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エッセイ426:葉 文昌「国旗」

今年のお正月に台湾へ帰国した時のことである。台湾の元旦では早朝に総統府前で政府主催の国旗掲揚大会があり、愛国的な人達が国内外から集まって、国歌を歌ったりして中華民国の新年を祝う。なかには中華民国の国旗をモチーフにした、鮮やかな藍、赤、白からなるマフラーなどの装着品を身に着けていたりする。

 

台湾ではこういうことが愛国的とみなされる。すでに国外へ移住している人達でも、この日に戻ってきて国旗を振って「愛台湾」とでも口にすれば、台湾の人々はこの人達を愛国者と認定する。または外国人がその場で国旗を振れば、写真がクローズアップされて翌日のニュースには「愛台湾的外国人」として報道されるであろう。

 

こういう光景を見ると、私は口先だけ「I love you」の軽い人間を思い浮かべてしまう。或は一昔前のドラマの中の「同情するなら金をくれ」の名セリフ。口先なら誰でもできる。でも国旗を全身に纏っていようが、感無量で涙を流して国歌を歌おうが、それは国を利する行為とは関係ないはずだ。

 

社会での役割を全うしていれば、それで社会に貢献していることになる。海外へ移住している人は台湾では働いていないのだから、彼らがお祭の時に戻ってきて愛国と主張しても私は共感できない。台湾で真面目に働いていれば、それは台湾の社会に尽くしていることになる。今や台湾の社会に貢献している人は、国籍が台湾とは限らない。外国人配偶者や外国人労働者も多くいる。外国人でも社会に求められて真面目にその役割を全うしていれば、それ以上の愛国はないと私は思う。

 

世の中では、象徴的で表面的なことばかりが礼讃されているようだと私は悲しい気持ちになる。象徴的で表面的なものが嫌いな私は台湾では国歌を歌いたくないし、国旗への敬礼もしたくない。もちろん、私に国や社会に対する愛がないわけではない。しかし、世の中でうわべで判断されている価値観から見ると、私は非国民のレッテルを貼られてしまうだろう。

 

私のこのような考えは日本で培った部分が大きい。日本が近隣アジア諸国と比べて国家の象徴に対して狂信的ではない所に日本社会の先進性を感じていた。しかし日本もここ数年で少し変化しているようである。今でも近隣諸国と比較して先進的であることは確かではあるが、冒頭で示した私が嫌う価値観に近づく方向へ進むのは、やはり後退と言える。

 

私も今や日本社会の一員となった。自分が所属する社会に貢献し、その発展を願っているのは言うまでもない。この先、グローバル化に伴って国際的な人々の往来が盛んになるのは確実である。日本に居住する外国人も、外国に居住する日本人も増えていくはずだ。このような状況の中では、国籍や人種はあまり意味を持たなくなりつつあると私は思う。どの国であっても、うわべの行動や、国籍や人種だけでその国や社会への忠誠を判断されることがないことを願っている。

 

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<葉 文昌(よう・ぶんしょう)Yeh Wenchang>

SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。2010年4月より島根大学総合理工学研究科機械電気電子領域准教授。

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2014年10月15日配信