SGRAかわらばん

  • エッセイ275:羅 仁淑「延坪島砲撃事件に際して韓半島を憂える」

    延坪島は韓国戦争休戦1ヵ月後に引いた海上の境界線(NLL)によると韓国領であり、1999年に北朝鮮が引いた海上軍事境界線によると北朝鮮領である敏感な地域である。本年11月23日、その延坪島近海で朝鮮人民軍と韓国軍による砲撃戦があり、韓国の軍人と民間人を合わせて4人が亡くなり、19人が重軽傷を負う大惨事があった。心が痛い。さらに「これで終わり」というより、「これが始まり」という気がしてならないのは私だけだろうか。 北朝鮮の奇襲だとか、北朝鮮の蛮行だとかという意見もあるが、北朝鮮による奇襲という主張は疑わしい。韓国は「対北軍事演習」として11月22日(事件の前日)から30日までの予定で、「2010護国」と題した陸海空軍による全国的規模の軍事演習を実施していた。「護国訓練はわが国に対する攻撃だ。領海に砲射撃をした時は座視しない」という北朝鮮の電話通知文での停止要請を無視して続行していたので起こったという意見もある。しかし、筆者には何が事実なのかなど関心の外だ。韓国人に被害者が出たこと、韓国軍の80発の応戦砲撃で全く同じ私の同胞である北朝鮮にも被害が出たことだけに全神経が集まる。 ところで、この事件の背景は何であろうか?二度とこのようなことは起こらないであろうか?今年3月26日に起こった韓国海軍哨戒艦「天安」の爆沈事件や、9月7日に 中国や台湾との領有権問題がある沖縄県・尖閣諸島で起きた中国漁船と日本の海上保安庁の巡視船が衝突した事件、そして11月1日に日本との係争地である北方四島領土にソ連時代を含め最高指導者としては初めてのメドベージェフロシア大統領の訪問とは無関係であろうか? 1945年8月15日、第二次世界大戦終結後、世界はソ連を中心とする社会主義陣営とアメリカを中心とする資本主義陣営に二分され、冷戦時代に突入した。冷戦の間、アメリカとソ連の代わりに、両国につながりの深い国が戦い、それらの国をアメリカとソ連が支援するといういわゆる代理戦争が色々な国で起こり、多くの尊い命が失われた。その代表例が韓国戦争である。 韓国は第二次世界大戦終結により日本からの独立を果たしたが、不幸にして韓半島の南にはアメリカが支援する大韓民国(韓国)が、北にはソ連が支援する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が誕生し、韓半島は分断されてしまった。そして、1950年にはソ連の支援を受けた北朝鮮軍の奇襲攻撃により韓国戦争が勃発した。最初、不意をつかれた韓国は壊滅的な打撃を受けたが、アメリカ軍の救援により盛り返した。と思ったら今度は中国が大軍を派遣し北朝鮮軍を助ける・・・という北朝鮮と韓国だけでなくアメリカや中国が絡んだ大戦争は3年間も続いた。韓半島は血の海と化した。それが代理戦争の結果であり、骨肉争いの結果であった。 1985年、ソ連の最高指導者になったゴルバチョフの「新思考外交」の結果、1989年には東ヨーロッパの社会主義諸国が社会主義を放棄し、1991年12月にはソ連が崩壊し12の国に分かれた。これで冷戦時代が終わった。冷戦終結はアメリカとソ連の二極化時代の終焉を意味するとともにアメリカ(=資本主義)の勝利を意味する。敵のいなくなった世界はアメリカによる一極支配時代になった。イラク戦争のようにアメリカの利益のための戦争が正義としてまかり通るなど一極化=平和とは言えないものの、概して世界は平和であった。 しかし、昨今中国やロシアの成長とアメリカや日本の弱体化により、両極の勢力が近づき、再び二つのリーダが登場しつつある。そう考えると、韓国海軍哨戒艦「天安」の爆沈事件、延坪島砲撃事件、尖閣諸島事件、ロシア大統領の北方四島訪問など一連の事件は独立した問題でなく、中国とアメリカの覇権争いの始まりの兆候のような気がする。この理解が正しいのであれば、これから類似事件が親米国家で起こる可能性が見えてくる。 延坪島砲撃事件後、韓国は真っ先にアメリカの大統領に電話をした。11月28日から4日間、米韓合同軍事演習を行い、そして同月6日より8日間、北方境界線近くをふくめ全国29箇所で海上射撃訓練をおこなった。 米軍も北朝鮮による弾道ミサイル発射に備えて11月28日午前、沖縄・嘉手納基地から偵察機RC-135Sを発進させ警戒に当たったが、3日目の30日には事実上の海上封鎖など大量破壊兵器拡散防止構想に基づく訓練も実施した。この訓練につき北朝鮮のみならず中国も批判的意見を述べていた。そして、12月3日から8日間、日本各地の基地と周辺空海域で日米共同統合演習を行い、合わせて日米共同統合指揮所演習(キーンエッジ2010)を行った。キーンエッジ2010は1年前から計画され、今回の砲撃とは無関係に実施が決まっていたものだが、前記の米韓合同軍事演習に参加した空母ジョージ・ワシントンが加わる過去最大規模のものであった。さらに初めて韓国軍がオブザーバーとして参加したことも注目に値する。この演習は日米韓の結束をアピールし北朝鮮と中国を牽制する狙いがあるとみられている。6日午前、能登半島沖での演習中にロシアの哨戒機2機が飛来したため、一時的にこの空域での訓練を見合わせるということもあった。 韓国では11月26日、全国民主労働組合総連盟など28の民主団体の連名で、「航空母艦を動員した西海での韓米合同軍事演習を直ちに中止せよ」との声明を発表し、韓半島に戦争を呼び込むものだという憂慮を表明した。 巨大国の論理どおり生きていかなければならないのが、弱小国(韓国)の宿命であると投げ出さずに、ソ連と米国の代理戦争の痛い経験を活かし、中国と米国の覇権争いに巻き込まれないよう気をつけるべきだと思う。黒白を明らかにしようとすれば憎しみが生まれ、憎しみは喧嘩を生む。同じ民族ではないか。愛情と理解と抱擁の気持ちで話し合いをして通じないことがあるだろうか。こんな時こそ勇気を出して外勢の流入を阻止し、南北が手を握り、同じテーブルで額を合わせて難局を乗り越える知恵を絞るよう切に願いたい。 ------------------------------------ <羅 仁淑(ら・いんすく)☆La Insook> 博士(経済学)。専門分野は社会保障・社会政策・社会福祉。SGRA会員。 ------------------------------------ 2010年12月22日配信
  • エッセイ274:ボルジギン・フスレ「ウランバートル・レポート2010年秋」

    9月1-2日にウランバートルでおこなわれた国際シンポジウム「第二次世界大戦のアジアでの終結、結果と教訓」に参加した後、私は、L. ハイサンダイ所長、D. シュルフー副所長をはじめとする、モンゴル科学アカデミー国際研究所のみなさんと一緒に、関口グローバル研究会(SGRA)と同研究所が共催する国際シンポジウムの開会にむけて、最後の準備に入った。2008年6月、2009年7月の国際会議につづき、今回は、SGRAのモンゴル・プロジェクトとして、3回目の日モ共催の国際会議となる。 要旨集の編集・印刷、ポスターのデザイン、会議用の文房具の購入、懇親会場の予約などを終えて、9月7日の午後、シュルフー所長と一緒に、モンゴル国営テレビ局MNBにて取材に応じた。取材があることを直前に知らされたので、テレビ局に着いた時に少し緊張した。スタジオは、カメラが3台同時に稼動していたが、目の前に撮影のカメラマンが居るわけでなく、ディレクターが別室でコントロールしていたため、わりにリラックスした雰囲気だった。今回の会議の目的、意義、参加者の発表内容、国際研究所の諸外国の学術機関・団体との学術交流、SGRAの事業などについて紹介した。同局の翌朝の番組で、15分ほど報道された。 9月8日午前、モンゴル・日本人材開発センターにて、同センター長森川秀夫氏に挨拶した。そして、私は、同センターのKh. ガルマーバザル総括主任、及び実行委員会のメンバーで、国際研究所の職員、教育大学の教員と一緒に、会場、同時通訳設備のセッティングなどを確認した。今年5月に、私はウランバートルで資料調査をした際、森川センター長、ガルマーバザル総括主任とも会談をおこなったことがあり、今回のシンポジウムの開催にあたって、両氏にたいへんお世話になったので、ここで感謝の意を表したい。 その後、大学時代からの友人で、永暉グループ(Winsway)のモンゴル支社の社長ゾーナサン氏に招待され、スフバータル広場となりに新しくオープンした日本料理店で昼食をした。内モンゴル愛徳弁護士事務所ウランバートル事務室長のナラーン・オラーン氏、内モンゴル貿易会社の駐在員C氏、日系投資企業Adamas Miningのウランバートル駐在員何(He)氏らも一緒だった。永暉グループは、モンゴル国の鉱山開発に投資している中国の大手企業の一つであり、中国の北方地域では、「煤老大(mei lao da)」(石炭の兄貴)と呼ばれており、本年10月に、香港の証券取引所で上場している。ゾーナサン氏は北京大学で地球物理学を専攻していたが、のちに法律に転向し、内モンゴル大学法学院長補佐となり、3年前に大学の職務を辞めて、永暉グループモンゴル支社の社長となった。