SGRAイベントの報告
李趙雪「第8回東アジア日本研究者協議会パネル『植民地・租界の美術と美術史』報告」
2024年11月8日から10日にかけて、「東アジア日本研究者協議会第8回国際学術大会」が台湾の淡江大学で開催され、東アジアの近代美術史研究者6名を集めて「植民地・租界の美術と美術史」をテーマにパネル発表を行なった。
1980年代末以来、美術史既存の枠組みを再考し、近代日本美術史の叙述から排除された植民地美術史の研究が本格的に日本で始まった。近年の多くの研究成果を挙げていることを背景に、本パネルは天津租界、満洲大連、台湾、朝鮮での記念碑、建築、絵画、書芸などの造形・言説に焦点を当て、美術史の視点から植民地・租界の都市空間、市民生活、アイデンティティの交錯などを検討した。
会期中、台北に隣接する淡水という港町は小雨が降っていた。本パネルは2日目の午後の最初のセッションで、座長は国立台湾大学芸術史研究所の邱函妮先生を迎え、発表当日は時間軸に沿って発表の順序を調整した。「天津租界公園の記念亭と記念碑——東アジアのモニュメントの成立」(李趙雪:南京大学)、「戦前大連の文化住宅と郊外空間」(楊昱/グロリア・ユー・ヤン):九州大学)、「植民地台湾から『外地』を視る—水彩画家・石川欽一郎の朝鮮旅行を中心に」(鈴木惠可:中央研究院)、「植民地における朝鮮の書芸—呉世昌(1864-1953)を中心に」(柯輝煌:東京大学)の四つの発表と、東洋英和女学院大学のマグダレナ・コウオジェイ(Kolodziej, Magdalen)先生のコメントと発表者の議論を経て、フロアからの質問を受けた。
私の発表は天津のイギリス租界のビクトリア公園(1887年)と日本租界の大和公園(1909年)の奏楽堂や記念碑を手がかりに、東アジアのモニュメント概念の受容について検討した。「公園」という西洋の近代的な都市装置が天津租界に移植された結果、新しい都市理念を示すだけでなく、イギリスの権威や、日英同盟、日本の対外姿勢と自己主張の視覚シンボルとなったことを明らかにした。国際政治や外交の要因を背景に、ヨーロッパの奏楽堂(Bandstand)は中国の礼制建築と奈良時代の寺院建築との融合や対話を経て、天津の租界のなかで「記念亭」の雛形として成立した経緯がわかった。
楊氏の発表は日露戦争後の大連の住宅建設に注目し、日本の生活改善運動にも影響を与えた満州の生活改善展覧会(1921年10月29日〜11月2日)の状況を明らかにした。日本国内での中流階級の住宅・イメージを作ろうとした動きは、満州の植民地建設にも見られる。満州の場合、現地の地域性も重視され、1920年代に多くの文化住宅、和洋折衷の住宅が大連で建てられた。ところが、満州の住宅建設を通して明らかにしたように、植民地建設には理想と現実が混在していた。満州の中流住宅は一部だけの日本人に支持され、時には中国人の上流・中流階級の理想の対象にもなったという複雑な状況は今後さらに研究が求められる点とされた。
鈴木氏の発表は水彩画家・石川欽一郎(1871-1945)の朝鮮旅行に注目し、その歴史背景や朝鮮滞在中の活動、経緯などについて考察した。天津、北京、ヨーロッパ、台湾、福州などの各地での旅行後、1933年に石川は朝鮮に旅立った。石川は自らの朝鮮への眼差しは、内地からの画家というより、台湾への植民経験を有する宗主国の画家という自負を持っていたことがわかった。
柯氏の発表では植民地支配下の呉世昌の作品を取り上げ、そこに絡んでくる「檀君と箕子」の問題を提示した。先行研究においては、植民地期に入り、檀君ナショナリズムと天皇制のイデオロギーの間に起きている衝突がしばしば強調されているが、檀君と箕子は互いを排除する関係でしか捉えないのかと柯氏は疑問を提示した。それを背景に、呉世昌の書芸において檀君と箕子はどのような役割を担っていたか検証した。戦時期には箕子朝鮮と楽浪文化が内鮮一体や日本の大陸進出などの言説と絡んでおり、呉世昌の作品とこのような言説がいかに相互に作用しているのかを今後の課題とした。
討論者のマグダレナ先生は「一国美術史」の枠を超え、複数の民族が集まって国境を超える租界・植民地の美術史を再考することはとても重要であると指摘してから、それぞれの発表に質問した。(1)李の発表に対して、日英の二つの租界公園の公共空間を作る際の市民の状況、その受容の様子について。例えば奏楽堂(bandstand)で実際に演奏が行われたかについてなど。また使用した資料の絵葉書のメディアの問題についても検討する必要があると指摘した。(2)楊氏の発表に対しては、大連の住宅は植民地に住んでいた市民の状況を明らかにする重要な手がかりであると評価した一方、日本内地と満州で住宅に住んでいる階級、階層、また文化住宅に対する理想と現実についての具体的な説明を求めた。(3)鈴木氏の発表に対しては、植民地と内地の二元的な考え方より、植民地間の関係という新鮮な視点を提示していると評価した。その上で、石川欽一郎の研究は台湾美術史と日本美術史のどちらからの視点でなされているのかを質問した。日本美術史の文脈から考えるなら面白いテーマになると指摘した。(4)柯氏の発表に対しては、なぜ呉世昌は書芸というメディアで自己の意思をあらわしたのか、植民地研究の抵抗(resistance)・協力(collaboration)という既存の二元論に対して発表者の意見を伺った。マグダレナ先生の質疑に対して、発表者からは文脈、内容をそれぞれ補足し90分の時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
最後に座長・邱函妮先生からのコメントは下記に補足する。
「李趙雪先生と楊昱先生のご発表は、外国勢力によって占領された中国天津の租界や満洲国といった特殊な都市空間をテーマにされました。お二人はそれぞれ、政治的意味を有する記念碑や建造物、また非公共的な住宅空間という異なる視点から考察を行い、これらのアプローチは非常に興味深いものでした。
鈴木恵可先生のご発表は、これまで中央/地方、植民母国/植民地という二項対立的枠組みに依存していた従来の視点から転換し、植民地間の比較という新たな視座を採るものでした。その結果、石川欽一郎が台湾での生活経験を通じて、他の植民地を観察するための比較基準を形成していたことが明らかとなりました。
柯輝煌様のご発表は、呉世昌の書芸とその活動を通じて、植民地支配下における朝鮮ナショナリズムを考察し、新たな論点を提示されました。今後の研究の進展が非常に楽しみです。」
本パネルは多様な美術ジャンルから成り立っているが、参加者の研究方法(美術制度論)はきわめて近いといえる。植民地・租界の美術の史的展開を全うしたとは言いがたいが、方向性や視点の提示などの面では有意義な成果を得た。パネルの後、参加者全員は会場近くのカフェに行き、発表内容についてさらに議論を深めるとともに、自身の研究方向や課題についても紹介した。今後のさらなる交流に向けて良い基盤を築く機会となった。
<李 趙雪(り・ちょうせつ)LI Zhao-xue>
中央美術学院人文学院美術史専攻(中国・北京)学士、京都市立芸術大学美術研究科芸術学専攻修士、東京藝術大学美術研究科日本・東洋美術史研究室博士。現在南京大学芸術学院の副研究員。専門は日中近代美術史・中国美術史学史。