アジア未来会議

AFCホームページ
  • 2024.11.28

    第7回アジア未来会議円卓会議報告:ブレンサイン「モンゴルと中央アジアにおける文化と資源の越境」

    ロシアによるウクライナ侵攻開始から3年近くたつなかで、ロシアとウクライナは戦いに対するそれぞれのイデオロギー的根拠を示すとともに、力のおよぶ範囲内で多くの人々を巻き込み、収束が見通せない状況が続いている。本セッションは、一見この戦争と直接的な関係性を持たないモンゴルや中央アジアの人々を事例に、私たちが聞き慣れてきた「多文化主義」がどのように肉薄する戦場で機能しているのかについて考えた。   ◇プログラム 総合司会:廣田千恵子(日本学術振興会特別研究員PD                 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターフェロー) 趣旨説明:ブレンサイン(滋賀県立大学教授) 基調講演:ウラデイン・ボラグ(ケンブリッジ大学教授) 発表1:メレキ・カバ(チャナッカレ・オンセキキズ・マルト大学准教授) 発表2:廣田千恵子 発表3:ネメフジルガル(モンゴル国科学アカデミー研究員) 討論:ブレンサイン   ユーラシア大陸の諸問題は往々にして中国とヨーロッパという東西の2つの軸を中心に取り上げられ、軸をつなぐ内陸ユーラシア地帯の国家と民族間の横のつながりが見落とされてきた。これらの地域は歴史的にも東西交流の中継地として重要な役割を果たしてきたが、近現代以降はロシアと中国の地政学的力学に巻き込まれ、国際関係の上で複雑な状況に置かれている。複雑さの根源にはソビエトと中国の二大社会主義勢力の長きにわたる統治の遺産があり、現在のウクライナ戦争に象徴される内陸アジア地域の少数民族をめぐる不安定性がどのような経緯で形成されてきたのかを理解することが求められている。   本セッションの特徴は、大国と中央アジアとの関係を分析の中心に据えつつも、西はトルコ、東はモンゴルまで広域にわたる諸民族間の歴史的関係性に目をむける点にある。歴史的に内陸アジアのほとんどの民族と国家は、モンゴル帝国と何らかの繋がりを持っている。内陸アジアの東端に位置するモンゴル国からウクライナ戦争に巻き込まれている地域に分散居住する民族集団の相互交流が、それぞれが所属する勢力圏にどのような影響をもたらしてきたかを整理することは、近現代以降の「東西交流」を理解する上で重要な側面と考える。本セッションでは、こうした問題意識を持って中央アジアとその周辺地域の文化的、社会的相関関係を幅広く取り上げた。   基調講演を行ったケンブリッジ大学社会人類学科のウラデイン・ボラグ教授は、これまでにも関口グローバル研究会(SGRA)に登壇し我々の活動を応援してきた方で、ウクライナ戦争を次のように考察している。   ロシアは、ウクライナに対する戦争を、ウクライナにおけるナチス化への反撃として正当化しており、ロシア軍はチェチェン人やカルムイク人、ブリヤート人、トゥヴァ人、ヤクート人など中央アジアや内陸アジアの少数民族を動員している。一方、ウクライナはロシアの全体主義から民主主義陣営を守る戦いと位置付けており、軍は多様な欧米連合体から支持を得ている。 中央アジアの人々を戦争に幅広く動員しているロシアの状況を、内陸に多くの少数民族を抱える中国と比較すると、内陸アジアの少数民族(主にモンゴル族、ウイグル族、チベット族)が、いわゆる「中華民族の構成員」として見られている点、そして「中国文化と文化的異質体」という相矛盾する体験をしている点に注目すべきである。   ウクライナ戦争におけるこのような辺縁の人々に対する幅広い動員を「戦争多文化主義」と定義し、中央アジアと内陸アジアの人々が紛争に果たしている重要な役割に焦点を当てた。中央アジアの人々がロシア軍に加わったことにより、「モンゴル帝国の歴史的文脈に根ざしたプーチンのユーラシア帝国主義」というウクライナの主張が成り立っている。同時に、これらの少数民族は、ロシアの「ルーシ」と中国の「中華」というより広範な文明的・国家的アイデンティティーの形成に貢献し、ロシアを戦争状態におき、中国をグローバル紛争に備えた状態においていると指摘した。   トルコのチャナッカレ・オンセキキズ・マルト大学で准教授を務めるメレキ・カバ先生(2009年度渥美奨学生)は「現代に根差すトルコ共和国の中央アジアとモンゴルという『故郷』」と題する研究発表で、トルコ共和国におけるモンゴルに対する認識について、歴史的な流れや冷戦時代以降のトルコと中央アジア諸国の政治的・経済的な関係を、特に1990年から2000年の間の動きを視野に入れて考察した。   トルコの歴史教科書では「突厥碑文」がトルコ系諸民族の歴史の最初の記録とされ、アジア大陸の中心に対して特別な意識が持たれている。一方、トルコ人にとって中央アジア諸国、諸民族は同じトルコ系の民族としての「同胞」認識があり、ソ連崩壊後に中央アジア諸国は社会主義陣営から「救済」された、との認識を持つ人が多い。したがって、トルコにとって冷戦以降の中央アジアは再発見された「身内」であり、中央アジアにおける近年の紛争や今般のウクライナ戦争におけるトルコの立ち位置からも、この地域におけるトルコの役割の重要性を理解することができる。   日本学術振興会特別研究員として北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターに在籍している廣田千恵子氏(2022年度渥美奨学生)はモンゴル西部のバヤンウルグイ県におけるカザフ族コミュニティーを拠点とし、中央アジアのカザフスタンやウズベキスタンなどで幅広くフイールドワークを行った研究を基に、異なる国家に暮らすカザフ人たちの刺繍模様を事例として文化的越境性と分断の面影を考察した。   モンゴル国内のカザフ移民社会のなかで作られた壁掛けの模様デザインと、中央アジア地域の様々なモノの模様デザインとの共通性の分析を通じて、社会主義期の人・モノ・情報の越境の活発さがソビエト全体の文化的流行や美意識を構成していった様子を報告。具体的には、19世紀末にアルタイ山脈北部に移住し、モンゴル国の国民となったカザフ人が社会主義期に作った壁掛けトゥス・キーズの模様デザインは、モンゴルよりもウズベキスタンやキルギスと共通しており、その背景として、1950年代以降にモンゴルのカザフ人が留学や出張のためロシア・中央アジア地域を訪れた際、壁掛けや茶器などを購入し、持ち帰ったことが影響していると指摘した。   モンゴル国科学アカデミーの研究員を務めるネメフジルガル先生(2008年度渥美奨学生)は、「モンゴル国と中央アジア諸国との経済関係」と題する研究発表を行った。1990年の民主化まで、モンゴル国は圧倒的に旧ソ連との関係で経済を運営してきた。体制転換以降は、中国とロシア両隣国との良好な外交関係を維持しながら「第三隣国」として日本や欧米諸国をはじめ、世界各国との経済関係の拡大を目指してきた。近年は特に中国との貿易量が増加し続け、モンゴルにおける中国の影響力が増している。しかし、旧ソ連圏の中央アジア諸国はモンゴルとの地理的距離は近いうえ、双方とも転換後の後遺症や過度の資源依存などの問題を抱えている。互いの経済関係を拡大させるとともに、中国という巨大市場での地位を争う側面もある。中国とロシアの資源貿易、中国とヨーロッパの陸上貿易などもモンゴルと中央アジア諸国の経済関係を複雑化している。モンゴルと中央アジア諸国間における補完性に欠ける経済構造や、内陸という地理的共通性による種々の制限が経済活動の支障になっている。   以上のようにモンゴルや中央アジアの国々にスポットをあてた問題意識は、いまなお続いているウクライナに対する戦争を理解する一つの側面であるのみならず、戦争終結後のユーラシア大陸の地政学的再編における中央アジア諸国の立ち位置を予測するための参考ともなりうる。   <ブレンサイン Burensain> 滋賀県立大学人間文化学部教授。2001年に早稲田大学より博士号(文学)。現在の研究テーマはモンゴル・内陸アジア地域近現代史。     2024年11月28日配信  
  • 2024.11.12

