SGRAかわらばん

  • 2020.11.05

    エッセイ651:謝志海「コロナ禍は地方創生のチャンスとなるか?」

    新型コロナウイルスの到来によって、我々の暮らしが一変してしまった2020年。まずは人口密度の高い都心の住民から生活習慣の変更が余儀なくされたのではないだろうか?通勤ラッシュを避けるべく企業が次々と打ち出す在宅勤務は主に大企業が始めたが、在宅勤務のインフラが整っていない会社や、サービス業など在宅勤務が成り立たない人は、どこに浮遊しているかもわからないコロナウイルスに怯えながら通勤していたのだろう。外出すればどこへ行っても「密」を避けられない都会の暮らしがこんなにもネガティブな目で見られるとは。   その間、東京から100キロ離れた私の住む北関東の地方はというと、車社会なので「密」になることはないと呑気なものだった。連日のテレビの報道でコロナコロナと大騒ぎなのが嘘のように、ラーメン屋の行列は道路にはみ出さないようにするため、相変わらず密な行列だった。そして人々は綺麗に真っ直ぐな線を描いていた。こういう時も日本人は日本人だなぁと思った次第である。スーパーやドラッグストアに行けば、コロナ前となんら変わりない人出で、レジもまた密着して並んでいる。(現在は距離を置いた立ち位置を示すシールが床に貼ってあるようになった。) 同じテレビ報道を都会と地方問わず日本全国でしていても、こんなにも受け止め方の差があるように思うのだ。   では、地方の暮らしや生活の実態を、都会に暮らす人はどのくらい把握しているのだろうか?「リモート○○」が定着するかしないかの頃から言われ始めた、都心から地方への移住。これは在宅勤務、あるいは週に一、二度の出勤で残りは在宅勤務で良いのなら狭くて家賃の高い都会ではなく、地方の広い家に住み、用事がある時だけ都心に行けばいいじゃないかという考えで、これにより地方が活性化することも期待されている。今年7月に発売された「週刊東洋経済」のコラムでも1ページを使い「郊外や地方に引っ越して、より広々とした住環境の中で、仕事や子育てを」することについてのメリットをたくさん紹介していた。しかし今地方に住んでいる私としては、地方への移住はそんなにたやすいものではないと思うのだ。   以下にまとめるのは、私の住む市と私の勤務地のある隣の市を実際に見て回ったり、車窓から観察してみたりした今の地方の現状と、コロナ禍において地方移住を考慮するときに知っておくべきことを伝えたいと思う。まず、コロナの影響かどうかわからないが、お店の閉店が止まらない。6月に久しぶりに街を歩き回って大変驚いた。主に個人が開いていた飲食店以外でも、雑貨や衣料品のお店の閉店が多い。しかしそれだけではない。日本の誰もが知っている居酒屋チェーンやファーストフード店もまたどんどん撤退している。撤退時に看板を外していかないので、車でしか移動しない人は閉店したことに気づいていないと思う。   また、「週刊東洋経済」の同じコラムには、都会の人々が地方に移住することにより「例えば副業が認められるのであれば、都市部の会社に対してはテレワークを行いつつ、地元企業にアドバイスをしたり勤務したりする人も出てくるだろう。そうすれば、地方の企業活動の活性化や産業育成という観点でも、プラスの効果が得られる」とあった。これが実現すればなんとも素晴らしいことだが、これは都会に住む人だから言えることではないだろうか?東京から新幹線で1時間足らずのこの土地は、東京と同じようには暮らせないのだ。これは大げさではなく、例えば、仕事終わりに家路に着くまでの間、郵便ポストに手紙を入れ、ATMで現金をおろし、スーパーやコンビニで買い物、その後ドラッグストアにも寄る。こういったことを都会に暮らす人々は特に深く段取りを考えずとも日常的にやっていることだろう。   しかしこの土地はそれぞれの全てが離れている。車でしか辿り着けない所が多いだけでなく、用事を済ませたい場所と場所の距離が離れている上、その間に公共交通機関がない。車でしか移動できないのだ。移ってきたら、まず地元の銀行口座を開き、車を購入しなければならない。なぜなら、この県はメガバンクの支店とそのATMが無いに等しいぐらい少ない。幅をきかすのは地元の地方銀行で、それならどこにでもある。私もとうとう数年前に必要に迫られ、地元の銀行に口座を持った。車も移住後、結局3年以内に購入を余儀なくされた。   転勤/転職ではなく、今回のテーマであるコロナ禍においての地方移住を目的として、想定される現実をシュミレーションしてみよう。例えば、本職は東京にオフィスがあるテレワークで、その合間に地元の企業に貢献すべく担当者と会うとなれば、車が必要であり、そこへ辿り着くまでの時間もかかる。全ての地元企業が駅前にオフィスを構えているとは限らない。ではその地元企業の近くに住まいを構えればいいではないか?とすると、例えば本職の方のオフィスで会議があるなどで出社しないといけない時、最寄りの電車の駅まで家族に車で送ってもらう必要があるだろう。ではせっかく手に入れた車で東京オフィスまで乗り付ければいいと言うかもしれないが、ご存知の通り、高速代がかかるし、都心は駐車料金が高い。   同じく車がらみの話になるが、子育て世代が家族で地方に移住となると、奥さんが車を運転できなければならないし、大半が夫婦で1台ずつ車を持たなければならないだろう。なぜなら子どもの送迎はだいたいがお母さんの役目だ。私の家の最寄り駅の駅前ロータリーは毎朝車から降りてくる制服を着た学生、なかには私服の大学生らしき人も多いが、そうした家族を送るためのちょっとした渋滞がおきている。中高生となるとこれに塾の送迎も加わる。都会でバリバリ働くお母さんが、毎日子どもの送迎に時間を奪われることなど、想像できるのだろうか?   そしてもっと小さい子世代の「子育て」というのもまた都会とは違う。公園というものが住宅地とリンクしていないのもこの土地の特徴で、公園の近くに居を構えていない人以外は、しっかりした公園で遊ばせようとなると、車を出す必要がある。都内によくある、住宅地にぽつんとあるブランコしかない公園、というのがあまりないので、子どもを短時間でも近所の小さな公園で遊ばせる、もしくは小学校高学年ぐらいの子たちが自分たちで近所の公園で遊ぶという光景も、東京とは違い住宅街では見かけない。   また、都会の生活で多く利用されているアマゾンフレッシュやスーパーによる生鮮食品の宅配はほとんど無い。食品の宅配は生協の一択となる。コロナ禍で大層注目を集めたUber_Eatsや出前館は存在すらしていなかった。今年9月中旬からやっと市内でUber_Eatsが始まった。しかし、Uber_Eats がさかんになる前に飲食店がどんどんお店を閉めてしまったら、どうなるのだろう。   そして実はお店だけでなく、家も空いたままのものが多い。昨年、まさに新幹線が停まる駅前にタワーマンションができた。マンション建設と平行して駅からのペデストリアンデッキも延伸させ、駅直結マンションをうたい、建つ前から完売御礼だった。しかし入居が始まっても空き部屋が目立っていた。コロナウイルス感染拡大で様々なメディアでリモートワークや地方移住が話題になり、あのタワーマンションもいよいよ入居者が増えるかと思いきや、家に投函されるチラシにそのマンション広告が部屋タイプも様々に何戸も紹介されていた。「投資用マンション」「投機目的にどうぞ」とうたい文句も添えられていた。現在も相変わらず広告チラシは届いている。   ここまで、地方の現実ばかり書いたが、きっと元々地方出身者にとっては車社会なことなど百も承知だろう。そういう人々にとっては地方移住も抵抗ないだろう。メディアに取り上げられるのは都心の人々がたくさん行き交う映像ばかり、観光地でもないような地方の市町村の実態が見えてこない。気楽に地方移住を高く評価するような事を言う人に限って、都心に住んでいるのではないかと思う程、東京と地方の暮らしは違う。もちろん東京のような大都市に住むのが一番であり「無敵の暮らし」とは言えず、都会で暮らすことの落とし穴のようなものもあるだろう。   たとえコロナウイルスがなかったとしても、地方創生はこの国の重要な課題の一つである。わたしの住む市はこれまで、観光地と特産物の広報活動には力を入れている。これからは住みやすい地、自然災害の少ないエリア等、アピールできるものはどんどん発信して、地方側から都会の人間を呼び込むことも必要であろう。同時に、路線バスの本数を増やすなど、移住者がすぐに町になじめるようなインフラ整備も行うべきだろう。     英語版はこちら     <謝志海(しゃ・しかい)XIE_Zhihai> 共愛学園前橋国際大学准教授。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイト、共愛学園前橋国際大学専任講師を経て、2017年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。     2020年11月5日配信
  • 2020.10.29

