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2007.11.24
第29回SGRAフォーラムは、2007年11月18日、東京国際フォーラムG510会議室にて、「広告と社会の複雑な関係」というテーマで開催されました。SGRA「人的資源・技術移転」研究チームが担当する4回目のフォーラムでしたが、広告をテーマとしたフォーラムとしては初めてであったともいえます。東京経済大学コミュニケーション学部教授・博報堂生活総合研究所エグゼクティブフェローの関沢英彦先生の基調講演の後、(株)中国市場戦略研究所代表取締役・SGRA人的資源と技術移転研究チームチーフの徐向東さんが『中国における社会変動と企業のマーケティング活動』について語り、また早稲田大学国際教養学部訪問学者、学術振興会外国人特別研究員、SGRA研究員のオリガ・ホメンコが『ウクライナにおける広告と社会の複雑な関係~広告がなかった時代からグローバル化の中へ~』という発表をしました。
今回のフォーラムでは、日本、中国、ウクライナの広告と社会の関係が歴史的な流れの中で紹介され、お互いの共通点と違いについて考えさせられました。
関沢先生は、日本の高度成長期の小津安二郎の映画やテレビCMや雑誌広告など様々な資料を通して、その時代に形成されていた生活モデルについて語りながら、商品広告と人々の意識とのつながり、社会の中での選択の自由とのつながりを説明しました。そしてオイルショック以後、高度成長期の生活モデルが破壊し始める傾向について語りました。さらに、2000年以後の「生活モデル」はテレビや雑誌広告から町のイベントや町の中にある広告やものに転換し始めていることを指摘され、とても面白いと思いました。
徐向東さんは、来年北京五輪を開催する高度成長期の中国で、インターネットや携帯電話の使用者の急増について語りながら、中流階級を形成する一人っ子世代の若者の文化や新しいライフスタイルについて語りとても勉強になりました。それを聞いて社会主義崩壊後の東ヨーロッパとの共通点を考えました。ウクライナでも同じように、政治に無関心で消費に大きな関心を持つ若者が多いのです。まさに彼らの思想は消費主義であり、「心中階層」ともいえます。そして中国の国内の事情をよく理解できないため中国市場で失敗する外資系企業のことも聞いてとても勉強になりました。
私はロシア革命以前、それからソ連時代中の広告、また独立以降のウクライナの広告と人々の新しいライフスタイル形成のプロセスについて話しました。日本の戦後、高度成長期、また今の中国との共通点を考えながら、ウクライナの広告が女性にすすめる「偉大な母親像」と「モダンな女性」という二つの狭いモデル、またポストモダンなインターネットやメディアにあふれる情報世界に生きる人々の「個人性」をもとめる旅、またものや思考の選択の難しさについて考えました。
当初あまり参加者が集まらないのではないかと心配しましたが、結果的には51人もの参加者を得て、会場がいっぱいになりました。ディスカッションの時も、とても興味深い質問がたくさんでて大変盛り上がりました。大量生産や大量消費が生み出す環境問題や自然破壊は三つの国の広告や社会でどのように考えられているか、インターネットの力が増えて紙の新聞や雑誌を読まなくなると広告はどう変わっていくのか、また、商品購入と階級意識がその三つの国でどのように考えられているか話し合いました。商品の「可愛さ」が求められる日本の消費者に対して、「格好良さ」が求められている中国とウクライナの消費者の違いを考えながら、ものを売るための市場、文化、趣味、世代間の意識の違いやその願望の違いについての理解することの必要性について語り合いました。市場調査に加えて、文化的な理解や消費者の世界観を理解すればその市場で成功する可能性が高いということがわかりました。
今回のフォーラムは大変面白くて発表者や参加者にも大変勉強になり、広告と社会の関係をより深く考えさせられたと思います。
当日の運営委員のマキトさんと足立さんが写した写真は、下記URLよりご覧いただけます。
http://www.aisf.or.jp/sgra/photos/
(文責:オリガ・ホメンコ)
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2007.11.20
江戸時代から関東と越後を結ぶ三国街道、現在の国道17号沿いに湯宿温泉という、開湯1200年の温泉地がある。現在八軒の温泉宿と四軒の共同浴場、それから100メートルあるかないかの散歩道が整備されている。そのなか、若山牧水などの文人墨客も多く泊まっていたのは、1867年に開業した金田屋旅館である。細心の注意を払わないとつい通りすぎてしまうほどの、文字通りの国道沿いの温泉宿である。
この温泉宿に二度ほど訪れたことがあり、二度とも不思議な出会いがあった。
一回目に宿に到着すると、ちょうど玄関の上の部屋に通された。コタツが真ん中にすえてある8畳の明るい部屋だった。内側に面した窓からロビーで火鉢を囲みながらくつろいでいる温泉客や、てきぱき夕餉の準備をしている宿のご主人の姿を見下ろすことができる。「古き陶器の如し」と牧水が喩えた冬の三国路は、夜が更けるのが早い。山の幸がふんだんに使われた夕食を済ませ、温泉に浸かって身体を暖めた宿泊客も各々の部屋へ戻っていった。おかみさんが湯上りのお客さんのために用意した冷水筒に最後の氷水を足し、電気を消していった。外は相変わらず車の往来で騒々しいが、宿のなかは早くも静まり返った。窓際でコタツに足を突っ込みながらそれを見届けた私は百般無聊のなか、ふと階段の曲がり角に小さな書箱があることを思い出した。せっかく温泉宿に来ているのだから、温泉についての本でも読もうと思って選んだ一冊は、『つげ義春の温泉』だった。
本には昭和40、50年代の温泉地の写真やイラストと、つげ義春の漫画とエッセイが収録されている。まず驚いたのは、写真にみすぼらしい殺風景な温泉地ばかりが写されていることだ。まるで大地震でも起きたかのように、屋根の歪んでいる隙間だらけのバラ屋が軒を連ねている。後で分かったことだが、それはつげ義春の好みらしい。現に彼はそう書いている。「私の温泉離れも、みすぼらしい景観が少なくなったのが原因といえるかもしれない」。かといって、つげ義春も、常識はずれの物好きではなさそうだ。「黒湯・泥湯」というエッセイのなかで、彼はこう書いている。「湯ノ神温泉は温泉案内書でもめったに紹介されることはないので、俗化していない掘り出し物かもしれぬ期待もあったが、田園の中に三棟の宿舎がかたまってあるだけの、景色は平坦で平凡でまったくつまらぬ所だった。昔の木造の校舎のような湯治部屋を覗いてみると、何かの収容所のように、足の踏み場もないほど布団が敷かれ、お婆さんばかりがゴロ寝をしていた。姥捨ての光景を見るようで、とても泊まる気になれない」。やはり人の趣味は、自分が思うほど自分によって決められるものではなく、時代と境遇のほうにはるかに影響されているようだ。