何氏も北京大学出身の先輩で、20数年前に日本に留学し、日本の企業に就職し、日本の国籍を取得した。ナラーン・オラーン氏は北京の中国政法大学の出身で、大学時代の友達である。大学卒業後、互いに仕事が忙しく、ほとんど会うチャンスがなかったが、ウランバートルで再会できるとは思いも寄らなかった。近年、モンゴル国の鉱山開発などに投資している中国からの企業が大幅に増え、トラブルもしばしば起きているため、ウランバートルには、中国の弁護士事務所が何軒もある。大学時代の懐かしい思い出、最近モンゴルでおこなったいくつかの鉱山の入札などが、昼食時の話題だった。 午後4時すぎ、空港にて、今西淳子SGRA代表、一橋大学名誉教授田中克彦先生、東京大学の村田雄二郎教授、名古屋大学嶋田義仁教授、静岡大学楊海英教授、岩波書店馬場公彦さん、千葉大学児玉香菜子准教授、高橋甫さん、中村まり子さんなど日本からの参加者を迎えた。空港から車でホテルに行く途中、新たに建てられた日本人向けの高層マンションなどが紹介され、今西さんが「去年と比べ、高層建築がこんなに増えたのはびっくりした。モンゴルは本当に変化している」と感想を述べた。大変動を迎えている資源大国モンゴル国の変化は、さまざまな面に反映されている。実は、私が9月1日にウランバートルに到着したとき、予定より遅れたために予約したホテルがキャンセルされてしまった。急遽、その周辺の外国人むけの三つのホテルを回ったが、いずれも満室だった。最後は、巣窟――なじみの青年ホテルに行って、やっと宿泊できた。 国際研究所とSGRAの招待で、となりのホテルで夕食をした。その際、高橋さんは、人々に知られていない元横綱朝青龍のいくつかの感動的な話を紹介し、モンゴルに来た感想を述べた。この日の深夜、ソウル経由の望月誠さんと内モンゴル師範大学のタナーさんも予定通りにウランバートルに着いた。 9月9日午前、シンポジウムに参加する海外からの研究者は、ガンダン寺、モンゴル国立中央博物館を見学した。 午後、第3回ウランバートル国際シンポジウム「日本・モンゴルの過去と現在――20世紀を中心に」の開会式が、モンゴル・日本人材開発センターの多目的室でおこなわれた。シンポジウムはモンゴル科学アカデミー国際研究所、関口グローバル研究会(SGRA)、モンゴル教育大学歴史・社会科学研究院の共催、在モンゴル日本大使館、モンゴル・日本人材開発センター、イフ・ザサグ大学国際関係学院、モンゴル国立テレビ局の後援、国際交流基金、渥美国際交流奨学財団、双日国際交流財団、守屋留学生交流協会の助成であった。 開会式では、モンゴル科学アカデミー総裁B. エンフトゥブシン氏、在モンゴル日本大使城所卓雄氏、モンゴル教育大学長B. ジャダムバ氏、関口グローバル研究会代表今西淳子氏、在日本モンゴル大使R. ジグジッド氏が挨拶と祝辞を述べた。その後、モンゴル科学アカデミー国際研究所長L. ハイサンダイ教授、一橋大学田中克彦名誉教授、ロシア連邦科学アカデミー東洋学研究所モンゴル研究室主任グライヴォロンスキー教授、東京大学村田雄二郎教授、モンゴル教育大学大学院長ナランツェツェグ教授が基調報告をおこなった。夕方、ウランバートルホテルで国際研究所と教育大学共同で歓迎宴会がおこなわれた。イフ・ザサグ大学の学生が、モンゴルの伝統的な歌と舞踊、馬頭琴の演奏を披露した。 9月10日午前の会議は、東京外国語大学二木博史教授、モンゴル国立大学のドイツからの交換教授バルクマン氏が座長をつとめ、午後の会議は、東京外国語大学岡田和行教授、モンゴル科学アカデミー国際研究所副所長シュルフー教授が座長をつとめた。 夕方、SGRAの招待で、バンヤンゴルホテルで招待宴会をおこない、在モンゴル日本大使城所卓雄氏、参事官藁谷栄氏、書記官青山大輔氏が参加した。今西さんが司会をつとめ、城所大使、モンゴル教育大学長ジャダムバ氏、国際研究所長ハイサンダイ氏等が挨拶した。モンゴル教育大学の学生が歌を披露すると、「外国からきた研究者の歌も聞きたい」という要望があった。すると、田中先生が歌い始め、村田先生、嶋田先生、馬場さん達も加わって日本の歌を歌った。さらに、田中先生、高橋さん、バルクマンさん達はワルツも披露し、宴会は大変に盛り上がった。 もともと、日本・モンゴル関係をテーマとする今年のシンポジウムは、予算等の理由で小規模なものを予定していたが、準備を進めるうちに参加希望者が多くなった。会場には90人の席を用意したのだが、来場者は予定を超え、急遽、50余りの席を増やした。結局、2日間の会議に、モンゴル、日本、ドイツ、ロシア、中国、イギリスなどの国の研究者約150人が参加し、22本の論文発表があった。シンポジウムの発表詳細については、別稿に譲りたい。 9月11日は、秋空高くさわやかな天気で、会議の参加者は、ウランバートルから百キロ余り離れている中央県の「モンゴリーン・ノーツ・トブチョー」リゾートを訪れた。途中、ある大きなオボーを通った際、皆、車から降りて、オボーを祭った。「モンゴリーン・ノーツ・トブチョー」リゾートで、海外からの参加者は、遊牧民のゲル(テント)に案内された。その後、今西さんが馬に乗って草原を走った。田中先生、村田先生、馬場さん、中村さんたちも馬に乗った。「馬に乗った気持ちはどうでしたか?」と、ハイサンダイ所長が聞くと、田中先生は、「僕は馬が大好きだけど、馬は僕のことがすきではないから、しょうがないんだ」とモンゴル語で巧妙に答え、みな大笑いだった。40分ほどの騎馬体験の後、ゲル式のレストランに戻って、宴会をおこなった。モンゴルの伝統的料理ホルホグを賞味しながら、会議に参加した感想、モンゴルの鉱山開発、環境問題、相撲など、さまざまなことについて話した。3時すぎてから、当日北京経由でフフホトに行く今西さん、高橋さん、中村さんが空港にむかったが、宴会はしばらく続いた。 9月12-13日、田中先生、村田先生、馬場さん、楊海英さん、タナーさん、シュルフー所長と私は、私費で、ボグド・ハーン宮殿博物館、ダンムバダルジャ寺、日本人死亡者慰霊碑、モンゴル粛清者記念館、チョイジン・ラマ寺、テレルジのチンギス・ハーン記念リゾート、ツォンジン=ボルドグのチンギス・ハーン騎馬像(13世紀の金のむちの総合施設)、ウランバートル郊外の観光地などを見学した。 13日の午後、別のプロジェクトで、私は田中先生と一緒に、Eznis社の飛行機でチョイバルサンに飛んだ。そして、14日から20日まで、モンゴル国防科学研究所の協力を得て、車で、全長2000キロの大旅行をし、ノモンハンの戦場、ボイル湖、ドルノド県にある8世紀の佛塔、ヘンテイ県のモンゴル帝国時代の遺跡、及びオンドルハンにある林彪が乗ったトライデント飛行機が墜落した現場で調査をおこなった。 *モンゴルの写真は下記よりご覧いただけます。 中村撮影 フスレ撮影 -------------------------------------- <ボルジギン・フスレ☆ BORJIGIN Husel> 昭和女子大学非常勤講師。中国・内モンゴル自治区出身。北京大学哲学部卒。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程修士。2006年同研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学・日本学術振興会外国人特別研究員を経て現職。共編『北東アジアの新しい秩序を探る』(風響社、2009年)、『ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年――2009年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(風響社、2010年)他。 -------------------------------------- 2010年12月15日配信
  • エッセイ273:葉 文昌「アジア留学生受け入れについて」

