SGRAイベントの報告

  • 2023.12.01

    せん亜訓「第7回東アジア日本研究者協議会パネル『帝国という言説空間の越境・連帯・抵抗―アナーキズムと現代詩、フリージャズ』報告」

    2023年6月、私を含む台湾と韓国、日本出身の7名の若手研究者 がチームを組み、11月に東京外国語大学で開催される東アジア日本研究者協議会の第7回国際学術大会に向けて、パネルを企画した。協議会が提示したテーマを参照しつつ、私たちは、「帝国という言説空間の越境・連帯・抵抗―アナーキズムと現代詩、フリージャズ」を提案した。専門分野が多岐にわたっているが、パネリスト同士では、東アジアの歴史認識と政治的イデオロギーの齟齬、トランスナショナルな連帯の問題関心を共有している。共通課題として、帝国と社会の周縁を生きてきた運動家、文学者、音楽家から越境する連帯と抵抗のダイナミズムを描き出すことがあげられる。東アジアの内部でありながら互いの外部にもなる台韓日のあいだに生まれてくる議論の底力を、パネルの形で発信することが今回の企画の特徴と考えた。   学術大会の3日間は、初日から晴れていて暖かかった。最終日の朝のセッションに予定された私達のパネルは、寺岡知紀氏(中京大学)のオープニングから始まり、「帝国に抗するアナーキズムを再考する―大杉栄の所有と連帯の論理を手がかりに」(せん亜訓:放送大学)、「戦中・戦後の台湾における石川啄木の受容―文学サークル銀鈴会メンバーを中心に」(劉怡臻:慶應SFC中高部)、「谷川雁の〈工作者〉における力学とフリージャズ」(羅皓名:台湾中央研究院)の3つの報告と、それに対する蔭木達也氏(慶應義塾大学)、閔東曄氏(東北学院大学)、趙沼振氏(淑明女子大学)のコメントを経て、フロアからの質問と総合討議にいたる流れで行われた。   私の報告では、1920年に自由連合の主張にたどり着いた大杉栄思想を、第一次世界大戦後の社会問題熱にともなう帝国問題に対する省察と捉えた。そのなかで、自由連合の構想を支えた「労働者の自己獲得」と「蓋然的ソリダリテ」の論理は、脱植民地化への共鳴としての主体の創出と、ポスト大逆事件の社会状況の両方への応答として検討された。この二つの論理は、経済決定の克服を試みた草の根の民衆的創造であり、脱植民地化の広がりを意識してその内面化を試みた越境する連帯のきっかけともいえようと、結論づけた。   劉氏は、戦前から戦後まで文芸活動をつづけた銀鈴会の朱実と錦連の詩作における啄木文学の受容について発表した。そのなかで、第二次世界大戦中の台湾における伝統的な詩の形式から距離を置いた啄木調の再生産と、戦時中の心理の屈折を意識して正直に記録するという啄木の短歌観への共鳴が示唆された。戦後の2・28事件及び白色テロによる弾圧を受けつつも、啄木文学を自らの抵抗と結びつけた面は、戦後の権威主義体制へのポストコロニアルな応答として捉えた。そして、銀鈴会の「民衆の中へ」のスタンスは、左翼文学史の文脈にとどまらず、台湾の郷土文学との継承関係を示したと論じられた。   羅氏は1960年代の平岡正明と相倉久人の「ジャズ革命論」を取り上げた。谷川の「工作者」の論理が媒介した60年安保の革命思想と前衛芸術、下層労働者のあいだに生まれた「反定型」と相互破壊的な関係性、辺境的マイノリティといった概念は、ジャズ演奏の歴史映像を通じて説明された。具体的には、異質な他者のあいだの破壊的な弁証と、自己消滅により継起するノートを呼び起こすという永久革命の企てを持つジャズの結合を論じた。そのうえで、「ジャズ革命論」の意義に関しては、美学と政治の批判的実践のみならず、第三世界論と新左翼運動のパラダイム転換、マイノリティへの眼差しから解釈した。   3つの報告について、3名の討論者は各自の専門から出発し、東アジアの歴史を振り返りつつコメントをし、パネル全体との接点をつくって質問した。(1)蔭木氏からは、煩悶青年の文脈および自己と国家、社会の関係性から生まれた大杉の「社会的所有」の意味合いと「蓋然的ソリダリテ」の発想に及ぼす根拠、(2)閔氏からは、戦時期植民地知識人の抵抗と戦争擁護の絡み合いから啄木文学の受容の再検討と、戦中から戦後への啄木調の植民地的展開の再認識、(3)趙氏からは、ジャズの即興演奏を他者との出会いとして捉える理解とその妥当性、マイノリティや下層民衆の枠に収まらない社会的矛盾と植民地支配の位置づけ、といった質問があった。   フロアからも文脈の補足や議論のさらなる展開を求められたが、90分の時間があっという間に過ぎ去ってしまった。総合討議では、抵抗の日常性と民衆性につながった「社会」と連帯の構想を接点に、パネルをつらぬいた帝国と植民地、支配と抵抗のあいだの思想的連続と緊張関係が、同時に思想と文学、芸術に反映されたと語られた。同時に、異質なるものが構造的支配に回収され、暴力の装置に右旋回してしまうおそれへの問題関心は、東アジアの歴史認識と政治的イデオロギーのあつれきに関係し、看過できない課題だと、パネリスト同士で共感した。時間内に収められない議論は、昼食後の雑談まで続いたが、もう帰らないといけない時間になった。台湾と韓国、日本の各地から集まってきた私たちは、今回のパネルの成果を養分としてたくわえ、次回の企画に力をそそいでいきたい。   当日の写真   <詹亜訓(せん・あくん)CHAN Ya-hsun> 台湾国立交通大学社会と文化研究科修士。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻修士、同専攻の博士後期課程に在籍中。専門は、東アジア政治・社会思想史。20世紀日本の社会問題と帝国主義論の相互関係について研究している。
  • 2023.11.16

