴史を前に進めるんだ‥という意思を日本人(アジア人か)にもう一度思い起こさせたかったのだろう。EU圏内の「国境」はなくなり、統一通貨は実現した。ウェストファリア体制は次の何かに変わらねばならない‥。
2014年8月22日に始まった第2回アジア未来会議の基調講演に立ったのは、シンガポール外務省のビラハリ・コーシカン無任所大使(Bilahari Kausikan)だった。「数百年間にわたって途上国が西欧の価値と制度を基準として受け入れさせられてきた世界の再編が起きている。そして、その中心は中国であり、中国がどのように変化するにしろ、それは中国独自の特性を持つ変化だろう」。コーシカンさんは、中国のさまざまな「問題」を注意深く指摘しつつ、中国を中心にした新秩序を受け入れざるをえない東アジア(そして世界)の未来図を描いた。
ウェストファリア体制がなくなっても、世界には別のウェストファリア(のようなもの)ができてくるのかも知れない。まだ形はよくわからないけれど。
会議2日目の分科会では、「これからの日本研究」に参加した。10分もらったけれど早口なので、多分6分くらいで終わってしまったと思うが、「概論への意志」ということを話した。
SGRAに集まっている多くの若い学者が、スペシャリストであると同時にジェネラリストを指向し、早い段階で(協同でいいから)概論を試みること。新しく作られる概論は国際性、同時代性をきっと持つだろうこと。概論は一般の読者にアクセス可能な知の第一歩になりうるのではないか、ということ。
国際関係のもつれた糸をほぐす時に「歴史を忘れない」とよく言われる。その通りなのだが、最近僕はこうも考えるようになってきた。2015年は、日中・日米戦争に日本が負けてから70年にあたる。戦争をはさむ歴史を生きた人々はとても少なくなっている。そして、歴史を知らないことに不都合を感じなかったり(多い)、歴史を恣意的に解釈したりする人々(ときどきいる)が増えてきた。だから、歴史は思い出されるだけでなく、新しい世代によってリバイズされてもいいと思うのだ。(書き直すというと、誤解を招くだろう)。
村上春樹はさまざまな場所で、歴史について「集合的記憶」という表現を使っている。たとえば‥。
「僕らの記憶は、個人的な記憶と、集合的な記憶を合わせて作り上げられている」と天吾は言った。「その二つは密接に絡み合っている。そして歴史とは集合的な記憶のことなんだ。それを奪われると、あるいは書き換えられると、僕らは正当な人格を維持していくことができなくなる」(村上春樹『1Q84』BOOK 1、 pp. 459-460、2009年、新潮社)
プールサイドでパペさんと、欧州の諸国民がその予兆にまったく気づかないまま、泥沼にはまりこんでしまった第一次世界大戦の話になった。1914年のサラエボ事件から100年。パペさんは欧州で評判になっている本を紹介してくれた。「Christopher Clark, “The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914,” 2013, Penguin」。
帰国後紀伊國屋で見つけたので買った。クリストファー・クラークはケンブリッジ大学の現代史(Modern History)の教授。細かい場面を精密に浮かび上がらせるとともに、大きな流れを読者にうまくつかませることに成功した、同世代人による見事な概論だと僕は思う(拾い読みしかしていないのだけれど)。欧州人は、「すべての戦争を終わらせるための戦争」と呼ばれた第一次世界大戦に、夢遊病者(sleepwalker)のようにさまよい歩いて入っていき、気がつくとそこから逃げることができなくなっていた。
歴史を生きた人々がいなくなる。歴史を新たに生きる者たちは、歴史を書き継ぐとともに、時々リバイズして、僕たちにわかり、僕たちに読める歴史を書かなければならないと思う。もし僕たちが夢遊病者だとしたら、目を覚ますために。今度若い人たちと歴史について話してみたい、と思っている。
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<川崎剛(かわさき たけし)KAWASAKI Takeshi>
元朝日新聞アジアネットワーク(AAN)事務局長。早稲田大学教育学部卒。朝日新聞の社会部員、外報部員、アメリカ総局員(ワシントン特派員)、ナイロビ支局長(アフリカ特派員)、外報部次長、オピニオン編集部次長、ジャーナリスト学校主任研究員などを歴任。1999-2000年スタンフォード大学ナイトフェロー。2010-11年マスコミ倫理懇談会東京地区幹事。2014年7月よりフリー。津田塾大学非常勤講師。
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2014年10月29日配信
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2014.10.22
2020年に東京でオリンピックが開催される事が決まり、日本では一層「クールジャパン」という言葉を耳にする。ここで強調したいのは、それが日本の中だけの話題だということ。クールジャパンの動きは海外ではどれほど浸透しているのだろうか。日本ではクールジャパンという言葉ばかりが先走っている気さえしてくる。「具体的には何をしているの?」と思っている人もいるかもしれない。そしてそれが日本政府主導ということまで知っている日本人は案外少ないかもしれない。
日本に住む日本人にとって生活に関わるものほぼ全て、衣食住に限らず公共交通機関をはじめとした安全で便利な暮らしが出来ていることは、当たり前のことだ。しかし外国人にとっては快適便利な暮らしこそがクールなのである。日本政府が旗振り役になって世界に発信しているクールジャパンはアニメ、アイドル、日本食に傾倒し過ぎているように感じる。しかしそれらは、日本通の外国人達にとっては、新しいものでも何でもない。インターネットの普及により、彼らは見たいもの、欲しいものを自国にいながらいつでも手に入れられるからだ。日本政府が民間企業と手を組みクールジャパンを促進するのなら、すでに海外に進出している民間企業が新規開拓に行き詰まっていたりする場合の手助けをする方がよいのではないだろうか。
海外では日本車が走り回り、ポッキー(お菓子)もマルちゃんのインスタントラーメンも手に入る。これらはクールジャパンという言葉が使われる前から、海外に果敢に販路を求めてきた日本企業の努力の賜物だと思う。しかし時は過ぎ、韓国や中国の家電メーカーの台頭により、昨今日本の存在は弱くなったと言われている。そして、そのようにマスコミが煽るから、ますます日本国民の元気がなくなるのではないか。これは実にもったいないことである。中国人にとっては、自動車や家電以外にも売り込める魅力的な物を沢山持っている日本の企業たちは、なんてパワフルなんだ!と感心せずにはいられないのに。
