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2011.08.03
2011年7月2日(土)にSGRA蓼科フォーラム「東アジア共同体の現状と展望」が開催された。休憩中にパネルディスカッション司会の南基正さんからコメントを発言するよう頼まれた。フォーラムの真っ最中にマニラの家にいる愛犬が静かに亡くなったという知らせを受け取った僕は集中力が乱れていたが、要請に応じて何とか発言した。しかし、わかりにくいところもあったと思うので、ここで改めて整理して、その後の印象と一緒に述べさせていただきたい。
今回の発表者のなかには東南アジアの代表がいなかったが、基調講演をしてくださった恒川惠市先生と、黒柳米司先生がASEANに関して十分に話してくださった。それに少しだけフィリピンの立場を付け加えたい。
スペイン帝国がフィリピンを米国に譲るというパリ協定が署名された一年後の1899年、16世紀からスペインの海軍基地であったスービックに、星条旗が初めて掲げられた。それから100年近くたった1992年、米海軍は撤退し星条旗は下ろされた。その後、予想通り、スービック地域の経済は低迷したが、フィリピン政府がそこに経済特区を設置した結果、地域経済は回復に向かった。
当時、米軍の撤退はどちらかというと良かったと思った。あの国はうっかりすると軍事力をもって地域介入する傾向が強いので、東アジア共同体の構築はやはり我々東アジア人に委ねるべきであろうと思った。冷戦ベビーである僕としてはこのような考え方は驚くべきことであった。冷戦の恐怖に育てられたものにとっては、守ってくれる米軍はどうしても欠かせない存在のはずだったからだ。
スービックから米軍が撤退した頃、東アジア共同体について楽観的になる展開がいくつかあった。たとえば、東アジアの暴れん坊である北朝鮮をこの地域に巻き込もうとする日朝平壌宣言とか、あるいは、共産主義を支えてきた中央計画経済を放棄した中国の市場経済の導入とか。当時は、アメリカがなくてもこの地域はやっていけるのではないかという前向きな気持ちが湧いていた。
このような希望を象徴する当時のあるテレビ番組を思い出す。ある日本の俳優が銀座でタクシーを拾う。運転手さんに「ロンドンまでお願いします」という。目指す方向は西。太平洋を経て西欧を目指した今までとは正反対の、まさにその時代の風向きである。
残念ながら、平壌宣言は失敗に終わった。北朝鮮は弾道ミサイルの開発を進め、命中率はともかく、その射程距離に東南アジアの一部分も入ってしまった。そして、市場経済から膨大な富と力を蓄えた中国が、東南アジアの心とも言うべき南シナ海において威圧的な軍事力をもって暴走し始めた。シンガポール、ベトナム、そしてフィリピンはこのような行動に反発している。恒川先生が指摘されたように、残念ながら東アジアではまだ冷戦が終わっていない。
あの冷戦の悪夢が蘇った現状では、どうすればいいのか。基調講演にも取り上げられた逆転の発想があった。それは、黒柳先生が言及された「弱者である」ASEAN主導型の東アジア共同体である。しかしながら、この構想は東アジアの先輩である日中韓が容認するかどうかまだはっきりしていない。ERIAという東アジア共同体のための研究機関の本部は、日本の支持も受けてジャカルタにあるASEAN事務局に設置されたから、日本はASEAN主導を支持しているようである。しかし、韓国はソウルに設置したかったという。いずれにせよ、このASEAN主導型の東アジア共同体構築という構想に日中韓の容認が得られるならば、ASEANは喜んで協力するであろう。
ただし、この構想が容認済みという前提であれば、逆に日中韓の協力が必要となる。この構想が上手くいくためにはASEANの団結が益々重要になる。東アジア共同体の構築はASEANの中の一国だけでできることではないからである。そう考えると、日中韓に対して、ASEANを分裂させるような行動を避けていただくようにお願いしたい。
国際分業化は恒川先生の共同体の定義にも入っているが、僕もその通りだと思う。日本の企業も東アジアの国際分業化に大きく貢献してきた。EUのような制度がなくてもこれだけ域内貿易が進んでいるのはその結果とも考えられる。しかし、最近の動きをよくみると、日系企業の東アジアへの進出はある特定の国や地域に集中的に行われるようになりつつある。それ故に、日本は共有型成長という素晴らしい理念を持っているにも関わらず、バランスを欠いた分業化に成りつつある。このような不均衡な状態は結局ASEANの団結に打撃を与えかねない。
中国はまだ東アジアの国際分業化に日本ほど貢献していないが、領土問題の取り組みはASEANの分裂を進める危険性が十分にある。中国は多国間の話し合いの誘いに応ぜず、二カ国間の話し合いにしか対応しない姿勢である。これはASEANの分裂にも繋がりかねない。二カ国間の政府レベルの話し合いの大部分は不透明であり、政府同士が納得できたといっても、必ずしもそれが国民にとって良いとは限らない。劉傑先生が引用された「(東)アジアは中国の共通な故郷である」という言葉で思い出した。昔、中国の艦隊がアジアの海を帆走し回っている航海時代もあったが、当時の西洋的な考えとは違い訪問先を植民地化するような方針はなかった。乗組員が訪問先の国を気に入って、そこに住もうと決心して居残ったこともあった。今の中国はその原点に回帰していただきたい。
韓国は、北朝鮮巻き込み作戦の失敗や市場経済の過剰な導入により、日中韓の中では一番東アジア共同体の必要性を痛感しているかもしれない。1997年に勃発した東アジア金融危機によりIMFから厳しい政策転換を余儀なくされ、韓国社会は多大な打撃を受けたし、北朝鮮からは死者が出る軍事攻撃を2回も受けたのであるから。それだけに、ソウルではなくジャカルタ(ASEAN本部)にERIA本部が置かれたのは韓国にとって悔しいであろうが、朴栄濬さんの発表にあったように、韓国が戦後すぐに太平洋同盟構想を発表したように、今でもASEANを信じてくれるようお願いしたい。
今回のフォーラムの内容について、SGRAの仲間たちもいろいろと考えたようだ。意外にも、中国本土の仲間たちがASEAN主導型の共同体構築に寛大な姿勢であった。「強者同士だけだと何もならない」、「問題の島はどの国のものでもなく、皆で共有すればいい」、「皆さんの話は客観的でいい」など。これに対して、「辺境」の東北アジアの仲間たちは、「中国中心にすべき」という意見が強かった。「ASEAN+辺境」と提案しても直ぐ中国のことが気になって否定された。
良き地球市民を目指しているSGRAは、それ自体が小さな東アジア共同体の構築をしようとする活動である。SGRAは僕にとって共同体構築の悲しさや喜びを分かち合える場でもある。ASEANも軍事同盟もなくなり、東アジアという共同体のみとなる希望の未来、僕がこの目で見ることは出来ないかもしれないが、今から仲間たちとその準備を始めたい。
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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。
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2011.07.27
下記の通り北京とフフホトで開催いたしますのでご案内します。参加ご希望の方は、SGRA事務局までご連絡ください。
★講演: 柳田耕一 「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」
【北京フォーラム】
日 時:2011 年9月23 日(金)午後7時
会 場:国際交流基金北京日本文化センター多目的室
【フフホトフォーラム】
日 時:2011 年9月26日(月)午後3時
会 場:内モンゴル大学学術会議センター第8会議室
主催: 渥美国際交流奨学財団関口グローバル研究会(SGRA)
協力: 国際交流基金北京日本文化センター
北京大学日本言語文化学部
内モンゴル大学モンゴル学研究センター