    エッセイ650:李澤珍「『金の卵を産む鵞鳥』の飼主」

    ある人が、毎日1個ずつ金の卵を産む鵞鳥を飼っていた。その飼主は、鵞鳥の腹の中に大きな金の塊があるのだと考え、その腹を切り裂いた。が、中は他の鵞鳥たちと同じであった。   余りにも有名で多くを語る必要はないだろうが、この話は古代から伝わるイソップ寓話中の一篇である。紀元前6世紀頃のアイソーポス、英語読みのイソップという人によって語られたとされるイソップ寓話は、主として動物を主人公とする短い物語と、それに添える教訓・啓蒙的な言辞から構成されるのが一般的である。   後世のイソップ寓話編訳者および再録者たちは、この「金の卵を産む鵞鳥」の話について「今もっているものに満足し、むやみに欲張ってはならない」という趣旨の教訓を伝えるものと捉え、欲望に耐えきれず鵞鳥の腹を切り裂いた飼主の行動を愚かなものとする評言を付しているのがほとんどである。3世紀頃のバブリウス版から、現代日本でも最も広く読まれているシャンブリ版にいたるまで、欲望への戒めの伝統は忠実に受け継がれてきたのである。すなわち、金の卵を産む鵞鳥の飼主は2千年近くも世のそしりを免れることができなかったといえよう。   なるほど、確かにこの話の展開から見る限り、飼主を擁護する余地はなさそうだ。しかし、もしも鵞鳥の腹を切り裂いて原作の寓話とは異なる結果が出たらどうだろうか。仮定の話だが、飼主の思った通りに金の塊でも出てきたとしたら、あるいはせめて金の卵を産む仕掛けが見つかったとしたら…。いやいや、鵞鳥の腹から金の塊が出るなんて常識的にとうてい考えられない、と仮定の前提そのものが否定されるかもしれない。しかし、そう言い切れるだけの十分な科学的な根拠はあるのだろうか。   もし金の卵を産む鵞鳥が存在するならば、その鵞鳥の体内では何が起きているのか。これを科学的に解明しようと試みた人がいた。アメリカの生化学者で(SF)作家のアイザック・アシモフは、SF雑誌『アスタウンディング』1956年9月号に「金の卵を産む鵞鳥」という短編を発表した。その筋書きはこうである。1955年、テキサスのある農園主が飼っている一羽の鵞鳥が金の卵を産んだ。それを知った農務省は研究チームを立ち上げ、金の卵とそれを産んだ鵞鳥に対する科学調査に乗り出した。その結果、鵞鳥の肝臓の中で酸素18が金197へと転換されるという推論が提示された。   鵞鳥が金の卵を産むという寓話の世界の出来事を科学的に解明しようとしたバカ真面目なところも含めて非常に興味深い発想のあふれるフィクションであるが、特に私が注目したいのは、結局鵞鳥の腹を目の前で裂きひろげることができなかった研究者たちの次の言葉である。「わたしたちは、《金の卵を産む鵞鳥》を殺す勇気はなかった」。推論を立証し、鵞鳥の体内で金が作られるメカニズムを明らかにするために、鵞鳥の腹の中を直接見て調べるのは絶対欠かせない作業である。しかし、研究者たちは、だった1羽しかいない鵞鳥を解剖することはできなかったのである。この言葉に対する解釈は色々あるだろうが、古代から非難されてきた飼主のためのある種の弁護として受け止めることも可能ではなかろうか。   よく考えてみると、飼主の行動を「欲望」と結び付けて問題とする共通理解の背後には、鵞鳥の腹の中に金の塊なんか詰まっているはずがないという観念が大きく影響しているような気がする。言い換えれば、鵞鳥の腹に金の塊は存在しないと考えるのが常識的で理性的な判断だから、彼の行動は反常識的で反理性的なものになるわけで非難されるべく、彼がそのような行動をとったのはやっぱり欲望に負けたからだ、という論理が、古代から飼主の行動を戒める見方を支えてきたように思うのである。しかし皮肉なことに、欲望を諷刺しながらも、結局毎日一個ずつ金が得られるという、安定した金の入手による幸福追求を正しい選択として奨励している。果たして飼主の行動は、欲望にくらんで犯した反常識的・反理性的なものとして非難ばかりされるべきものなのか、疑問を拭いきれない。   今一度問い直してみよう。鵞鳥の腹の中から金の塊が出てきたとしたら、あるいは金の卵を産む仕掛けが見つかったとしたら、飼主への見方はどうなるだろうか。おそらく鵞鳥を切り裂かせた原因として戒められた「欲望」は、ふと思いついたことをすぐ実行に移した「実践力」として、また勇気のある行動をもたらした「原動力」として称賛されるかもしれない。   <李澤珍 LEE Taekjin> 東京大学大学院総合文化研究科博士課程在学中。専門は日本近世・近代文学、特に日本におけるイソップ寓話受容の歴史について研究している。主な論文に、「古活字版『伊曽保物語』の出版年代再考」(『国語国文』87―7、2018年)、「『伊曽保物語』版本系統の再検討―B系統古活字本の本文異同を中心に―」(『近世文芸』106、2017年)、「明治初期のイソップ寓話受容における『伊曽保物語』の影響について―渡部温編訳『通俗伊蘇普物語』を中心に―」(『超域文化科学紀要』21、2016年)等がある。     2020年10月29日配信
  • 2020.10.22

