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エッセイ422:沼田貞昭「未来に向けて過去から何を学びとれるか」

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筆者は、公益財団法人渥美国際交流財団主催でインドネシアのバリ島で8月22日−24日に開催された第2回アジア未来会議に参加した。昨年3月にバンコックで開かれた第1回会議にも参加し、「戦後和解」のセッションの座長を務めたが、今回、日本で博士号を修得した人々を中心とするアジアおよび他の地域の研究者等380名が参加し、真摯に、忌憚なく、かつ和気あいあいと議論する姿に再び接して、感銘を新たにした。

 

筆者が担当した「平和」のセッション(日本語)では、戦前の「日ソ中立条約」と内モンゴル問題、日清修交条規にかかわる副島種臣外務卿の北京訪問時の外交儀礼問題、インドネシアの国家理念パンチャシラと憲法、日韓漁業協定前史としてのGHQの政策が取り上げられた。正直の所、この中から何か共通の要素を見出せるか否か、セッションが始まるまでは自信が無かったが、振り返ってみると、過去を調べて未来について何かを学ぶとの観点から、幾つか示唆に富む点があったので、筆者の主観を交えて以下に記す。

 

第1に、我々が今日および将来の近隣諸国との関係を考えるに当たって、明治から昭和にかけて、後発国として列強に仲間入りをした日本が帝国主義的拡張を試み、結局失敗に終わったことの意味合いを忘れてはならないと言うことである。

 

1873年に副島種臣外務卿が特命全権大使に任命されて北京に赴き、同治帝への謁見形式をめぐり日本側の主張を通したことは、「国権外交」を実現したものとして日本国内で高く評価された。他方、本ペーパーを発表した白春岩早稲田大学助教(中国)は、清国側において、重臣李鴻章が日本との「相互利益」を重視して、現実的解決を求めて努力したことを指摘している。当時、列強との対比においては平等な存在であった日清間の駆け引きの中で、「国権」と「相互利益」のバランスを如何に取るかが問題であったことを想起すると、今日、それぞれ「大国」を自負している中国と日本が、各々の「国権」にこだわって「相互利益」を軽んじる場合、どのような結果を招くかと言うことも考えておく必要があると感じた。

 

ガンガバナ国際教養大学助教(内モンゴル)は、内モンゴルに焦点を当てつつ、松岡洋右外務大臣の日独伊ソ四国同盟構想が実現に至らなかった経緯を考察した。筆者の感想は、領土の取り合いないし分割と言ったパワー・ポリテイックスの権謀術数の一環として構成される同盟は脆弱なものだったと言うことと、後発帝国主義国として列強間の駆け引きに加わろうとした松岡大臣は多分にナイーブだったのではないかと言うことである。将来においても、国際政治においてパワー・ポリテイックスは重要な要素ではあり続けるだろうが、わが国としては、普遍的理念とか価値に根ざす外交とか同盟関係を重視して行くべきものと思う。

 

第2に、日韓関係について、柔軟性と大局的思考が必要であるとの感を強くした。竹島問題もあり、日韓間での摩擦要因である日韓漁業協定について、連合軍による日本占領下のマッカーサー・ライン、1952年のいわゆる「李承晩ライン」に遡って論じる朴昶建国民大学教授(韓国)は、「解決しないもので解決したものとみなす」という1965年の日韓漁業協定の合意方式はいつでも再点火可能な時限爆弾のようなものだったとしている。外交の実務に携わって来た筆者としては、双方が完全に合意すると言うことは現実にあり得ず、ある程度の立場の相違を残しつつも、それはそれとして実際の関係を処理して行くという柔軟性が特に今日の日韓関係に求められていると思う。また、同教授は、当時、日韓両国には反共体制に属するとの共通の枠が存在していたと指摘しているが、今日必要なのは、日韓2国間の問題を越えて、より大局的な共通利益を見つけて行くことではないかと思う。

 

なお、筆者がもう一つ共同座長を務めた「公平(Equity)」のセッション(英語)において、日本統治下の朝鮮には、「国家の宗祀」として900を越える神社が建立されたことの背景として、「日鮮同祖論」等、日本人と朝鮮民族の同質性を強調しつつも日本が兄貴分であり、朝鮮が弟分であるとの意識があったとする菅浩二国学院大学教授の発表が行われた。「公平(Equity)」との観点から言えば、民族のアイデンティティという根本的な問題について、「日本人と朝鮮人はそもそも同じなのだ」と言って、同質性を先方に押し付けつつ、日本人の方が上に立つとのアプローチには、そもそも無理があったと思わざるを得ない。この観点からも、今日では、日韓双方が対等な立場に立ちつつ追求すべき大局的な共通利益を考える必要があるとの感を強くした。

 

第三に、1976年から1978年にジャカルタで勤務して以来、インドネシアを離れて久しい筆者にとって、トマス・ヌグロホ・アリ氏(国士舘大学博士課程、インドネシア)のインドネシアの建国理念および憲法についての解説は懐かしいものだった。と同時に、筆者の在勤時代の国軍の「二重機能」からスハルト体制の崩壊を経て、今般のジャカルタ特別州知事ジョコ・ウィドド氏の大統領当選へと民主化プロセスが一層進行していることは、西欧型民主主義の定着と言うよりも、インドネシア型民主主義が育って来たことを意味するのだろうと感じた。

 

以上のように、わが国が近隣諸国などとの関係で今日直面する問題とは一見迂遠なように感じられるテーマの考察を通じて、種々学ぶべき点があることを実感でき、アジア未来会議の意義を改めて認識することができた。

 

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<沼田 貞昭(ぬまた さだあき)NUMATA Sadaaki>

東京大学法学部卒業。オックスフォード大学修士(哲学・政治・経済)。 1966年外務省入省。1978-82年在米大使館。1984-85年北米局安全保障課長。1994−1998年、在英国日本大使館特命全権公使。1998−2000年外務報道官。2000−2002年パキスタン大使。2005−2007年カナダ大使。2007−2009年国際交流基金日米センター所長。鹿島建設株式会社顧問。日本英語交流連盟会長。

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2014年9月17日配信