SGRAエッセイ

  • 2014.08.20

    エッセイ419:シム チュン・キャット「日本に「へえ~」その14:だからやはり女子大はまだ必要?」

    女子大勤めの僕が言うのもなんですが、いま日本では女子大が人気です。高い就職率に加え、きめの細かい指導を可能にする少人数制の授業展開が学生に付加価値を与え、高度な人材育成につながると考えられているからなのでしょう。しかし目を海外に転じてみると、ほとんどの国・地域では女子大は斜陽状態になっているか、もう(あるいは最初から)存在しないか、のどちらかです。例えば、女子大学連合Woman’s College Coalitionのデータによれば、北米では60年代には約230校もあった女子大が2014年現在になると47校まで激減してしまい、かの有名なセブンシスターズも2校の共学化に伴いファイブシスターズになってしまいました。イギリスでも現存する女子大はケンブリッジ大学内の3校の女子カレッジのみとなり、巨大な中国でさえ女子大は伝統を受け継ぐ形で3校しかなく、教育の面で日本の影響を強く受けてきた台湾ですら最後まで生き残ったラスト女子大が2008年に男女共学の道を選びました。一方、日本ではいまでも大学総数の約1割を女子大が占めているのです。   僕の国シンガポールもそうですが、性別による発達の違いと特性に応じた男女別学が小・中・高校段階においてこそ認められるものの、「男女平等」という大原則の下で大学レベルでは男女共学が基本という国がほとんどです。日本以外に、女子大が未だに健在ぶりを力強く見せている国と地域は、おそらく世界最大規模の女子大である梨花女子大学校を有する韓国とイスラム圏の数ヶ国ぐらいだけでしょう。さてと、日本、韓国とイスラム圏の国々の共通点といえば?   「早く結婚した方がいい」「自分が産んでから」「がんばれよ」「動揺しちゃったじゃねえか」などのヤジ(接頭語の「お」をつけて「オヤジ」と言ったほうがいいかもしれません)が、あろうことか6年後に世界最大のスポーツ祭典の開催都市の都議会で飛ばされたことはまだ記憶に新しいですね。しかも、結局名乗り出た都議のホームページには「世界に誇れる国際都市東京を目指して」とあるそうですから、笑えたものではありません、はい。かつても「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」「(ある集団レイプ事件について)元気があるからいい」「女性は産む機械」「43歳で結婚してちゃんと子供は2人産みましたから、一応最低限の義務は果たしたかもしれませんよ」など、政治家によるもっとひどい女性蔑視発言があったこの日本のことですから、どんな「オヤジ」でも今さら驚くことでもないかもしれません。何かの雑誌で読んだのですが、「美しい国」は逆さまに読むと「憎いし苦痛」になりますからね。   それにしても、今回の「オヤジ」騒動で注目され、海外でもちょっとした有名人になった都議の「若さ」には驚きました。日本の政界においてはまだ若いともいえる50代前半のこのオヤジがあんな女性蔑視意識を持っていたとはびっくりです。やはり差別意識は伝染し、世代から世代へと再生産されていくものです。まるで風呂場にこびりつくカビのように、何回苦労して落としても根っこが残り、直にまたどこかからポンと生えてきてしまうのですね。根本的な解決方法としては、まず風呂場の中の湿気を取り除くしかありません。つまり、しつこいカビを二度と生やさないためには、まず環境改造を徹底的に行うことが必要不可欠なのです。   男女平等や女性の社会進出度に関するあらゆる国際比較ランキングでは、日本(そして韓国も)が先進国とは思えないぐらい非常に低い順位にランクされ続けてきたことは周知の通りです。それを改善するには、男性の意識だけでなく、女性の意識に対しても改革を進めなければ何も変わっていきません。特に後者に関しては、男子のいない環境で女子がリーダー役を担うしかなく、さらに共学大学よりロールモデルになる女性学長・学部長・学科長・教授がはるかに多数いる、という女子大の存在がとりわけ重要だと思いませんか。女子大イコール良妻賢母を養成する大学というのは、もう博物館級の古い認識です。イギリス初の女性首相マーガレット・サッチャー氏、インド初の女性首相インディラ・ガンディー氏、イスラム圏初の女性リーダーであるパキスタン元首相ベナジル・ブット氏、2年後にはアメリカ初の女性大統領になるかもしれない(?)ヒラリー・クリトン氏、女性として世界で初めてエベレストと七大陸最高峰を制覇した田部井淳子氏、そして本渥美国際交流財団の渥美伊都子理事長、が全員女子大の卒業生であることは偶然ではあるまい。   もちろん、女性リーダーを育てるということは、何も女性が社会に出たときに男性のようにバリバリ働くのではなく、「ゲームのルール」と土俵を変えることによって意識改革、環境改造を進め、社会、ひいては世界をより良い方向に導いてほしいという願いが込められているのです。このミッションが僕にあるからこそ、いま燃えるような大学教員生活を送っているわけです。その燃え方についての詳細は明日からバリ島で行われる第2回アジア未来会議で発表するので、ご興味のある方はぜひ来場して僕と意見・議論を交わしてください。さあ、いざ、バリ島へ!   ------------------------------- <Sim Choon Kiat(シム チュン キャット ) 沈 俊傑> シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。昭和女子大学人間社会学部・現代教養学科准教授。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。 --------------------------------     2014年8月20日配信
  • 2014.07.30