日本の民間企業はまだまだ底知れぬパワーを持っているのだ。日本で生活する外国人からすると、日本はまだまだクールジャパンを活かしきれていないように思う。日本の製品が海外で認知されているのは、ただ単に製品を輸出するだけでなく、便利さという付加価値と現地のニーズに合わせたものづくりをしているからではないだろうか?現地化というのは、欧米の企業も入念なマーケティング等の調査をしているはずだが、使いやすさ、例えばパッケージの開けやすさ一つをとっても日本の技術は世界のトップと言っても過言ではないだろう。これはもう細部にも手を抜かない日本の文化だと思う。例えば、「よその国はインスタントラーメンの粉末スープやソースのパッケージの開けやすさに、そこまでこだわらないし、期待してもいない」というスタンスではなく、自分たち(日本人)が快適と思えるレベルまで掘り下げて商品開発している。そしてどの国の人も結局は便利なものに手が伸びるのだ。いつしかこの便利さが世界のスタンダードになるかもしれない。
その他の例では、日本人のドラマ、映画離れがあるかもしれない。日本人が熱狂しなければ、世界でも認知度は低いだろう。現在ドラマと映画のようなエンターテイメントはアメリカと韓国に大きく水をあけられている。クールジャパンとして、今は、すでにおなじみの日本のアニメを海外で放映しているようだが、先述の通り、少しでも興味があれば今はインターネットを通して何でも手に入れられる時代だ、新鮮さがない。「クールジャパン=漫画、ドラマ、アイドル」だと思うなら、さらに新しいものを生み出せる環境や資金を整えてあげる方が良いのではないか。
では今後どういった文化を売り込めるのか?サービスやホスピタリティではないだろうか。サービスというと先述のパッケージの開けやすさなどは、日本のお家芸とも言えるだろう。同じく赤ちゃんのオムツや介護用品も企業が使いやすさを日々研究していて、すでに海外にもどんどん進出している。ホスピタリティというと、世界の先頭をきって走っている高齢化と、流行語「お・も・て・な・し」にヒントがあるかもしれない。日本中に星の数ほどあるかと思われる老人介護施設、それぞれが独自のサービスを行っている。日本には老いも若きも安全で便利に暮らせるシステムがある。海外ではなかなか同等の快適さは得られないのだ。
最後に、クールジャパンと言って表に出ることばかり考えているだけではいけないと思う。まずは日本の若者に向けてクールジャパンをして、自分たちが今の日本文化を作り上げ、牽引していく立場だという意識を持ってもらうのも近道かもしれない。
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<謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai>
共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。
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2014年10月22日配信
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2014.10.15
今年のお正月に台湾へ帰国した時のことである。台湾の元旦では早朝に総統府前で政府主催の国旗掲揚大会があり、愛国的な人達が国内外から集まって、国歌を歌ったりして中華民国の新年を祝う。なかには中華民国の国旗をモチーフにした、鮮やかな藍、赤、白からなるマフラーなどの装着品を身に着けていたりする。
台湾ではこういうことが愛国的とみなされる。すでに国外へ移住している人達でも、この日に戻ってきて国旗を振って「愛台湾」とでも口にすれば、台湾の人々はこの人達を愛国者と認定する。または外国人がその場で国旗を振れば、写真がクローズアップされて翌日のニュースには「愛台湾的外国人」として報道されるであろう。
こういう光景を見ると、私は口先だけ「I love you」の軽い人間を思い浮かべてしまう。或は一昔前のドラマの中の「同情するなら金をくれ」の名セリフ。口先なら誰でもできる。でも国旗を全身に纏っていようが、感無量で涙を流して国歌を歌おうが、それは国を利する行為とは関係ないはずだ。
社会での役割を全うしていれば、それで社会に貢献していることになる。海外へ移住している人は台湾では働いていないのだから、彼らがお祭の時に戻ってきて愛国と主張しても私は共感できない。台湾で真面目に働いていれば、それは台湾の社会に尽くしていることになる。今や台湾の社会に貢献している人は、国籍が台湾とは限らない。外国人配偶者や外国人労働者も多くいる。外国人でも社会に求められて真面目にその役割を全うしていれば、それ以上の愛国はないと私は思う。
世の中では、象徴的で表面的なことばかりが礼讃されているようだと私は悲しい気持ちになる。象徴的で表面的なものが嫌いな私は台湾では国歌を歌いたくないし、国旗への敬礼もしたくない。もちろん、私に国や社会に対する愛がないわけではない。しかし、世の中でうわべで判断されている価値観から見ると、私は非国民のレッテルを貼られてしまうだろう。
私のこのような考えは日本で培った部分が大きい。日本が近隣アジア諸国と比べて国家の象徴に対して狂信的ではない所に日本社会の先進性を感じていた。しかし日本もここ数年で少し変化しているようである。今でも近隣諸国と比較して先進的であることは確かではあるが、冒頭で示した私が嫌う価値観に近づく方向へ進むのは、やはり後退と言える。
私も今や日本社会の一員となった。自分が所属する社会に貢献し、その発展を願っているのは言うまでもない。この先、グローバル化に伴って国際的な人々の往来が盛んになるのは確実である。日本に居住する外国人も、外国に居住する日本人も増えていくはずだ。このような状況の中では、国籍や人種はあまり意味を持たなくなりつつあると私は思う。どの国であっても、うわべの行動や、国籍や人種だけでその国や社会への忠誠を判断されることがないことを願っている。
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<葉 文昌(よう・ぶんしょう)Yeh Wenchang>
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。2010年4月より島根大学総合理工学研究科機械電気電子領域准教授。
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2014年10月15日配信
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2014.10.08
SGRAの共有型成長セミナーとテンプル大学ジャパンから支援を受け、2014年7月10日から12日までシカゴ大学とノースウェスタン大学で開催された国際学会に参加した。この会議は、フランスに本拠を置く「社会経済学の推進協会(SASE)」という学際的な学会により「資本主義の基礎」というテーマで主催され、僕の研究やSGRAの学際的な方針と合いそうなので、大変忙しい日程にもかかわらず参加を決めた。大変というのは、テンプル大学ジャパンはまだ夏学期中だったので、その合間をぬって東京とシカゴを4日間で往復するというハードな日程のことだ。久しぶりのアメリカだし、長い空路では放射能を多めに浴びるし、移民した家族や、幼いころの友人たちに再会できるので、行くとしたらもう少しのんびりしたかったのだが、今回は無理だった。