フォーラムの趣旨:
SGRAチャイナ・フォーラムは、日本の民間人による公益活動を紹介するフォーラムを、北京をはじめとする中国各地の大学等で毎年開催しています。
昨年は認定NPO法人 緑の地球ネットワーク事務局長の高見邦雄氏に鉱山開発と北京の水問題について講演していただきました。6回目の今回は、元(財)水俣病センター相思社事務局長の柳田耕一氏を迎え、グローバルな視点から、水俣でおきた人類史的な事件の事実と意味についてご講演いただきます。フォーラムは日中逐次通訳付き。また、今回は北京大学で日本語を学ぶ学生を対象に、日本が経験した公害問題をテーマにしたワークショップを開催します。
講演要旨:
水俣病は20世紀半ばに発生した世界で知られる環境問題の一つです。それは日本の南部の漁村で発生しました。当初、被害者は劇症型の病像を呈していたため「奇病」として恐れられ、隔離されるなどの酷い仕打ちを受けました。折から日本は戦後の復興期の入り口にあり、僻遠の地に救済の手が差し伸べられるまでには長い時間がかかりました。
公式発見から半世紀経った現在でも、抜本的な治療法は無く、被害の全体像の解明は進まず、地域経済は疲弊したままです。一方で水銀による環境汚染は世界中に広がり、酷似した症状をもつ人々も出現し、Minamata Diseaseは世界共通語となっています、現在では微量水銀の長期摂取による健康影響に世界の関心は向かっています。
もう一つの側面として関心がもたれているのは、社会経済的分野です。開発重視、科学重視、利益重視、人権無視の経済運営は、生活の基盤である環境を歪め傷つけ最後には地域社会そのものを持続不可能にしてしまいますが、その象徴として水俣病事件を捉えることもできます。
講師略歴:
現職:特定非営利活動法人 地球緑化の会 副会長兼事務局長、モンゴル国ダルハン農業大学名誉教授、株式会社ティエラコム監査役
略歴:1950年熊本市生まれ。1973年東京農業大学中退。学生時代より水俣病被害者支援運動に参加。日本初の市民運動型財団・水俣病センター相思社の設立運動に参加し、1974年の設立と同時に初代の事務局長に就任。以来、水俣現地に於いて、水俣病発掘や裁判支援、様々な資料作成やイベントの企画などに関わる他、有機農法運動やフリースクール運動を立ち上げる。1989年相思社を退職し、その後いくつかの環境NGOに関わる。1996年より神戸に本社を置く民間企業の役員に就任する一方、環境NGO運動も継続し現在に至る。これまで100回以上に渡り、植林や環境問題調査目的で多くの国を訪問しNGOや市民と交流し、ミナマタの経験を伝える活動を行ってきた。水俣病問題や地球環境問題に関する著書あり。
プログラムは下記よりダウンロードしていただけます。 日本語版 中国語版 ポスターは下記よりダウンロードしていただけます。 北京フォーラムポスター フフホトフォーラムポスター
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2011.07.27
2011年7月2日、第41回目のSGRAフォーラムが「東アジア共同体の現状と展望」をテーマに長野県の東商蓼科フォーラムで開催された。SGRA「東アジアの安全保障と世界平和」研究チームが企画・開催するフォーラムとしては、2003年2月の第10回フォーラム「21世紀の世界安全保障と東アジア」、2005年7月の第16回フォーラム「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」、2008年7月の第32回フォーラム「オリンピックと東アジアの平和繁栄」 に次いで4回目である。
今回のフォーラムの目標は、ASEANと日中韓など、東アジアの諸国が提唱している様々な東アジア共同体論を引き出し、その共通項をまとめ、そのような構想が政策や制度として定着するためにはどのような課題に取り組むべきかについて東南アジア、日本、韓国、中国、香港、台湾、モンゴル、北朝鮮などの視点から点検することにあった。当初の企画意図は簡単な発想から出た。「SGRAには丁度いいばらつきで東アジアの国々からの研究者が集まっている。彼らは自国の事情をよく理解しつつも、留学を含め海外での研究歴が長く、その間多様な出身国の研究者と交わったことがあるから、隣の国々の事情をもよく考えて、物事を発想し伝えることができる。このような研究者が集まっていること自体が、この地域で何か新しいものを形にしていく基盤となるだろう。それを表に引き出してみよう。」このフォーラムはそのような発想から企画された。
開会の辞で今西淳子常務理事は、アジアのなかに共同体のような形で平和の枠組みを構築することは、祖父である鹿島守之助・元鹿島建設会長の遺志であったと語った。改めてSGRAフォーラムで東アジア共同体を論じることの意義が大きく感じられた。
フォーラムは長くこの問題に携わり発言してきた2名の講演者の基調講演から始まった。まず、恒川惠一・政策研究大学院大学副学長が「東アジア共同体形成における『非伝統的安全保障』」という題目で講演を行った。恒川教授は、一般に共同体の条件として「分業の成立」と「不戦への合意」の二点があることを踏まえ、東アジアの地域において依然として影響力のあるアメリカのヘゲモニーと戦争よりは現状維持がいいという認識の拡大によって時間を稼ぎながら、経済の地域統合と機能的協力を重ねていくことで、上の二点を実質のものにし、共同体に近いものへとアジアの現実を変えていく、という具体的方法論を提唱された。その際に重要なことがこの地域において非伝統的安全保障における協力を推進していくことであると強調された。
続いて、第二講演者の黒柳米司・大東文化大学法学部教授が「ASEANと東アジア共同体構想―何を・誰が・いかに?」というテーマで講演を行った。黒柳教授は、アジア太平洋地域に幾多の重層的対話メカニズムが出来上がっているなか、共同体構築への道程ではASEANが主役とならざるを得ない幾つかの合理的な理由があり、これを認めることが重要であると主張された。その大きな理由は、ASEANの国々が地域平和を達成してきた実績があることに加え、周囲に脅威を与えない小国であるがゆえにリーダーシップが委ねられるという、逆説的現実にあった。したがって、ASEANが内部結束を深め、外部からの支持を獲得することの成否に東アジア共同体の成否がかかっている、というのがその結論であった。
休憩を挟み、韓国・中国・台湾/香港・モンゴル・北朝鮮の順に、それぞれの立場で見つめる東アジア共同体構想について発表があった。
朴栄濬・韓国国防大学校副教授は韓国の東アジア共同体構想を歴史的に辿る内容で報告を行った。朴副教授によれば、李承晩・朴正熙の両大統領が推進したアジア太平洋の多国間協力の枠組みが北朝鮮の脅威に対する安全保障として構想されたのに対して、金大中・盧武鉉の両大統領が追及した東アジア共同体は、北朝鮮を抱き込んで形成すべき民族共同体の外延として必要なものと認識されたところに違いがあった。このような差は今も受け継がれ、韓国社会においては進歩・保守を問わず、東アジア共同体に積極的な意見が多く見られる中、保守派が統一の過程で影響を及ぼす覇権国の登場を牽制する装置として東アジア共同体を論じる反面、進歩派は南北国家連合の環境作りとして東アジア共同体が語られている現状を指摘した。
劉傑・早稲田大学教授は、中国がいまだ東アジアの地域で共同体という概念で地域協力の枠組みを公式の文書で提起したことはないが、鳩山内閣が提唱した東アジア共同体構想は、「睦隣・安隣・富隣」を唱える中国の外交戦略と重なる部分もあり、東アジアの「一体化」に向けた議論は活発化していると、中国の現状を把握した。その上、中国は侵略された歴史があるため、どうしても主権へのこだわりが強く、「主権」と「国際協調」を同時に追求しながら、事案によっては二つの目標が衝突していると、中国の東アジア外交を分析した。なお、中国は「主権」を前面に出す外交でも、軍事力よりは強い文化力を背景にアジアを包み込む戦略をとることも考えられ、これが東アジア共同体へのもうひとつの道になりうるとの展望を提示した。