    エッセイ649:謝志海「いまこそ環境問題を考える(脱炭素編)」

    コロナから何か一つでも良いことがもたらされたとすれば、経済活動の休止による二酸化炭素の排出量の激減ではないだろうか。しかし、知っての通り一時的なもので、これは長く続かない。地球温暖化対策とは、持続可能な経済発展をしながら取り組まなければならない。その一つはエネルギー政策だ。石炭や石油などの化石燃料の使用を減らしてゆき、再生可能エネルギーへの代替を加速させる「脱炭素社会」を目指すことが地球温暖化対策の近道となる。   2015年にパリ協定で定められた「世界全体の平均気温の上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保つとともに、1.5℃に抑える努力を追求する」という目標を実現するため、多くの国々は「脱炭素」に向けて動き出している。脱炭素と言うと、まずは石炭の利用を減らす、あるいはやめることだ。石炭火力発電は二酸化炭素排出量が、天然ガスを使う同規模の火力発電と比べ約2倍になる。先進国のうちイギリスは2025年、フランスは2021年、カナダは2030年までに石炭発電を「やめる」と宣言している。そして2016年に、これらの国々が率先して脱炭素連盟(PPCA)を立ちあげ、すでに33ヶ国と29の自治体が参加している。   では、日本はどうだろう。現在稼働中の石炭火力発電所は約140基ある。また、東南アジア等の途上国、例えば、ベトナムで2024年の稼働を目指す「ブンアン2」という大規模な石炭火力発電所を手がけている。日本はG7の中では、いまだ海外で石炭火力発電所を新設している唯一の国だ。パリ協定に参加している日本は、2030年までに温室効果ガスの排出量を2013年よりも26%削減する目標を設定したが、他の先進国と比べると、脱炭素に関してはあまり積極的ではなかったことで批判を浴びている。現に2019年12月国連気候変動サミットCOP25の開催期間中、環境NGOの「気候行動ネットワーク(CAN)」から不名誉な賞「化石賞」を受賞した。しかも2度目の受賞である。これを受け、小泉環境相がCOP25のスピーチで「我々は脱炭素化に完全にコミットしているし、必ず実現する」と誓った。   それ以来、日本の石炭火力発電政策は少しずつ変化が起きはじめた。まず注目されるべき点として、2020年7月3日、経済産業省は稼働中の石炭火力発電所140基のうち、旧式で二酸化炭素の排出量が多い約100基を2030年までに休廃止すると発表した。これと同時に、日本政府は石炭火力発電所の輸出支援条件を厳格化する方針を決めた。これは脱炭素への大きな一歩を踏み出したともとれるが、完全に石炭をやめるまでには踏み込んでいないということでもある。   なぜ日本はまだ石炭発電を止められないのだろうか。それには、国内と海外の二つの要因が考えられる。国内では、3.11以降、原子力発電所はほとんど止まったため、いわばなし崩し的にコストが最も低い石炭火力発電の割合が増えた。現在、日本の電力供給は、石炭火力発電が30%以上を占めているため、そう簡単にはすべての石炭火力発電所を廃止することはできない。また、東南アジア等の途上国で今もなお石炭火力発電所の開発を進めており、日本が参入し続けないと、中国、インド等の新興国が入ってきてしまい、石炭火力発電所建設という大きな海外市場を失うことを恐れているのだろう。   これらの要因にとらわれず、国連のグテレス事務総長が指摘した「石炭中毒」の状態から脱却するには、再生可能エネルギーへの再認識が必要だ。例えば、石炭火力発電のコストが低く、再生可能エネルギーのコストが高いという認識はもはや正しくない。2010年からここ十年、太陽光発電のコストは80%も下がった。Bloomberg New Energy Finance によると、2030年までに、太陽光や風力などの再生可能エネルギー発電のコストが石炭発電のコストを下回る見込みだという。また、海外市場について、石炭発電所よりむしろ再生可能エネルギー技術を輸出した方が、経済的利益も国際社会からの評価もはるかに上がるだろう。   脱炭素への実現には、やはり再生可能エネルギーの普及が欠かせない。政府が掲げた目標は、2030年まで再生可能エネルギーを22~24%まで上げる、同時に石炭火力はわずか数パーセント減で26%としている。この目標は見直すべきだろう。例えば、経済同友会は2030年の再生可能エネルギーの割合目標を40%にすべきだと主張している。3.11後に孫正義氏が設立した「自然エネルギー財団」(東京)は目標を45%にすべきだと提言している。日本政府は真に再生可能エネルギーを主力電力化とすることを目指しているならば、より大胆に再生可能エネルギーの導入をすべきだ。そうすれば、「脱炭素社会」の実現もそう遠くないだろう。     英語版はこちら     <謝志海(しゃ・しかい)XIE Zhihai> 共愛学園前橋国際大学准教授。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイト、共愛学園前橋国際大学専任講師を経て、2017年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。     2020年10月22日配信
  • 2020.10.15

    エッセイ648:包聯群「コロナ流行期の中国の言語対応」

    新型コロナウイルス感染症が発見されて間もなく、中国政府は軍の医療チームを含む延べ4万2千人以上の医療関係者を、全国各地から武漢市をはじめとする湖北省の16都市に派遣した。その際、「抗疫」、「援鄂(鄂は湖北省の別名)」、「最前線」、「出征」という中国語語彙がメディアをはじめ、各医療チームのスローガンにも多く見られるようになった。医療関係者はコロナと「戦う」覚悟で湖北省(最前線)に出向かっている(出征)というニュースがメディアによって繰り返し報道され、全国的に「緊張」が走っていった。実はこの時、医療現場では「コロナ」以外にもう一つの「戦い」が始まっていた。それは人々の日常生活や社会活動に欠かすことができない重要な「武器」である「言葉」との「戦い」であった。というのは、湖北省に派遣された医療関係者を困らせることが起きたからである。つまり、患者の中に年配者が大勢いたため、まず「言葉」が通じないという問題が出てきたのである。方言の障害によってコミュニケーションがうまくとれず、治療に支障が出たのだ。   皆さんご存知のように、中国には56の民族がいて、その分言語も多いと思われがちであるが、ここで指摘したいのは、少数言語は別として、中国語の方言間の差異も大きいという点である。中国では、昔は「山を一つ越えれば、言葉が通じない」と言われるほどであった。標準語がすでに普及している日本からみると、この「言葉」が通じないという状況は考えられない光景だろう。しかし、現時点においても中国では、標準中国語(普通話putonghuaとも言う)が標準日本語のようにすべての地域に普及しているわけではない。学校で教育を受けられなかった人々は標準中国語を話すことができるとは限らない。特に今回のような場合、学校教育をきちんと受けられなかった年配者、あるいは地元の方言しか話せない方々は、外部の人との意思疎通に問題が起こりかねないだろう。   中国湖北省の方言は大きく3つに分けられる。即ち、西南官話、江淮官話と贛方言である。これらの方言はさらに細かい方言に分けられる。湖北省に派遣された医療チームは主に西南官話の武漢、荊州、宜昌、襄陽の各方言、江淮官話の孝感、黄石、鄂州、黄岡方言および贛方言の咸寧方言などを話す9つの地域で治療に当たっていた。これらの方言を全国から応援に来た医療関係者が知らないか、または標準語をあまり知らない患者さんが医療関係者の問いに答えられないか、方言で返してくるということが起こり、何を話しているかをお互いに理解できず、聞き取れないことがあったので治療にまで影響を及ぼしはじめていた。   最初に派遣された中国山東大学斎魯病院の医療チームが湖北省黄岡市に着いた時、現場で働く医療関係者が言葉の違いにいち早く気づいた。医療関係者と患者との意思疎通に障害が起き、治療の有効性に影響を及ぼしはじめたため、看護師のZ氏が自ら対策を考え「自救」に乗り出した。最初の『看護師と患者とのコミュニケーションブック』(『護患溝通本』)を2月1日までは作成し終え、職場である大別山地域の医療センターで実用化しはじめた。その後、山東省から第5次で派遣され、2月9日に武漢に到着した同大学医療チームのG氏も言葉の問題に気付き、現地の医師や大学の関係者に協力してもらい、武漢に到着してからわずか48時間以内に『湖北省を支援する国家医療チーム武漢方言実用ハンドブック』(『国家援鄂医療隊武漢方言実用手册』)を作成し、現場で使用しはじめた。   北京語言大学言語資源先端イノベーションセンター(語言資源高精尖創新中心Language Resources High-precision Innovation Center)の李宇明氏は、中国山東大学斎魯病院の医療チームが自ら『武漢方言実用ハンドブック』を編集したことを報道によって知り、すぐに多数の大学や研究機関及び企業などと連携を取り、「戦疫言語サービスチーム」(戦疫語言服務団)を立ち上げ、わずか3日間で『コロナ感染対策湖北方言通』(『抗撃疫情湖北方言通』)という「製品」を作り、「最前線」の医療関係者や患者らに湖北省の9つの方言と標準中国語の対応語彙や会話などを提供した。『湖北方言通』には感染対策や治療のためによく使われる156の語彙と75の文が選定されている。   現場への言語対策としての「製品」の形式は多種多様である。ウェブサイトネットバージョン、オンライン電話相談サービス及びネット上のテキストなどがあり、音声データとマイクロビデオも継続的に再生できるようになっている。またウィーチャット(WeChat)バージョンもある。標準中国語と方言の文と語彙が対応しているため、QRコードをスキャンすれば音声再生システムが起動され、音声放送ができる。そして『融合媒体ポケットブック(Fusion Media Pocket Book)』も手帳の形で印刷され、さらにTikTok(抖音)バージョンも作られた。それ以外に、方言翻訳ソフトも使用され、インテリジェントによる音声発信システムや医療アシスタント電話ロボット、そして日本ではあまり知られていないが、噂であるか否かを確認できる「奇虎360」会社の検索サイトまで登場した。湖北省や武漢市政府からビデオ同時通訳サービスも提供された。こうして「言葉」の壁を乗り越えていったのである。   後にこれを活かし、『コロナ感染対策外国語通』(『疫情防控外語通』)、『コロナ感染対策「やさしい中国語」』(『疫情防控“簡明漢語”』)なども短期間で作成され、現場や外国人に提供された。「やさしい中国語」は日本の言語サービスとして、在日外国人に提供されている「やさしい日本語」からヒントを得て作られたという。「戦疫語言服務団」の「災害言語サービス」対応に参加した機関や業種は多く、500人以上の人々が参加していた。医療関係者だけではなく、他の分野からもこうした膨大な規模の人々が動きだして言語対策を取り、「災害言語サービス」を提供していたことがわかった。     英語版はこちら       <包聯群(ボウ・レンチュン)Bao Lian Qun> 中国黒龍江省出身。東京大学から博士号取得。大分大学経済学部・教授。中国言語戦略研究センター(南京大学)研究員。TOAFAEC『東アジア社会教育研究』編集委員。SGRA会員。専門は社会言語学、中国北方少数言語。『言語接触と言語変異』、『現代中国における言語政策と言語継承』(1-4巻)などの著編書多数。     2020年10月15日配信
  • 2020.10.01

