SGRAプロジェクト

  • エッセイ555:ボルジギン・フスレ「ウランバートル・レポート2017年秋」

    日本・モンゴル外交関係樹立45周年記念事業の1つ――第10回ウランバートル国際シンポジウム「ユーラシアにおける日本とモンゴル」は、2017年8月26、27日に、モンゴル国立大学1号館円形ホールを会場として開催された。昭和女子大学国際文化研究所とモンゴル国立大学アジア研究学科の共催で、在モンゴル日本大使館、昭和女子大学、モンゴルの歴史と文化研究会、モンゴル大学院大学からご支援を頂いた。モンゴル、日本、中国、ロシア、カナダ、台湾などの国や地域からの90名余りの研究者が参加した。   日本とモンゴルの学術団体が共催するウランバートル国際シンポジウムは、2008年に発足してからこれまで9回おこなわれてきた。この9回のシンポジウムは、主催団体は何回もかわり、テーマもさまざまであるが、それぞれの特色があった。そのうちの数回のテーマは、日本とモンゴルの歴史や政治、経済、文化関係が中心となっていた。   一方、近現代ユーラシア地域の社会秩序の再編において、旧ソ連やアメリカ、イギリス、日本と中国はきわめて大きな役割を果たし、モンゴルも終始、独特の戦略的地位を占めてきた。冷戦後、「二大隣国中露のどちらにも偏らず、バランスのよい関係の構築と、日本や欧米といった第三の諸国との関係強化という多元的な対外政策を推進し、いかなる軍事同盟・連合にも加盟しない」ことは、モンゴルの対外政策の基本方針となっているが、2012年11月に、モンゴルは欧州安全保障協力機構(OSCE)に加盟した。より広い視野から、日モ関係をアプローチするという狙いがあって、わたしたちは、第10回ウランバートル国際シンポジウムのテーマを「ユーラシアにおける日本とモンゴル」とした。これは、日本・モンゴル外交関係樹立45周年にふさわしいテーマになっているのではないかと思う。   シンポジウムの日本での準備において、昭和女子大学国際文化研究所所員鈴木弘三氏、ウランバートル現地での準備において、モンゴル国立大学アジア研究学科長V. バトマー(V. Batmaa)や講師E.トグトン(E.Togtuun)、モンゴル国防大学国防科学研究所研究員L. バヤル(L. Bayar)諸氏の協力を得たことは、ここで特記しておきたい。これまでおこなった9回のウランバートル国際シンポジウムの内、ハルハ河・ノモンハン戦争をテーマとしたものは2回あり、私自身、同戦争や第2次世界大戦のアジアでの終結、日本人のモンゴル抑留の研究および現地調査において、多くのモンゴル軍事史研究者と知り合うことができ、協力を得た。今回のシンポジウムの開催においても、モンゴル国防大学国防科学研究所の関係者の協力を得た。また、今年、日本の防衛駐在官が初めてモンゴルに配置され、シンポジウム後の10月13日には、在モンゴル日本大使館において自衛隊記念日レセプションが開催された。モンゴルの地政学上の重要性が示されている。   8月25日の夜、在モンゴル日本大使高岡正人閣下は、昭和女子大学客員教授で、元外務省アジア太平洋局長、在中国、インド日本大使を歴任した谷野作太郎氏、北東アジア輸送回廊ネットワーク(NEANET)顧問、元在モンゴル日本大使花田麿公氏と私を大使館公邸に招いてくださった。食事をしながら、日モ関係や中国、ロシア、アメリカの影響力などについて歓談した。実は、昨年12月初め、在ロシア公使、在クロアチア特命全権大使などを歴任し、国際テロ対策・組織犯罪対策協力担当特命全権大使兼政府代表の井出敬二氏に招かれ、一橋大学名誉教授田中克彦先生と私は、高岡大使にお目にかかったことがある。今回、ウランバートルで招待され、嬉しかった。   8月26日午前中の開会式では、田中先生が開会の辞を述べ、モンゴル国立大学Ya.トムルバータル(Ya.Tumurbaatar)学長、高岡大使から挨拶と祝辞を頂いた。その後、一日半にわたり、研究報告がおこなわれた。今回のシンポジウムでは、招待報告12本に、公募報告18本から選ばれた9本(共同報告も含む)を加え、計21本の報告があった。   主な報告者は、以下の通りである。   谷野氏、花田氏、田中先生のほか、元在日本モンゴル大使フレルバータル(S. Khurelbaatar)、日本モンゴル学会会長、東京外国語大学名誉教授二木博史、ウランバートル大学教授D.ツェデブ(D. Tsedev)、内モンゴル大学教授チョイラルジャブ(Choiraljav)、モンゴル科学アカデミー教授O. バトサイハン(O. Batsaikhan)、台湾国立政治大学准教授藍美華(Lan Mei-hua)。   モンゴル国立大学アジア研究学科長V. バトマー(V. Batmaa)、同大学准教授B.ヒシグスフ(B. Khishigsukh)、講師B.オトゴンスレン(B.Otgonsuren)、ロシア科学アカデミー東洋学研究所日本研究センター長、主任研究員エレーナ・カタソノワ(Katasonova Elena)、モンゴル国防大学国防科学研究所研究員L. バヤル(L. Bayar)、フェリス女学院大学講師サミュエル・ギルダート(Samuel G. Gildart)。   東京外国語大学教授岡田和行、同大学客員教授G.ガルバヤル(G. Galbayar)、非常勤講師上村明、高知大学准教授湊邦生、モンゴル大学院大学教授Ts.プレブスレン(Ts. Purevsuren)、法政大学非常勤講師小林昭菜、在モンゴル日本国大使館専門調査員髙橋梢。   テーマとしては、主に歴史や政治、軍事、国際関係、文化という視点から、日本とモンゴルにおける歴史的であると同時に今日的であるできごとを取り込み、日モ関係、さらにはユーラシア地域の秩序をこれからどのように構築していくか等をめぐって、特色ある議論を展開した。報告の詳細は、別稿にゆずりたい。   27日昼の閉会式では、二木先生が今回のシンポジウムの成果をまとめ、残された課題を指摘し、閉会の辞を述べた。その後、シンポジウムの報告者は、ジューコフ記念館を見学してから、ウランバートル郊外のナイマン・シャラー・モンゴル軍キャンプを訪れた。青空のもとで、エメラルドグリーンの草原にトール川が曲がって流れており、白いゲルが点在し、軽い風のなか、数頭の馬や牛が草を食べながら、悠然と歩いている。見慣れたモンゴルの風景であるが、軍のキャンプなので、新鮮さが感じられる。みな、馬乳酒を堪能してから、馬に乗った。83才の田中先生もなんと馬に乗って走り、元気さを見せた。ナイマン・シャラー・キャンプを去って、さらにチンギス・ハーン騎馬像テーマパークを見学し、夕方ほぼ定刻通りにウランバートルに戻り、ナゴミ日本レストランで夕食をした。「午前中は知恵の満ちた議論、午後は夢のような大エクスカーション、夜は草原の都市で美味しい日本料理。これはなんと贅沢な旅だろう」と、ある参加者から感謝の言葉を頂いた。   本シンポジウムは日本・モンゴル外交関係樹立45周年記念事業の1つとして認定された。また同シンポジウムについては、モンゴル国の『ウドゥリーン・ソニン』や『オープン・ドア』、『ソヨンボ』、『オラーン・オドホン』紙、モンゴル国営放送局、TV5などにより報道された。   シンポジウムの写真   <ボルジギン・フスレ Borjigin Husel> 昭和女子大学国際学部教授。北京大学哲学部卒。1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、昭和女子大学人間文化学部准教授などをへて、現職。主な著書に『中国共産党・国民党の対内モンゴル政策(1945~49年)――民族主義運動と国家建設との相克』(風響社、2011年)、共編著『国際的視野のなかのハルハ河・ノモンハン戦争』(三元社、2016年)、『日本人のモンゴル抑留とその背景』(三元社、2017年)他。     2017年12月14日配信
  • エッセイ554:リンジー・モリソン「遠く険しい復興への道」