    皆さんこんにちは。 アジアの学生の受け入れについて私の考えを述べたいです。 最近のテレビでは幕末から明治維新までの歴史を描くドラマが流行のようです。おそらくそれは日本国内が、それぞれの藩に分かれていたものが外圧によって一つとなって、そして近代化に成功して日露戦争に勝利するまでの、このスケールではこれまでになかった痛快な歴史であったからだと思います。 明治維新で廃藩置県が起こり、各地の人材が中央や企業に結集し、十分なマンパワーの基盤の上で、今日に至るまで日本は競争力を維持してきました。もし九州、中国、近畿、関東、東北がそれぞれ別の国だったら、日本は今の日本にはなっていなかったのではないかと思います。 それらは遠い昔のことのようですが、スケールを更に大きくして今の世界を見ると同じことが起きていると私は思います。すでにEUは地域全体が国の体を成して、その中に藩がある江戸時代の状況に似ています。EUの廃藩置県が遠くない将来に起こるかと思います。これらの結果、世界競争の中で人材の高度化が求められる企業で、人材はより結集しやすくなってきています。 アメリカは、移民国家の体質を生かして世界の優秀な人材に門戸を開き、人材を吸い上げています。20%の人間が80%の富を作り出しているといいますが、アメリカは世界からその20%の中の更にトップの人材を掬い上げており、したがってアメリカの企業は人材の面でかなり優位になっています。テクノロジーを見るまでもなく、野球やサッカーを見ればわかります。人が集まる国のスポーツは面白く、吸い取られる側はつまらなくなっていきます。 一方でアジアはまだ戦国時代です。未だに隣家との垣根に育つ柿木の所有権で揉めています。アジアで最も進んでいる日本ではこの10年でやっと留学生受け入れ計画が受け入れられつつある状況になりました。それでもこの先、アジアの他地域の底上げと、人材の流動化を急いで行わなければ、人材を集める上でアジアの企業は不利になることが予想されます。 近隣諸国の中国、韓国や台湾が力をつければ日本にとって脅威になる、と考える方は少なくありません。技術の拡散を心配する方もいます。しかし地域の発展なくして一国の永続的な発展はありえません。また近隣諸国はライバルではあるが、それ以上にパートナーでもあります。周辺諸国が豊かになれば日本への消費は増えます。また技術に関して韓国、台湾のレベルが上がったことで、アジアでよい切磋琢磨の機会を作っています。だからもう少し広い目で見てもよい気がします。因みに技術流出は日本だけの問題ではありません。昔はアメリカから日本へ半導体技術が拡散したし、台湾でも中国への技術流出が今でも起きています。したがって技術拡散はやむを得ないことで、重要なのは従来の技術に拘るのではなく、技術は陳腐化するものと割り切って持続的に新しい事や物を創り出していくことだと思います。 したがって、人材の結集と近隣諸国の底上げの意味から、日本の大学が留学生を受け入れることについて私は賛成です。以前にどこかの私立大学が留学生を沢山とって問題になりましたが、それとは違います。それは商売の為の受け入れであったのに対して、私達はいい人材を育てるための受け入れです。そこでは国籍は関係なく、とにかくいい人材であればそれを受け入れて伸ばし、人材の消費者である企業に納入して満足いただければ大学の使命達成と言えます。 ここからは少し打算的な話になってしまいますが、国立大学は税金が投入されているから留学生はより多くの授業料を払うべきだ、と指摘する声があります。しかし今の留学生は仕送りで来る人も少なくありません。それで年間120万円の生活費が地元に消費される計算です。更に見方を変えれば、彼らが高校或いは大学を卒業するまでに母国は税金を費やしています。その彼らが日本企業にとって採用に値する人材に教育できたのであれば、日本の税金で賄った授業料は十分に取り返せたことになります。またたとえ彼らが帰国したとしても、彼らが母国の発展に寄与、又は日本と母国のパイプ役になれば、日本の税金で賄った授業料は価値あるものになります。 私は日本で博士号取得後に台湾に戻りました。台湾に戻った理由は台湾で初めての政権交替が実現し、国民が自分で国を動かせることに酔っていた部分もありますが、中国13億人と同じ言葉を持つ利点を利用して中国から優秀な人材を台湾に集めれば一大知識集約国家が実現できるとの考えもありました。しかし台湾でわかったことは、台湾の知識階級では、中国からの優秀な学生の受入れによって、台湾人の大学入学枠が減り、その結果税金で賄っている教育資源が中国本土の人に費やされると考えている人が圧倒的に多いということです。優秀な人が社会に創りだす価値は、彼らの給料よりも遥かに大きいことを理解していません。それに気づくのはまだまだ先のようです。そして人が集まらない場所は、先が見えてしまいます。 冒頭で述べたように明治維新では廃藩置県によって人材を中央に結集することができました。それから100年して社会はエネルギー消費量増大に伴ってスケールが大きくなりました。今、スケールを大きくして昔と同じことが求められています。今後のアジア地域の発展には、人材を結集させることと相互理解を進める必要があります。そのためにも私は近隣諸国の学生を積極的に受け入れることに賛成であります。そしてそれが結果的にも少子化への対策にもなるのです。 ------------------------- <葉 文昌(よう・ぶんしょう) ☆ Yeh Wenchuang> SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。台湾での9年間では研究室を独自運営して薄膜トランジスタやシリコン太陽電池が作れる環境を整えた。2010年4月より島根大学電子制御システム工学科准教授。 ------------------------- 2010年12月8日配信
  • エッセイ272:マックス・マキト「社会システムの多様性を守ろう:マニラ・レポートinハノイ2010年秋」

    ベトナム航空の機内では、発表用PPT資料の準備で必死だった。2010年10月28(木)日と29日(金)に、ハノイでIndustrial Agglomeration, Regional Integration and Durable Growth in East Asia(東アジアにおける産業集積、地域統合、耐久性のある成長)というテーマで、ハノイ貿易大学(FTU)と名古屋大学が共催した国際学会に参加させていただいた。この学会は「平川プロジェクト又は構想」と呼ばれるようになった、SGRA顧問の平川均教授の科研プロジェクトである。このプロジェクトの最後、そしてFTUと名大の提携を祝うイベントとして、今回の学会を開催することになった。 僕は平川先生と共著の論文を発表するのがその学会での唯一の役割だと思っていた。その論文は東アジアの経済的重心についての論文である。「East Asian Integration and Shared Growth: Some Preliminary Findings of a Center of Buoyancy Approach(東アジア統合と共有型生長:浮心アプローチからのいくつかの予備的発見)」というタイトルで、東アジアにおける経済活動の集積がいかに地域の不安定にも繋がるかを分析した。パラレルセッションにも関わらず、僕としては初めて満員になった会場で発表し、しかも、発表後にFTUの学生たちが積極的にレベルの高い質問・コメントをしてくれて、大変感動した。 しかし、学会の第1日目の夜に、SGRA会員でFTU出身のチーさんと会う日程を詰めていたときに、プログラムを良く見たら、翌日の最後のセッションで、僕は他の二人の先生たちと問題提起する役になっていることに初めて気づいた。確かに平川先生が、初日の朝食の時に、大先生たちの前で「最後のところで自由に発言してください」というようなことを言われていたが、冗談だと思ってあまり気にしていなかった。だが、先生は本気だった。緊急事態発生!最終日の朝、慌てて僕の話をPPTで整理した。その内容は大体下記のようになった。 今回の学会は大変めでたい。ハノイ貿易大学(FTU)50周年記念、ハノイ市1000年記念だけではなく、東アジアで開催中のいくつかの重要な国際会議とちょうど重なっている。その一つは、ちょうどハノイで開催されたASEANサミットやASEAN+3サミットである。この会議は政治や産業のリーダーたちを中心に開催され、その決議はきっと東アジアにおいて大きな影響を与えるだろう。 僕たちの学会はベトナムの名門大学=FTUと日本の一流大学=名古屋大学により開催されただけに、非政府や非営利分野にある私たちもASEANサミットに劣らない高い志を目指すべきだと思う。この数ヶ月間の準備やこの2日間の議論で生み出された知恵を生かして、東アジアにおける耐久性のある成長のための青写真を描き始めよう。 今、東アジアに開催されているもう一つ重要な会議は、名古屋で開かれた第10回締約国会議(Conference of Parties:COP10)であり、生物多様性がその最大のテーマである。「Changing Wealth of Nations」(変りつつある国の富)という今回の世界銀行の出版物では地球の生物多様性は44兆ドルの価値があると推定している。 今回のテーマである「東アジア地域における耐久性のある成長」は「東アジアにおける持続可能な制度的多様性(Institutional Diversity)」と解釈することを提案したい。(注:今回の学会のテーマ自体を環境問題に変えることを提案しているわけではない)東アジアは高い制度的多様性、つまり多様な社会システムを保っているが、グローバル化によりグローバル・スタンダード化の圧力がかかってきたゆえに、制度的多様性を失いかけている。 生物多様性と同様に、東アジアの制度的多様性は価値がある。 生物多様性と同様に、過剰な市場主義がついに制度的多様性を破壊している。 生物多様性の紛失と同様に、制度的多様性の紛失が経済的な損失を生み出す。(生物多様性の44兆ドルを軽く越えると思う) 生物多様性と同様に、制度的多様性を保つことが重要である。 では、生物多様性はどのように保てるのだろうか。その方法は沢山あるが、基本的原理は、適者生存(survival of the fittest)という、多様性に対して破壊的なダーウィンの進化論を差し止めることであろう。ある生物を消滅の危機から保護するために、人間の意図的な介入が必要である。