    エッセイ647:尹在彦「SGRAカフェを終えて:半年間のコロナ対策の教訓と日本モデル」

      米国の調査会社ピュー・リサーチが最近、興味深い調査結果を発表した。14カ国を対象としたこの調査では「感染症の拡散を重大な脅威と認識しているか」が問われた。どの国が最も強く脅威を感じていたのか。1位は89%が「重大で脅威である」と答えた韓国で、2位は88%の日本だった。誤差を考えるとコロナへの両国民の脅威認識はそれほど変わらないと言って良いだろう(調査期間は6~8月)。他に米国78%、英国74%で、最下位はドイツの55%だった。極めて緩い対策を取ったスウェーデンも56%と低かった。   韓国のマスコミの報道ぶりや政府の派手な対応を見ていると高い脅威認識は十分うなずけるものだ。しかし、日本でこれほど脅威認識が高いのは意外だった。マスコミのコロナ報道は抑制的で、政府や自治体の対応も急速に緩くなっていったからだ。ここで浮き彫りになったのは、日本のコロナ対策というのは「非常に高い脅威を感じた個々人の努力で国全体を牽引している」ということだ。強制的措置がなかったにもかかわらず、JR各社が過去最大の赤字に陥るほど人々の移動は急減した。「日本モデル」というものがあるとするならば、それは個々人の行動変容の徹底ぶりだろう(これはたやすく真似できるものでないため、本当に「モデル」と呼べるかには疑問が残るが)。   今回のSGRAカフェ「国際的観点から見た日本の新型コロナウイルス対策」で感じたのも、各国のリポーターの報告と日本のケースとの「温度差」だ。ベトナムを除いた5カ国(日本・韓国・台湾・インド・フィリピン)は民主主義体制だが、移動制限や個人情報を基にした追跡技術が用いられている。「コロナ拡散を抑え込むため」という名目で一定程度、人権侵害が許されている。罰金刑を伴う移動制限やマスク義務化、営業制限は欧米諸国でも導入されている。もちろん、韓国や台湾は過去の失敗経験が一種の「社会的予防接種」として効果を発揮した側面も否めない。社会的合意のもとでの規制措置が採用された。数多くの島から成り立っているフィリピンや、膨大な国土と人口を擁するインドも強力な移動制限に踏み切るしかなかった。   日本は強硬路線をとらなかったものの欧米諸国のような「感染爆発」は起きていない。個人的には、コロナ禍の中で注意深く観察しているのが「コロナ・マスク否定論者の集会(反ロックダウンデモ等の反政府集会)」だ。そういった集会への参加者はいわば「反知性主義者」とも言うべき人々だが、それにしても欧米諸国が大切にしてきた価値を反映したものと言えなくもない。   また、少なからぬ日本のマスコミは韓国の感染症対策を「全体主義的」という論調で報じていたが、筆者は「韓国も民主主義国」と信じているため、やりすぎた措置と考えられる時にはいつでも激しい反発が出ると見ていた。それが8月15日の「反政府デモ」として表れる。デモ参加者については極めて愚かな行動だったとは思うが、欧米とは違う形とはいえ韓国も民主主義体制であることを証明したと思う。   それを考えると、日本の場合はやはり「異例」としか言いようがない。強権的な措置もなかったが、世論調査の半数以上が政府の対策に不満を表しつつも市民らの見える形での反発は非常に弱かった。渋谷で「ノーマスクイベント(クラスターフェス)」は開かれたものの、欧米や韓国と比較すると「みすぼらしい」ものだった。「自粛」という形での「自発的移動制限」が実行され、お盆休みにも新幹線の利用は大幅に減少した。これは個人の自由を強調する欧米諸国や権威主義体制の名残のある韓国・台湾にも、権威主義体制の中国・ベトナムにも属さない「日本的特徴」だ。   政府やマスコミとは別に「強く脅威を感じる個々人の対応が日本のコロナ対応を引っ張ってきた」といえるのではないか。否定的にのみ捉えられるいわゆる「自粛警察」もその意味では「日本モデル」を構成する一部分だ。地方のみならず、豊島区役所の職員さえ自粛警察と化した現象(営業中の飲食店を脅した疑いで逮捕)は見逃せない。他国では自粛警察の役割を本物の警察が担っており、ここでも日本の特殊性は鮮明に見えてくる(現代刑法は私的制裁を禁じるため、自粛警察をそのまま助長するわけにはいかないが)。ある意味、金田一耕助が警察より先に事件を解決する文化の継承(?)と言えなくもない(ちなみに筆者は横溝正史のファンだ)。   しかしながら、日本の緩い政策が経済的後退を防げなかった点は必ず考慮しなければならない。筆者の住んでいる国立市や隣の立川市の繁華街では閉店が相次いでいる。老舗の文具店(創業81年)やステーキ店(同30年)等が閉店してしまった。ある程度コロナの脅威を抑え込まない限り、経済の持ち直しは困難になるだろう。   SGRAカフェの報告から明らかになったのも、経済と防疫の両立が容易ではないということだ。   半年間のコロナウイルスとの戦いからの教訓は「感染拡大期に経済と防疫の両立は極めて困難であること」だ。コロナが弱毒化した明確な証拠やワクチンの開発がない間は、これは変わらないだろう。恐らく来年も今年のような「抑制と拡大の繰り返し」が続くのではないか。これまで「希望的観測」が次々と裏切られてきた経験からは、やはりそう考えざるを得ない。最悪を想定した上でのコロナ対策がむしろ最も効果的かもしれない。   当日の写真はこちらよりご覧いただけます。   当日のアンケート集計結果はこちらご覧いただけます。   当日の録画(YouTube)を下記リンクよりご覧いただけます。     英語版はこちらよりご覧いただけます。     <尹在彦(ユン・ジェオン)Jaeun_YUN> 2020年度渥美国際交流財団奨学生、一橋大学大学院博士後期課程。2010年、ソウルの延世大学社会学部を卒業後、毎日経済新聞(韓国)に入社。社会部(司法・事件・事故担当)、証券部(IT産業)記者を経て2015年、一橋大学公共政策大学院に入学(専門職修士)。専攻は日本の政治・外交政策・国際政治理論。共著「株式投資の仕方」(韓国語、2014年)。     2020年10月1日配信  
  • 2020.09.24

