SGRAの活動

  • 2012.06.06

    第44回SGRAフォーラム in蓼科「21世紀型学力を育むフューチャースクールの戦略と課題」へのお誘い

    下記の通り長野県蓼科にて第44回SGRAフォーラムを開催します。参加ご希望の方は、事前にお名前・ご所属・緊急連絡先をSGRA事務局宛ご連絡ください。SGRAフォーラムはどなたにも参加いただけますので、ご関心をお持ちの皆様にご宣伝いただきますようお願い申し上げます。また宿泊の手配が必要な方はご相談ください。   日時:2012年7月7日(土)10:00~17:00 その後懇親会   会場:東京商工会議所蓼科フォーラム研修室A    〒391-0213 長野県茅野市豊平チェルトの森    電話 0266-71-6600   申込み・問合せ:SGRA事務局    電話:03-3943-7612    ファックス:03-3943-1512    Email:[email protected]   参加費: 無料   【フォーラムの趣旨】   SGRA「人材育成」研究チームが担当するフォーラム。   21世紀の幕開けとともに各国で急激に普及し始めたインターネットと携帯電話などの情報通信手段は、今では私達の生活の中で欠かせない存在となりつつある。しかもその変化のスピードがますます速まり、膨大な量の情報が氾濫している。こうした背景の中で、知識の暗記よりも情報通信技術の習得とともに世界につながるネットワークとその中に集まる知識と情報を活用できる能力が重要視され、次世代を担う人づくりを目指す学校教育のあり方にも大きな変化が迫られている。   新しい時代への対応を図るべく、アメリカ、イギリス、韓国、シンガポールなどでは90年代の後半から教育情報化政策が推進され始め、近年には国家目標に設定され、より本格的な導入に向けた動きが具体化している。日本でも1999年に全公立小中高校がインターネットに接続でき、全公立校教員がコンピュータの活用能力を身につけられるようにする「ミレニアム・プロジェクト」がスタートし、2010年からは総務省と文部科学省の推進のもと2020年までにフューチャースクールの全国展開を目指す事業も始動した。一方、新しい情報通信技術が次々開発されるにつれ、機械や機器には決して置き換えられないものがあることがますます鮮明になり、人間関係の大切さがより強調される中で生身の人間をもとにしたコミュニケーション能力が果たしてフューチャースクールで育成されうるかという懸念の声もある。   本フォーラムにおいては、世界最先端をいく韓国とシンガポールを中心にそれぞれの国の経験と現状について議論を交わす場を提供し、学びのイノベーションに関する理解と交流を深めつつ、フューチャースクールの今後の方向性について考えていきたい。   【プログラム】   詳細はここををご覧ください。   【基調講演1】次世代を担う人づくりとは          赤堀 侃司(白鴎大学教育学部長)   【基調講演2】日本のICT教育の現状と今後         影戸誠(日本福祉大学教授)   【発表1】韓国のフューチャースクール構想         曺圭福(韓国教育学術情報院研究員)   【発表2】シンガポールの教育におけるICT活用の動向と課題について         シム チュンキャット(日本大学非常勤講師)   【発表3】ICT機器を利活用した学習活動         石澤紀雄(山形県寒河江市立高松小学校)   【パネルディスカッション】   
  • 2012.03.07

    第11回日韓アジア未来フォーラム「東アジアにおける原子力安全とエネルギー問題」報告(1)

    金 雄煕 「第11回日韓アジア未来フォーラムを終えて」   2012年2月25日、高麗大学校経営館で「東アジアにおける原子力安全とエネルギー問題」というテーマで第11回日韓アジア未来フォーラムが開催された。昨年3月の福島原発事故後、ほぼ1年が過ぎようとする時点で、「本場」では真正面から取り上げにくいということと、東アジア(協力)という視点も必要という判断から、先ずはソウルで議論してみることになった。 今回のフォーラムの講師の顔ぶれは「大物」が多く、また全く違う立場から原発問題を考えているという特徴があった。   基調講演者の金栄枰(キム・ヨンピョン)先生は長年韓国で原子力問題を研究され、原子力政策フォーラム理事長を務める方である。役職からも予想されるように、明らかに原子力の必要性と安全性を強調する「教科書的」な議論を展開した。 これに対し、多彩な経験をお持ちの田尾陽一さんは、「福島再生」という観点から、除染作業など現場での再生努力の一部を紹介した。田尾さんとはフォーラムの一週間ほど前、東京でお会いする機会があったが、その時、孫正義さんを「孫くん」と呼んでいたことと、美味しい「福島産放射能マツタケ」の話に驚いた。田尾さんの議論がちょっと浮いてしまうかもしれないという心配もあったが、とても「新鮮な」議論であり、オーディエンスからの受けもよく、見事に当った結果となった。   全鎮浩(チョン・ジンホ)さんは福島原発事故以来、韓国で最も忙しくなった国際政治学者の一人で、中立的観点から東アジアにおける原子力安全協力の重要性を強調した。 最後のスピカーの薬師寺泰蔵先生は「科学技術と国家の勢い」という文明史的観点から「坂の上の雲」としての原発の必要性について力説した。田尾さんとは長いお付き合いのようで酒席などでは議論がよく噛み合うような感じだったが、原子力問題となると、目には見えないものの、相当隔たりがあるような気がした。   このフォーラムの創立メンバーの李元徳(イ・ウォンドク)さんの司会で行われたパネル討論では、ウクライナのオリガ・ホメンコさんによる貴重なチェルノブイリ体験談や経済学者の洪鍾豪(ホン・ジョンホ)さんのコンパクトな提案を聞くことができた。時間が限られていたせいか、案外激論もなく閉会した。   食事会では、奈良の今西酒造「春鹿」で「一気飲みラブショット乾杯」があったといわれている。しかし、残念なことにその場に遅れて到着したため直接確認することはできなかった。「春鹿」は2009年度の第9回慶州フォーラムで奈良から空輸してきた一升瓶が目の前で割れて消えてしまう大事件があって以来、日韓アジア未来フォーラムの公式乾杯酒となっている。未来人力研究院の李鎮奎(リ・ジンギュ)先生が法事で早く帰られた関係で飲みが足りなかったせいか、場所を変え宿泊先の有名なドイツビール屋でもう一杯をしたあと、第11回フォーラムは終了した。   韓国側主催の時にいつも感じることだが、私の予想からしては「満員御礼」に近いレベルの(李先生に動員されたかもしれない)聴衆の数に驚いた。終了まで席を外すことなく真摯に講演や議論を一生懸命聞いてくれた学生諸君にこの場を借りて感謝したい。当たり前のことだが、このフォーラムを形にしてくれた今西さん、石井さん、金キョンテさん、そして忙しいところ参加してくれた韓国SGRAの皆さんにも感謝しなければならない。とくに素敵な食堂に案内してくれた幹事の韓京子(ハン・ギョンジャ)さん、本当にお疲れ様でした。   最後にちょっとした心残りと次回フォーラムのご案内。異なる立場からの素晴らしい講演のわりには立ち入った議論に踏み込めなかった限界は残したものの、いつものように、本当に、形式、内容、そして番外の三拍子が揃った素晴らしいフォーラムであったと思う。次回フォーラムは今回のフォーラムのセカンド・ラウンドとして福島でという動きがあるということにご注目!ぜひふるって参加してください。 (仁荷大学国際通商学部教授)   当日の写真(金範洙撮影)   2012年3月7日配信
  • 2011.11.30

