SGRAイベントの報告

岩田和馬「第23回SGRAカフェ『岐路に立つシリア:抑圧から希望へ、不確実な未来への歩み』報告」

2025年2月8日、第23回SGRAカフェ「岐路に立つシリア:抑圧から希望へ、不確実な未来への歩み」が渥美財団ホールとZoomによるハイブリット形式で開催されました。講師はジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター研究員のダルウィッシュ・ホサム氏、討論はモハメド・オマル・アブディン氏、司会はシェッダーディ・アキル氏が担い、対面とオンライン共に数多くの聴衆が集まりました。

 

24年12月8日にアサド政権が突如崩壊し、反体制勢力による新体制が確立したシリアについて、ホサム氏は、故ハーフィズとバッシャール親子によるアサド政権の現実や、11年の反体制デモに端を発する内戦、そしてポスト・アサド時代の不確実な未来への展望について語りました。自身の経験を踏まえたシリアの生活、日本留学後もしばしばアサド政権下の日々を悪夢に見たというエピソード、非人道的な政治体制によって国民に植え付けられたトラウマとその長期的な影響、そして体制を支えた政治構造や、国民に対する弾圧の実態に言及しました。

 

続いてスーダン出身のアブディン氏は、紛争国や内戦を逃れて海外で生活をする厳しさや、中東・北アフリカ地域において紛争が続くシリア、スーダン、パレスチナといった地域における米国やロシアなど大国の思惑等、多様な論点からコメントしました。

 

聴衆からの質問は、今後のシリアがどのような未来を歩むかという点に集中しました。内戦中に離合集散を繰り返した反体制勢力同士の不安定な関係に加え、国内に残る政権派やイスラーム国残党の扱い、北部のクルド勢力との関係などは、今後の新生シリアの未来を占う上で重要な要因となることが確認されました。シリア北部においてはクルド勢力の影響が非常に大きく、ホサム氏、アブディン氏とも最終的に情勢を決定するのは新政権を支援するトルコと、クルド勢力を支援する米国の思惑次第ではないかと見ていました。

 

オスマン帝国史を専攻する私は、アラブ地域は専門外であるものの、トルコを介してシリアとも縁のある学生生活を送りました。アラブの春に続いて、なし崩し的にシリアでの内戦が始まった11年に東京外国語大学に入学、13-14年にトルコへ留学し、語学学校でシリアから逃れてきた学生たちと話をした時に初めて内戦のリアリティを目の当たりにしました。日本でもシリア出身の留学生と仲良くなる機会はありましたが、クラスの3割がシリア人で占められていた語学学校の様子は内戦の影響を「mass」の形で見せつけられているようで、強い印象を受けました。その後、旅行や調査でトルコを訪れるたびにシリア人難民を街で見かけることが増え、難民の定着過程とトルコ人との衝突を目の当たりにしました。

 

近年ではトルコ社会に定着するシリア人難民も増え、トルコ語を操りトルコ人と同じ学校を卒業し、トルコ人と同じ会社で働くシリア人も増えましたが、15年前後はトルコ語も話せず生活基盤もないシリア人がイスタンブル各地で物乞いをしている姿をよく見かけました。旅行でたまたまバスが通過した国境地帯の難民収容施設で見かけた所在なさげにタバコをふかしたり、施設の周辺で座り込んだりする人たちの姿を今でも覚えています。トルコ人からの冷たい目線や心無い言葉を見聞きすることも多く、難民の強制送還や難民に対する襲撃が度々トルコの政治マターとしてニュースに現れるのを見てやるせない思いに駆られました。

 

このような体験を通して今回の講演を振り返ると、ホサム氏とアブディン氏からの「ニュースでは紛争における死傷者や難民の数が語られるが、数字に含まれる人々には個別の人生があり、内戦によって引き起こされた個別の苦しみがある」という指摘は非常に重要です。

 

2度のトルコ留学を通じて、私はトルコへ逃れたシリア人をはじめとしてパレスチナ人、ウイグル人、イエメン人、アフガン人などの難民や学生と知り合い、それぞれの体験を耳にするたびに戦争や政治弾圧が個人の人生に対してもたらすものを考えざるを得ませんでした。「統計的な数字の裏には無数の人間の人生が存在している」ということは、少し考えれば当たり前の話ですが、私たちはしばしばこんな簡単なことも忘れてしまいます。今回のイベントを通して、私が出会ったこれらの人々やニュースで見る戦災被害者全てにそれぞれ戦争に狂わされてしまった人生があることを決して忘れてはいけないと改めて認識しました。カフェに参加したすべての人が、直接的・間接的に紛争の影響を受けた人を見たことがあると思います。このようなある種当たり前のことを思い出すためにも今回のカフェが行われた意義がありました。

 

ホサム氏とアブディン氏が指摘したように、講演、討論、質問において度々議題に上がった新生シリアの今後については不確定要素が多数存在しており、予断を許さない状況が続いています。先進国の多くはアサド政権下のシリアに対して経済制裁を行っており、新生シリアに対してもリーダーが宗教保守派であることを理由に様子見を続けています。こうした先進国の姿勢はシリアの情勢の改善を促すことにはならないので、日本をはじめとした各国はなるべく早く支援する必要があります。女性の地位を巡る課題や世俗的な生活様式がどれほど容認されるのかといった懸念が特に西側各国から投げかけられています。しかし、「戦闘が終わり、体制が安定しなければこのような議論も行うことができないので、いち早い対策が必要だ」というアブディン氏の指摘は非常に重要です。

 

内戦が終了したとはいえ、いまだに多数の不確定要素が存在し、無数の村落や都市が荒廃したシリアの再建は容易な事業ではないということを、今回のイベントを通して今一度再確認しました。アサド政権下で行われた非人道的な弾圧や有象無象の武装勢力が割拠したこの10年の歳月がシリア社会に大きな傷跡や憎悪、分断を残したことは明らかであり、爆撃で更地になった国土の復興と並行して、社会や人間性そのものの復興が急務であるという思いを改めて強くしました。一方で、世界各国へ散らばり様々な分野の知識や技術を身につけたシリアの人々が祖国の復興に参画したいと考えていることも確かです。こうした人々の善意と国際社会の適切な援助が新生シリアの社会を健全なものに再建することを期待して止みません。新体制のシリアでは各派閥の対立や憎しみを超えて、可能な限り早い復興が行われることを願います。

 

当日の写真

 

<岩田和馬(いわた・かずま)IWATA Kazuma>
東京外国語大学大学院総合国際学研究科世界言語社会専攻博士課程在籍。2020-2023年ボアジチ大学客員研究員。研究論文に「18世紀イスタンブルの荷役組合:内部構造に関する考察」『オリエント』vol.63-2,189-204(2020)。2024年度渥美国際交流財団奨学生。

 

 

2025年3月13日配信