    エッセイ646:バラニャク平田・ズザンナ「カルチャーショックを招いた日本のジェンダー役割分担と私の留学経験」

      初めて来日してからいつの間にか10年も経った。2010年に子どもの頃から遠い夢のように思っていた日本にやっと足を運ぶ機会を得たのだ。当初、1年間の交換留学が終わった後、ヨーロッパに帰る予定だったが、まさかその後ずっと日本で生活することになるとは予想さえしていなかった。気がつけば、大人になってからほとんどの人生を日本で過ごし、いつの間にか日本で家族を持つようになって、日本は私の「home」になった。   振り返ってみると、この最初の1年間が私のその後の人生の選択に大きな影響を及ぼした。日本学科が専攻だったイギリスの大学生の時に女性文化とジェンダーに興味を持ち始めたため、交換留学先として、日本の大学で初めてジェンダー研究を目的とする施設を設立したお茶の水女子大学を選んだのだ。正直、お茶大が女子大であることについてあまり深く考えず、他の大学と何も変わらないだろうと思っていた。しかし、この女性だけの環境で、本当にあらゆる人間の経験にはジェンダーが関連していると初めて感じた。その考えのきっかけとなったのは、私のカルチャーショックだった。   この1年間の中で最も強いカルチャーショックは意外なものだった。来日後の最初の数ヶ月の間にたくさんのものにびっくりして、確かに毎日のように新しいことを発見していた。しかし、来日前から長年日本について学んでいたからか、普段、外国人が衝撃を受けているもののほとんどにはすでに馴染んでおり、案外びっくりするものではなかった。だが、私のカルチャーショックの体験は思いがけない方向からやってきて、ジェンダーと日本の女性文化への関心をより強化して、大学院の進学先の選択肢に大きく影響した。   そのカルチャーショックは他の学生との会話だった。ある日、留学生と日本人の学部生が一緒に受講している一つの授業の中で、「将来何になりたいですか?」という問いについてディスカッションをした。「将来何になりたい?」の質問と言えば、どんな国でも子どもの頃から何回も聞かれるだろう。人気の答えがある一方、個人差が出てくる大人になると十人十色の場合が多いだろう。しかし、この授業に参加していた日本人の女子学生の圧倒的な人数は「専業主婦」と答えた。主婦や主夫になりたい人にこれまで1人も会ったことがなかったので、その答えにはピンとこなかった。なぜ日本人の女子学生は主婦を目指すのか?しかも、主婦を目指すのであれば、なぜ彼女らは大学に入学したんだろうと疑問に思ったからだ。気になりすぎて、授業後に日本人の友達に聞いてみた。すると、あまりにも冷静で論理的な回答にまたショックを受けた。   日本では、専業主婦になりたくても高等教育が不可欠だそうだ。「大学を卒業すれば、良い職場に就職できて、そこで高年収の夫と出会えるから」と説明されたのだ。今振り返ると、日本ではこの論理は当たり前のものだと思っている人は多いんじゃないかと思うが、当時、21歳だったヨーロッパ文化の価値観で育った私にこの考え方は大きな衝撃を与えた。   まず、20代にもまだなっていない学生が自分の教育の選択肢を将来の結婚のことを予想して選んでいることに驚いた。だが、この考え方に関して教育の非重要性よりも衝撃的だったのは、このような女子学生が抱く冷静な恋愛関係の戦略が広く普及していることだった。結婚や結婚相手のことをこれまで一切気にしていなくて、日本の現状を知らずにナイーヴだった私には、まだ出会いもしていない男性との結婚を予期して自分の将来の日常生活と仕事を決め、そのために紙切れ扱いにしかならない高等教育の卒業証明書を得ることに納得がいかなかったのだ。   日本人女性が憧れている将来の「仕事」の選択肢に大きな文化の違いを感じた。なぜ私と同じ大学で、同じ教育を受けている女子学生は女性として目指しているものがそこまで違うのだろう?そして、なぜ(旧共産主義の国で育った私に)時代遅れのようにしか聞こえない「仕事」が日本でそんなに憧れられているのだろう?なぜ女性の夢はそんなに違うのだろう?と、あの授業が終わった後、長い間に頭の奥にずっと残っていた。   来日してから10年が経って、日本でパートナーと出会い、結婚して、子どもができ、日本の女性の状況とジェンダーについてたくさん学んだが、今でも日本とヨーロッパのジェンダー格差について同じようなことを考えるときがある。結局、今の日本では、「女性が輝く社会」などと女性の社会進出が幅広く叫ばれているが、このような「専業主婦願望」の学生の意識改革を起こさなければ、日本社会は変わらないんじゃないかと考える。   <バラニャク平田(ひらた)・ズザンナ Zuzanna_Baraniak-Hirata> 渥美国際交流財団2019年度奨学生。ポーランド出身。2012年マンチェスター大学人文科学学部日本研究学科を卒業してから来日。2016年お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科ジェンダー社会科学専攻・開発・ジェンダー論コースにて修士号取得。現在同学のジェンダー学際研究専攻・博士後期課程在籍中。埼玉大学経済学部・埼玉大学大学院人文社会科学研究科非常勤講師。専門分野は文化人類学、ジェンダー論。     2020年9月24日配信
  • 2020.09.17