    江永博「第10回日台アジア未来フォーラム『日台の酒造りと文化:日本酒と紹興酒』報告」

    2011年から始まった日台アジア未来フォーラム(JTAFF)は19年5月に国立台湾大学で実施された第9回までは連続して開催され、本来であれば20年5月に初めて日本で第10回が行なわれる予定であった。しかしながら、周知の通り日本では同年1月に最初の新型コロナウイルス感染者が確認され、イベントの中止・延期・自粛をはじめ、組織・機関も時短・利用制限による一時的閉館や立入禁止を余儀なくされた。その後は在宅勤務・オンライン授業・会議などの形式が活用されていった。オンラインの利便性・安全性のメリットにより現在でもハイブリッド方式が活用されているが、対面でなければ共有・体験できない場合がある。4年半ぶりに開催された本フォーラムは、その代表的な一例である。   前置きが長くなったが23年10月21日(土)に島根県のJR松江駅前施設「松江テルサ」で開催されたフォーラムがなぜ対面でないと真価を問うことが難しいかというと、『日台の酒造りと文化:日本酒と紹興酒』というテーマに尽きる。日本最古の歴史書『古事記』にも登場し日本酒発祥の地とされる島根県で、醸造酒をテーマに日台の関係者が相互理解を深めるために対面で開催することに大きな意味があった。   フォーラムは渥美財団今西常務理事の開会挨拶でスタートした。 最初は島根大学法文学部の要木純一先生の講演「近代山陰の酒と漢詩」。詩仙と称される李白の代表作の一つ「月下独酌」の冒頭「花間一壺酒 獨酌無相親 舉杯邀明月 對影成三人(後略)」(花間[かかん]一壺[いっこ]の酒、独り酌[く]んで相親しむもの無し、杯[さかずき]を挙[あ]げて名月を迎え、影に対して三人と成る(後略))からもうかがえるように、酒と作詩のような「知的創造」との付き合いは長い歴史を持つ。要木先生は明治36年(1903年)から戦後まで松江に存在していた「剪松吟社」の活動を通して、近代山陰地方に於ける事例を紹介した。明治30年代に入ると漢詩・漢学的教養はすでに衰退の兆しがあったため、剪松吟社は最初から漢詩・漢学的教養の振興を目標として、機関誌『剪松詩文』の発刊や詩人大会の開催を行い、一時的には全国的な漢詩復興運動の一拠点と見なされるほど、活発な活動を進めていた。   昭和に入ると高齢な指導者を相次いで失い、詩人の力量低下と相俟って活動は衰退に向かい、戦後自然消滅したが、今回取り上げたのは昭和5年(1930年)10月の『剪松詩文』に収録された「若槻克堂公歓迎雅集」。若槻克堂とは日本首席全権として同年のロンドン軍縮会議に参加した若槻礼次郎のことである。国内では一部反対の声もあったが、軍縮会議は難航の末合意されたため、松江に帰った若槻に対して剪松吟社は「錦衣帰郷」の歓迎雅集を行なった。そこでは柏梁体連句が詠まれ、その中に「詩酒応忘利名栄」「共仰高風挙杯迎」「一醉似忘衣錦栄」「誰是詩弟誰酒兄」「平和会裏闘酒兵」「柏梁詩成挙巨觥」「対月豪飲気如鯨」のような句が見られ、酒と漢詩・歓迎雅会との相乗効果が句の内容から見て取れる。最後は若槻により軍縮会議後の心境をうかがわせる「詩中天地自和平」で締められたが、午後7時から始まった歓迎雅集は三更(午後11時〜午前1時の間)まで盛り上がったという。   次の島根県産業技術センターの土佐典照先生の講演「島根県の日本酒について」は、「神様はお酒が好き」という島根と神話から展開された。島根県にある酒蔵30社および二つの酒造り職人集団を紹介した上で、日本酒の造り方についての詳細な説明があった。製造技術の基礎知識として環境と気象(気温・降水量)、水(硬度)、米(品種)とその処理(精米)、麹(生育・製造工程・品質)、酒母と酵母(製造操作)、仕込みと管理と搾りについて詳しく説明。普段何も考えずただ美味しくいただく日本酒の生産過程で、今まで「伝統」として引き継がれてきた酒造技術が更に科学的な技術を通して検証・進化されていくことに筆者は驚きを禁じ得なかった。   講演の後半では日本酒のラベルの見方、吟醸・大吟醸など特定名称の清酒の分類、甘辛度と濃淡度など「実用的」な知識のほか、島根の酒の味と食生活に於ける地域の特性に焦点が当てられた。日本列島沿いに北上する対馬暖流の恩恵もあって島根県で採れる日本海の漁業資源は豊富であり、その魚を活かした島根料理の代表として「へかやき」が取り上げられた。この甘辛い醤油で味付けられた魚のすき焼きに合うように、島根の酒も旨味重視の傾向が見られる。最後は魚料理に留まらず、今後は果実を使った和風料理にも合う香り高い吟醸酒に注目し、酒の新たな魅力の発見に力を注ぐという。   休憩時間には島根県の日本酒(生酛原酒)と台湾紹興酒・中国紹興酒・酒肴が供され、前半の講演を思い出しながら試飲・試食を楽しみ盛り上がった。   台湾煙酒株式会社埔里酒廠の江銘峻先生による最後の講演「台湾紹興酒のお話」は、台湾紹興酒の歴史から始まった。紹興酒は世界三大古酒の一つであり、中国大陸を起源とするが、いつ台湾に渡ったかについては定かではない。ただし、台湾総督府専売局時代にはすでに生産記録があった。戦後、1949年に蒋介石の指示により埔里で紹興酒の試醸造が始まり、50年代に入ると市場化に成功して世界30余国に輸出された。80年代には年間の最大生産量が230万ダースに達した。90年代以後は、国民の飲酒嗜好の変化により徐々に市場を失い、95年頃には紹興酒を使ったおこわ、煮物などの特色食品・料理が開発された。現在、製品の高度化に成功した「状元紅」・「女児紅」・20年以上の「陳年紹興酒」以外、台湾における紹興酒の主な用途は料理になった。   台湾紹興酒の歴史を把握した上で、「紹興酒の伝統的な醸造法」と「台湾紹興酒の作成工程」が紹介された。同じ紹興酒にも関わらず、伝統的な醸造法に対して、台湾紹興酒はどのように独自の進化を遂げたかが浮き彫りになった。さらに同じ醸造酒の日本酒と比較し、最後は「夏は常温か冷蔵」「冬は38〜42度ぐらいまで間接加熱したら、より香り高い」「味変(あじへん)には台湾梅干し・生姜・レモン、カクテルにはソーダ・コーラ・ジュース」など紹興酒のお勧めの飲み方や、「適量の飲用では血液循環と新陳代謝を促進し、体力を増強し、耐寒性を増す」と言った紹興酒の栄養価など「実用的」な情報を教えてくださった。   質疑応答では、「中国紹興酒・台湾紹興酒・日本酒における仕込みの段数の差」「紹興酒の伝統的な醸造過程でヤナギタデの粉を入れる理由は何か」などの質問があった。筆者にとって一番興味深かったのは、台湾紹興酒の市場占有率であった。台湾では2002年1月まで煙草・酒の生産・流通・販売は煙酒専売局に独占されていたが、専売制度が廃止されてから、台湾煙酒専売局は「台湾煙酒株式会社」に変わり、煙草・酒の生産・流通・販売も国営の専売事業ではなくなったにも関わらず、生産・流通・販売する紹興酒は、台湾市場全体の99%を占めている。換言すれば前述した「台湾では現在製品の高度化に成功したが、主な用途は料理に取って代わられた」紹興酒の現在の位置付けも、これからの方向性もこの会社の方針に左右される。これに対して、冒頭で紹介したように日本酒を醸造している蔵は島根県だけでも30社に及ぶ。環境・気象・水・米と製造過程などの差によって「薫・爽・醇・熟」など多様な風味が味わえる日本酒は、「ボディが醇厚」で基本的に「アミノ酸味がメイン」の紹興酒とは異なる道を歩んできた。どちらが正しいか断言できないが、今回のフォーラムを通して得られた経験は今後互いにいかなる道を歩むかを検討する際に参考になるだろう。   質疑応答後、隣の会議室で懇親会が行われ、今回のフォーラムのテーマでもある島根の日本酒と台湾紹興酒のほか、講演の中で言及された島根の魚も大きな舟盛で提供された。参加者一同おいしい料理をいただきながら7種類の日本酒と6種類の紹興酒を飲み比べ、対面でなければ共有・体験できない貴重な経験を積むことができた。約4年半ぶりに開催された日台アジア未来フォーラムは、日本各地および台湾からの参加者が50名ほど集まった。台湾での開催と比べ規模は多少小さくなったが、筆者にとって会得できたものは決して少なくなかった。日本酒発祥の地とされている島根県で『日台の酒造りと文化:日本酒と紹興酒』に参加できたことは、まさに「百聞は一見に如かず」「万巻の書を読み 千里の道を行く」の体現だと信じている。今後は基本的に今まで通り台湾で行われるであろうが、時には今回のように地域の特性を活かしたテーマと内容を選定・計画すれば予想外の収穫が得られるかもしれない。   当日の写真   <江永博(こう・えいはく)CHINAG Yung-Po> 2018年度渥美奨学生。台湾出身。東呉大学歴史学科・日本語学科卒業。2011年早稲田大学文学研究科日本史学コースにて修士号取得。2020年10月から常勤嘱託として早稲田大学大学史資料センターに所属、『早稲田大学百五十年史』第一巻の編纂に携わった。2023年4月より助手として早稲田大学歴史館に所属、現在『早稲田大学百五十年史』第二巻の編纂業務に従事しながら、「台湾総督府の文化政策と植民地台湾における歴史文化」を題目に博士論文の完成を目指す。専門は日本近現代史、植民地期台湾史、大学沿革史編纂。     2023年11月16日配信  
  • 2023.11.09