    第7回アジア未来会議円卓会議報告:チャンドラシリ・ナイワラ「AFC7円卓会議『生成AIの教育、研究へのインパクトを探る』報告」

    生成AI(Generative AI)の急速な進化は、現代の技術文明の大きな成果であり多くの利点と可能性を持つ一方で、脅威やリスクを伴うことも明らかになってきています。円卓会議では生成AIの可能性とリスクについて教育、学術研究、職場、エンターテインメントの各分野のパネリストを招き講演/問題提起と共にディスカッションを行いました。さらに新しい試みとして、サイエンス・コミュニケーションの研究者をファシリテーターとしてワークショップが開催されました。円卓会議は3時間にわたりましたが、聴衆は100人を超え、AIに対する関心の深さを感じました。   会議は英語で行われ、講演やディスカッションでのパネリストのテーマや論点が入り組んだり重複したりしていますので、筆者の責任で内容を整理し、まとめて報告します。   プログラム モデレーター:ナイワラ P. チャンドラシリ(工学院大学情報学部教授) 講演1:ダヌシュカ ボレガラ(リバプール大学コンピューターサイエンス学部教授) 講演2:ウィロト アルマナンクン(チュラーロンコーン大学文学部言語学科准教授) 討論1:ライアン ラショット(テンプル大学英語学科助教授) 討論2:ブラホ コストフ(パナソニックEU上級研究員) 討論3:ウダナ バンダラ(ラクテン技術研究所シニア研究員) ワークショップ ディレクター:朴ヒョンジョン(北海道大学CoSTEP講師・シニアリサーチサイエンティスト)   情報通信技術(ICT)の革命は、過去数十年にわたり私たちの日常生活に大きな変化をもたらしてきました。特にパーソナルコンピューターの出現からインターネットの普及、スマートフォンの登場、そして現在の生成AIに至るまでの技術革新は目覚ましいものがあります。私が豊橋技術科学大学の学部生だった頃、Mosaicブラウザを通じてインターネットに初めてコネクトしたことを思い出します。私にとって、それはまさに新しい時代の幕開けを象徴する瞬間でした。この時、アーサー・C・クラーク氏の「十分に発達した技術は魔法と見分けがつかない」という言葉を思い出しました。クラーク氏は『2001年宇宙の旅』の著者であり、またスリランカのモラトゥワ大学の学長を務めたことでも知られていますが、この言葉は今もなお、私たちの世界を形作る技術の驚異を見事に捉えています。   伝統的なAIと生成AIの違い 人工知能(AI)という言葉が初めて登場した1956年から、AIは何十年にもわたって研究・開発の対象となってきましたが、従来のAIはルールベースのシステムや特定のタスクを遂行するために設計された機械学習モデルに焦点を当ててきました。これらのシステムは強力ですが、そのプログラミングとトレーニングの範囲に限界があります。一方、生成AIはそれよりも大きな飛躍を遂げています。従来のAIが主にデータを分析して予測や意思決定を行うのに対し、生成AIは新しいコンテンツを創り出すことができます。このコンテンツはテキストや画像から音楽、さらには仮想環境に至るまで多岐にわたります。プログラムされていない新しいコンテンツを生成できる能力は、さまざまな分野で新たな可能性を切り開き、生成AIを革命的な力にしています。   教育におけるAIの影響 教育におけるAIの影響は非常に大きく、多面的です。AIを活用したツールは教育者の教授方法や学生の学び方を大きく変えています。例えば適応学習プラットフォームはAIを利用して、各学生のニーズに応じた教育コンテンツを提供し、個別化された学習体験を実現しています。このアプローチは学生のエンゲージメントを高めるだけでなく、各学習者の強みと弱みを特定して対処することで学習成果を向上させています。 さらに、AIは学生に即時のフィードバックとサポートを提供できるインテリジェントな指導システムの開発も可能にしています。特に数学、物理、化学など段階的な問題解決が重要な科目において、これらのシステムは大きな価値を持ちます。リアルタイムでフィードバックを提供することで、AIは学生がその場で誤りを修正し、重要な概念を強化するのに役立ちます。 しかし、教育にAIを導入することには重要な疑問も生まれています。その中で最も懸念されるのは、教育における人間的な要素が失われる可能性です。教育は単に知識を伝達するだけでなく、批判的思考や創造性、感情知能(EQ)を育むことも含まれます。AIは学習の多くの側面を支援することができますが、教室で人間の教師が提供する微妙な理解や共感を代替することはできません。   学術研究と出版におけるAIの影響 学術研究において生成AIはデータ分析や文献レビュー、さらには研究論文の作成といった時間のかかる作業を自動化することで大きな変革をもたらしています。AIツールは膨大な量のデータを迅速に精査し、人間の研究者が発見することが難しいパターンやトレンドを特定することができます。この能力は研究プロセスを加速させ、科学者がより高度な分析と解釈に集中できるようにします。 また、生成AIは学術出版の民主化にも寄与する可能性があります。執筆プロセスを自動化することで、英語圏以外の研究者も高品質の論文を英語で執筆できるようになり、学術的な議論における言語の多様性が増すでしょう。しかし、この発展はAI生成の研究の真正性や独創性に関する倫理的な懸念も引き起こします。AIツールが責任を持って使用され、適切な帰属と透明性が確保されることが、学術研究の健全性を維持するために不可欠です。   職場におけるAIの影響 職場もまた、AIによって大きな影響を受けています。AIによる自動化は業務を効率化し、コストを削減し、生産性を向上させることで産業を変革しています。データ入力やカスタマーサービス、さらには法律業務の一部など反復的な作業を含む仕事は、ますますAIシステムによって行われるようになっています。この変化により、職場の将来や雇用に対する懸念が生じています。 OpenAIのCEOであるサム・アルトマン氏は多くのホワイトカラーの仕事、特に深い感情的なつながりを必要としない仕事が最終的にはAIに取って代わられるだろうと予測しています。彼はルーティンタスクや反復的な作業が特に自動化の危険にさらされていると指摘しています。一方、Facebook(Meta)AI研究の主任AI科学者であるヤン・ルカン氏は、より慎重な見方を示しています。彼はChatGPTのようなAIモデルは、トレーニングデータの性質や物理的世界、論理、階層的な計画に対する理解の欠如に制約されていると主張しています。ルカン氏によれば、AIが人間の知能に到達することは当分ないだろうとされており、AIが人間の仕事を補完することはあっても完全に置き換えることはないと考えています。   エンターテイメントにおけるAIの影響 エンターテイメント業界でも生成AIによる革命が起きています。AI生成コンテンツには音楽やアート、さらには映画の脚本も含まれます。これらの技術によりクリエイターは新しいアイデアを試し、前例のない規模でコンテンツを制作することが可能になります。たとえば、AIはリスナーの気分にリアルタイムで適応する音楽を作曲したり、視聴者のインタラクションに基づいて進化するビジュアルアートを生成したりすることができます。 しかし、これには人間の創造性の役割に関する問いが生じます。AIは技術的に優れたコンテンツを生成することができますが、人間のクリエイターがもたらす感情的な深みや文化的な背景を欠いています。エンターテイメント業界の課題は、AIの能力を活用しつつ、人間の創造性の独自の特質を保つことにあります。   AIに関する共通の疑問 私たちの議論の中で、AIの将来に対する広範な懸念を反映したいくつかの共通の質問が提起されました。その中でも特に多くの人が関心を寄せたのは、AIによってどのような仕事が置き換えられるかという点です。前述したように、反復的な作業を含む仕事が最も危険にさらされています。しかし、AIによる職業の置き換えの可能性は、低技能の職業に限られるものではありません。法務、医療、金融といった高度なスキルを要する職業でも、AIシステムが進化するにつれて大きな変化が見られる可能性があります。   もう一つの重要な疑問は、AIが人間の知能を超えて人工汎用知能(AGI)や人工超知能(ASI)が誕生する可能性があるかどうかです。この問題については意見が分かれています。AGIの支持者は、さらなる進展が続けばAIが最終的に人間の知能に到達し、さらにはそれを超える可能性があると信じています。しかし、懐疑論者は、現在のAIシステムは常識や感情理解、抽象的な推論能力など、人間の知能を定義する基本的な特質を欠いていると主張しています。 AIの整合性(アラインメント)―AIシステムが人間の価値観や目標に沿って行動することの重要性を過小評価してはなりません。AIが私たちの日常生活にますます組み込まれてゆくにつれて、その倫理的な活用フレームワークと規制を開発することが不可欠となります。AIが活用される世界を実現するためには技術者や倫理学者、政策立案者、そして社会全体の協力が必要です。   未来のAI社会に備える 未来を見据えると、AIが社会においてますます重要な役割を果たすことは明らかです。この未来に備えるためにはAIの可能性を受け入れるだけでなく、それがもたらす課題にも対処する必要があります。AIに依存せざるを得ない世界で成功するためには、必要なスキルを個々人に提供するようにカリキュラムを進化させなければなりません。これにはデジタルリテラシーや批判的思考、そしてAIシステムと協力して働く能力の育成が必要となるのです。 結論として、AIは多くの機会と課題を提供しますが、機械が人間の仕事の一部を担うことがあっても、完全に取って代わることは当面ないでしょう。しかし、「AIを使わない人間は、AIを効果的に使う人間に取って代わられるかもしれな」のです。   当日の写真   <ナイワラ P. チャンドラシリ  Dr. Naiwala P. Chandrasiri> 工学院大学情報学部教授。2001年東京大学より博士(情報工学)。現在の研究テーマは、人工知能、コンピュータビジョン、機械学習、ヒューマン・マシン・インターフェース、人間コミュニケーション工学。2001年、米国で開催されたWorld Multi-Conference on Systemics, Cybernetics and Informaticsで最優秀論文賞を受賞、さらに様々な賞を受賞。       2024 年11月16日配信      
  • 2024.10.31