    エッセイ645:ナーヘド・アルメリ「プロポーズ・スタイル」

      卒業が近づいてくると周りの人たちから卒業後の計画について訊かれることが多くなった。特に卒業するのが数年間にわたって勉学をし続けた大学院生の場合、最初に訊かれることは卒業後の仕事に違いない。仕事の次は、特に女性で未婚の場合は、結婚や相手がいるかどうかの質問が必ず出てくる。   私は日本文学が専門なので、博士号を取得するために2011年9月に日本に留学した。8年あまりの時間をかけて、去年(2019年)の12月に書き上げた博士論文をもとに、先月(2020年3月)博士の学位を取得した。これから帰国する予定だが、帰国後の仕事と生活について訊かれるのは当然のことだろう。そんな中で昨年気に留まったことがある。これまでも話題になったことはあったが、あまり具体的な内容にまで触れられることがなかった、結婚に先だつ「プロポーズ」をめぐる話で、色々と驚くことがあった。   「なんてプロポーズすればいい?」「ナーヘドさんはなんてプロポーズされた?」というフレーズをなぜかわからないが、去年、仲が良くて年齢的にも同じくらいの日本人の知り合いや友達から聞くことが多かった。特に日本人の若い男性がプロポーズの言葉・場所・タイミングでとても頭を悩ませてしまうことがわかった。それに、プロポーズするときのプレゼントと高級ホテルやレストランなどの場所にもお金をかけてしまう男性が少なくないようだ。なぜそこまで頭を悩ませてお金もかけてしまうのかと驚き、その理由を訊いてみた。すると、社会的に男性にはそのようなことが求められている傾向が強くなっていることがわかった。そして相手の女性にとってプロポーズされた時のことは、女性同士のおしゃべりの恰好の話題になり、それで盛り上がることもわかった。   母国のシリアと日本のプロポーズ・スタイルの違いが大きいので、グーグル検索で「プロポーズ」をキーワードに打ってみた。予想以上のリンクがヒットした。プロポーズのときに何を言うか、どのタイミングでどのような場所を選べばいいかを提案しているページがたくさんあるのを見てがっかりした。   私は彼氏と日本に来る2年前から付き合っているが、なんてプロポーズされたか覚えていない。そもそも彼から直接「プロポーズ」とはっきり言えるようなことがあったかも覚えていない。それは私にとって、おそらく他のシリア人女性にとっても重要ではない。   シリアやその隣国では、男性と女性が互いに相性が良くて、互いのことを気に入っていることに気づくと、意図的に相手がいる場所に居続けたり、偶然であったかのように相手の通学や通勤タイミングを狙ってそこに現れて、そこで話しかけるまで時間をかけて、段々と会う時間や話す時間を長くしたりするようなことをする。国が違っても男性と女性の付き合いはそのようなことで始まることが少なくないでしょう。勿論シリアでは男性の方が積極的である。そしてそういった始まりから自然に恋人同士になり、互いの状況と互いのことをよく知り合ったうえで、付き合いを結婚に繋げることを決める。   結婚を決めるということは、恋人同士が話し合い、タイミングを決めたうえで、女性が母親に相手の男性のことを伝え、その母親が父親に話を伝え、女性が両親の合意を得られたら、相手の男性に知らせる。すると、今度は女性が両親に、相手の男性が両親を連れて婚約のことを進めるために訪問してくるタイミングについて相談して決める。決めたタイミングで男性が両親と一緒に相手の女性の家族の家を訪ねる。そこで、彼の父親が女性の父親に「あなたのお嬢さんを我が息子の嫁にもらえたら光栄です」と言って、女性のことを息子の嫁として求める。すると、女性の父親が「こちらこそ、私の娘と貴方の息子さんが結ばれ、私たちが一つの家族になって光栄です」と言って、家族間で2人の付き合いが認められ、2人の父親を通じてのプロポーズのもとで、婚約パーティーを行なう。婚約後に数週間、または数ヶ月間を空けて、結婚式の準備が整えられたら、結婚式を挙げる。これはシリアと隣国の伝統的なプロポーズの手順だ。父親たちを通じたプロポーズをした方がエレガントで女性が喜ぶ。   婚約パーティーを行なうまで、男性が女性に喜ぶようなプレゼントをあげたり、2人が好きそうなレストランで食事をしたりする。最初の段階にくれるプレゼントは花が多い。高い店で買った花ではなく、薔薇やジャスミンなど道端にたくさん咲いている花を摘んだものが多い。気に入った段階から真面目な付き合いになると、時計やカバンなど基本的に小さくて実用的なプレゼントをくれる。だが、どんなにプレゼントをくれても、相手の男性にどんなに「好きだ」とか「愛している」とか言われても、それが、両親を連れて、互いの父親を通したプロポーズに展開しないと、女性は喜ばない。そしてそのプロポーズの場所は女性の家族の家に決まっている。男性は両親を連れて果物やお菓子を持って女性の家族の家を訪ね、後は2人の父親たちに任せれば良い形で進む。   日本で社会的に素敵だとされているプロポーズ・スタイルを知った時、シリアとは違って日本の若者の間のプロポーズでは本人たちが主役となっていることが、男性の負担がどうしても重くなってしまう理由なのではないかと思った。伝統的でつまらないものだと思われるかもしれないが、シリアで生まれた私にとっては、当然ながら、親にサポートされ、親に見守られている中でのプロポーズの方が素敵だと思う。特に、インターネットやSNSで、男性にプロポーズの言葉・場所・タイミングなどが提案されていることを疑問に思う。   プロポーズ・スタイルは国や世代によって異なっていることは当然だが、社会の個人化が進んでいる日本で、家族を作る重要なステップであるプロポーズについてネット上に提案が山ほど提示されている状況を見ると、これから家族を作る時に、知らないうちに個人としての自発性や積極性が段々と闇に葬られてしまうのではないかと感じた。そして女性の方がプロポーズをめぐる理想を高くしていては、男性が自信を無くしてプロポーズの機会が少なくなるだろう。近代社会の在り方やSNSなどにあおられるプロポーズではなく、理想が高くない自然な成り行きのプロポーズこそが現実的な結婚に繋がるのではないかと思う。   日本に留学して9年近く在留しているが、大学院卒業が迫ってくると同時に、周りの人々からいろいろ訊かれるようになって、気に留まった「プロポーズ」についての私の考えである。   <ナーヘド・アルメリ Nahed_ALMEREE> 渥美国際交流財団2019年度奨学生。シリア出身。ダマスカス大学日本語学科卒業。2011年9月日本に留学。2013年4月筑波大学人文社会科学研究科に入学。2020年3月博士号取得。博士論文「大正期の童謡研究――金子みすゞの位置づけ」は優秀博士論文賞を受賞し、現在出版準備中。8月末シリアに帰国、ダマスカス大学日本語学科で教鞭をとる予定。     英語版はこちら     2020年9月17日配信
  • 2020.09.04