    2017年9月15日~17日、SGRAふくしまスタディツアーに参加し、今年の3月に避難指示解除が下りたのちの飯舘村の様子を観察してきた。私にとって2度目の参加で、約1年半ぶりの訪問であった。天気がよく、コスモスやススキが風にたなびく美しい飯舘村の秋の景色は、復興の兆しを見せ始めていた。村中に車が走り、新しい小学校の工事が始まり、村の人々が元通りの暮らしに戻れるように一生懸命努力していた。村民は、復興の道を日々着実に歩んでいる。それでも、村は完全に復興したとは決して言えない。帰還者はわずかの400人(震災前の人口の約6~7%)だけで、そのほとんどが60歳以上で無職の高齢者である。昼間だと人口は約1000人まで増えると聞いたが、村が復興するのには、村に住み、村で働く人が必要なのだ。   最初の日は、高橋日出夫さんの温室を見せてもらった。高橋さんは最高級の花を育てている農家で、スタディツアーの時は色とりどりのトルコキキョウとアルストロメリアが満開だった。花の美しさに魅了された参加者が大いに盛り上がったことは一つの良い思い出となったが、一番印象深かったのは高橋さん自身の話であった。避難の6年間、高橋さんは福島市で農地を借りて野菜などを育てていた。「やっぱり農家は何かを育てていないと気が済まない」と気さくに話してくれた。避難指示解除が下りてから、高橋さんはいち早く飯舘村に帰ってきた。なぜなら、「自分の生まれた土地の景色がいい」と語った。ふるさとの空と星はまるで自分のもののようで、よその空にはどうしても馴染めない、ということだった。それだけ高橋さんはふるさとの飯舘村を愛し、自分の一部として認識している。人間と自然の共存と融合。それこそ農家の生き方、また世界観なのだろう。高橋さんは、マスコミが来るたびに村民たちから辛い話ばかり求めてくるが、「私は戻れてすごく楽しい」と明るく話していた。   高橋さんの話を聞いて安心した参加者は私だけではないだろう。でも、高橋さんのように思う人はそれほど多くないのもまた事実である。高橋さんは帰還した6~7%に含まれる1人だが、言うまでもなく高橋さんのような人は少数派のまた少数派だ。マジョリティーの93~94%は自分たちのふるさとについてどう思っているのか、その話を聞くことができないのでわからない。帰還する人と、帰還しない人の違いは何だろう。一つは年齢である。帰還しない村民の多くは若い人で、すでに都市部で新しい生活を始めている。スタディツアーの間、帰還者が何度も話したように、原発事故の一番大きな悲劇は放射能汚染よりも、家族がバラバラになってしまったことであろう。事故前からも飯舘村を脅かしていた少子高齢化と過疎化は、事故によってさらに拍車が掛かったのである。   日本の地方の過疎化は、ずいぶん前から懸念されている問題である。政府は過疎化を防止すべく、過疎地域の復興や雇用の増大に努めたり、大学生が都会に集まりすぎないように都市部の大学を規制したり、文化庁を京都に移転させたり、さまざまな対策を講じてきたが、ほとんど効果が見られない。人口はどんどん3大都市に集中する一方である。その意味では、高齢者ばかりになってしまった今の飯舘村は、日本の地方の行く末を暗示しているのかもしれない。   スタディツアーの2日目は明治時代に造られた校舎に集まり、村の長老である菅野永徳さんの話を聞いた。菅野さんの話によれば、飯舘村が直面している問題の中で、若い世代がいないことがもっとも深刻である。今、飯舘村が抱えている問題は科学技術や政治関連のことよりも、文化の問題だという。若い人たちは伝統的な生活を後にして、便利さを求めてどんどん都市部に流れていく。   上の世代、特に農家の人たちにとっては、こうした世代間の考え方のギャップには理解しがたいものがある。農家は先祖代々の土地を耕して守るのが生活基盤であり、また生きがいでもある。途切れずに続いてきた伝統の中に自分が位置づけられ、自分と家の存在意義がある。だから、代々守ってきた土地を耕す人がいなくなったら、それは土地が荒れるだけでなく、自分たちの存在意義が失われかねないことをも意味しているのだ。高橋さんのようにふるさとの空や星が自分のものだと思っている人たちにとって、何十年、何百年もの伝統と、ご先祖様が見守ってきたふるさとの山川が荒れていくことほど苦しいことはないだろう。そうした状況の中、村民は絶えず村の将来を考えて、心配している。次の世代に何を残すかが、今後の大きな課題らしい。   その古い校舎の中で、菅野さんは「これからどうすればいいのか」と訪問者に問いかけた。正直、私にはわからない。私は政治家でもアクティビストでもない。この問題はどうすれば止まるのか、そもそも止められる問題かどうかもわからない。私は日本人のふるさと観を研究する者でありながら、日本のふるさとの行き先が見えない。冷たい畳の上に立って、自分の無力さを痛感した。   それでも、私は来年も、その翌年も、そしてその次の年も、飯舘村に行きたいと思う。何もできないかもしれないが、村を見て、村民たちと話して、引き続き村人の声を自分のまわりに届けていきたい。1人でも多くの人が飯舘村の村民の思いに触れ、そこに足を運んでくれることを願って。   <リンジ―・レイ・モリソン Lindsay Ray Morrison> 2016年度渥美奨学生。2017年に国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程を修了し、現在は武蔵大学人文学部助教。専門は日本文化研究。日本人の「ふるさと」意識の系譜について研究している。   スタディツアーの報告     2017年12月7日配信  
  • エッセイ553:李鋼哲「決して忘れてはならない福島の『原発被害』」

    今回のSGRA福島スタディツアーは第6回であったが、私は5回も参加した(2回目は大学の講義と重なったため参加できなかった)。第1回は福島原発事故の翌年、2012年10月19~21日であった。   なぜ、私は5回も参加したのか?それも東京と違って500キロ以上離れた金沢から。まだ金沢―東京の北陸新幹線(2年前に開通)もない時から、5、6時間以上をかけて福島へ行ったのか。   第1回目はSGRA「構想アジア」研究チーム代表として責任を感じて参加したこと、そして自分の目で初めて見て体験した、日本で一番美しい村のひとつに指定された飯舘村の「原発被害」の惨状と、村民が如何にそれと戦うのかを確認し、その「までい精神」に学ぶために毎年福島へ行くのだと言ったら、読者に納得してもらえるのだろうか?そして、ふくしま再生の会の田尾陽一さんや飯舘村の菅野宗男さんとの出会いがあり、回を重ねてお会いして一緒に活動するうちに、なんか再生の会や飯舘村のみなさんが「親戚」みたいに感じられ(私は「情」に弱い人間である<笑>)、お会いすると嬉しくなり、里帰りした感覚になり、ツイツイ行きたくなるのである。5年前に私が書いたレポートの最後に、「福島よ、忘れさせない!」と誓ったからかも知れない。   今回のツアーは前4回と違って、今年3月の政府の「避難指示の解除」により、避難していた人々の一部が自分の家(先祖代々生きてきたふるさと)に帰ることができたので、その帰還実態をこの目で見て確認したかった。そして帰還した人々の喜びや残っている悲しさも感じ取りたかった。帰還事業の実態についてはほかの参加者も取り上げるだろうから、ここでは日本国民や日本国政府がこの震災被害とは違う「原発被害」にどう対応しているのかについて、私見を述べたい。   みなさん覚えているだろうか?東日本大震災が起こった年の流行語は「絆」だった。しかし、日本国民の中に「絆」は本当に生まれたのだろうか?いまでも福島の震災、原発被害を真剣に考えている人、それをもとに国の政治(選挙)にかかわる人々はどれぐらいいるのだろうか?「原発反対」運動で国会周辺デモが続いたことを覚えているだろうか?運動疲れで今はデモどころか、原発反対運動も下火になっているのではないか?今度の国政選挙でも2年前の国政選挙でも、原発を推進する自民党が圧勝する現象をどのように見るべきなのであろうか?