    エッセイ418: 謝 志海「日本人と英語:グローバル人材とは?」

    近年、日本人学生の海外留学の激減により、文部科学省は留学生を倍増させようとさまざまな取り組みを行っている。同時に英語教育にも力を入れようと、小学5年生から英語を正式教科として取り入れ、早期英語教育を始めることとなった。だが、日本人の英語との接し方を見ていると、留学生の数を増やし、早く英語を学び始めるだけで、グローバル人になれるのだろうかと不思議に感じることがある。日本でよく耳にする「グローバル人材」とは何を意味し、何を目指しているのだろう?   日本人留学生が減っている理由の一つは、日本での就職活動のスケジュール調整の難しさで、あきらめてしまう人が多いのではないかと思う。何しろ大学4年間のうち少なくとも最後の1年間は就職活動に没頭することが当たり前なのだから。日本では、就職活動時は皆同じようなスーツを着用して挑むので、大学生の就活シーズンだなというのが電車に乗っていても容易に解る。企業は同じ時期に入社試験を行う。その流れに乗り、卒業前に内定をもらうことが、大学生としてのゴールであるという風潮なので、のんびり留学なんてしていられないよ、バイトしながらTOEICでも受けようという気にさせられるのではないだろうか。   日本の企業の人事部や人材派遣会社は、留学という経験よりも結局はTOEICのスコアで人を判断するのだから(もちろん表向きはそうなっていない)、日本で就職したい日本人にとっては、留学やグローバル人材になるメリットというものに魅力を感じないだろう。そこそこのTOEICのスコアがあればいいのだから。今でも派遣会社へ登録に行くと、登録者がたとえ英語圏の大学で学位やMBAを取っていても、また海外で働いた経験を持っていても、派遣会社の人はTOEICのスコアを知りたがるそうだ。これは今までに出会った何人もの日本人から聞く。まずは派遣会社や、企業の人事部が「グローバル人材=英語=TOEIC」という図式を取り払わない限り、世界の人々と渡り合える人材は日本では育ちにくいのではないかとの懸念を抱く。もしくは人材を評価する立場の人事系の仕事についている人こそ留学して、外国語で勉強し生活してみると、留学生の勇気と苦労が机上の勉強で済むTOEICとは比べものにならないと気付くかもしれない。   何故ここまで厳しく学生を採用する立場の意識改革を願うかというと、せっかく留学して、語学だけでなく異文化を学んできても、日本で就職し実務として活かすチャンスがないと、いい人材が海外に逃避してしまうからだ。誰だって自分を正当に評価してもらえる、やりがいのある場所で輝きたいはずだ。若いうちは特にそういうことが大事だったりする。日本と違って、中国では留学生は増える一方で、その数は60万人を超える。その中国での問題は、留学生が学業を終えても帰ってこないことだ。国内に優秀で複眼的な思考を持った若者が残らなくなるのは国として大きな損失となる。中国と比べると便利で安全で暮らしやすく、街も空気もきれいな日本で優秀な人材の逃避など起こるべきではない、それをくい止めるのは日本の企業であろう。   変わらなければならないのは、大学も同じだ。英語を学ぶ人は、グローバル人という概念も考え直した方がいい、英語だけが外国語ではないのだから。例えば、学校の授業を通じ、どうしても英語が好きになれなかった生徒がいたとしよう、でもその生徒が国語は得意だったら、中国に留学するという手もある。中国語なら漢字からすんなり頭に入るかもしれない。それだけでなく、そこで出会った他国からの留学生と英語で話すチャンスも大いにあるだろう。結果、その生徒は中国語と英語を操るトライリンガルになって帰国するかもしれない。自分で英語の重要性と、グローバル人になりたいと感じる事が大事だ。その取っ掛かりは必ずしも英語である必要は無い。イギリス以外のヨーロッパ人などは、英語圏への留学経験などなくとも英語を話せる人が非常に多い。そういう人々と異国の地で実際に出会えば、英語はグローバルな言語なのだと気付くだろう。最近では一部の大学で英語以外の外国語のクラスを増やす動きが広がってきている。「多言語を学びたい」という学生たちのリクエストに応えた大学もあるそうだ。生徒の意見を吸い上げて、大学も変化していくことは素晴らしいし、こういった「見える変化」があれば学生もさらに学びたいという意欲につながるはずだ。   文部科学省は2020年をめどに日本から海外へ行く留学生を現在の6万人弱から、12万人に倍増する計画を掲げている。数を増やすだけでなく、留学経験者が海外で学んできた事を活かせる土壌作りと、受け入れ企業の理解を深めることまで早急にケアしていかなければならない。日本が留学生をたくさん増やしている間に世界、特に新興国ではグローバル人材がどんどん排出され、世界中で活躍しているのだから。   --------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 
 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 ---------------------------     2014年7月30日配信
  • 2014.07.23