ここまでがいわゆる東アジア共同体作りにおいて「中心」といわれてきた国家からの研究者による講演と報告であった。夏のフォーラムでは恒例となった峠の釜飯で昼食をとり、午後の部では、「周辺」または「辺境」といわれてきた地域からの視点が加わった。
中国福建省出身で香港で育ち、日本で学び、現在は琉球大学で教えている林泉忠・准教授は台湾と香港の視点を介在させ、「中心国家」を中心に展開している東アジア共同体構想の閉鎖性を指摘し、脱「中心」主義と脱「主権」主義を志向することこそが、開かれ、かつ安定した共同体構想の不可欠な条件であると主張した。
次に内モンゴル出身のブレンサイン・滋賀県立大学准教授がモンゴルの立場から見える東アジア共同体構想について報告を行った。東アジアの「辺境中の辺境」であるモンゴルは、中国とロシアという大国に挟まれた緩衝地帯に位置し、早くから大国間の等距離外交で独立を守ってきた国であり、民主化以後には、安定した民主主義の上に、多極的かつ開かれた国家運営を行っている。豊富な資源に加え、そのような経験と志向を持つがゆえに、モンゴル国は東アジア共同体のもうひとつの構成員として注目すべき存在である、というのが主な主張であった。
最後に北朝鮮との国境地帯で中国の朝鮮族として生まれ育ち、北京で大学を卒業し、日本の大学院で学んだ後、韓国の釜山に位置する東西大学で教えている李成日・助教授の報告があった。報告では、中国との経済協力に新しい進展はあるものの、急速に進む東アジアの経済統合のなかで一人取り残されている状況、またARFを例外にするといかなる東アジアの地域協力機構にも加入していない現実など、北朝鮮を巡る厳しい現状に言及しつつも、「強盛国家」建設を目指す北朝鮮が、経済再建のためにも周辺環境の安定を望んでいると分析した。その上、地政学的に東アジアの中心に位置する北朝鮮を抜きにして、果たして東アジア共同体構想は現実として可能か、との問いを投げかけた。
ここまでの発表は李恩民・桜美林大学教授の司会の下で進行した。要領を得た司会ぶりでほぼ予定通りに会議は進み、いい流れを作っていただいた。そのお陰で、パネルディスカッションの時間が十分に確保できた。ここから私に司会の役が回ってきた。
パネルディスカッションは、平川均・名古屋大学教授の総括討論から始まった。平川教授は、まず、今回のフォーラムの意義として「『辺境』をいかに理解するか」という問題を中心課題にする必要があることを感じたと感想を述べられた。その次に、開会の辞で今西常務理事が、鹿島守之助のパン・アジアニズムに言及したことに触れ、日本が東南アジアをいかに位置づけるかの問題が、戦後日本の主流派のアジア政策と鹿島守之助のパン・アジア構想の重要な差異になっていたと指摘した。最後に、日本の東アジア共同体構想を語るうえでは、日本の構想の中で占める中国の位置を確認することが重要であると問題を提起された。
次に二人の元奨学生と二人の2011年度奨学生から感想が寄せられた。韓国出身の2000年度奨学生である鄭成春・韓国対外経済政策研究院・研究員は、東アジア共同体作りのドライバーズ・シートにASEANが座るべきだとの黒柳教授の報告に対して感想を述べ、日中の複雑な関係と立場を考慮すると韓国がもっと積極的に動く余地があるとの趣旨で発言した。フィリピン出身の1995年度奨学生であるF.マキト・アジア太平洋大学研究顧問は、ASEANのなかで大きくなりつつある中国の脅威への危機感を指摘し、そのような現状であるからこそ、東南アジア主導の共同体構想に賛成の立場を表明した。そのためにはASEANの国々が団結する必要があり、日本と中国は東南アジアの特定の国家に偏らず、公平な政策を採ることが要望されると訴えた。ベトナム出身で今年度奨学生のホー・ヴァン・ゴックさん(千葉大学)は、幼いときからこの地域に漢字文化圏があり、ベトナムがその文化共同体の一員であることを自覚していたと語り、経済開発に成功した日中韓は、先輩国家として、この地域の成長と安定のために役割を果たすべきであると注文した。台湾出身の謝恵貞さん(東京大学)は、林泉忠准教授の報告に触れ、内田樹の『日本辺境論』の視座に立てば日本も辺境であるとし、中心・辺境の境がなくなることが共同体形成の意義ではないかと問いかけた。また、劉傑教授への質問として、いずれ中国と台湾は協力体制を作っていくことになると思われるが、中国は台湾問題を「主権」の観点からアプローチせず、普遍的人権の問題で扱うべきであると訴えた。
最初に答弁に出た恒川教授が「本質をついている」と評価したように、フロアからのコメントと質問は、聴衆の集中力と理解力の高さを物語っていた。以後、午前の報告と同じ順番で基調講演者と発表者たちの追加発言と答弁が続けられた。しかし、徐々に答弁は教科書的な内容に丸く収まっていくような気がした。これでは、「辺境」の視覚を取り出し、「中心」のそれと交わらすことでようやく新しい問題提起がなされたのに、もったいない。そこで、最後の時間を使い、最後の質問をぶつけることにした。202Q(ニ・マル・ニ・キュウ)年に21カ国の署名をもって締結された蓼科条約をもって、東アジア共同体の成立が実現した、との仮想現実を作り出し、それについての感想をパネリストたちに要求した。
唐突の質問だったので、パネリストには考える時間が必要だった。丁度うまい具合に最後の質問がフロアから飛んできた。本年度奨学生で中国出身の李彦銘さん(慶応大学)からのコメント・質問であった。まずは、日本の共同体構想が明確に示されなかったことを指摘し、日本の核武装の可能性、中国の国民意識の急速な変化による中国指導部の政策と国民の意識のズレ、アジアにおけるナショナリズム克服の過程で日本の果たすべき役割など、報告とディスカッションで疎かにされた問題を提起した。
いずれも重要な問題提起であったが、終了の時刻がもう近づいてきており、これらの問題については深く議論できずに終わらなければならなかった。司会として進行に問題があったと認めざるを得ない。しかし、弁明の余地がないわけではない。「中心」と「辺境」の視座を交差させるという当初の趣旨を生かすため、パネリストの数が多くなり、その分、提起された問題も多岐になった。プレーヤーが多くなれば、それだけゲームは複雑になる。重層的なフレームワークの中で展開する東アジア共同体論議の難しさがそのまま今回のフォーラムに表れたような気がする。それでも、最後に何かを残したかった。その気持ちを最後の質問に込めた。
私の気持ちを理解していただいたのだろうか。パネリストの皆さんは、わずかに残った最後の答弁の時間を使い、私の唐突な質問に対して、機知を働かせた明快な文章の答弁をいただいた。その内容は、近刊のSGRAレポートを見ての楽しみにしていただきたい。
第41回SGRAフォーラムの写真は下記よりご覧いただけます。
マキト撮影 マティアス撮影
参考:蓼科旅行記
2011年7月27日配信
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2011.07.20
思いがけない盛況ぶりで午前の部は予定時間を少しオーバーして終了した。それから小一時間のランチタイムには、総勢150人の参加者たちが、お弁当で空腹を満たしながら積極的に交流を図り、懇談に花を咲かせた。熱気と活気にあふれる話し声が、雷を伴う激しい雨の音にも負けず、会場全体に溢れ、台湾名物の夜市も顔負けのダイナミズムさえ感じさせた。
短いハッピーアワーを惜しむ間もなく、午後の部は13時40分から定刻開始し、二つの会場に分かれて、パネル(2)とパネル(3)がパラレルに行われた。パネル(2)「言葉の力:言葉の日中往来」では、語彙研究と語学教育の新しい方法論を検討した。
先陣を切った謝豊地正枝女史(台湾大学日本語文学科教授)は、「『アニメ』等の視覚資料に用いられる日本語の日本語教育に与える影響について」を題に、日本語学習の立場からみるアニメ教材のメリットや功罪について詳しく分析した。
