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エッセイ428:川崎 剛「ウェストファリアの向こう側――第2回アジア未来会議のプールサイドから」

会議に参加する皆さんの2 日前にバリ入りして、ホテルのプールサイドで潮風を楽しんでいたら、ベルギーからやってきたヴォルフガング・パペさん(Dr. Wolfgang Pape)と知り合った。飛行機の便の都合で会議のだいぶ前に着いてしまったそうだ。欧州連合(EU)で長く働いた法律家。その日は夜遅くまで(プールサイドからバーに移って)、アジア(特に東北アジア)のことや欧州(特にEU圏)のことを話した。お酒抜きでウェルカム・ドリンクのチケットで出てきたトロピカルジュースを飲みながら。

 

国際情勢について、お互い勝手に意見をぶつけあったのだが、僕がウェストファリア条約に触れた時、パペさんの雰囲気が何となく変わった。少しだけ語気を強めて「ウェストファリアはもう古い。ウェストファリア体制は終わったんです」と語った。欧州統合で欧州人はウェストファリア体制のくびきから解放されたんだ‥、人々は自由に移動できる‥、世界は変わりつつある‥、アジアはまだかもしれないけれど‥。(それは正しい方向だという確信を彼に感じた。)

 

1648年にドイツのウェストファリアで三十年戦争の講和条約が結ばれた。これがウェストファリア条約として主権国家や内政不干渉などの原則をうたい、その後の国際法を規定したというのが、僕たちの理解だ。絶対主義も帝国主義も、米ソ冷戦も9・11ですら、見方はいろいろあるだろうが、ウェストファリア体制下の国際秩序のもとでの出来事だった、らしい。多くのアジア諸国も当然、何らかの形で欧米中心の国際秩序に組み入られ、その中で植民地時代を経験し、独立を達成し、そして新興国家として発展してきた。

 

パペさんが「ウェストファリアはもう終わった」と語った文脈は、欧州の秩序確定以来370年以上続いてきた西欧の国家主義は緩んで、融和に向かうEUの実験は後戻りすることはない、人類は欧州の達成をスタートラインにして、歴史を前に進めるんだ‥という意思を日本人(アジア人か)にもう一度思い起こさせたかったのだろう。EU圏内の「国境」はなくなり、統一通貨は実現した。ウェストファリア体制は次の何かに変わらねばならない‥。

 

2014年8月22日に始まった第2回アジア未来会議の基調講演に立ったのは、シンガポール外務省のビラハリ・コーシカン無任所大使(Bilahari Kausikan)だった。「数百年間にわたって途上国が西欧の価値と制度を基準として受け入れさせられてきた世界の再編が起きている。そして、その中心は中国であり、中国がどのように変化するにしろ、それは中国独自の特性を持つ変化だろう」。コーシカンさんは、中国のさまざまな「問題」を注意深く指摘しつつ、中国を中心にした新秩序を受け入れざるをえない東アジア(そして世界)の未来図を描いた。

 

ウェストファリア体制がなくなっても、世界には別のウェストファリア(のようなもの)ができてくるのかも知れない。まだ形はよくわからないけれど。

 

会議2日目の分科会では、「これからの日本研究」に参加した。10分もらったけれど早口なので、多分6分くらいで終わってしまったと思うが、「概論への意志」ということを話した。

 

SGRAに集まっている多くの若い学者が、スペシャリストであると同時にジェネラリストを指向し、早い段階で(協同でいいから)概論を試みること。新しく作られる概論は国際性、同時代性をきっと持つだろうこと。概論は一般の読者にアクセス可能な知の第一歩になりうるのではないか、ということ。

 

国際関係のもつれた糸をほぐす時に「歴史を忘れない」とよく言われる。その通りなのだが、最近僕はこうも考えるようになってきた。2015年は、日中・日米戦争に日本が負けてから70年にあたる。戦争をはさむ歴史を生きた人々はとても少なくなっている。そして、歴史を知らないことに不都合を感じなかったり(多い)、歴史を恣意的に解釈したりする人々(ときどきいる)が増えてきた。だから、歴史は思い出されるだけでなく、新しい世代によってリバイズされてもいいと思うのだ。(書き直すというと、誤解を招くだろう)。

 

村上春樹はさまざまな場所で、歴史について「集合的記憶」という表現を使っている。たとえば‥。

 

「僕らの記憶は、個人的な記憶と、集合的な記憶を合わせて作り上げられている」と天吾は言った。「その二つは密接に絡み合っている。そして歴史とは集合的な記憶のことなんだ。それを奪われると、あるいは書き換えられると、僕らは正当な人格を維持していくことができなくなる」(村上春樹『1Q84』BOOK 1、 pp. 459-460、2009年、新潮社)

 

プールサイドでパペさんと、欧州の諸国民がその予兆にまったく気づかないまま、泥沼にはまりこんでしまった第一次世界大戦の話になった。1914年のサラエボ事件から100年。パペさんは欧州で評判になっている本を紹介してくれた。「Christopher Clark, “The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914,” 2013, Penguin」。

 

  帰国後紀伊國屋で見つけたので買った。クリストファー・クラークはケンブリッジ大学の現代史(Modern History)の教授。細かい場面を精密に浮かび上がらせるとともに、大きな流れを読者にうまくつかませることに成功した、同世代人による見事な概論だと僕は思う(拾い読みしかしていないのだけれど)。欧州人は、「すべての戦争を終わらせるための戦争」と呼ばれた第一次世界大戦に、夢遊病者(sleepwalker)のようにさまよい歩いて入っていき、気がつくとそこから逃げることができなくなっていた。

 

歴史を生きた人々がいなくなる。歴史を新たに生きる者たちは、歴史を書き継ぐとともに、時々リバイズして、僕たちにわかり、僕たちに読める歴史を書かなければならないと思う。もし僕たちが夢遊病者だとしたら、目を覚ますために。今度若い人たちと歴史について話してみたい、と思っている。

 

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<川崎剛(かわさき たけし)KAWASAKI Takeshi>

元朝日新聞アジアネットワーク(AAN)事務局長。早稲田大学教育学部卒。朝日新聞の社会部員、外報部員、アメリカ総局員(ワシントン特派員)、ナイロビ支局長(アフリカ特派員)、外報部次長、オピニオン編集部次長、ジャーナリスト学校主任研究員などを歴任。1999-2000年スタンフォード大学ナイトフェロー。2010-11年マスコミ倫理懇談会東京地区幹事。2014年7月よりフリー。津田塾大学非常勤講師。

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2014年10月29日配信