漫画も驚いたものだ。白魚のようにするりと湯船に滑り込む少女や、あけすけに股を開いて髪の毛を洗う婦人や、魂の抜けた幽霊のような爺さんが描かれている。一度見たら忘れられないが、どんな物語だったかさっぱり忘れてしまう漫画だった。それもあとで分かったことだが、エロチシズムも、筋らしい筋がないのも、つげ漫画の特徴である。ただ一つ、覚えているどころか気になってしょうがないストーリーがある。『蒸発旅日記』というもう一冊の随想集に収録されたエッセイである。蒸発したい主人公が、面識もなく、ただ自分の漫画のファンである看護婦のいる九州へ向かう話だ。残念なのは、最後まで読むことができなくて、結末が分からずじまいだった。家に戻っても気になってしょうがなかった。それで仕方なくもう一度金田屋旅館へ行くことにした。
二回目に通されたのは、廊下の奥にある薄暗く湿っぽい六畳間だった。いくらつげ義春目当てであっても少しはがっかりした。とりあえず、書箱においてあるつげ義春の本を確保して、温泉に入ってからゆっくり読もうと思った。温泉は源泉かけ流しの小さな内湯である。湯船に浸かりながらぼおっとしていると、隣の60代ぐらいの女性が話しかけてきた。彼女は群馬県内で宿舎を営んでいる。主に某大学の学生たちに部屋を貸しているが、そのマナーの悪さにずいぶん頭を悩ましたそうだ。このごろ新聞でも、「マンションに外国人が引っ越してきてからごみの分別ができていない」と、当たり前のように書くのだから、彼女の話を私はむしろ一種の快さを感じながら聞いていた。長年学生宿舎に住んでいた経験からもごみの分別は決して「外国人」だけの問題ではないことがよくわかっているが、「日本人だって」という反論は、私にとって決して口に出してはいけない言葉である。どんな状況でもやはり「それを言っちゃおしまいよ」という言葉がある。それが彼女(正確に言えば、日本人の彼女)の口から批判が出てきたのは、正直に言ってやはりスカッとした気分であった。
それから、彼女は私にどこから来たのかと聞いた。その質問に私はいつも戸惑いを感じる。というのは、一体相手が、私の日本語から外国人だと察して私の国籍を聞いているのか、それとも、普通の日本人と同様に私の出身地を聞いているのか、あるいはただ旅人同士の会話らしく、単に常住地を聞いているのか、なかなか判断がつかないからだ。仕方なく、私は、自分が東京からやってきた中国人留学生だと答えた。すると、彼女は突然相談事を持ちかけた。話によると、このごろ40歳の長男が中国人の彼女と同棲していて、その彼女は服装が派手で、この頃高級車に乗っているようで、どうも信用できないという話だ。テレビなどでもよく外国人妻の犯罪を報じているのだから、息子には、通帳や現金をちゃんと保管して用心しなさいと注意したが、息子は彼女のことが好きで、国籍は関係ないと言っている。信用はできないが、40歳を超えてようやくできた彼女だから、分かれさせたらいつ結婚できるか分からない。中国は遠いから、こっそりとたずねて相手の家柄を調査するすべもない。でも、このまま同棲するのも相手の親には申し訳ない気持ちがある。家族に話したら余計なお世話だと取り合ってくれない。お隣さんには絶対話してはならない。ついこの間、近所のおじさんが、フィリピン人の嫁の妹が家の金を盗んだと漏らして、町の笑われ者になったのだ。ひとりで悶々としているが、どうしたらいいかわからない。そこで、行きずりの中国人の私にどう思うかと聞いたわけだ。
どうも彼女は私にいい印象を持っているようだ。留学生だから、きっと大金持ちのお嬢さんだと勘違いしているらしい。もしかしたら、温泉に入ってもめがねをはずさない私のこっけいな顔が彼女には逆に上品そうに見えたかもしれない。しかし、中国人だからといってすべての中国人の素性や性格が分かるわけはない。そもそも、彼女の質問は、言い換えれば、自分自身の中国人への偏見を中国人にどう思うかと聞いているようなものだ。
その「信頼に満ちた偏見」に私は実に困った。「息子さんはもう大人だから、信じてあげたら」とか、「話を聞くと、実に立派な息子さんだからきっと正しく判断できると思う」とか、結局陳腐な人生相談にありがちなことしか言えなかった。かれこれ一時間ほど話を聞いて、彼女も多少気が済んだようだ。それで互いに一通りの挨拶を交わして各自の部屋に戻った。その後、私はずっと彼女との会話を考えていた。もうつげ義春どころではなくなった。
私たちは「偏見」に出会ったとき、案外洗練された対応ができないものだ。「偏見はいけない」といった正論を並べることも、どこが偏見なのか諄々と教導することもなかなかできないようだ。それは一面に偏見そのものの衝撃によるが、他方、偏見の複雑さにもよるだろう。たとえば、彼女の「偏見」は、単なる「中国人」に対する偏見ではないことは明らかだ。「中国人」という要素は、服装の派手さ、高級車を乗り回すいかがわしさ、そして40歳を超えた息子に対する愛情への不信感といった様々な要素のなかのたった一つの要素にすぎない。また、彼女の「偏見」は単なる「日本人」の偏見でもない。「日本人」という要素も、彼女の息子を思う親心、村八分を恐れる地域社会に特有の閉塞感、そしてその世代の道徳的観念といった要素のなかの一つにすぎない。もっとも、この私も彼女の目には決してただ単に一人の「中国人」ではないはずだ。なによりも、こうした一期一会ができたのは、私たちはともに女の旅人であったからだ。
思えば、一体私たちは、ただ単に一人の「中国人」として、ただ単に一人の「日本人」と出会うことがありうるのだろうか。国籍はただわれわれの人間と人間との触れ合いに少しだけ加味し、ちょっぴり変形させるだけだ。厄介なのは、私たちは、その「少し」の度合いをどうしても正確に捉えることができず、つい想像のなかですべてを覆い隠してしまうほど膨らましてしまうのではないだろうか。
結局、二度目もつげ義春を読み損ねた。どうやらもう一度金田屋旅館へ行かなければならないようだ。
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<孫 軍悦 (そん・ぐんえつ) ☆ Sun Junyue>
2007年東京大学総合文化研究科博士課程単位取得退学。現在、明治大学政治経済学部非常勤講師。SGRA研究員。専門分野は日本近現代文学、翻訳論。
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2007年11月20日
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2007.11.16
最近、私は、生物にみられる基礎的なプロセスが、私たち人間の生活や社会の中にもたくさん含まれていることに興味を持っています。私たちひとりひとりの生活様式や行動は、社会全体に大きな影響を与えていると思えます。今日は、「恐怖」を例にして、このような生物学上の原則と社会事象の関連性を考えてみたいと思います。現在のような文明社会でも、「恐怖」がひきおこす暴力や戦争という社会現象は屢々見られます。自殺も、人間ひとりの行動ではなく社会的な行為となります。