僕の発表は、国士舘大学の平川均教授(名古屋大学名誉教授)と共同で2年前に実施したフィリピン企業の調査報告に基づいて、「共有型成長のDNAの追求:フィリピンの優れた製造企業の調査」というタイトルの論文だった。共有型成長というのは、経済が成長しながら格差が縮む発展パターンであり、1993年に世界銀行が発表した「東アジアの奇跡」という報告によれば、日本を含む8か国/地域の東アジア経済が戦後の数十年間に実現したものとされている。
SASEのシカゴ会議は、25を超える研究ネットワークに属する800人ぐらいの参加者で構成されていた。僕は「アジア資本主義」という研究ネットワークに参加することにした。発表の前半では、この研究のきっかけともなった「東アジアの奇跡」報告から僕が得た2つのビジョンを説明した。後半には、数年間をかけて共有型成長のDNAというべきものを追い求めた最新の研究結果を発表したが、長すぎるのでこのエッセイでは省略する。
第1のビジョンは、「共有型成長経済学」である。経済学では、2つのことを主な目標としている。効率性(EFFICIENCY)と公平性(EQUITY)である。その他にも目標とすべきものもあるが、今回は、共有型成長の話なので、この2つを取り上げる。共有型成長経済学は、今の主流とされている新古典派経済学(市場万能主義)と同様に、市場の大事な役割を否定してはいないが、新古典派より政府の戦略的な産業政策を重要としている。効率性を重視しがちの新古典派より、効率性と公平性を同等に重視しているといえるだろう。近代経済学でよく言われるように、効率性と公平性の間にはトレードオフがあり、一方を重視すると、もう一方が犠牲になる。(1回目の)冷戦中の国際対立国を事例とすれば、公平性を重んじた旧ソ連と中国の経済成長の方が最初はよかったが、結局低迷してしまい、市場経済への移行を決めた。一方、米国は効率性を重んじて、国として最大のGDPを生み出したが、格差が大きな課題になっている。
*1回目の冷戦が終結したのは1980年代だったが、現在2回目の冷戦が発生しようとするところだと僕は思う。間違っていたら嬉しい。
第2のビジョンは、「共有型成長資本主義」である。こちらはもう少し政治的な色が濃い。(1回目の)冷戦終結後、国際的な対立は、市場経済VS中央計画経済から、資本主義VS資本主義という次元に焦点が転換した。そのバトルの1つは、アングロ・アメリカが強調するA型資本主義であり、もう1つは日本が強調したJ型資本主義であった。冷戦の勝利は資本主義にあるという宣言から、A型資本主義が津波のように世界中に襲来したが、防波堤で防ごうとした国の1つが日本だった。「東アジア奇跡」報告は、日本が自ら行った、資本主義の中に多様性を保全しようとする活動だったと見なしても過言ではない。
残念ながら、この「東アジアの奇跡」やその2つのビジョンは、この数年間忘れられている。経済成長または効率性が過剰に強調され、日本でさえも格差が広がって、OECD諸国のなかでも貧困率が高い国になってしまった。
これでは、日本経済への関心が更に薄れて行く。日本経済を研究する人がいなくなる。シカゴの学会の「アジア資本主義」研究ネットワークでも、名前を「中国資本主義」に変えてもいいぐらい中国の研究が支配的だった。日本の共有型成長の経験と違い、中国では、目覚ましい成長を遂げているが、格差が拡大している。それを幾ら僕が指摘しても、日本の研究者を含めて「西側」の研究者は中国の資本主義に魅了されており、日本の資本主義に比較的無関心だという印象を受けた。日本企業を含めて欧米の企業が、中国の市場に魅了されて、他の国に全く関心を向けなかったのと同様の光景だった。どちらかというと、中国の研究者のほうが、日本の資本主義に興味を見せていた。いずれにせよ、僕は、これからも、この学会で、日本の独自性を出来る限り発揮させていきたい。幸い、来年のSASE学会のテーマはまさに「公平性」であるので、今から作戦を練って準備しておきたい。
SGRA設立当初、「日本の独自性」という研究チームのリーダーを務めたことがある。狙いはもちろん「多様性の中の調和」である。A型資本主義にせよ、J型資本主義にせよ、C型資本主義にせよ、それぞれに欠点があり、完璧なものではない。というか、完璧な資本主義はこの世の中にどこにもなく、これからも出てこない。ただ、多様性を無くすのは、自然界ではもちろん、社会システムでも危険な行為だと、僕たちは認識しなければならない。
第2回アジア未来会議のテーマ「多様性と調和」を達成するには、少なくとも2つの原理が不可欠であると思う。1つは、GDPや一人当たりGDPや人口などと関係なく、どんな小さな国でも、尊重すべきだという原理である。もう1つは、過剰な競争より国と国の間の協力を促す原理である。一見当たり前な原理だが、政府や企業や研究者などが意外と見落としているところである。僕は、SGRAのような民間の非営利・非政府団体に期待している。みなさん、しっかりと多様性の中の調和を実現させましょう。
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<マックス・マキト Max Maquito>
SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。SGRAフィリピン代表。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学CRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。
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2014年10月8日配信
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2014.09.24
第2回アジア未来会議がインドネシアのバリ島で開催されました。「この会議は、日本で学んだ人、日本に関心のある人が集い、アジアの未来について語る『場』を提供することを目的としています」と主催者は宣言しています。ここで言われている「場」とは一体何でしょうか。もしこの「場」を「会場」として理解するだけだったら、勿体ないと思います。会議が開かれる処、つまり「会場」の所在地も「場」です。今回の会議に即して言えば、バリ島も重要な、更に大きい「場」です。つまり、主催者は参加者に二重の「場」を提供しました。二重の「場」によって、「アジア」は研究対象として討論されるだけではなく、参加者が身を持って体験する対象にもなりました。本当にありがたいことです。