林立萍女史(台湾大学日本語文学科副教授)が発表した「アニメに見られる日本昔話の語彙」では、日本語教育関係の日本語語彙表を通し昔話語彙の難易度、意味分類を通し昔話語彙の意味的分布を明らかにすることによって、ビデオアニメ化される昔話の語彙特性の一側面を把握しようと試みた。林先生は今回のフォーラム開催の実現にもっとも尽力してくださった立役者であり、台湾大学日本語学科の素晴らしいスタッフ陣を率いながら、事務連絡や論文収集なども率先して全力投球した上、研究発表も自ら進んで引き受けてくださった。この場を借りて厚くお礼を申しあげたい。
3番手の孫建軍氏(北京大学外国語学院日本言語文化学部副教授)は、「西洋人宣教師と中日における欧米諸国の漢字表記の成立」という課題を究明するため、西洋人宣教師の中国語著作(漢訳洋書) を手がかりに、欧米主要国家の漢字表記の変化、成立過程及び日本語とのかかわりを整理し、近代漢語の成立における西洋人宣教師の歴史的役割を探った。
パネル(2)最後の発表は、方美麗女史(お茶の水女子大学外国語教員)による「表現教授法――効果的な外国語教授法」の実践報告だった。方先生は、 “表現教授法”における2つ目の学習段階であるドラマ教育をテーマに、特にドラマを言語教育に導入する目的・ドラマ指導するステップ・ドラマの効果を、実際の教室活動の映像とともに紹介する予定であったが、会場設備の機械トラブルの影響で一時中断された。
座長の頼錦雀女史(東呉大学日本語文学科教授兼外国語文学院院長)はパネルの進行に支障が出ないように機敏な対応で難局を切り抜けたが、最後まで、納得のいった発表成果が得られなかったし、発表後の質疑応答の時間も十分とれずに、セッションを終了せざるを得なくなった。不本意ながらも発表者にとって消化不良の発表になってしまったことに対し、どんな理由があったにせよ許されない大ミスとして真摯に受け止め、主催側を代表してこの場を借りて、あらためて深くお詫びを申しあげたい。次回開催時は、今回の教訓をしっかりと肝に銘じて反省させていただく所存である。
一方、文学作品の研究をメインにしたパネル(3)「ストーリーの力:夏目漱石から村上春樹まで」では、ジェンダーを始めとする日本文学作品の新しい切り口、あるいは日本文学の翻訳や受容について検討した。
まず、「漱石の初期小説にみる「トレンディ女性」像:彼女らの運命を追いながら」をテーマに発表された范淑文女史(台湾大学日本語文学科副教授)は、漱石の小説に登場した三人の女性――『草枕』の那美、『虞美人草』の糸子、及び『それから』の三千代の生き方を考察しながら、明治社会を生きようとする「トレンド女性」像の一端を明らかにすることを主旨とした。
横路明夫氏(輔仁大学日本語文学科副教授)は、フォーラムのサブテーマである「トレンド・ことば・ストーリーの力」に基づき、ポップカルチャーを視野に入れた「内面としての物語―夏目漱石、村上春樹、そして「ONE PIECE」―」という題目で発表された。ある人物の精神的位相を物語として表現するという方法に視点をおいて、夏目漱石・村上春樹・「ONE PIECE」の三者を貫くストーリーテラーとしての共通性を探った。
かわって蕭幸君女史(東海大学日本語文学科助理教授)は、「悪女物語の行方————漱石と谷崎の場合」というテーマを取り上げ、ジェンダーの観点からではなく、漱石の『虞美人草』を中心に、谷崎の『痴人の愛』に登場する悪女との比較を通して、悪女物語の行方、物語の力と「悪女」というキャラクターの関連性を追った。そして、近代に入ってから、創作者の男女を問わず、いわゆる悪女物語がいまだにその魅力の衰えを見せないのはなぜか、という謎解きにも挑んだ。
パネル(3)のアンカーはSGRAフォーラムでも活躍している孫軍悦女史(東京大学教養学部講師)であり、「世界はあなたたちのもの、また私たちのもの――中国大陸における『ノルウェイの森』について――」を題に、世界の村上春樹という現代日本文学の巨匠がトレンドとして中国に広がったプロセスを解明した。日本人に対する憎しみが絶対永久に風化しない中国本土における村上春樹作品の受容プロセスを、「政治×文化×市場」というグローバル経済事情の視点から読み解くというインパクトのある発表だったが、こうした文学作品を受け容れた若者たちの考え方の変容が把握できるようなさらなる発表成果を、期待せずにいられなくなるのも、孫先生の指摘された「ナイーブさ」であろうか。
盛りだくさんの素材を取り入れた4本の論文発表が終わった後、パネル(3)の座長を務めた朱秋而女史(台湾大学日本語文学科副教授)は、熟練かつ軽妙な司会ぶりを発揮し、スムーズで内容の充実した質疑応答が繰り広げられた。
まず台湾の文化大学の齋藤正志教授から、同じく漱石の「虞美人草」を取り上げた二人の先生に、物語の本質に迫る直球勝負的な鋭い質問を投げかけた。明治大学の宮本大人先生は、漱石や村上春樹の作中人物の価値の勘違いに注目し、「ONE PIECE」の人物造形について、橫路先生と意見交換した。最後は座長の范教授に特別指名された基調講演者の太田登先生が発表者全員に投げかけた観察眼という問題提起であり、近代化という大きな歴史的流れにそって視野を広めてほしいという期待を込めたご示唆であった。
2つの会場に分かれた参加者たちは、回廊に合流し、午後のティータイムを楽しんだ後、再び大講堂に戻り、16時から始まるオープンフォーラムに臨んだ。まず、スペシャルゲストとして遥々イタリアから来台したMaria Elena Tisi女史(ボローニャ大学、ペルージャ外国人大学契約教授)による報告であった。Tisi先生は、「イタリアにおける日本文化:日本学のトレンドと日常生活にみる日本文化」を題に、誰が日本文化をイタリアに紹介したのか、日本文化はどのようにしてイタリアに渡ったのか。イタリアにおける日本研究の流れを簡単に紹介した後、イタリアの日常生活に見られる日本文化を概観してくださった。参加者の皆さんは、この報告を通して、東アジア人の思考回路とは全く異なる感性と発想でとらえたイタリア発の日本観を発見していただけたと思う。
報告に続き行われた3つのパネルの総括が終わった後、本フォーラムのクライマックスを飾るフロアとの質疑応答&意見交換のコーナーに移り、今回の主催ホストでもある徐興慶氏(台湾大学日本語文学科教授兼主任)に座長をお願いした。
序盤から、質問の矛先は遠路遥々来場されたTisi先生に集中し、徐興慶先生も齋藤正志先生もイタリアの大学における日本研究の最新状況や、イタリアで日本語を勉強した大学生の進路などに興味を示した。それに対して、Tisi先生は「イタリアの大学の日本語学科の卒業生には殆ど仕事が見つからない。なんのために日本語を勉強したのか、学生のモチベーションもインセンティブも低下しつつある厳しい状況かも」と即答し、会場一同を驚かせた。その延長として、日本と中国のアカデミックな学術研究現場における漫画・アニメ研究について、宮本先生と孫建軍先生にもそれぞれ簡単に紹介していただいた。限られた時間であったが、熱意のこもったムードに包まれながら、濃密な意見交換が行われる中、フォーラムも順調に終盤を迎えた。
SGRAが初めて台湾で開催したフォーラムは、こうした議論を通して、グローバルに研究領域を広げた国際日本学研究の土台を固めるだけでなく、まだ学問として成り立っていない日本のサブカルチャーの受容研究においても、多角的な視野を提供できたと願うが、次回からは、閉会式で今西淳子SGRA代表も指摘していたように、「もっと学際的な分野にチャレンジして議論の場を広めたい」という目標を目指し、日台アジア未来フォーラムの新たな展開に向けて活動を続けていきたい。
振り返ってみると、一年間以上も費やして辿りついた長い道のりであったが、国際交流基金・中鹿営造・台湾日本人会より温かいご支援をいただいた上、台湾SGRAメンバーからも心強いご協力を、そして何よりも、徐興慶先生・林立萍先生の率いる台湾大学日本語学科の素晴らしいスタッフ陣の労を惜しまないご奉仕をいただいたお蔭で、フォーラムが成功裏に終わった。この紙面を借りて報告すると共に、改めて心より深くお礼を申しあげたい。
*第1回日台アジア未来フォーラム報告(その1)と当日の写真
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<張 桂娥(チョウ・ケイガ)☆ Chang Kuei-E>