    アキバリ・フーリエ「第19回SGRAカフェ「国境を超える『遠距離ケア』」報告」

    2023年10月14日(土)、「国境を超える『遠距離ケア』」をテーマに第19回SGRAカフェが開催されました。午後2時から約2時間にわたり、討論者による議論と参加者全員によるグループディスカッションが行われました。実際に財団に足を運んでくださった参加者とオンライン参加を合わせて約50名で開催され、非常に有意義な時間となりました。   5名の討論者は国籍や研究の専門分野が異なることもあり、さまざまな視点から課題について議論できました。司会と討論者であった私(アキバリ・フーリエ)以外に、長年にわたり日本の介護に関する研究を行っている張悦さん、そして2017年度の元渥美奨学生で、良き友人であり研究仲間でもある沈雨香さん(早稲田大学)、ファスベンダー・イザベルさん(関西外国語大学)、レティツィア・グアリーニさん(法政大学)が参加し、意見を交換しました。   私たちが生きている21世紀はグローバル化が進み、年齢や国籍を問わず世界中でキャリアを築く人々が増加しています。母国から離れて異なる地域で生活基盤を築くことで多くの成功を収める一方、通常直面することのない課題も出てきます。その中の一つが、母国に残る家族へのケアの問題です。   今回は、母国に残る家族への「ケア」を出発点として、育児や異国での自己ケアについてもディスカッションしました。ケア・コレクティブは『ケア宣言 相互依存の政治へ』(岡野八代・冨岡薫・武田宏子訳/解説、大月書店、2021年)の中でケアを「やりがいのあることと同時に、極度の疲労を伴う現実」と述べています。ケアには関心、不安、悲しみ、嘆き、困惑といったさまざまな感情が絡み合っており、現代社会において非常に重要なテーマであると同時に、忙しい現代社会ではどこかで見落とされがちな課題でもあると思います。   したがって本カフェでは「本日の議題」として3つの質問を討論者に投げかけました。そして、「国境を越えて日本で生活しながら、ケアについて感じてきた思いと経験」について議論し、今後の「日本における国境を超える遠距離ケアの実態と背後にある要因」を考えました。   まず、「ケア」とは何かについて議論が交わされました。討論者たちの発言から「家族へのケアと自己ケア」にはネガティブな側面がある一方で、いくつかの工夫をすればポジティブに変えることができるのではないかという意見が出されました。   張さんの考えは「個人の力だけでなく、皆さんと協力することによってより強力になる」です。例えば、日本では「包括ケアシステム」という言葉があります。多くの異なる健康関連サービスや専門家が連携し、総合的かつ包括的なケアを提供するアプローチを指しており、横断的な連携を強調しています。この視点から、在日外国人の遠距離ケアの問題を解決する一つの方法として、在日外国人自身も「多文化コミュニティの中での協力」を積極的に促進することを提案しました。   一方、イザベルさんは来日してから「ケア」という言葉が自分の中で徐々にネガティブな意味合いを帯びてきたと語り、その背後にはドイツの介護システムの充実があることを指摘しました。ドイツでは社会福祉システムや社会保険などが充実したサービスを提供しており、親の介護は子供の責任という考え方はあまり一般的ではないので、「ドイツの親のことよりも、日本でのケア(自分と夫の老後、日本の親のケアなど)の問題が非常に気になります」という言葉には在日外国人が直面する葛藤が見られました。   また、レティツィアさんもケアは単なる育児や介護といった活動だけでなく、そして「(核)家族」という個人の私的な領域に限らず、より多面的に考えるべきだと述べました。つまり、個人が家族の個人的な問題を解決するだけでなく、コミュニティによるケアや政策的なアプローチを含め、様々なレベルでケアの問題を考慮しながら解決策を模索する必要があるのではないか、と問いかけました。   沈さんと私は、韓国とイランには以前の風習が残っており、両親の介護は家族にとって重い負担であり、親を介護施設のような老人ホームに預けることは社会的にはまだタブーとされていることを実体験を通じて語りました。イランでは近年、少子化の問題や若者の海外移住(年間約6万5000人)が懸念されており、昔のように子供が親の面倒を見たり、両親に孫の世話をしてもらったりするということが期待できない状況にあり、家族の構造が変わりつつある時期に入っていると紹介しました。   その後、参加者全員が会場2つとオンライン3つの計5つのグループに分かれて本日のテーマについてディスカッションをしました。   グループワークに参加した方々の中には、もうじき自身が介護されるかもしれない立場になるという方もいらっしゃったため、「両親の視点」からも意見を聞くことができました。このテーマについて二つの世代が共に考えて語り合う場ができ、非常に興味深かったです。彼らは「健康の維持」と「独立して暮らせる環境の整備」を希望していました。また、あるグループの意見では「安心できるケア」というキーワードも挙がりました。どうしても日本に住む外国人という立場では、コミュニティの一員として認められたり、ケアを提供したり受け入れたりする一員として認識されたりすることが難しいことが多いため、実際に「安心できる」ケアが得られる可能性はかなり限られているかもしれません。   最後に、ケアという言葉が本来持つべき温かくポジティブな意味合いを実現するためには、一人だけの力ではなく、さまざまな知恵と協力が必要であることを学びました。そこには、一つの正解があるわけではありません。   「遠距離ケア」については、年明けに張さんと両親のケアについて話していた際、このテーマでより多くの人と語り合いたいと思ったことが発端となって、このような場を設けることができました。今後も「遠距離ケア」に関する議論を続け、一緒に語り合えるメンバーを増やしていきたいと思います。また今回、私の実母もたまたま来日していたため、イベントに参加してもらいました。両親とはなかなか面と向かって語り合う機会が得られないことから、このような場で話し合えたことは私にとっては深い意味があり、忘れられない思い出となりました。   当日の写真   <アキバリ・フーリエ AKIBARI,_Hourieh> イラン出身。千葉大学博士後期課程終了(2018年博士号取得)。千葉大学特別研究員、白百合女子大学国語国文学科非常勤講師。2017年度渥美奨学生。日本に在住している外国人、主にイラン人やアフガニスタン人難民の言語環境や言語問題の実態について社会学・言語学の立場から研究。多文化共生社会・異文化理解とコミュニケーションについて研究・教育活動。     2023年11月9日配信
  • 2023.09.28