    エッセイ417:マックス・マキト「マニラレポート@第47回SGRAフォーラム『科学技術とリスク社会』」

    2014年5月31日に東京国際フォーラムで開催された第47回SGRAフォーラム「科学技術とリスク社会:福島第一原発事故から考える科学技術と倫理」に参加した。宗教学から理系まで包括する幅広い分野の、多くの国の人々からの話が聞けて、とても興味深いフォーラムだった。僕の専門でもある経済学や出身地の東南アジア(とくに、フィリピン)の観点からこのテーマについての感想を述べたい。   消費者や企業の活動により、経済的な便益が発生するが、あらゆる経済活動に損失は付き物である。そのような社会のリスクに対応するための一つの重要な制度に保険がある。僕らは病気になった時のリスクを少しでも回避するために、健康保険に入る。会社も個人と同様に、回避したいリスクに対して保険をかける。   しかしながら、原子力発電という産業の保険に関しては奇妙なことがある。しかもあまり知られていないことかもしれない。先日のSGRAフォーラムでは、リスコミ(Risk Communicationの略)がとりあげられたが、一般市民にリスクについて丁寧な説明をすることは、原発のリスクを考えるときにも当然必要である。ところが、原発産業の保険はリスクを低下させるどころか、高める傾向がある。   原子力発電所は最悪の事故が起きた場合を見込んで、それによる損害を完全に賠償することを想定し、保険に入るとしよう。通常、それに必要な資金は売り上げから賄うことになるので、電気料金に跳ね返る。ドイツでは、完全な補償をするためには、保険料で電気料金は倍にあがるという試算もある。そうなると、原発は経済的な電気の供給源として成り立たなくなる。   そのため、どうしても原発を稼働したい場合は、部分的な保険に入るしかない。当然、最悪の事故による損害は完全に賠償しきれない。では、その場合、どのように損害賠償するのか。その時には、保険の社会化(socialization)が起きる。つまり、社会がその損害賠償を負担することになる。   既存の原発事故の保険が原発産業自身の予備資金や民間の保険制度で十分にカバーされていると主張する人もいるが、3.11の原発事故の場合をみても、保険は事実上社会化している。福島第一原発はドイツの保険に入っていたが、大震災ということで、賠償の対象外になってしまった。そのため、東京電力が倒産しないように、部分的に国有化され、資金が投入された。たとえ、倒産させても損害賠償は不可能である。結局、国民(日本政府に税金をおさめている日本国民と日本に住んでいる外国人)が原発事故の損害賠償を負担している。   このような保険の社会化は、リスクを余計に高めてしまいかねない。そのメカニズムのひとつは、いわゆるモラルハザード問題である。健康保険に入ることにより、健康管理が甘くなり美味しいものを食べすぎてしまうことはないだろうか。もうひとつのメカニズムは、原発企業にとって保険料として備えなければならない支出が下がり、その分、発電コストが下がるので、発電所の数が社会的に最適な数(たとえゼロでないとしても)を上回ることになる。つまり、原発が過剰に建設され過ぎていく。   以上のふたつのメカニズムは、原発事故のリスクを高めていく。モラルハザードにより、リスク管理が疎かになり、事故が起きる確率が高くなる。SGRAフォーラムで、リスク管理の専門家が、3.11の原発事故の最大の理由は東京電力の怠慢だと強調したことを思い出す。それに、原発の過剰な建設が加われば、事故が起きる確率はさらに高くなるであろう。NIMBY(Not In My Back Yard)「僕の庭じゃなければ」という方針のもとで、日本の原発は過疎地に立地されているが、東京近辺で建設される原発ほどリスク管理は厳しくないのだろう。   原発保険の社会化については、リスコミが急務である。先日のSGRAフォーラムでも議論されたように、社会に問いかける様々な分野の勇敢な(「出世しないことを恐れない」)専門家の議論が必要であり、そして多くの指摘があったように、その議論を上手くまとめる社会のプロセスを早く日本に作り上げなければならない。要するに、保険の社会化が行われている限り、社会を巻き込む多様な議論が当然必要なのである。   今年2月のSGRAマニラ・セミナーの一環として、フィリピンにある唯一の原子力発電所をSGRAの仲間たちと見学した。30年前に建設されたもので、核燃料は門まで届いたが、フィリピン国民の反対で、稼働は中止になった。僕たちが見学した時には、その原発で働くはずだったエンジニアが案内してくれた。福島第一原発に比べたら二重三重の安全なシステムが建設されたと誇りを持って説明してくれた。以前、僕もフィリピンでエンジニアとして、国家の大型で先端のものづくりと関わり現場で働いたことがあるので、案内してくれたエンジニアの誇りに、一瞬ではあるが、同情した。しかしながら、事故だけでなく、核廃棄物の処理という点においても、原発のリスクはやはり高すぎる(上記の経済学の理由も含めて)と、僕は考えている。   今年の5月にフィリピンで、数時間の大停電が起きた。需給が逼迫しているらしい。そこで、フィリピンで原発を稼働させようという動きがでてきそうだ。フィリピンは現在までは原発ゼロであるが、今後もそれが維持できるという保証はない。   日本では、3.11の直後にできるだけ早く原発をゼロにするという方針があったが、今年、原発がない長期的なエネルギー計画は無責任だという方針に転じた。唯一、僕に希望を持たせてくれるのは、日本の国民(特に原発周辺の住民)が再稼働に反対していることであり、事実上は日本も今のところ原発ゼロという状況にあることである。リスコミがちゃんと効いているかもしれない。   しかしながら今では、ASEANの仲間たちは原発の建設に積極的であり、その背景に日本の売り込みがあることも否定することができない。いわゆるGreen Paradoxである。   これからも国境を超えるリスコミが必要であろう。それでもどうしても原発を作りたいというのであれば、そういう人々またはその家族は原発・核廃棄物処理場の30キロ以内に住んでほしい。それならば僕も納得できるかもしれない。   【おまけ】マニラ・レポート@蓼科 2014年7月にSGRAの蓼科セミナー「人を幸せにする科学とは」に参加した。昨年と同様に面白いワークショップが行われた。そこで考えた原発に関することをスライドにまとめたので参照ください。 英語版 English Versionもあります。   -------------------------- <マックス・マキト   Max Maquito> SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。SGRAフィリピン代表、フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。 --------------------------     2014年7月23日
  • 2014.07.09

    エッセイ416:解 璞「共有しないイメージを伝えるということ」

    食べ物の話から始めたいと思う。 5 年余り前、ある日本の友人と食事した時に、こんなことを聞かれた。「中国の饅頭は、本当に餡がないのか」、と。中国語を勉強したことがある方なので、おそらく「饅頭(マントウ)」という単語を勉強していた時に、日本の饅頭と中国の饅頭とは、餡や具があるか否かという点で異なっていると教えられたのではないかと想像した。   そのような「分かりやすい」説明に、薄々抵抗を感じながらも、その時の私は、確かに中国の饅頭には餡がないし、味付けもされないから、小麦粉そのものの味で、ちょっとだけ甘いとしか答えられなかった。友人も、なるほどと納得したようで、ネイティブの人に確かめてよかったというような笑顔になってくれた。   ところで、数年後のある日、その友人が中国の饅頭は餡がないから、生地がきっと日本の饅頭の皮の部分より甘いよねと言ったのを聞いて、はじめて以前の答えのいい加減さに気づいた。   確かに日本語の「饅頭」という言葉と、中国語の「饅頭」という言葉は、餡や具の有無という点で異なっているが、似たような食べ物を指している。つまり、言語の面だけを考えると、同じ表記の「饅頭」であるが、日本と中国とでは、少し異なるイメージを持っている。これは、間違いない事実だ。しかし、これだけでは、不完全な理解、あるいは勘違いさえされてしまうと考えた。   なぜならば、例えば日本で小豆などの餡が入った饅頭は、中国では「豆包」と言い、日本で肉などの具が入った肉まんは、中国では「包子」と言い、また、餡や具はないが、甘く味付けされた日本の饅頭とほぼ同じ大きさの小さい饅頭は、中国では「金銀饅頭」と言い、饅頭と同じように味付けされない蒸しパンのような食べ物は「花巻」と言うのが普通だし、逆に、ご飯や蒸しパンのかわりに食べる饅頭というものは、管見によれば、日本にはないからだ。   つまり、日本と中国の饅頭は、餡や具の有無という点で異なっているのではない。そうではなく、日本でいう饅頭は、中国語で「豆包」「包子」あるいは「点心」などの別の言葉で表され、一方、中国でいう饅頭は、日本にはめったに見られないと言うべきなのであろう。   このように、同じ漢字という言語の表記を共有したからといって、日本と中国は、同じイメージで世界を見ているのではなく、相互理解がよりスムーズになるわけでは決してない。むしろ、日本と中国では、「言語の表記が似ているから、互いに理解しやすいはずなのに」というような安易な先入観があるからこそ、かえって誤解やすれ違いを招きやすいのではないだろうか。   実際、外国人同士ではなくても、このような勘違いやすれ違いがよく起きている。たとえ同じ国の人の間でも、あるいは何十年も一緒に暮らしている家族の間でさえも、こちらの口から発した言葉のイメージと、相手の耳で受け取った言葉のイメージとは、つねに一致しているわけではない。否、つねに一致し、完璧に理解し合えるということは、ほとんど奇跡に近い不可能なことではないだろうか。   さらに、自分自身の中でさえ、一致しているとは限らないのである。私は、時々、口頭発表の前に、発表ノートを音読して録音してみる。すると、自分の口から発した言葉のイメージと、自分の耳で受け取った言葉のイメージの間にも、時々ギャップが生じていることがわかる。こんな意味を伝えるつもりは毛頭なかったのに、こう発言したら誤解されてもしようがないな、というように、自分の口で音読して自分の耳でもう一度確かめなければ分らないものがある。自分自身の中でさえ、「口」と「耳」の間には理解のギャップがあるのだと、はじめて気づかされる。   普通にコミュニケーションを行えば、このような勘違いや誤解が、常に付きまとっている。だからこそ、自分が伝えたいイメージと、相手が受け取ったイメージの間のズレを意識し、両方が伝えたいことを我慢強く、確認し続ける包容力が、どうしても必要であろう。でなければ、「饅頭」一つさえうまく説得や理解ができないのである。   ---------------------------------------- <解璞(かい・はく) Xie Pu> 日本近代文学専攻。2014年早稲田大学大学院文学研究科日本語日本文学コースにて博士号取得。現在、夏目漱石の作品および文学論の中国語訳について研究調査している。2013年度渥美奨学生。 ----------------------------------------     2014年7月9日
  • 2014.07.02

