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エッセイ274:ボルジギン・フスレ「ウランバートル・レポート2010年秋」

9月1-2日にウランバートルでおこなわれた国際シンポジウム「第二次世界大戦のアジアでの終結、結果と教訓」に参加した後、私は、L. ハイサンダイ所長、D. シュルフー副所長をはじめとする、モンゴル科学アカデミー国際研究所のみなさんと一緒に、関口グローバル研究会(SGRA)と同研究所が共催する国際シンポジウムの開会にむけて、最後の準備に入った。2008年6月、2009年7月の国際会議につづき、今回は、SGRAのモンゴル・プロジェクトとして、3回目の日モ共催の国際会議となる。

要旨集の編集・印刷、ポスターのデザイン、会議用の文房具の購入、懇親会場の予約などを終えて、9月7日の午後、シュルフー所長と一緒に、モンゴル国営テレビ局MNBにて取材に応じた。取材があることを直前に知らされたので、テレビ局に着いた時に少し緊張した。スタジオは、カメラが3台同時に稼動していたが、目の前に撮影のカメラマンが居るわけでなく、ディレクターが別室でコントロールしていたため、わりにリラックスした雰囲気だった。今回の会議の目的、意義、参加者の発表内容、国際研究所の諸外国の学術機関・団体との学術交流、SGRAの事業などについて紹介した。同局の翌朝の番組で、15分ほど報道された。

9月8日午前、モンゴル・日本人材開発センターにて、同センター長森川秀夫氏に挨拶した。そして、私は、同センターのKh. ガルマーバザル総括主任、及び実行委員会のメンバーで、国際研究所の職員、教育大学の教員と一緒に、会場、同時通訳設備のセッティングなどを確認した。今年5月に、私はウランバートルで資料調査をした際、森川センター長、ガルマーバザル総括主任とも会談をおこなったことがあり、今回のシンポジウムの開催にあたって、両氏にたいへんお世話になったので、ここで感謝の意を表したい。

その後、大学時代からの友人で、永暉グループ(Winsway)のモンゴル支社の社長ゾーナサン氏に招待され、スフバータル広場となりに新しくオープンした日本料理店で昼食をした。内モンゴル愛徳弁護士事務所ウランバートル事務室長のナラーン・オラーン氏、内モンゴル貿易会社の駐在員C氏、日系投資企業Adamas Miningのウランバートル駐在員何(He)氏らも一緒だった。永暉グループは、モンゴル国の鉱山開発に投資している中国の大手企業の一つであり、中国の北方地域では、「煤老大(mei lao da)」(石炭の兄貴)と呼ばれており、本年10月に、香港の証券取引所で上場している。ゾーナサン氏は北京大学で地球物理学を専攻していたが、のちに法律に転向し、内モンゴル大学法学院長補佐となり、3年前に大学の職務を辞めて、永暉グループモンゴル支社の社長となった。何氏も北京大学出身の先輩で、20数年前に日本に留学し、日本の企業に就職し、日本の国籍を取得した。ナラーン・オラーン氏は北京の中国政法大学の出身で、大学時代の友達である。大学卒業後、互いに仕事が忙しく、ほとんど会うチャンスがなかったが、ウランバートルで再会できるとは思いも寄らなかった。近年、モンゴル国の鉱山開発などに投資している中国からの企業が大幅に増え、トラブルもしばしば起きているため、ウランバートルには、中国の弁護士事務所が何軒もある。大学時代の懐かしい思い出、最近モンゴルでおこなったいくつかの鉱山の入札などが、昼食時の話題だった。

午後4時すぎ、空港にて、今西淳子SGRA代表、一橋大学名誉教授田中克彦先生、東京大学の村田雄二郎教授、名古屋大学嶋田義仁教授、静岡大学楊海英教授、岩波書店馬場公彦さん、千葉大学児玉香菜子准教授、高橋甫さん、中村まり子さんなど日本からの参加者を迎えた。空港から車でホテルに行く途中、新たに建てられた日本人向けの高層マンションなどが紹介され、今西さんが「去年と比べ、高層建築がこんなに増えたのはびっくりした。モンゴルは本当に変化している」と感想を述べた。大変動を迎えている資源大国モンゴル国の変化は、さまざまな面に反映されている。実は、私が9月1日にウランバートルに到着したとき、予定より遅れたために予約したホテルがキャンセルされてしまった。急遽、その周辺の外国人むけの三つのホテルを回ったが、いずれも満室だった。最後は、巣窟――なじみの青年ホテルに行って、やっと宿泊できた。

国際研究所とSGRAの招待で、となりのホテルで夕食をした。その際、高橋さんは、人々に知られていない元横綱朝青龍のいくつかの感動的な話を紹介し、モンゴルに来た感想を述べた。この日の深夜、ソウル経由の望月誠さんと内モンゴル師範大学のタナーさんも予定通りにウランバートルに着いた。

9月9日午前、シンポジウムに参加する海外からの研究者は、ガンダン寺、モンゴル国立中央博物館を見学した。

午後、第3回ウランバートル国際シンポジウム「日本・モンゴルの過去と現在――20世紀を中心に」の開会式が、モンゴル・日本人材開発センターの多目的室でおこなわれた。シンポジウムはモンゴル科学アカデミー国際研究所、関口グローバル研究会(SGRA)、モンゴル教育大学歴史・社会科学研究院の共催、在モンゴル日本大使館、モンゴル・日本人材開発センター、イフ・ザサグ大学国際関係学院、モンゴル国立テレビ局の後援、国際交流基金、渥美国際交流奨学財団、双日国際交流財団、守屋留学生交流協会の助成であった。