    エッセイ644:謝蘇杭「コロナとの長期戦に備えて」

      今年の4月4日、中国の清明節。中国における新型コロナウイルスとの戦いの初歩的な勝利を示すシンボルとして、政府は当日の午前10時、全国で3分間の黙祷を行い、1月23日の武漢封鎖を皮切りとした2か月にわたるコロナの防疫活動で犠牲になった医師と医療従事者たち、そしてコロナで逝去した人々に哀悼の意をささげた。中国におけるコロナの一時的収束と反対に、コロナの世界的大流行は4月を機にその傾向が顕著となり、日本も免れなかった。幸い、日本の感染者数は欧米諸国に比べると低いほうで、4月から5月の間、政府が発した緊急事態宣言によって、さらなる感染は一時的にコントロールできた。しかし思わぬことに、5月末の緊急事態宣言の解除に伴い、間もなくクラスター(感染者集団)が頻発し、東京都は連日、以前をはるかに上回る感染者が現れた。新型コロナウイルスの爆発の第二波はやはり現実になった。   日本における新型コロナウイルスの爆発の第二波は、まさしく次のような残酷な事実を我々に押しつけている――少なくとも、我々が当面予測可能な近い将来において、コロナは我々とともに生活し、我々の日常生活のあらゆる面でその影響の痕跡を残すに違いない――最初に我々が望んでいた、短い苦痛をしのげばきっともう一度普通の日常に戻れるという楽観的な夢が破れたのだ。したがって、この苦境のなかで新しい心構えを作り直さなければならないのである。我々は皆、自分の内面において、コロナとの長期戦に備えて粘り強い根性を持つと同時に、現実の日常生活での一挙手一投足において、所々に注意を払い、コロナの防衛策に自分なりの最善を尽くすべきである。これこそ、これからのウィズコロナの社会を生き抜くための、正しい態度だといえよう。   昔、ある記事を読んだことがある。その記事は、ひとりの人間、または一つの組織が、如何に長きにわたる困難にうまく対処し、やがて乗り越えることに成功したのか、という問題を検討している。そこで記事の著者が与えた答えは、「回復力」(立ち直る能力)である。では、この「回復力」は具体的に何によって構成されているのだろうか。   記事の著者はナチの強制収容所に収容されていたある生存者を対象にインタビューを行った。この生存者の話によれば、ほかの収容者と違って、彼は外の世界に希望を託しすぐにも救出されるという幻想を最初から持っていなかったという。それと反対に、彼は自分が生きてこの収容所から脱出できないかもしれないということを、真剣に受け止めていた。生存の限界状況に達する収容所において、彼が唯一考えていたことは、もし奇跡的に彼が生きて外の世界に戻ったら、必ず外の世界に対して、今彼が経験しているこの状況のすべてを暴き出さなければならないということであった。世界にここで発生している悲劇を伝えることで、このような悲劇を二度と起こすまいと、彼は心の中で強く願っていた。この信念をもって、彼は自分の創造力を最大限まで発揮し、収容所の冬を潜り抜けるありとあらゆる材料を収集し、最後にこの想像を絶する苦境を乗り越えたのである。   この生存者の経験は、「回復力」を成り立たせる3つの要素を明示してくれている。それはつまり、現実に向き合う勇気と、生きる意味への追求と、状況への柔軟な対処、という3つである。この3つの要素は、まさしく我々がこれからのコロナとの長期戦で向き合わなければならない苦境において、我々の生の価値を最大限まで引き出せるテーゼなのではないだろうか。   こうしてみれば、新型コロナウイルスの世界規模での横行は、世界中の多くの国の人々に災いをもたらしただけでなく、それと同時に、潜在的なウイルスの脅威、規制された不便極まりない生活、消費社会の一時的停滞、失業とともに失われた日常の達成感…などといった諸般の困難を我々皆に押しつけることで、我々にもう一度自分の生き甲斐と積極的な人生の態度を見極めさせ、拾い直させる機会でもあるのではないか。   今回のコロナの影響を引き金に、世界の情勢に急激な変化が発生する可能性は相当大きいといえよう。しかし我々は、この2020年に不運にも遭遇したコロナという災いを、悪いニュースとして受け止めるのではなく、良いニュースとして見るべきである。これから長期間にわたる限られた生活のなかで、無限の可能性を自らの手によって作り出そう!   英語版はこちら   <謝蘇杭(しゃ・そこう)Xie_Suhang> 渥美国際交流財団2019年度奨学生。中国浙江省杭州市出身。2014年江西科技師範大学薬学部製薬工程専攻卒業。2017年浙江工商大学東方語言文化学院・日本語言語文学専攻日本歴史文化コースにて修士号取得。現在千葉大学人文公共学府歴史学コース博士後期課程在籍中。研究分野は日本近世史、特に日本近世における本草学およびそれと関連した近世社会の文化的、経済的現象に注目を集める。「実学視点下の近世本草学の系譜学的研究」を題目に博士論文の完成を目指す。     2020年9月3日配信
  • 2020.08.27

    エッセイ643:林泉忠「第13回SGRA-Vカフェ『ポストコロナ時代の東アジア』を終えて」

      2020年7月18日の第13回SGRA-Vカフェ「ポストコロナ時代の東アジア」は定員の100名を超える申し込みがあり、予想以上に多くの第一線で活躍されている大物の学者や各新聞社の編集・論説委員などが参加してくださった。そして活発な議論が行われ、大盛況で無事に終わった。終了後、主催側の今西さんから「大成功でしたね」というコメントを頂き、ホッとした。皆様のご厚情に心より感謝を申し上げたい。   今回のSGRAカフェは自分にとって3回目ではあったが、今までと比べて二つの特徴が挙げられる。   その一つは、やはり初めてのバーチャル講演という試みだった。そのため、今回はこれまでの12回と異なり、「カフェ」の前に初めて「V」が付けられていた。コロナ禍の影響で、実際に人が集まる講演が難しい中のやむを得ない選択であった。私は今までに各地で100回以上の講演を行ってきたが、目の前に実在の聴衆がいない「講演」は初めての経験だった。   パンデミックの中、国境を越える人と人の交流が激減し、国内で内向きの生活に集中する現象や、自国の利益を優先する傾向が見られることから、自国第一主義やナショナリズムの温床になることも懸念せざるを得ない、と講演の中でも語った。しかし一方、Vカフェのおかげで国境を越えて遠方の方も参加できるし、普段は多忙な方々も比較的参加しやすくなるため、V活動はコロナ時代に限らず、ポストコロナ時代にも多く見られる人類が経験する新たな交流手段になることも想像し難くない。   今回のカフェの経験から感じたもう一つの特徴は、タイムリーで進行中のテーマということに原因があるが、準備の段階からカフェの日まで予想外に世界情勢が激変し、カフェ参加者の注目点が少々ズレたことが挙げられる。   今回のカフェは3か月前から準備し始め、コロナ禍による東アジアへの影響を分析しポストコロナ時代を展望することだった。しかし、途中、筆者が現在居住している香港において、5月下旬に中国が導入した「国家安全法」が香港に限らず世界を震撼させた。米中対立を加速させ、日本の対中政策も大きく変化させた出来事が起こったのだ。講演の内容は、それによる影響を配慮しながらも本来のテーマに沿って東アジア全体をカバーするようバランスの維持に必死だった。   だが、講演者が住んでいる香港は急速に「米中新冷戦」の最前線になる気配が濃厚になったため、やはり、こちらが参加者の関心の焦点になった。しかし考えてみれば、国際政治の研究は本来、動く世界に注目し進行中の国際社会が注目する問題を取り上げ分析する作業なので、むしろ自然なことであり、国際関係を研究する最大の意義が含まれるイベントだったと思う。   「カフェ」という設定は本来、小規模でリラックスした講演会という位置付けだったが、Vの特徴が働き、予定していたコメンテータの下荒地修二先生(元外交官)や南基正先生(ソウル大学)をはじめ、特にV「懇親会」のコーナーにおいて高原明生先生(東京大学)、松田康博先生(東京大学)、菱田雅晴先生(法政大学)、小笠原欣幸先生(東京外国語大学)など活躍中の諸先生が次々と登場し、示唆に富むコメントをたくさんいただいた。これからのコロナによる世界への更なる影響や、米中新冷戦による東アジアへの波及現象の探究を深めていくには、まさに貴重な交流の機会だったことをあらためて感じている。   最後に、今回の素晴らしい企画において終始、周到にアレンジして下さった渥美財団関口グローバル研究会の今西淳子代表や辰馬夏実さんに深い感謝の意を表させていただきたい。   <林泉忠(りん・せんちゅう)LIM, John Chuan-Tiong> 国際政治学専攻。2002年東京大学より博士号を取得(法学博士)。同年より琉球大学法文学部准教授。2008年よりハーバード大学リサーチ・アソシエイト、2012年より台湾中央研究院近代史研究所副研究員、国立台湾大学兼任副教授、2018年より台湾日本総合研究所研究員、香港アジア太平洋研究センター研究員、中国武漢大学日本研究センター長、香港「明報」(筆陣)主筆、を歴任。 著書に『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス:沖縄・台湾・香港』(明石書店、2005年)、『日中国力消長と東アジア秩序の再構築』(台湾五南図書、2020年)など。     2020年8月27日配信
  • 2020.08.07