私は北京からの参加者として、会場で日本やフィリピン及びシンガーポールの参加者の「中国台頭」に関する発表を聞いて、様々な問題を考えるようになりました。彼らはこのように中国を見るのだ、やはり外部から見る中国と内部から見る中国とは違うのだ、と。「台頭」とは何だろうか、中国は本当に「台頭」したか、と。経済から見れば、中国は確かに台頭しつつあると言えます。但し、それは問題の一面に過ぎません。その反面、経済躍進によって生じた社会問題は山ほどあります。環境汚染、官僚腐敗、貧富の差、道徳の堕落、などなど。全体から見れば中国はまだまだ「台頭」していません。中国にとっては、日本だけでなく、バリ島にも学ぶべきところは多い、と私は言いたかったのです。これからの中国はアジアに貢献する「台頭」を追求すべきだとも考えました。
「バリ島」という二つ目の「場」からの収穫は更に多かったのです。8月21日の夜ホテルに着き、チェックインの手続きをして部屋に入る前から、すでに廊下に流れる音楽に魅了されてしまいました。なんと寂しくて、ロマンチックな音楽だろう、と。後で知りましたが、それは小さな笛と竹の琴で演奏する地元の音楽です。CDが入手できたので、北京に戻った今も楽しめます。私は日本の演歌も沖縄民謡もモンゴルのホーミィー(特殊発声で歌う歌)も好きなので、バリ島の音楽を加えると「アジア音楽」ができそう、という感じがします。
バリ島の生活様式の観察から得たものは、人文社会科学の研究者として非常に大きな収穫でした。会議は23日をもって終わり、24日は会場から出て見学ツアーに参加しました。驚いたことは到る所に神廟(ヒンドゥー教の寺)が建てられていることです。神廟の面積は町の建築総面積の四分の一ぐらいを占めるのではないかと思います。ガイドの話によると、住民は毎日少なくとも2回神廟を参拝します。つまり、バリ島(拡大して言えばインドネシア)は自分なりの宗教、信仰、生活様式を持っています。普通の中国人及び中国知識人はどれほどバリ島(及び東南アジア)に関心を寄せているでしょうか。明らかに、アメリカやヨーロッパに対する関心ほど高くはありません。中国ではイギリスを「大英帝国」と言うこともありますが、もし国土面積や人口規模がずっとイギリスを上回るインドネシアを「大インドネシア」と言ったら笑われるでしょう。
経済発展に専念する中国においては、バリ島の人々の生活様式を「価値」として認めることも難しいです。東洋の近代史は西洋の東洋に対する浸入、及び東洋の西洋に対する抵抗の歴史と言われますが、その一方で、東洋は抵抗の過程において西洋の論理と価値観をも受入れました。この両面性を直視しなければなりません。中国語には「勢利」という言葉があります。「shi-li」という発音で、意味は「金力や権力に靡く態度」です。実に、日本の近代も中国の現代も「勢利」の時代です。「西洋志向」という病気に罹ったのは日本だけではなく、中国も同じです。「発展」や「富強」(富国強兵)ばかりを追求しています。バリ島が教えてくれたのは「発展」も「富強」も絶対価値ではなく、相対価値にすぎない、ということです。
アジア未来会議はバリ島南東部のビーチで開かれましたが、そのホテルの10階建ての建物以外にビルはありません。ホテル建設後、住民の反対運動によって、バリ島では椰子の木よりも高い建物は禁止になったからだそうです。私は緑に囲まれた低い建物を見て、北京や東京の高層ビルがますます嫌になりました。観光バスの中で地元のガイドが「私たちはできる限り稲と木を植え、セメントを植えません」と言いました。哲学者のようなガイドだ、と思いました。彼は見事に地元の価値観を表現しました。中国沿海地方と比べて、バリ島の経済発展は遅れているかもしれませんが、バリ島の人々は必ずしも不幸ではありません。むしろ、彼らの生活様式は大都会に住む私たちより「合理的」なのです。
会議主催者がバリ島を開催地として選んだのは偶然かもしれないが、「多様性と調和」という総合テーマはバリ島で開催することによって見事に完成したと思います。インドネシアのバリ島、ヒンドゥー教のバリ島、そしてインドや中国の文化の影響を受けたバリ島で、十数カ国からの数百人の参加者が、日本の獅子舞とバリ島のバロンダンスの共演を観賞する、これは素晴らしい「多様性と調和」だと思いました。もっと大事なのは参加者の観念の中で発生した「多様性と調和」です。それは目に見えないものです。
二重(二重以上かもしれない)の「場」を、各国からの参加者に提供した主催者の意図は達成されたと思います。アジア未来会議は価値観の共同体を作っているのです。参加者は国籍や専門などが違っていても、「共同価値観」を持ち、或いは持てるようになります。共同価値観というのは、アジアに対する関心と共感、他者に対する尊重などが含まれます。この価値観を共有する共同体が大きくなって行けば、アジアの未来はきっと明るいと信じます。現在の中国に金持ちは多いですが、彼らが渥美国際交流財団を模範にして、国境を越えた文化交流に貢献することを望んでいます。
英語版エッセイはこちら
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<董炳月(とうへいげつ)Dong Bingyue>
中日近代文化専攻。1987年北京大学大学院中国語中国文学学科修士号取得、中国現代文学館に勤める。1994年に日本留学、東京大学人文社会系研究科に在学。1998年に論文『新しき村から「大東亜戦争」へ―武者小路実篤と周作人との比較研究』で文学博士号取得。1999年から中国社会科学院に勤め、現在は同文学研究所研究員、同大学院文学学科教授。2006年度日本国際交流基金フェローシップ。著書は『「国民作家」の立場―近代日中文学関係研究』、『「同文」の近代転換―日本語借用語彙の中の思想と文学』など。評論集は『茫然草』、『東張東望』など。翻訳書は多数。
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2014年9月24日配信
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2014.09.17
English Version
筆者は、公益財団法人渥美国際交流財団主催でインドネシアのバリ島で8月22日−24日に開催された第2回アジア未来会議に参加した。昨年3月にバンコックで開かれた第1回会議にも参加し、「戦後和解」のセッションの座長を務めたが、今回、日本で博士号を修得した人々を中心とするアジアおよび他の地域の研究者等380名が参加し、真摯に、忌憚なく、かつ和気あいあいと議論する姿に再び接して、感銘を新たにした。
筆者が担当した「平和」のセッション(日本語)では、戦前の「日ソ中立条約」と内モンゴル問題、日清修交条規にかかわる副島種臣外務卿の北京訪問時の外交儀礼問題、インドネシアの国家理念パンチャシラと憲法、日韓漁業協定前史としてのGHQの政策が取り上げられた。正直の所、この中から何か共通の要素を見出せるか否か、セッションが始まるまでは自信が無かったが、振り返ってみると、過去を調べて未来について何かを学ぶとの観点から、幾つか示唆に富む点があったので、筆者の主観を交えて以下に記す。
第1に、我々が今日および将来の近隣諸国との関係を考えるに当たって、明治から昭和にかけて、後発国として列強に仲間入りをした日本が帝国主義的拡張を試み、結局失敗に終わったことの意味合いを忘れてはならないと言うことである。