    金キョンテ「第8回国史たちの対話『20世紀の戦争・植民地支配と和解はどのように語られてきたのか―教育・メディア・研究』レポート」

    8月8日、やや曇った空の下で第8回韓国・日本・中国における国史たちの対話の可能性「20世紀の戦争・植民地支配と和解はどのように語られてきたのか―教育・メディア・研究」が対面とオンラインで始まった。   早稲田大学に設けられた会場では一般参加者も席を埋め尽くした。初日は4つのセッションで構成され最初のセッションは村和明先生(東京大学)の司会で行われた。本格的な報告に先立ち、劉傑先生(早稲田大学)の開会挨拶と三谷博先生(東京大学名誉教授)の趣旨説明、発表討論及び参加者の自己紹介があった。劉傑先生は20世紀の戦争と植民地支配、和解が各国でこれまでどのように語られていたかについて過去に開催された「国史たちの対話」に基づき「冷静かつ落ち着いた議論を続けることができると期待している」とし、相手国の歴史認識に耳を傾ける機会になると強調した。   三谷先生は「未来のために」というキーワードをまず提示。国史たちの対話に関する企画が出た時から今回のテーマをどうしても試みたいと思っていたが、今になってようやく話せるようになったことを嬉しく思うと話された。続いて、このような大きな学術的な集いを立ち上げたきっかけについて説明してくださった。日本だけでなく、様々な国が歴史に関する対話を積み重ねていく中で、政府の対決政策により逆風が吹いたこともあったが、それでも歴史対話が再開されたということに意味があると話された。   第2から第4セッションは、それぞれ教育、メディア、研究をテーマにした3つの発表と相互討論で構成。2番目の「教育」セッションは南基正先生(ソウル大学)の司会で進行された。最初は金泰雄先生(ソウル大学)の「解放後における韓国人知識人層の脱植民地への議論と歴史叙述の構成の変化」だった。この発表では、韓国における解放(1945年8月15日の独立)後の歴史教科書の記述の変遷過程を説明しながら、韓国の国内外の政治と歴史教科書の内容との関係を緻密に追跡した。唐小兵先生(華東師範大学)は「歴史をめぐる記憶の戦争と著述の倫理―20世紀半ばの中国に関する『歴史の戦い』」と題して長春包囲戦に対する相反する記憶及び評価を紹介し、歴史と啓蒙との緊張関係という問題を提示した。   塩出浩之先生(京都大学)は「日本の歴史教育は戦争と植民地支配をどう伝えてきたか―教科書と教育現場から考える」と題して日本が戦後において教科書を制作する過程で経験した変化と変化のきっかけについて説明したが、特に教科書が教育現場でどのように認識され使用されたかについての部分や、現在進行形の課題(加害者と被害者としての両面性等)はこれまで聞くことができなかった内容であり、韓国と中国の研究者にとって大いに参考になった。   続く討論では、日本の教育現場で働いている教師の方々の課題を聞くことができた。新しい歴史総合科目をどのように教えるか、歴史教育において史料の重要性が非常に大きいにもかかわらず現場で集中的に扱うことが難しいという(受験等による)現状等が挙げられた。韓国と中国も似たような経験や課題があるという事実を共有することができた。記憶が啓蒙や共感のために(厳密な歴史的事実と異なるかもしれない方向で)使われる事例があり、個人の多様な記録のような(やはり歴史的事実とは異なる可能性があり得る)資料が注目されている問題も議論されたが、必ずしもそれを否定的に捉える必要はないとの意見が少なくなかった。これは今回の「対話」の主要な論点の一つだった。   第3セッションは「メディア」をテーマに李恩民先生(桜美林大学)が司会を担当した。江沛先生(南開大学)は「保身、愛国と屈服:ある偽満州国の『協力者』の心理状態に対する考察」で、中国における日中戦争は国家対国家の戦争として明確に記録されているが、果たして当時中国に住んでいた人々もそうだったのかという点について、ある人物の日記を通して考察した。当時の人々には生存が重要であり、様々な顔(反国と愛国)を持った人も存在していたということであった。歴史学者は弱者である民衆に目を向け、人間の尊厳を尊重すべきだと指摘した。   福間良明先生(立命館大学)は「戦後日本のメディア文化と『戦争の語り』の変容」で映画を中心にメディアが戦争を語る手法の変化の流れと時代的背景を同時に説明した。被害と加害、その両方の立場があり得るということへの葛藤を詳しく紹介し、このような葛藤が薄れている現在、そしてその中間の市民社会の間で歴史研究者がどのような役割を果たすべきかを考えなければならないという課題を投げかけた。   李基勳先生(延世大学)は「現代韓国メディアの植民地、戦争経験の形象化とその影響―映画、ドラマを中心に」というテーマで韓国の戦争映画を分析した。韓国において植民地と戦争は異なる経験であった。しかし、韓国が国民国家を形成する過程でそれらが一緒に語られることもあり、その過程で善と悪が二項対立する典型的なイメージが作られる様相、そして21世紀に近づき変化が発生する様相を映画を通じて示した。   第4セッションのテーマは「研究」。宋志勇先生(南開大学)の司会でこの日の最後のセッションが行われた。安岡健一先生(大阪大学)は「『わたし』の歴史、『わたしたち』の歴史―色川大吉の『自分史』論を手がかりに」で伝統的な歴史認識の「外部」にいる一般市民の歴史認識、そしてそれに関する歴史学の認識をテーマとした。「私の歴史」を書くことでステレオタイプの歴史に飲み込まれなかった物語が残ることもある。これをどのように生かすかを考えなければならず、これこそ歴史学が市民社会に貢献できる部分だという意見を提示した。   梁知恵先生(東北亜歴史財団)は「『発展』を越える、新しい歴史叙述の可能性:韓国における植民地期経済史研究の行方」と題して、まず韓国における植民地時代の経済史研究のいくつかの方向性(植民地収奪論、植民地近代化論、そして植民地近代性論)について説明した。21世紀に入り、既存の研究動向の速度が下がり、学術的な議論を越えた強烈な政治的攻撃が登場し危機に直面しているが、環境と生態のような批判的な代案が登場しているという事実に希望を示す研究だった。   陳紅民先生(浙江大学)は「民国期の中国人は『日本軍閥』という概念をどのように認識したか」で、用語に付与される歴史性について問題提起をしながら、「日本軍閥」という用語に注目した。我々が知っている歴史用語の意味と当時の意味は異なることもあり、時代、発言の主体、陣営によって異なる文脈で使われたりしたという事実を想起しなければならないと述べた。データベースの構築と活用、ビッグデータの活用等が活発化している現在の学界で、このような問題意識に基づいた研究が積極的に試みられるものと期待される。   最後のセッションの討論では主に(歴史学者ではなく)個人の歴史叙述に関する問題(歴史と個人史の衝突可能性)、個人の歴史叙述に対する歴史学者の介入の仕方等をめぐる3カ国の研究者たちの課題について議論が交わされた。意見が一致したわけではなかったが、個人の歴史、自分史の歴史叙述に対する肯定的な意見は興味深かった。   最後に劉傑先生が初日の論点をまとめてくださった。3カ国が現代に経験してきた歴史的文脈が異なるため、各国で戦後の歴史像を作る際に異なる部分が現れたということ、この異なる文脈に基づいた様々な模索が(肯定的な方向にも)進んでいるということ、しかしこの異なる歴史観の間の距離をどう縮めるかという問題が残っているということだった。そして歴史教育において、いわゆる東アジアの新しい歴史像をどのように作るかについて、かなり共通した部分(日本の歴史総合、韓国の東アジア史、中国上海での試み)が見られるという点も取り上げた。このような状況において歴史家はどのような役割を果たすべきか、今回の発表では政治と歴史、歴史と道徳、史料の問題が論点として登場したが、そのような問題意識に基づいた努力が維持できれば、歴史和解は可能だという展望が提示された。   8月9日は総合討論が行われた。議論を始める前に三谷先生のコメントがあった。「パブリック」をどのように歴史につなげるかについての課題を個人的な研究経験に照らして丁寧に聞かせてくださった。すなわち、研究テーマによっては史料が存在しないこともあり得るが、史料に限界がある状況で物語を作って良いかというジレンマに注意してほしいという要望だった。   討論は2つのセッションに分けて行われた。第5セッションは鄭淳一先生(高麗大学)が司会を務めた。このセッションでは「3カ国のそれぞれ異なる文脈の被害者の敍事について」「日本の50~70年代のメディア文化は現代の代案になり得るのか」「満州の『協力者』に対する解釈の平面性」(金憲柱先生(国立ハンバット大学))、「満州国で作った映画はどの国の映画として見るべきか」(袁慶豊先生(中国伝媒大学))、「個人の目で見た歴史に関する事例(イギリスの鉱山経営者ネイサン)と戦争と植民地支配の多元的理解の可能性」「韓国と日本が政治的に対立していた時期に開かれた日韓共同展示から見られた可能性」(吉井文美先生(国立歴史民俗博物館))、「抗日ドラマの生成ロジックと伝播方式、そして一般人への影響」(史博公先生(中国伝媒大学))等の指定討論者からの質疑があった。   新しい教科書に対する議論も活発に行われ、歴史総合の場合誰が教えるか等現場で直面する様々な課題が残っており、内容に対する批判もあるが、以前の問題を乗り越えながらも学生たちが日本の歴史を好きになるよう努力してきたという事例が紹介された。三谷先生は世界史と日本史を融合することによってグローバル化と隣国との関係を重視するという要素がカットされる等の限界があったため、今後はきちんとした指導要領を作るために努力しなければならないという点を補足説明した。   フロアからも有意義なコメントがあった。川崎剛氏(元朝日新聞)がマスコミに掲載される歴史的記事が若い記者によって作成されるため問題もあり得るとの事例を紹介した後、それが事実とはいえ、大手マスコミの記者こそ大学で教育を受けているので教育界の責任がないとは言い切れないこと、若い記者たちは近現代史の主要な事件を経験することができなかったため限界がないわけではない点等に言及した。そして若い記者たちは困難を経験しながら記事を作成するしかないが、今後「関東大震災100周年」等多様な記事が配信されるので、学界も共に努力してほしいという要請で発言を結んだ。これは今回の対話の論点とも合致するコメントだった。歴史研究者はプロフェッショナルとしての自らの素養を守りつつも、新しい時代において求められる役割も担うべきであり、そのため様々な「集団」と意思疎通できなければならないということだ。   第6セッションは彭浩先生(大阪公立大学)の司会で行われた。「石明楼日記の真実性について」(張暁剛先生(長春師範大学))、「生態史が国民国家単位の歴史を越えられるのか」「共同体内の悪の陳腐さに対する省察と残された宿題」「歴史教育は『なぜ』、『どのように』を越え『どこへ』という方向も提示しなければならない」「歴史学の未来に関する議論が必要であり、それは人間への尊重を込めたものでなければならない」(金ホ先生(ソウル大学))、「国家の歴史と地方(地域)の歴史との関係」「地方でプロフェッショナルな歴史学者を育成する基盤に関する問題」「修学旅行を例に挙げた地方の歴史(教育)と観光のジレンマ」(平山昇先生(神奈川大学))等の指定討論者による発言以外にも、「中国の学生たちの近代化に対する認識問題の原因」(市川智生先生(沖縄国際大学))と史料批判を教材化する必要性に対する現場の教師の方々からの要請もあった。   最後に、趙珖先生(高麗大学名誉教授)の閉会挨拶と今西淳子渥美国際交流財団常務理事の振り返りの時間が設けられた。趙珖先生は久しぶりに開催された対面会議で比較的十分な討論時間が確保されただけに、最近では最も満足できる会議になったと評価し、2025年の「第2次世界大戦終戦80周年」を控え、3カ国でそれぞれ「光復」、「勝戦」、「終戦」という異なる用語と概念で理解されているこの事件に対し、それぞれ歴史的評価が行われるだろうが、「国史たちの対話」が役割を果たすことを期待すると述べられた。今西常務理事はこれまでの「国史たちの対話」を振り返りながら、来年のタイでの再会を約束した。   3カ国の研究者たちは各国が直面している現状とその背景からもたらされる各国の課題を聞かせてくれた。3カ国は20世紀の激動する国際情勢の中で東アジアという同じ地域に存在しつつも異なる困難を経験した。研究者はそれをどのように評価し記録するかについて葛藤し、それも歴史の研究対象になってきた。自国の歴史に対する評価と解釈をめぐる議論は今なお続いており、「解決」されていない部分も多いことが今回分かった。しかし、希望も見出せた。葛藤と課題の中には共通するものもあれば、他国との関係の中で発生したものもあった。自国史での議論と悩みを共有することから3カ国の歴史対話を合理的かつ肯定的な方向へ導く糸口を見出すこともできるという期待が生まれた。   筆者は中学・高校の歴史教師を養成する歴史教育科に在職している。今回の対話は筆者本人にも大いに勉強になった。この経験を生かして生徒、教師と共に努力していきたい。今回の対話では日本の教育現場の方々と話を交わす機会もあった。研究者たちと同様、日本の教師の方々もやはり韓国の教師と似た悩みを抱えていた。研究者だけでなく韓国と日本、そして中国の教師と研究者たちが共に意思疎通する場がより多く用意されるよう努力しなければならない。   最も多く取り上げられた論点は、個人の歴史と歴史教育現場に対するものだった。これは急変する時代、来たる未来に歴史学が担うべき役割への課題が込められたものだった。反知性主義の蔓延、AIの発展、出生率の低下等、急変する時代に「もはや歴史学の役割は終わった」と嘆く歴史学者たちもいる。歴史学はどのような役割を果たすべきで、何ができるのだろうか。歴史学は従来の研究手法も維持しつつ、新しい時代の要求にも答えていかなければならない。   個人的には金ホ先生の提言が記憶に残る。「未来の歴史学は相互の侮辱を止め、『人間に対する尊重』を抱え込むべき」「仁義の持つ排他性を警戒し、不仁と不義に対する感覚を鍛え、過度な義と偏狭な仁を制御しよう」。私は最近見た映画と本を思い出した。有名な「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」は互いを慰め合い、他人に親切に接しようというメッセージを伝え共感を呼んだ。『なぜ魚は存在しないのか』という本で、ルルー・ミラーは「価値のない生命はない。我々の人生は全て大切だ」と叫んでいる。時代が望んでいるのはひょっとしてこのような考え方ではないか。そしてそれは、歴史学の新しい役割の一つになり得るものではないか。   歴史学が長年築いてきた学問としての基本原則を守りながらも、多様な可能性、方法論に門戸を開くならば、対決して誰かに(歴史的対象であれ、現在の隣人であれ)勝たなければならないという義務感を振り払うことができれば、そして学問の親切さを広めれば、歴史学は新しい生命力を持つことができるのではないか。今回の対話を通じてこのような期待が膨らんだ。   当日の写真   アンケート集計結果   ■ 金キョンテ(キム・キョンテ)KIM Kyongtae 韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学韓国史学科博士課程中の 2010 年~2011 年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014 年高麗大学韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員、高麗大学人文力量強化事業団研究教授を経て、全南大学歴史敎育科助教授。戦争の破壊的な本性と戦争が荒らした土地にも必ず生まれ育つ平和の歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)、虚勢と妥協 -壬辰倭乱をめぐる三国の協商-(東北亜歴史財団、2019)       2023年9月28日配信
  • 2023.07.20