動物が抱く恐怖という感情は、生命を守るため、生き残るための基本的なメカニズムです。この感情がなければ動物は生き延びてこられなかったでしょう。本来、恐怖は切迫した危険に対する心配と、それへの感情的な応答が結合した生物的な表現であり、通常特定の否定的な刺激に応じて起こります。行動学の理論家によって、「喜び」や「怒り」のようないくつかの他の基本的な感情と共に、恐怖も高い作用の有機体に生来備わっている特性であるということが指摘されています。
人間が抱く恐怖には、穏やかな注意からの極度な恐怖症および妄想障害まで、さまざまな程度があります。また、心配、不安、身震い、戦慄、パニック、迫害感や、その複合体を含むいくつかの感情の状態と関連しています。恐怖の表情には、瞳が広がる、唇が水平に伸びる、上部唇が上がる、額があがるなどの特徴があります。ほとんどの動物の恐怖に対する行動には、このような感情の段階が観察されます。人間は恐怖感に極度に脅かされることがあり、致命的となることさえあります。それはアドレナリンの上昇によって引き起こされる本能的な反作用によるもので、意識して行う周到な決定ではありません。
恐怖に対する生理学的な反応は、「戦う」か「逃げる」かのどちらかです。「逃げる」方の典型的な例は、身体の通常機能を維持しながら穏やかに草を食べるシマウマでしょう。もしライオンにみつかれば逃げ出します。犬に攻撃されている猫は、心拍数が加速し、毛が逆立ち、瞳が広がります。ある種類の魚は、威嚇者の目をごまかすために体の色を素早く変更することができます。いずれも別の動物からの脅威から逃げるためで、すぐに戦いが起ることは比較的に少ないのです。ある動物が対峙する動物からのシグナルを解読して意識を高めていくには、それなりの時間がかかります。その間に、それ以外の交渉を起こすこともあるし、逃げだすこともあるし、戦うこともあるし、遊ぶこともあるかもしれないし、全然何も起きないかもしれません。
人類は既に、他の動物に対する恐怖を制御する術を習得しました。現在、人間が恐怖を感じるのは人間自身に他なりません。しかし、生理的な本能は、ほとんどすべての人間社会のしくみの中にも取り込まれているのです。私たちは恐怖に対して「逃げる」か「戦う」かの応答をいまだに続けているのです。脅威を感じたときには、逃げるときもあるし、戦うときもあります。戦いになれば積極的で、好戦的な行動をします。自殺等、社会から「逃げる」ための極端な現象もおこります。
この生理的な本能は、現代社会のイデオロギーや経済利益活動の中にも見られます。私たちの属性は決定しています。自分自身が生まれた国、遺伝的な民族性、家族または地域的な宗教観を、私たちは守っていかなくてはいけません。すると、恐怖は、一人の個人だけのものではなく、自分が属する国、民族、または宗教のものとなるのです。国と国、民族と民族、宗教と宗教などが、お互いに社会的恐怖となっていきます。
人間の生物として長い歴史に比べれば、人間の社会の歴史はかなり短いものです。他の動物に対する恐怖は減りましたが、人間自身、そして人間社会に対する恐怖が、私たちの文明社会のあちこちに見られます。国家間の戦争、民族間の論争、宗教間の不信感など、今、いたるところに溢れています。社会性をもった恐怖は、国、民族、宗教から与えられた私たちの役割を受け入れることを容易にさせてしまいます。地球市民の理想は人類の共同目標であり、一人一人の人間としては話し合うことはできるかもしれません。しかし、社会的な人たちの社会的な恐怖をお互いに理解していくためには、もっと時間がかかりそうだと感じています。
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<張 紹敏(ちょう・しょうみん)☆ Zhang Shaomin>
中国の河南医学院卒業後、小児科と病理学科の医師として働き、1990年来日。3年間生物医学関連会社の研究員を経て、1998年に東京大学より医学博士号を取得。米国エール大学医学部眼科研究員を経て、ペンシルベニア州立大学医学部神経と行動学科の助理教授に異動。脳と目の網膜の発生や病気について研究中。失明や痴呆を無くすために多忙な日々を送っている。学会や親友との再会を目的に日本を訪れるのは2年1回程度。
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2007.11.13
中国の最大都市である上海は、今やアジア有数の国際都市でもある。経済の発展とともに、上海に住む外国人は爆発的に増加している。上海の統計データを見ると、12万人ぐらいの外国人が長期滞在しており、中でも日本人は約3万人で一番多くなっている。また、外務省の「平成16年の海外在留邦人数調査統計」によると、上海の長期滞在邦人数は3万4千人で、世界の都市ではニューヨーク、ロサンゼルスに次いで第3位となっている。
しかしながら、実際に上海に住む日本人の数は統計データを遥かに超えている。出張や旅行といった流動人口を含めると、常時10万人程度の日本人が上海にいると言われている。上海は常住人口1800万人の大都会であることを考えると、日本人が10万人と言ってもたいした存在ではない。だが、上海在住の日本人は群れて住んでいるから、結構目立っている存在であり、中国最大の日本人コミュニティーを形成しつつある。
在上海の日本人は主に三つのエリアに住んでいる。最も集中しているのは市内西部の虹橋エリアと古北エリアである。虹橋エリアには日本領事館があり、日系企業も沢山集まっている。古北エリアは虹橋エリアのすぐそばであるが、そこは主に日本人が生活する場所であるから、日本人向けの賃貸マンション、スーパーやレストランなどが非常に多い。日本人学校もこのエリアにある。
もう一つは浦東エリアである。浦東は市中心部より黄浦江を隔てている地域であるが、この十数年間で急速な発展を遂げ、中国を代表する金融街や開発区が形成されている。そのため、近年、浦東に住む日本人も急速に増えている。上海にある二番目の日本人学校は浦東エリアにあり、2006年に開校されたばかり。ちなみに、二つの上海日本人学校の児童・生徒数は2500名を超えており、世界一の日本人学校となっている。それは、上海の生活条件の向上に伴い、家族帯同の在留邦人が急増しているということを反映している。
日本人が集中的に住んでいるエリアは、異国を感じさせない「ミニ日本」のようにみえる。日本料理店なら寿司、焼肉、カレー、とんかつ、うなぎ等々、何でも揃っているうえに味も結構いける。また、日本の食材を売るスーパー、日本人向けのパン屋、美容院、マッサージ屋などがあちこちにある。飲み屋、クラブなども少なくない。上海生まれ育ちの私も古北エリアにいくと、これは本当に同じ上海の光景なのかと目を疑うほどである。
日本人は群れて住んでいるから、それらのエリアには日本人入居率がほぼ100%を占める賃貸マンションが沢山ある。私はたまにそのエリアの日本料理店で食事するが、日本人が住んでいるマンションには入ったことがない。だが、私の妻はいま家庭教師として日本人(主に現地駐在員の奥様)を相手に中国語を教えているから、彼女からいろいろな話を聞いて、その住宅地の様子が大体分かるようになった。
日本人向けの賃貸マンションはほとんど高級住宅地に立地され、日本料理店やコンビニ、幼稚園などが併設されているものも珍しくない。入り口の受付や警備員といったスタッフは全員中国人だが、みんな日本語ができ、挨拶も非常に丁寧である。夕方になると、たくさんの日本人の子供たちがロビーで走ったり、遊んだりしている。そこに入ったら、いつも「まるで日本だ」と思うと妻は言う。