    第7回アジア未来会議円卓会議/第9回国史たちの対話報告:金キョンテ「東アジアの『国史』と東南アジア」

    第74回SGRAフォーラムとなる第9回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性「東アジアの『国史』と東南アジア」円卓会議が2024年8月10日~11日にチュラーロンコーン大学(バンコク)で開催された。2020年1月のフィリピンでの「国史たちの対話」以後、新型コロナウイルスの影響でしばらくはオンラインで行われたが、昨年(2023年)8月、第8回の早稲田会議が久しぶりに対面とオンラインとのハイブリッドで開催され、今回も続けることになった。   会議の前日に参加者が集まり、夕食をしながら「対話」が始まった。参加者の中には、5年ぶりに会って話を交わす人もいれば初対面の人もいたが、全員が似たような悩みや問題意識を持つ研究者として和気あいあいと話し合い、翌日から始まる「対話」に期待が高まった。また、元国連事務次長の明石康先生の歓迎挨拶は、自国の歴史と各国の国史との対話を考える研究者たちに大きな勇気を与えた。   8月10日、夏空のもとで会議が始まった。今回の「国史たちの対話」は5つのセッションで構成された。初日は基調講演と発表の2つのセッションがあり、翌日はその内容を基にした第3セッションの指定討論、そして第4セッションの自由討論、最後にこれからの「国史たちの対話」を考える第5セッションという構成で進められた。第1セッションは、劉傑先生(早稲田大学)が司会を務めた。まず、今回の「国史たちの対話」の趣旨について説明があった。続いて、劉先生は「国史たちの対話」が始まった時とは国際情勢が大きく変化した現在、新しい場所とテーマで対話を行なっているということは意義深いと述べながら、これを機に今後の対話も模索していこうと述べた。   その後、三谷博先生(東京大学名誉教授)の開会挨拶があった。三谷先生は、東北アジア3国の関係に影響を与えた現代史の軌跡を互いに理解し共有すれば、歴史対話は確実に安定していくだろうと強調。そして、日中韓の3カ国における東南アジアに関する研究の相違点について歴史学者として疑問を抱いていたが、今回の対話を通してそれを解き明かしながら、この新たな地域で生まれた合意または対立に注目して、私たちの絆をどのように深めていくかを考えてみようと提案した。   楊奎松先生(北京大学・華東師範大学)の基調講演は、「ポストコロニアル時代における『ナショナリズム』衝突の原因―毛沢東時代の領土紛争に関する戦略の変化を手掛かりに」であった。要するに、毛沢東をはじめとする「カリスマ的」な指導者は、自らの裁量で外交関係の葛藤を封じ込める(あるいは無効化する)政治力を発揮したが、彼らとは異なる傾向のその後の指導者たちはそのような方法を使わず(あるいは使えず)、時にはポピュリズムを利用することもあったが、むしろ逆に影響を受ける主客転倒の状況も現れたという。その現状は毛沢東をはじめとする指導者たちが行なった「政策の影」でもあると評価した。最後に、互いの歴史を共感し理解するために歴史研究者が持つべき姿勢について提言した。つまり、どのような民族的、国家的な「歴史認識」であっても限界性を持っていることを認め、人類社会の歴史の中で民族と国家の歴史を位置づけなければならないということであった。   次いで日中韓及びタイ出身の研究者の発表セッションが南基正先生(ソウル大学)の司会で行われた。タンシンマンコン・パッタジット先生(東京大学)の「『竹の外交論』における大国関係と小国意識」は、外交に長けた国として知られ、それを自負する国であるタイの外交の歴史的事実を再検証し、その裏側に隠された「小国意識」が持つ問題点を鋭く指摘した。私にとって「小国意識」は、「小国(観)」、「小中華意識」などの韓国史で使われる用語と似ていて親しみを感じたが、それとは異なる文脈で使われる用語だったのでとても興味深かった。タイの過去と現在を理解するのに役立つ一方で、韓国人が持つ「平和を愛する白衣の民族」という観念との共通点も思い浮かんだ。   続いて、日中韓三カ国の研究者の発表が行われた。吉田ますみ先生(三井文庫)の「日本近代史と東南アジア―1930年代の評価をめぐって」は、戦後の日本近代史研究において日本と東南アジアとの関係がどのように語られてきたかについて、当時の時代背景と学界の潮流を紹介した。   尹大栄先生(ソウル大学)の「韓国における東南アジア史研究」は、朝鮮半島と東南アジアの関係を、慧超(新羅時代)の古代から高麗、朝鮮を経て近代韓国に至るまで歴史の流れに沿って考察した。最後に、韓国の東南アジア史研究の「多少残念な現状」について指摘した。   高艷傑先生(厦門大学)の「華僑問題と外交―1959年のインドネシア華人排斥に対する中国政府の対応」は、1959年から1961年の間にインドネシアで起きた中国系住民に対する排斥とそれに対する中国の外交政策を論じたが、高先生は、中国は強硬な姿勢で対応しながらも、両国の友好関係発展への必要性に応えたと評価した。   今回の「国史たちの対話」では、中国学界の権威者の基調講演とタイ出身の研究者の発表が含まれていたが、これは新しい試みだ。国史学界の権威者から中国の歴史認識や叙述の特徴について聞ける機会であり、私たちにはなじみのないタイの自国史認識についても学べる機会でもあった。   初日の2つのセッションが終わると、屋外に設けられたランチ会場で美味しいタイ料理の昼食を楽しんだ。その後のアジア未来会議の開会式後のウェルカムパーティーでは、前日に引き続き和気あいあいとした会話が交わされた。日程が終わっても自分の家に帰れないということは、ある意味で遠地で行われるイベントの「長所」である。午前の基調講演と発表を聞いた指定討論者たちは、自分の考えをまとめた討論文を夜までに同時通訳者たちに渡したため、翌日の討論セッションのスムーズな進行に役立った。   8月11日、第3セッションは彭浩先生(大阪公立大学)の司会による指定討論であった。韓国からは鄭栽賢先生(木浦大学)と韓成敏先生(高麗大学)が、日本からは佐藤雄基先生(立教大学)と平山昇先生(神奈川大学)が、中国からは鄭潔西先生(温州大学)と鄭成先生(兵庫県立大学)が登壇した。 6人は、それぞれの専門分野に基づき、深い悩みが込められた率直で鋭い質問をした。   第4セッションは鄭淳一先生(高麗大学)の司会による自由討論。まず、指定討論者の質問に対する基調講演者と発表者の簡単な回答から始まり、自由討論の時間を持った。問題意識が質問になり、質問が発展して共感を得る新たな問題意識につながった。質問と回答が頻繁に交錯しながらも対話が自然に進んだのは、長年一緒にやってきた通訳者の方々のおかげであった。長い間一緒に議論を重ねてきた参加者、そして問題意識を共有する新しい参加者が集まったことで、効率的な議論ができた。   皆の熱い議論を踏まえて、劉傑先生が論点を整理してくれた。要約すると、今回のテーマを選定するにあたって新たな発見があったということである。今回のキーワードとして「大国」、「小国」が注目され、時期は戦前から戦後へと自然に移った。戦後の歴史に入ると問題設定が変わってくる。戦前・戦後を連続して語るためには何を問題に設定するかを考えなければならないし、それぞれの異なる空間でどのように「国境を越えよう」としているのか、国境を越えた歴史対話は私たちの仕事であるが、各国の歴史家がそれぞれの国の中で直面している国境の問題も一緒に考えなければならない。そして、歴史認識の問題は自国の問題でもあることを念頭に置かなければならないという話であった。   第5セッションはメインテーマから少し離れて、塩出浩之先生(京都大学)の司会でこれからの「国史たちの対話」の方向性について議論する時間を持った。中国の彭浩先生、韓国の鄭淳一先生、日本の村和明先生(東京大学)が順番に意見を述べた。共通したのは困難があっても継続すべきだというものであった。   「引きこもり型」の国史研究者を一人でも多く連れ出そうとの三谷先生の趣旨を今後とも考えていく必要があるという平山先生の意見と、これまでの形式を変えて、研究者同士が一緒に踏査してそこで互いの距離をさらに縮められるような「スモールトークの場」を作ろうという韓成敏先生の意見も、耳を傾けるべきコメントであった。   最後に宋志勇先生(南開大学)の閉会挨拶で締めくくりを迎えた。第一に、会議の準備と進行は非常に成功したと述べた。渥美国際交流財団の今西淳子常務理事、三谷博先生、劉傑先生、チュラーロンコーン大学に感謝し、同時通訳者とスタッフにも感謝を伝えた。第二に、学術的な成果が豊富であり、そして最後には今後の国史研究の方向性について賢明で建設的な意見を聞いたということである。まとめると、国史研究の深化に示唆があり、会議が終わっても財団と参加者は頭を寄せ合って明るい未来を設計することを確信しているとの話があった。   最後の最後に、「国史たちの対話」の成果を拡散するための新たな取り組みの一つである教材化プロジェクトの現状を報告する場があった。新しいメディアを活用した作業は大きな期待を持たせるものであった。   「国史たちの対話」はコロナ下のオンライン会議を経て9回目を迎えた。個人的には、場所とテーマを大幅に変えた新しい試みを行なった今回の「対話」は特に記憶に残る点が多かった。まず、韓国における東南アジアの研究が非常に不足していることを痛感した。日本や中国に比べ研究者が少ないのは仕方がないかもしれないが、研究テーマが多様でない点については学界レベルでの検討が必要だろう。多様な研究や試みを受け入れる雰囲気が国史の内部から醸成されれば、各国の間の対話もより円滑に行われるのではないか。一人の国史研究者としてそんな思いを抱くようになった。   これまでの「国史たちの対話」でも感じたことであるが、研究者の幅が広がった今回の「対話」でも、多くの研究者が私と同じような悩み(政治と学問、社会が求める学問と自分の研究の間での悩み)を抱えていると実感して、勇気を得ることができた。   一方、華人や華僑排斥事件は東南アジアに限ったことではなく、(華僑社会が東南アジアに非常に大きく形成されているのは事実だが)中国人が多数進出している地域では彼らに対する排斥事件が起きていたことを忘れてはならない。植民地朝鮮でも中国人排斥事件があったし、中国では朝鮮人排斥事件が起こった。このように、各国で移民者コミュニティに対する排斥事件がなぜ発生するのかについて一緒に関心を持ってみるのも意味があると思った。   二日目の夜、「国史たちの対話」の参加者のほとんどが課題を終えた後のほっとした気持ちで、美しい屋外レストランで自由に会話を楽しんだ。学術的な会話だけでなく、顔を合わせて肩の荷物を少し下ろし、互いの本音を交換する私的な会話も重要であることを知った場であった。 (原文は韓国語、翻訳:ノジュウン)   当日の写真   アンケート集計結果    <金キョンテ(キム・キョンテ)KIM_Kyongtae> 韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学韓国史学科博士課程在籍中に 2010 年~2011 年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014 年高麗大学韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員、高麗大学人文力量強化事業団研究教授を経て、全南大学校歴史敎育科副教授。戦争の破壊的な本性と戦争が荒らした土地にも必ず生まれ育つ平和の歴史に関心を持っている。主な著作:「壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)」、『虚勢と妥協―壬辰倭乱をめぐる三国の協商』(東北亜歴史財団、2019)。     2025年10月31日配信
  • 2024.10.03