これと同様に、社会システムの制度的多様性の紛失を阻止するために、破壊的な過剰市場主義を差し止めなければならない。(注:僕は共産主義者ではない。市場の競争原理がある程度必要だと思うが、それに協力原理も混じることが必要だと思う。) つまり、生物多様性の保存のために一所懸命に戦っている環境科学者たちに負けないように、僕ら社会科学者も制度的多様性のために戦わなければならない。 欧米社会とは異なる制度を築いて独自の成長を遂げた日本は、東アジア全域の成長にも重要な役割を果たした。結果の如何を問わず、経済大国日本はこの重要な役割を今でも果たしており、これからも果たしていくはずだ。しかしながら、現在の日本の問題は、戦略がなく、自分自身の独自性を忘れて、少し間違っている方向に走っていることだ。実は、この間違っている方向を修正するヴィジョンは日本にある。より正しい方向に軌道修正するために、敢えて参考にしたいのは、日本人が提唱した2つのヴィジョンである。僕は、これを「時のヴィジョン」と「場のヴィジョン」と呼んでいる。両方とも、1930年代に日本で生まれたヴィジョンで、平川先生の研究対象でもある。「時のヴィジョン」というのは、赤松要の「雁行形態発展論」(完全版)である。このヴィジョンによると、ひとつの地域の全体が良い国際分業を達成できるようになる。(注:30年間も経済地理学を研究している中国の先生と学会の後に話す機会があったが、北京大学でも雁行形態発展論を教えているということだった。)「場のヴィジョン」というのは、鹿島守之助の「パン・アジア構想」である。この構想は鹿島が汎ヨーロッパ主義の推進者である、日本の血が流れているクーデンホーフ・カレルギーと出会って浮上した構想である。(注:名大の先生方との議論を参考にすると、制度多様性を以上のヴィジョンに整理するための原理が必要である。東アジアが世界の成長軸となるためには、協力の原理も重要である。僕は「多様性のなかの調和」がSGRAのモットーであることを指摘した。) 残念ながら、この2つのヴィジョンは日本の軍事的侵略(大東亜共栄圏)を連想させてしまう。しかし、僕は、この2つのヴィジョンは依然として有効であると思う。ただし強制的に実施するのではなく、協力(平川先生の言葉で「共同設計」[CO-DESIGN])の上で進められるべきである。あの戦争により泥だらけになってしまった2つのヴィジョン、その本質にあるダイアモンドを僕たちが再発見しなければならないと思う。東アジアにおける耐久性のある成長のために。 2度目のハノイ訪問だったが、今回ベトナム貿易大学の学生たちや先生方と出会い、世界遺産まで訪問できて、ベトナムの神秘的な活気に益々圧倒された。 ※この機会をお借りして、次の方々に謝意を表したいと思います。 ハノイの美味しいCHACA料理(野菜+魚+ベトナム麺)をご馳走してくださったSGRA会員のチーさんと御嬢さんのマイさん。頭痛薬をくださったミャンマーのタンタンさんとその研究仲間の河合伸さん。素晴らしいハノイ学会に参加させてくださった平川均先生。 そして、学会に参加された以下の先生方(敬称略): 日本の先生方:Makoto Tawada, Ryuhei Okumura, Nobuyoshi Yamamori, Nobuki Sugita, Sadayuki Takii, Norio Tokumaru ベトナムの先生方:Nguyen Din Tho, Nguyen Thi Bich Ha 中国の先生方:Jici Wang, Shion Kojo, Yi Ding 韓国の先生方:Choi Yong Ho, Um Chang Ok, Seo Jeoung-Hae 台湾の先生方:Ching-Ju Liu -------------------------- <マックス・マキト ☆ Max Maquito> SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。 -------------------------- 2010年12月1日配信
  • エッセイ271:孟 子敏「アメリカ印象記(後編)」

    やり方は若干変りましたが、アメリカが土地を略奪するのはまだ続いています。それほど多くはありませんが、海外領土も持つようになりました。プエルトリコ自由連合州、直轄領有したミッドウェー諸島などです。 土地を略奪することに止まらず、奪う価値がある有形無形の財産をもアメリカは狙っています。   2003年3月20日、アメリカはイラクに侵攻しました。あの戦争の本当の目的は何だったのでしょうか。足を使って考えてみれば(中国語の表現で、頭を使わず、足を使うことを言い、きちんと自分で判断するという意味です)、すぐに分かるでしょう。イラクの石油の採掘可能埋蔵量は世界3位なのです。 アメリカはドルを利用して、世界のお金を略奪しています。中国は大量のアメリカ国債を保有しており、ドル安の関係で、2ヶ月間に、数百億のドルを失ってしまったという情報が、ある国債管理局の官吏の口から伝わってきました。日本もアメリカ国債の保有量が2番目ですから、その損失は一体どうなるのでしょう。もちろん、国債を買うのは中国や日本が責任をもって戦略的にしていることで、アメリカの責任は全くないという解釈もありますが、中国では、アメリカの圧力を受け、国債を買わねばならなかったと考えている人も多いです。 アメリカは他の国の頭脳を略奪して、独自の規範を考えさせないのです。もし誰かが、アメリカが作ったルールを守らなければ、すぐ教示したり、威嚇したりします。しかし、アメリカ自身は、すべてのルールを無視しても良いのです。   参考として私の言葉をここで提示したいと思います。「ルールを作った人や国は、最もルールを守らないものだ。」(これも名言ではないかと考えています。)この現象は、アメリカに限らず、私たちの身近にも見られます。 また、アメリカは他の国の人々の感情を略奪して、ひとつの民族を分裂・分断させてしまったりもします。そのような民族は、様々なトラブルに遭遇し困りぬいて、今でも苦しい状態に置かれているのです。 3.理知的な国 アメリカ式の理知とは、どのようなことでも、事前に必ず証拠を探します。証拠がなければ証拠を作っていくのもひとつの理知です。だからこそ、アメリカ政府は嘘を証拠として扱いアメリカ国民や各国の人々を騙して、度々成功してきています。 イラクへの侵略について、その時に作った理屈や証拠はイラクが大量破壊兵器を保有していることでした。アメリカ国民はそれを信じていました。しかし、皆さんご存知のように大量破壊兵器は一体どこにあったのでしょうか。あの時、我々は言葉を失い、世界は失語症になってしまいました。アメリカ自身がこの件が間違いであったことを認めたわけで、そのこと自体はアメリカの凄さだと私は思っています。然し、それは遅過ぎました。   トヨタ自動車のアメリカでの故障について、アメリカは証拠を見つけて、豊田さんを議会公聴会へ呼びつけて証言させました。この背景は、要するに次のようなことでしょう。アメリカ人が日本車を愛用するため、日本車がよく売れ、アメリカの自動車産業へ悪い影響を与えて深刻な衰退を引き起こしました。したがって、トヨタは叩かねばならないという構図です。しかし、この問題と自動車そのものとは、本質的な関係は無い筈です。どこかのメーカの自動車を非難したければ、証拠探しは比較的簡単にできるでしょう。なぜトヨタが標的にされたかというと、日本車がアメリカの自動車の半分を占めていて、その中で、トヨタが最も多いからなのでしょう。ちなみに、私が住んでいるマンションの駐車場には26台の車が停められています。ある日の私の調査によれば、トヨタが7台、ホンダが4台、ニッサンが2台、スバルが1台、マツダが1台でした。   これはやはり一種のビジネスの“戦争”だと思います。 4.結論 アメリカという国は、良い国でもあり、悪い国でもある。 アメリカという国は、天国でもあり、地獄でもある。 アメリカという国は、あなたの友人でもあり、敵人でもある。 アメリカという国は、アメリカ人にとって最も安全な国であり、世界各国の人にとっては最も危ない国になりかねない。 私は反米派でも、親米派でもありません。アメリカは偉い国ですが、中国で普段言われているほど特別に賛美する必要はないと思います。世界がアメリカをちゃんと分かるように、アメリカの弱点も明言しなければなりません。アメリカには、良いところもいっぱいありますが、理想的な国ではないと思います。日本にも、さまざまな問題がありますが、大きく言えば、理想的な国だと私は思います。   あー!うどん、寿司や刺身が食べたい、池内商店や夢中居に飲みに行きたいし(友人と一緒によく飲みに行くところでしたが、夢中居の主人は先月急逝され、二度と飲みに行けなくなってしまいました)、周平ラーメンを食べたいし、家族や友達とも会いたくて、日本へ帰国する日を待ち望んでいます。松山の自分の一軒家はもうすぐ落成します。新車も買います。こんどもやはりトヨタです。 5.余言 この一年間、Comcast.netを利用してインターネットにアクセスしていますが、数十回もトラブルが発生しました。このサービスについて、褒める言葉は探しにくいと思います。John's Auto Sales で中古車を買いましたが、アメリカ大陸を横断する途中でエンジンは完全に壊れてしまいました。一体どのようなサービスだろうかと疑問視せざるを得ません。 「アメリカは、いつまでもナンバーワンだ」という何の内容もないスローガンがオバマ大統領の大きな口から出てしまいましたが、反面、アメリカはナンバーワンを維持する自信が不十分なのではないかと思います。アメリカは軍事力以外にナンバーワンがないのではないでしょうか。 もうすぐ夏も終りますが、アメリカ、少なくともボストンには、蝉がいないことに気づきました。 ハーバード大学やアメリカの学界については、稿を改めることにしましょう。 ---------------------------------- <孟子敏(もう・しびん)☆ Meng Zimin> 山東大学(学士・修士)。北京言語学院準教授、北京語言文化大学学術委員会事務局長等を経、松山大学に外国人特別講師として赴任。筑波大学で博士号取得後、松山大学教授。専門は現代中国語。 ----------------------------------   2010年11月24日配信