日本人向けの施設や環境が整っているため、上海に長期滞在しても日本に居るのとあまり変わらない生活を送ることができる。あまりの便利さと住み心地のよさで、逆に日本に戻りたがらないという話もよく聞く。
私の留学生仲間の一人は、3年前会社の派遣で日本から上海に駐在するとき、一番の悩みは日本人の妻と娘3人が一緒についてきてくれないことであった。やっと駐在の2年目に上海で一家の団欒を実現したが、3年の任期を終える段階でそろそろ本社に戻る時期がやってきた時、今度の悩みはなんと妻と娘たちがあまり戻りたくないことである。原因は上海での生活は、日本以上に住みやすく、生活水準も高いからだという。
整備されつつある上海の生活環境は、日本人の海外生活での不安を和らげるができ、とてもいいことだ。しかしその一方で、異国のことを常に意識して、地元の人との交流も深めるべきではないだろうかと思う。
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<範建亭(はん・けんてい ☆ Fan Jianting)>
2003年一橋大学経済学研究科より博士号を取得。現在、上海財経大学国際工商管理学院助教授。 SGRA研究員。専門分野は産業経済、国際経済。2004年に「中国の産業発展と国際分業」を風行社から出版。
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2007.11.09
こんなとき、あなたならどうしますか?
エジプト文明が大好きなあなた、待ちに待った門外不出のエジプト展のため、胸を高鳴らせて博物館に足を運びました。
博物館に入った瞬間、溢れんばかりの人込みに外へ追い出されそうになりました。辛うじて展示ガラスの前までに近づきましたが、長い列のためなかなか前に進みません。やっと列の真ん中まで進んだところ、ふいにある子ども連れの親があなたの傍にやってきて、「すみません」といいながら子どもたちをあなたの前に押し付けてきました。
あなたらなどうします?列に割り込ませますか、割り込ませませんか。
これは数ヶ月前に実際に台湾の博物館で起きたことです。「子どもを優先する」という教育を受けてきたわたしたちは果たしてどう受け取るのでしょうか。
いくつかのパターンが考えられるでしょう。
1) 疑いもなく喜んで優先させる。
2) 心の中でよろしくないと思いながらも、仕方なく優先させる。
3) 無視する
1)や2)は、形の上で「子どもを優先する」という結果になります。
その時点ではたいしたことではないかもしれませんが、このようなことが積み重なると、「子どもは優先されるべき」という固定観念が定着し、「子ども」に譲ることは当たり前のように思えてきます。
この「当たり前」は大人としての思いやりをこめているはずですが、結果としては、列を並ぶときに、子どもが「自分は子どもだから列に割り込んでも大目に見てくれるでしょう」というふうに受け取るかもしれません。一旦そう習慣化していくと、わきまえのある行動、礼儀正しく振舞ったり、ルールを守ったりすることが身につきにくくなるのではないでしょうか。
実は、その日、子どもたちが展示物の説明を読むわけではないのに説明パネルの前に立ち止まったり、体が小さいからといって、大人の足と足の間を潜って展示ガラス前に進んでいったりする光景は絶えませんでした。他の観客の視線を遮ったとしても気にもしないようです。周りの人のことを考えず、わがままに振舞っている子どもを見ても、子どもの親は制止しませんでした。
その光景を目にした周りの大人から「嫌だな」という声は確かに聞こえました。しかし、ほとんどの大人は難色を見せず、子ども達をやりたい放題にさせていました。待ちに待った展覧会だったのに、周りの無秩序のせいで、せっかくの気分も台無ししになりました。
少子化のため、子どもを甘やかす傾向があると批判されていますが、この日の展覧会での経験から、現状を垣間見ることができます。躾のなさを嘆く前に、それを子供たちにさせてしまう大人としての反省が必要だと思います。もちろん、ここで言う大人は、その子ども達の親だけではなく、疑いもなく列を譲ってしまった大人にも責任の一部があるといえるのでしょう。もし、周りの大人が「ちゃんと並んでください」と一言その親に言えば、少しは状況が変わったかもしれません。しかし、仮にその親に指摘したとしても、周りから「子どもだからいいのではないか」と逆に批判されてしまうのが台湾の現状です。
精神科医学博士の斉藤茂太氏は、『躾が9割―“伸びる子”を育む魔法の習慣』という本の中で、「子どもが自己主張をはじめたら、親は子どもをただ保護して育てる対象として出なく、まだ幼くても1人の人間として向き合う心構えを持つときなのだ」と指摘しています。いくら子どもが目に入れても痛くないほど可愛くても、自我が芽生えてきてからは、きちんと躾をする必要があると思います。
子どもを大事に扱うのは重要です。と同時に躾も大事です。責任の取れる大人、礼儀正しい大人に育てるためには、長い目で両者のバランスを考えたほうが良いのではないでしょうか。
今まで「子どもを優先すべき」だと疑ったこともない私でしたが、この出来事から考え直さずにはいられませんでした。子どもだからといって何でも譲ることは本当にいい教育になるのでしょうか。躾のなさ、思いやりのなさは実はこのような年から植えつけられ、習慣化され、そのまま今のいわゆる「礼儀知らず」な大人に成長していくのではないでしょうか。
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<陳姿菁(ちん・しせい) ☆ Chen Tzuching>
台湾出身。お茶ノ水女子大学より博士号を取得。専門は談話分析、日本語教育。現在は開南大学の専任と台湾大学の兼任として勤めている。SGRA研究員。
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2007.11.09
第30回SGRAフォーラム
教育における『負け組み』をどう考えるか
~ 日本、中国、シンガポール ~
■日 時:
2008年1月26日(土)
午後2時30分~5時30分 その後懇親会
■会 場:東京国際フォーラム ガラス棟G610会議室
■フォーラムの趣旨
SGRA「グローバル化と地球市民」研究チームが担当する6回目のフォーラム。グローバル化の中で、漢字文化圏を中心に教育の大競争が起きている。激しい受験戦争に勝つのはほんの一握りの人たちであり、不利な立場に立たされた「負け組み」はどうなるのか。教育こそが下から上にあがるための武器となるべきものであるのに、それが機能しているだろうか?このような問題意識を持ちながら、日本、中国、シンガポールの教育事情を紹介し、教育格差の問題にどう取り組めばよいのかを考える。100人いれば100の教育論があると言われるが、このフォーラムではデータに基づく研究を紹介していただいた後、皆さんと一緒に教育格差の問題を考えたい。