    第7回アジア未来会議円卓会議報告:フェルディナンド・マキト「激動の東アジアにおけるASEAN中心性」

    歴史的、文化的な理由から中国、日本、韓国、あるいは私が「北東アジア」と呼んでいる地域は、SGRAの地域イベントにおいて非常に積極的な役割を果たしてきました。これに触発され、今西さんや角田さんに励まされながら、東南アジアのより積極的な参加を強く進めてきました。2024年8月にバンコクで開催された第7回アジア未来会議では「東南アジアのレンズから世界を考える」シリーズの第2弾となる東南アジア円卓会議を開催。サブテーマは「激動の東アジアにおけるASEAN中心性」。問題提起として私は東南アジアの視点から、平川均先生(名古屋大学名誉教授)は北東アジアの視点から発表しました。   私は東南アジア諸国連合(ASEAN)中心性に関する伝統的な視点と、あまり伝統的でない視点を取り上げました。伝統的な考え方では、ASEANは対立する主要国を交渉のテーブルに集めて冷静に課題を議論させる能力を持っているとみなされます。これに対して私は、地理的なアプローチを採用したあまり伝統的ではない視点から、東南アジアと北東アジアを合わせた「東アジア」諸国の地理的な中心は、まさに南シナ海の荒波に見出すことができると指摘し、二つの概念化を検討しました。一つは小国と大国との間の紛争に焦点を当てた地政学的なもので、事例として西フィリピン海・南シナ海の対立を挙げました。もう一つは東アジアにおける二つの顕著な勢力、国境を越える地域統合と各国国内における地方分権化との間の対立に焦点を当てた「地経学」(ジオエコノミック:地政学的目的のために経済を活用すること)的なものです。   平川先生は東アジアが地域秩序を形成する上で直面している課題は100年前と似ているが、中国が日本に代わって大国になったという発言から始め、米中の覇権争いで経済分断(デカップリング)が進んでいることを指摘しました。ASEAN地域は、双方がお互いを自分たちの陣営に引き込もうとしている競争の場となっています。南シナ海におけるASEANの領有権紛争は中国の「二国間交渉」により、ASEAN加盟国の中心性と結束に深刻な課題を投げかけています。もしASEAN諸国がばらばらに地経学的なアプローチをとると、アジアの地域開発の基盤が損なわれることになります。   平川先生は最後に、ASEAN中心性はASEANだけに任せるべきではなく、東アジアで地域公共財として確立した様々なレベルでの国際協力の枠組みを維持するために、地域メンバー国の努力が必要であると強調しました。これは中国を含む東アジア諸国が平和と繁栄の中で共に生き続けるための前提条件となるでしょう。ウクライナでの戦争が北大西洋条約機構(NATO、ウクライナを支援する米国も含む)とロシアの2つの陣営に分かれる中、東アジアがグローバルサウスへの道を模索するインドと協力することも重要でしょう。ASEAN中心性の枠組みの下で、中国と率直な対話を行うことを忘れてはなりません。中国もルールに基づく国際秩序を守り、ソフトパワーの台頭として世界における威信を高めるように行動すべきでしょう。   続いて行われた討論では、キン・マウン・トウエ氏が、ミャンマーはASEAN中心性にどのように参加できるかという問題を提起しました。私はASEAN中心性の2つの地理的概念化(地政学的および地経学的)が、ミャンマーを含む地域紛争の解決策を示しており、ASEANは依然として中心的な役割を果たすことができると説明しました。フィリピン大学放送大学の講座では、このASEANの中心的な役割を地方自治体や地域コミュニティと他国のカウンターパートとの接続「Local to Local Across Border Scheme(LLABS)」と名付けました。   モトキ・ラクスミワタナ氏(早稲田大学)は、世界銀行の研究が示すように、タイ政府は確かに地方分権化に慎重な動きをしており、最近はさらに慎重になっていることを確認しました。ジャクファル・イドルス氏(国士舘大学)は東アジアにおける権威主義の縮小を呼びかけ、ASEANにとって機能してきた原則の一つが、加盟国の地域問題への不干渉であることを思い出させました。マンダール・クルカーニ博士(GITAM人文社会大学)は、とても良くまとまった統計資料を共有しながら、インドと東アジアの間の強力な経済関係を確認しました。   ポーランドからの参加者による「なぜこの会議に中国人がいないのか」というコメントに対しては、日本に住んでいる中国人研究者と一緒に開催したセミナーを紹介しました。この第37回SGRA共有型成長セミナー「東アジアダイナミックス」のレポートはここからお読みいただけます。   日本にいる中国人は「日本化」されているという私の観察も共有しました。この円卓会議は東南アジアからの観点が中心で、北東アジアの観点は平川先生が十分に触れてくださったと思います。会議が始まった時には参加者がとても少なくて心配しましたが、休憩後には部屋がいっぱいになりました。次回は最初から多くの人に来ていただけるようにしたいと思います。   今回のアジア未来会議の開会宣言で、明石康大会会長は「すべての地政学的な断層線が現在活発化しているように見える」とおっしゃいました。ウクライナ-ロシアと中東の「断層線」が挙げられたので、南シナ海-西フィリピン海の「断層線」についても言及してくださるのを待っていましたが、残念ながら「その他」にグループ化されてしまいました。「ASEAN中心性」を検討する円卓会議の主催者として、次のアジア未来会議ではもっと「東アジアの断層線」について議論できる場を増やせたらと思います。   最終日の夜にはアジア未来会議の成功だけでなく、渥美国際交流財団の30周年も祝うためにラクーン(渥美奨学生のこと)たちの集まりがありました。おそらく日本国外に拠点を置く最年長の私は、中締めを頼まれました。短い挨拶の中で、集まってくれた若い仲間たちに今回のAFC7のテーマ「再生と再会」を思い出してもらい、これは私たちに対しても可能な限りの手段を使ってお互いに「再接続」し「再活性化」するための呼びかけであることを強調しました。   これまでに、ジャクファルさんはフィリピン大学放送大学の講座でインドネシアの農村企業について講義してくれました。ラムサル・ビカスさんは鹿島建設での研究開発活動について講演するためにロスバニョスまで来てくれました。台湾の梁蘊嫻さん(元智大学)には、台湾の国父であり中華人民共和国では革命の父である孫文(1866~1925)の地価税に対する見解について話してくれる人を探していただきました。モトキさんには、次の円卓会議で講演する可能性のあるタイの研究者の推薦をお願いしています。言うまでもなく、皆さんが再びつながることをとても温かく受け入れてくれました。第8回アジア未来会議の仙台での再会を楽しみにしています。   祝賀会はフィリピンを訪れることを楽しみにしてくれている全振煥さん(鹿島建設)に手伝ってもらい盛大な三本締めで終わりました。みなさんと再会できてとても嬉しかったです。   当日の写真   <フェルディナンド・マキト Ferdinand C. MAQUITO> SGRAフィリピン代表。SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学ロスバニョス校准教授。フィリピン大学放送大学提携教員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師、アジア太平洋大学CRC研究顧問を経て現職。     2024年10月3日配信