  • エッセイ270:孟 子敏「アメリカ印象記(前編)」

    0.はじめに ハーバード大学での研修のため、2009年8月30日に渡米して、マサチューセッツ(Massachusetts)州の州都のボストン(Boston)に到着しましたが、間もなく一年になります。 ある日、友人とハーバード(Harvard)広場(狭い三角地である)の近くにあるベトナム料理の店で昼ご飯を食べていたとき、その友人が「アメリカについてどんな新鮮な印象がありますか。」と聞きました。ちょうどその前の数日間、私はその問題を考えていたのですが、「アメリカに来てから、最も大きな新鮮な印象は新鮮な印象がほとんどないことでしょう。」と答えました。何故ならば、目に入る様々なことは日本で暮らしてきた私にとってどれも極くごく普通だったからです。例えば、中国から来た客員研究員たちは、アメリカの空気や街がいかに綺麗かと口を極めて賛美するのですが、私にはアメリカの空気は日本とほとんど変わらないと感じますし、街の綺麗さに関しても、もちろん綺麗なところもあるし、素敵なところもありますが、街やバス、地下鉄の中には、吸い殻や新聞、コップなどが散らばっていますし、街を歩いていても汚い所をよく目にするのです。極端な例ですが、ニューヨークの地下鉄の駅では、ネズミが大活躍していたりもします。また、郊外にある町は静かで落ち着いていますが、都会では、バスやトラック、消防車、飛行機などが出す騒音が混じり合って、耳が痛くなるほどです。ニューヨークに行けば、騒音はもっともっと酷くなります。ニューヨークを形容するのに、私は「毎日911のようだ」とよく言います。私は勝手にこれは名言ではないかと考えています。 新鮮な印象がないことがもっとも印象的なのですが、それでもアメリカについては、幾つかの印象深い点があります。まだ完璧に纏めるのは難しいですが、とりあえず以下のように述べてみましょう。 1.アメリカの読書が好きな都市 1999年、私は日本の松山大学へ赴任しました。最初の半年ぐらいの頃ですが、バスや地下鉄、飛行機の中で、多くの人が本や新聞、漫画を読んでいることに気づきました。その時、世界広しと言えども、このような風景はあまり無いのではないかと思い、日本人が本を愛読することにつくづく感心しました。 去年、ボストンで初めてバスと地下鉄に乗った時、日本のような読書風景を再び目にしました。そこで、私がよく乗る77番バス(私のマンションからハーバード大学への直通バス)と赤ラインの地下鉄を対象として調査してみました。その結果によると、本や新聞を読んでいる人は乗客の約50%を占めました。漫画を読んでいる人がいたかどうかは分かりませんでした。因みに、オレンジラインの地下鉄では本などを読む人は少なくなるかもしれません。レストランで読書する人もいますが、地下鉄の中で読書する人の多さには遠く及ばないようです。 他の都市ではどうでしょうか。 ラスベガス(Las Vegas)で、バスに乗ってみましたが、本を読んでいる人を目にすることはありませんでした。 ニューヨークでは、バスに乗るチャンスがありませんでしたが、地下鉄には十数回乗りました。そこでは、新聞を読んでいる風景を2回だけ目にしました。 ワシントン(Washington D.C.)でも、バスに乗るチャンスは無かったのですが、地下鉄には8回乗り、旅行ガイドブックを読んでいる人を3回目撃しました。 マイアミ(Miami)では、バスに乗るチャンスはやはり無かったのですが、2時間の散策をしました。至るところで、水着を着ている男女が車やバイクを運転したり、買い物したり、散歩したり、レストランで食事したりする風景ばかりで、本を読んでいる人は目にしませんでした。 なぜボストンではバスや地下鉄で本を読む人が多いのでしょうか。その一つの理由は、文化や学術都市として名高いボストンに、ハーバードやマサチューセッツ工科大学(MIT)をはじめ、著名な大学や学院が多数存在することと関係するのでしょう。本と関係がある生活を送る学生や先生が沢山いるから、本を読む人が多くなるという当たり前すぎることかも知れません。ボストンは落ち着いた静かな都市で、学習や研究をしたければ、最適なところだと私は思います。 2.略奪することが好きな国 現在のアメリカ大陸は、本来ネイティブアメリカン(インディアン部族)に属する土地でした。1775年マサチューセッツのレキシントン(Lexington、私が住んでいるアーリントン(Arlington)の隣)で庶民達(Minuteman)が武装蜂起し、その翌年にアメリカは独立を宣言しました。その後の数十年で、アメリカ合衆国政府は土地を奪う残酷な争いを行ない、ネイティブアメリカンを徒歩でミシシッピ川以西の土地に強制的に移住させ、途中でたくさんの人(ある調査によると、約8000人)が死亡しました。入植した白人もネイティブアメリカンも涙を流し、その悲惨さを表現する言葉として「涙の道」(Trail of Tears)が生まれました。 その後も、アメリカはネイティブアメリカンを徹底的に排除し、アメリカの当時の勢力範囲外であった西部地域に強制的に移住させました。現在、ネイティブアメリカンは各地に散在するかたちで、極めて貧困な生活を送っています。因みに、ネイティブアメリカン(以下、インディアンと言う)の人口について、記録によると、クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus )が最初にアメリカに到達した時、約3000万人であったが、1920年には、約30万人に減少していた。現在、2003年のアメリカ国勢調査によると、アメリカ全体のインディアンの人口は2,786,652名で、その三分の一が、3つの州に居住している(カリフォルニア州413,382名、アリゾナ州294,137名、オクラホマ州279,559名)そうです。2010年のアメリカ国勢調査の結果はまだ公表されていません。州名について言えば、約半分の24州はインディアン語で、例えば、Kansas、Massachusetts、Mississippiです。これはアメリカがインディアンの土地を略奪した証拠と言えるでしょう。2009年、私はアメリカ大陸を横断中に、数箇所のネイティブアメリカンの部族を訪ねましたが、彼らの皮膚や顔は我々とほとんど違いがありませんでした。 土地を略奪したアメリカは、最初に13の州を置きましたが、その後、各地において侵略、割譲、買収などの手段が取られ、アメリカの国旗は13星から50星に変わりました。 国旗といえば、アメリカ、特に東部の所謂ニューイングランド地域では国旗を掲揚することに熱心で、公共的な場所だけでなく庶民の住宅でも、巨大な国旗から小さい国旗まで様々なサイズの国旗を様々な形で掲げています。去年、ボストンに着いたとき、この風景に本当に驚き、アメリカ人のそのような強い愛国心に感心しました。しかし、毎日このような風景を「鑑賞」していたら、だんだん言うに言われぬ圧迫感を感じるようになってしまいました。 そして、今年の7月、マイカーでフロリダ州に行く途中で、ものすごく大きな国旗を見た時に、アメリカが未だに星条旗を用いて略奪して得たこの土地の主権を示していることに突然気づいたのです。アメリカはひょっとしたら、ビクビクしているのかも知れません。(つづく) ---------------------------------- <孟子敏(もう・しびん)☆ Meng Zimin> 山東大学(学士・修士)。北京言語学院準教授、北京語言文化大学学術委員会事務局長等を経、松山大学に外国人特別講師として赴任。筑波大学で博士号取得後、松山大学教授。専門は現代中国語。 ---------------------------------- 2010年11月17日配信
  • エッセイ269:李 軍「同根異枝の日中漢字(その1)数字篇」