■プログラム
詳細は下記URLをご覧ください。
http://www.aisf.or.jp/sgra/schedule/forum30program.doc
【発表1】佐藤 香
(東京大学社会科学研究所准教授)
「日本の高校にみる教育弱者と社会的弱者」
日本の教育システムの特徴の一つに、高校・大学におけるきわめて精密な序列化があげられる。とりわけ高校は、教育だけでなく研究や規模・学費など多様な要因から評価される大学とは異なり、学力のみによる一元的な階層構造を形成している。この階層構造を支えているのは、教育機会の均等とメリトクラシー(業績主義)という2つの前提である。そのなかで、高校生たちは、在籍している高校の階層に適応した進路、すなわち進学校であれば威信の高い4年制大学、普通科中堅校であれば中堅大学や専門学校、普通科下位校や専門高校であれば就職といったように、特定の進路に強く水路づけられてきた。また、それぞれの高校には、それらの進路とも結びつくような独自の生徒文化が存在した。
けれども、1990年代なかばからの長期にわたる経済不況によって高卒労働市場が著しく縮小したためもあって、従来、就職をおもな進路としてきた高校では、生徒の進路保障が困難になった。その一方で、教育システムの外部では社会・経済的な格差が拡大してきている。こうしたなかで、社会・経済的な弱者が教育弱者になる傾向が強まりつつある。
報告では、東京近郊にあるA県の公立高校のデータをもちいて社会的弱者と教育弱者との結びつきをみたうえで、それの問題点を指摘する。さらに、教育機会の均等とメリトクラシーという、日本の教育システムにおける2つの前提についても、会場の皆さんと再考してみたい。
【発表2】 山口真美
(アジア経済研究所研究員)
「中国の義務教育格差~出稼ぎ家庭の子ども達を中心に~」
経済発展が進み、教育の役割がますます大きくなる中国で、制度的に教育機会を奪われている子ども達がいる。都市に住む出稼ぎ労働者の子ども達である。彼らの多くが都市生まれだが、学齢に達しても都市の学校は彼らを無条件では受け入れない。出稼ぎ労働者の多くが子どもの将来に希望を託し、教育を重視しているにもかかわらず、子どもの教育機会は義務教育の入り口で大きな壁につきあたっている。
報告では、この背景にある中国の教育制度と社会制度の問題点を考え、それに対する草の根と政府それぞれの取り組みを紹介する。義務教育における教育格差の問題について、皆さんと共に考えてみたい。
【発表3】シム・チュン・キャット
(東京大学大学院教育学研究科博士課程)
「高校教育の日星比較~選抜度の低い学校に着目して~」
どこの国でも、学校教育段階のどこかで何らかの基準をもとに、生徒を「分化」しなければならない。分化の仕方はさまざまであり、アメリカの高校のように学校内に分化したコースを設ける場合もあれば、多くのヨーロッパの国やシンガポールに見られるように進路によって学校が分かれる場合もある。さらに、日本の高校のように学校間格差という形で生徒をふるい分ける国もある。形態はともあれ、生徒の分化における一番の問題は、下位の学校やコースに振り分けられた、いわゆる「負け組み」の生徒の「やる気」や意欲をいかに保つかということである。この点において日本とシンガポールとでは大きな違いがあり、その違いを浮き立たせることが本報告の主眼パネル
■オープンフォーラム
進行:孫 軍悦
(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
パネリスト:発表者全員
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2007.11.03
(2)北京の住宅事情
清華大学のワークショップが終わり北京の友人と久しぶりに会った。短時間ではあるが、SGRA会員の朴貞姫さん(北京言語大学)と孫建軍さん(北京大学)にも会うことができた。北京において、すべての友人との集まりに必ず出てきたのは、不動産の話であった。中国は経済が過熱しており、昨年一年間で不動産の値段が倍以上に上がった。理由はいろいろあるようだ。よく言われているのは、オリンピック前の建設ラッシュや、都市に住む人々の処分可能な現金が余っていることや、海外のホットマネーが流入したことなどである。日本のゼロ金利政策の影響で、日本でも中国株に投資している人が多いと聞いている。現金が株マーケットに大量に流入したことで、株の値段が上昇した。そして投資の収益が不動産マーケットに流入した。社会保障制度がまだ確立途上の中国では、お金を儲けることで将来への不安を解消するために投資意欲が強いという説もある。この加熱ぶりは、色々な要素の相互作用といえるだろう。
現政権は格差を縮小するために「和諧社会」という政策を出した。2年前には農民の税金ゼロという政策も出された。近年、都市部が農村部を犠牲にした代価で市場化をしてきたという批判をしばしば耳にする。このようなことに対する反省でいろいろな対策が出されているが、過去一年のバブルは、むしろ格差を拡大しているようだ。出稼ぎで都会に出ている農民に与えるバブルの影響がいろいろと予測されるが、リストラされた都会の人々に対する影響も必至であろう。
中央政府はいろいろな政策で不動産の価格を抑えようとしている。しかし、不動産価格の上昇は地方政府の税金収入に関係するだけでなく、地方政府長官個人に対する業績評価にもつながる以上、価格の抑制は簡単ではないだろう。環境保護政策も似たようなジレンマである。発展主義をとっている以上、中央政府の環境政策の意図が、地方のレベルになると無視されてしまうことが多い。ただし、最近、ようやく環境保護のデーターが地方長官の業績評価に導入されるようになったそうである。遅ればせながらも、とても重要な政策であり、実行して欲しいと願うばかりである。
今回の不動産価格の上昇で、直接影響を受けているのは海外にいる留学生のようにも思う。いままでの中国は、大学のような教育機関や国営会社などを含むすべての国の機構、組織の従業員に対する福利政策として、ほとんど無料に近い価格で部屋を分配するという政策を取ってきた。いわゆる「分房」政策である。いまではそのような福利政策がほとんどなくなったが、市場価格の一部を分けてもらえる政策がいまだにある。現金として一部「もらっている」人はそのお金で自分が住むための部屋を買う。または学校を含む組織・機構が立てた住宅をマーケットよりだいぶ安い値段で買うというシステムも多い。他方、むかし部屋を「分配された」人は、貯金を不動産に投資するのが普通である。特に過去20年間以上の高度成長の成果を享受できた人は、複数の部屋を持っている人が多い。住宅補助として部屋の「一部」をもらった人も、その「一部」の価値がマーケットの変化によってずいぶん変るものである。もし雇用者の組織・機構がマーケットの変化に即してこの「一部」の額を上げれば、予算がオーバーしてしまうことになる。そもそもそのようなやり方はマーケットが激変しているなかで難しい。結局、国関係の組織、機構に勤めている人々もただちに「有(複数な不動)産階層」を含む「有(不動)産階層」、と「無(不動)産階層」とに分化してしまうのである。勿論、プライベート・セクターに勤める人々は、さらに競争型による格差体制に晒されている。海外にいる留学生は、帰国後このような厳しい変化に直面しなければならない。
