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エッセイ419:シム チュン・キャット「日本に「へえ~」その14:だからやはり女子大はまだ必要?」

女子大勤めの僕が言うのもなんですが、いま日本では女子大が人気です。高い就職率に加え、きめの細かい指導を可能にする少人数制の授業展開が学生に付加価値を与え、高度な人材育成につながると考えられているからなのでしょう。しかし目を海外に転じてみると、ほとんどの国・地域では女子大は斜陽状態になっているか、もう(あるいは最初から)存在しないか、のどちらかです。例えば、女子大学連合Woman’s College Coalitionのデータによれば、北米では60年代には約230校もあった女子大が2014年現在になると47校まで激減してしまい、かの有名なセブンシスターズも2校の共学化に伴いファイブシスターズになってしまいました。イギリスでも現存する女子大はケンブリッジ大学内の3校の女子カレッジのみとなり、巨大な中国でさえ女子大は伝統を受け継ぐ形で3校しかなく、教育の面で日本の影響を強く受けてきた台湾ですら最後まで生き残ったラスト女子大が2008年に男女共学の道を選びました。一方、日本ではいまでも大学総数の約1割を女子大が占めているのです。

 

僕の国シンガポールもそうですが、性別による発達の違いと特性に応じた男女別学が小・中・高校段階においてこそ認められるものの、「男女平等」という大原則の下で大学レベルでは男女共学が基本という国がほとんどです。日本以外に、女子大が未だに健在ぶりを力強く見せている国と地域は、おそらく世界最大規模の女子大である梨花女子大学校を有する韓国とイスラム圏の数ヶ国ぐらいだけでしょう。さてと、日本、韓国とイスラム圏の国々の共通点といえば?

 

「早く結婚した方がいい」「自分が産んでから」「がんばれよ」「動揺しちゃったじゃねえか」などのヤジ(接頭語の「お」をつけて「オヤジ」と言ったほうがいいかもしれません)が、あろうことか6年後に世界最大のスポーツ祭典の開催都市の都議会で飛ばされたことはまだ記憶に新しいですね。しかも、結局名乗り出た都議のホームページには「世界に誇れる国際都市東京を目指して」とあるそうですから、笑えたものではありません、はい。かつても「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」「(ある集団レイプ事件について)元気があるからいい」「女性は産む機械」「43歳で結婚してちゃんと子供は2人産みましたから、一応最低限の義務は果たしたかもしれませんよ」など、政治家によるもっとひどい女性蔑視発言があったこの日本のことですから、どんな「オヤジ」でも今さら驚くことでもないかもしれません。何かの雑誌で読んだのですが、「美しい国」は逆さまに読むと「憎いし苦痛」になりますからね。

 

それにしても、今回の「オヤジ」騒動で注目され、海外でもちょっとした有名人になった都議の「若さ」には驚きました。日本の政界においてはまだ若いともいえる50代前半のこのオヤジがあんな女性蔑視意識を持っていたとはびっくりです。やはり差別意識は伝染し、世代から世代へと再生産されていくものです。まるで風呂場にこびりつくカビのように、何回苦労して落としても根っこが残り、直にまたどこかからポンと生えてきてしまうのですね。根本的な解決方法としては、まず風呂場の中の湿気を取り除くしかありません。つまり、しつこいカビを二度と生やさないためには、まず環境改造を徹底的に行うことが必要不可欠なのです。

 

男女平等や女性の社会進出度に関するあらゆる国際比較ランキングでは、日本(そして韓国も)が先進国とは思えないぐらい非常に低い順位にランクされ続けてきたことは周知の通りです。それを改善するには、男性の意識だけでなく、女性の意識に対しても改革を進めなければ何も変わっていきません。特に後者に関しては、男子のいない環境で女子がリーダー役を担うしかなく、さらに共学大学よりロールモデルになる女性学長・学部長・学科長・教授がはるかに多数いる、という女子大の存在がとりわけ重要だと思いませんか。女子大イコール良妻賢母を養成する大学というのは、もう博物館級の古い認識です。イギリス初の女性首相マーガレット・サッチャー氏、インド初の女性首相インディラ・ガンディー氏、イスラム圏初の女性リーダーであるパキスタン元首相ベナジル・ブット氏、2年後にはアメリカ初の女性大統領になるかもしれない(?)ヒラリー・クリトン氏、女性として世界で初めてエベレストと七大陸最高峰を制覇した田部井淳子氏、そして本渥美国際交流財団の渥美伊都子理事長、が全員女子大の卒業生であることは偶然ではあるまい。

 

もちろん、女性リーダーを育てるということは、何も女性が社会に出たときに男性のようにバリバリ働くのではなく、「ゲームのルール」と土俵を変えることによって意識改革、環境改造を進め、社会、ひいては世界をより良い方向に導いてほしいという願いが込められているのです。このミッションが僕にあるからこそ、いま燃えるような大学教員生活を送っているわけです。その燃え方についての詳細は明日からバリ島で行われる第2回アジア未来会議で発表するので、ご興味のある方はぜひ来場して僕と意見・議論を交わしてください。さあ、いざ、バリ島へ!

 

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<Sim Choon Kiat(シム チュン キャット ) 沈 俊傑>

シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。昭和女子大学人間社会学部・現代教養学科准教授。SGRA研究員。著作に、「リーディングス・日本の教育と社会--第2巻・学歴社会と受験競争」(本田由紀・平沢和司編)『高校教育における日本とシンガポールのメリトクラシー』第18章(日本図書センター)2007年、「選抜度の低い学校が果たす教育的・社会的機能と役割」(東洋館出版社)2009年。

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2014年8月20日配信