    自宅の近くにある新小岩香取神社の入り口に「厄祓・地鎮祭・初宮詣、その他祈願執行。電話:(3655)八九八〇」と書かれた看板が立てられており、電話番号の「八九八〇」に「ヤクバライ」というルビが付されている。その神社から3分ほど歩いたところにある八百健ストアーというお店の看板には電話番号「03-3680-8083」が書かれており、「8083」には「ヤオヤサン」というルビが付けられている。 日本語の数字には音読みや訓読みといった多様な読み方があるため、様々な読み方によって数字の羅列を文にしたり、また、場合によって「0(ゼロ)」をアルファベットの「O」に、「1(イチ)」をアルファベットの「I」に見立てたりすることができる。例えば、日本生命の「201021:ふれあいニッセイ」。このような語呂合わせは数字を覚えやすくするための工夫だけでなく、日本人の言葉に対する感覚を垣間見ることもできる。 今回は数字に対する日本と中国のイメージや語呂合わせを見てみよう。 ある日本人の先生から、中国人の先生に日中通訳を頼まれた時に、その謝礼として二万円を受け取ったが、もらった封筒の中に五千円札が四枚入っていてびっくりした、という話を聞いたことがある。日本人は「四」が「死」と同じ発音で、縁起が悪いということで、部屋番号や車のナンバーにはできるだけ使わないようにしている。しかし、中国では対を成すものを好み、結婚式などめでたいときに「家内安全、健康、幸福、発財(お金が儲かりますように)」といった四つの願いが込められ、必ずと言ってもいいほど「四喜丸子(四つの喜びの団子)」という料理が用意される。また、中国では二文字熟語や四字熟語が多く、「四季」「四方」「文房四宝(書斎に備える四つの宝物:筆・墨・紙・硯)」「五湖四海(全国各地)」といったように「四」が入っていることばも多い。「四」に対するマイナスなイメージはほとんど見られないようである。 しかし、紀元100年ごろ許慎によって著された『説文解字』には「四,陰数なり」と記されており、日本と同様に中国でも「四」を忌みはばかっていた。古代中国には、「音同義通(音が類似する漢字は意味が通じる)」という説があった。古音では、「四」は「死、私、絲」などの音に類似している。例えば、「絲」は、蚕が絹糸を吐いて繭を作り、中で脱皮して蛹となるが、羽化した蚕蛾(かいこが)が繭を破り外に出て、交尾、産卵したのち死ぬ、といった過程で生まれたものであるため、「死」に関連している。また、「私」に関しても、原始時代では、一人だけの利益を考える人は罰として死が与えられると言われている。 現代中国では、数字だけを見ると、「四」に対してマイナスなイメージをあまり感じないが、前後のことばと一緒に並べると、語呂合わせでとんでもないものになることがある。例えば、中国では「5月14日」や「514」というナンバーがたいへん嫌われている。それは「5(wu)」は「我(wo)」の発音に、「1(yao)」は「要(yao)」の発音に、「4(si)」は「死(si)」の発音に似ているため、「514=我要死(私は死にたい)」という意味になるからである。ちなみに中国では「5月18日」や「518」というナンバーは非常に人気が高くて、「518」は「我要発(私は儲かりそう)」に通じるからであろう。 また、結婚式に新郎新婦に渡すのし袋の中に、日本も中国も「四」を入れないようにしているそうである。(謝礼は別の話になるが…)日本では割れない数字のほうがよいと言われているが、中国では「二」は「成双成対(対になる)」、「五(wu)」は「福(fu)」で、「八(ba)」は「発(fa)(「発達、発財など」)に通じ、「九(jiu)」は「久(jiu)」と同音で、「天長地久(天地のようにとこしえに変わらない)」という意味を表し、「十」は「十全十美(完全無欠)」などの意味で縁起がよいと言われている。北京オリンピックの開会式が2008年8月8日午後8時8分に設定されたのも、縁起のよい数字が並ぶからであった。 中国では、「三(san)」は「散(san)」の発音に類似しているため、結婚式のようなめでたい時には使われないようだが、「三」は「三思」「三省」「再三」などの漢字熟語に見られるように、「たびたび、しばしば、数が多い」という意味を包含する数字でもある。「サントリー」の中国語名は「三得利sandeli」で、その発音が日本語に類似するだけでなく、「たくさんの利益を得ることができますように」という願いを込めて作られた名訳である。一方、日本では、1950年代以後普及した「三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)」、1960時代以後の「三ちゃん農業(日本が高度経済成長に入り、それまで農業を営んでいた働き盛りの男性の中には東京など街へ出稼ぎに出る者が増え、働き手を失った農村(農家)では残されたおじいちゃん、おばあちゃん、おかあちゃんが農業を行うことになる)」、そして、耐久消費財として登場した「3C(クーラー・カラーテレビ・カー)」、嫌われた職業「3K(危険、汚い、きつい)」、女性が結婚相手に求める条件「三高(高収入、高学歴、高身長)」など、「三」にまつわることばが実に多く存在している。ちなみに群馬県の名物としても「3K(空っ風、雷、かかあ天下)」と言われている。 日本では「三景:松島・天橋立・宮島」「三大名橋:眼鏡橋・錦帯橋・日本橋」「三大美人:秋田・京都・石川」というまとめ方が好まれるようだが、中国では「四大仏教名山:五台山・峨眉山・普陀山・九華山」「四大名著:『三国志演義』・『水滸伝』・『西遊記』・『紅楼夢』」「四大料理:魯菜(山東省)・川菜(四川省)・遼菜(遼寧省)・粤菜(広東省)」「四大美人:楊貴妃、王昭君、西施、貂蝉」といったように「四」でまとめる傾向が見られる。「四喜丸子」や「四」がつくことばから分かるように、中国では「四」の字音より「四」の字形の安定性を重視し、「四」ですべてを総括する認識が高いようである。ここまで読んでいただいたら、前述の中国の先生がわざわざ二万円を四枚に分けて謝礼として渡した理由も分かっていただけたであろう。これはたくさんの感謝の気持ちを込めた心遣いかもしれない。ちなみに中国では、お正月に目上や親族の家を訪ねる時にお酒や果物などだいたい四種類の品物を持っていくのが普通である。 最近、ある日本人の先生が高校生を対象として漢数字に関するアンケート調査を実施した。その中に「四」が好きな学生が何人かいて、その理由としては四つ葉のクローバーを見つけると幸せになるとか、野球の4番打者とか、F4(イケメンの漫画主人公4人)などが挙げられている。 中国においても日本においても、数字だけでなく、生きたことばはその時代、その社会、使用する人の感性や価値観などによってイメージが変わりつつある。 -------------------------------------- <李軍(リ ジュン)☆ Li Jun> 中国瀋陽市出身。瀋陽市同澤高等学校で日本語教師を務めた後、2003年に来日。福岡教育大学大学院教育学研究科より修士号を取得。現在早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程に在籍。主に日中漢字文化を生かした漢字指導法の開発に取り組んでいる。ビジュアル化が進んでいる今日、絵図を漢字教育に取り組む新たな試みを模索している。 -------------------------------------- 2010年11月
  • エッセイ268:林 泉忠「中国は尖閣紛争の勝者になったか(その2 )」

    まず、今回の尖閣問題の解決で得たものと失ったものを検証してみよう。今回の紛争が世界的に注目される国際ニュースとなった結果、尖閣諸島はその領有権をめぐる係争地で、必ずしも日本政府が建前で主張するように「領有権問題は存在しない」とは限らないことを世界中の人々に知らせた。これが中国の得たものであろう。 しかし、これを除けば、尖閣領有権を主張する面において、今回の事件は中国側に明らかな利益をもたらしたわけではない。日本を交渉のテーブルに戻らせて尖閣の帰属問題を協議するように迫ったわけでもないし、「尖閣防衛」の活動家が尖閣諸島に上陸、あるいは近づけたわけでもない。逆に中国政府は海に出て尖閣領有権を主張しようとする国民の行動を阻止しているのである。一方、日本側は、日本の海域への中国漁船の「侵入」をきっかけに、尖閣付近の海防をより重視するようになった。また、日本社会において尖閣への駐兵や視察を要求する声が増えた。 差し当たり行政上尖閣を管轄している沖縄は、もともと中国人に非常に友好的で、日本のなかで最も「親中」の県であると見なされている。しかし、今回の漁船衝突事件が起こった後、沖縄県議会・沖縄県町村議会議長会・石垣市議会などは、それぞれ中国への抗議意見書を採決した。沖縄を含め日本側の一連の言動は、今後中国が尖閣領有権を主張する際に不利になる。よって、今回の漁船衝突事件およびそれが引き起こした日中の外交戦は、結果的に中国を尖閣に近づけたのではなく、むしろそこから遠のかせたと言える。 そして、世界的に注目された今回の日中外交戦によって、中国は、ますます強くなってきた経済力を借りて、将来の日中関係に対応する際の有効なカードとして使うことができることを確認した。しかし、今回の戦いを経て、「親中遠米」の路線をとった鳩山政権の時期に現われた一瞬だけの日中「蜜月期」は早くも終焉し、菅直人政権は日米同盟関係をより重視するようになった。