    エッセイ415:謝 志海「ウーマノミクス(3):公の場でセクハラヤジ」

    安倍晋三政権が新しい成長戦略と、経済財政運営と改革の基本方針を着々と実行段階に進めるなか、先日の東京都議会本会議では女性議員の一般質問中に「早く結婚しろ」などのヤジが飛んだことが、日本全国だけでなく、世界のメディアでも報道されてしまった。成長戦略のなかでも、女性の活躍を重視している安倍晋三政権にとって、この事態は「ばつが悪い」ことになるだろう。   概して、アジア各国は欧米に比べると女性の立場が弱く、守られていないという差別が根強く残っているが、アジアの中でも経済的、知名度的に欧米先進国と肩を並べる日本までもが、未だに男性優位体質であることが、今回の件で露見してしまい残念だ。   前述の通り、この件は世界に広く報道されてしまった。都議会本会議の直後から英米のメディアが、相次いで「セクハラ暴言」などと報道した。米CNNテレビのウェブサイトではヤジ問題の記事を、日本の労働市場では男女間の格差が給与 (平均して女性の給料は男性に比べて3割安い)や人事(女性管理職の数) でも現れていると締めくくっている。民間企業に女性取締役を増やすようアドバイスしたり、指導的立場の女性を2020年までに30%増やすことは、安倍晋三政権が豪語していることだ。今回のヤジ問題は、その目標は実現可能なのか?という気にさせられてしまうではないか。この一連の出来事は引き続き世界が注目しているようで、ヤジを飛ばされた塩村文夏都議は6月24日、東京の日本外国特派員協会で記者会見した。朝日新聞が運営する英語版ウェブサイトAsia & Japan Watch (AJW)によると、この記者会見に出席していた記者の反応はいささか冷静であったようで、日本在住歴14年のシンガポール人記者は「(ヤジ問題を)特に驚かなかった。このような日本の性差別の記事はいつも書いてるから。」とコメントしている。日本に住んでいる外国人の目にも、男女の扱いの差が明白とは、悲しい事実である。   そしてこの記者会見に出席していた外国人記者たちは、日本の未来を思いやるような、非常に的確なアドバイスとも言えるコメントをしている。前出のシンガポール人記者は「この出来事は日本が変わるために必要であると信じたい。」と言った。同じく日本在住歴20年以上のフランス人特派員も「この出来事が日本を劇的に変える役割を果たすことを望む。」と語った。これぞまさに、日本を客観的に観察している人々の思いであろう。ウーマノミクスのエッセイを通して言っているが、日本は女性の活用にあたり数値目標を掲げるだけでなく、女性がどういうスタンスで社会に貢献したいのか今一度耳を傾けることだ。そして具体的にかつ実現可能なレベルから直ちにアクションを起こさなければいけない。   私が今回のセクハラヤジ問題で気づいたことは男性優位体質だけでない。いかに日本が世界から注目されているかだ。安倍晋三政権が次々と経済政策を進めているさなかなので、当たり前と言えばそれまでかもしれないが、やはりアジアを代表する経済国として、日本の存在感は大きいのだ。そこへ突然、大都市東京では時代錯誤のような都議会本会議が行われていたとは、世界が驚くのも無理ない。問題はここからだ。この出来事をどう成功カードに切り返すかだ。皮肉にもと言うべきか、英エコノミスト誌の最新号(6月28日~7月4日)の表紙を飾るのは、サムライの格好をし、矢を射ろうとする安倍晋三首相だ。安倍晋三政権が放つ矢を世界は固唾を呑んで見守っている。   -------------------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 --------------------------------------     2014年7月2日配信
  • 2014.06.25

