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エッセイ094:張 紹敏「生理的な恐怖から社会的な恐怖へ」

最近、私は、生物にみられる基礎的なプロセスが、私たち人間の生活や社会の中にもたくさん含まれていることに興味を持っています。私たちひとりひとりの生活様式や行動は、社会全体に大きな影響を与えていると思えます。今日は、「恐怖」を例にして、このような生物学上の原則と社会事象の関連性を考えてみたいと思います。現在のような文明社会でも、「恐怖」がひきおこす暴力や戦争という社会現象は屢々見られます。自殺も、人間ひとりの行動ではなく社会的な行為となります。

 

動物が抱く恐怖という感情は、生命を守るため、生き残るための基本的なメカニズムです。この感情がなければ動物は生き延びてこられなかったでしょう。本来、恐怖は切迫した危険に対する心配と、それへの感情的な応答が結合した生物的な表現であり、通常特定の否定的な刺激に応じて起こります。行動学の理論家によって、「喜び」や「怒り」のようないくつかの他の基本的な感情と共に、恐怖も高い作用の有機体に生来備わっている特性であるということが指摘されています。

 

人間が抱く恐怖には、穏やかな注意からの極度な恐怖症および妄想障害まで、さまざまな程度があります。また、心配、不安、身震い、戦慄、パニック、迫害感や、その複合体を含むいくつかの感情の状態と関連しています。恐怖の表情には、瞳が広がる、唇が水平に伸びる、上部唇が上がる、額があがるなどの特徴があります。ほとんどの動物の恐怖に対する行動には、このような感情の段階が観察されます。人間は恐怖感に極度に脅かされることがあり、致命的となることさえあります。それはアドレナリンの上昇によって引き起こされる本能的な反作用によるもので、意識して行う周到な決定ではありません。

 

恐怖に対する生理学的な反応は、「戦う」か「逃げる」かのどちらかです。「逃げる」方の典型的な例は、身体の通常機能を維持しながら穏やかに草を食べるシマウマでしょう。もしライオンにみつかれば逃げ出します。犬に攻撃されている猫は、心拍数が加速し、毛が逆立ち、瞳が広がります。ある種類の魚は、威嚇者の目をごまかすために体の色を素早く変更することができます。いずれも別の動物からの脅威から逃げるためで、すぐに戦いが起ることは比較的に少ないのです。ある動物が対峙する動物からのシグナルを解読して意識を高めていくには、それなりの時間がかかります。その間に、それ以外の交渉を起こすこともあるし、逃げだすこともあるし、戦うこともあるし、遊ぶこともあるかもしれないし、全然何も起きないかもしれません。

 

人類は既に、他の動物に対する恐怖を制御する術を習得しました。現在、人間が恐怖を感じるのは人間自身に他なりません。しかし、生理的な本能は、ほとんどすべての人間社会のしくみの中にも取り込まれているのです。私たちは恐怖に対して「逃げる」か「戦う」かの応答をいまだに続けているのです。脅威を感じたときには、逃げるときもあるし、戦うときもあります。戦いになれば積極的で、好戦的な行動をします。自殺等、社会から「逃げる」ための極端な現象もおこります。

 

 
この生理的な本能は、現代社会のイデオロギーや経済利益活動の中にも見られます。私たちの属性は決定しています。自分自身が生まれた国、遺伝的な民族性、家族または地域的な宗教観を、私たちは守っていかなくてはいけません。すると、恐怖は、一人の個人だけのものではなく、自分が属する国、民族、または宗教のものとなるのです。国と国、民族と民族、宗教と宗教などが、お互いに社会的恐怖となっていきます。

 

人間の生物として長い歴史に比べれば、人間の社会の歴史はかなり短いものです。他の動物に対する恐怖は減りましたが、人間自身、そして人間社会に対する恐怖が、私たちの文明社会のあちこちに見られます。国家間の戦争、民族間の論争、宗教間の不信感など、今、いたるところに溢れています。社会性をもった恐怖は、国、民族、宗教から与えられた私たちの役割を受け入れることを容易にさせてしまいます。地球市民の理想は人類の共同目標であり、一人一人の人間としては話し合うことはできるかもしれません。しかし、社会的な人たちの社会的な恐怖をお互いに理解していくためには、もっと時間がかかりそうだと感じています。

 

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<張 紹敏(ちょう・しょうみん)☆ Zhang Shaomin>
中国の河南医学院卒業後、小児科と病理学科の医師として働き、1990年来日。3年間生物医学関連会社の研究員を経て、1998年に東京大学より医学博士号を取得。米国エール大学医学部眼科研究員を経て、ペンシルベニア州立大学医学部神経と行動学科の助理教授に異動。脳と目の網膜の発生や病気について研究中。失明や痴呆を無くすために多忙な日々を送っている。学会や親友との再会を目的に日本を訪れるのは2年1回程度。
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