台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本近現代文学、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科助理教授。授業と研究の傍ら日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。
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2011年7月20日配信
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2011.07.13
2011年5月27日(金)、台湾台北市の台湾大学で、「国際日本学研究の最前線(フロンティア)に向けて:流行(トレンド)・ことば・物語(ストーリー)の力」をテーマに第1回日台アジア未来フォーラムが開催された。
日本文化の受容者が年々増える台湾をはじめ、漢字を共有する長い文化交流の歴史を持つ北東アジア各国には、日本語教育と日本研究に長い歴史があり、研究者も多く、研究レベルも高いですが、近年、世界に浸透した「日本の漫画・アニメ」に代表される大衆文化の分野にかかわる研究動向が特に注目されるようになった。
アジアの政治経済情勢に激しい地殻変動が起こりつつある現在、海外における日本学とは何なのか、海外の若者たちを日本へ引きつけるものを研究できる学問とは何なのか、そして、台湾・香港で哈日族を誕生させたポップ・カルチャー、あるいは欧米諸国の若者を魅了するクール・ジャパンなど、現代日本のソフトパワーに関する研究は、どのように伝統ある日本文化研究の中に位置づけられるのか、また、そのような現代的な文化現象の研究と、伝統文化の研究はどのように融合できるのか、これらの課題を究明することが、第1回日台アジア未来フォーラムの目的だった。
今回は、<トレンド・ことば・ストーリー>の力に着眼し、台湾、日本、中国、韓国、米国、イタリアから中堅・若手の日本文化研究者を迎え、従来の正統的な日本学――日本語研究(ことば)や文芸作品研究(ストーリー)――をめぐる斬新な方法論の実践状況を視野に入れながら、哈日族に代表されるような新たに注目される流行文化に焦点を当てて、21世紀にふさわしい国際日本学研究のフロンティアにむけて、特色ある議論が展開された。
本フォーラムは、SGRAが初めて台湾で行う事業として、台湾のSGRA会員によって提案され、台湾のアカデミック研究の重鎮である台湾大学日本語学科のご協力を得て進めたものであったが、中鹿営造(股)有限公司(鹿島・台湾現地法人)より心強いご支援をいただいた上、今年度より初めて台湾関連の事業を助成対象に入れた国際交流基金からも、歴史的にも有意義で貴重な助成金を受給したという、記念すべき日台知的交流国際会議でもあった。特に、3月11日に東日本大震災が起こり、日本は地震・津波・原発事故・風評被害という重層的な困難の真最中にあり、日本全体が未曾有の難局に置かれている状況を考えると、こうして国際的産官学連携の交流事業が世界一日本を好きな国といわれる台湾で実現できたのは、本当に感無量だった。
皆様のおかげで盛会裡に終わったフォーラム当日の盛況ぶりを振り返りながら、二本の基調講演及び三つのパネルに分かれた研究発表の内容を簡単に紹介したい。
フォーラム当日は、台風2号の接近中にもかかわらず、開催者側の心配をよそに、朝早くから気温30度を軽く超えた真夏の炎天下だった。普通の学会では想像できない午前8時半の受付開始早々、参加者が続々入場し、開幕式も予定通り8時45分から始まった。
まず、フォーラムのためにはるばる日本から来場された渥美国際交流財団理事長の渥美伊都子様から、フォーラム開催への祝辞をいただいた。渥美理事長は、台湾の皆様から日本へ寄せられた高額義捐金へのお礼を伝え、「これから始まる日台アジア未来フォーラムが、このように深い日本と台湾の絆をさらに深める一助となることを願う」と述べられた。続いて台湾日本研究学会理事長の何瑞藤様、台湾大学日本語学科教授兼文学部副部長の陳明姿様、名義協賛の形で応援してくださった台湾日本人会・日台交流部会代表の広瀬俊様の3名のご来賓より、SGRAや本フォーラムに対する期待を込めたご挨拶を頂いた。
最初の基調講演には、漫画アニメ研究で活躍中の明治大学国際日本学部の宮本大人准教授をお招きした。「偽物の倫理:「鉄腕アトム」をめぐって」を題に、「鉄腕アトム」という人気マンガが、テレビ・アニメというメディアにコピーされ、アトムが国民的アイコンにまで成長していく中で、オリジナルとしてのマンガ作品に対してどのような欠損と過剰が生じたか、さらにアニメーションという表現形式の「本来の」あり方に対して、その「偽物」としての日本のテレビ・アニメが、どのような欠損と過剰を抱えて行くことになったか、実際の映像を見せながら、わかりやすく説明してくださった。
そして、最後に、「我々には、手塚の仕事の中に、このような本物と偽物の関係のドラマを、偽物が選びうる倫理の形を、見出すことができる。そしてそれは、日本、あるいはアジアの文化と、近代化のモデルとされてきた西洋の文化の関係性の歴史と類比的なものとして、読み解くこともできる。そのような読解が、国際的な観点からの日本研究という枠組みの中で可能である」という結論を提示された。台湾の大学の日本語学科では、いまだにポップ・カルチャーを日本文化の研究対象として認めない傾向が強いので、アニメを対象とした研究成果を台湾の大学関係者にご紹介いただいたことによって、その抵抗感を少し緩和できたのではないかと期待される。
二番目の基調講演では、台湾大学で教鞭をとられている太田登教授が、伝統的な日本研究と現代的な大衆文化を融合させた新しい方法を紹介された。太田教授は、<かもめ>をキーワードに、中国・唐の詩人杜甫の詩・万葉集をはじめとする日本の古典和歌・若山牧水の短歌や室生犀星の抒情詩、そして渡辺真知子や中島みゆきなどの女性シンガ-ソングライタ―の作品を情熱のこもった少年のように、顔を赤らめながら吟遊詩人風に紹介してくださった。
爆笑の渦に巻き込まれた聴衆たちの熱い視線を浴びながら、太田教授はさらに、これらの作品に重要なモチ-フとして登場している<かもめ>という存在を、伝統的文化から現代的文化にいたる詩歌の水脈をつらぬく文学的素材としてとらえた上、世界中の詩人たちや作詞家たちにうたいつづけられてきた<かもめ>の文学的意味について、表現論という視点からユニークな論点を展開し、その奥深い意味を紐解いてくださった。若者に敬遠されがちな古典と世界を風靡したJ-Popを融合し、新たな流行(トレンド)を生み出し、台湾若手研究者の国際日本学研究に新風を吹き込む時代の到来と幕開けが示唆されるようで、夢のようなひと時だった。
基調講演終了後、参加者たちは中庭に面した回廊に移動し、ティータイムを楽しむことになったが、びっくりしたことに、朝の眩しい太陽はいつの間にか消えて、真っ暗な空から、大型台風を予感させる激しい暴風雨が容赦なく中庭の植栽を吹きすさんでいた。それでも、来場者たちは気にもせず、台湾大学側が用意してくださった豪華な茶菓子を味わいながら、講演者や発表者を囲んでしばし歓談した。
10時40分から12時40分までたっぷり2時間も設けられた第一パネル「トレンドの力:マンガ・アニメとクール・ジャパン」では、アメリカ、韓国、台湾の研究者が日本のポップ・カルチャー研究状況を報告した。Matthew McKelway氏(米国、コロンビア大学美術史学部准教授)は、「若冲現象:現代日本美術の復古」を題に、写真や映像を通して、欧米諸国の人々も魅了した伊藤若冲の芸術性を分析した上、死後2世紀たって若沖の作品を改めて評価した現代の画家、美術館の学芸員、そして宣伝、テレビや大衆誌などのメデイアが果した役割を考察した。そして、こうした若冲現象を現代日本美術の復古ととらえ、世界各国の人々の感性に強く訴えかける日本美術の力をわかりやすく解明した。
