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エッセイ790:ラクスミワタナ モトキ「『予定外』を楽しむ」

2015年、タイのチュラロンコン大学政治学部を卒業した。卒業したての若者の情熱と根拠のない全能感に満ちていた私は、そのまま学部の先生のリサーチ・アシスタントとして1年ほど働いて大学院に進み、タイの政治を変えてやろうと息巻いていた。ところが卒業前に、先生に「あの話はなかったことになってしまった」と申し訳なさそうに言われた。合同研究プロジェクトの別のメンバーが先にアシスタントを見つけてしまっていたらしい。私の出鼻をくじいた「予定外その1」だったが、調子に乗っていた若造にはいい薬だった。少なくとも今はそう思っている。

 

路頭に迷っていた(というのはさすがに冗談だが)私は、大学サークルの先輩の会社に就職した。業務は保育園の日本人対応窓口と、英語塾の講師である。正直、接客や営業など完全にゼロから学ぶものであったし、ましてや幼児の相手など想像したこともなかった。ところがどうして、今の私は子供と遊ぶことが非常に楽しく、有意義なことだと感じている。最終的にはアカデミアに勝手ながら逃げ帰ってきたが、この「予定外その2」で経験したことは今の私の大事な一部であると、自信を持って言える。

 

「予定外その3」は、東京大学法学部・大学院法学政治学研究科の修士2年の時、突然訪れた。当時の指導教員には、「博士課程は西洋の大学か、そうでなければ(現在在籍している)早稲田大学大学院アジア太平洋研究科を考えている」と伝えていた。先生も、最初にお会いした時から「定年退職予定だから、博士課程は面倒を見られないだろう」とおっしゃっていたので、自然な流れだった。そう、これが2020年だったことを除いては。あえて言う必要もないだろうが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が始まった年だ。

 

先生は、「退職後に東南アジア専門の教員が来るかもしれないから、急いで判断しなくてもいい」と言ってくれていたが、大学が閉鎖となるレベルの状況でその見通しはなくなり、他学部に移籍することになった。しかし、当時の米国や英国に渡航したかったかというと、無論ノーだ、単純に死にたくなかった。というか研究のためにタイに帰国することすらままならない状況だったのだ。今思い返しても、あの2020年はなかなかハードスケジュールだった。進学書類の準備をし、そのために家からTOEFLを受け、論文のためにアジア経済研究所の図書館に通いつめ…。正直もう体験したくはない「予定外その3」だ。

 

最新の「予定外」は、渥美国際交流財団の奨学生になったことに関係している。博士課程を3年で終えられるとは最初から思ってはいなかったが、実際に投稿論文が通らなかったり、自分の研究が上手くまとまらなかったりするのは楽しいことではなかった。そんな中、渥美財団奨学金を日本在住の先輩が勧めてくれたので、応募した。正直な話、「支援してもらえるならそれでいい」程度の気持ちだった。

 

しかし、蓋を開けてみれば、渥美財団での交流は楽しかった。あそこまで多岐にわたる学術研究の話を聞けるのは楽しかった。渥美財団の皆様や奨学生の仲間と真面目な学術的な話であれ酒の席であれ、時間を共にするのが楽しかった。完全に「予定外」な出会いであったが、あるいはだからこそ、ここまで楽しかったのかもしれない。この「予定外その4」が無かったら、私の2024年の印象はもっと暗いものであっただろう。

 

散らかった話になってしまったが、結論としては、今の私はいろんな「予定外」のおかげでここにいる、と言ったところだろうか。まだ博士号を取得出来ていないが(これは明らかに悪い予定外だろう)、この場を借りて多くの方々に深くお礼を申し上げたい。この先も、良くも悪くもいろんな「予定外」を楽しんで人生を歩みたいものだ。

 

<ラクスミワタナ モトキ LUXMIWATTANA, Motoki>
タイ、バンコク出身。2024年度渥美国際交流財団奨学生。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科の博士後期課程在籍。2021年に東京大学法学部・大学院法学政治学研究科で修士号を取得。主にタイ政治における保守派・右派の政治思想の研究を行っている。

 

 

2025年5月1日配信