開会式では、モンゴル科学アカデミー総裁B. エンフトゥブシン氏、在モンゴル日本大使城所卓雄氏、モンゴル教育大学長B. ジャダムバ氏、関口グローバル研究会代表今西淳子氏、在日本モンゴル大使R. ジグジッド氏が挨拶と祝辞を述べた。その後、モンゴル科学アカデミー国際研究所長L. ハイサンダイ教授、一橋大学田中克彦名誉教授、ロシア連邦科学アカデミー東洋学研究所モンゴル研究室主任グライヴォロンスキー教授、東京大学村田雄二郎教授、モンゴル教育大学大学院長ナランツェツェグ教授が基調報告をおこなった。夕方、ウランバートルホテルで国際研究所と教育大学共同で歓迎宴会がおこなわれた。イフ・ザサグ大学の学生が、モンゴルの伝統的な歌と舞踊、馬頭琴の演奏を披露した。

9月10日午前の会議は、東京外国語大学二木博史教授、モンゴル国立大学のドイツからの交換教授バルクマン氏が座長をつとめ、午後の会議は、東京外国語大学岡田和行教授、モンゴル科学アカデミー国際研究所副所長シュルフー教授が座長をつとめた。
夕方、SGRAの招待で、バンヤンゴルホテルで招待宴会をおこない、在モンゴル日本大使城所卓雄氏、参事官藁谷栄氏、書記官青山大輔氏が参加した。今西さんが司会をつとめ、城所大使、モンゴル教育大学長ジャダムバ氏、国際研究所長ハイサンダイ氏等が挨拶した。モンゴル教育大学の学生が歌を披露すると、「外国からきた研究者の歌も聞きたい」という要望があった。すると、田中先生が歌い始め、村田先生、嶋田先生、馬場さん達も加わって日本の歌を歌った。さらに、田中先生、高橋さん、バルクマンさん達はワルツも披露し、宴会は大変に盛り上がった。

もともと、日本・モンゴル関係をテーマとする今年のシンポジウムは、予算等の理由で小規模なものを予定していたが、準備を進めるうちに参加希望者が多くなった。会場には90人の席を用意したのだが、来場者は予定を超え、急遽、50余りの席を増やした。結局、2日間の会議に、モンゴル、日本、ドイツ、ロシア、中国、イギリスなどの国の研究者約150人が参加し、22本の論文発表があった。シンポジウムの発表詳細については、別稿に譲りたい。

9月11日は、秋空高くさわやかな天気で、会議の参加者は、ウランバートルから百キロ余り離れている中央県の「モンゴリーン・ノーツ・トブチョー」リゾートを訪れた。途中、ある大きなオボーを通った際、皆、車から降りて、オボーを祭った。「モンゴリーン・ノーツ・トブチョー」リゾートで、海外からの参加者は、遊牧民のゲル(テント)に案内された。その後、今西さんが馬に乗って草原を走った。田中先生、村田先生、馬場さん、中村さんたちも馬に乗った。「馬に乗った気持ちはどうでしたか?」と、ハイサンダイ所長が聞くと、田中先生は、「僕は馬が大好きだけど、馬は僕のことがすきではないから、しょうがないんだ」とモンゴル語で巧妙に答え、みな大笑いだった。40分ほどの騎馬体験の後、ゲル式のレストランに戻って、宴会をおこなった。モンゴルの伝統的料理ホルホグを賞味しながら、会議に参加した感想、モンゴルの鉱山開発、環境問題、相撲など、さまざまなことについて話した。3時すぎてから、当日北京経由でフフホトに行く今西さん、高橋さん、中村さんが空港にむかったが、宴会はしばらく続いた。

9月12-13日、田中先生、村田先生、馬場さん、楊海英さん、タナーさん、シュルフー所長と私は、私費で、ボグド・ハーン宮殿博物館、ダンムバダルジャ寺、日本人死亡者慰霊碑、モンゴル粛清者記念館、チョイジン・ラマ寺、テレルジのチンギス・ハーン記念リゾート、ツォンジン=ボルドグのチンギス・ハーン騎馬像(13世紀の金のむちの総合施設)、ウランバートル郊外の観光地などを見学した。

13日の午後、別のプロジェクトで、私は田中先生と一緒に、Eznis社の飛行機でチョイバルサンに飛んだ。そして、14日から20日まで、モンゴル国防科学研究所の協力を得て、車で、全長2000キロの大旅行をし、ノモンハンの戦場、ボイル湖、ドルノド県にある8世紀の佛塔、ヘンテイ県のモンゴル帝国時代の遺跡、及びオンドルハンにある林彪が乗ったトライデント飛行機が墜落した現場で調査をおこなった。

*モンゴルの写真は下記よりご覧いただけます。
中村撮影
フスレ撮影
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<ボルジギン・フスレ☆ BORJIGIN Husel>
昭和女子大学非常勤講師。中国・内モンゴル自治区出身。北京大学哲学部卒。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程修士。2006年同研究科博士後期課程修了、博士(学術)。東京大学・日本学術振興会外国人特別研究員を経て現職。共編『北東アジアの新しい秩序を探る』(風響社、2009年)、『ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年――2009年ウランバートル国際シンポジウム報告論文集』(風響社、2010年)他。
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2010年12月15日配信