  • 2024.09.19

    第7回アジア未来会議INAF円卓会議報告:齋藤光位「東アジア地域協力における朝鮮半島の統一と開発協力」

    2024年8月10日(土)にバンコクのチュラーロンコーン大学で開催され、11名の専門家が登壇した。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は東アジア経済協力の枠組みに入っていない状況だが、今後は東アジア地域協力の枠組に参加して総合的な経済開発を推進できるかという問題意識の下、現状認識と課題の整理を行い、実現性について議論した。   第1セッション「北朝鮮経済の現状と開発戦略および政策」は東北亜未来構想研究所(INAF)所長の李鋼哲氏が司会を務めた。   最初に韓国輸出入銀行・北韓開発センター研究員の姜宇哲氏が「北朝鮮経済に関する多面的分析」という問題提起を行った。北朝鮮の現状を把握するためには、韓国の推定資料、国際機関の調査資料、脱北者のインタビューなど様々な資料を多面的に分析する必要があるとして、経済成長、貿易、食料生産、分野データなどを分析。今後の開発協力の可能性を示唆し、北朝鮮に対する制裁は国民の人道的状況を悪化させるので国際社会は再考すべきと主張した。   新潟県立大学北東アジア研究所教授の三村光弘氏(INAF常任理事)は「朝鮮民主主義人民共和国の統一、対外政策の変化と今後の開発見通し」という問題提起を行った。大韓民国(韓国)との関係に対する認識が敵対国へと変化する一方で、北朝鮮がロシアとの「包括的戦略パートナーシップ条約」に署名したことなど、ここ1年間の対外関係の変化に着目。北朝鮮は世界の多極化の進行を西側諸国とそれ以外の国々の対立の深化と捉えて「新冷戦」と表現しているが、この表現は、北朝鮮が膠着する米朝関係改善にすべての力量を投入するのではなく、新興国グループBRICSや国連加盟の発展途上国からなる「77ヶ国グループ」(G77、現在の加盟国は134)など、米国をメンバーとしない国際協力の枠組みを重要な協力対象としているようにみえる。北朝鮮メディアで使用される表現の分析から、北朝鮮はこの多極化について肯定的な立場であると述べた。今後、部分的な対外開放を行う可能性があるが、その際には海外直接投資の受け入れ制度の大枠については変更せず、対象を絞りながら進めていくのではないかと述べた。   指定討論では齋藤光位と柳学洙・九州市立大学准教授、川口智彦・日本大学准教授(INAF副理事長)、伊集院敦・日本経済研究センター首席研究員が発言した。   齋藤は北朝鮮が発表し国営企業の国家予算に動員する資金の増加率の推移に注目しながら、対朝制裁とコロナによる影響によって企業の生産活動が萎縮するなかで、平壌と地方の開発を進める資金の見通しを立てた要因の一つとしてロシアとの関係強化が考えられると述べた。柳氏は北朝鮮の経済開発戦略は一貫して「自力更生」の理念に基づいており、これを具現化するために「均等原則」、「近接原則」を推進してきたと述べ、北朝鮮の経済開発方式は、ほかの国が経験してきたパターンとは異なっている点を強調した。川口氏は一次資料を使用して、生産されている武器を挙げながら、経済開発の源泉として朝ロ関係の強化に伴い、対露ミサイル輸出が近年では活発化していると指摘した。伊集院氏が各発表者に対してそれぞれ質問した後、会場との質疑応答で活発な議論が展開された。   第2セッション「周辺諸国と北朝鮮の経済関係と開発協力の可能性」は川口氏が司会を務めた。   李鋼哲氏は「北朝鮮の開発と日本・中国の経済支援と投資の可能性」という発表で、朝鮮半島の安定のカギは北朝鮮の国際社会への復帰とともに経済開発であり、北アジア地域諸国にとって非常に重要な課題であると強調。北朝鮮の経済開発において日本と中国は最も重要な役割を担っているとして、日本は2002年の日朝壌宣言過去の朝鮮半島に対する植民地支配の反省と経済的支援を取り上げた。また、中国は朝鮮戦争以来、現在も対北朝鮮経済協力の最大のプレーヤで、北朝鮮が本格的に改革・開放政策を進める場合にはアジア投資インフラ銀行(AIIB)からと中国企業からの投資がパイオニア的な役割を果たすことになると述べた。   伊集院氏は「東アジア地域協力における朝鮮半島の統一と開発協力」という発表で、東北アジアにリスクを軽減しながら経済関係を維持するという「デリスキング」の波が広がっており、その背景は米中の戦略競争の激化で同盟国との連携を軸に経済的強靭性の強化に注力し、先端技術管理などの経済安保政策やサプライチェーン協力などが柱になると分析。この地域は米中を軸とした経済安保の最前線に位置するため分断が深まるリスクが大きく、経済面のリスク・コミュニケーションや適切な競争管理も必要になると主張した。   指定討論では、エンクバヤル新潟県立大学教授(INAF副理事長)、朱永浩福島大学教授(INAF理事)、金崇培釜慶大学助教授、林泉忠東京大学特任研究員の4名が発言した。   エンクバヤル氏は、モンゴル経済はコロナ禍でもV字回復しているが、対外貿易の相手は中国とロシアで鉱業輸出に依存しているため、外的ショックに極めて脆弱であると指摘。朱氏は、国連の対北朝鮮制裁が継続し、コロナによって中朝経済関係は「停滞」しているが、中国にとって中・蒙・ロの経済回廊に朝鮮半島が加わることは東北アジア地域協力の推進に重要であり、そのためには中国東北部と北朝鮮の間の陸上輸送と日本海経由の海上輸送を結び付けるために日韓両国の関わりが不可欠であると強調した。   金氏は、日本は北朝鮮の核・ミサイル問題に対して唯一の被爆国家として核問題政策が必要であり、さらに日朝平壌宣言への回帰を行い、日米関係において同盟国家として米国を誘導し、米朝関係の改善に向けて動く必要があると述べた。林氏は、本円卓会議のキーワードの一つである「朝鮮半島の統一」問題に着目し、台湾海峡を挟んだ両岸の統一問題との比較を試みた。まず、南北朝鮮は長い間、互いに「民族の統一」を掲げてきたが、金正恩総書記は2023年12月に韓国を敵対国視し、南北統一を否定した。一方、方法こそ異なるが、両岸も同じく「国家統一」を1990年代初めまで互いに掲げていたにも関わらず、民主化と本土化の波を受け、台湾は次第に統一に対して否定的な立場に変わってきた。朝鮮半島も両岸も民族や国家の統一は、近い将来において望めないばかりか緊張関係が続いていくだろう、と述べた。会場との質疑応答では、自由闊達な議論が展開された。   最後に李所長が閉会の挨拶で、北朝鮮の経済開発および東北アジア地域協力問題に関して関係諸国の専門家たちが、様々な角度から議論できたことは、とても有意義な時間であったとし、東北アジア地域の平和と繁栄に向けて今後とも多面的に議論しよう締めくくった。   <齋藤光位(さいとう・みつえ)SAITO Mitsue> 2021年3月福島大学経済経営学類経済学研究科(修士)卒業。2022年2月東北亜未来構想研究所(INAF)研究員。2023年3月に韓国の北韓大学院大学博士課程に入学。学会発表は「朝鮮民主主義人民共和国における「市場化」の概念の再考(韓国語)」(2023年9月、北東アジア学会第29回学術大会)、「金正恩時期における軽工業政策-食料品工業を中心に―」(2024年5月、北東アジア学会拡大関東地域研究会)他。     2024年9月19日配信  
  • 2024.09.05