    エッセイ642:ノハラ・ジュン・ジュリアン「大学の役割は何か。新型コロナウイルスを通じて再考する」

      新型コロナウイルス(COVID-19)が日本に初めて上陸した2020年1月16日から半年が経った。このウイルスは世界中で経済や一般社会を混乱させ、また我々の日々の生活や人生にも多大な影響を及ぼし、その経験を語る市民の声がメディアやSNS等に広がっている。本稿もその声の一つである。私は東京都内の某大学の非常勤講師として雇われ、3年前から大学で教え始めた。それまで博士課程に在籍する大学院生でありながら教育について真剣に考えたことがなかった。人生初の授業がとても印象的で、その日から教員や大学の役割について深く考えるようになった。本稿では「高等教育」について一言述べたい。   なぜ若者は大学に進学するのか。   私が国際関係学部で教えている科目の中に認識論入門が含まれていて、毎年春学期が始まると学生に質問する。勿論、「医者になりたい人は医学部に行かないといけいない」、「弁護士になりたい人は法学部に行かないといけない」、目的と手段の関連性をはっきり結び付ける答えがある。この答えにも疑問があるが本稿のテーマからかなり外れてしまうので、ここでは扱わない。他方で、「高等教育は重要だ」、「自分が好きな分野を選んで学べるからだ」、「就職活動やキャリアに必要だからだ」という答えも少なくない。しかしこれらの答えも高等教育のレゾンデートルを言い当てているとは思えない。これらの意見は決して学生や若者に限られた話ではなく、親も共有しているのだと思われる。   上記の3つの典型的な答えを通して高等教育の役割についてどの様なことが言えるだろうか。まず、1一つ目の答えはトートロジー(同義語反復)に近いもので、なぜ大学教育は「重要」なのかについては不問に付されたままである。2つ目の答えは「学ぶ」ことに注目する点が興味深い。確かに多くの自然科学系の科目ではインフラや実験設備が重要で、大学や研究組織の外で学ぶことは難しい。だが、他の科目に関しては世の中には MOOC(Massive_Open_Online_Courses) をはじめ、大学の枠外でも学ぶ場が多く提供されつつある。学習の場が増えるのは良い事だが、「教員の役割は教える」、「学生の役割は学ぶ」、という伝統的な知識伝達方式ではこれからの大学教育では不十分であろう。   就職活動に関する3つ目の答えは興味深い。大学卒業生は高校卒と比較して収入の差が年齢によって拡大し、結局生涯賃金が平均で高くなるのは事実である。大学卒と高校卒では就職選択時の職業区分が違うのも事実だ。だが、多くの人々はなぜ企業がその様な雇用政策を取るかについて理解していない。日本の高等教育制度では社会で通用するビジネススキルを学べる機会が少ない。仕事に関するビジネストレーニングは就職後に企業で実施されることから、大学で身につけるビジネススキルが企業にとってそれ程重要ではないことは明らかである。日本においても、他の多くの国のように大学教育カリキュラムの職業化、つまり大学での実践的職業教育を通じて企業が直ぐに活用できる高度人材を育成しようという声が高まっているようだが、日本の大学は、先に述べた医者や弁護士等の専門職以外の「専門労働者」を育てる環境ではない。もっと言うならば、そういう職業教育は必要ないと言えるのではないか。   では、なぜ高等教育について今考えないといけないのか。   大学教育は社会的に将来性がある人的投資としての性格を持ちつつ、同時に家庭にとっては大きな経済負担でもある。私立化が進んでいる日本の高等教育制度においては、国家的あるいは市民社会的要請と公共負担という理論よりも、需要・供給関係に根差した受益者負担論が大勢だったので、大学に行って学ぶ為の機会費用を考慮せざるを得ない。この様な状況下では、昨今議論になっている大幅な大学教育の無償化も考慮するべきだろう。日本はOECD諸国の中で高等教育に支出される対国民総生産国庫補助率が極めて低いのであるから、積極的に議論されるべきである。   新型コロナウイルスによりオンライン授業に切り替えることを決めた時、組織である大学が最も懸念していたのは、既にニュースなどでも報道されたように、5人に1人の学生が退学という選択を考えていることだった。2009年の金融危機の直後にも米国で同じような傾向が見られた。今回のコロナ危機で経済的な困難に直面する親が子供の教育費を支えられなくなることが一つの大きな原因である。それに加え、オンライン授業への切り替えで「高等教育」の価値そのものが下がってしまうのではないかという心配もある。   多くの親や学生にとって高等教育の価値が下がってしまうという認識は何を示しているか。学生達に知識に対する能動的態度を身に着けてもらうには、オンライン授業だけでは到底十分ではない。学生はキャンパスに入構もできず、教員や友人との直接会話・接触による学習可能性を損失し、オンライン授業による断片化された知識の受け渡しだけになっているのではないか。学生と親たちにそのような認識を持たせるような状況は避けなければならない。   実際、オンライン授業が開始して1ヶ月がたったが、講義形式の授業では双方向での意思疎通がうまくできずにいる。更に言えば、多くの実習科目や実験室が必要となる自然科学系では授業の効率性が下がったのは間違いない。また、情報格差によりオンライン授業について行ける学生とついて行けない学生との差が拡大し、新たな階層と共に新たな不満も現れている。高等教育の大衆化は我々にとって当然のことになったが、実はそれ程前に一般化したことではない。オンライン授業は、高等教育大衆化の負の側面を益々広げていく可能性がある。少子化、経済不況、そして現在の新型コロナウイルスによる社会封鎖という挑戦に直面している高等教育は、今一度新たな教育方法論を見出し有為な若者を育てていく為の努力を怠るべきではない。   高等教育の現代的意義は我々の社会の複雑化にあるのではないか。政治、経済や技術を初め、社会は益々複雑化していく。その様な環境下では人々は判断の自立性を失いがちである。複雑な状況下でも適切な良識ある判断を下し行動できる社会人あるいは市民を育てるのが大学の役割だと思う。そうでなければ、人びとは受動的になり、自らの人生さえも選択することが難しくなっていく。逆説的だが、情報洪水により人の自由が奪われてしまう状況が出現している。重要なのは人々と知識や情報との関係を再構築することだろう。大学では、既成知識の伝達のみならず、新たな知識を自ら探索し学習していく能動的態度を若者に身に着けてもらわなければならない。それこそが今大学に課せられた大きな使命だろう。   <ノハラ・ジュン・ジュリアン(野原淳)NOHARA Jun Julian> 京都産業大学国際関係学部常勤講師。東京大学総合文化研究科博士課程在学中。2011年、パリ政治学院修了。2008年度、慶應義塾大学交換留学。日本学生支援機構、文部科学省、松下記念財団、渥美財団の元奨学生。上智大学言語教育研究センター、津田塾大学総合政策学部で非常勤講師の経験もある。専攻は国際政治とシーパワー。     2020年8月6日配信