もちろん、義捐金を贈った人、ボランティア活動に参加した人々は大勢いた。しかし、福島に行ったら危ない、福島産のコメや野菜、果物は避けておいた方がいいと、風評被害のために農産物があまり売れない状況は改善しているようには思えない。私は今度も福島産の梨を3箱買って東京や金沢の友人にお土産で渡し、もっと福島に関心を持つよう呼びかけた。しかし、日本全国でみれば、福島との「絆」は切れているのではないかと感じる。   一転政府の対策に目を向けると、2020年の東京オリンピックを念頭に、政府と政策批判能力に欠けているマスコミは一所懸命に「原発被害」を打ち消そうとしているのではないか?今の政権は国内で原発を推進する姿勢を保持するだけでなく、ベトナムやインドなどで原発建設を推進するという、時代に逆行する政策を実行しているのではないか?もちろん名目はアベノミクスの推進である。日本の技術をもってアジアの市場で金儲けをしたい、そして日本の強い経済を取り戻したいという理由だろう。これに対するマスコミの批判もあまり見られないのが現状である。また、政府復興庁が今年の3月に作成した『復興6年間の現状と課題』というレポートに、「2020年東京オリンピック・パラリンピックで、復興を成し遂げつつある姿を世界に発信できるよう〔復興五輪〕を推進」と書かれており、如何に復興が終息に近づいているかだけを強調している。そこには「原発被害」は一言も書かれていない。国民の目を逸らすのが目的であろう。   復興政策について、山下祐介・首都大学東京准教授は「誰も語ろうとしない東日本大震災〔復興政策〕の大失敗」という論評(講談社『現代ビジネス』インターネット版で次のように「復興の失敗」を厳しく批判している。   ・・・・・・・・・・・・・   しかもそこに、色々な体面や面子さえ働いている。とくに原発事故についてはその傾向が強いようだ。東京オリンピックの誘致にあたって、安倍首相が福島第一原発についてとくに触れたことはまだ多くの人の記憶に残っているはずだ。   「原発事故の日本」というイメージを早く払拭したいという海外に向けた体面が、帰還政策の根源にはありそうである。そこには、原発事故をいつまでも抱えていてはこの国の経済に悪影響が及びかねないという経済界の懸念もあるようだ。   また、海外に向けた体面とともに、国内における被災自治体の立場にも触れておくべきかもしれない。事故から5年が経ち、被災地ではこの復興を失敗だということは、面子としても難しい。とくに福島県が「福島の安全」をことさら強調し、例えば風評被害の阻止に専心するのも、どこかで「安全だ」と言わねばならない難しい立場があるからだ。そこに現に暮らしがある以上、「今は心配ない」「不安に考える必要はない」と強調するのはおかしなことではない。だがこの被害は実害であり、そのこともまた認識しているから、「イチエフは止まってはいない」「フクシマは終わっていない」「福島の現実を知ってくれ」という主張も同時に行われている。   しかしこれに対して暮らしの安全性を強調し、福島の生産物への風評被害撲滅をことさら運動することは、結果として被災地の安全性までも肯定することにつながり、政府の帰還政策を正当化して、帰還しない人々はその安全宣言に逆らっているのだという論理にまで行き着いてしまう。福島県や県民自身が、政府や東京電力の責任逃れを助長している面が否めない。   結局、復興と称して多額の金をつぎ込みながら、現地復興には何ら寄与せず、被害者を守ることにさえ失敗し、大規模な土木事業を再開して、公共事業国家に先祖返りしてしまった。   さらには、まさに原発事故が起きたことによって長らくの懸案であった放射性廃棄物の収容地が登場し、原発政策を整合的に動かしていく道筋がついに見えてきた――。原発事故が原発政策を肯定し、完結させる。そういう形にまで事態は展開しそうである。   被災地・被災者のために始まったはずの復興政策が、全く別の人々に恩恵を与える形で、当初の向きとはまったく違う方向へと早い時期に舵を切ってしまっている。   ・・・・・・・・・・・   以上、復興政策の失敗に対する批判を長文で引用したが、上記の復興庁のレポートを見てみると、復興政策の成果をアピールするのに一所懸命で、そこには「原発被害」については一言も触れていないことは真実を曲げることであり、国民を欺瞞しているとしか思えない。政府(中央政府と地方自治体)も国民も「原発被害」の教訓から何も学びとっていないのは情けないことである。このままでは「美しい日本」を目指すことができないであろう。   最後に、改めて「福島よ!忘れさせない!」という言葉で結びたい。(2017年10月30日)   <李鋼哲(り・こうてつ)Li Kotetsu> 1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学大学院経済学研究科博士課程中退。東北アジア地域協力を専門に政策研究に従事し、2001年より東京財団研究員、名古屋大学研究員、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、06年現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を中心に国際舞台で精力的に研究・交流活動に尽力している。SGRA研究員および「構想アジア」チーム代表。近著に『アジア共同体の創成プロセス』(編著、2015年4月、日本僑報社)、その他論文やコラム多数。   ※スタディツアーの報告     2017年11月30日配信
  • エッセイ551:レティツィア・グアリーニ「『共苦』から新たな震災後文学が生まれる?―福島県南相馬市に移住した柳美里を中心にー」

      ・・・・・・ (中略)南相馬に転居した、もうひとつの動機は、「共苦」です。 東日本大震災以降、「絆」「がんばろう」「寄り添う」という言葉があふれ返りました。どれも同情や善意に根差した言葉ですが、同情や善意というのは、外側から差し伸べられるものなんですね。 苦しんでいる人の苦しみは、その人自身のもので、他者であるわたしに同じ苦しみを苦しむなんてできっこない。 けれど、その苦しみに向かって自分を開くことはできます。 (柳美里『人生にはやらなくていいことがある』より) ・・・・・・   東日本大震災を契機に様々な意味で日本文学が動いたといえるでしょう。3・11以降、「震災後文学」というカテゴリーが誕生し、原発問題、政権への批判、放射線による生物の変容、復旧や復興などのテーマに焦点を当てる作品が次々に現れました。「震災後文学」を論じる著書やその翻訳の数もまたおびただしいです。東日本大震災以降、日本現代文学が新たな方向へと動いたと言っても過言ではないでしょう。   また、その「動き」は、文学と様々な行動や運動の繋がりにおいても見ることができます。ここで3つの例をあげてみましょう。2012年4月に、早稲田文学をベースとしたチャリティ・プログラムのために書きおろされた短篇やそれに付随して行われた座談・対談などが収められている『早稲田文学 記録増刊 震災とフィクションの“距離”』が出版されました。その著書が英語をはじめ、中国語、韓国語、イタリア語などに訳され、世界中から東日本大震災のための寄付が集まりました。また、2012年10月に、文学者が発表する場を利用し、原発問題を伝え続ける必要性を強調する「脱原発社会をめざす文学者の会」が発足しました。さらに、2015年に日本外国特派員協会で「原発がない世界を実現するほかない。声を発し続けることが、自分にやれるかもしれない最後の仕事だ」と語ったノーベル賞作家の大江健三郎の言葉は海外でも大きな反響を呼びました。   東日本大震災をもって、もうひとつの意味においても日本文学が動いたと思われます。つまり、作家たちが移動したのです。福島第一原発の事故を機に避難をめぐる問題は福島県だけではなく、あらゆる地域で起こっていました。芥川賞作家金原ひとみをはじめ、放射能汚染を心配しているが故に東京から関西へ避難した作家たちも少なくありませんでした。