その結果、日中間における軍事上の仮想敵国の関係を変えることができなかっただけでなく、長期にわたる両国の潜在的な緊張関係を解消することにもマイナスとなった。また、日中韓を主軸とする「東アジア共同体」の構想をも遅らせざるを得ない。 さらに、今回の尖閣衝突の過程と結果をより長い歴史的スパンでみると、日中双方の地位と関係への今回の事件の影響は、無視できないほど大きな歴史的意義を持っている。 近代以来、東アジアの盟主の地位をめぐって日中両国は争奪戦を繰り広げてきた。そもそも中国はかつて、匹敵できないほどの文化力をもって東アジアに君臨し、中国を中心とする「中華世界システム」や今日でも日本人に理解されている「儒教文化圏」・「漢字文化圏」を作りあげた。しかし、19世紀末になると、日中両国の国力に逆転が生じた。西洋と日本の圧力の下で、中国は属国の琉球、安南、朝鮮を次々と失っていっただけでなく、自身も半植民地に転落した。それに反して、日本はその強大な軍事力をもってタイ以外の東アジアおよび東南アジアほぼ全域を征服し、日本を中心とする「大東亜共栄圏」を建設しようとした。第二次世界大戦で日本は敗北したが、戦後その強い経済力をもって、アメリカも驚嘆するほどの経済成長神話を作り上げ、「アジアの盟主」としての地位を継続させている。 しかし、百年が経った現在、中国経済の発展にともない、日中両国の国力に再度変化が起きた。今回の尖閣紛争は日中の国内総生産が逆転した後に起こり、また、今回の外交戦において結果的に経済力を後ろ盾にした中国が経済カードを切って勝利を収めたことも、中国が再度名実ともにアジアの中心に戻ってきたことを示唆しているのである。 中国の「中心」化現象は、確かに、もとより百年前からの民族的屈辱を雪ぎ、中国人を晴れ晴れとする気持ちにさせることができたようだ。しかし、対外的に言えば、中国の再度の躍進が直面しなければならない最大の課題は、いかに「金持ちになって横柄に振舞う」というイメージを避け、隣国および国際社会からの信頼を得るか、ということであろう。 『読売新聞』が中国人船長釈放後に行った調査によると、84%の人が「中国は信頼できない国家だ」と答えたという。そのデータは1972年の国交正常化以来最も高い数字であり、「歴史問題」で両国関係がどん底に転落した2005年よりも深刻なものであった。 中国への日本社会の反感が相互の領土争奪よりもたらされたものだとすれば、今回の日中衝突に対する国際社会の理解はどのようなものだったであろうか。国際メディアの総体的反応を見渡すと、殆ど「金持ちになって横柄に振舞う」中国に更なる警戒感を示すようになった。欧米、オーストラリアのメディアはもちろん、日本と領土紛争を起こした(「竹島」。韓国と北朝鮮は「独島」と称する)韓国でさえ、どちらかというと中国への批判に傾斜していた。 この種の批判は、一方では、90年代以来中国の膨張傾向を目の前にして中国周辺および欧米各国の間に蔓延していった「中国脅威論」の延長線上にあり、他方では、尖閣紛争に対応する際の中国の「行き過ぎた高飛車な態度」への不満でもある。とりわけ、中国人の訪日観光取りやめへの呼びかけ、日本へのレアアースの輸出禁止などの噂が広がった時、国際世論は納得しなかったようだ。両国関係が悪化した場合、訪問日程の取り消しや一部の取引の凍結は何もおかしくはない。しかし、この二種の経済制裁は、ある団体またはある企業の利益にかかわる問題だけでなく、日本のある産業全体に大きな打撃を与えることになるので、両国関係が断交状態に近い事態に至らない限り、そのような経済制裁を加えることはしない。 確かに、今後中国の国際的地位はますます高くなり、国際社会において更なる影響力を発揮していくことになるだろう。しかし、いかに「経済カード」を利用するかは、中国が隣国および国際社会に肯定され尊敬される大国になれるかどうかという問題にかかわっている。これこそ中国が躍進した後に直面せざるを得ない新しい課題であろう。 林泉忠 2010年9月19日 金門島にて (本稿は『明報月刊』(香港)2010年11月号に掲載された記事「從釣魚台衝突看中國的得與失」を本人の承諾を得て日本語に訳しました。原文は中国語。朱琳訳) *林 泉忠「中国は尖閣紛争の勝者になったか(その1)」はここからご覧ください。 ---------------------------------- <林 泉忠(リム・チュアンティオン)☆ John Chuan-Tiong. Lim> 国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2010年夏台湾大学客員研究員。 ---------------------------------- 2010年10月29日配信
  • エッセイ266:範 建亭「上海万博がもたらしたもの」

    この夏、上海はとても暑かった。気温35度を超える日が一ヶ月以上続き、そのうち数日は40度を記録した。だが、今年の上海において、天気よりも熱くなっているのは、大勢の見物客でにぎわう上海万博である。ちなみに、上海万博のテーマは未来志向の都市づくりである。 上海万博は5月1日に開幕したが、当初の数週間は入場者数が予想を大きく下回った。ところが、夏になると事情が一変した。6月下旬から連日のように大入りが続き、観客数はほぼ毎日40万人を超える大盛況となっている。入場者があまりも多いので、どこに行っても長い行列。世界各国のパビリオンの中で一番の人気は中国国家館であるが、予約制の上、一日最多人数5万人と制限されているから、並ぶ行列はそれほどではなかった。サウジアラビアと日本のパビリオンはその次に人気があり、いつも長蛇の列が出来て、通常5時間ぐらい待たされる。イギリスやドイツのパビリオンも2、3時間以上並ばなければ入れない。 僕はこれまで2回行ったが、平日なのに、人気のあるパビリオンはどこも長時間待ちの大行列ができていた。並ぶのは大嫌いだから、結局、日本館をはじめとする人気のあるところには一つも入れなかった。辛抱強く入館を待つ人たちには脱帽した。観客には地方からきた人が多く、長時間にわたって上海に辿り着いた彼らにとっては、万博が貴重な体験となるに違いない。 中国の13億の人口と上海に住む約2000万の人口から考えれば、万博の参観者が多くなっても不思議ではないと思われるが、別の事情もある。入場者数は開催の成功を証明する代表的な指標であり、上海万博は7000万人の来場を目指している。というのは、大阪万博の時、総入場者数は6400万人で万博史上最多を記録したので、それを超えることは上海万博の最大の目標だと言っても過言ではない。その目標を達成するために、チケットをばら撒くような対策も実施された。例えば、上海市政府が上海住民に一家庭に一枚のチケットを無料で配った。また、政府機関や学校、会社(主に国有企業)などではいろいろな形でチケットを配っていた。僕一人だけで、職場や関連機関からもらったチケットは7枚もあった。 中国の人口は世界最多であり、政府の動員力も世界一であるから、入場者数の史上最高を達成するのはそんなに難しいことではないだろう。それに、7000万人といっても、リピーターも含まれているので、心配は無用であろう。確かに最初は動員があったが、行ってみたら意外と面白かったという話がどんどん広がり、自発的に見たいと思う人、また何回も行く人が徐々に増えて入場者の人数がどんどん拡大している。 リピーターの中で一番凄い人は、毎日行っているという。しかもその人はなんと日本人女性だ。今年61歳の山田外美代さんは愛知万博が開催された際、1日も欠かさず毎日万博に足を運び、243回の入場回数を記録したが、上海万博でも184日間の「皆勤賞」を目指している。そのために、現地でマンションを借りるなどで、もうすでに1200万円ぐらいのお金を使ったようだ。彼女は地元でも「有名人」となり、「万博おばあちゃん」と呼ばれている。 さすがに毎日行くお客さんは彼女しかいないと思うが、開催中何十回も見に行く人は珍しくなく、また大半の参観者は何時間も平気で並んでいるのだから、上海万博はいったい何が面白いのかと思うが、それは、見る人によって答えがきっと違うのだろう。だが、面白さよりも重要なのは、万博が現地の社会にもたらしたものであろう。 一番直感できる大きな成果は恐らく上海市のインフラ整備である。開催決定から開幕までの8年の準備期間において、上海の街づくり、道路整備などが広域で進められていた。その過程で都市建設に対する考え方も革命的に変わり、環境にやさしいエコライフが重要であることを中国の人たちに浸透させていった。また、万博のような国際的超大型イベントの開催によって、高い運営能力が評価され、地元政府に相当な自信を与えた。そして、万博の開催は一般庶民のマナー向上にも貢献している。 実は、上海市政府は万博を開催するにあたって、市民のマナーを心配して様々なキャンペーンを展開してきた。例えば、2年前に「愛される上海人になろう」というスローガンを掲げ、具体的な指針などが書かれている『万博を迎える上海市民の読本』を無料で配布した。