金孝眞女史(韓国、ソウル大学日本研究所HK研究教授)は、「「オタク」から「五徳厚(オドック)」へ:韓国社会における日本オタク文化の受容をめぐって」を題に、韓国における日本大衆文化の受容を振り返った上、世代の変化や韓国におけるオタク文化の受容を考察し、2000年代後半にオタク文化のある作品――国家擬人化漫画『ヘタリア』――をめぐって沸き起こった国際的な論争の問題点を追究した。そして、結論として、「今までのどの時代より、韓国と日本の両国における文化コンテンツや人々の越境が活発に行われている現状の結果であるということは紛れのない事実」と述べた。
つづいて、游珮芸女史(台湾、台東大学大学院児童文学研究科副教授)は、「宮崎駿のアニメにおける妖怪たち:日本伝統文化の化け方」について、『となりのトトロ』のトトロ、猫バスとススワタリ、『もののけ姫』のコダマ、『千と千尋の神隠し』のカオナシなど、いわゆる日本伝統のアニミズムから派生した妖怪たちが、宮崎駿によってキャラクター化されたことを検証した。さらに、それらによって表象された日本伝統の世界観とグローバルな流行文化との接点を探った。
最後の発表者である陳仲偉教授(台湾、逢甲大学教養センター非常勤助理教授)は、「グローバル化した世界における日本漫画・アニメ文化のローカリゼーションの実践:解釈学<融合された視覚域>の視点から」というテーマで、<漫画>という一般大衆に広く愛されたメディアが異文化間交流や対話の橋渡しとして果たす力量を検証した。さらに、こうした試みによって、漫画の世界を支える<創作活動>と<読書行為と消費活動>の両極のはざまに架ける<需要と供給>の新たなバランス関係が再構築できるだけでなく、グローバル化した世界における漫画文化のローカリゼーションが各地域社会の日常生活と交互に交流する必要性も見出せるのではないかと主張した。
4人の発表が終わったあとは、質疑応答やフロアとの意見交換の時間だったが、聴衆席からの質問がなかったため、座長の蔡增家氏(台湾、政治大学国際関係研究センター研究員兼第二研究所所長)は、それぞれの発表について短いコメントをした後、最後の発表者に質問を投げかけて、それを受け答える形でパネル(1)を終了させた。(つづく)
当日の写真は下記よりご覧ください。
黄撮影 石井撮影
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<張 桂娥(チョウ・ケイガ)☆ Chang Kuei-E>
台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本近現代文学、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科助理教授。授業と研究の傍ら日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。
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2011年7月13日配信
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2011.07.13
下記の通りモンゴル国ウランバートル市にてシンポジウムを開催いたします。オブザーバーとして参加ご希望の方は、SGRA事務局へご連絡ください。
【開催趣旨】
20世紀、さまざまな挑戦を受けながら、モンゴル諸族の政治、経済、社会、文化は、おおきな犠牲をはらいながらも、長足の発展をとげてきました。一方で、近現代のモンゴルは、日本、ロシア、中国と、緊密で、複雑な関係を持っており、こんにちのモンゴル世界は、まさに、極東地域をめぐる国際勢力の再編のなかで形成されたものです。
本シンポジウムは、中央アジア、北東アジア社会の複雑な歴史状況を視野に入れながら、新たに発見された文献資料や、記録されたオーラル・ヒストリーなどに基づいて、国境をまたぐモンゴル諸族はどのようなプロセスを経て現在の状況にいたったのか、近代化への道をあゆんだモンゴル人は何を模索し、どのように激動の時代を乗り越えてきたのか、モンゴルを通じて何がみえるかを検討し、その経験や教訓、遺産に、広い視野から、とりわけ歴史と文化の両面からアプローチし、特色ある議論を展開することを目的としています。皆さまのご参加を、心からお待ちしております。
実行委員会委員長
今西淳子(関口グローバル研究会代表)
D. シュルフー(モンゴル科学アカデミー国際研究所副所長、博士)
【日程】
2011 年8月16(火)~18日(木)
参加登録:8月15日(月)16:30~17:00
開会式・基調報告:8月16日(火)9:00~12:00
会議:8月16日(火)14:00~18:00
17日(水)9:00~18:10
草原への旅行:8月18日(木)
【会場】
モンゴル・日本人材開発センター 多目的室、セミナー室(モンゴル国ウランバートル市)
詳細は下記案内状をご覧ください。
案内状(日本語)
Invitation in English
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2011.05.18
下記の通り長野県蓼科にて第41回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。SGRAフォーラムはどなたにも参加いただけますので、ご関心をお持ちの皆様にご宣伝いただきますようお願い申し上げます。
日時:2011年7月2日(土)10:00~17:30 その後懇親会
会場:東京商工会議所蓼科フォーラム研修室A
〒391-0213 長野県茅野市豊平チェルトの森
電話 0266-71-6600
申込み・問合せ:SGRA事務局
電話:03-3943-7612
ファックス:03-3943-1512
Email:
[email protected]
参加費:無料
【フォーラムの趣旨】
SGRA「東アジアの安全保障と世界平和」研究チームが担当するフォーラム。
日本において民主党政権が誕生し、鳩山首相が東アジア共同体構想を提唱したことによって、この構想をめぐる論議が活発化した。すでに、ヨーロッパでは経済と社会文化、ひいては政治と安全保障の面において個別の国民国家の枠を超えた共同体作りの実験が成果をあげている。日本も2002年に当時の小泉首相が東アジア・コミュニティー構想を打ち出したが、中国との思惑の差が露呈するなど、この地域で日本が主導する東アジア共同体作りの流れが定着しているとはいえない状況である。
しかし、中国がその方向に向け強力なドライブをかけようとしている中、日本としても共同体構想が単発で終わってしまう選択肢ではないことも確かなように思われる。その意味で、東アジアの範囲で共同体を構築しようとする試みは、その現実的可能性如何に係わらず、政権交代後における日本の外交政策の展開や東アジア国際関係の流れを把握する上で、もっとも注目すべきものである。しかし、東アジア共同体の実現のためには、この地域に存在する個別国家の現実と相互協力の制度化のレベルなど、克服すべき障壁も多々である。
本フォーラムにおいては、この地域の諸国が提唱している様々な東アジア共同体論を引き出し、その共通項をまとめ、そのような構想が政策や制度として定着するためにはどのような課題に取り組むべきかについて、日本、東南アジア、韓国、中国、香港、台湾、モンゴル、そして北朝鮮の視点から点検してみたい。
【プログラム】
詳細はここをご覧ください。
総合司会:李 恩民(桜美林大学リベラルアーツ学群教授)
【基調講演1】 恒川惠市(政策研究大学院大学副学長)
東アジア共同体形成における「非伝統的安全保障」
【基調講演2】黒柳米司(大東文化大学法学部教授)
「ASEANと東アジア共同体」
【発表1】朴 栄濬(韓国国防大学校安全保障大学院副教授)
韓国と東アジア共同体
【発表2】劉 傑(早稲田大学社会科学部教授)
中国の外交戦略と「東アジア共同体」
【発表3】林 泉忠(琉球大学法文学部准教授)
台湾・香港抜きの「東アジア共同体」は成立するのか?