    娜荷芽「第71回SGRAフォーラム報告:20世紀前半、北東アジアに現れた『緑のウクライナ』という特別な空間」

    2023年6月10日(土)日本時間午後2時より第71回SGRAフォーラム「20世紀前半、北東アジアに現れた『緑のウクライナ』という特別な空間」が開催された。コロナ禍以降初めて、登壇者全員が会場の渥美財団ホールに対面で参加。また、長野大学の塚瀬進先生以外、全員が元渥美奨学生という特筆すべきプログラムとなった。   開催にあたり司会のマグダレナ・コウオジェイ先生(東洋英和女学院大学)より、様々な民族や文化を内包して20世紀前半の北東アジアに出現した「緑のウクライナ」と呼ばれた特別な空間をテーマに取り上げた趣旨説明があった。その後、講演と話題提供が行われた。   最初はオリガ・ホメンコ先生(オックスフォード大学日産研究所)の講演「『緑のウクライナ』という特別な空間」。ロシア帝国は中国とのネルチンスク条約、アイグン条約、北京条約により極東の大きな領土を手に入れ、1861年の農奴解放令発布後、当時ロシア帝国に付属していたウクライナの「過剰」人口問題に対する方策として「極東に家族ごと移住すれば、巨大な農地がもらえる」と宣伝した。その結果、1870年からロシア革命までの間に大勢のウクライナ人が土地と自由な生活を求めて移り住んだ。1918年1月にキーウで独立共和国の宣言が行われた時、極東のウクライナ人は「緑のウクライナ」という国を作ろうとしていた。1920年代になるとソ連から逃れた100万人のウクライナ人がハルビンなどに移り住み、1945年まで留まっていた。講演ではウクライナ人がコミュニティを築き、協力しあって多様な活動を展開していた歴史を紹介した。   次は塚瀬進先生(長野大学)による「マンチュリアにおける民族の交錯」。「マンチュリア」はどのように形成され、変容したのか。そこに暮らした人々はどのように近代を迎え、現在に至ったのかを各時代の地図を用いて15世紀~17世紀半ばを萌芽期、17世紀~19世紀半ばを形成期、19世紀半ば以降を変容期と捉え、1949年の中華人民共和国建国までの歴史を考察し、国史と地域史の両方のまなざしによる歴史理解を追究した。   続いて娜荷芽(内蒙古大学)が「中国東北地域における近代的な空間の形成:東北蒙旗師範学校を事例に」を報告した。20世紀前半の瀋陽に創設された東北蒙旗師範学校を事例に、中華民国成立後の1912~1930年代の軍閥混戦期に、内モンゴルの有識者たちが各地方政権と取引を行わざるを得なかったこと、モンゴル人を主体とする文化及び教育団体は相互に連携し活発な活動を行なっていたこと、さらに漢語の著作や雑誌を通して漢族の有識者たちに自分の立場を訴えていたことなどについて考察した。   最後のグロリア・ヤンユー先生(九州大学)の報告「『マンチュリア』に行こう!」は視覚資料、小説、紀行文などを用いて20世紀前半の「マンチュリア」の生活空間の多様性を描き出し、この多様性に富む「越境する現場」空間の視覚表象は、日本帝国の拡張によって取捨され、単一化されつつあったことを説明した。講演と話題提供の90分間はあっという間に終わった。   自由討論は司会者が進行役となり、発表者4名が相互にコメントしあったり、会場からの質問に答えたりする形で進行した。会場の劉傑先生(早稲田大学)からの近代空間及び鉄道についての問題提起は、特に深く考えさせられた。松島芳彦様(共同通信社)、松谷基和先生(東北学院大学)、大野正美様(ネムロニュース)からも発表者へのコメントや質問があり活発な議論が展開した。総括で語られた塚瀬先生の「こうした議論の方向性は地域の歴史的要因の認識につながる」という話は興味深かった。会場とオンラインで参加してくださった皆様にもあらためて感謝を申し上げたい。   私にとってはコロナ後4年ぶりの日本で、雨中の東京を楽しんだ。十数年前の留学時代にお世話になった東京大学教務課国際交流支援チームの坪山様にもお会いでき、週末で賑わう人々の明るい笑顔に元気づけられた。世界中の人々が平和の中で安心して暮らしていけますように!   当日の写真   アンケート集計   <娜荷芽 ナヒヤ Naheya> 2012年東京大学大学院地域文化研究科にて博士号取得。2011年度渥美奨学生。中国内蒙古大学蒙古学学院歴史系教授、研究分野は中国近現代史、近現代モンゴル史、日中関係史。著書『二十世紀三四十年代内蒙古東部地区文教発展史』内蒙古人民出版社、2018年。訳著『民俗学上所見之蒙古』(鳥居きみこ著)きなん大学出版社、2018年など。     2023年7月20日配信
  • 2023.05.25