1873年に副島種臣外務卿が特命全権大使に任命されて北京に赴き、同治帝への謁見形式をめぐり日本側の主張を通したことは、「国権外交」を実現したものとして日本国内で高く評価された。他方、本ペーパーを発表した白春岩早稲田大学助教(中国)は、清国側において、重臣李鴻章が日本との「相互利益」を重視して、現実的解決を求めて努力したことを指摘している。当時、列強との対比においては平等な存在であった日清間の駆け引きの中で、「国権」と「相互利益」のバランスを如何に取るかが問題であったことを想起すると、今日、それぞれ「大国」を自負している中国と日本が、各々の「国権」にこだわって「相互利益」を軽んじる場合、どのような結果を招くかと言うことも考えておく必要があると感じた。
ガンガバナ国際教養大学助教(内モンゴル)は、内モンゴルに焦点を当てつつ、松岡洋右外務大臣の日独伊ソ四国同盟構想が実現に至らなかった経緯を考察した。筆者の感想は、領土の取り合いないし分割と言ったパワー・ポリテイックスの権謀術数の一環として構成される同盟は脆弱なものだったと言うことと、後発帝国主義国として列強間の駆け引きに加わろうとした松岡大臣は多分にナイーブだったのではないかと言うことである。将来においても、国際政治においてパワー・ポリテイックスは重要な要素ではあり続けるだろうが、わが国としては、普遍的理念とか価値に根ざす外交とか同盟関係を重視して行くべきものと思う。
第2に、日韓関係について、柔軟性と大局的思考が必要であるとの感を強くした。竹島問題もあり、日韓間での摩擦要因である日韓漁業協定について、連合軍による日本占領下のマッカーサー・ライン、1952年のいわゆる「李承晩ライン」に遡って論じる朴昶建国民大学教授(韓国)は、「解決しないもので解決したものとみなす」という1965年の日韓漁業協定の合意方式はいつでも再点火可能な時限爆弾のようなものだったとしている。外交の実務に携わって来た筆者としては、双方が完全に合意すると言うことは現実にあり得ず、ある程度の立場の相違を残しつつも、それはそれとして実際の関係を処理して行くという柔軟性が特に今日の日韓関係に求められていると思う。また、同教授は、当時、日韓両国には反共体制に属するとの共通の枠が存在していたと指摘しているが、今日必要なのは、日韓2国間の問題を越えて、より大局的な共通利益を見つけて行くことではないかと思う。
なお、筆者がもう一つ共同座長を務めた「公平(Equity)」のセッション(英語)において、日本統治下の朝鮮には、「国家の宗祀」として900を越える神社が建立されたことの背景として、「日鮮同祖論」等、日本人と朝鮮民族の同質性を強調しつつも日本が兄貴分であり、朝鮮が弟分であるとの意識があったとする菅浩二国学院大学教授の発表が行われた。「公平(Equity)」との観点から言えば、民族のアイデンティティという根本的な問題について、「日本人と朝鮮人はそもそも同じなのだ」と言って、同質性を先方に押し付けつつ、日本人の方が上に立つとのアプローチには、そもそも無理があったと思わざるを得ない。この観点からも、今日では、日韓双方が対等な立場に立ちつつ追求すべき大局的な共通利益を考える必要があるとの感を強くした。
第三に、1976年から1978年にジャカルタで勤務して以来、インドネシアを離れて久しい筆者にとって、トマス・ヌグロホ・アリ氏(国士舘大学博士課程、インドネシア)のインドネシアの建国理念および憲法についての解説は懐かしいものだった。と同時に、筆者の在勤時代の国軍の「二重機能」からスハルト体制の崩壊を経て、今般のジャカルタ特別州知事ジョコ・ウィドド氏の大統領当選へと民主化プロセスが一層進行していることは、西欧型民主主義の定着と言うよりも、インドネシア型民主主義が育って来たことを意味するのだろうと感じた。
以上のように、わが国が近隣諸国などとの関係で今日直面する問題とは一見迂遠なように感じられるテーマの考察を通じて、種々学ぶべき点があることを実感でき、アジア未来会議の意義を改めて認識することができた。
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<沼田 貞昭(ぬまた さだあき)NUMATA Sadaaki>
東京大学法学部卒業。オックスフォード大学修士(哲学・政治・経済)。 1966年外務省入省。1978-82年在米大使館。1984-85年北米局安全保障課長。1994−1998年、在英国日本大使館特命全権公使。1998−2000年外務報道官。2000−2002年パキスタン大使。2005−2007年カナダ大使。2007−2009年国際交流基金日米センター所長。鹿島建設株式会社顧問。日本英語交流連盟会長。
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2014年9月17日配信
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2014.09.10
公益財団法人渥美国際交流財団主催の第2回アジア未来会議が8月22日から24日までインドネシアのバリで開催され、日本で学んだ経験を持つ研究者を中心に17か国から380名が参加し、アジアの未来についての討議がなされた。今回のテーマは「多様性と調和」で、学際的なアプローチを基本とした会議であることから、グローバル化、平和、公平、持続可能性、環境、コミュニケーション等に関する多くのセッションに分かれての幅広い討議となった。私は、本会議の基本テーマを取り扱った「多様性と調和」に関する3セッションに参加し、また締めくくりのセッションの共同座長を務めた立場から、会議での研究発表や討議を参考に「多様性」についての再考察を試みることとした。
多様性の意味を日常的な文脈で考えると、「幅広く性質の異なるものが存在すること」ということができよう。この言葉は本来、生物学の分野で使われていたようだが、今では社会学、政治学、さらには国際関係においても頻繁に使用されている。事実、多民族国家において「多様性の中の統合」は民族の統合の標語として使われてきている。今回の会議の舞台となったインドネシアは、約17,000以上の島々から成り立っており、このうちのおよそ9,000の島々に約2億2千8百万人もの人々が暮らし、約490の民族集団がそれぞれの多様な民族文化を継承している(インドネシア共和国観光クリエイティブエコノミー省公式ウエブサイトによる)。
この国が独立国家として誕生した時に各民族の衣装であるバティックが統合の象徴として重要な役割を果たしたとして、今回の会議ではこのテーマを扱った発表が2つ行われた。すなわち、インドネシアは、共和国としての独立に当たって、異なる民族文化に基づき異なるバティックをもつ異なる民族をまとめる一手段として、何れの民族の文様にも偏らないインドネシアとしての独自の文様のバティックをつくりだし、小中高校生や公務員の制服に採用したという。このインドネシア・バティックは今やユネスコの世界無形文化遺産に認定され、国際社会におけるインドネシアのアイデンティティの確立に貢献するに至っている。インドネシアの多様性がバティックという最大公約数により、またどの民族にも偏らない文様の採用という工夫により、とかく融合が難しいといわれる諸民族がその違いを乗り越えた事例といえよう。「服は民族のアイデンティティ」という戸津正勝国士舘大学名誉教授による「多民族国家インドネシアにおける国民文化形成の試み」と題した発表の際の指摘が印象に残った。勿論、同国の建国の背景には、植民地宗主国の存在という対外的な要因がインドネシア諸民族の団結を促し、多様性の中の合意形成のむずかしさを克服したという側面もあったことはいうまでもない。