    第42 回SGRAフォーラム「アジア地域エネルギー供給セキュリティ及び建築分野の省エネルギー」報告

    2011年10月29日(土)午前9時半から午後5時半まで、SGRA、北九州市立大学、早稲田大学及び日本建築学会アジア地域における建築環境とエネルギー消費検討小委員会が共同で第42回SGRAフォーラムを開催した。本フォーラムでは、2名の先生方の基調講演に続いて、日本学術振興会若手研究者交流支援事業により北九州市立大学が招聘したアジアの若手研究者が、各国の都市・建築省エネルギーの現状及び政策について発表した。 SGRA代表今西淳子氏、北九州市立大学建築都市低炭素化技術開発センター長黒木荘一郎氏、日本建築学会アジア地域における建築環境とエネルギー消費検討小委員会主査張晴原氏がそれぞれ挨拶を行い、省エネルギー事業とアジア地域の習慣・文化を配慮した対応と、正確な情報提供の重要さを強調した。 最初に、(株)住環境計画研究所代表取締役所長中上英俊氏が「アジアにおける省エネルギー政策の重要性」と題した基調講演を行った。中上氏は東南アジア諸国(タイ、インド、ベトナム)におけるエネルギー消費の実態と見通し、また省エネルギー法を始めとする各国の省エネルギー政策の現状について報告し、それらの実態に基づいて、今後のアジアの省エネルギーのあるべき姿、日本の役割などを指摘した。 続いて、早稲田大学准教授高口洋人氏が「カンボジアの建築における成長とエネルギー消費に関する一考察」という基調講演を行った。高口氏は2009 年からカンボジアでエネルギー消費量やライフスタイルの調査を続けている。同氏は、東南アジアの新興国が、日本のような大量生産・大量消費社会を経ずに、いま何をすればサステイナブル社会に軟着陸できるのかという点について議論を広げ、カンボジアにおけるエネルギー消費実態を見ながら、どのような住宅やエネルギーシステムを提供すべきなのか、またそこで先進国はどのような役割を果たすべきか提案した。 午後の研究報告では、5ヶ国からの7名の若手研究者がそれぞれ国の省エネルギー事情及び取り組みについて報告した。インドネシアのBudi Faisal博士及びBeta Paramita氏は、バンドンの都市構造と環境エネルギーの関係について報告した。フィリピンからのStephanie N. Gille氏とJosefina S. De Asis氏はフィリピンのエネルギー消費現状及びマニラを中心とした省エネルギー及びグリーン建築の取り組みについて紹介した。インドのNicholas Iyadura氏はインドが世界で最も少なくエネルギーを消費し、最も少なくCO2を排出していることを説明し、先進国のような大量消費・大量排出の社会構造になると持続が不可能になるので、持続可能な発展はインドにとって重要な課題であることを力説した。タイのSuapphong Kritsanawonghon氏はタイのエネルギー実態及び省エネルギーの政策について報告した。オーストラリアのAndrew Irelan氏はオーストラリアにおける省エネルギー・環境分野の主な二つ制度であるNABERSとGREENSTARを紹介し、省エネルギー政策に関して、市場の力の重要性を強調した。 パネルディスカッションでは、Max Maquito博士が巧みに「エネルギーと環境」というフォーラムのテーマを、彼の専門である「市場と経済」に変えてしまった。そのおかげで、エネルギーと環境だけに留まらず、より広い話題を議論することができた。 参加してくださった皆さん、誠にありがとうございました。 フォーラムの写真 今西勇人撮影 ルィン撮影 (文責:高偉俊) 2011年11月30日撮影
  • 2011.11.23

    アジア未来会議のお知らせと発表論文募集

    SGRAでは、新事業「アジア未来会議」を立ち上げました。アジア未来会議は、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっていらっしゃる皆さん、その指導を受けた若手研究者の皆さん、研究所や企業等で研究や活動を続けていらっしゃる皆さん、そして日本の大学院で研究を続けている留学生の皆さん、国際交流に関心のある日本の研究者の皆さんに、交流・発表の場を提供し、アジアの未来について議論していただくことを目的としています。   第一回は2013年3月に中国上海市で「地域協力の可能性」をテーマに開催し、その後隔年度ごとに日本を含むアジアの各都市で開催する予定で、第二回はインドネシア開催を検討しています。アジア未来会議では、自然科学、社会科学、人文科学を包括する広範なテーマを設定し、国際的かつ学際的に研究を続けている中堅・若手研究者の方々に参加していただきたいと思っております。勿論オブザーバー参加も大歓迎で、日本留学者の同窓会、あるいはネットワーク構築の場としてもご利用いただきたいと思います。   このたび、発表論文の募集を始めましたので、奮ってご応募くださいますようお願いいたします。また、お知り合いの方々へのご紹介、皆様が所属するメーリングリスト等でのご宣伝を、よろしくお願い申し上げます。 詳細はアジア未来会議ホームページ(日本語、英語、中国語対応)をご覧ください。   第1回アジア未来会議☆発表論文募集 【開催日】2013年3月8日(金)~10日(日) 【会 場】中国上海市(同済大学、上海財経大学、復旦大学) ◇自然科学シンポジウム「環境エネルギー技術の地域協力」  テーマ:環境、エネルギー    言 語:日本語、英語、中国語   ◇社会科学シンポジウム「アジアにおける地域協力」  テーマ:政治と外交、経済発展と開発、企業経営管理、教育と人材育成、その他  言 語:日本語、英語、中国語   ◇人文科学シンポジウム「アジアにおける地域交流」  テーマ:言語・言語教育、文学・文化・芸術、歴史、社会・生活、その他  言 語:日本語   発表論文を下記の要領で投稿してください。 1. アジア未来会議のホームページの「Registration」から登録してください。一度登録すればIDとパスワードにより何度でもアクセスし登録情報を改訂することができます。   2. 発表要旨を、下記の要領でアジア未来会議ウェブ上のご自分のページに投稿してください。   ◇自然科学:英語(250語以内)締め切り:2012年3月31日(土) ◇社会科学:英語(250語以内)締め切り:2012年3月31日(土) ◇人文科学:日本語(600字以内)締め切り:2012年3月31日(土)   3. 学術委員会による審査の結果を、2012年4月30日(月)までにEメールでお知らせします。   4. 合格通知を受け取ったら、論文の原稿(フルペーパー:A4判で最大10ページ)を、下記の要領で、アジア未来会議ウェブ上のご自分のページに投稿してください。   ◇自然科学:英語、日本語、または中国語 締め切り:2012年8月31日(金) ◇社会科学:英語、日本語、または中国語 締め切り:2012年12月31日(月) ◇人文科学:日本語 締め切り:2012年12月31日(月)   5. 学術委員会による最終審査の結果を、2013年1月31日(木)までにEメールでお知らせします。   その他 ◇優秀論文執筆者は参加費を免除します。 ◇優秀論文は、後日SGRAから発行する論文集に掲載します。論文執筆者には謹呈します。   ◇申請に基づく参加費補助があります。   ☆☆☆皆様のご参加をお待ちしています☆☆☆
  • 2011.10.26

