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エッセイ268:林 泉忠「中国は尖閣紛争の勝者になったか(その2 )」

まず、今回の尖閣問題の解決で得たものと失ったものを検証してみよう。今回の紛争が世界的に注目される国際ニュースとなった結果、尖閣諸島はその領有権をめぐる係争地で、必ずしも日本政府が建前で主張するように「領有権問題は存在しない」とは限らないことを世界中の人々に知らせた。これが中国の得たものであろう。

しかし、これを除けば、尖閣領有権を主張する面において、今回の事件は中国側に明らかな利益をもたらしたわけではない。日本を交渉のテーブルに戻らせて尖閣の帰属問題を協議するように迫ったわけでもないし、「尖閣防衛」の活動家が尖閣諸島に上陸、あるいは近づけたわけでもない。逆に中国政府は海に出て尖閣領有権を主張しようとする国民の行動を阻止しているのである。一方、日本側は、日本の海域への中国漁船の「侵入」をきっかけに、尖閣付近の海防をより重視するようになった。また、日本社会において尖閣への駐兵や視察を要求する声が増えた。

差し当たり行政上尖閣を管轄している沖縄は、もともと中国人に非常に友好的で、日本のなかで最も「親中」の県であると見なされている。しかし、今回の漁船衝突事件が起こった後、沖縄県議会・沖縄県町村議会議長会・石垣市議会などは、それぞれ中国への抗議意見書を採決した。沖縄を含め日本側の一連の言動は、今後中国が尖閣領有権を主張する際に不利になる。よって、今回の漁船衝突事件およびそれが引き起こした日中の外交戦は、結果的に中国を尖閣に近づけたのではなく、むしろそこから遠のかせたと言える。

そして、世界的に注目された今回の日中外交戦によって、中国は、ますます強くなってきた経済力を借りて、将来の日中関係に対応する際の有効なカードとして使うことができることを確認した。しかし、今回の戦いを経て、「親中遠米」の路線をとった鳩山政権の時期に現われた一瞬だけの日中「蜜月期」は早くも終焉し、菅直人政権は日米同盟関係をより重視するようになった。その結果、日中間における軍事上の仮想敵国の関係を変えることができなかっただけでなく、長期にわたる両国の潜在的な緊張関係を解消することにもマイナスとなった。また、日中韓を主軸とする「東アジア共同体」の構想をも遅らせざるを得ない。

さらに、今回の尖閣衝突の過程と結果をより長い歴史的スパンでみると、日中双方の地位と関係への今回の事件の影響は、無視できないほど大きな歴史的意義を持っている。

近代以来、東アジアの盟主の地位をめぐって日中両国は争奪戦を繰り広げてきた。そもそも中国はかつて、匹敵できないほどの文化力をもって東アジアに君臨し、中国を中心とする「中華世界システム」や今日でも日本人に理解されている「儒教文化圏」・「漢字文化圏」を作りあげた。しかし、19世紀末になると、日中両国の国力に逆転が生じた。西洋と日本の圧力の下で、中国は属国の琉球、安南、朝鮮を次々と失っていっただけでなく、自身も半植民地に転落した。それに反して、日本はその強大な軍事力をもってタイ以外の東アジアおよび東南アジアほぼ全域を征服し、日本を中心とする「大東亜共栄圏」を建設しようとした。第二次世界大戦で日本は敗北したが、戦後その強い経済力をもって、アメリカも驚嘆するほどの経済成長神話を作り上げ、「アジアの盟主」としての地位を継続させている。

しかし、百年が経った現在、中国経済の発展にともない、日中両国の国力に再度変化が起きた。今回の尖閣紛争は日中の国内総生産が逆転した後に起こり、また、今回の外交戦において結果的に経済力を後ろ盾にした中国が経済カードを切って勝利を収めたことも、中国が再度名実ともにアジアの中心に戻ってきたことを示唆しているのである。

中国の「中心」化現象は、確かに、もとより百年前からの民族的屈辱を雪ぎ、中国人を晴れ晴れとする気持ちにさせることができたようだ。しかし、対外的に言えば、中国の再度の躍進が直面しなければならない最大の課題は、いかに「金持ちになって横柄に振舞う」というイメージを避け、隣国および国際社会からの信頼を得るか、ということであろう。

『読売新聞』が中国人船長釈放後に行った調査によると、84%の人が「中国は信頼できない国家だ」と答えたという。そのデータは1972年の国交正常化以来最も高い数字であり、「歴史問題」で両国関係がどん底に転落した2005年よりも深刻なものであった。

中国への日本社会の反感が相互の領土争奪よりもたらされたものだとすれば、今回の日中衝突に対する国際社会の理解はどのようなものだったであろうか。国際メディアの総体的反応を見渡すと、殆ど「金持ちになって横柄に振舞う」中国に更なる警戒感を示すようになった。欧米、オーストラリアのメディアはもちろん、日本と領土紛争を起こした(「竹島」。韓国と北朝鮮は「独島」と称する)韓国でさえ、どちらかというと中国への批判に傾斜していた。

この種の批判は、一方では、90年代以来中国の膨張傾向を目の前にして中国周辺および欧米各国の間に蔓延していった「中国脅威論」の延長線上にあり、他方では、尖閣紛争に対応する際の中国の「行き過ぎた高飛車な態度」への不満でもある。とりわけ、中国人の訪日観光取りやめへの呼びかけ、日本へのレアアースの輸出禁止などの噂が広がった時、国際世論は納得しなかったようだ。両国関係が悪化した場合、訪問日程の取り消しや一部の取引の凍結は何もおかしくはない。しかし、この二種の経済制裁は、ある団体またはある企業の利益にかかわる問題だけでなく、日本のある産業全体に大きな打撃を与えることになるので、両国関係が断交状態に近い事態に至らない限り、そのような経済制裁を加えることはしない。

確かに、今後中国の国際的地位はますます高くなり、国際社会において更なる影響力を発揮していくことになるだろう。しかし、いかに「経済カード」を利用するかは、中国が隣国および国際社会に肯定され尊敬される大国になれるかどうかという問題にかかわっている。これこそ中国が躍進した後に直面せざるを得ない新しい課題であろう。

林泉忠 2010年9月19日 金門島にて

(本稿は『明報月刊』(香港)2010年11月号に掲載された記事「從釣魚台衝突看中國的得與失」を本人の承諾を得て日本語に訳しました。原文は中国語。朱琳訳)

*林 泉忠「中国は尖閣紛争の勝者になったか(その1)」はここからご覧ください。

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<林 泉忠(リム・チュアンティオン)☆ John Chuan-Tiong. Lim>
国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年より2年間ハーバード大学客員研究員、2010年夏台湾大学客員研究員。
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2010年10月29日配信