北京の普通の100平米の部屋(中国の都市部では標準的な広さ)は2年前だと約70万元前後(日本円で目安で約1200万円前後)で買えたそうだが、この夏では1.5倍ぐらいの百175万元(約2700万円前後)となっている。夫婦共稼ぎの中国でもとても負担できるような金額ではない。他方、前に部屋をもらった人や一部「もらった」人、とりわけ複数の部屋を持っている人は逆にこの上昇によって個人財産が大幅に増えた。これは新しい格差を生む契機となる。政府は真剣に、低収入の人々のための住宅システムの確立を考え始めたと聞いている。いわば住宅供給を二元化する、弱者保護の政策である。歓迎すべきではあるが、遅れた政策といわざるをえない。
(3)広東・香港
この夏の終わりの時間は故郷の広東省の珠江デルタ地区と香港とを行き来した。9年ぶりに母国で4週間も過ごす長い滞在となった。経済の重鎮である広東省では北京でみた加熱がなおさら強く感じられた。香港に隣接する深せん市では中心区の不動産相場が1平米2万元(約30万円前後)、高級な新築マンションはこの倍に近い。この値段は香港の中心部の6割前後だが、香港の北部より高い。香港返還の10周年前後に深せんと香港の間のチェックポイント(深せんと香港の間に出入りするための手続きをする施設)が新たに二つ増え、とても快適で便利になった。10数年前に毎週金曜日と月曜日に長く列を並んで出入国の手続きをしていた時代が遠い過去となったような気がした。この10年の深せんと香港の一体化は予想以上に速かった。
ちょうどアメリカでサブプライム住宅ローンシステムが崩れる騒ぎが起き、香港もこのようなニュースで溢れ、マーケットに多少混乱が出たようである。大陸の新聞もこのようなニュースが大きく報道されている。サブプライムの問題がさらにホットマネー流入を促し、大陸の経済過熱化を加速する可能性があるという香港の新聞の分析も見た。もちろんオリンピック後の経済衰退説も流れている。専門外の私はどれを信じればいいか分からなくなった。
しかし、確実にいえるのは、「社会主義」の母国が世界資本主義マーケットとますます一体化しているということである。また、最近の変化は、少なくとも短期間のうちにおいては留学生の帰国後の生活にマイナスな影響を与えるものだとも思った。短期間と言っているのは政府が留学生のために何らかの措置をしてくれればという楽観的な仮定においてである。
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<林 少陽(りん しょうよう)☆ Lin Shaoyang>
1963年10月中国広東省生まれ。1979年9月に廈門(アモイ)大学外文系入学。1988年6月吉林大学大学院修士課程修了。1999年春留学で来日、東京大学博士課程、東大助手を経て東大教養学部特任助教授。著書に『「文」与日本的現代性』(北京:中央編訳出版社、2004年7月)及び他の日本・中国の文学・思想史関係の論文がある。
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2007.10.31
(2)北京の住宅事情
清華大学のワークショップが終わり北京の友人と久しぶりに会った。短時間ではあるが、SGRA会員の朴貞姫さん(北京言語大学)と孫建軍さん(北京大学)にも会うことができた。北京において、すべての友人との集まりに必ず出てきたのは、不動産の話であった。中国は経済が過熱しており、昨年一年間で不動産の値段が倍以上に上がった。理由はいろいろあるようだ。よく言われているのは、オリンピック前の建設ラッシュや、都市に住む人々の処分可能な現金が余っていることや、海外のホットマネーが流入したことなどである。日本のゼロ金利政策の影響で、日本でも中国株に投資している人が多いと聞いている。現金が株マーケットに大量に流入したことで、株の値段が上昇した。そして投資の収益が不動産マーケットに流入した。社会保障制度がまだ確立途上の中国では、お金を儲けることで将来への不安を解消するために投資意欲が強いという説もある。この加熱ぶりは、色々な要素の相互作用といえるだろう。
現政権は格差を縮小するために「和諧社会」という政策を出した。2年前には農民の税金ゼロという政策も出された。近年、都市部が農村部を犠牲にした代価で市場化をしてきたという批判をしばしば耳にする。このようなことに対する反省でいろいろな対策が出されているが、過去一年のバブルは、むしろ格差を拡大しているようだ。出稼ぎで都会に出ている農民に与えるバブルの影響がいろいろと予測されるが、リストラされた都会の人々に対する影響も必至であろう。
中央政府はいろいろな政策で不動産の価格を抑えようとしている。しかし、不動産価格の上昇は地方政府の税金収入に関係するだけでなく、地方政府長官個人に対する業績評価にもつながる以上、価格の抑制は簡単ではないだろう。環境保護政策も似たようなジレンマである。発展主義をとっている以上、中央政府の環境政策の意図が、地方のレベルになると無視されてしまうことが多い。ただし、最近、ようやく環境保護のデーターが地方長官の業績評価に導入されるようになったそうである。遅ればせながらも、とても重要な政策であり、実行して欲しいと願うばかりである。
今回の不動産価格の上昇で、直接影響を受けているのは海外にいる留学生のようにも思う。いままでの中国は、大学のような教育機関や国営会社などを含むすべての国の機構、組織の従業員に対する福利政策として、ほとんど無料に近い価格で部屋を分配するという政策を取ってきた。いわゆる「分房」政策である。いまではそのような福利政策がほとんどなくなったが、市場価格の一部を分けてもらえる政策がいまだにある。現金として一部「もらっている」人はそのお金で自分が住むための部屋を買う。または学校を含む組織・機構が立てた住宅をマーケットよりだいぶ安い値段で買うというシステムも多い。他方、むかし部屋を「分配された」人は、貯金を不動産に投資するのが普通である。特に過去20年間以上の高度成長の成果を享受できた人は、複数の部屋を持っている人が多い。住宅補助として部屋の「一部」をもらった人も、その「一部」の価値がマーケットの変化によってずいぶん変るものである。もし雇用者の組織・機構がマーケットの変化に即してこの「一部」の額を上げれば、予算がオーバーしてしまうことになる。そもそもそのようなやり方はマーケットが激変しているなかで難しい。結局、国関係の組織、機構に勤めている人々もただちに「有(複数な不動)産階層」を含む「有(不動)産階層」、と「無(不動)産階層」とに分化してしまうのである。勿論、プライベート・セクターに勤める人々は、さらに競争型による格差体制に晒されている。海外にいる留学生は、帰国後このような厳しい変化に直面しなければならない。