    第6回チャイナフォーラム「Sound Economy-私がミナマタから学んだこと-」報告

    孫建軍「第6回チャイナ・フォーラムin 北京」報告 2011年9月23日、第6回SGRAチャイナ・フォーラムin北京が、国際交流基金北京日本文化センター(以下、日本文化センター)で開催されました。 今回のテーマは「Sound Economy-私がミナマタから学んだこと-」です。今年はより多くの社会人の参加を得るため、日本文化センターのご好意を得て、初めて大学のキャンパス以外に会場を移し、当会場で行われました。SGRA、日本文化センターの関係者のほか、大学生はもちろん、会社員、NGO関係者、日本大使館、中国外交部の外交官など40名近くが参加しました。 本日の講師の(財)水俣病センター相思社初代事務局長の柳田耕一氏は、まず10分ほどの映画『水俣病 その20年』を流しました。水俣病に苦しむ患者の衝撃的な映像にみんなが息を呑みました。そして、柳田先生は歴史を軸に、水俣、加害企業による公害の拡大、水俣病の深刻化及び企業や政府との戦いなど、世界的に水俣病が有名になるまでのことを、写真や資料を交えながら語ってくださいました。最後に、あらゆるMinamata Diseaseを防げる社会作りの大切さを訴えました。 社会人が多かっただけに、質疑応答では、質問の角度や中味の深さが一味違っていました。食品会社の社員からは中国で問題となっている「地溝油」(下水や生ごみから回収した油)の危害、NGOの職員からは有機水銀を埋立地に封じ込める具体的な方法、外交官からは水俣からチェルノブイリ、そして福島といった人的災害における構造的な背景など、どれもSGRAチャイナ・フォーラムの新しいテーマとして取り上げることもできるような内容の濃いものでした。 講演の最後に、司会を担当していた私は、過去のSGRAチャイナ・フォーラムを振り返って、社会の深刻な問題を前に「自分は何をすればいいか」という参加者から講師への共通の質問について、感想を述べました。深刻な社会問題に積極的に関わるには3つの「き」、つまり「勇気」「根気」「知識」が必要です。水俣病のために働く柳田耕一先生にしても、植林の高見邦雄先生にしても、アジア学生文化協会の工藤正司先生にしても、TABLE FOR TWOの近藤正晃ジェームス先生にしても、チャイナ・フォーラムの講師の方々はいずれも、これらの3つの要素を備えた方です。そして、若者として社会的責任を全うするために3要素を備えてほしいと呼びかけました。 今年のチャイナ・フォーラムのもうひとつの新しい試みとして、同じ日の午前中に北京大学日本言語文化学部の2年生を対象に、ワークショップが行われました。1年しか日本語を習っていないのですが、柳田先生のお話を真剣に聞く学生の表情は今までの授業風景にないものがありました。学生が寄せた感想文では、写真や映像のインパクトが語られ、中国の現状と結びつけながら、命の重さ、政府の責任、集団主義などについて言及する内容が多かったことから、今年のテーマも、例年と同じように、中国人学生に深く考える材料を提供できたようです。 (北京大学日本言語文化学部副教授) ☆北京大学の学生さんの感想文 ☆北京フォーラムの写真(劉健撮影) ☆北京とフフホトのフォーラムの写真(石井撮影) ネメフジャルガル「第6回チャイナ・フォーラムin フフホト」報告 第6回SGRAチャイナ・フォーラムin フフホトは、9月26日(月)内モンゴル大学学術交流センターで開催されました。同フォーラムには、内モンゴル大学、内モンゴル農業大学、内モンゴル師範大学、内モンゴル工業大学、内モンゴル医学院からの教師や生徒および内モンゴル草原環境保護促進会などNGO関係者を含めて約130人が参加しました。私が司会を務め、内モンゴル大学副学長・モンゴル学研究センター主任のチメドドルジ教授が開会の挨拶をしました。チメドドルジ教授は、SGRAチャイナ・フォーラムが2年連続で内モンゴル大学で開催されていることに対しSGRAに謝意を表し、工業化が急速に進んでいる今日の中国、特に地下資源開発によって経済成長を支えている内モンゴルは、環境問題において日本を含む先進国の経験から学ぶべきことが多いと指摘しました。SGRA代表の今西淳子さんは挨拶をし、SGRAの設立経緯、活動の趣旨について紹介しました。 今回のフォーラムは、特定非営利活動法人地球緑化の会副会長兼事務局長、モンゴル国ダルハン農業大学名誉教授、元(財)水俣病センター相思社事務局長の柳田耕一氏を迎え、グローバルな視点から、水俣でおきた人類史的な事件の事実と意味についてご講演いただきました。 水俣病は20世紀中期に発生した世界中でよく知られている環境問題であり、化学工場の廃液が海に流されて発生した公害病です。柳田先生は、病気の発生から行政の対応、市民活動の広がり、現在残されている課題などを中心に水俣病に関して詳しく紹介しました。公式発見から半世紀経った現在でも、抜本的な治療法は無く、被害の全体像の解明は進まず、地域経済は疲弊したままです。一方、水銀による環境汚染は世界中に広がり、酷似した症状をもつ人々も出現し、現在では微量水銀の長期摂取による健康影響に世界の関心は向かっているようです。 内モンゴル大学環境と資源学院の郭偉副教授が、柳田先生の講演に対してコメントをしました。郭先生は環境学の視点から柳田先生たちの活動を高く評価し、環境問題は人類共通の問題であり、若い学生たちが自ら環境保護に取り組むよう呼びかけました。また、内モンゴルの草原地帯における地下資源開発に伴う環境汚染問題を紹介しました。講演後柳田先生は、会場からの質問に対し丁寧に答えました。SGRA研究員で内モンゴル大学OB、滋賀県立大学准教授のブレンサイン先生が閉会の挨拶をしました。フォーラムの通訳はSGRA研究員、北京大学日本言語文化学部副教授の孫建軍先生が担当してくださいました。 (内モンゴル大学モンゴル学研究センター研究員) ☆フフホト・フォーラムの報告(中文)
  • 2011.08.03