    エッセイ414:崔 佳英「『小さな留学生』から20年」

    「小さな留学生」を覚えているだろうか。2000年に放映された、中国から父親の転勤で、日本の学校に通うことになった9歳の少女の2年間を追ったドキュメンタリーである。今年、2007年から7年目を迎える私の日本での留学生活は、3度目の長期日本滞在である。1回目は、小学校の時に父の仕事のために家族4人で初来日。2回目は、その約10年後、2003年の1年間の交換留学、それから5年後、現在の大学院留学のための来日である。   初来日時は、もう20年以上も遡る1992年の春だった。まったく日本語がわからない状態で日本に行くことが決まり、渡日1週間前に韓国の学校に届けを出し、ひらがなの勉強を始めた。自己紹介の言葉を日本語の発音をそのままハングルで書いてもらい、一生懸命練習した記憶がある。こんにちは、はじめまして、以外には日本語が全くわからず、まさに、ドキュメンタリーの「小さな留学生」と同じだった。   偶然にも、私の小学校の時の経験は、「日本の学校のニューカマー受け入れ」の展開と軌を一にする。1990年の入管法の改正とともに、ニューカマーの外国人が急増し、これに連動して外国人の子どもの教育問題が注目され始めたのである。1991年には、文部省が初めて「日本語指導が必要な外国人児童生徒」の数の調査に着手し、1993年の『我が国の文教政策』で「外国人児童生徒に対する日本語教育等」に初めて言及した。日本でニューカマーの子どもの教育問題が浮上し、その取り組みが始まってから20年も経つ。韓国では、2000年代から「多文化」問題が社会問題の重要なトピックとなり、アジアの国で先に移民問題に対面した日本の取り組みについての研究に、注目が集まっていた。私が日本に留学してから参加したボランティア団体では、外国につながりを持つ子ども(ニューカマーの子ども)への学習支援の活動をしており、そのはじまりは「在日韓国・朝鮮人」の子どもの高校進学支援からで、長い蓄積をもつ。   しかし、おもしろいことに、私が最近出会う外国人子女教育問題の研究者や支援者からよく耳にすることは、「韓国は進んでいますね、韓国の話が聞きたいです」という言葉である。確かに、この10年間に韓国では、外国人統合政策である「在韓外国人処遇基本法」、「多文化家族支援法」を制定、二重国籍の許容、外国人参政権の付与など法制度における様々な動きがあり、学校教育においては2007年から政府主導で「多文化教育」を実施している。社会化の課程に「切断」を経験する移民の子どもにとっては、社会参加や階層移動の機会などの意味から、制度化された学校教育がもつインパクトは強い。   さて、ここで、20年も前の話をしてみようと思う。 私が初めて来日した当時の札幌には、「外国人の子ども」の存在は珍しいもので、区役所から地図をもらい、家族4人だけでいくつかの学校を実際に回り、編入する学校を決めた。私が通うことになった学校にとっても、外国人はもちろん初めてのことであった。正規のクラスに入るのか、どの学年に編入するかも教育委員会の方針が定まっていなかった時期で、その分、一つ一つのことを学校と保護者、そして私の意志を反映し相談していったことを覚えている。   担任の先生と私の父は、交換日記的な一冊のノートに私の1日について書いて連絡を取り合っていた。日本の学校で1年程が経った頃に、私の日本語の先生がやってきた。まだ20代の若い先生で、先生になる前の「先生」と聞いた。国語の時間には、職員室で「みんなのにほんご」という本で、はじめから日本語を勉強した。日本語の先生との勉強が1年を過ぎた頃には「アンクルトム」を全部読み切ったことを今でも覚えている。のちに、数学以外の授業も少しずつ耳に入るようになり、テストも受けられるようになった。それでも、社会や理科などのテスト問題を解くには困難があった。担任の先生は、私の答案用紙の全ての項目に×をつけることはなかった。100点が満点ではなく私の日本語力に合わせた採点をしてくださった。40点/44点と。   そこに込められた教員の教育理念とは、「日本人の子ども」のみを対象とする教育、日本語を基準とした評価ではなく、日本語の問題と生徒の学習力の問題を切り離し、一斉共同主義に基づかない、学生個々の「学びの権利」を保障するコア的なものであると思える。これは、多くの「大人の」留学生が抱く問題の一つでもある。議論を中心とする大学院での授業で日本語力の不足のために委縮してしまったり、または、その発言に耳を傾けてもらえなかったり、教員や同僚とのスムーズな意見交換の困難、正確にはコミュニケーションの文化的差異から生じうる誤解などをどのように捉えるかは、大学の「国際化」を謳うアジアの多くの大学の課題となりえるだろう。     ---------------------------------- <崔 佳英(ちぇ・かよん)Choi, GaYoung> 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻にて修士号2010年取得。現在、同研究科で博士後期課程在学中。2013年度渥美奨学生。専門分野は、日本と韓国における外国人子女教育。 ----------------------------------     2014年6月23日配信
  • 2014.06.18