    第7回アジア未来会議円卓会議報告:香山恆毅「タイにおける日本研究の現状と展望」

    2024年8月10日(土)午前9時から、チュラーロンコーン大学文学部にて開催された円卓会議では、タイにおける「日本語、日本語教育、日本文学、日本文化」に関する研究の特徴が報告された。タイで発表された学術論文のデータベースを基にしたものである。その後、これらの研究を後押しする二つの学術協会の役割、活動内容、研究の特徴の紹介があった。   まず、「日本語・日本語教育・日本文学」に関する研究の全体傾向について、チュラーロンコーン大学文学部教授のカノックワン先生から報告があった。(1)過去11年間(2012-2022年)にタイで発表された外国語・外国文学に関する論文の中で、日本語に関するものは350本あり、英語1077本、中国語682本に次いで、3番目に多い。(2)日本語教育分野の論文が多いこと、タイ語で書かれた論文が多いことなどが特徴。(3)2018-2019年は論文数が特に多い。この時期は国による大学教員昇進基準の改定時期と重なる。(4)2015年以降、日本語で書かれた論文が減少した。   「日本語および日本語教育」研究の現状については、タマサート大学教養学部教授のソムキアット先生から報告があった。(1)過去29年間(1994-2022年)にタイで発表されたこの分野の学術論文数は528本。(2)日本語教育に関する研究(教室活動、実践研究など)の割合は2012年頃までは増えていたが、その後は減る傾向にある。翻訳の研究は2008年頃から始まっている。(3)研究方法は、アンケートが最も多く、5年毎の平均で24-39%だが、客観的な方法(テスト、コーパスの利用)や、インタビューなども取り入れられるようになっており、今後も研究の質の向上が期待できる。   「日本文学」研究については、タマサート大学教養学部准教授のピヤヌット先生から報告があった。(1)過去29年間(同上)にタイで発表されたこの分野の論文および図書は152件。最も多いのは作品分析で、約9割を占めている。(2)対象作品の時代区分は、現代(関東大震災以降)が約4割、中世(鎌倉時代から安土桃山時代)が約2割を占めている。(3)現代文学研究が多い理由は日本語で比較的容易に読めることや、タイ語翻訳版が多いことなどが考えられる。中世文学研究が多いのは「仏教」に関係したテーマがあり、タイに仏教徒が多いことが考えられる。   次に、学術協会の紹介では、最初にタイ国日本研究協会(JSAT)会長であるチュラーロンコーン大学文学部准教授のチョムナード先生から、「タイにおける日本の社会と文化研究の現状と課題―JSATの視点から」と題して報告があった。(1)タイの日本研究者の集まりは1980年代後半から始まり2006年に組織化、2011年に学会誌『jsn』を発刊、2013年に協会名をJSATに改名し、現在に至っている。(2)活動の目的は日本研究者同士の意見交換や研究成果の共有など。(3)活動内容は年次学術大会、ワークショップ、オンラインセミナーの開催や、年2回の学会誌刊行など。(4)日本の社会・文化研究の特徴は、現代に関する文献・資料研究が多いことや、フィールドワーク調査が少ないことなどである。   二つ目の学術協会の紹介では、タイ国日本語日本文化教師協会(JTAT)アドバイザーであり、元カセサート大学人文学部准教授のソイスダー先生から報告があった。(1)タイの日本語教師会は2003年に設立され、2009年にタイ国日本語日本文化教師協会となった。(2)活動目的は学術的な意見、教授資料、教授法や経験の共有など。(3)活動内容は、教師向けに年3回のセミナーや年2回の短期訪日研修などがある。学生向けには、ドラマコンテストや輪読会(ビブリオバトル)などを開催。(4)2024年には「第1回タイ国日本語教育国際シンポジウム」を開催し、基調講演で生成(ジェネラティブ)AI時代の言語教育を取り上げ、質的な教師の育成を支援している。   最後の質疑応答では、初めてタイを訪れた方が、バンコクの町中に日本語の看板があることを取り上げ、日本語教育の状況や教科書について質問。登壇者からは、大学では中上級レベルの市販教科書と自作教材を併用している、との回答があった。また、日本語学科がある高校もあり、国際交流基金バンコク日本文化センターが開発した教科書が主に使われ、高校卒業時に同基金などが運営する日本語能力試験(JLPT) N4レベル(基本的な日本語を理解できる)相当の内容を学んでいるとの説明があった。他にも日本の環境への取り組みに対する関心や、タイ国内外の学術協会との交流などについて質問があり、学際的、国際的な話題について活発に議論された。   当日の写真   <香山恆毅(こうやま・こうき)KOYAMA Koki> チェンマイ大学人文学部日本語講師。東京都立大学工学部建築工学科卒業。日本およびタイにて建築施工管理(1995-2011年)。チュラーロンコーン大学文学部修士課程外国語としての日本語コース修了(2015年)。     2024年9月5日配信
  • 2024.08.22