    金雄煕「第21回日韓アジア未来フォーラム『新たな脅威・新たな安全保障』報告」

    長く続いたコロナ禍もようやく落ち着きはじめた2023年4月22日(土)、第21回日韓アジア未来フォーラムが渥美財団ホールにてハイブリッド・ウェビナー方式で開催された。2019年3月23日にソウルで第18回フォーラムが開催されて以来2回続けてオンライン開催だったが、今回は4年ぶりに日韓両国の研究者が顔を向き合わせて開催できるようになり、感無量の思いだ。   今回のテーマは「新たな脅威(エマージングリスク)・新たな安全保障(エマージングセキュリティ)―これからの政策への挑戦―」。多岐にわたり複雑に絡み合う新しい安全保障のパラダイムを的確に捉えるためには、より精緻で包括的な分析やアプローチが必要であるという問題意識から、韓国における「エマージングセキュリティ「新興安全保障」」研究と日本における「経済安全保障」研究を事例として取り上げ、今日の安全保障論と政策開発の新たな争点と課題について考察した。   テーマ設定に際して以下のいきさつがある。渥美国際交流財団・SGRAはアジアの主要都市を巡回してアジア未来会議を開催しており、昨年は第6回を台湾で開催した。そこでコロナパンデミックに代表される安全保障への新しい脅威と新たな国際協力について、ソウル大学の金湘培(キム・サンベ)教授(韓国国際政治学会会長=当時)が非常に挑戦的で印象的な講演を行った。それが契機となり、さらに議論を深めるために今回のフォーラムを開催する運びとなった。   「エマージングセキュリティ」は新たな安全保障及びその創発メカニズムを指す新しい概念であり、韓国の学界や政界の一部では「新興安全保障」と呼んでいる。一般に新しい概念は受容と変形、または外部の衝撃とそれに伴う内部の対応から生まれるものだろうが、それにはさらに複雑な事情が介入してくる。新しい概念は、切迫した必要性がない限り導入されない。こうしたためか今回のテーマ名を決める際にも「新興安全保障」概念をめぐって相当の議論を重ね、最終的には「エマージングセキュリティ」にした。   フォーラムでは、韓国未来人力研究院の徐載鎭(ソ・ジェジン)院長による開会の挨拶に続き、韓国と日本から2名の専門家による基調講演が行われた。金湘培教授は「エマージングセキュリティ」創発の条件、そのメカニズムとプロセス、そして複合地政学との連携性、エマージング平和構想の必要性についての問題提起を中心に基調報告を行った。東京大学の鈴木一人教授は新たな安全保障の最前線に位置する経済安保について、地経学的観点から昨今の経済安保脅威の本質と日本の先導的対応について講演した。お二人の講演は問題認識が非常に似ていながらも、一方は理論的アプローチ、もう一方は具体的かつ政策的議論という違いがあったが、韓国と日本のそれぞれの現実に立脚した興味深い議論を展開した。   基調講演に続き、4人の討論者からコメントがあった。まず「エマージングセキュリティ」論や経済安保論の観点から見て、韓日関係の現在をどう評価できるのか、また韓日関係の未来ビジョンはどのように設計すべきかについて国民大学の李元徳(イ・ウォンドク)教授のコメントがあった。次に複合地政学への対応としての日韓協力とその可能性について慶應義塾大学の西野純也教授がオンラインでコメントした。公州大学の林恩廷(イム・ウンジョン)副教授は、韓国と日本の共通した挑戦とエマージング平和に向けた日韓協力の可能性の観点から興味深い議論を展開した。最後に釜慶大学の金崇培(キム・スンベ)助教授は複雑化する「安保」概念について、国内および国際関係におけるリベラリズム的思考と実践が持つ意味、そして韓日が協力可能な「安保」とは何かについて問題提起を行った。   振り返ってみると、鈴木一人教授を基調講演者として招待し、日本の経済安全保障に向けた政策的対応について具体的な話を聞くことができたことは、フォーラムをより豊かで有意義にする決め手の一つだった。鈴木教授を招待するのにご尽力くださった渥美財団の渥美直紀理事長、船橋洋一評議員に深く感謝したい。そして当日に台湾から会場に直行する厳しい日程を快く受諾し、万が一に備えてオンライン講演のための30分の録画まで準備してくださった鈴木教授にも感謝の言葉を申し上げざるを得ない。   素晴らしい総括を務めてくださった平川均先生、会議のために苦労を惜しまなかった渥美国際交流財団スタッフの皆さん、同時通訳のイ・ヘリさん、アン・ヨンヒさん、発表資料の翻訳を担当してくださった尹在彦(ユン・ジェオン)さん、Q&Aを翻訳してくださったノ・ジュウンさん、そして最後にコロナ禍の中でもフォーラムが持続できるように後援を惜しまなかった今西淳子常務理事と李鎮奎(リ・ジンギュ)教授に心より感謝申し上げたい。   忘れてはいけないことがもう一つ。帰国日の日曜朝、一人のパスポートがないことに気づき、大騒ぎとなった。フォーラム終了後に銀座の飲食店で落としたのではないかと思われるが、探す時間も方法もなく、韓国大使館領事部に緊急連絡し、臨時パスポートを作っていただき、予定通りの帰国便に乗ることができた。一時はパニックになったが、スリル満点だった。遺失物届け出で日本の交番にも大変お世話になった。この場を借りて感謝申し上げたい。   写真アルバム   アンケート集計結果   <金雄熙(キム・ウンヒ)KIM_Woonghee> 仁荷大学国際通商学部教授、副学長。ソウル大学外交学科卒業。筑波大学大学院国際政治経済学研究科修士、博士号取得。仁荷大学国際通商学部専任講師、副教授、教授を経て2022年9月より副学長。最近は国際開発協力、地域貿易協定に興味をもっており、東アジアにおける地域協力と統合をめぐる日・米と中国の競争と協力について研究を進めている。1996年度渥美国際交流財団奨学生。     2023年5月25日配信
  • 2023.04.26

    マックス・マキト「第37回共有型成長セミナー『東アジアダイナミクス』報告」

    2023年4月10日(父の91歳の誕生日)、渥美国際交流財団関口グローバル研究会(AISF・SGRA)、フィリピン大学ロスバニョス校公共政策・開発大学院(UPLB・CPAf)、東北亞未来構想研究所(INAF)の共催で第37回持続可能な共有型成長セミナーが、初めて「ダブルハイブリッド方式」で開催されました。対面式⇔オンラインおよび英語⇔日本語(同時通訳なし)のハイブリッドです。この方式を試した目的は、従来は英語圏の参加者しかいなかったこのセミナーに、英語圏と日本語圏の参加者が一緒に参加する機会を増やせないか、ということでした。   今回のテーマは「東アジアダイナミックス」で、東北アジアと東南アジアの2つを合わせた地域を「東アジア」と定義しています。発表者や討論者は、両東アジア地域の出身者で構成されています。   この「東アジア」の定義は、世界銀行が1993年に発表した報告書『東アジアの奇跡』でも使われています。今回のメインテーマである「共有型成長」という言葉も、この報告書にちなんでいます。共有型成長とは、効率性と公平性のバランスが取れた開発のことです。ピケティの『21世紀の資本主義』、スティグリッツの『不平等の代償』、そして国連の持続可能な開発目標(SDGs)と、最近盛んになってきた公平性の議論に数十年先んじたという点で、この報告書は重要です。   『東アジアの奇跡』は、東アジアのダイナミクスを分析する上で重要な意味を持つ一方、それが出版される頃にちょうど出現しつつあった、重要な2つのダイナミックスを含んでいません。それが「国際的な地域化」と「地方分権化」の試みで、今回のテーマです。平川均先生(名古屋大学名誉教授)が前者を、私が後者を発表しました。平川先生は地域化を「地域主義、地域協力、制度化、経済統合を組み合わせた総合的な概念」と定義し、私は、地方分権化を「国家が政治的権限や財政的自治を委譲することによって、実質的にサブナショナル(自治体)に権限を与える国家内の現象」と定義して、報告しました。   平川先生は、東アジアの地域化について、日本的な視点がふんだんに盛り込まれた興味深い見解を示しています。東アジアの地域化の最初の試みは大東亜共栄圏であったが、結局、日本の敗戦によって失敗。赤松要の「雁行形態発展論」は日本の近代化をその歴史の中で捉えるもので、同時に国際化の視点がありました。そのため、戦時中の日本帝国のプロパガンダの一部とみなされたのですが、1980年代には、東アジア経済の統合を説明する戦略的に首尾一貫した装置として再評価され、ASEAN+3(東南アジア諸国連合+日本・中国・韓国)といった広域統合のテンプレートとさえ言えるようになりました。しかし、こうした地域統合の仕組みが機能するためには、ASEANの地域協力の発展が同時に重要であり、東アジアの発展は両者の試みが融合することで達成されたとの見解を示しました。そして、今日の東アジアで進められている地域統合を成功させるためには、「制度としてASEANの中心性が重要な役割を果たす」と、ASEANの重要性を強調しました。   次に私が、東アジアにおける1990年代以降の地方分権化の傾向について、世界銀行が2005年に発表した報告書を引用しました。地域化と地方分権化は国家が適切に権限を与え(弱すぎず強すぎず)、地域レベルと地方レベルの両方に有効性をもつ共通の原則が存在する場合、つまり、代替ではなく相互補完的関係になる時、社会の発展が達成されます。さらに、地方分権化は発展途上地域への日本の関与が共有型成長志向の下にODA-FDI-EXIM(援助・海外直接投資・輸出入)の三位一体という形で行われる時に有効性を発揮するとの経験的メカニズムを導き出しました。これは、伝統的な成長センターの外に成長ポールを新たに作ろうとする地方分権化の推進を補完する提案となります。   国際的な地域化が失敗する可能性についても考えました。私の所属するフィリピン大学ロスバニョス校で、ASEAN+3のアジェンダを推進する上で地方自治体が果たすべき重要な役割について、最近の研究を引用しました。その研究では、ASEANスマートシティネットワークのパイロット都市をエンジンとし、隣接する都市を同化させる中核主導型アプローチと、サブリージョン都市をそのエンジンとする周辺主導型アプローチを提案しています。また、第6回アジア未来会議で開催した円卓会議「東南アジアの視点から世界を考える」でも、関連する研究が発表されました。航空路線に代表される地域や国際的なネットワークの特徴は、共有型成長の原則に基づくものではなく、COVID-19のパンデミックで明らかになったように、ハブがウイルスの攻撃によって打撃を受けると全体が機能しなくなるという脆弱性を持っているというものです。   3人の討論者からは、非常に興味深い指摘があり、私たちの考えをさらに進めるために大変役立ちました。討論者がとりあげたのは地方分権化がもたらした自治体間の格差の拡大でした。地方分権化は、自治体の効率性を高める手段であり、その結果、能力の異なる自治体間の格差を拡大するからです。このような負の側面はありますが、むしろ地方分権化を積極的に進めて緊張関係の中で効率性を高めつつ、格差の拡大を緩和する政策的措置を追加していくことが望ましい政策の在り方ではないでしょうか。   参加者からも貴重なコメントを頂きました。日本語圏の参加者は期待したほどには集まらず残念でしたが、日本のコミュニティー活性化の活動をしている方が、静かにセミナーを最後まで聞いてくださったことが後で分かりました。日本語圏の人々にも発言していただくためには、もう少し工夫が必要かもしれませんが、せっかくですから匿名のコメントをそのままの形で共有させていただきます。セミナーのテーマと一致していますし、私も全く同感です。   ・・・・・・・・・・・・ 大変なご努力のセミナーですね。現在の世界の緊急で核心的な課題だと思います。マキトさんの狙いが、私に分からなかったので、各スピーカーの思考のコンセプトを理解することに集中していました。最後にその中の考えの違いやズレも、だいたい理解できました。全部聞いていたのです。私も発言しようと思いましたが、会議の狙いもあるでしょうから、混乱させてはいけないと自制しました。私は南アジアと米日韓を加えた諸国の共同を言う人たちは、軍事的な安全思考であって、自国のことしか考えていないと思っています。私は、世界は核戦争で自滅の危機にあると思っています。それは近代国家を良しとするこの200-300年の時代の終焉だと思います。科学技術振興と経済成長、グローバリズムという近代が終わったと思います。21世紀は、20世紀までの思考と構造を破棄して、新しい思考と社会構造を創らなければ、破滅するでしょう。それは近代国家を支えて来たがおとしめられてきた地方/地域を主役に、中央集権体制を打破すること、新しいコミュニティーが自立し、国境を超えてネットワークを創ること、核武装国支配の国際的枠組みを変革することだと思います。近代国家と称する国々の指導者は、自分たちの利害/安全のために離合集散し、最後は核戦争も辞さないでしょう。私はこう言う考えの持ち主ですから、発言すると混乱を招く恐れがあったわけです。ご理解ください。 ・・・・・・・・・・・・   今回のセミナーは、関口グローバル研究会(SGRA)と渥美財団のルーツを思い起こす機会でした。SGRAは、渥美財団の本拠地である東京都文京区「関口」と世界を結ぶというビジョンを持って結成されました。北東アジアの平川先生や李先生、東南アジアのコルテス先生やイドラス先生の親切で積極的なご協力は、その活動の努力と発展を証明しています。私たちは、究極的には2つの東アジアではなく、1つの東アジアなのです。   SGRAは「多様性の中の調和」という原則に基づき、「良き地球市民の促進」に貢献することをモットーとしています。今回のセミナーのダブルハイブリッド方式は、この方向への良い動きだと、私は心から思っています。私たちは異なる場所にいても、選んだ言語(今回は、英語または日本語)で自由に話しても、なおかつ良い友人でいられる関係を構築することができると思います。   当日のプログラム   当日の写真   アンケート集計     <フェルディナンド・マキト Ferdinand C. MAQUITO> SGRAフィリピン代表。SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学ロスバニョス校准教授。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師、アジア太平洋大学CRC研究顧問を経て現職。       2023年4月27日配信
  • 2023.04.19