    エッセイ413:ヴィラーグ ヴィクトル「人口減少ニッポンから多民族ニッポンへ?」

    ~大規模移民受け入れ前に不可欠な統合政策:労働力移入ではなく、人間移住であることを忘れないために~   日本の新聞を読むと、移民受け入れの可能性について徐々に取り上げられるようになっています。もちろん、移民受け入れの可否を巡る議論は新しいものではありません。バブル期の労働力需要に対する人材不足が問題になり、また人類の歴史上まれにみる少子高齢化に日本が直面することが予想されるようになって以来、しばしば持ち出される課題です。日本社会は実際に人口が減少しており、アベノミクス、東日本大震災後の復興、東京五輪の準備などが相まって、建設業をはじめとした労働力不足が顕著になっている現在、少子化対策の専門家や経済界が改めて移民受け入れについて本格的な議論を進めようとしているのは当然でしょう。一方、一般国民、政治家や官僚はもちろん安易には踏み出せず、政策自体が進んでいないのが実状です。何せ、来日するのはロボットでも、単なる「労働力」でもなく、24時間日本で生活することになる移民及びその家族、即ち様々な社会サービスまで必要とする「生身の人間」なのです。   私は日本の参政権を持たない身であり、また人口学及び労働経済学は専門領域ではないので、移民受け入れの可否について構築的な意見を述べるのは相応しくないかもしれません。しかしながら、私の出身地である欧州を始め、他国の歴史的な経験を基に考えれば、人口減少国として安定した経済をいかに維持していくのかという議論どころか、経済縮小をどう避けるのかすら想像しようとしない日本の状況に無関心ではいられません。勿論、移民を受け入れず、人口問題と向き合うことが選択肢の一つとしてないわけではありません。全国民的な議論の結果、それが民意の結論であれば、経済小国化の覚悟を決めることも充分にあり得ます。しかし、経済成長を諦めることを選択しないのであれば、グローバルな時代における経済的な競争力の低下を防ぐためには、移民受け入れ以外の方法は考えにくいのではないでしょうか。   ここでは、日本が最終的に後者の移民受け入れの選択をした場合に、注意してほしい幾つかの点をまとめることにします。その中で、私が、既に日本に住んでいる文化的なマイノリティを対象としたソーシャルワークの研究者であると同時に、実際に一人の当事者であるという立場も重視したいと思います。日本に定住している文化的なマイノリティが抱える様々な問題に関する経験を基に論点を整理してみます。   結論からいえば、最も大きな課題は中央行政レベルの総合的な統合政策の不在です。実際には国際結婚や家族統合のための来日といった、いわゆる管理できない移住も増えているにも関わらず、入口をコントロールする入国管理政策は国際的にみても非常に厳格な形で整備されています。その半面、本来なら日本に定住する移民の適応に向けた支援、すなわち言語に代表される日本人と異なる特別な文化的ニーズ等に対応する教育、医療、福祉などの各種社会サービスなどの移民統合政策は、ほぼ皆無の状態です。そのため、既に日本にいる移民を取り巻く多くの社会問題が起きているので、このまま更に大規模な受け入れ拡大を進めることは極めて危険と言えるでしょう。   もちろん例外もたくさんありますが、一般的にみれば、日本では文化的なマイノリティの周縁化が深刻な問題です。例えば、生活保護受給率、低所得者の割合などが全国平均を上回っていることから、移民の貧困を読み取ることができます。これは、新しく移住してきた第一世代なら、よく見られる現象ですが、日本に特徴的な驚くべき実態は、場合によって全国平均の半分にも満たない高校及び大学進学率の低さです。つまり、第二世代以降も著しい貧困の再生産などの負の世代間連鎖が懸念されています。実は、これは、世界の移民研究において、きわめて珍しい現象です。また、このような状態はもちろん社会的な摩擦と不安に繋がりやすく、そのため更なる社会的な排除と結びつく悪循環を生むリスクも高いのです。   移民などの文化的なマイノリティの存在によって生じる、上記のような社会的な負担を軽減するための統合政策が欠如する理由の一つは、単一民族の神話です。具体的には、「日本人」と「外国人」という二分法で日本社会を捉えようとする建前です。このような考え方は琉球民族やアイヌの人々、そして在日コリアンに代表される旧植民地出身者及びその子孫のようなマイノリティの歴史を無視しています。また、現代の法治国家の枠組みでみた場合、「文化」や「民族」による分類ではなく、「日本国籍者」と「外国籍者」という法的な二分法に繋がり、日本社会の中に実際に潜んでいる多様性への適切な対応、真の取り組みを妨げています。第一に、国家レベルの統計では、帰化者や国際結婚において生まれた人々のように日本国籍をもつ文化的なマイノリティが不可視化されているため、多様性の本当の規模が見えていません。第二に、本来は文化的多様性による問題を、国籍による問題、つまり「外国人」の問題、更にいえば「(日本に関係のない)外の国(の人)」の問題として再構成する傾向も強くなります。このような捉え方は、一時的なデカセギによる臨時滞在を超えた定住化によるニーズに応えることができません。また、予算編成の上でも、いくら納税者とはいえ、非国籍者のための統合政策を公的財源で実施することも難しくなります。   最後に、好ましい統合政策の内容についても述べたいところですが、本稿の性質上、基本理念ともいえる対等性と、当事者参加の原理の説明に止めます。先述の「国籍」による二分法の問題にも関連しますが、様々な社会的な場面における対等な扱い方が保障されないと、移民などの文化的なマイノリティは不利益を被りやすく、社会的に弱い立場から抜け出せないのです。このような社会的な不利益は、底辺化・周縁化、更なる社会的な排除、即ち上述の悪循環現象の引き金となる可能性が高くなります。対等な扱い方は、社会サービス等に関する法の下での平等も含みますが、それよりも日本人と全く同じ扱いは必ずしも公平ではなく、真の平等(機会あるいは結果の平等)にならないということを意識しなければなりません。なぜなら、置かれている状況とニーズが異なるからです。要するに、一見平等に見える「みんな同じ」扱い方は、むしろ不平等を生みだし、あるいは既存の不平等を再生産、固定化してしまうだけだからです。例えば、馴染めない人に対して窓口における日本語や日本的な価値観などの文化規範の強要は、車椅子を利用している人に階段を上ることを求めるのと大して変わらないことで、真のバリアフリーにはなりません。結果的に、必要なサービスへのアクセスを妨げ、社会的な排除に繋がり、不平等を改善できません。   底辺化を防ぐために、公共の場を超えた社会全体、とりわけ重要な領域は、労働市場における不当な扱い方からの保護も欠かせません。このために、行政が区別化を強調・助長・強化しないと共に、民間部門における差別を明白に防止することが求められます。具体的には、国際条約の批准にも関わらず、日本において未だに欠如している差別禁止法、あるいは移民人権法の制定が望まれます。これは、国際的な批判を浴びながらも無理やり維持されてきた、そして現在拡大が検討されている、いわゆる「外国人研修・技能実習制度」と正反対の流れにあります。   このような法的な手段による、対等な扱い方の原理の最終的な徹底は、当事者参加の原理を前提としています。つまり、この場合は移民に関する統合政策、即ち、当事者である彼ら・彼女らの人生を大きく左右する、ありとあらゆる施策を策定する際に、計画から実施まで、なるべく全ての段階において当事者の声を反映させるということです。なぜならば、当事者のニーズを最もよくわかるのは、当事者自身であるからです。これは、米国における障がい者の権利運動から生まれた「Nothing About Us Without Us」という理念と同じです。日本語でその意をまとめると、「私達を参加させないまま、私達のことを決めないで」という考え方です。この考え方はもちろん倫理的な意義も大きいのですが、企画段階からの参画は当事者の意欲向上と動機づけにもなります。この場合は、先述したホスト社会の移民への対応と並行して、統合政策のもう一本の大黒柱ともいえる、移民によるホスト社会への適応に向けた努力について想像すると良いでしょう。もちろん、対等性と当事者参加の原理について考える上で、政治的な平等の獲得と、自分たちを巡る政策に対する意見表明の機会の確保という意味で、参政権に関する議論も避けて通れない課題ですが、詳しい説明は本稿の範囲を超えているため、割愛します。   本稿では、日本に既に住んでいる文化的なマイノリティとしての経験を基に、今後進むかもしれないより本格的な移民受け入れに向けた主要な課題について整理しました。民主主義国である日本では、移民受け入れ自体も、またそれに伴う統合政策も民意を基に実施されることが理想の形です。民意を形成するために、国民的な議論を展開する必要があります。このような議論の中では、現状と可能性について国民に対する適切な情報提供が求められ、国家行政の担当者の他に、政治家も、また専門職や研究者などの専門家も事実に基づいた啓発活動に専念する責任をもっています。本稿がこのような議論と啓発に役立つ一材料となれば幸いです。   -------------------------- <ヴィラーグ ヴィクトル Virag Viktor > 2003年文部科学省学部留学生として来日。東京外国語大学にて日本語学習を経て、2008年東京大学(文科三類)卒業、文学学士(社会学)。2010年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科博士前期課程卒業(社会福祉学修士)、博士後期課程進学。在学中に、日本社会事業大学社会事業研究所研究員、東京外国語大学多言語・多文化教育研究センター・フェローを経験。2011/12年度日本学術振興会特別研究員。2013年度渥美奨学生。専門分野は現代日本社会における文化等の多様性に対応したソーシャルワーク実践のための理論及びその教育。 --------------------------     2014年6月18日配信
  • 2014.06.11