グルーバル化の進展と共に、多様性という言葉も地域的な国家間協力や統合という文脈でも使われ始めている。事実、今回の会議もアジアの未来を考える上での多様性と調和が各方面から議論され、今や「多様性の中の統合」(unity in diversity)は、地域協力や地域統合にとって避けて通れないテーマとなっている。この「多様性の中の統合」は前例を見ない地域統合の深化を達成してきたEUのモットーであり、その意味するところは、「ヨーロッパ人は、EUという形態で平和と繁栄のために共生・協働し、同時に、自ら持つ多くの異なった文化、伝統、言語によって豊かにされる」こととEU公式ウェサイトで説明されている。
私が1980年代にブリュッセルを訪問した際に購入したお土産で今なお大事にしているものに「完璧なヨーロッパ人」と名づけられた一枚の絵葉書がある。この絵葉書は、ヨーロッパの持つ多様性を当時の15のEU加盟国の国民の性格を揶揄して逆説的にユーモラスに紹介したものだ。この絵葉書曰く、完璧なヨーロッパ人とは、「フランス人の様に車を運転し、ポルトガル人の様に技術に長け、イタリア人の様に自分を律し、デンマーク人の様に慎重で、ドイツ人の様にユーモアを言い、オーストリア人の様にオーガナイズされ、フィンランド人の様におしゃべりで、ルクセンブルグ人の様に有名で、オランダ人の様に気前がよく、英国人の様に料理上手で、ベルギー人に様に欠勤が少なく、スウェーデン人の様に柔軟で、アイルランド人の様にしらふで、スペイン人の様に謙虚な人」のこととある。今や加盟国が28に達し、関税同盟、共通通商政策、市場統合、共通通貨の導入、共通外交政策を実践しているEUは、政策分野別ではあるが主権の移譲による形での国家間の連携が可能であることを国際社会に証明している。
アジアにおいてもASEANという枠組みで市場統合が来年実現されようとしている。ジャカルタ空港では、EU域内同様、入国審査手続ではASEAN加盟国国民とASEAN域外の国民との間で異なった取扱がされている事実は、多様性の調和がアジアでも現実化していることを如実に示しているといえよう。今回の会議で私が共同座長を担当したセッションでは、アジアの文脈における多様性の中の統合の具体的な意味に関する質問が投げかけられた。それに対して、質問を受けた発表者からは「それぞれの国の持つ違いを認め合い、それぞれの国が独自で持つもの以上の価値を生み出すこと」との説明がなされた。これは、まさしく欧州統合のモットーと相通じるものだ。
第2回アジア未来会議に出席して私自身が遭遇したのが、「異なるから協働できないのか」それとも「異なるからこそ協働するのか」という命題だった。事実、世界の潮流とは異なり、地域レベルでの協力や連携が最も遅れている北東アジアや東アジアの場合、「制度的な連携の枠組み作りは無理」との意見が頻繁に聞かれる。そこで、今回の会議でイタリアと日本の児童書の比較により違いから調和を生み出す試みを紹介したイタリア・ボローニア大学のマリア・エレナ・ティシ氏のいう「違いという言葉には文化、言語、宗教といった大きな違いに限らない、小さな違いも大きな原因と成り得る……違いの克服だけでなく、これらの違いを最大限に活用することも重要だ」との言葉は多様性を考える上で示唆に富むものだ。
また会議では、「同じ色でも単色より複数の色で合成された色の方がより深みのある色調を醸し出す」といった指摘もなされた。日本への帰国後、私の友人である音楽家にアジア未来会議の議論内容を紹介したところ、「音楽の世界では多様性の調和は基本中の基本です」と一蹴された。 この音楽家曰く、「オーケストラは異なった楽器の調和の集大性」とのこと。 ただし、この音楽家は「それには素晴らしいリーダーとしての指揮者の存在が絶対要件」との指摘も忘れなかった。 多様性を国際的文脈で再考する上でこれまた気になる指摘である。多様性の持つ多用性あるいは他用性といったところであろうか。
そして、多様性をアジアという地域的文脈で論じる場合、私は地理的近隣性という側面への配慮も重要であることを敢えて強調したい。隣国あるいは近隣国であるがゆえに避けて通れない関係がそこには否定し得ない事実として存在している。多様性を論じるに際には、隣国との関係を積極的に捉えるのかそれとも消極的に捉えるかという姿勢の視点も重要な意味を持つように思えてならない。
第2回アジア未来会議は、多様性とは何かを再考察させるとともに、北東アジアの文脈では関係国の国内政治要因が、また東アジアの文脈では一部の国家間の主導権争いが、地域的な連携の制度的枠組作りの障害となっていると再度認識した機会ともなった。
英語版エッセイはこちら
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<高橋甫(たかはし・はじめ)Hajime Takahashi>
SGRA参与、公益財団法人日本テニス協会常務理事 1947年生れ、東京出身。1970年:慶応義塾大学法学部法律学科卒業。1975年:オーストラリア・シドニー大学法学部修士。1975年~2009年:駐日EU代表部勤務、調査役として経済、通商、政治等を担当。2007年~2012年:慶應義塾大学法学部非常勤講師(国際法)。2013年1月よりEUに関するコンサルタント会社であるEUTOP社(本社ミュンヘン)の東京上席顧問。これまでにEU労働法、EU共通外交安全保障政策、EU地域統合の変遷と手法に関して著述。
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2014年9月10日配信
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2014.09.10
English Version
公益財団法人渥美国際交流財団主催の第2回アジア未来会議が8月22日から24日までインドネシアのバリで開催され、日本で学んだ経験を持つ研究者を中心に17か国から380名が参加し、アジアの未来についての討議がなされた。今回のテーマは「多様性と調和」で、学際的なアプローチを基本とした会議であることから、グローバル化、平和、公平、持続可能性、環境、コミュニケーション等に関する多くのセッションに分かれての幅広い討議となった。私は、本会議の基本テーマを取り扱った「多様性と調和」に関する3セッションに参加し、また締めくくりのセッションの共同座長を務めた立場から、会議での研究発表や討議を参考に「多様性」についての再考察を試みることとした。