    エッセイ301:マックス・マキト「マニラ・レポートin蓼科」

    2011年7月2日(土)にSGRA蓼科フォーラム「東アジア共同体の現状と展望」が開催された。休憩中にパネルディスカッション司会の南基正さんからコメントを発言するよう頼まれた。フォーラムの真っ最中にマニラの家にいる愛犬が静かに亡くなったという知らせを受け取った僕は集中力が乱れていたが、要請に応じて何とか発言した。しかし、わかりにくいところもあったと思うので、ここで改めて整理して、その後の印象と一緒に述べさせていただきたい。 今回の発表者のなかには東南アジアの代表がいなかったが、基調講演をしてくださった恒川惠市先生と、黒柳米司先生がASEANに関して十分に話してくださった。それに少しだけフィリピンの立場を付け加えたい。 スペイン帝国がフィリピンを米国に譲るというパリ協定が署名された一年後の1899年、16世紀からスペインの海軍基地であったスービックに、星条旗が初めて掲げられた。それから100年近くたった1992年、米海軍は撤退し星条旗は下ろされた。その後、予想通り、スービック地域の経済は低迷したが、フィリピン政府がそこに経済特区を設置した結果、地域経済は回復に向かった。 当時、米軍の撤退はどちらかというと良かったと思った。あの国はうっかりすると軍事力をもって地域介入する傾向が強いので、東アジア共同体の構築はやはり我々東アジア人に委ねるべきであろうと思った。冷戦ベビーである僕としてはこのような考え方は驚くべきことであった。冷戦の恐怖に育てられたものにとっては、守ってくれる米軍はどうしても欠かせない存在のはずだったからだ。 スービックから米軍が撤退した頃、東アジア共同体について楽観的になる展開がいくつかあった。たとえば、東アジアの暴れん坊である北朝鮮をこの地域に巻き込もうとする日朝平壌宣言とか、あるいは、共産主義を支えてきた中央計画経済を放棄した中国の市場経済の導入とか。当時は、アメリカがなくてもこの地域はやっていけるのではないかという前向きな気持ちが湧いていた。 このような希望を象徴する当時のあるテレビ番組を思い出す。ある日本の俳優が銀座でタクシーを拾う。運転手さんに「ロンドンまでお願いします」という。目指す方向は西。太平洋を経て西欧を目指した今までとは正反対の、まさにその時代の風向きである。 残念ながら、平壌宣言は失敗に終わった。北朝鮮は弾道ミサイルの開発を進め、命中率はともかく、その射程距離に東南アジアの一部分も入ってしまった。そして、市場経済から膨大な富と力を蓄えた中国が、東南アジアの心とも言うべき南シナ海において威圧的な軍事力をもって暴走し始めた。シンガポール、ベトナム、そしてフィリピンはこのような行動に反発している。恒川先生が指摘されたように、残念ながら東アジアではまだ冷戦が終わっていない。 あの冷戦の悪夢が蘇った現状では、どうすればいいのか。基調講演にも取り上げられた逆転の発想があった。それは、黒柳先生が言及された「弱者である」ASEAN主導型の東アジア共同体である。しかしながら、この構想は東アジアの先輩である日中韓が容認するかどうかまだはっきりしていない。ERIAという東アジア共同体のための研究機関の本部は、日本の支持も受けてジャカルタにあるASEAN事務局に設置されたから、日本はASEAN主導を支持しているようである。しかし、韓国はソウルに設置したかったという。いずれにせよ、このASEAN主導型の東アジア共同体構築という構想に日中韓の容認が得られるならば、ASEANは喜んで協力するであろう。 ただし、この構想が容認済みという前提であれば、逆に日中韓の協力が必要となる。この構想が上手くいくためにはASEANの団結が益々重要になる。東アジア共同体の構築はASEANの中の一国だけでできることではないからである。そう考えると、日中韓に対して、ASEANを分裂させるような行動を避けていただくようにお願いしたい。 国際分業化は恒川先生の共同体の定義にも入っているが、僕もその通りだと思う。日本の企業も東アジアの国際分業化に大きく貢献してきた。EUのような制度がなくてもこれだけ域内貿易が進んでいるのはその結果とも考えられる。しかし、最近の動きをよくみると、日系企業の東アジアへの進出はある特定の国や地域に集中的に行われるようになりつつある。それ故に、日本は共有型成長という素晴らしい理念を持っているにも関わらず、バランスを欠いた分業化に成りつつある。このような不均衡な状態は結局ASEANの団結に打撃を与えかねない。 中国はまだ東アジアの国際分業化に日本ほど貢献していないが、領土問題の取り組みはASEANの分裂を進める危険性が十分にある。中国は多国間の話し合いの誘いに応ぜず、二カ国間の話し合いにしか対応しない姿勢である。これはASEANの分裂にも繋がりかねない。二カ国間の政府レベルの話し合いの大部分は不透明であり、政府同士が納得できたといっても、必ずしもそれが国民にとって良いとは限らない。劉傑先生が引用された「(東)アジアは中国の共通な故郷である」という言葉で思い出した。昔、中国の艦隊がアジアの海を帆走し回っている航海時代もあったが、当時の西洋的な考えとは違い訪問先を植民地化するような方針はなかった。乗組員が訪問先の国を気に入って、そこに住もうと決心して居残ったこともあった。今の中国はその原点に回帰していただきたい。 韓国は、北朝鮮巻き込み作戦の失敗や市場経済の過剰な導入により、日中韓の中では一番東アジア共同体の必要性を痛感しているかもしれない。1997年に勃発した東アジア金融危機によりIMFから厳しい政策転換を余儀なくされ、韓国社会は多大な打撃を受けたし、北朝鮮からは死者が出る軍事攻撃を2回も受けたのであるから。それだけに、ソウルではなくジャカルタ(ASEAN本部)にERIA本部が置かれたのは韓国にとって悔しいであろうが、朴栄濬さんの発表にあったように、韓国が戦後すぐに太平洋同盟構想を発表したように、今でもASEANを信じてくれるようお願いしたい。 今回のフォーラムの内容について、SGRAの仲間たちもいろいろと考えたようだ。意外にも、中国本土の仲間たちがASEAN主導型の共同体構築に寛大な姿勢であった。「強者同士だけだと何もならない」、「問題の島はどの国のものでもなく、皆で共有すればいい」、「皆さんの話は客観的でいい」など。これに対して、「辺境」の東北アジアの仲間たちは、「中国中心にすべき」という意見が強かった。「ASEAN+辺境」と提案しても直ぐ中国のことが気になって否定された。 良き地球市民を目指しているSGRAは、それ自体が小さな東アジア共同体の構築をしようとする活動である。SGRAは僕にとって共同体構築の悲しさや喜びを分かち合える場でもある。ASEANも軍事同盟もなくなり、東アジアという共同体のみとなる希望の未来、僕がこの目で見ることは出来ないかもしれないが、今から仲間たちとその準備を始めたい。 -------------------------- <マックス・マキト ☆ Max Maquito> SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。 --------------------------
  • 2011.07.27

    第6回SGRAチャイナ・フォーラム「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」ご案内

    下記の通り北京とフフホトで開催いたしますのでご案内します。参加ご希望の方は、SGRA事務局までご連絡ください。   ★講演: 柳田耕一 「Sound Economy ~私がミナマタから学んだこと~」 【北京フォーラム】 日 時:2011 年9月23 日(金)午後7時 会 場:国際交流基金北京日本文化センター多目的室   【フフホトフォーラム】 日 時:2011 年9月26日(月)午後3時 会 場:内モンゴル大学学術会議センター第8会議室 主催: 渥美国際交流奨学財団関口グローバル研究会(SGRA) 協力: 国際交流基金北京日本文化センター 北京大学日本言語文化学部     内モンゴル大学モンゴル学研究センター フォーラムの趣旨:   SGRAチャイナ・フォーラムは、日本の民間人による公益活動を紹介するフォーラムを、北京をはじめとする中国各地の大学等で毎年開催しています。 昨年は認定NPO法人 緑の地球ネットワーク事務局長の高見邦雄氏に鉱山開発と北京の水問題について講演していただきました。6回目の今回は、元(財)水俣病センター相思社事務局長の柳田耕一氏を迎え、グローバルな視点から、水俣でおきた人類史的な事件の事実と意味についてご講演いただきます。フォーラムは日中逐次通訳付き。また、今回は北京大学で日本語を学ぶ学生を対象に、日本が経験した公害問題をテーマにしたワークショップを開催します。   講演要旨:   水俣病は20世紀半ばに発生した世界で知られる環境問題の一つです。それは日本の南部の漁村で発生しました。当初、被害者は劇症型の病像を呈していたため「奇病」として恐れられ、隔離されるなどの酷い仕打ちを受けました。折から日本は戦後の復興期の入り口にあり、僻遠の地に救済の手が差し伸べられるまでには長い時間がかかりました。   公式発見から半世紀経った現在でも、抜本的な治療法は無く、被害の全体像の解明は進まず、地域経済は疲弊したままです。一方で水銀による環境汚染は世界中に広がり、酷似した症状をもつ人々も出現し、Minamata Diseaseは世界共通語となっています、現在では微量水銀の長期摂取による健康影響に世界の関心は向かっています。   もう一つの側面として関心がもたれているのは、社会経済的分野です。開発重視、科学重視、利益重視、人権無視の経済運営は、生活の基盤である環境を歪め傷つけ最後には地域社会そのものを持続不可能にしてしまいますが、その象徴として水俣病事件を捉えることもできます。   講師略歴: 現職:特定非営利活動法人 地球緑化の会 副会長兼事務局長、モンゴル国ダルハン農業大学名誉教授、株式会社ティエラコム監査役 略歴:1950年熊本市生まれ。1973年東京農業大学中退。学生時代より水俣病被害者支援運動に参加。日本初の市民運動型財団・水俣病センター相思社の設立運動に参加し、1974年の設立と同時に初代の事務局長に就任。以来、水俣現地に於いて、水俣病発掘や裁判支援、様々な資料作成やイベントの企画などに関わる他、有機農法運動やフリースクール運動を立ち上げる。1989年相思社を退職し、その後いくつかの環境NGOに関わる。1996年より神戸に本社を置く民間企業の役員に就任する一方、環境NGO運動も継続し現在に至る。これまで100回以上に渡り、植林や環境問題調査目的で多くの国を訪問しNGOや市民と交流し、ミナマタの経験を伝える活動を行ってきた。水俣病問題や地球環境問題に関する著書あり。   プログラムは下記よりダウンロードしていただけます。 日本語版 中国語版 ポスターは下記よりダウンロードしていただけます。 北京フォーラムポスター フフホトフォーラムポスター
  • 2011.07.27