    李暉「第70回SGRAフォーラム『木造建築文化財の修復・保存について考える』報告」

    2023年2月18日(土)午後1時より第70回SGRAフォーラム「木造建築文化財の修復・保存について考える」を奈良県吉野郡吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)で開催した。国宝・金峯山寺二王門の保存修理工事現場をライブ中継で発信し、世界中のSGRA会員を始め市民も含めて議論の場を設けるというプロジェクトだ。SGRAと日本学術振興会科学研究費基盤研究(C)J190107009「日本と中国における大工道具の比較による東アジア木造建築技術史の基盤構築」(研究代表者:李暉、2014年渥美奨学生)の共催で、ライブ中継はSGRAでは初の試みだった。   金峰山修験本宗総本山金峯山寺の五條良知管長猊下のご挨拶でフォーラムの幕が開けた。小雨の中だったが、寺の沿革の説明や聖地でのフォーラム開催の意義を愛情込めて伝えていただいた。その後、奈良県文化財保存事務所の竹口泰生先生が二王門の保存修理現場を案内しながら、フォーラム後半で各国の先生方が討論するための話題を提供された。   ライブ中継は奈良県文化財保存事務所・金峯山寺出張所の方々にご協力いただき、二王門北の参道から始まった。外観を見た後で中へ入るというルートを取り、できる限り視聴者が臨場感を味わえるよう工夫した。竹口先生は事業全体の説明から始まり、解体修理に至った原因である地盤沈下の現状を紹介。保存修理にあたっての調査については、特に大工道具による加工痕跡について、初重の軒下にある組物を用いて詳細に説明された。中継の最後は素屋根の3階まで巡り、伐採した木材をいかだ穴付きのままで利用した部材を披露し、往時の建築造営と製材の関係を示す興味深い内容だった。1時間の現場案内は、あっという間に終わったが、普段にない近距離での観察で、多くの視聴者の好奇心を刺激したことだろう。貴重な現場の情報についてメモを取られた方々もたくさんいらしたようだ。   後半の討論は京都大学防災研究所の金玟淑氏(2007年渥美奨学生)の司会で進行した。韓国伝統建築修理技術振興財団の姜璿慧先生、中国文化遺産研究院の永昕群先生、京都工芸繊維大学のアレハンドロ・マルティネス先生が研究成果や経験に基づき、各国の伝統建築の保存修理事情を紹介し、二王門の保存修理を始めとする日本との相異についてコメントを頂いた。また、塩原フローニ・フリデリケ氏(BMW Japan、2008年渥美奨学生)からは市民を代表して文化財保存への理解を述べていただき、保存修理に携わっている専門家も多くのことを考えさせられた。   最後に視聴者の皆さんからの質問も受け、先生方にご回答いただいた。時間が限られており、すべてに回答することはできなかったが、視聴者と交流を図ることができたと思う。   3時間という長時間のフォーラムであったが、先生方は木造建築文化財保存への情熱があふれており、スクリーンを通して誠実で熱い討論が交わされた。その心は視聴者へも伝わったであろう。   常に工程に追われる保存修理現場にもかかわらず、多くの要望に応えていただいた竹口先生を始め、研究や調査業務で多忙な先生方へ心より感謝を申し上げたい。最後まで支援していただいたSGRAの存在の意義を改めて実感した。フォーラムには250余名が参加してくださった。皆さまに感謝するとともに少しでもお役立つことができたらと願うばかりである。木造建築文化財の修復・保存に限らず、専門家と市民のギャップはどの業界にもある。今回の試みを機に、多くの方がそのギャップを理解し、少しでも埋めていく意識を高めることができれば幸いである。   当日の写真   アンケート集計   <李暉(り・ほい)LI Hui> 2014年度渥美奨学生。2015年東京大学大学院博士(工学)取得。2014~2018年、奈良県文化財保存事務所仕様調査員として、薬師寺東塔(国宝・奈良県)の保存修理事業に携わった。2018年、奈良文化財研究所アソシエイトフェローとして、平城宮第一次大極殿院復原研究に従事。2023年、奈良女子大学 大和・紀伊半島学研究所古代学・聖地学研究センター協力研究員。専門は中国建築史。著書に、『建築の歴史・様式・社会』(共著、中央公論美術出版、2018)、『中国の建築装飾』(共訳、科学出版社東京、2021)、『中国古典庭園 園冶図解』(監訳、科学出版社東京、2023)など。     2023年4月20日配信  
  • 2023.01.08