柳美里もその一人でした。   インタビューで語っているように、柳美里は「子どもの安全を確保するためにできるだけ遠くへ避難させたい」という母親としての気持ちに動かされ、2011年3月16日に鎌倉から大阪へ向かいました。しかし一方、「今すぐ福島に行きたい」という物書きとしての気持ちもあったとか。同年の4月に鎌倉に戻った柳美里は、そこから地元の人々の話を聴くために福島県に通い始めました。そして、2015年4月に南相馬市へ移住することにしたのです。いったい何故その決心に至ったのでしょうか?   「住みたいけれど住めない」「住みたくないけど住むしかない」…原発事故とそれに伴う放射能汚染の問題が「住む」という問題に密接な関係を持っているのです。人によって故郷との絆が様々であり、その苦しみを理解するためにはそれぞれの人の声に耳を傾けるべきだ、と柳美里は主張しています。しかし、よそに住みながらその苦しみを聴いているうちに柳美里は違和感を覚え、地元の人々の痛苦を共感するためには、同じ土地を踏み同じ空気を吸わなければならないと覚りました。作者の言葉を借りると、「共苦」が必要だったのです。   では、その共苦から何が生まれるのでしょうか? 今まで書かれてきた「震災後文学」は、「書けない自分」あるいは「無力な自分」にフォーカスを当てた作品が多いです。しかし、柳美里はまた違う形で物語を作ろうとしていると思われます。2016年12月まで、臨時災害放送局・南相馬ひばりエフエム(南相馬災害エフエム)の「ふたりとひとり」というラジオ番組において、柳美里は450人の地元の人々を取材してきました。それらの物語については作者が以下のように語っています。   ・・・・・・ 外から聴いた声ではあるけれど、いったん身体に取り入れて何日か経つと、いきなり内から声を聴くことがあります。そして、彼、彼女の痛苦が身体のそこから湧き上がり、彼、彼女が体験した光景が自分の記憶であるかのように広がる― ・・・・・・   柳美里はエッセイやインタビューにおいて南相馬市における生活を語っているものの、フィクションという形で福島県の人々の物語はまだ綴っていません。が、「同情」や「善意」、つまり外側から差し伸べられるものを捨て、共に苦しむ道を選んだ作者は、地元の苦痛とともにその希望や笑顔をいつか物語化し世界へ伝えてくれることを大いに期待しています。   〇参照文献 柳美里『人生にはやらなくていいことがある』ベストセラーズ(2016年) 「福島県南相馬市に移住した柳美里さんインタビュー」『通販生活』https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/150908/ (参照2017-10-23)   <レティツィア・グアリーニ Letizia GUARINI> 2017年度渥美奨学生。イタリア出身。ナポリ東洋大学東洋言語文化科(修士)、お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科(修士)修了。現在お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科に在学し、「日本現代文学における父娘関係」をテーマに博士論文を執筆中。主な研究領域は戦後女性文学。     2017年11月16日配信  
  • ジャクファル・イドルス「飯舘村復興の現状と課題ー第6回SGRAふくしまスタディツアー報告」

    2017年9月15日(金)の早朝、北海道の上空を北朝鮮から発射されたICBM(ミサイル)が通過することを知らせる不気味な警報音が日本列島に響きわたった。その直後、私たちSGRAのメンバー16名は東京駅から新幹線で福島の飯舘村に向けて出発した。渥美財団主催のSGRAふくしまスタディツアーは、2011年3月11日に発生した大震災による巨大な津波が日本の東北地方を襲い、福島原子力発電所事故に起因する放射能汚染など、世界史上稀に見る災害に対する復興状況を視察し学ぶことを目的に2012年にスタートした。とくに、放射能汚染で全域が避難を余儀なくされた飯舘村に焦点を当てて、毎年、村の復興の状況について現地に出向いて観察を行ってきた。今回を含めると6回目のツアーとなるが、私自身は3回目の参加である。   今回のツアーには、日本人だけではなく、インドネシア、韓国、中国、ガーナ、イタリア、スウェーデン、カナダ、ネパール、アメリカからのメンバーの参加があった。飯舘村はこの4月に住民の避難区域から解除されたため、村民の帰還が始まり、新しい村づくりが動き出した。私たちは飯舘村の変化の現状を直接目で見て、また村の人々と交流することによって、新しい村づくりの取り組みの状況とその困難な課題について理解を深めたいと願っていた。それが今回のツアーの重要な目的であった。   私が前回の2015年に訪れた時の飯舘村の光景を今でも鮮明に覚えている。当時、村はまだ避難区域に指定されており、そのため放射能汚染を除染する作業員以外は、ほとんど人を見かけることはなかった。あちらこちらに空き家として放置された家々は雨風に打たれてボロボロの状態で、どこを見ても悲惨な光景が広がっていた。今でも、多くの家々はいまだ空き家の状態であるし、家の周辺や田畑のあちこちに、除染土を詰めた黒い袋(フレコンバック)が山のように積み上げられている。   しかし、今回飯舘村に入ってみると、前回とは違う光景が私の目に飛び込んできた。ボロボロであった被災家屋のうち帰還を決意した人たちの家は、新しく建て替えられ、真新しい農業用のビニールハウスが点在していた。田んぼには緑の酒米が広がっている。この光景の変化は新しい村づくりが既に始まっていることを私に強く感じさせた。今までの被災地の暗いイメージは変わろうとしていた。   村民の一人であり、「ふくしま再生の会」の副理事長でもある菅野宗夫さんの話を聞き、新しい村づくりの問題はそんなに単純ではないことを私たちは知るようになる。菅野さんが語った「村は避難区域から解除され、村民の帰宅は可能となりましたが、村は様々な困難に直面しています。その様々な問題と困難とは何なのか、皆さんに実際にその目で見て、体で感じて欲しいのです」というお話こそ、私たちSGRAふくしまツアーの目的そのものであった。   飯舘村総務課長によれば被災前には約6000人であった村の住民の内、現在村に戻ってきたのはわずか400人に過ぎない。しかもそのほとんどは高齢者であり、大多数の村民は村外から昼間村に通っている状況にある。今後村が元の姿に戻るには、住民帰還に向けた環境の整備のための数多くの解決困難な問題を克服していかなければならない。   今回のツアーでは、数多くの施設を見学し、新しい村づくりに努力する人々からも話を聞くことができた。そのいくつかの状況について簡単に報告したい。   (1)老人ホーム 震災以前に建てられた立派な建物は、震災による被害はなかったため、現在も使用可能である。しかし、看護師や介護師の数が大幅に不足しているため、それを維持し、充実させるには困難な状況が続いている。   (2)メガソーラーパネル 村の西側地区に田や畑に代わって、東京の大企業の大規模なメガソーラーパネルが設置されている。これは新しい村づくりのひとつの試みとも考えられるが、私には村の美しい自然との調和という点で、率直に言って違和感を覚えた。飯舘村の人々の生活に新たな問題となることがないよう願っている。   (3)花作り 農家の高橋さんの花作りのビニールハウスを見学し、高橋さんの力強い話を聞いた。このような村に戻ってきた人たちの未来に向けた一人一人の努力が村の発展の基礎であることを強く感じさせられた。困難を克服しようという高橋さんのエネルギーには少なからず感動を覚えた。   (4)道の駅「までい館」 「までい館」は飯舘村の復興のシンボルとして、国の重点支援を受けて作られた施設である。村内には、まだ以前のような商店は無く、帰ってきた村民の生活環境の向上や交流の場として、コンビニ、農産物の直売、軽食コーナーなどの施設の充実が図られている。