SGRAかわらばん
エッセイ090:林 少陽 「夏の帰国の感想(その2)」
(2)北京の住宅事情
清華大学のワークショップが終わり北京の友人と久しぶりに会った。短時間ではあるが、SGRA会員の朴貞姫さん(北京言語大学)と孫建軍さん(北京大学)にも会うことができた。北京において、すべての友人との集まりに必ず出てきたのは、不動産の話であった。中国は経済が過熱しており、昨年一年間で不動産の値段が倍以上に上がった。理由はいろいろあるようだ。よく言われているのは、オリンピック前の建設ラッシュや、都市に住む人々の処分可能な現金が余っていることや、海外のホットマネーが流入したことなどである。日本のゼロ金利政策の影響で、日本でも中国株に投資している人が多いと聞いている。現金が株マーケットに大量に流入したことで、株の値段が上昇した。そして投資の収益が不動産マーケットに流入した。社会保障制度がまだ確立途上の中国では、お金を儲けることで将来への不安を解消するために投資意欲が強いという説もある。この加熱ぶりは、色々な要素の相互作用といえるだろう。
現政権は格差を縮小するために「和諧社会」という政策を出した。2年前には農民の税金ゼロという政策も出された。近年、都市部が農村部を犠牲にした代価で市場化をしてきたという批判をしばしば耳にする。このようなことに対する反省でいろいろな対策が出されているが、過去一年のバブルは、むしろ格差を拡大しているようだ。出稼ぎで都会に出ている農民に与えるバブルの影響がいろいろと予測されるが、リストラされた都会の人々に対する影響も必至であろう。
中央政府はいろいろな政策で不動産の価格を抑えようとしている。しかし、不動産価格の上昇は地方政府の税金収入に関係するだけでなく、地方政府長官個人に対する業績評価にもつながる以上、価格の抑制は簡単ではないだろう。環境保護政策も似たようなジレンマである。発展主義をとっている以上、中央政府の環境政策の意図が、地方のレベルになると無視されてしまうことが多い。ただし、最近、ようやく環境保護のデーターが地方長官の業績評価に導入されるようになったそうである。遅ればせながらも、とても重要な政策であり、実行して欲しいと願うばかりである。
今回の不動産価格の上昇で、直接影響を受けているのは海外にいる留学生のようにも思う。いままでの中国は、大学のような教育機関や国営会社などを含むすべての国の機構、組織の従業員に対する福利政策として、ほとんど無料に近い価格で部屋を分配するという政策を取ってきた。いわゆる「分房」政策である。いまではそのような福利政策がほとんどなくなったが、市場価格の一部を分けてもらえる政策がいまだにある。現金として一部「もらっている」人はそのお金で自分が住むための部屋を買う。または学校を含む組織・機構が立てた住宅をマーケットよりだいぶ安い値段で買うというシステムも多い。他方、むかし部屋を「分配された」人は、貯金を不動産に投資するのが普通である。特に過去20年間以上の高度成長の成果を享受できた人は、複数の部屋を持っている人が多い。住宅補助として部屋の「一部」をもらった人も、その「一部」の価値がマーケットの変化によってずいぶん変るものである。もし雇用者の組織・機構がマーケットの変化に即してこの「一部」の額を上げれば、予算がオーバーしてしまうことになる。そもそもそのようなやり方はマーケットが激変しているなかで難しい。結局、国関係の組織、機構に勤めている人々もただちに「有(複数な不動)産階層」を含む「有(不動)産階層」、と「無(不動)産階層」とに分化してしまうのである。勿論、プライベート・セクターに勤める人々は、さらに競争型による格差体制に晒されている。海外にいる留学生は、帰国後このような厳しい変化に直面しなければならない。
北京の普通の100平米の部屋(中国の都市部では標準的な広さ)は2年前だと約70万元前後(日本円で目安で約1200万円前後)で買えたそうだが、この夏では1.5倍ぐらいの百175万元(約2700万円前後)となっている。夫婦共稼ぎの中国でもとても負担できるような金額ではない。他方、前に部屋をもらった人や一部「もらった」人、とりわけ複数の部屋を持っている人は逆にこの上昇によって個人財産が大幅に増えた。これは新しい格差を生む契機となる。政府は真剣に、低収入の人々のための住宅システムの確立を考え始めたと聞いている。いわば住宅供給を二元化する、弱者保護の政策である。歓迎すべきではあるが、遅れた政策といわざるをえない。
(3)広東・香港
この夏の終わりの時間は故郷の広東省の珠江デルタ地区と香港とを行き来した。9年ぶりに母国で4週間も過ごす長い滞在となった。経済の重鎮である広東省では北京でみた加熱がなおさら強く感じられた。香港に隣接する深せん市では中心区の不動産相場が1平米2万元(約30万円前後)、高級な新築マンションはこの倍に近い。この値段は香港の中心部の6割前後だが、香港の北部より高い。香港返還の10周年前後に深せんと香港の間のチェックポイント(深せんと香港の間に出入りするための手続きをする施設)が新たに二つ増え、とても快適で便利になった。10数年前に毎週金曜日と月曜日に長く列を並んで出入国の手続きをしていた時代が遠い過去となったような気がした。この10年の深せんと香港の一体化は予想以上に速かった。
ちょうどアメリカでサブプライム住宅ローンシステムが崩れる騒ぎが起き、香港もこのようなニュースで溢れ、マーケットに多少混乱が出たようである。大陸の新聞もこのようなニュースが大きく報道されている。サブプライムの問題がさらにホットマネー流入を促し、大陸の経済過熱化を加速する可能性があるという香港の新聞の分析も見た。もちろんオリンピック後の経済衰退説も流れている。専門外の私はどれを信じればいいか分からなくなった。
しかし、確実にいえるのは、「社会主義」の母国が世界資本主義マーケットとますます一体化しているということである。また、最近の変化は、少なくとも短期間のうちにおいては留学生の帰国後の生活にマイナスな影響を与えるものだとも思った。短期間と言っているのは政府が留学生のために何らかの措置をしてくれればという楽観的な仮定においてである。
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<林 少陽(りん しょうよう)☆ Lin Shaoyang>
1963年10月中国広東省生まれ。1979年9月に廈門(アモイ)大学外文系入学。1988年6月吉林大学大学院修士課程修了。1999年春留学で来日、東京大学博士課程、東大助手を経て東大教養学部特任助教授。著書に『「文」与日本的現代性』(北京:中央編訳出版社、2004年7月)及び他の日本・中国の文学・思想史関係の論文がある。
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