    エッセイ412:謝 志海「ウーマノミクス(2):日本の女性が日本の未来を導く(その2)」

    前回のエッセイでは日本の女性が継続して働き続け、就労人口の底上げを期待されていることについて書いたが、同時に少子化問題も日本の切実な悩みであり、こちらにも女性への期待がかかっている。   5月19日、今後の少子化対策について話し合った内閣府の有識者会議「少子化危機突破タスクフォース」が提言をまとめた。そこには目標出生率の具体的数値は無かった。「国が女性に出産を押し付けると誤解されかねない」との意見が多かったそうだ。一人っ子政策をしている中国から来た私が言うのもなんであるが、具体的な目標出生率を(今は)定めない、という慎重な提言を出したことは画期的であり、女性にプレッシャーを与えたくないという気づかいのあらわれと前向きに捉えたい。というのも、働き手が減るから、年金が足りなくなるから、もっと子供を産もうというのでは、日本の女性にとって子供を産むことが魅力的に感じられるのだろうかと、以前から感じていたからだ。   一方で、将来を予測して具体的な数値を出し対策をとることはとても大事だ。日本の女性が生涯に産む子供の数が、2.07人に増えて、かつ働き続けたとしても、50年後には働く人が1000万人以上減ってしまうと予測されている( 内閣府の将来予測)。2人以上子供を産んでも将来の就労人口は足りないと試算されているのだ。このとどまるところを知らない少子化を食い止めようと、森雅子少子化対策担当大臣は、少子化対策の3本の矢という、子育て支援、働き方改革、結婚妊娠出産支援を打ち立てている。子育て支援というと、保育所の新設、政府がよく言う「待機児童ゼロ」。働き方改革は前回取り上げた、時短勤務など取り入れ、育児と仕事の両立支援。この二つは官民が策を練り改善が進んでいるように見える。最後の矢、結婚妊娠出産支援、中でも結婚に関しては具体的に政府がどうからんでいくのか、前出の二つと比べると見えにくい。まず結婚して、妊娠して、出産してやっと子育て支援と働き方改革の恩恵を受けられる立場になるのに、結婚する人が増えない。初婚年齢が高くなるだけでなく、生涯未婚率は増加している。日本の若者にとって、結婚して家族を持つことが素晴らしいと写らないのだろうか?婚姻率の上昇が出生率上昇の要ではないか?   先日、自民党が配偶者控除の見直しの提言案をまとめた。これも女性の社会進出を促すのを狙っている。夫婦単位の控除にすることで、共働きと、夫婦どちらかが働く世帯との間で所得税額の差を出にくくし、専業主婦に与えられる優遇措置と長く言われてきた制度の見直しだ。不思議なのが、ここに少子化の事は全く懸念されていない事である。もちろん、女性の社会進出を促すと言っている手前、子育て世代の女性を支援するため、ベビーシッターを雇った費用などを所得税額から差し引ける「家事支援税制」の導入も盛り込んだ(朝日新聞より)とあるが、では例えば、配偶者控除を廃止したとして、出生率が上がる、もしくは出生率には何も影響は出ないであろうという未来予測はできているのだろうか?結婚し子育てするメリットが減ってしまわないか?子供を2人以上持てる家庭は増えるか?そしてベビーシッターを雇った費用は所得税額から差し引けるというが、安心して子供を預けられるベビーシッターの数は、それを求める人々の数と合っているのだろうか?   日本のメディアでは日々、働くお母さんが保育園やベビーシッター探しに奔走している様子や、仕事と育児をいかに両立させるかが取り上げられている。仕事をしながら、子供を手元に置き自分で育てていることの大変さは私の想像を越えるだろう。中国では、保育園や託児所等の施設が充実していないので、子供が小さいうちは実家に預けっぱなしの親も多い。日々の生活で少しでも子供と過ごす時間を捻出しようという姿勢は、日本の家庭と比べるとはるかに低い。   日本には少子化問題に特化した対策担当大臣もいて、子育て、女性の活用、待機児童ゼロ、様々な問題を議題に挙げているのだから、個別に対処していくのではなく、総合的に解決していくことが、女性の社会での活躍と子どもの未来、そして将来の日本の活性化につながるのではないかと思う。   --------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 ---------------------------     2014年6月11日配信
  • 2014.06.04

    エッセイ411:謝 志海「ウーマノミクス(1):日本の女性が日本の未来を導く(その1)」

    安倍政権になってから、日本の女性はこれまでにないほど、沢山の期待を背負わされているのではないだろうか?今回は特に安倍首相が掲げる成長戦略のうちの一つ、女性の活用 「ウーマノミクス」を取り上げたいと思う。   ウーマノミクスとは、女性が社会で活躍することにより、経済活性化を目指すというものだ。日本は人口減少の一途をたどっており、それによる将来の働き手不足を懸念している。内閣府による予測では、およそ50年後には労働力人口が今より2割ほど減ってしまうとされている。人口の減少、すなわち少子化問題も早期解決の目処は今のところなさそうだ。外国人労働者の受け入れは、他国と比べて日本は非常に弱腰である。ではどうやって働き手を確保するかというと、女性だ。   最近のウーマノミクス関連のニュース記事でよく目にする言葉に「M字カーブ」がある。日本人女性の働く人の割合を示す就業率年齢分布はM字カーブを描く。左右の高い部分は20代と40代後半、くぼみの一番深い年齢が30~40代で、出産を機に仕事から離れるからだ。このくぼんでいる部分の人に、労働市場に戻ってもらえば、GDPも上がるであろうと思われている。30~40代の女性に働き続けてもらうには、出産後も働きやすい環境を整える事が大事であり、産休の充実、復帰後の時短(短時間勤務)の適用、保育園、幼稚園を増やす等は、すでに様々な制定がなされており、大手企業にとってそれらの制度は最近導入したことではない。なのになぜ未だに日本女性の就業率はM字を描いているのか?   経済協力開発機構(OECD)が2013年に発表した「雇用アウトルック2013」によると、日本の25-54歳の女性の就業率は69%で加盟国中、24位だった。(上位はノルウェーなどの北欧諸国で80%を超えている。) 約6割の女性が第一子出産を機に退職するからだとOECDは指摘する。これらの6割の女性は喜んで退職しているのか?日本政府が増税とインフレ2%に執心のさなか、そうは思えない。勤務先は時短制度が無い、復帰後に働きやすい環境が待っていないなどで、やむを得なく去っていくケースも多いのではなかろうか?日経新聞によると、女性の活用に関しては、企業の対応はまだ手探りの段階。そこで、横浜市が中小企業女性活用推進事業を始める。女性の就労継続を支援するために中小企業にコンサルティングをしたり、かかる費用の一部を助成する計画を打ち出した。市町村が、働き続けたい女性が求めること、また女性社員に残ってもらいたいが、そのシステム作りに悩む企業の声に耳を傾け、手助けすることは素晴らしい事だと思う。   同じ日経新聞の記事内に「出産女性の就業継続は夫が子育てを分担することも不可欠」とあった。私は「これだ!これが答えだ!」と思った。中国では、夫は当たり前に家事をする。子供がいてもいなくてもだ。家事は女性がするという概念が無い。どうしてかと聞かれると、うまい答が見つからない。自分の家も、周りも親は共働きで、家事を普通にこなす父親を見て育っているので、そういうものだと思っているとしか言い様がない。一方、日本の男性にとって、掃除、育児は女性がするものという固定観念が根強くある、年齢が高ければ高い人ほどそういう傾向だ。これでは女性にばかりしわ寄せが多く、育児と仕事のバランスがうまく取れず、就労継続することが困難な状態になる、それがM字カーブを描いてしまうのであろう。   家庭と仕事の両立支援制度の話に戻ると、男性にも育児休業を設けている会社が多い。育児をする男性=イクメンという言葉まで定着しているのに、問題はそれを活用する人が少ないこと。厚生労働省の「雇用均等基本調査」によると、2012年度の男性の育児休業取得率は1.89%である。日本の男性は残業もいとわず日々真剣に働いているので、育児休業=一線から外れてしまう、また取得後の人事評価などを懸念して、育児休業を取ることに臆病になっているのであろう。彼らの上司(40代後半から50代)の育児休業についての理解が低いことも、取得率を下げる大きな一因だと思う。上司の時代にはイクメンが存在しなかったのだから。中国には男性の育児休業なんてものは存在しないので、私にとっては制度があって、使う権利があるのに行使しないことをもったいないと感じる。   日本の企業は時代に合わせて社員が働きやすい環境を整えていて素晴らしいと思う。しかし、それらを社員が活用できているかまで、会社はしっかりとモニタリングしているのだろうか?社員に活用するよう推奨しているのか?上司や同僚の目が気になって、育児休業の取得を切り出せないようでは、制度を作った意味がなくなる。男性達も、一度思い切って育児休業を取ってしまえば、自分の子と過ごせる時間を与えてくれた会社に感謝し、勤務時間中はより業務に集中し、貢献度が上がるかもしれない。こうして小さな子を持つ父親たちが、当たり前のように育児休業を利用したり、積極的に家事へ参加し、周りもそれを当然の事として受け止めることが、女性の就労継続につながり、実は一番のウーマノミクス成功への近道なのではないか。ウーマノミクス、と女性をあおる前に男性の家事と育児に対しての意識改革が必要だ。女性の労働人口が上がり、経済的に元気な日本になることを期待する。   --------------------------- <謝 志海(しゃ しかい)Xie Zhihai> 共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 
---------------------------     2014年6月4日配信
  • 2014.05.21