このような施設がさらに発展して、村外からの人々も集まるようになることを期待したい。   (5)マキバノハナゾノ 上述の高橋さんの花作りとは別に、「花の仙人」と呼ばれている大久保金一さん(76才)の花園を見学した。夢のある大きなプロジェクトで、放射能汚染の被害を受けた山の中腹や水田を利用して水仙や桜などを植えていく大規模な花園作りが試みられている。ボランティアの若者グループも協力しているそうで、とても76才とは思えないエネルギーには驚かされた。ここが近い将来、復興のシンボルとして飯舘村の名所になるに違いない。   (6)宗教施設 山津見神社を見学した。ここで偶然飯舘村の村長と出会い、村の現状について話を聞くことができた。 私は村の復興にとって宗教の存在は非常に大きいと思う。とくに日本の社会はその伝統的な習慣や祭りなど、神社や寺院と密接に結びついてきた。私はインドネシア人でイスラム教徒であるが、インドネシアでも被災の復興では宗教が重要な役割を担う。   今回のSGRAふくしまツアーでは、飯舘村の人々と心暖まる数多くの交流ができ、又多くのことを学ぶことができた。ご協力をいただいた皆さまに心から感謝申し上げます。避難区域から解除されたことは新しい出発点に立ったことであると思う。私も飯舘村の明るい未来を信じて、これからも強い関心を持ち続けていきたいと思う。   ツアーの写真   <M. ジャクファル・イドルス  M. Jakfar Idrus> 2014年度渥美奨学生。インドネシア出身。ガジャマダ大学文学部日本語学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科に在籍し「国民国家形成における博覧会とその役割ー西欧、日本、およびインドネシアを中心としてー」をテーマに博士論文執筆中。同大学21世紀アジア学部非常勤講師、アジア・日本研究センター客員研究員。研究領域はインドネシアを中心にアジア地域の政治と文化。     2017年11月10日配信
  • 第11回SGRAチャイナ・フォーラム「東アジアからみた中国美術史学」へのお誘い

    下記の通りSGRAチャイナ・フォーラムを開催いたします。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。 ※お問い合わせ・参加申込み:SGRA事務局(sgra-office@aisf.or.jp, 03-3943-7612)   テーマ: 「東アジアからみた中国美術史学」 日 時:  2017年11月25日(土)午後2時~5時 会 場:  北京師範大学後主楼914 主 催:  渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA) 共 催:  北京師範大学外国語学院、清華東亜文化講座 助 成:  国際交流基金北京日本文化センター、鹿島美術財団     ◇フォーラムの趣旨   作品の持つ芸術性を編述し、それを取り巻く社会や歴史そして作品の「場」やコンテキストを明らかにすることによって作品の価値づけを行う美術史学は、近代的社会制度の中で歴史学と美学、文化財保存・保護に裏打ちされた学問体系として確立した。とりわけ中国美術史学の成立過程においては、前時代までに形成された古物の造形世界を、日本や欧米にて先立って成立した近代的「美術」観とその歴史叙述を継承しながらいかに近代的学問として体系化するか、そして大学と博物館という近代的制度のなかにいかに再編するかというジレンマに直面した。この歴史的転換と密接に連動しながら形成されたのが、中国美術研究をめぐる中国・日本・アメリカの「美術史家」たちと、それぞれの地域に形成された中国美術コレクションである。このような中国美術あるいは中国美術史が内包する時代と地域を越えた文化的多様性を検証することによって、大局的な東アジア広域文化史を理解する一助としたい。     ◇プログラム 総合司会:孫 建軍(北京大学日本言語文化学部)   【問題提起】林 少陽(東京大学大学院総合文化研究科)   【発表1】塚本麿充(東京大学東洋文化研究所) 「近代中国学への架け橋 ―江戸時代の中国絵画コレクション―」   【発表2】呉 孟晋(京都国立博物館) 「漢学と中国学のはざまで―長尾雨山と近代日本の中国書画コレクション―」   【円卓会議】 進 行: 王 志松(北京師範大学) 討 論: 趙 京華(北京第二外国語学院文学院) 王 中忱(清華大学中国文学科) 劉 暁峰(清華大学歴史学科) 総 括: 董 炳月(中国社会科学院文学研究所)   同時通訳(日本語⇔中国語):丁莉(北京大学)、宋剛(北京外国語大学)   ※詳細は、下記をご参照ください。 プログラム(日本語) プログラム(中国語)     ◇開催経緯と過去3回のチャイナ・フォーラム   公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)は、清華東亜文化講座のご協力を得て、2014年から毎年1回、計3回のSGRAチャイナ・フォーラムを北京等で開催し、日中韓を中心とした東北アジア地域の歴史を「文化と越境」をキーワードとして検討してきた。   2014年の会議では、19世紀以降の華夷秩序の崩壊と東アジア世界の分裂という歴史的背景のもとでつくられた近代の東アジア美術史が、歴史的な美術の交流と実態を反映していない「一国美術史」として語られてきたという問題を提起し、この一国史観を脱却した真の「東アジア美術史」の構築こそ、同時に東アジアにおける近代の超克への一つの重要な試金石となることを指摘した。(佐藤道信:「近代の超克―東アジア美術史は可能か」)   一方、「工芸」は用語の誕生から制度としての「美術」の成立と深い関係にある。アジアにおいては、陶磁器や青銅器や漆器などを賞玩してきた歴史があり、工芸にはアジアの人々が共感しうる近代化以前の生活文化に根差した価値観が含まれているが、近代では「美術」の一部とみなされる。「美術」と「工芸」は、漢字圏文化と西洋文化との関係および葛藤を表していると同時に、日中両国のナショナリズム、国民国家の展開や葛藤とも深い関係にあることが確認された。(木田拓也「工芸家が夢みたアジア:<東洋>と<日本>のはざまで」)   2015年の会議では、古代の交流史と対比して「抗争史」の側面が強調される従来の近代東アジア史観に対して、実際の近代日中韓三国間において、「他者」である西洋文化受容と理解という目的のもと、互いの成果・経験・教訓を共有する多彩多様な文化的交流が展開し古代にも劣らぬ文化圏を形成していたことを踏まえ、改めて交流史を結節点とした見直しの重要性を確認した。(劉建輝:「日中二百年-文化史からの再検討」)   2016年の会議では、近代に成立した国民国家の文化的同一性のもとに収斂された「一国文化史」という言説の虚構性や恣意性を明らかにした。いわゆる中間領域に存在する作品が内包する文脈から、「モノ」の移動にともなって生まれた多様な価値観と重層的な歴史と社会の有様が認識でき、文物が国家に属するという従来の既成概念を取り去り改めて文物の交流を起点に大局的な文化(受容)史観を構築することの重要性を指摘した。(塚本麿充:「境界と国籍-“美術”作品をめぐる社会との対話―」)   次いで文学史からは、近代の日中外交文書における漢字語彙の使用状況とりわけ同形語の変遷をたどり、日本語から新漢字を輸入することによって古い漢字語彙から近代語へと変容していく現代中国語の形成過程から、ひとつの言語が存立するにあたり、実際の語彙の移動と交流に依拠する多層性と雑種性を持ちうることを明らかにした。(孫建軍:「日中外交文書にみられる漢字語彙の近代」)   それぞれの報告から、「国境」や「境界」というフレームに捉われない多様な歴史事象の存在を認識し、改めて「広域文化史」構築の可能性とその課題を浮き彫りにした。
  • 第2回東アジア日本研究者協議会へのお誘い