    第7回アジア未来会議報告

    2024年8月9日(金)~13日(火)、バンコク市の中心に位置するチュラーロンコーン大学にて、21ヵ国から346名の登録参加者を得て、第7回アジア未来会議が開催されました。総合テーマは「再生と再会(Revitalization and Reconnection)」。「100年に一度とも言われるパンデミック後のアジア、地球社会は変化の時代に入った。社会、経済、文化、教育など多方面における大きな変化に対して私たちはどのように向き合い、乗り越えて行けばよいのだろうか。国際的・学際的な若い研究者たちが集い、共に語る、この「再会」の場が新しいアジア、地球社会の未来を「再生」させる源ともなることを期待しつつ、課題解決の糸口を模索すること」を目標に、基調講演とオープンフォーラム、円卓会議、そして数多くの研究論文発表が行われ、広範な領域における課題に取り組む国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。   10日(土)午前9時、同大学文学部の教室で、渥美フェローが企画実施を担当する8つの円卓会議が始まりました。 1) 日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性「東アジアの『国史』と東南アジア」(日中韓同時通訳) 2) チュラーロンコーン大学日本語講座セッション「タイにおける日本研究の現状と展望」(日本語) 3) Exploring the Impact of Generative AI on Education and Research(英語) 4) Asian Cultural Dialogues “The Limits and Possibilities of Freedom” (英語) 5) Animal Release Problems in Asia: Harm caused by introduction of animals into natural environments, with special reference to fish(英語) 6) ASEAN Centrality in Turbulent East Asia(英語) 7) INAFセッション「東アジア地域協力における朝鮮半島の統一と開発協力」(日本語) 8) モンゴルと中央アジアにおける文化と資源の越境(日本語)   午後3時30分からクラウンプラザホテルで開会式が行われました。最初に明石康大会会長の開会宣言があり、同大学文学部スラディート・チョティウドムパン学部長から歓迎挨拶、在タイ日本大使の大鷹正人様と在タイ韓国大使の朴容民様からご祝辞をいただきました。引き続き、渥美直紀・渥美国際交流財団理事長より共催、協賛、参会のお礼と基調講演の講師紹介がありました。   基調講演では、社会起業家でありバンコクで最年少の副知事であるサノン・ワンスランブーン氏が多くのスライドを使って「バンコクと私たちの未来」について熱く語ってくださいました。官僚組織の簡素化、デジタル化を推進しながらも「人々が中心」「動脈から毛細血管へ」と次々に魅力的な改革を紹介して400人の聴衆を魅了しました。   引き続き開催されたオープンフォーラム「アジアの巨大都市と未来への挑戦」では、建築・都市開発の専門家によって、巨大都市(メガシティー)の全体像とバンコク、マニラ、そしてインドネシアの都市マカッサルの現状と未来への挑戦についての報告がありました。 その後、会場でウェルカムパーティーが開催され、参加者はタイ料理と民族音楽、人形劇を楽しみました。   第7回アジア未来会議のプログラム   11日(日)午前9時から、同大学の会場で53セッションの分科会が行われ、198本の論文発表が行われました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しており、各セッションは発表者が投稿時に選んだ「平和」「環境」「イノベーション」などのトピックに基づいてグループ化され、学術学会とは趣を異にした多角的で活発な議論が展開されました。   セッションごとに2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。 優秀発表賞の受賞者リスト   優秀論文は学術委員会によって事前に選考されました。2023年9月20日までに発表要旨、3月31日までにフルペーパーがオンライン投稿された94本の論文を10グループに分け、延べ42名の審査員が査読しました。ひとつのグループを6名の審査員が、 (1)論文が会議のテーマ「再生と再会」と適合しているか、(2)分かりやすく構成され、理解しやすいか、(3)論点が明確に提示され説得力があるか、(4)課題への取り組み方に創造性があるか、(5)国際性があるか、(6)学際性があるか、という指針に基づいて審査し、各審査員は、各グループ9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位21本を優秀論文と決定しました。 優秀論文リスト   クロージングパーティーは、午後6時30分からマンダリンホテルで開催されました。2013年にバンコクで開かれた第1回アジア未来会議のクロージングパーティーでも司会を務めた渥美フェロー2名の司会で進められ、優秀賞の授賞式が行われました。今回の受賞者21名だけでなく、コロナ禍のために対面で開催できなかった第6回の受賞者も含めて優秀論文の著者40名が登壇し、明石大会会長から賞状が手渡されました。続いて、優秀発表賞52名が表彰されました。   最後に第8回アジア未来会議の開催場所が発表され、ホストである東北学院大学(仙台市)の大西晴樹学長による招待のスピーチとビデオによる大学案内がありました。   12日(月)、参加者はそれぞれ、アユタヤ観光ツアー、寺院と王宮ツアー、水上マーケットそしてタイ料理教室等に参加しました。   第7回アジア未来会議「再生と再会」は、(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、チュラーロンコーン大学文学部東洋言語学科日本語講座の共催、在タイ日本大使館、国際交流基金の後援、(公財)高橋産業経済研究財団と(一社)東京倶楽部からの助成、日本と在タイ日系企業からのご協賛をいただきました。同大学日本語講座では実行委員会を組織し、当日はたくさんの学生さんにお手伝いいただきました。また、タイ鹿島の皆さんにはタイ日系企業への募金とVIPサポートをしていただきました。   主催・協力・賛助者リスト   運営にあたっては、渥美フェローを中心に実行委員会、学術委員会が組織され、フォーラムの企画からホームページの維持管理、優秀賞の選考、撮影まであらゆる業務を担当しました。特にタイ出身の渥美フェローが企画の最初から最後まで大活躍でした。   400名の参加者の皆さん、開催のためにご支援くださった皆さん、さまざまな面でボランティアとしてご協力くださった皆さんのおかげで、第7回アジア未来会議を和やかかつ賑やかに、成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。   アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを基本として、グローバル化に伴う様々な問題を科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化など、社会のあらゆる次元において多面的に検討する場を提供することを目指しています。SGRA会員だけでなく、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている研究者、その学生、そして日本に興味のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、知識・情報・意見・文化等の交流・発表の場を提供するために、趣旨に賛同してくださる諸機関のご支援とご協力を得て開催するものです。   第8回アジア未来会議「空間と距離:こえる、縮める、つくる」は、2026年8月25日(火)から29日(土)まで、東北学院大学と共催で仙台市で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。   第7回アジア未来会議の写真(ハイライト)   第7回アジア未来会議のフィードバック集計   第7回アジア未来会議報告(写真入り)日本語   The 7th Asia Future Conference Report (English)   第8回アジア未来会議(日本、仙台市)案内   (文責:SGRA代表・アジア未来会議実行委員長 今西淳子)     2024年8月22日配信
  • 2023.05.18

    第7回アジア未来会議 論文募集のお知らせ

    第7回アジア未来会議(AFC#7)は、論文、小論文の提案(発表要旨)を下記の通り募集します。   会期:2024年8月9日(金)~13日(火)(到着日、出発日を含む) 会場:チュラロンコーン大学(タイ国バンコク市)   発表要旨の投稿締切: ・奨学金・優秀賞に応募する場合  2023年8月31日(木) ・奨学金・優秀賞に応募しない場合 2024年2月29日(木)   募集要項は下記リンクをご覧ください。 画面上のタブで言語(英語、日本語)を選んでください。   http://www.aisf.or.jp/AFC/2024/call-for-papers/     ◆総合テーマについて   本会議全体のテーマは「再生と再会」です。 新型コロナウィルスのパンデミック後、アジアと世界は大きな変革期を迎えています。このような社会、経済、文化、教育などの多様な変化に、私たちはどのように向き合い、乗り越えていけばよいのでしょうか。アジアのみならず世界の活性化を、多様な視点から検証することが求められています。専門分野を超えて、世界中の学者・研究者が「再会」し、議論を交わすこと自体が、アジアと世界の「再生」の源となり、共に解決策を見出すことができればと願っています。   ◆アジア未来会議について   アジア未来会議は、日本で学んだ人や日本に関心のある人が集い、アジアの未来について語る<場>を提供します。アジア未来会議は、学際性を核としており、グローバル化に伴う様々な課題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化の課題も視野にいれた多面的な取り組みを奨励します。皆様のご参加をお待ちしています。   2023年5月10日 第7回アジア未来会議実行委員会     2023年5月18日配信
  • 2022.12.01