    南 基正「第41回SGRAフォーラム in 蓼科『東アジア共同体の現状と展望』」報告

    2011年7月2日、第41回目のSGRAフォーラムが「東アジア共同体の現状と展望」をテーマに長野県の東商蓼科フォーラムで開催された。SGRA「東アジアの安全保障と世界平和」研究チームが企画・開催するフォーラムとしては、2003年2月の第10回フォーラム「21世紀の世界安全保障と東アジア」、2005年7月の第16回フォーラム「東アジア軍事同盟の過去・現在・未来」、2008年7月の第32回フォーラム「オリンピックと東アジアの平和繁栄」 に次いで4回目である。 今回のフォーラムの目標は、ASEANと日中韓など、東アジアの諸国が提唱している様々な東アジア共同体論を引き出し、その共通項をまとめ、そのような構想が政策や制度として定着するためにはどのような課題に取り組むべきかについて東南アジア、日本、韓国、中国、香港、台湾、モンゴル、北朝鮮などの視点から点検することにあった。当初の企画意図は簡単な発想から出た。「SGRAには丁度いいばらつきで東アジアの国々からの研究者が集まっている。彼らは自国の事情をよく理解しつつも、留学を含め海外での研究歴が長く、その間多様な出身国の研究者と交わったことがあるから、隣の国々の事情をもよく考えて、物事を発想し伝えることができる。このような研究者が集まっていること自体が、この地域で何か新しいものを形にしていく基盤となるだろう。それを表に引き出してみよう。」このフォーラムはそのような発想から企画された。 開会の辞で今西淳子常務理事は、アジアのなかに共同体のような形で平和の枠組みを構築することは、祖父である鹿島守之助・元鹿島建設会長の遺志であったと語った。改めてSGRAフォーラムで東アジア共同体を論じることの意義が大きく感じられた。 フォーラムは長くこの問題に携わり発言してきた2名の講演者の基調講演から始まった。まず、恒川惠一・政策研究大学院大学副学長が「東アジア共同体形成における『非伝統的安全保障』」という題目で講演を行った。恒川教授は、一般に共同体の条件として「分業の成立」と「不戦への合意」の二点があることを踏まえ、東アジアの地域において依然として影響力のあるアメリカのヘゲモニーと戦争よりは現状維持がいいという認識の拡大によって時間を稼ぎながら、経済の地域統合と機能的協力を重ねていくことで、上の二点を実質のものにし、共同体に近いものへとアジアの現実を変えていく、という具体的方法論を提唱された。その際に重要なことがこの地域において非伝統的安全保障における協力を推進していくことであると強調された。 続いて、第二講演者の黒柳米司・大東文化大学法学部教授が「ASEANと東アジア共同体構想―何を・誰が・いかに?」というテーマで講演を行った。黒柳教授は、アジア太平洋地域に幾多の重層的対話メカニズムが出来上がっているなか、共同体構築への道程ではASEANが主役とならざるを得ない幾つかの合理的な理由があり、これを認めることが重要であると主張された。その大きな理由は、ASEANの国々が地域平和を達成してきた実績があることに加え、周囲に脅威を与えない小国であるがゆえにリーダーシップが委ねられるという、逆説的現実にあった。したがって、ASEANが内部結束を深め、外部からの支持を獲得することの成否に東アジア共同体の成否がかかっている、というのがその結論であった。 休憩を挟み、韓国・中国・台湾/香港・モンゴル・北朝鮮の順に、それぞれの立場で見つめる東アジア共同体構想について発表があった。 朴栄濬・韓国国防大学校副教授は韓国の東アジア共同体構想を歴史的に辿る内容で報告を行った。朴副教授によれば、李承晩・朴正熙の両大統領が推進したアジア太平洋の多国間協力の枠組みが北朝鮮の脅威に対する安全保障として構想されたのに対して、金大中・盧武鉉の両大統領が追及した東アジア共同体は、北朝鮮を抱き込んで形成すべき民族共同体の外延として必要なものと認識されたところに違いがあった。このような差は今も受け継がれ、韓国社会においては進歩・保守を問わず、東アジア共同体に積極的な意見が多く見られる中、保守派が統一の過程で影響を及ぼす覇権国の登場を牽制する装置として東アジア共同体を論じる反面、進歩派は南北国家連合の環境作りとして東アジア共同体が語られている現状を指摘した。 劉傑・早稲田大学教授は、中国がいまだ東アジアの地域で共同体という概念で地域協力の枠組みを公式の文書で提起したことはないが、鳩山内閣が提唱した東アジア共同体構想は、「睦隣・安隣・富隣」を唱える中国の外交戦略と重なる部分もあり、東アジアの「一体化」に向けた議論は活発化していると、中国の現状を把握した。その上、中国は侵略された歴史があるため、どうしても主権へのこだわりが強く、「主権」と「国際協調」を同時に追求しながら、事案によっては二つの目標が衝突していると、中国の東アジア外交を分析した。なお、中国は「主権」を前面に出す外交でも、軍事力よりは強い文化力を背景にアジアを包み込む戦略をとることも考えられ、これが東アジア共同体へのもうひとつの道になりうるとの展望を提示した。 ここまでがいわゆる東アジア共同体作りにおいて「中心」といわれてきた国家からの研究者による講演と報告であった。夏のフォーラムでは恒例となった峠の釜飯で昼食をとり、午後の部では、「周辺」または「辺境」といわれてきた地域からの視点が加わった。 中国福建省出身で香港で育ち、日本で学び、現在は琉球大学で教えている林泉忠・准教授は台湾と香港の視点を介在させ、「中心国家」を中心に展開している東アジア共同体構想の閉鎖性を指摘し、脱「中心」主義と脱「主権」主義を志向することこそが、開かれ、かつ安定した共同体構想の不可欠な条件であると主張した。 次に内モンゴル出身のブレンサイン・滋賀県立大学准教授がモンゴルの立場から見える東アジア共同体構想について報告を行った。東アジアの「辺境中の辺境」であるモンゴルは、中国とロシアという大国に挟まれた緩衝地帯に位置し、早くから大国間の等距離外交で独立を守ってきた国であり、民主化以後には、安定した民主主義の上に、多極的かつ開かれた国家運営を行っている。