    東アジア日本研究者協議会は、東アジアの日本研究関連の学術と人的交流を目的として、2016年に発足、韓国・仁川で第1回国際学術会議が開催され、続いて本年10月末には第2回が中国・天津で開催されることとなりました。SGRAからは「日本の植民地支配下の東アジアにおけるメモリアル遺産」「おぞましき女性の行方-フェミニズム批評から読む日本昔話-」「戦争・架け橋・アイデンティティ~近代日本と東アジアの文化越境物語~」の3パネルが参加します。   歴史的な壁のため、さらに東アジアでは自国内に日本研究者集団が既に存在することもあり、国境・分野を越えた日本研究者の研究交流が妨げられてきた側面があります。東アジア日本研究者協議会は日本研究の質的な向上、自国中心の日本研究から多様な観点に基づく日本研究への志向、東アジアの安定と平和への寄与の3つを目的としています。SGRAも同協議会の理念に賛同して共同パネル参加をします。これを機会に皆様のご参加やご関心をお寄せいただければ幸いです。   第2回東アジア日本研究者協議会 国際学術大会 日 時:   2017 年 10 月 27 日(金)~ 29 日(日) 会 場: 中国天津賽象ホテル(天津賽象酒店、天津市南開区華苑産業区梅苑路8号) 主 催: 東アジア日本研究者協議会 共 催: 南開大学(中国・天津)   ——————————————————————————————— SGRAより参加の3チーム 「日本の植民地支配下の東アジアにおけるメモリアル遺産」 「おぞましき女性の行方─フェミニズム批評から読む日本神話および昔話─」 「戦争・架け橋・アイデンティティ~近代日本と東アジアの文化越境物語~」 ———————————————————————————————   ◆「日本の植民地支配下の東アジアにおけるメモリアル遺産」   趣旨: 20世紀前半期において、東アジアのほとんどの地域は日本の植民地支配を受けた。これは関係する国と地域にとって不幸な歴史であったことはいうまでもないが、日本の支配が敷かれていたこれらの地域においては、人と物の流れが加速し、日本の近代化の経験による各種の社会整備、調査記録や記念物が形として残された。また戦後70年間において、これらのメモリアル遺産は東アジアを取り巻く複雑な関係性のなかでその存在が直視され、議論される場は多くなかったように思われる。本セッションでは、戦後の視点に立ってこれらのメモリアル遺産の歴史的広がりやそれがもつ現代的な意味を議論したい。   パネル詳細   発表者: ◇ユー・ヤン グロリア(コロンビア大学大学院/東京大学大学院) 「実像か幻像か:満洲の視覚資料の見方や眼差しの再考」 (発表要旨)   ◇鈴木恵可(東京大学大学院) 「再展示される歴史と銅像―台湾社会と植民地期の日本人像」 (発表要旨)   ◇ブレンサイン(滋賀県立大学教授) (発表要旨) 「満鉄と満洲国による農村社会調査について」   討論者: マグダレナ・コウオジェイ(デューク大学大学院/早稲田大学大学院) 張 思(南開大学教授)   司 会: 李 恩民 (桜美林大学教授)     ◆「おぞましき女性の行方─フェミニズム批評から読む日本神話および昔話─」   趣旨: 本パネルは、日本昔話と神話において棄却された女がどのように語られ、また、現代作家によってどのように語り直されているかについて、フェミニズムの観点から批判的に分析を試みる。 神話と昔話は、それらを語り継ぐ文化の世界観や信仰などを反映するし、人間存在の根本的な課題やモチーフを表す一方、ジェンダー差別のような社会問題をも明らかにする。なぜなら、神話や昔話は文化の価値観を継承させるためだけではなく、女性抑圧のような社会規範を正当化するためにも、永きに渡って伝承されてきたからである。そのため、聞き慣れた昔話と神話を批判的に読み直す必要があるだろう。本パネルは日本神話と昔話──その原文と現代作家によって語り直された作品を、フェミニズムの観点から再考し、家父長的な要素を脱構築する。   パネル詳細   発表者: ◇リンジー・モリソン(武蔵大学人文学部英語英米文化学科助教) 「暗い女の極み 日本昔話の「蛇女房」におけるおぞましき女性像をめぐって─」 (発表要旨)   ◇フリアナ・ブリティカ・アルサテ(国際基督教大学ジェンダー研究センター研究所助手) 「神話の復習と女性の復讐──桐野夏生の『女神記』をフェミニズムから読む──」 (発表要旨)   討論者: レティツィア・グアリーニ (お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科) シュテファン・ヴューラー(東京大学大学院総合文化研究科)   司  会: 張 桂娥(東呉大学日本語文学系副教授)     ◆「戦争・架け橋・アイデンティティ~近代日本と東アジアの文化越境物語~」   趣旨: 戦前の日本と東アジアとの関係は、戦争や植民地支配に集約される場合がしばしば見られる。そのため、戦前における日本と東アジアとの民間レベルの社会・文化交流の架け橋を担っていた人々とそのストーリーはよく軽視されてしまう。本セッションではあの激動の時代において戦争を超える日本と中国・東アジアの民間レベルの交流物語を取り上げ、国境や戦争を超える東アジアの文化交流の意味を検討する。   パネル詳細   発表者: ◇林 泉忠(台湾・中央研究院副研究員) 「知られざる『旅愁』の越境物語~戦前東アジア文化交流の一断章~」 (発表要旨)   ◇李  嘉冬(上海・東華大學副教授) 「近代日本の左翼的科学者の中国における活動~上海自然科学研究所員小宮義孝を例に~」 (発表要旨)   討論者: カールヨハン・ノルドストロム(日本・都留文科大学講師) 篠原 翔吾(北京・在中国日本国大使館専門調査員)   司 会: 孫 建軍(北京・北京大学副教授)  
  • イザベル・ファスベンダー「第10回SGRAカフェ『産まれる前から死んだ後まで頑張らないと?』報告」

    去る7月29日(土)「産まれる前から死んだ後まで頑張らないと?「妊活」と「終活」の流行があらわすもの」というテーマで第10回SGRAカフェが開催されました。年齢、性別、肩書を越えて、幅広く、60名を超える方々にお越し頂き、プレゼンターの一人としてとても嬉しかったです。「妊活」と「終活」についての30分ずつの発表の後、参加者全員を巻き込んでのディスカッションとグループワークがありました。とても活発な議論となり、大事な意見を一杯いただくことができました。参加者の皆さま、積極的に議論に貢献してくださいまして本当にありがとうございました。そして、今回のイベントに向けて様々な形で支えていただいた渥美財団の皆さま、心より感謝申し上げます。とりわけ太田美行さんからは企画当初から運営の柱として大きなご助力を賜り、ここに特別に感謝の気持ちをお伝えさせていただきたく存じます。   今回のテーマは、講師を務めた私たち2人(ライプチッヒ大学東アジア研究所日本学科のドロテア・ムラデノヴァさんと私)の研究と直接の関連をもつものでした。私たちはこれまで会う度に議論し、意見交換をしてきましたが、その内容を広く、この社会に生きる人々とシェアし、話し合いたいという想いを強く持ち続けてきました。それを今回SGRAカフェにて実現させていただけて、共々本当に嬉しく思っております。「妊活」という生に関わる活動、「終活」という死に関わる活動、その扱うところのものは正反対であるにもかかわらず、私たちの思考・分析方法は驚くほど重なっています。ただそれは偶然ではなく、必然的なもののように思われます。人生を国家や社会が管理・活性化しようとするメカニズムにおいて、「妊活」と「終活」は鏡合わせのようなものです。   私たちは、人生の節目において追い立ててくるこれらの「活動」に関わる言説を、人の生を社会的なある思惑へ従わせるための「運営」手段として批判的に考察することを試みています。今や生涯(とそれ以前・以後)のあらゆる「節目」にこうした「活」が浸透し、その都度人生を活発にデザインするように呼び掛けられています。