中には、食事のマナーや携帯電話のマナーなど一般的なこともあれば、並ぶ行列に割り込まない、タクシーの奪い合いをしない、パジャマを着たまま外出しないというような呼びかけもある。パジャマの問題は別に上海に限った現象ではないが、現地のマスコミでよく取り上げられ、話題となっている。政府が市民の服装まで決めるのはおかしいという反対の声もあるが、大半の市民は、パジャマの姿が大都会にとってみっともないと認識している。これを契機に、最近はそのような非常識な行動が目に見えて減っているようである。 マナー向上については、さらにびっくりしたことがある。我が家が職場に近いので、僕の毎日の交通手段は自転車で、普段は地下鉄にあまり乗らない。ところが、先日、市内で地下鉄に乗ったとき、エスカレーターで乗客が自覚的に右に一列に並んでいたことに驚いた。このマナーはまだ日本ほど一般的になっていないものの、万博の開催を契機にボランティアたちの呼びかけによって普及しつつある。面白いことに、大阪のエスカレーター並び方(右寄り)が東京と違うのも、大阪万博の開催の時に世界標準に合わせたからなのだそうである。 上海万博を訪ねた人は、全国各地からやってきた人が大半を占め、しかも小中学生をはじめとする若い世代が多い。そういう人たちにとって、世界各国の魅力と先端技術や上海の発展ぶりなどを知るうえで、上海万博はまたとないチャンスになったと思う。だが、その入場者数が仮に7000万以上で大阪万博を抜いたとしても、国民の中でその数が約20人に1人しかないということになる。万博を観られなかった残りの人たちには貧しい人が大勢含まれている。それらの大多数の国民に万博開催の意義などをいかに伝えていくのは、また一つの大きな課題であろう。 -------------------------- <範建亭(はん・けんてい)☆ Fan Jianting> 2003年一橋大学経済学研究科より博士号を取得。現在、上海財経大学国際工商管理学院准教授。 SGRA研究員。専門分野は産業経済、国際経済。2004年に「中国の産業発展と国際分業」を風行社から出版。 -------------------------- 2010年10月22日配信
  • エッセイ265:マックス・マキト「マニラレポート2010年夏」

    今回は、以前マニラのセミナーで取り上げたことがある「田舎のねずみと都会のねずみ」という童話から始めたい。 「都会に住むねずみと田舎に住むねずみは、互いに友達どうし。ある日、田舎のねずみに招待された都会のねずみが、彼の家へ出かけていきます。都会のねずみは、まず田舎の家を見てびっくり、自分の都会の家のほうがずっといいよ、と言います。夕食のときも同様です。質素なメニューにあきれて、都会の食事のほうがずっといいよ、と言います。そして、田舎のねずみに、都会へおいで、と招きます。招きを受けて都会へ出てきたねずみは、にぎやかな街に驚いてしまいます。都会のねずみの大きな家にも行きます。そこで都会のねずみは、いろいろなごちそうを、田舎のねずみにふるまいます。」(つづく) Happy Talk☆いなかのねずみとまちのねずみ 今回のマニラ滞在中に、ほんの少しではあるが、マニラ首都圏やその周辺地方の貧困階層の人々を訪ねる機会があった。彼らはれっきとした人間たちだが、自分のモノをあまり持っていないので、彼らはねずみのような生活をしているという人もいるかもしれない。 SGRAのマニラ・プロジェクトの顧問になっていただいた東京大学の中西徹教授は、8月半ばに東大の学生たちを16人ほど連れて、僕が教えているテンプル大学ジャパンの先生と学生2人とその友達3人と合流して、スモーキー・マウンテンというマニラのゴミ集積所の周辺に住んでいる人々を訪問した。その殆どは、子供も含めて、いわゆるゴミのスカベンジャー(廃品回収業者)である。 発展途上国の都会に住んでいる貧困者は、その大部分が田舎から流れてきたという。スモーキー・マウンテンの人々もきっとそうである。先に都会に移民した友人・親戚・知り合いの都会生活を聞いて魅了されて、都会に旅立った。しかし、スモーキー・マウンテンに辿り着いた人々は、あの童話の田舎ねずみと同じような気持ちになったに違いない。 (童話のつづき) 「ところが、その時ねこが入ってきます。ねこが立ち去った後、再び食べようとすると、今度は人間に見つかりそうになって大あわて。都会の生活にこりごりした田舎のねずみは、やっぱり田舎がいい、と言って帰っていきます。」 しかしながら、中西先生の長年の研究からもわかるように、マニラの貧困者は、すでに罠に落ちてしまっていてそこからなかなか抜け出せない。(実はこのような話をスモーキー・マウンテンのお婆さんにも聞いた。) 滞在中に、田舎ねずみの世界を訪問した。行くのは便利ではないが、着いたらスモーキー・マウンテンと全く違う世界が目の前に広がった。スモーキー・マウンテンの不毛な黒い土地と違って、田舎の土地は緑に溢れていた。死を思い出させる腐敗臭ではなく、命を育む匂いが漂っていた。 僕は田舎のねずみかもしれない。だって、リゾートなどではない、あの田舎に行くとワクワクするのだから。 この興奮は家族にも分かち合うようにしている。日本の子供たちが夏休みにする自由研究からヒントを得て、甥や姪たちにそれを体験させた。フィリピンの「夏休み」は4月から5月までだが、およそ2日間でできる「夏休みの宿題」を子供たちに出した。2班に分けて田舎の訪問先の土と水の質を調べること。検査道具は僕がインターネットで注文したパック・テストのキットである。テレビで見かけたのだが、日本の子供たちが理科の授業で使っている簡単な検査キットである。土や水のサンプルに検査用のパックをつけて科学反応をさせて、その色の変わり方によってある成分の有無をその場で把握できる。どのような成分が足りないか、その成分は何のためであるか、子供たちと一緒に調べた。そして、フィリピン・マンゴに適した土地であることがわかった。 田舎のねずみちゃんの気持ち、十分わかる気がする。 7月に蓼科で開催したSGRAフォーラムでも、都市化について少し議論した。確かに、現代社会の重要な課題の一つである。今、世界の人口の半分が都会に住んでいるといわれている。人口が1000万人以上を「メガ・シティー」と呼ぶが、最近の調査によると、上位20は、人口の多い順に、東京、広州、ソウル、メキシコ、デリー、ムンバイ、ニューヨーク、サンパウロ、マニラ、上海、ロサンゼルス、大阪、カルカッタ、カラチ、ジャカルタ、カイロ、北京、ダッカ、ブエノスアイレスだという。 Th. Brinkhoff: The Principal Agglomerations of the World, 2010-01-23 規模の経済により、あらゆるものの生産コストを下げるためにも、メガ・シティー、つまり都市化が必要であろう。ただ、やりすぎると、公害、渋滞、スラム化などの問題を引き起こす。 その一つの対策として、田舎から都会への移民を減らすことがあると思う。そのために人々は田舎の生活についての考え方を改める必要があるという気がする。以前、友達に誘われて東大で開催されたメガ・シティーをテーマにした建築の国際学会に参加したことがある。欧州からの学者が「欧州にはメガ・シティーがあまりないですね。」とコメントした。その理由を聞かれたら、「ヨーロッパ人は田舎生活について抵抗感があまりないですから。」と答えた。あの童話の作者のイソップは欧州の人だが、数百年を経た今でもヨーロッパでは田舎に好意的な考え方は生きているようである。 日本に帰る前に、フィリピン大学のSchool of Labor and Industrial Relations (SOLAIR)で、中西先生と学生たちにもう一回会った。中西先生が学生たちをフィリピン大学に連れて行きたいということだったので、僕はSOLAIRのベンジ・テオドシオ教授に、彼女の研究テーマの農業協同組合について話していただくようにお願いしたところ、スライドなどを丁寧に準備してくださった。発表後の活発な議論の後、皆で近くの食べ放題の店に行った。 その場で、中西先生とテオドシオ先生を発表者として、12月にフィリピン大学で第13回SGRA共有型セミナーを開催することになった。テーマは暫定的に「地方と都会の貧困コミュニティー」にしている。皆さん、お時間があればぜひご参加ください。 ※この機会を借りて、2010年8月23日にマニラで発生したバスジャックの被害者のご冥福をお祈りします。香港の方々と同様、この悲劇について怒りや悲しみを感じます。 -------------------------- <マックス・マキト ☆ Max Maquito> SGRA日比共有型成長セミナー担当研究員。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(CRC:現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、アジア太平洋大学にあるCRCの研究顧問。テンプル大学ジャパン講師。 -------------------------- 2010年10月15日配信
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