    孫建軍「第16回SGRAチャイナフォーラム『モダンの衝撃とアジアの百年―異中同あり、通底・反転するグローバリゼーション―』報告」

    2022年11月19日(土)北京時間午後3時(日本時間午後4時)より第16回SGRAチャイナフォーラム「モダンの衝撃とアジアの百年――異中同あり、通底・反転するグローバリゼーション」が開催された。コロナが始まってから3度目のオンライン形式だ。2021年に引き続き、京都大学名誉教授の山室信一先生に2度目の登壇を依頼した。2年連続して同一の先生に講演を依頼するのはフォーラムが始まって以来初めてだった。   例年通り、開催にあたり、主催側の渥美財団今西淳子常務理事、後援の北京日本文化センター野田昭彦所長(公務のため、野口裕子副所長が代読)より冒頭の挨拶があった。前年同様、野田所長の挨拶にテーマに沿った問題提起があり、フォーラムのウォーミングアップともなった。   講演は定刻に始まり、山室先生は主に4部に分けて語った。まず議論の前提として「論的転回」と「2つのモダン」について触れ、本題に移行した。第2部は「時間論的転回――生活時間と時計時間そして国家時間」、第3部は「ジェンダー論的転回――服色と性差・性美そしてモダン美・野蛮美」、そして最後は「アメリカニズムとグローバリゼーション」であった。第2部から第4部までが、それぞれさらに3つの項目に細分されて、アジアにおける時間と空間の近代的成立の特徴と影響について分析が行なわれた。現代人として何とも思わない事物や思考などの裏側を解き明かす80分間はあっという間に終わった。   討論は澳門大学の林少陽先生によって進められた。中国で活躍している若手研究者、北京社会科学院の陳言先生と中国社会科学院外国文学研究所の高華鑫先生より講演へのコメントが述べられ、そのコメントや新たな質問に山室先生が答えた。林先生が総括で語られた「アジアの近代化において、空間は時間を変えた」という話は深く考えさせられた。   百年の歴史を80分間で語るのは至難の業。振り返ってみれば、前年のフォーラムが終わった時から準備が始まっていたと言っても過言ではない。より多くの参加者の理解を促すために、中国通の山室先生からは様々な話題提供があった。何回ものメールのやりとり、そしてオンラインでの打ち合わせの結果、今回のタイトルが決まった。先生の知識の幅広さと人間としての謙虚さに心を打たれる連続であった。前年同様、事前に原稿を書き上げ、たくさんの画像を用意してくださった。もし前回は満足のいかない点があったとしても、講演終了時の先生の満面な笑みを見て、今回のフォーラムでやり残されたことはないだろう確信した。宣言通りに時間厳守されたことも心から尊敬してやまない。   厳しいコロナ対策の中でも、前回、前々回と同様、北京大学内で少人数ながら学生を集めた会場を設ける予定だったが、キャンパス内の陽性者発覚に続き、北京市全体の感染拡大を受け一般教員の入校が制限され、北京大側は全員オンライン参加を余儀なくされた。   このリポートを書き始めたころ、中国は「ゼロコロナ」から全面的に「ウィズコロナ」に切り替わった。多くの学生が次々と感染したのを知り、深く心を痛めた。私自身も感染を免れなかった。高熱、咳、全身の痛みとだるさにさいなまれる中、フォーラムのタイトルにある「通底・反転する」の真髄を噛みしめた。   オンラインで参加してくださった370余名の方々にあらためて感謝する。2023年こそ対面で行いたい。 最後に、北京大学の院生から感想文が寄せられたので紹介する。   ◇山室教授は、近代世界史を「近代としてのモダン」と「現代としてのモダン」の2つの段階に創造的に区分し、その過程を時間や空間の感覚、身体の倫理など、私たちに最も関係の深い日常生活の劇的な変化を通して示してくださいました。メディア、アート、服飾などに関する多くの用語を網羅し、山室先生の知識の幅の広さに驚嘆させられました。近代化の過程における「文明国の標準主義」の問題をめぐって、これまでの自分はマクロな視点から理解しようとしていましたが、今回の講演を通じて、身体感覚というミクロの視点から理解することができました。山室教授は日常生活と密接に結びつけながら、欧米に対応する中で東アジア(とりわけ日本と中国)の互いの拮抗や啓発から生じた平準化、同類化、固有化といった壮大な物語をつづりました。その思考の深さには尊敬の念が堪えません。講演の最後に触れた近代化と「アメリカニズム」の問題についても、考え続けていきたいです。(劉釗希、修士課程1年)   ◇前回に続き、「近代」(モダン)というキーワードを見つめ直したご意見を伺うことができ、非常に勉強となりました。特にジェンダーの転換という部分で考えさせられました。その中、「モダンガール」や「新しい女」という言葉が示す視覚的表象に関して、洋装や断髪という現象に関する論述が興味深かったです。女性史・ジェンダー史の考察では、上記の現象を課題として取り上げ、近代の商業広告における女性表象を分析する研究が多く見られます。そのうち洋装と断髪といった女性表象は一種の消費者の理想像であり、商業販売のために作られたという論説があります。象徴としての洋装と断髪は「モダンガール」や「新しい女」という新しい語彙と深く絡み合い、商業社会の進展とともに、視覚・言語による女性像が作られたと考えます。こうしてみれば、あらためてジェンダー視点は「近代」を考察するために不可欠であると考えました。これを糧に今後の研究に励みたく存じます。本当にありがとうございました。(羅婷婷、博士課程3年)   当日の写真   アンケート集計   <孫建軍(そん・けんぐん)SUN Jianjun> 1990年北京国際関係学院卒業、1993年北京日本学研究センター修士課程修了、2003年国際基督教大学にてPh.D.取得。北京語言大学講師、国際日本文化研究センター講師を経て、北京大学外国語学院日本言語文化系副教授。専攻は近代日中語彙交流史。著書『近代日本語の起源―幕末明治初期につくられた新漢語』(早稲田大学出版部)。     2023年1月13日配信
  • 2022.12.19

    ヤン・ユー グロリア「第18回SGRAカフェ『韓日米の美術史を繋ぐ金秉騏画伯』報告」

    1916年平壌に生まれ、2022年3月1日に105歳で亡くなった金秉騏(キム・ビョンギ)という画家がいる。若い頃を東京で過ごし、1947年以降はソウルで教育者・評論家として活躍、1965年に米国に渡り、そして100歳(2016年)の時に韓国に戻り、絵を描き続けた。   人生とキャリアを、国境を超えて紡いだ異色な作家を美術史ではどのように語ることができるか。2022年10月29日(土)にオンラインで開かれた第18回SGRAカフェ「韓日米の美術史を繋ぐ金秉騏画伯」は、その試みの場だった。問題提起・討論・質疑応答の3部から構成された本カフェは、世界各地から76人が視聴し非常に充実した内容となった。   まず問題提起として、コウオジェイ・マグダレナ氏(東洋英和女学院大学国際社会学部国際コミュニケーション学科講師)が金画伯に出会った記憶と彼への取材、作品の受容と評価などを、朝鮮半島・日本・アメリカで過ごした金画伯の人生のエピソードとともに生き生きと紹介した。金画伯の力強く抽象的な絵を満喫した後、発表の後半では、コウオジェイ氏は画伯の生涯と芸術創作がいかに「国史としての美術史(national_art_history)」の枠組みに挑戦をもたらしたかを指摘し、その枠組みでは見落としてしまう難点と限界、そして新たな可能性について、次に登壇する韓国・日本・米国で活躍している3人の美術史学者に投げかけた。   コウオジェイ氏の問いを受け、討論者として朴慧聖氏(韓国国立現代美術館学芸員)、五十殿利治氏(筑波大学名誉教授)、山村みどり氏(ニューヨーク市立大学キングスボロー校准教授)が登壇した。   朴氏は金画伯の回顧展「金秉騏:感覚の分割」(韓国国立現代美術館、2014-2015)を始め、20世紀のダイナミックな韓国美術史を紹介し、その中で様々な証言と口述を提供した金画伯の重要な位置を示した。彼の生涯と芸術創作は、様々な境界の間に位置し、またその境界を超えようと努力したと分析した。   続いて五十殿氏は、金画伯も言及した日本「アヴァン・ガルド洋画研究所」を手かかりに、そのメンバーや機関誌、展覧会などを探り出し、金画伯の東京時代と同時代の日本のモダン美術の動向、そして上野の美術館や銀座・新宿の小画廊が対抗しながらそうした動向の舞台となっていたと紹介した。   最後に山村氏は、米国での出版物や展覧会を通し、米国におけるアジア系アメリカ人の美術史の全貌を説明した。具体的に数名のアーティストとその作品を取り上げ、「アジア系アメリカ人」という枠組みでひとからげに解釈することの制限、「アジア系アメリカ人」の多様性、民族性とアイデンティティーの複雑な絡みを示した。   質疑応答では、あらためて金画伯と韓国・日本・アメリカ美術史の交差点を討論し、「国史」の枠組みを超越する美術史の書き方、東アジア美術史における共通の議論、そして美術史研究の倫理などについて討論を深め、国境を越える美術史の新たな可能性を提示した。質疑応答の後、発表者と討論者は「ミニ・オンライン懇親会」を行い、各国の美術史研究の現場の近況報告や、将来の研究コラボなどで話が盛り上がった。   カフェ当日は晴れだった。実はこのカフェを企画し始めた頃はまだ金画伯がご健在で、ご本人にオンラインでご参加いただこうという案もあった。残念ながら叶わなかったが、今回のカフェは金画伯を偲ぶ会にもなったのではないかと思う。日韓同時通訳付きだったため、韓国からの参加者も多く、ご感想・ご意見もたくさんいただき、こうした形で交流が広がっていけばよいと思う。このような交流の「場」を作り、新たな試みをサポートしてくださった渥美国際交流財団の皆様、企画したコウオジェイ氏、積極的に討論を深めた先生方に、心から感謝を申し上げたい。司会として大変有意義な経験だった。今後、「国史」の枠組みを超えたつながりを重視する美術史(connecting_art_histories)」について新たな試みを続けたい。   当日の写真   アンケート集計   韓国語版はこちら   <ヤン、ユー グロリア Yang Yu Gloria) 2015年度渥美奨学生。2006年北京大学卒業。2018年コロンビア大学美術史博士号取得。東京大学東洋文化研究所訪問研究員を経て、九州大学人文科学研究院広人文学コース講師。近現代日本建築史・美術史を専門。