多様性の意味を日常的な文脈で考えると、「幅広く性質の異なるものが存在すること」ということができよう。この言葉は本来、生物学の分野で使われていたようだが、今では社会学、政治学、さらには国際関係においても頻繁に使用されている。事実、多民族国家において「多様性の中の統合」は民族の統合の標語として使われてきている。今回の会議の舞台となったインドネシアは、約17,000以上の島々から成り立っており、このうちのおよそ9,000の島々に約2億2千8百万人もの人々が暮らし、約490の民族集団がそれぞれの多様な民族文化を継承している(インドネシア共和国観光クリエイティブエコノミー省公式ウエブサイトによる)。
この国が独立国家として誕生した時に各民族の衣装であるバティックが統合の象徴として重要な役割を果たしたとして、今回の会議ではこのテーマを扱った発表が2つ行われた。すなわち、インドネシアは、共和国としての独立に当たって、異なる民族文化に基づき異なるバティックをもつ異なる民族をまとめる一手段として、何れの民族の文様にも偏らないインドネシアとしての独自の文様のバティックをつくりだし、小中高校生や公務員の制服に採用したという。このインドネシア・バティックは今やユネスコの世界無形文化遺産に認定され、国際社会におけるインドネシアのアイデンティティの確立に貢献するに至っている。インドネシアの多様性がバティックという最大公約数により、またどの民族にも偏らない文様の採用という工夫により、とかく融合が難しいといわれる諸民族がその違いを乗り越えた事例といえよう。「服は民族のアイデンティティ」という戸津正勝国士舘大学名誉教授による「多民族国家インドネシアにおける国民文化形成の試み」と題した発表の際の指摘が印象に残った。勿論、同国の建国の背景には、植民地宗主国の存在という対外的な要因がインドネシア諸民族の団結を促し、多様性の中の合意形成のむずかしさを克服したという側面もあったことはいうまでもない。
グルーバル化の進展と共に、多様性という言葉も地域的な国家間協力や統合という文脈でも使われ始めている。事実、今回の会議もアジアの未来を考える上での多様性と調和が各方面から議論され、今や「多様性の中の統合」(unity in diversity)は、地域協力や地域統合にとって避けて通れないテーマとなっている。この「多様性の中の統合」は前例を見ない地域統合の深化を達成してきたEUのモットーであり、その意味するところは、「ヨーロッパ人は、EUという形態で平和と繁栄のために共生・協働し、同時に、自ら持つ多くの異なった文化、伝統、言語によって豊かにされる」こととEU公式ウェサイトで説明されている。
私が1980年代にブリュッセルを訪問した際に購入したお土産で今なお大事にしているものに「完璧なヨーロッパ人」と名づけられた一枚の絵葉書がある。この絵葉書は、ヨーロッパの持つ多様性を当時の15のEU加盟国の国民の性格を揶揄して逆説的にユーモラスに紹介したものだ。この絵葉書曰く、完璧なヨーロッパ人とは、「フランス人の様に車を運転し、ポルトガル人の様に技術に長け、イタリア人の様に自分を律し、デンマーク人の様に慎重で、ドイツ人の様にユーモアを言い、オーストリア人の様にオーガナイズされ、フィンランド人の様におしゃべりで、ルクセンブルグ人の様に有名で、オランダ人の様に気前がよく、英国人の様に料理上手で、ベルギー人に様に欠勤が少なく、スウェーデン人の様に柔軟で、アイルランド人の様にしらふで、スペイン人の様に謙虚な人」のこととある。今や加盟国が28に達し、関税同盟、共通通商政策、市場統合、共通通貨の導入、共通外交政策を実践しているEUは、政策分野別ではあるが主権の移譲による形での国家間の連携が可能であることを国際社会に証明している。
アジアにおいてもASEANという枠組みで市場統合が来年実現されようとしている。ジャカルタ空港では、EU域内同様、入国審査手続ではASEAN加盟国国民とASEAN域外の国民との間で異なった取扱がされている事実は、多様性の調和がアジアでも現実化していることを如実に示しているといえよう。今回の会議で私が共同座長を担当したセッションでは、アジアの文脈における多様性の中の統合の具体的な意味に関する質問が投げかけられた。それに対して、質問を受けた発表者からは「それぞれの国の持つ違いを認め合い、それぞれの国が独自で持つもの以上の価値を生み出すこと」との説明がなされた。これは、まさしく欧州統合のモットーと相通じるものだ。
第2回アジア未来会議に出席して私自身が遭遇したのが、「異なるから協働できないのか」それとも「異なるからこそ協働するのか」という命題だった。事実、世界の潮流とは異なり、地域レベルでの協力や連携が最も遅れている北東アジアや東アジアの場合、「制度的な連携の枠組み作りは無理」との意見が頻繁に聞かれる。そこで、今回の会議でイタリアと日本の児童書の比較により違いから調和を生み出す試みを紹介したイタリア・ボローニア大学のマリア・エレナ・ティシ氏のいう「違いという言葉には文化、言語、宗教といった大きな違いに限らない、小さな違いも大きな原因と成り得る……違いの克服だけでなく、これらの違いを最大限に活用することも重要だ」との言葉は多様性を考える上で示唆に富むものだ。
また会議では、「同じ色でも単色より複数の色で合成された色の方がより深みのある色調を醸し出す」といった指摘もなされた。日本への帰国後、私の友人である音楽家にアジア未来会議の議論内容を紹介したところ、「音楽の世界では多様性の調和は基本中の基本です」と一蹴された。 この音楽家曰く、「オーケストラは異なった楽器の調和の集大性」とのこと。 ただし、この音楽家は「それには素晴らしいリーダーとしての指揮者の存在が絶対要件」との指摘も忘れなかった。 多様性を国際的文脈で再考する上でこれまた気になる指摘である。多様性の持つ多用性あるいは他用性といったところであろうか。
そして、多様性をアジアという地域的文脈で論じる場合、私は地理的近隣性という側面への配慮も重要であることを敢えて強調したい。隣国あるいは近隣国であるがゆえに避けて通れない関係がそこには否定し得ない事実として存在している。多様性を論じるに際には、隣国との関係を積極的に捉えるのかそれとも消極的に捉えるかという姿勢の視点も重要な意味を持つように思えてならない。
第2回アジア未来会議は、多様性とは何かを再考察させるとともに、北東アジアの文脈では関係国の国内政治要因が、また東アジアの文脈では一部の国家間の主導権争いが、地域的な連携の制度的枠組作りの障害となっていると再度認識した機会ともなった。
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<高橋甫(たかはし・はじめ)Hajime Takahashi>
SGRA参与、公益財団法人日本テニス協会常務理事
1947年生れ、東京出身。1970年:慶応義塾大学法学部法律学科卒業。1975年:オーストラリア・シドニー大学法学部修士。1975年~2009年:駐日EU代表部勤務、調査役として経済、通商、政治等を担当。2007年~2012年:慶應義塾大学法学部非常勤講師(国際法)。2013年1月よりEUに関するコンサルタント会社であるEUTOP社(本社ミュンヘン)の東京上席顧問。これまでにEU労働法、EU共通外交安全保障政策、EU地域統合の変遷と手法に関して著述。