こうした「活」が「自分なりに生きられる人生のあり方」、「自己決定する権利」や「ある問題を抱えている人へのエンパワーメント」を唱導するものとして捉えることも不可能ではなく、このような言説の潜在的な力を否定できないかもしれないのです。一方でそれは、人生の選択肢を上手く扱えずに失敗した場合、個人の責任であるという「自己責任論」につながりやすい考え方であるということも大いにあります。ある社会の中で活動している限り、自分の人生を自らの意志に沿って挑戦的に生きることなどそもそも可能なのだろうか、という根本的な問いにもつながります。   今回の私たちの報告、そしてその後の各議論において、中心的な問いになったのは、「社会から要請された『がんばれ』を、各個人がどのように受け止め、いかに人生における選択を主体的なものとするか?」でした。「頑張れ、頑張れと社会に言われるのが腹立つ」という方もいれば、逆に「私も終活のこと考えた方がいいね」、「今日の話を聞いて、私も妊活の準備をした方がいいと思った」という意見を会後にいただくこともありました。勿論、[正しい]答えはありませんし、実際、参加した皆さんからは本当に多様なお考えを聴かせていただきました。私たちのいつもの考え方とは別な価値観に基づいてお話しくださった方もいらっしゃいまして、視野が広がり新たな社会の側面を覗き込むことができた思いでした。   ある社会において盛んに流通する言葉の背景に何があるのか、そこにどういったアクターが関わっているのか、それが誰のどういった利益につながっているのか。こうしたことを考えることによって、自分をある種の社会的なプレッシャーから開放する手がかりを探ることが今回の企画の目的でした。ドロテアさんの「終活」のお話を伺い、「自分らしさ」というキーワードが、私たちの研究において、共通して頻繁に出て来ることを発見しました。「自分らしく生きる」という言葉は、多くの方にとって、理想的な生を思わせる響きをもつことと思います。しかし、その「自分らしさ」がどこまで本当に自分に属するものなのか、批判的に問い直されなければならないでしょう。   「妊活」も「終活」も、その目的とやり方は大方社会によって決められていますし、政治的にも利用されます(例えば「妊活」の場合、少子化対策の文脈で)。その上、莫大な利益が生まれるビジネス領域であり、日々発展するテクノロジーによる社会変化とも大いに関係があります。自分らしさというのは真に自発的なものではなく、社会的なものです。誰かにとって都合のいい枠組みのうちにつくられた「自分らしさ」に過ぎないかもしれないということに、注意を払う必要があると思います。「自分らしさ」は時に、社会的に「都合の悪い」とされている生き方を選ぶ・選ばざるをえないということに基づいています。そうした時の「自分らしさ」は認められるのか?認められないなら、それは差別や不平等の対象になってはしまわないか(例えば、子どもを産まないことを選択すること等において)?「自分らしさ」をこのような問いから捉え直すことはとても大切です。   ある社会の中で、そこで生産され流通する言説から「逃げる」ことは大変に難しいです。流布する[言葉]の背景にある権力関係、利益、関係者のつながりを明らかにし、自らの立場を相対化して考えた上で、主体的な選択をいかにとりうるのか逡巡すること、その重要性を今回の議論を通じて改めて強く感じることとなりました。私自身の「妊活」をめぐる研究においては、フェミニズムの視点が中心にあります。「早く産みなさい、産む前にこうしなさい、産んでからはこうしなさい、子育てはこうしなさい」という社会からの命令が、主に男性中心主義的な立場から為されることがとても根強いと、研究の場面でも、日本におけるプライベートな生活領域でも、思わされることが非常に多いです。   私も子育てをしながら研究している立場にあり、日常的な女性に対するプレッシャーと不平等を身近なところで感じています。完璧なお母さんとして全てを子どもに捧げることが社会的に求められており、しかも同時に、格好いい女性(=仕事を頑張っている、自立している)であることも求められている時代状況にあって、その葛藤に引き裂かれる辛く深刻な状況は多くの母親に共有されていることと思います。今回のディスカッションに参加された若い女性の方々のコメントにおいて、同様の葛藤で悩んでいる方が多いことも確認されました。   カフェの最後に、コメンテーターのシム・チュンキャットさんが投げかけてくださった言葉が、状況に対するひとつの態度表明として、決然として喚起的であり、大いに参照されるべきものと思いますので、この報告文の最後に引用します。すなわち「無活に生活をする」こと。私の勝手な解釈ですが、「妊活」や「終活」においてみられるような、社会的に生産される[自分らしさ]を消費するのではなく、そうした言説の網の目から自らを外してやることを、このスローガンは意図しているのではないでしょうか。私たちが住み、共有していると思い込んでいるひとつの言説空間としての社会は、ある部分、つくられた幻想でしかなく、その外部もしっかりと存在していることを知った上で、その社会とは異なるところに「自分」を見つけ直すこと。こうした態度はとても大事だと思います。ただそれを求めることは決して易しいものではなく、一生の課題ともいえる闘いになると思いますが、それでも大事だと思います。   当日の写真   <イザベル・ファスベンダー☆Fassbender,Isabel> 渥美国際交流財団2017年度奨学生。ランツフート(ドイツ)出身。2011年チューリッヒ大学(スイス)日本研究科卒業。2014年東京外国語大学大学院総合国際学研究科地域国際専攻にて修士号取得。現在、東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程国際社会専攻に在籍、博士論文を執筆中。専門は家族社会学、ジェンダー論。   2017年9月7日配信
  • 第24回日比持続可能な共有型成長セミナー「人や自然界を貧しくさせない進歩:地価税や経済地代の役割」へのお誘い

      下記の通り第24回日比持続可能共有型成長セミナーをオーストラリアのシドニー市で開催します。参加ご希望の方は、SGRAフィリピンに事前に申し込んでください。   第24回日比持続可能な共有型成長セミナー ◆「人や自然界を貧しくさせない進歩:地価税や経済地代の役割」 “Progress Without Poverty of People and Nature: The Role of Land Value Taxation and Economic Rents"   日時:2017年9月23日(月)9:00~17:00 会場:Sydney Mechanics School of Arts(オーストラリア、シドニー市) 言語:英語 共催:Association for Good Government (良き政府協会)AGG 申込み・問合せ:SGRAフィリピン ( sgraphil@gmail.com ) (詳細はこちら)   〇セミナーの趣旨   SGRAフィリピンが開催する24回目の持続可能な共有型成長セミナー。 持続可能な共有型成長セミナーは目標が効率・公平・環境ということで、KKKセミナーとも呼ばれている。現在まで、年2回というペースで開催されているが、フィリピン大学ロスバニョス校と協力し、より頻繁に開催される予定である。今回の24回目のセミナーは初めてフィリピンの外で行われることになる。オーストラリアに本部を置く、良き政府協会研究員のジョッフレ・バルセ氏(Mr. Joffre Balce)との議論により、第20回持続可能な共有型成長セミナーで発表された「地価税」がKKKの発表候補者リストに入れられた。バルセ氏は良き政府協会の総書記であり、この協会は19世紀米国の政治経済学者のヘンリー・ジョージ(Henry George) の政治経済政策を提唱している。