北京の普通の100平米の部屋(中国の都市部では標準的な広さ)は2年前だと約70万元前後(日本円で目安で約1200万円前後)で買えたそうだが、この夏では1.5倍ぐらいの百175万元(約2700万円前後)となっている。夫婦共稼ぎの中国でもとても負担できるような金額ではない。他方、前に部屋をもらった人や一部「もらった」人、とりわけ複数の部屋を持っている人は逆にこの上昇によって個人財産が大幅に増えた。これは新しい格差を生む契機となる。政府は真剣に、低収入の人々のための住宅システムの確立を考え始めたと聞いている。いわば住宅供給を二元化する、弱者保護の政策である。歓迎すべきではあるが、遅れた政策といわざるをえない。
(3)広東・香港
この夏の終わりの時間は故郷の広東省の珠江デルタ地区と香港とを行き来した。9年ぶりに母国で4週間も過ごす長い滞在となった。経済の重鎮である広東省では北京でみた加熱がなおさら強く感じられた。香港に隣接する深せん市では中心区の不動産相場が1平米2万元(約30万円前後)、高級な新築マンションはこの倍に近い。この値段は香港の中心部の6割前後だが、香港の北部より高い。香港返還の10周年前後に深せんと香港の間のチェックポイント(深せんと香港の間に出入りするための手続きをする施設)が新たに二つ増え、とても快適で便利になった。10数年前に毎週金曜日と月曜日に長く列を並んで出入国の手続きをしていた時代が遠い過去となったような気がした。この10年の深せんと香港の一体化は予想以上に速かった。
ちょうどアメリカでサブプライム住宅ローンシステムが崩れる騒ぎが起き、香港もこのようなニュースで溢れ、マーケットに多少混乱が出たようである。大陸の新聞もこのようなニュースが大きく報道されている。サブプライムの問題がさらにホットマネー流入を促し、大陸の経済過熱化を加速する可能性があるという香港の新聞の分析も見た。もちろんオリンピック後の経済衰退説も流れている。専門外の私はどれを信じればいいか分からなくなった。
しかし、確実にいえるのは、「社会主義」の母国が世界資本主義マーケットとますます一体化しているということである。また、最近の変化は、少なくとも短期間のうちにおいては留学生の帰国後の生活にマイナスな影響を与えるものだとも思った。短期間と言っているのは政府が留学生のために何らかの措置をしてくれればという楽観的な仮定においてである。
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<林 少陽(りん しょうよう)☆ Lin Shaoyang>
1963年10月中国広東省生まれ。1979年9月に廈門(アモイ)大学外文系入学。1988年6月吉林大学大学院修士課程修了。1999年春留学で来日、東京大学博士課程、東大助手を経て東大教養学部特任助教授。著書に『「文」与日本的現代性』(北京:中央編訳出版社、2004年7月)及び他の日本・中国の文学・思想史関係の論文がある。
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2007.10.29
(1)12年ぶりの長春
8月のある日の夕方、私を乗せた飛行機は長春空港に着陸した。学生時代の思い出が一瞬蘇った。80年代の後半、中国の南の地方の出身である私は、長春にある吉林大学で修士課程の三年間を過ごした。しかし、目の前の空港は、素晴らしく立派なもので、昔の私の記憶にあるあの空港の気配は全くなかった。迎えに来てくれた東北師範大学の友人が、昔の空港とは全く別の場所にあると教えてくれた。
高速道路を通ってだんだん長春に近づいていったが、昔の面影は微塵もなかった。近代的な夕方の都市を車が通っていった。近代化は、昔は素朴であったこの町をずいぶん変えたようだ。ここに来たのは12年ぶりのことであった。
夏休みを利用して東北師範大学歴史学院の国際会議に参加するため、ひさしぶりに長春に来たのである。二日間の会議はとても充実したものであった。事前に会議の参加者リストをもらっていなかったので、韓国から来たSGRA会員の高煕卓さん他、意外な友人との出会いもあった。東北師範大学は古くから日本研究に力を入れている大学である。普通の大学では外国語学院に日本関係の専門が設けられているが、ここでは外国語学院はもちろん、歴史学院、文学院にも日本研究があるだけでなく、日本研究所という研究機構もある。今度の会議で改めて東北師範大学の日本研究の伝統と意欲を実感した。
私がかつて学んだ吉林大学は、数年前の国の政策によって、長春にある十ぐらいの大学を合併し、いまや中国で一番学生数の多い大学となっている。しかし、合併によって大学の伝統が崩れ、学生の質も必然的にある程度落ちたため、内部では批判の声が止まらないようである。近年、中国の大学は古い管理体制から脱皮するために、いろいろな改革策を出した。合併も一つであるが、業績主義の管理体制も確立した。両方に対する批判が教員内部では大きいようである。業績は数字によって説明されるものではないという点は、特に批判側の大きな理由である。たしかその通りである。だが、個人的には業績主義を導入したことはいいことだと思う。競争力をつけることは必須であるから、誰がどのように業績を測るのかという問題を議論すべきであろう。
中国の大学では、1930~40年代にあった教授会による管理体制がなくなり、いまや学内の行政官僚体制による管理のシステムが採用されている。教員がこのシステムに入らなければ、学校の運営には全く関わることはなくなる。教員が学校運営の行政雑務をせずに済み、研究の時間が増える。しかしながら、上述のように、粗雑に業績を測定してしまうような問題も出てくるし、教員の声が学校運営に伝わりにくい。官本位社会の学校管理における反映であるが、恐らくこれも今後の改革の大きな課題の一つとなるであろう。
国際会議の後、師範大学の招待で、長春からバスで長白山に行った。バスは広くて緑の多い長春市内の通りを出て郊外の高速道路に入った。冬は零下25度になる長春であるが、夏はほんとうに快適できれいだ。空気も中国の都会の中ではいいほうだと思う。長春を出て、一回の休みを挟み、約6時間のバス旅行であった。私は眠らずに興味深く両側の風景や町の様子を見ていた。表面的とはいえ、改めて改革開放が農村にもたらした市場化や、生活の向上を私なりに確かめた。
中国と北朝鮮の境となっている長白山に到着するまで、バスの中で師範大学の学生諸君との交流ができたことも嬉しかった。中では修士に入ろうとする学生が案外多い。近年中国では修士号がなければ就職力が弱いと言われているが、甘やかされたと言われている一人子世代もとうとうこのような競争社会に直面したのである。中国では大学入試制度が回復してちょうど30年経った。当時の入学率は2パーセント足らずであったのに、今や、すでに22パーセントになった。もはや当時のエリート教育のイメージとは違う時代である。それでも、師範大学の学生はちゃんと夢を持ちながら勉強に大変熱心である、というイメージであった。
数日後長春と別れ、「D動車」という高速電車で北京に向かった。「D動車」とは、日本の新幹線に近いものと言えるのだろうが、6時間ぐらいで北京に着いた。二十数年前の学生時代には、たしか17時間かかったとうすうす覚えているが、「時間」が経つのが速いことを実感した。「D動車」は飛行機と比べて経済的であるし便利であるため、大変人気があり予約が必要であった。飛行機会社と鉄道会社はいずれも国営企業であるとはいえ、国家主導の市場化体制においては競争関係にある。