~脱「中心」主義で安定した共同体を~
【発表4 】ブレンサイン(滋賀県立大学人間文化学部准教授)
モンゴルと東アジア共同体~資源開発とモンゴルの安全保障~
【発表5】李 成日(韓国東西大学校国際学部助教授)
北朝鮮と東アジア共同体~北朝鮮とどのように付き合うのか~
【パネルディスカッション】
進行:南 基正(ソウル大学日本研究所HK教授)
パネリスト:上記講演者
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2011.04.21
SGRAの5番目の海外拠点である台湾で初めてのフォーラムを下記の通り開催いたします。参加ご希望の方はSGRA事務局宛ご連絡ください。SGRAフォーラムはどなたにも参加いただけますので、ご関心をお持ちの皆様にご宣伝いただきますようお願い申し上げます。
◆第1回日台アジア未来フォーラム
「国際日本学研究の最前線(フロンティア)に向けて:流行(トレンド)・言葉・物語(ストーリー)の力」
共同主催:渥美国際交流財団 関口グローバル研究会(SGRA)
国立台湾大学文学院
国立台湾大学日本語文学系・台湾大学日本語文学研究所
助 成:国際交流基金
協 賛:中鹿営造(股)有限公司 他
日程:2011年5月27日(金)午前9時~午後5時
会場: 台湾大学文学院演講庁
◇開催趣旨:
21 世紀になって急速に進んだグローバル化及び中国の台頭により、世界における日本の相対的なプレゼンスが低下しているのではないかと懸念されている。韓国やアメリカでは日本語学習者数が減少し、日本研究者が日本だけでなく中国やアジア全域に研究対象地域を広げなければならなくなったということも報告されている。
しかしながら、このような状況においても、全体的には日本語学習者数は増加しており、それは中国語を母語とする国においては顕著であること、ポップカルチャーの影響が強いと考えられることが指摘されている。特に、台湾においては、哈日族(ハーリーズゥ) に代表されるように、世界に先駆けて、若者が日本の現代の大衆文化を享受し、その勢いは全く衰えていない。
日本文化の受容者が年々増える台湾をはじめ、漢字を共有する長い文化交流の歴史を持つ北東アジア各国には、日本語教育と日本研究にも長い歴史があり、研究者も多く、研究レベルも高い事実はいうまでもない。近年では、世界に浸透した「日本の漫画・アニメ」に代表される大衆文化の分野にかかわる研究動向は特に注目されている。
早くも21 世紀の最初の十年が過ぎ、アジアの政治情勢に激しい地殻変動が起こりつつある中、海外における日本学とは何なのか、海外の若者たちを日本へ引きつけるものを研究できる学問とは何なのか、そして、台湾・香港で哈日族を誕生させたポップカルチャー、あるいは欧米諸国の若者を魅了するクールジャパンなど、現代日本のソフトパワーに関する研究は、どのように伝統ある日本文化研究の中に位置づけられるのか。また、そのような現代的な文化現象の研究と、伝統文化の研究はどのように融合できるのか。
SGRA が初めて台湾において台湾大学文学院と台湾大学日本語文学系・日本語文学研究所と共同主催する本フォーラムでは、台湾、日本、中国、韓国、米国、イタリアから日本文化の中堅・若手研究者を迎え、従来の正統的な日本学――日本語研究(言葉) や文芸作品研究(物語・ストーリー) ――をめぐる斬新な方法論の実践状況を視野に入れながら、新たに注目された流行文化にも焦点をあてて、21世紀にふさわしい国際日本学研究の最前線にむけて、特色ある議論を展開することを目的とする。
このような議論を通して、グローバルに研究領域を広げた国際日本学研究の土台を固めるだけでなく、まだ学問として成り立っていない日本のサブカルチャーの受容研究においても、多角的な視野を提供できればと願う。
◇プログラム:
【基調講演】09:00~10:20
①宮本大人(日本、明治大学国際日本学部准教授)
「偽物の倫理:「鉄腕アトム」をめぐって」
②太田 登(台湾、台湾大学日本語学科教授)
「表徴としての〈かもめ〉の文学的意味:杜甫から中島みゆきへ」
【パネル1】トレンドの力: マンガ、アニメとクールジャパン(10:40~12:40)
(座長) 蔡 增家(台湾、政治大学国際関係研究センター研究員兼第二研究所所長)
①Matthew McKelway (米国、コロンビア大学美術史学部准教授)
「若冲現象: 18 世紀の絵画と現代日本のポップカルチャー」
②金 孝眞(韓国、ソウル大学日本研究所HK 研究教授)
「韓国の「オドック(五徳)」と日本のポップカルチャー」
③游 珮芸(台湾、台東大学児童文学研究科(大学院) 副教授)
「宮崎駿のアニメにおける妖怪たち:日本伝統文化の化け方」
④陳 仲偉(台湾、逢甲大学通識教育中心兼任助理教授)
「日本動漫畫的文化全球在地化實踐:詮釋學之「視域融合」的觀點」
(グローバル化した世界における日本動画・ アニメ文化のローカリゼーションの実践
―解釈学<融合された視覚域>の視点から―)
【パネル2】言葉の力: 言葉の日中往来(13:30~15:30)
(座長) 頼 錦雀(台湾、東呉大学日本語学科教授兼外語学院院長)
①謝豊地正枝(台湾、台湾大学日本語学科教授)
「アニメ等の視覚資料に用いられる日本語の日本語教育に与える影響について」
②林 立萍(台湾、台湾大学日本語学科副教授)
「アニメに見られる日本昔話の語彙」
③孫 建軍(中国、北京大学日本語学部准教授)
「西洋人宣教師と中日における欧米諸国の漢字表記の成立」
④方美麗(日本、お茶の水女子大学外国語教員)
「表現教授法:効果的な外国語教授法」
【パネル3】ストーリーの力: 夏目漱石から村上春樹まで(13:30~15:30)
(座長)朱 秋而(台湾、台湾大学日本語学科副教授)
① 范 淑文(台湾、台湾大学日本語学科副教授)
「漱石の初期小説にみる「トレンディな女性」像:彼女らの運命を追いながら」
②横路明夫(台湾、輔仁大学日本語学科副教授)
「内面としての物語:夏目漱石、村上春樹、そして「ONE PIECE」―」
③蕭 幸君(台湾、東海大学日本語学科助理教授)
「悪女物語の行方:漱石と谷崎の場合」
④孫 軍悦(日本、東京大学教養学部講師)
「世界是你們的, 也是我們的: 村上春樹文學在中國大陸的接受過程」
(世界は君たちのもの、そして、私たちのものでもある:中国における村上春樹文学の受容プロセス)
【オープンフォーラム】15:50~17:00
(座長) 徐 興慶(台湾、台湾大学日本語学科教授兼主任)
報告 Maria Elena Tisi (イタリア、ボローニャ大学、ペルージャ外国人大学契約教授)
「イタリアにおける日本文化: 日本学のトレンドと日常生活にみる日本文化」
( 日本文化在義大利:探討義大利的日本學研究趨勢與日常生活中的日本文化)
総括①:宮本大人(日本、明治大学国際日本学部准教授)
総括②:賴錦雀(台湾、東呉大学日文系教授兼外語学院院長)
総括②:孫 軍悦(日本、東京大学教養学部講師)
Q&Aーフロアとの質疑応答&意見交換
要旨集
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2011.04.20
2011年3月6日(日)午後、東京国際フォーラムガラス棟会議室で標記フォーラムが開催された。担当は「日本の独自性」研究から発展したSGRAの新しい研究チーム「構想アジア」だった。
2010年夏、蓼科で開催された第38回フォーラム「Better City, Better Life」において、「人間の幸せとはなにか」を巡って白熱した議論が交わされた。引き続きそのテーマを探りたいと思い、北東アジア諸国間の少子高齢化問題と福祉制度の比較を通じて、人間の幸せを実現するための社会的な仕組みを探求することを、本フォーラムの主旨とした。
周知のように、昨年夏に日本では、生存しない100歳を優に超える高齢者の問題が発覚し、現在の福祉制度の限界を露出することになった。東アジアでは伝統的に家族・親族による養老が中心であったが、西欧的な近代化の波に乗って福祉制度が構築され、社会が一歩「進歩」したかのように見えた。しかし現在の福祉制度だけでは急速に進む少子高齢化問題や日本で言われている「孤独死」、「無縁社会」などの問題に対応できないのが現状である。日本だけではなく、韓国や中国でも同じような問題に直面しつつある。その実態はどうなっているのか、どのようにそれらの諸問題に対応すべきか。
まず本フォーラムの基調講演として、日本での福祉制度研究の第一人者である田多英範・流通経済大学経済学部教授が「日本における少子・高齢化問題」を題に、そもそも少子高齢化はなにゆえに起こったのか、あるいは現代社会にとって、より具体的にいえば福祉国家資本主義にとってそれはいかなる問題なのかについて、日本の戦後の歴史を踏まえて分かりやすく説明した。