    エッセイ724:デール・ソンヤ「家から参加したアジア未来会議」

    2年に1度開催されるアジア未来会議(AFC)を、いつもとても楽しみにしている。興味深い発表やディスカッションはもちろんだが、それより、世界中の「ラクーン(元渥美奨学生)」との再会や新しい出会いの機会でもある。自分にとってのAFCは、とても賑やかな笑いと笑顔がたっぷりのイベントだ。コロナの影響で1年延長され、ハイブリッド形式で開催されることになったが、私を含めてほとんどの参加者が家からオンラインで参加した。台湾に行けなかったことは残念だが、今回はこのユニークなオンラインAFC体験について書く。   自分が担当したAsian Cultural Dialogues(ACD)の円卓会議の他に、セッションの座長およびクロージングセレモニーの司会として関わった。ACDは角田さん(渥美財団事務局長)の発案により作られたネットワークおよび対談のフォーラムであり、今年は初めて私が担当した。コロナの影響で当初の企画より少し短めのプログラムになった。テーマは、「アジアにおけるメンタルヘルス、トラウマと疲労」にした。その理由は、やはりコロナ時代において感じる日常的なストレスおよび社会的な変化だ。インドネシア、フィリピン、日本からの発表の後には、インド、タイ、ミャンマーにいる、または専門にしているコメンテーターからの意見をいただき、ディスカッションした。   コロナは世界中で共通している経験だが、それぞれの国の対応・状況は異なる。その違いや対策などについて知り、話すことはとても面白かった。フィリピンのMaria Lourdes Rosanna E de Guzman先生の発表で、活動家の長い闘いと成果のおかげで、政府もしっかりとメンタルヘルスの支援をするようになったと聞いて感動した。日本のVickie Skorjiさんの話から、ジェンダー不平等とメンタルヘルスの関係性を改めて考えさせられ、多様な立場にいる人々を想像し、適切に対応する重要性を感じた。また、インドネシアのHari Setyowibowo先生の発表から、「コロナの影響で新しく生まれてくる可能性」という、前向きな視点も与えられた。   コメンテーターは、以前のACD円卓会議に関わってくれたCarine JacquetさんとラクーンのRanjana Mukhopadhyaya先生、ACD円卓会議に参加してくれた方の紹介で新しく関わってくださったKritaya Sreesunpagiさんであった。それぞれのコメントからコロナの深い影響を感じ、コロナの政治的な問題および争いの関係性について学び、考えることができた。コメンテーターの参加により、ACDネットワークの連続性および絆を感じることができて、角田さんおよび最初からずっとACDに参加してくださっている皆さんに敬意を表したい。充実したディスカッション後には、Kritayaさんの指導で10分ぐらいの瞑想があり、すっきりした気持ちでセッションを終えた。世の中に大変な事がたくさんあっても、自分にやるべき事が山ほどあるとしても、ひとまず自分のケアをしっかりする必要性を感じた。参加者の皆さん、本当にありがとうございました!   AFCの魅力は、自分の分野以外の研究者と触れ合うことだ。私が座長をしたパネルは専門と全く関係のない工学関係の発表が多かったが、興味津々で発表を聞くことができた。会場でやるときより視聴者が少なく寂しかったが、それなりに楽しくできたと思う。   クロージングセレモニーではオンラインながらも皆さんの笑顔が見られて、とても楽しい気持ちになった。知っている人に声を出して「元気!?最近どう!?」と、言いたかったけど、司会として真面目にしなくてはいけないね、とがまんした。次のAFCの会場がバンコクと発表され、とても良い盛り上がった雰囲気の中で会議を終えた。   オンラインだけのAFCは、正直少し寂しかったが、何よりこの状況の中で開催できたことは素晴らしかった。皆さんとの再会、本当に楽しみにしている。またバンコクで会おう、乾杯しようね!     英語版はこちら     <デール・ソンヤ DALE Sonja> ウォリック大学哲学部学士、オーフス大学ヨーロッパ・スタディーズ修士を経て上智大学グローバル・スタディーズ研究科にて博士号取得。現在、インディペンデントリサーチャー。専門分野はジェンダー・セクシュアリティ、クィア理論、社会的なマイノリティおよび社会的な排除のプロセス。2012年度渥美国際交流財団奨学生。     2022年12月1日配信
  • 2022.11.24

    エッセイ723:キン・マウン・トウエ「アジア未来会議参加報告:20年ぶりの学術会議」

    第6回アジア未来会議に円卓会議II「コミュニティとグローバル資本主義:やはり世界は小さいのだ」の発表者として参加しました。学術研究の世界から離れて約20年たちましたが、渥美財団の今西常務理事とマキト先生のお誘いを受けて、学生時代に戻ったようでした。ホテル経営と観光業に力を入れてきたので、テーマは「ミャンマーの現状における観光業とそのコミュニティの発展」です。パンデミックや政権変動の後に立ち上がり始めたミャンマーの観光業の発展に関する報告をしました。   ミャンマーでは、コロナの影響によってお客様が来なくなって営業を止めたホテルがほとんどでしたが、再開し始めています。その際には国連世界観光機関(UNWTO)と世界保健機構(WHO)の基準に基づいて、厚生省と観光省が作成した(Standard Operating Procedure (SOP)規則によって、Health and Safety Protocol (HSP)認定が条件です。ホテル側は様々な準備や従業員へのコロナに関する教育指導、さらには観光業に関連するコミュニティ等への教育指導並びに準備も必要になりました。観光省の認定証は3つのレベル―地域レベル(Regional Level HSP)、国家レベル(National Level HSP)と国際レベル(International Level HSP)―があります。これから再開するホテルは国家レベルHSP認定証がないと営業は難しく、観光客からの信頼と信用を得られないでしょう。私も指導者の1人なので、教育と普及の責任を感じています。   現在、治安が良い観光地には国内観光客が増加しています。政府がオンラインビザ申請を再開したことによって、外国人観光客やビジネスの訪問者も増えていています。ただし、現状の物価急騰や国際的な燃料費の高騰、最も影響が大きい国内通貨の変動など問題は山積みです。このような課題があっても、「アジアのパラダイス」であるミャンマーの自然や歴史など、さまざまな観光資源を上手に開発して、今後の復興のために、観光に携わる人々の協力とそのコミュニティの発展を期待しながら、毎日一生懸命仕事をしていることを報告して発表を終えました。   その後、円卓会議座長のマキト先生の素晴しい進行によって、他の国際的な発表者たちと時間を忘れて楽しい議論をしました。最近、ミャンマーの観光業関係者の会議や打ち合わせが多くありますが、このような学術的な国際会議は約20年ぶりで大変興味深く、若返った気がしました。これからも平和な地球、より良いコミュニティを作るために頑張れるでしょう。   近年、ミャンマーではコロナの問題だけでなく、世界的に注目されている政権の変動によって人々の生活状況が大きく変わりました。ただ、治安の問題については、ミャンマーすべての場所でなく一部で起きていることです。治安が落ち着いている観光地では国内観光客が増加したことによって、経済も立ち直ってきたようです。政府が変わるのは国内の問題であり、毎日の生活のため、国民のひとりひとりが自ら実行できる対策を考えながら行動する必要があります。自由を求めることは、その人の考えに基づくものですし、レベルには差があると思いますが、まずは現状を見ながら生きることが最も重要・大切と思います。ミャンマーに自由がなければ、このようなオンラインの国際会議に私が参加することはできなかったでしょう。     英語版はこちら     <キン・マウン・トウエ Khin Maung Htwe> ミャンマーで「小さな日本人村」と評価されている「ホテル秋籾(AKIMOMI)」の創設者、オーナー。マンダレー大学理学部応用物理学科を卒業後、1988年に日本へ留学、千葉大学工学部画像工学科研究生終了、東京工芸大学大学院工学研究科画像工学専攻修士、早稲田大学大学院理工学研究科物理学および応用物理学専攻博士、順天堂大学医学部眼科学科研究生終了、早稲田大学理工学部物理学および応用物理学科助手、Ocean Resources Production社長を経て「ホテル秋籾」を創設。SGRA会員。   以下のエッセイもご参照ください。   https://www.aisf.or.jp/sgra/combination/sgra/2019/12587/   https://www.aisf.or.jp/sgra/active/network/2022/17933/