(つづく)
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<林 少陽(りん しょうよう)☆ Lin Shaoyang>
1963年10月中国広東省生まれ。1979年9月に廈門(アモイ)大学外文系入学。1988年6月吉林大学大学院修士課程修了。1999年春留学で来日、東京大学博士課程、東大助手を経て東大教養学部特任助教授。著書に『「文」与日本的現代性』(北京:中央編訳出版社、2004年7月)及び他の日本・中国の文学・思想史関係の論文がある。
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2007.10.19
個人の主張を明確にすることが絶対的価値とされているようなアメリカ社会一般への言及は、イラク戦争に関して言えば必ずしも妥当しないものと思われた。世論調査によって差はあるが、イラク戦争への支持は現在でも30~40%程度ある。しかし、プログラム中に会った人物の中で、明確にイラク戦へのサポートを示した人はいなかった。もちろん、こちらの政治的立場がわからない中で慎重になっていた部分はあると思うが、イラク戦争を正義とする雰囲気は消えていた。滞在中いちばん聞かれたことは「イラク戦についてどう思うか」という質問と、「イラク戦争について日本人はどう思っているか」の2点であった。
前者の質問は、イラク戦をサポートする側が様子を見ながら聞いてくることが多かった。「テロ対策の重要性は疑っていないが、対テロ戦とイラク戦争との断絶性が問題であり、対テロ戦の名の下の無制限な拡大には賛成できない」と答えるようにしていたが、その点についてはイラク戦支持者にとっても大きなジレンマとして存在している感があった。その後、逆にこちらから質問をすることになるのだが、ほぼ共通した答えは、アメリカは疲れてきているとの所感であった。
興味深いのは、話す機会があった共和党関係者のうち、ローラバッカ下院議員を除いてほぼ全員が、共和党の予備選は最終的にマケイン上院議員が勝つだろうと話していたことであった。日本での報道やウェブサイトでの海外ニュースを見る限り、イラク戦を明確に支持しているマケインが残るという可能性は低いのではないか、日本ではむしろジュリアーニの人気が高い、との指摘に対しては「なるほどな」といった程度の反応であった。共和党関係者においては、イラク戦への強硬な立場が大統領選でネガティブな要素にはならないと判断されているのだろうか。このことは共和党本部で選挙対策ディレクターの話を聞いたときの感覚と一致する。選挙対策ディレクターは有権者からの電話等を受ける中で、中間選挙での共和党の敗因はイラク戦へのコミットではなく、移民政策への対応のまずさにある、と話していた。ブリーフィングには極力判断を加えないように意識していたが、これについては共和党が現場レベルにおいても大きな流れを見失っていたかのように思える。いわゆる国民の体温と呼べる部分である。
これに対して、民主党関係者に話をしていると、イラク戦について込み入った話にはならなかった。「ブッシュは論外だ」ということが議論の入り口になってしまうので、それ以上深められることがなかった。
さらに、ブッシュ大統領の演説を真似たものがラジオで流れているのを聞いたので、しばらくそのフレーズを使って相手の反応を見てみた。そのフレーズとは “We made a mistake in Iraq, We learnt quite a lot, so We’ll do better in Iran.” というものであるが、これへの態度は明確に二分された。ためらいなく笑うものは反ブッシュであり、イラク戦支持者は、困ったような苦笑いをする(さすがに怒るものはいなかったが)。
イラク戦についてのみ言及すれば、アメリカは確実にその自信を失っているように思えた。戸惑っていると表現されるべきかもしれないが、通常、理念部分においては絶対的に主張してくる彼らが、イラク戦争については言葉を選びながら話す姿は、強く印象に残っている。
米国は良くも悪くも、全世界に対して影響力を保持している。ワシントンにおける決定が世界に与える影響は極めて大きい。そのワシントンにおける決定とは、統治構造から考えれば、アメリカの持つDNAの積み重ねとも捉えることができるであろう。自立した個人としての行動によって、自分で世界を切り拓く必要性のある個人の集合体が「アメリカ」かもしれない。滞在中、民間企業・政治関係者に関わらず、自らのミッションを繰り返し表明していた。その表明には「自分がやっていることが正しいと信じているから、たとえひとりでも自分の道を歩み続ける」という確信に満ちたものがあった。このような新しいことを生み出すエネルギーが確かにアメリカ中に渦巻いていることを感じたことは、得られた人的ネットワークにも増して、訪米の最大の収穫であった。
最後に、ワシントンDC、カリフォルニアと同様に多大な刺激を受けながら本論で余り触れる機会がなかったノースカロラナイナでの訪問地の一つに触れて、この報告のまとめとしたい。近年情報産業においては、情報を独占せずに、プログラムを開かれたものにするために広く社会の力を利用する仕組みを採用する「オープンソース」による開発手法が注目されている。オープンソース推進企業として急成長を遂げているRed Hat社は、マイクロソフト等の大手による独占を明確に批判し、現在はそれら大手から脅威とされて包囲網を受けている。それでも、Red Hat社におけるブリーフィングにおいて、後退する気配は見られなかった。「社会の幸せのために自分たちは正しいことをやっている」との主張はどこまでも自信に満ち溢れたものであり、エネルギーに満ちたものであった。そのRed Hat本社の入り口に掲げられていた、滞在中最もアメリカらしさが感じられた言葉は、アメリカ国籍を持たぬインド人の言葉であった。
First, they ignore you. Then they laugh at you. Then they fight you. Then you win.
― Mohandas Gandhi ―
非暴力不服従運動のために用いられたガンディーの言葉には、力に屈することや目前の困難に敗北することを受け容れない意思が込められている。信ずる価値観に基づいて、苦難があろうとも新しい局面を開いていく覚悟こそが、アメリカ各地に溢れるダイナミズムの根源であるかもしれない。
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<五十嵐 立青(いがらし たつお)☆ Tatsuo Igarashi>
つくば市議会議員。1978年生まれ。筑波大学国際総合学類を卒業後、University College Londonで公共政策修士号取得。2004年より筑波大学に戻り、国際政治経済学博士号取得。アカデミアの理念と現場のリアリティをつなぐ活動を展開中。
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