    エッセイ410:張 亮「私の日本留学」

    私は大学の時、中国リハビリ研究センターでの臨床実習をきっかけに、リハビリテーション医学に接した。リハビリテーション医学は、病気を狙った臨床治療医学ではなく、患者が病気、事故などにより失った機能をできる限り再生し、患者の残された能力を生かすための医学分野である。脳卒中などの後遺障害が起こる病気でも、歩けない患者さんが、だんだん自分で歩けるようになったり、手を使えない患者さんが、だんだん自分で服を着たり、トイレも使えるようになるときは、患者さんだけではなく、家族と周りの人々にとっても幸せである。ある意味で、病気で失った機能を再生し、患者さんの生活の質を向上させることが、患者の治り難い病気を完治するより、もっと大事だと考えている。この新しい医学体系といわれるリハビリテーション医学は、私にとって大変魅力的だった。   学生の時から、リハビリ医師になる道を目指した。卒業してから、リハビリセンターの整形外科に入局し研修医として勤務した。3年間のリハビリセンターでの実習を合わせた勉強により、リハビリの重要性は私の心に深く入り込んだ。しかし、現在中国ではリハビリというものはまだ人々に理解されていないと実感した。たとえば、多くの脳卒中の患者は、神経内科の治療が終わってから、家に戻らせてそのまま寝たきりの状態で、ハリ、マッサージなどの治療を続けるケースが多い。リハビリを行っている病院はとても限られているのが中国のリハビリの現状である。せっかくリハビリ医師になる道を選んだので、この領域のもっと先進的なものを知りたいと思ったが、周りの環境も整っていないので海外に留学することにした。中国のリハビリ研究センターは、もともとJICAの計画により、日本の技術支援を受けて建てられたもので、中国のリハビリのシンボルといわれている。したがって、日本のリハビリ医学は進んでいると考え、日本に留学することにした。   日本へ来て、訪問研究員として大学に入って、臨床のリハビリを勉強した。日本の大学病院では、見たことも聞いたこともないものがたくさんあり、日本のリハビリ医学は中国より遥かに進んでいると実感した。早く日本の医療技術を身に着けようと思ったが、目の前には、全くわからないことが想像以上に多く、なかなか覚えられなかった。しかし運が良いことに、日本の先生方はとても親切で、丁寧に教えてくださった。特に筋電図は、リハビリ分野の医師にとって、とても重要な技術だとよく言われているので、それを中心に勉強した。1年間の臨床での勉強で、中国ではほとんど勉強できないものをたくさん学んだ。   さらに難病のメカニズムの解明と治療法の開発のために、私は博士課程に進学した。臨床から基礎研究に移ることは私にとって新しい経験だった。基礎研究は臨床とは全然違い、研究の手法をはじめ、考え方もなかなか慣れることができなかった。ラボの先生方が丁寧に教えてくださったので、研究の基本的な技術を身に付け、研究に徐々に慣れてきた。私のラボは脊髄損傷を研究している。脊髄損傷は難治性の疾患で、いまだ治療法がないのが実状である。脊髄損傷した人は、重い後遺症になり、生涯に渡って障害が残る。リハビリはこのような患者さんにとってとても重要な手段と考えているが、特に完全脊髄損傷の運動機能回復に有効とされているリハビリ方法はなかなかない。博士課程の私の研究で、ラット脊髄完全損傷モデルのリハビリ治療法を開発し、明らかな機能回復効果を示した。さらに、脊髄損傷患者の臨床治療に向けて、軸索を再生させる新しい薬との併用治療の研究に従事し、その効果を明らかにし、メカニズムも検討できて、海外学術雑誌に論文を載せることができた。   日本へ来てからの数年間は、研究面だけではなく、生活面でも良い経験をした。博士課程の間は日本の民間財団から奨学金をいただき、研究に専念でき、いい成果を挙げることができたことを感謝している。これから私は、まず日本で今の研究を終わらせ、その後アメリカへ留学し、リハビリ医学をさらに勉強したい。リハビリ医学は、世界にとっても新しい分野なので、まだわからないところがたくさんある。この分野の発展に自分の力を尽くしたいと考えている。   ---------------------------------------------- <張 亮(ちょう りょう) Liang Zhang> 2005年中国首都医科大学医学部臨床医学専攻を卒業。中国リハビリテーション研究センターと中国北京軍区総病院勤務医として働き、その後退職。2006年来日、慶應義塾大学リハビリテーション医学科で訪問研究員を経て、博士課程に入学し、脊髄損傷の基礎研究に従事、2015年博士課程修了見込み。現在、慶應義塾大学整形外科学教室研究員として、脊髄損傷の再生医学の研究に従事。 ----------------------------------------------     2014年5月21日配信