そのなかの重要な議論の一つが地価税である。今回のセミナーの開催地及び日時は、特別の意味がある。9月は1901年に設立された良き政府協会の設立月にあたり、開催地は地価税が課税される国である。   〇プログラム 08:00–09:00 登録   09:00–09:15 開会挨拶   09:15–10:00 発表1「ヘンリー・ジョージの社会哲学」リチャード・ガイルス(Richard Giles)AGG会長   10:00–10:30 発表2「地価税:理論・証拠・実施に関する調査」 マックス・マキト(Max Maquito)フィリピン大学ロスバニョス校・SGRA   10:30–11:00 休憩   11:00–11:30 発表3「地価税の便益:マニラ都内の複数市の事例」 グレイス・サプアイ(Grace Sapuay)SGRAフィリピン運営委員   11:30–12:00 発表4「反貧困が少数派であり続ける理由:フィリピンに対するヘンリー・ジョージ流の改革の関連性」 ジョッフレ・バルセ(Mr. Joffre Balce)良き政府協会総書記   12:00–13:00 昼食   13:00–13:30 発表5「土地への平等アクセスやグローバルな移住の問題」 フランクリン・オべング・オドーム(Franklin Obeng-Odoom)シドニー技術大学   13:30–14:00 発表6「先住民の土地所有権に対するジョージ主義の含意の検討」 ヨギスワラム・スブラマニアン(Yogeeswaram Subramanian)マレーシア大学   14:00–14:30 発表7「貧困や金の番人」 ロン・ジョンソン(Ron Johnson)「The Good Government」編集長   14:30–15:00 休憩   15:00–17:00 SGRAのビジョン、近況報告+円卓会議(モデレーター:マックス・マキト)   セミナー終了後 シドニー見学  
  • エッセイ544:張桂娥「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性」

    日本では誰もが知っている漫画の神様・手塚治虫は、「絵を文字にするのが小説。絵を絵にするのがイラスト。文字を絵にするのが漫画。文字を文字にするのが評論」だと述べ、「漫画は映像文化と文字文化の間のもの、いわば第三の文化である」と考えていたという。   一方、芸術作品の独創性に独特の美意識、鋭敏な鑑識眼を光らせて来たフランスでは、漫画は「9番目の芸術」と位置づけられ、近年では評論や研究の対象となっている上、世界最高峰の美術の殿堂「ルーヴル美術館」が21世紀、視覚芸術の映像美、言語表現の様式美を兼ねそろえた漫画に、ついにその扉を開いたというほど、熱い注目を浴びている。   かつて俗悪な読み物、低俗な娯楽、ビジネス先行のサブカル産業として貶められてきたマンガは、創造性と革新性を追求したクリエイティブな作家たちの努力によって、深層文化を表象する芸術の宝庫や、社会思想や世界と人生に関する深い哲理ないし世界観を広く発信する文化的産物として、全世界の人類に共有されつつある現状である。そのため、近年日本、フランスをはじめとする世界各国では、図書館・ミュージアムにおけるマンガコレクションを充実させるブームが巻き起こされたわけである。   また、デジタル映像の生成・加工技術の飛躍的進化により、マンガのアニメ化とともに実写映画化も劇的に進み、あっという間に世界を席巻する爆発的な流行文化に発展した。グローバル化したマンガ・アニメ文化は、視覚芸術を極めた魅惑的なコスモスのような不思議なワールドを築き、世界中の若者を虜にした。非日常な世界に誘われ、魅了された視聴者にとって、マンガ・アニメは、まさに自己と他者ないし世界を理解するための媒介である。   紙媒体のコミック・コミックスをはじめ、アニメ、キャラクター周辺グッズ、コスプレなど、サブカルチャーだったマンガ・アニメ文化は、世界市場規模のコンテンツ産業を誕生させ、一国の経済成長に大きな影響を与えるメインカルチャーに転換していき、我々現代人の消費行為(価値観)、ライフスタイルをダイナミックに変えるソフトパワーの源でもある。   2001年に「日本マンガ学会」が設立され、アカデミック的な見地から、奥深いマンガの世界に学際的・国際的アプローチの可能性が広がった。また、マンガを教育研究する日本初の大学マンガ学部が創設された2006年には、世界初の「博物館的機能と図書館的機能を併せ持った、新しい文化施設」京都国際マンガミュージアムも同時期に設立され、生涯に一度必ず訪れるという熱狂的なマンガファンが世界中から殺到し、コンテンツツーリズムの観光聖地として世界から注目されている。   一方、台湾の大学でも近年、マンガを通して各国の文化・社会への理解を深める教養講座が相次いで開設されている。2014年コミックス蔵書を充実させた東呉大学図書館は、マンガコレクションを楽しむ「マンガ読書エリア」を開設し、日本語学科と協力した上、マンガ・アニメ文化の可能性を探究する学術シンポジウムを開催している。他大学に先駆けて、グローバル的に浸透し定着していくマンガ・アニメ文化研究の最前線に立って、アカデミックな研究の未来を見据え、その可能性をさらに切り拓こうとしている。   2018年5月に台北市で、日本公益財団法人渥美国際交流財団と台湾東呉大学が共同主催で行う予定の、第8回日台アジア未来フォーラム※では、全世界規模に広がったマンガ・アニメ文化の魅力に着目し、「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性―コミュニケーションツールとして共有・共感する映像文化論から学際的なメディアコンテンツ学の構築に向けて―」について議論する。つまり、文化を発信するコミュニケーションツールとして共感・同調・共有されてきたマンガ・アニメが、いかに次世代の地球市民の手によって共創するコンテンツ産業へ進化していくかのプロセスや、それを実現させるあらゆる創発の原理を創造的に思考する場を設けたいと考えている。   各セッションで取り上げるテーマとして、マンガの収集・保存と利用、マンガ・アニメの翻訳と異文化コミュニケーション、マンガ・リテラシー形成の理論と実践、マンガ・アニメと物語論、視覚芸術論、映像論、マンガ・アニメのメディアミックス化・マルチユース化、マンガ・アニメの文化的経済学、マンガ・アニメ文化と社会学などが予定されている。   本フォーラムでは、グローバル化したマンガ・アニメ研究のダイナミズムを、研究者・参加者たちの多様な立場と学際的なアプローチによって読み解いた上、新たな可能性を見いだすことを目指している。これにより、日台関係・日台交流、また東アジア地域内の相互交流のさらなる深まりへの理解促進に貢献するものと考えられる。   ※「日台アジア未来フォーラム」とは、日本公益財団法人渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)の主催のもとで、台湾在住の元奨学生(台湾ラクーンメンバー)を中心とした実行委員会によって企画提案・実施運営される国際会議である。SGRAは日台の学術交流を促進し、日本研究の深化を目的とすると同時にアジアの未来を考えることをその設立の趣旨としている。思想信条の自由や言論の自由などを尊重するリベラルな台湾を発信基地として展開する本フォーラムでは、主にアジアにおける言語、文化、文学、教育、法律、歴史、社会、地域交流などの議題を幅広く取り上げている。8回目の開催となる2018年は、東呉大学日本語学科と図書館との共同主催のもとで、マンガ・アニメ文化国際シンポジウムを行う予定である。   英訳版はこちら <張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。   2017年8月17日配信
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