豊富な資源に加え、そのような経験と志向を持つがゆえに、モンゴル国は東アジア共同体のもうひとつの構成員として注目すべき存在である、というのが主な主張であった。 最後に北朝鮮との国境地帯で中国の朝鮮族として生まれ育ち、北京で大学を卒業し、日本の大学院で学んだ後、韓国の釜山に位置する東西大学で教えている李成日・助教授の報告があった。報告では、中国との経済協力に新しい進展はあるものの、急速に進む東アジアの経済統合のなかで一人取り残されている状況、またARFを例外にするといかなる東アジアの地域協力機構にも加入していない現実など、北朝鮮を巡る厳しい現状に言及しつつも、「強盛国家」建設を目指す北朝鮮が、経済再建のためにも周辺環境の安定を望んでいると分析した。その上、地政学的に東アジアの中心に位置する北朝鮮を抜きにして、果たして東アジア共同体構想は現実として可能か、との問いを投げかけた。 ここまでの発表は李恩民・桜美林大学教授の司会の下で進行した。要領を得た司会ぶりでほぼ予定通りに会議は進み、いい流れを作っていただいた。そのお陰で、パネルディスカッションの時間が十分に確保できた。ここから私に司会の役が回ってきた。 パネルディスカッションは、平川均・名古屋大学教授の総括討論から始まった。平川教授は、まず、今回のフォーラムの意義として「『辺境』をいかに理解するか」という問題を中心課題にする必要があることを感じたと感想を述べられた。その次に、開会の辞で今西常務理事が、鹿島守之助のパン・アジアニズムに言及したことに触れ、日本が東南アジアをいかに位置づけるかの問題が、戦後日本の主流派のアジア政策と鹿島守之助のパン・アジア構想の重要な差異になっていたと指摘した。最後に、日本の東アジア共同体構想を語るうえでは、日本の構想の中で占める中国の位置を確認することが重要であると問題を提起された。 次に二人の元奨学生と二人の2011年度奨学生から感想が寄せられた。韓国出身の2000年度奨学生である鄭成春・韓国対外経済政策研究院・研究員は、東アジア共同体作りのドライバーズ・シートにASEANが座るべきだとの黒柳教授の報告に対して感想を述べ、日中の複雑な関係と立場を考慮すると韓国がもっと積極的に動く余地があるとの趣旨で発言した。フィリピン出身の1995年度奨学生であるF.マキト・アジア太平洋大学研究顧問は、ASEANのなかで大きくなりつつある中国の脅威への危機感を指摘し、そのような現状であるからこそ、東南アジア主導の共同体構想に賛成の立場を表明した。そのためにはASEANの国々が団結する必要があり、日本と中国は東南アジアの特定の国家に偏らず、公平な政策を採ることが要望されると訴えた。ベトナム出身で今年度奨学生のホー・ヴァン・ゴックさん(千葉大学)は、幼いときからこの地域に漢字文化圏があり、ベトナムがその文化共同体の一員であることを自覚していたと語り、経済開発に成功した日中韓は、先輩国家として、この地域の成長と安定のために役割を果たすべきであると注文した。台湾出身の謝恵貞さん(東京大学)は、林泉忠准教授の報告に触れ、内田樹の『日本辺境論』の視座に立てば日本も辺境であるとし、中心・辺境の境がなくなることが共同体形成の意義ではないかと問いかけた。また、劉傑教授への質問として、いずれ中国と台湾は協力体制を作っていくことになると思われるが、中国は台湾問題を「主権」の観点からアプローチせず、普遍的人権の問題で扱うべきであると訴えた。 最初に答弁に出た恒川教授が「本質をついている」と評価したように、フロアからのコメントと質問は、聴衆の集中力と理解力の高さを物語っていた。以後、午前の報告と同じ順番で基調講演者と発表者たちの追加発言と答弁が続けられた。しかし、徐々に答弁は教科書的な内容に丸く収まっていくような気がした。これでは、「辺境」の視覚を取り出し、「中心」のそれと交わらすことでようやく新しい問題提起がなされたのに、もったいない。そこで、最後の時間を使い、最後の質問をぶつけることにした。202Q(ニ・マル・ニ・キュウ)年に21カ国の署名をもって締結された蓼科条約をもって、東アジア共同体の成立が実現した、との仮想現実を作り出し、それについての感想をパネリストたちに要求した。 唐突の質問だったので、パネリストには考える時間が必要だった。丁度うまい具合に最後の質問がフロアから飛んできた。本年度奨学生で中国出身の李彦銘さん(慶応大学)からのコメント・質問であった。まずは、日本の共同体構想が明確に示されなかったことを指摘し、日本の核武装の可能性、中国の国民意識の急速な変化による中国指導部の政策と国民の意識のズレ、アジアにおけるナショナリズム克服の過程で日本の果たすべき役割など、報告とディスカッションで疎かにされた問題を提起した。 いずれも重要な問題提起であったが、終了の時刻がもう近づいてきており、これらの問題については深く議論できずに終わらなければならなかった。司会として進行に問題があったと認めざるを得ない。しかし、弁明の余地がないわけではない。「中心」と「辺境」の視座を交差させるという当初の趣旨を生かすため、パネリストの数が多くなり、その分、提起された問題も多岐になった。プレーヤーが多くなれば、それだけゲームは複雑になる。重層的なフレームワークの中で展開する東アジア共同体論議の難しさがそのまま今回のフォーラムに表れたような気がする。それでも、最後に何かを残したかった。その気持ちを最後の質問に込めた。 私の気持ちを理解していただいたのだろうか。パネリストの皆さんは、わずかに残った最後の答弁の時間を使い、私の唐突な質問に対して、機知を働かせた明快な文章の答弁をいただいた。その内容は、近刊のSGRAレポートを見ての楽しみにしていただきたい。 第41回SGRAフォーラムの写真は下記よりご覧いただけます。 マキト撮影   マティアス撮影 参考:蓼科旅行記 2011年7月27日配信
  • 2011.07.20