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2014年9月10日配信
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2014.08.27
今年に入ってからずっと、理化学研究所の女性研究員の新細胞発表に関連するニュースが世間を騒がせている。その女性が2011年に早稲田大学に提出した博士論文について、早稲田大学が設置した調査委員会は先日、博士号の取り消しには当たらないと結論を出した。この結論の非常に興味深い所は「著作権侵害行為であり、かつ創作者誤認惹起行為といえる箇所」が11カ所もあるとした上で、博士号を認めたことである。これは早稲田大学の最終の結論ではないし、このエッセイではこれ以上女性研究員のことを議論しないが、日本の大学の存在意義とは何だろう?日本の大学の目指すのはどこなのだろう?と考えずにはいられない。
現在、日本の大学が力を入れているのは、世界の大学ランキングのランクを上げることと、グローバル人材を育成することであろう。この2つは実は同じゴールを目指している:大学がグローバル化すれば、大学のランクも上がると。このような大学の改革を日本政府が一生懸命後押ししている。文部科学省は大学をグローバル人材の育成機関にしようと「スーパーグローバル大学創設支援」を今年度からスタートし、すでに国公立私立大学から104校の応募があり、現在選考中である。こういった大学のグローバル化の波が押し寄せているからか、日本の雑誌はこぞって世界の大学ランキングとその中での日本の大学の位置を特集する。去年あたりから、本屋に行けば毎月どこかしらの雑誌が取り上げているのではないか。
世界の大学を格付けするランキングセンターはいくつかあり、評価する基準も微妙に違うので、ランクインする大学、順位もまちまちだが、それでも共通するのは、トップテンは米国と英国の大学が独占している。アメリカのアイビーリーグ、英国のオックスフォードとケンブリッジ大学がほぼ常にトップ10にいて、だいぶ間が空いてアジアのトップとして、東京大学、近年はそこにシンガポール国立大学、香港大学が追い上げ、その少し後に韓国のトップスクールや中国の北京大学、日本の京都大学と有名私立大学がひしめき合っているという様相だ。英語圏の大学は長年お決まりのように、トップにランクインし、アジア勢が毎年のランキングを意識し、必死で追い上げている。この構図は当分の間変わらないのではないかと、上述の早稲田大学の博士論文についての調査結果で、考えさせられてしまう。
大学の評価の一つに、英語の論文数がある。大学の総合ランキングの主流とされる英教育専門誌「THE (Times Higher Education) 世界大学ランキング」、英大学評価機関の「QS世界大学ランキング」、上海交通大学の「世界大学学術ランキング(ARWU)」 などは判断基準に入れている。同様に論文の引用された数もカウントされている。ということは、論文の質も問われるのであろう(この見解には賛否両論あるとも言われている)。日本の大学はこの論文に対しての認識が少々甘いのではないだろうか?すでに他人が書いた本やジャーナルの文章の一部を自分の論文で自分の意見のように語る事は許されない、それは盗用である。しかし自分の論文に他人の文章を載せて、誰がどこで(本やジャーナル等のメディア)掲載していたかという出所をはっきり明示すれば、それを引用と言う。このような当たり前の事を日本の大学生はいつ学んでいるのだろう?
例えばアメリカの大学では、どんなに小さな論文の宿題でも盗用(plagiarism)は認められない。それだけではない、書き方のフォーマットもきちんと決まっていて、引用した場合は出典を必ず論文の最後に記載する、その明示の仕方(引用文の作者、本や雑誌のタイトル、出版(掲載)された日付等の記載の順番)までもきちんとルールがある。大半の先生はこの論文のフォーマットが綺麗に仕上がっていないと、論文を読んでもくれない。つまりグレードをつけてもらえないのだ。こういった細かいルールを、アメリカの学生は大学に入学して最初に履修する一般教養から厳しく指導される。どのクラスを履修しても一度や二度は必ず、論文のフォーマットについてだけの授業の日を設けてくれる。シラバス(授業計画書)にも、必ず「盗用」のセクションがあり、盗用を見つけた時点で単位は認めないなどの厳しい注意書きがある。なので、生徒の方も論文を書くにあたっての一般的なルールだけでなく、先生が決めたルールにも敏感なのだ。博士論文で引用文の出所の明示を忘れましたというのが通用するわけがない。というか、博士課程の頃には、論文のフォーマットに関してはプロになっていると言っても過言ではない。そもそも学部・大学院を問わず、宿題やテストは何かにつけて書かせる課題が多いからだ。これがアメリカの大学は、入学は簡単だが卒業するのは難しいと言われる所以かもしれない。
一方、日本の大学は、入学試験は難しいが卒業するのは簡単と言われている。論文の書き方について明確なガイドラインが無いのであれば、気楽なものであろう。コピペ(コピー&ペースト)も罪悪感無くやってしまうのかもしれない。大学側がきちんと生徒を指導しなければ、生徒に責任を問うことも出来ない。しかも独創性の無い論文が手元に残ってしまったら、生徒にとっても学生時代の時間が無駄になる。特に博士論文は一生ついて回るのだ。大学としても、いい論文の数が減ってしまう。すなわちランキングに影響が出るのではないか?
日本の大学は今が改革の一番のチャンスかもしれないと、今回の早稲田大学の博士論文をめぐる調査委員会は教えてくれる。今後始まる「スーパーグローバル大学創設支援」を上手に利用すれば、英語圏や英語環境で経験を積んだ教授を招き、海外のスタンダードで授業を進めてもらうことが可能だ。世界の大学ランキングには「外国人教員の比率」もある。そこでのポイントを単に外国人教員の数を増やして稼ぐだけでなく、真にグローバルな人材を育成出来る教授を雇うべきだ。そうすれば、質の高い論文を出すことも出来るだろう。日本そしてアジアの大学が世界のトップ大学と肩を並べて戦えるようになるには、ランキングの基準を意識してポイントを稼ぐだけではいけない。大学を卒業する頃には学生ひとりひとりが規律性を持ち、異文化を理解して、多様性のある環境に溶け込める、そのような強い人材を育ててほしい。
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<謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai>
共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。
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2014年8月27日配信