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エッセイ794:馬歌陽「『学問』から学んできたこと」
2017年10月に来日して6年半、24年の春に念願の博士号を取得した。この出来事は私の人生においてまさに重要な節目といえよう。ただ、「いつ目指すべき道を見出したのか」、あるいは「いかなる必然がこの学問の森へと導いたのか」と問われても、まだ霧の中を手探りでいるような心境だ。この文章を綴る機会に答えを探してみたい。
幼少期の私にとって「学び」とは、「やるべきこと」に過ぎなかった。クラスの中ではあまり目立たず、成績もごく普通だった。鮮明に覚えているのは、毎日食事の前に必ず本を読んでいたこと。当時、共働きの母は私の健康のために昼と夜のご飯を作ってくれたので、帰宅してから食事が始まるまでの時間が、私の読書の時間となった。『中国少年児童百科全書』や『十万個のなぜ』などの分厚くて重たい本を抱えながら、無心にページをめくっていた記憶がある。当時の私は「本が好きな子供」と周りから言われて育ったが、まだ「知の悦び」は知らなかった。高校時代、友人たちが将来の夢を語り合う輪の中で、いつも奇妙な疎外感にさいなまれた。学部への進学も、「就職に有利」や「大学の所在地に親戚がいる」という周りからの助言に従ったに過ぎない。
転機は大学院受験で現れた。専攻変更を決断した時には、自分でも明確な動機を説明できなかった。しかし、受験勉強に費やした1年半の毎日5~7時間に及ぶ読書は、泉を求めて乾いた砂漠をさまようかのような飢餓感を伴っていた。知識を摂取する快楽は、草原を吹き渡る風のように私の精神をどこまでも駆け巡った。
振り返れば、この時期は「学問」の本質を捉えていなかったと言わざるを得ない。様々な思想体系を無秩序にのみ込む海綿のような状態で、確かに知的興奮に満ちていたが、単なる情報収集の段階を脱し得ていなかった。真の学問の営みが始まったのは大学院へ進学してからのことだ。
修士から博士課程にかけて、私は徐々に知の吸収者から生産者へと変わり、学問の扉を開けたかのような感覚を覚えるようになった。ある研究課題の終着点に近づいたと思いきや、新たな課題がやってくる。山頂に立つたびに、さらにより高く遠い風景が広がっていることに気付く。この繰り返しが、学問への畏敬の念を幾度となく私の胸によみがえらせてきた。ある頂上にたどり着いた時に振り返ると、道程に潜んでいた数々の危険や過ちが鮮やかに浮かび上がる。これらの誤謬を認識することが、再び山頂を目指す際の迂回路を照らす灯火となる。この気付きは、己の執着心を静かに手放すことを余儀なくさせた。研究にも生活にも、慎重かつ緻密な姿勢で臨まねばならない。思考の襞を絶えず研ぎ澄ますことで、不毛な混乱を避けながら歩みを進めていきたい。
<馬歌陽(ま・かよう)MA Geyang>
中国新疆ウイグル自治区烏魯木斉市出身。2023年度渥美国際交流財団奨学生。早稲田大学文学研究科美術史学コース博士課程を経て、博士号を取得。現在中国復旦大学文史研究院PD。専門は仏教美術史。
2025年6月5日配信