    張 桂娥「第1回日台アジア未来フォーラム報告(その2)」

    思いがけない盛況ぶりで午前の部は予定時間を少しオーバーして終了した。それから小一時間のランチタイムには、総勢150人の参加者たちが、お弁当で空腹を満たしながら積極的に交流を図り、懇談に花を咲かせた。熱気と活気にあふれる話し声が、雷を伴う激しい雨の音にも負けず、会場全体に溢れ、台湾名物の夜市も顔負けのダイナミズムさえ感じさせた。 短いハッピーアワーを惜しむ間もなく、午後の部は13時40分から定刻開始し、二つの会場に分かれて、パネル(2)とパネル(3)がパラレルに行われた。パネル(2)「言葉の力:言葉の日中往来」では、語彙研究と語学教育の新しい方法論を検討した。 先陣を切った謝豊地正枝女史(台湾大学日本語文学科教授)は、「『アニメ』等の視覚資料に用いられる日本語の日本語教育に与える影響について」を題に、日本語学習の立場からみるアニメ教材のメリットや功罪について詳しく分析した。 林立萍女史(台湾大学日本語文学科副教授)が発表した「アニメに見られる日本昔話の語彙」では、日本語教育関係の日本語語彙表を通し昔話語彙の難易度、意味分類を通し昔話語彙の意味的分布を明らかにすることによって、ビデオアニメ化される昔話の語彙特性の一側面を把握しようと試みた。林先生は今回のフォーラム開催の実現にもっとも尽力してくださった立役者であり、台湾大学日本語学科の素晴らしいスタッフ陣を率いながら、事務連絡や論文収集なども率先して全力投球した上、研究発表も自ら進んで引き受けてくださった。この場を借りて厚くお礼を申しあげたい。 3番手の孫建軍氏(北京大学外国語学院日本言語文化学部副教授)は、「西洋人宣教師と中日における欧米諸国の漢字表記の成立」という課題を究明するため、西洋人宣教師の中国語著作(漢訳洋書) を手がかりに、欧米主要国家の漢字表記の変化、成立過程及び日本語とのかかわりを整理し、近代漢語の成立における西洋人宣教師の歴史的役割を探った。 パネル(2)最後の発表は、方美麗女史(お茶の水女子大学外国語教員)による「表現教授法――効果的な外国語教授法」の実践報告だった。方先生は、 “表現教授法”における2つ目の学習段階であるドラマ教育をテーマに、特にドラマを言語教育に導入する目的・ドラマ指導するステップ・ドラマの効果を、実際の教室活動の映像とともに紹介する予定であったが、会場設備の機械トラブルの影響で一時中断された。 座長の頼錦雀女史(東呉大学日本語文学科教授兼外国語文学院院長)はパネルの進行に支障が出ないように機敏な対応で難局を切り抜けたが、最後まで、納得のいった発表成果が得られなかったし、発表後の質疑応答の時間も十分とれずに、セッションを終了せざるを得なくなった。不本意ながらも発表者にとって消化不良の発表になってしまったことに対し、どんな理由があったにせよ許されない大ミスとして真摯に受け止め、主催側を代表してこの場を借りて、あらためて深くお詫びを申しあげたい。次回開催時は、今回の教訓をしっかりと肝に銘じて反省させていただく所存である。 一方、文学作品の研究をメインにしたパネル(3)「ストーリーの力:夏目漱石から村上春樹まで」では、ジェンダーを始めとする日本文学作品の新しい切り口、あるいは日本文学の翻訳や受容について検討した。 まず、「漱石の初期小説にみる「トレンディ女性」像:彼女らの運命を追いながら」をテーマに発表された范淑文女史(台湾大学日本語文学科副教授)は、漱石の小説に登場した三人の女性――『草枕』の那美、『虞美人草』の糸子、及び『それから』の三千代の生き方を考察しながら、明治社会を生きようとする「トレンド女性」像の一端を明らかにすることを主旨とした。 横路明夫氏(輔仁大学日本語文学科副教授)は、フォーラムのサブテーマである「トレンド・ことば・ストーリーの力」に基づき、ポップカルチャーを視野に入れた「内面としての物語―夏目漱石、村上春樹、そして「ONE PIECE」―」という題目で発表された。ある人物の精神的位相を物語として表現するという方法に視点をおいて、夏目漱石・村上春樹・「ONE PIECE」の三者を貫くストーリーテラーとしての共通性を探った。 かわって蕭幸君女史(東海大学日本語文学科助理教授)は、「悪女物語の行方————漱石と谷崎の場合」というテーマを取り上げ、ジェンダーの観点からではなく、漱石の『虞美人草』を中心に、谷崎の『痴人の愛』に登場する悪女との比較を通して、悪女物語の行方、物語の力と「悪女」というキャラクターの関連性を追った。そして、近代に入ってから、創作者の男女を問わず、いわゆる悪女物語がいまだにその魅力の衰えを見せないのはなぜか、という謎解きにも挑んだ。 パネル(3)のアンカーはSGRAフォーラムでも活躍している孫軍悦女史(東京大学教養学部講師)であり、「世界はあなたたちのもの、また私たちのもの――中国大陸における『ノルウェイの森』について――」を題に、世界の村上春樹という現代日本文学の巨匠がトレンドとして中国に広がったプロセスを解明した。日本人に対する憎しみが絶対永久に風化しない中国本土における村上春樹作品の受容プロセスを、「政治×文化×市場」というグローバル経済事情の視点から読み解くというインパクトのある発表だったが、こうした文学作品を受け容れた若者たちの考え方の変容が把握できるようなさらなる発表成果を、期待せずにいられなくなるのも、孫先生の指摘された「ナイーブさ」であろうか。 盛りだくさんの素材を取り入れた4本の論文発表が終わった後、パネル(3)の座長を務めた朱秋而女史(台湾大学日本語文学科副教授)は、熟練かつ軽妙な司会ぶりを発揮し、スムーズで内容の充実した質疑応答が繰り広げられた。 まず台湾の文化大学の齋藤正志教授から、同じく漱石の「虞美人草」を取り上げた二人の先生に、物語の本質に迫る直球勝負的な鋭い質問を投げかけた。明治大学の宮本大人先生は、漱石や村上春樹の作中人物の価値の勘違いに注目し、「ONE PIECE」の人物造形について、橫路先生と意見交換した。最後は座長の范教授に特別指名された基調講演者の太田登先生が発表者全員に投げかけた観察眼という問題提起であり、近代化という大きな歴史的流れにそって視野を広めてほしいという期待を込めたご示唆であった。 2つの会場に分かれた参加者たちは、回廊に合流し、午後のティータイムを楽しんだ後、再び大講堂に戻り、16時から始まるオープンフォーラムに臨んだ。まず、スペシャルゲストとして遥々イタリアから来台したMaria Elena Tisi女史(ボローニャ大学、ペルージャ外国人大学契約教授)による報告であった。Tisi先生は、「イタリアにおける日本文化:日本学のトレンドと日常生活にみる日本文化」を題に、誰が日本文化をイタリアに紹介したのか、日本文化はどのようにしてイタリアに渡ったのか。イタリアにおける日本研究の流れを簡単に紹介した後、イタリアの日常生活に見られる日本文化を概観してくださった。参加者の皆さんは、この報告を通して、東アジア人の思考回路とは全く異なる感性と発想でとらえたイタリア発の日本観を発見していただけたと思う。 報告に続き行われた3つのパネルの総括が終わった後、本フォーラムのクライマックスを飾るフロアとの質疑応答&意見交換のコーナーに移り、今回の主催ホストでもある徐興慶氏(台湾大学日本語文学科教授兼主任)に座長をお願いした。 序盤から、質問の矛先は遠路遥々来場されたTisi先生に集中し、徐興慶先生も齋藤正志先生もイタリアの大学における日本研究の最新状況や、イタリアで日本語を勉強した大学生の進路などに興味を示した。それに対して、Tisi先生は「イタリアの大学の日本語学科の卒業生には殆ど仕事が見つからない。なんのために日本語を勉強したのか、学生のモチベーションもインセンティブも低下しつつある厳しい状況かも」と即答し、会場一同を驚かせた。その延長として、日本と中国のアカデミックな学術研究現場における漫画・アニメ研究について、宮本先生と孫建軍先生にもそれぞれ簡単に紹介していただいた。限られた時間であったが、熱意のこもったムードに包まれながら、濃密な意見交換が行われる中、フォーラムも順調に終盤を迎えた。 SGRAが初めて台湾で開催したフォーラムは、こうした議論を通して、グローバルに研究領域を広げた国際日本学研究の土台を固めるだけでなく、まだ学問として成り立っていない日本のサブカルチャーの受容研究においても、多角的な視野を提供できたと願うが、次回からは、閉会式で今西淳子SGRA代表も指摘していたように、「もっと学際的な分野にチャレンジして議論の場を広めたい」という目標を目指し、日台アジア未来フォーラムの新たな展開に向けて活動を続けていきたい。 振り返ってみると、一年間以上も費やして辿りついた長い道のりであったが、国際交流基金・中鹿営造・台湾日本人会より温かいご支援をいただいた上、台湾SGRAメンバーからも心強いご協力を、そして何よりも、徐興慶先生・林立萍先生の率いる台湾大学日本語学科の素晴らしいスタッフ陣の労を惜しまないご奉仕をいただいたお蔭で、フォーラムが成功裏に終わった。この紙面を借りて報告すると共に、改めて心より深くお礼を申しあげたい。 *第1回日台アジア未来フォーラム報告(その1)と当日の写真 --------------------------------- <張 桂娥(チョウ・ケイガ)☆ Chang Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本近現代文学、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科助理教授。授業と研究の傍ら日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。 --------------------------------- 2011年7月20日配信
  • 2011.07.13