続いて、東京大学人文社会系研究科の李蓮花客員研究員が「誰がケアするのか:東アジアにおけるケア・レジームと中国」を題に報告した。少子高齢化が急速に進行している北東アジア諸国における高齢者や子どもの「ケア」問題を取り上げ、ケアをめぐる政府-市場-家族の相互関係、すなわち「ケア・レジーム」のあり方について検討し、ケアという最も生活に近い問題を通して、北東アジア諸国の人々の「生の暮らし」を検討した。
第3報告は、本研究チームの新メンバーである羅仁淑・早稲田大学教育学部講師が「韓国における社会的企業政策は少子高齢化政策として充分といえるか?」を題に、福祉国家は貧困問題の解決に焦点を合わせていたが、少子高齢化という新しいファクターが登場し、従来の制度では十分に対応できず、福祉国家が機能不全状態に陥った。それを解決する方法論として、韓国では民間非営利セクターにも公的セクターにも属さない「社会的企業」が政府の失敗を補完する道として注目されていることを紹介した。
以上の報告を踏まえて休憩を挟んでパネル・ディスカッションが行われ、本研究チームの顧問である名古屋大学経済学研究科平川均教授が司会を担当した。
討論の前に、東南アジアにおける少子高齢化問題について二つの事例報告が行われた。一つは、「シンガポールの『結婚せよ産めよ増やせよ』政策について」というテーマで、SGRAの論客の1人であるシム チュン キャット日本大学講師が、シンガポールにおける少子高齢化問題に対する独裁政権の独特な対応について自分の体験を踏まえながら皮肉った表現で発表し、聴衆の爆笑を引き起こした。
もう一つの事例報告は、「まだ『人』が『口』でないフィリピン」という題で、F.マキト・フィリピン・アジア太平洋大学研究顧問が発表した。東北アジアの諸国とは状況が若干違って、フィリピンでは「少子高齢化」の問題が今現在では発生していない。無縁社会もない。しかし、フィリピンで問題になっているのは数多い出稼ぎ労働者が海外で働き、その収入に頼る経済になっていることであり、必要なのは国内の産業基盤の確立と雇用確保の問題であると指摘した。
その後会場との質疑応答が行われた。限られた時間であったが多くの質問が寄せられて、参加者の少子高齢化問題や福祉問題に関する関心の高さを示した。
本フォーラムは日曜日に開催と言うこともあって、参加者が少ないことを心配していたが、40名以上も参加してくれて良かったと思う。フォーラム終了後は恒例によりキャフェテリアで懇親会が開催され、報告者の諸先生を囲んで熱い議論が交わされた。
当日の写真を下記よりご覧ください。
馮凱撮影 全振煥撮影
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<李 鋼哲(り・こうてつ)☆ Li Kotetsu>
「構想アジア」研究チーム・チーフ。1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研究、総合研究開発機構(NIRA)主任研究員を経て、現在、北陸大学教授。日中韓3カ国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書に『東アジア共同体に向けて―新しいアジア人意識の確立』(2005日本講演)、その他論文やコラム多数。
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2011年4月20日配信
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2011.03.09
(第10回日韓アジア未来フォーラム報告)
一年ほど前の2010年2月9日、韓国の慶州で「東アジアにおける公演文化の発生と現在:その普遍性と独自性」というテーマで第9回日韓アジア未来フォーラムが開催された。今年の2月は、その続編として日本の慶州とも言うべき奈良で奈良時代の仏教文化の日中韓三国流伝について検討する運びとなった。第10回フォーラムの正式なタイトルは「1300年前の東アジア地域交流」であった。
昨年度の慶州フォーラムで奈良から空輸してきた一升瓶の「春鹿」が目の前で消えてしまう大事件があったのは記憶に新しい。今回のフォーラムは、武蔵野美術大学の陸戴和さんのご案内で興福寺及び国宝館を見学することから始まったが、目玉は今西酒造「春鹿」の酒蔵見学及び利き酒だったのかもしれない。これできっと遺恨を散ずることに成功したのではないかと思う。もちろん、三日連続の日本の素晴らしい仏教文化や世界遺産の見学も貴重な経験だったが(個人的には三日でこんなにたくさんの仏さんに出会ったのはこれまでもなかったし、これからもないだろうと思う。)、「春鹿」でちゃんとけじめをつけることができたのもよかった。
フォーラム当日、私の予想からしては「満員御礼」に近いレベルの聴衆に驚いたし、講演内容の整合性にも感動を覚えた。いま考えてみると、本当に形式、内容、そして番外の三拍子が揃った素晴らしいフォーラムが出来たと思う。今回のフォーラムで、私はとりわけ文化交流やその解釈においてはエスノセントリズム(ethnocentrism、自民族中心主義、自文化中心主義)が付きまとうものなのかという問題について考えてみた。
奈良という地名の由来については朝鮮半島起源説があり、韓国人の間では結構受けがいいようだ。韓国語で「なら」と発音される言葉は日本語の「国」を意味する。韓国語の「なら」が日本に渡って当て字され、奈良となったというわけだ。百済(くだら)の日本語読みについても同様の文脈で説明することができる。大きいという意味の韓国語である「クン」が「なら」の前に付くと大きい国を意味するが、「くんなら」から「くだら」へと自然に読み方が変わったというのだ。当時の日本にとって百済は大きい国であったわけだ。この類のものは決して少なくない。
韓国で地域によっては奈良漬(ならづけ)という言葉が今でも通じる。日本とまったく同じことを指しているのだが、日本帝国時代の名残といって言葉の使用には慎重さを要する。日韓交流の歴史的な経緯を考えると、「なら」という言葉に込められている二重の含意はそれほど驚きに値しないものなのかもしれない。
昨年奈良を中心に開催された一連の平城京遷都1300年の祝賀イベントからも覗えるように、奈良時代には唐の都長安を中心とした東アジア文化圏が形成されていた。名古屋大学の胡潔さんの発表によると、仏教・律令・漢字などがこの文化交流圏の共通基盤をなしており、国家間の外交を担う「遣隋使」、「遣唐使」、「渤海使」、「新羅使」などの使者、唐の文化を学ぶために派遣された学生・学問僧達が中国、朝鮮半島、日本の間を行き来し、外交や文化の伝播の役割を果たしていた。既に1300年前からこの地域には素晴らしい文化交流があったのだ。
このあたりで韓国伝統文化学校の金尚泰さんによる仏教文化に関する興味深い発表を紹介しよう。古代東アジア地域における双搭式伽藍配置の背景としては護国伽藍や密教関連の伽藍が挙げられるが、このような空間構成の原理は日本の双搭伽藍においてもその関連性を見出すことができるという内容である。7世紀から8世紀の東アジア地域では仏教が盛行し、寺院では、二つの塔を金堂の前に配置する「双搭式伽藍配置」が流行したという。しかし、中国では、このような形式の伽藍配置として現存している事例はまだ確認されていない。韓国の場合は、多くの寺院がこのような配置を継承しており、奈良(西の京)の薬師寺の伽藍配置のモデルとなったという。
統一新羅時代の朝鮮半島で花を咲かせた双搭伽藍が中国とは別の独自なルートで日本に影響を及ぼしたということが指摘されているわけだ。ややもすれば1300年前の仏教をめぐる素晴らしい交流文化がエスノセントリズムに染められかねないところでもあった。金尚泰さんは最後まで中庸を守りきったと思われるが、エスノセントリズムの甘い誘惑から自由にいられる韓国人はどのぐらいいるだろうか。
以上の話は、仏教文化には門外漢である一韓国人として、あくまでも韓国を愛し、真の日韓交流を求める立場からの自己批判でもある。ところが、いうまでもなく、エスノセントリズムは韓国人の専有物ではあるまい。異文化交流には常に自文化中心主義の落とし穴が隠されている。日韓アジア未来フォーラムは、これまでそうだったように、これからもエスノセントリズムという共通の敵と戦いながら東アジア地域交流を積極的に進めていく場になってほしい。
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<金 雄熙(キム・ウンヒ)☆ Kim Woonghee>
ソウル大学外交学科卒業。筑波大学大学院国際政治経済学研究科より修士・博士。論文は「同意調達の浸透性ネットワークとしての政府諮問機関に関する研究」。韓国電子通信研究院を経て、現在、仁荷大学国際通商学部副教授。未来人力研究院とSGRA双方の研究員として日韓アジア未来フォーラムを推進している。
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金ミンスク撮影
金 香海撮影
葉 文昌撮影
2011年3月9日配信