    張 桂娥「第1回日台アジア未来フォーラム報告(その1)」

    2011年5月27日(金)、台湾台北市の台湾大学で、「国際日本学研究の最前線(フロンティア)に向けて:流行(トレンド)・ことば・物語(ストーリー)の力」をテーマに第1回日台アジア未来フォーラムが開催された。 日本文化の受容者が年々増える台湾をはじめ、漢字を共有する長い文化交流の歴史を持つ北東アジア各国には、日本語教育と日本研究に長い歴史があり、研究者も多く、研究レベルも高いですが、近年、世界に浸透した「日本の漫画・アニメ」に代表される大衆文化の分野にかかわる研究動向が特に注目されるようになった。 アジアの政治経済情勢に激しい地殻変動が起こりつつある現在、海外における日本学とは何なのか、海外の若者たちを日本へ引きつけるものを研究できる学問とは何なのか、そして、台湾・香港で哈日族を誕生させたポップ・カルチャー、あるいは欧米諸国の若者を魅了するクール・ジャパンなど、現代日本のソフトパワーに関する研究は、どのように伝統ある日本文化研究の中に位置づけられるのか、また、そのような現代的な文化現象の研究と、伝統文化の研究はどのように融合できるのか、これらの課題を究明することが、第1回日台アジア未来フォーラムの目的だった。 今回は、<トレンド・ことば・ストーリー>の力に着眼し、台湾、日本、中国、韓国、米国、イタリアから中堅・若手の日本文化研究者を迎え、従来の正統的な日本学――日本語研究(ことば)や文芸作品研究(ストーリー)――をめぐる斬新な方法論の実践状況を視野に入れながら、哈日族に代表されるような新たに注目される流行文化に焦点を当てて、21世紀にふさわしい国際日本学研究のフロンティアにむけて、特色ある議論が展開された。 本フォーラムは、SGRAが初めて台湾で行う事業として、台湾のSGRA会員によって提案され、台湾のアカデミック研究の重鎮である台湾大学日本語学科のご協力を得て進めたものであったが、中鹿営造(股)有限公司(鹿島・台湾現地法人)より心強いご支援をいただいた上、今年度より初めて台湾関連の事業を助成対象に入れた国際交流基金からも、歴史的にも有意義で貴重な助成金を受給したという、記念すべき日台知的交流国際会議でもあった。特に、3月11日に東日本大震災が起こり、日本は地震・津波・原発事故・風評被害という重層的な困難の真最中にあり、日本全体が未曾有の難局に置かれている状況を考えると、こうして国際的産官学連携の交流事業が世界一日本を好きな国といわれる台湾で実現できたのは、本当に感無量だった。 皆様のおかげで盛会裡に終わったフォーラム当日の盛況ぶりを振り返りながら、二本の基調講演及び三つのパネルに分かれた研究発表の内容を簡単に紹介したい。 フォーラム当日は、台風2号の接近中にもかかわらず、開催者側の心配をよそに、朝早くから気温30度を軽く超えた真夏の炎天下だった。普通の学会では想像できない午前8時半の受付開始早々、参加者が続々入場し、開幕式も予定通り8時45分から始まった。 まず、フォーラムのためにはるばる日本から来場された渥美国際交流財団理事長の渥美伊都子様から、フォーラム開催への祝辞をいただいた。渥美理事長は、台湾の皆様から日本へ寄せられた高額義捐金へのお礼を伝え、「これから始まる日台アジア未来フォーラムが、このように深い日本と台湾の絆をさらに深める一助となることを願う」と述べられた。続いて台湾日本研究学会理事長の何瑞藤様、台湾大学日本語学科教授兼文学部副部長の陳明姿様、名義協賛の形で応援してくださった台湾日本人会・日台交流部会代表の広瀬俊様の3名のご来賓より、SGRAや本フォーラムに対する期待を込めたご挨拶を頂いた。 最初の基調講演には、漫画アニメ研究で活躍中の明治大学国際日本学部の宮本大人准教授をお招きした。「偽物の倫理:「鉄腕アトム」をめぐって」を題に、「鉄腕アトム」という人気マンガが、テレビ・アニメというメディアにコピーされ、アトムが国民的アイコンにまで成長していく中で、オリジナルとしてのマンガ作品に対してどのような欠損と過剰が生じたか、さらにアニメーションという表現形式の「本来の」あり方に対して、その「偽物」としての日本のテレビ・アニメが、どのような欠損と過剰を抱えて行くことになったか、実際の映像を見せながら、わかりやすく説明してくださった。 そして、最後に、「我々には、手塚の仕事の中に、このような本物と偽物の関係のドラマを、偽物が選びうる倫理の形を、見出すことができる。そしてそれは、日本、あるいはアジアの文化と、近代化のモデルとされてきた西洋の文化の関係性の歴史と類比的なものとして、読み解くこともできる。そのような読解が、国際的な観点からの日本研究という枠組みの中で可能である」という結論を提示された。台湾の大学の日本語学科では、いまだにポップ・カルチャーを日本文化の研究対象として認めない傾向が強いので、アニメを対象とした研究成果を台湾の大学関係者にご紹介いただいたことによって、その抵抗感を少し緩和できたのではないかと期待される。 二番目の基調講演では、台湾大学で教鞭をとられている太田登教授が、伝統的な日本研究と現代的な大衆文化を融合させた新しい方法を紹介された。太田教授は、<かもめ>をキーワードに、中国・唐の詩人杜甫の詩・万葉集をはじめとする日本の古典和歌・若山牧水の短歌や室生犀星の抒情詩、そして渡辺真知子や中島みゆきなどの女性シンガ-ソングライタ―の作品を情熱のこもった少年のように、顔を赤らめながら吟遊詩人風に紹介してくださった。 爆笑の渦に巻き込まれた聴衆たちの熱い視線を浴びながら、太田教授はさらに、これらの作品に重要なモチ-フとして登場している<かもめ>という存在を、伝統的文化から現代的文化にいたる詩歌の水脈をつらぬく文学的素材としてとらえた上、世界中の詩人たちや作詞家たちにうたいつづけられてきた<かもめ>の文学的意味について、表現論という視点からユニークな論点を展開し、その奥深い意味を紐解いてくださった。若者に敬遠されがちな古典と世界を風靡したJ-Popを融合し、新たな流行(トレンド)を生み出し、台湾若手研究者の国際日本学研究に新風を吹き込む時代の到来と幕開けが示唆されるようで、夢のようなひと時だった。 基調講演終了後、参加者たちは中庭に面した回廊に移動し、ティータイムを楽しむことになったが、びっくりしたことに、朝の眩しい太陽はいつの間にか消えて、真っ暗な空から、大型台風を予感させる激しい暴風雨が容赦なく中庭の植栽を吹きすさんでいた。それでも、来場者たちは気にもせず、台湾大学側が用意してくださった豪華な茶菓子を味わいながら、講演者や発表者を囲んでしばし歓談した。 10時40分から12時40分までたっぷり2時間も設けられた第一パネル「トレンドの力:マンガ・アニメとクール・ジャパン」では、アメリカ、韓国、台湾の研究者が日本のポップ・カルチャー研究状況を報告した。Matthew McKelway氏(米国、コロンビア大学美術史学部准教授)は、「若冲現象:現代日本美術の復古」を題に、写真や映像を通して、欧米諸国の人々も魅了した伊藤若冲の芸術性を分析した上、死後2世紀たって若沖の作品を改めて評価した現代の画家、美術館の学芸員、そして宣伝、テレビや大衆誌などのメデイアが果した役割を考察した。そして、こうした若冲現象を現代日本美術の復古ととらえ、世界各国の人々の感性に強く訴えかける日本美術の力をわかりやすく解明した。 金孝眞女史(韓国、ソウル大学日本研究所HK研究教授)は、「「オタク」から「五徳厚(オドック)」へ:韓国社会における日本オタク文化の受容をめぐって」を題に、韓国における日本大衆文化の受容を振り返った上、世代の変化や韓国におけるオタク文化の受容を考察し、2000年代後半にオタク文化のある作品――国家擬人化漫画『ヘタリア』――をめぐって沸き起こった国際的な論争の問題点を追究した。そして、結論として、「今までのどの時代より、韓国と日本の両国における文化コンテンツや人々の越境が活発に行われている現状の結果であるということは紛れのない事実」と述べた。 つづいて、游珮芸女史(台湾、台東大学大学院児童文学研究科副教授)は、「宮崎駿のアニメにおける妖怪たち:日本伝統文化の化け方」について、『となりのトトロ』のトトロ、猫バスとススワタリ、『もののけ姫』のコダマ、『千と千尋の神隠し』のカオナシなど、いわゆる日本伝統のアニミズムから派生した妖怪たちが、宮崎駿によってキャラクター化されたことを検証した。さらに、それらによって表象された日本伝統の世界観とグローバルな流行文化との接点を探った。 最後の発表者である陳仲偉教授(台湾、逢甲大学教養センター非常勤助理教授)は、「グローバル化した世界における日本漫画・アニメ文化のローカリゼーションの実践:解釈学<融合された視覚域>の視点から」というテーマで、<漫画>という一般大衆に広く愛されたメディアが異文化間交流や対話の橋渡しとして果たす力量を検証した。さらに、こうした試みによって、漫画の世界を支える<創作活動>と<読書行為と消費活動>の両極のはざまに架ける<需要と供給>の新たなバランス関係が再構築できるだけでなく、グローバル化した世界における漫画文化のローカリゼーションが各地域社会の日常生活と交互に交流する必要性も見出せるのではないかと主張した。 4人の発表が終わったあとは、質疑応答やフロアとの意見交換の時間だったが、聴衆席からの質問がなかったため、座長の蔡增家氏(台湾、政治大学国際関係研究センター研究員兼第二研究所所長)は、それぞれの発表について短いコメントをした後、最後の発表者に質問を投げかけて、それを受け答える形でパネル(1)を終了させた。(つづく) 当日の写真は下記よりご覧ください。 黄撮影 石井撮影 ------------------------- <張 桂娥(チョウ・ケイガ)☆ Chang Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本近現代文学、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科助理教授。授業と研究の傍ら日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。 ------------------------- 2011年7月13日配信