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エッセイ677:具慧原「小津めぐり」

 

数年前の夏、清澄白河にある、ずっと行ってみたかったカフェに向かう途中だった。ビルに書いてある住所をちらっと見た私はびっくりした。深川、と書いてあったためである。深川は私の研究対象である小津安二郎監督が生まれ、幼少期を過ごしたところである。彼の映画に現れる下町情緒の起源とも言える深川に偶然足を踏み入れたことは、私を非常に興奮させた。まだ東京の地理に詳しくなかった私の頭のなかでは、清澄白川と深川は全く異なる島のように浮かんでいたため、これは思わぬ発見だった。猛暑も忘れてすぐに地図アプリを開き、「小津安二郎誕生の地」に行ってみた。道路ができ、大きなマンションが立ち並んでいる風景は、小津の眼に映ったものとは随分違うはずなのにもかかわらず、夏の陽を照り返すアスファルトに立ってその風景を眺めていると、小津が歴史の中の人物というより、まるで私の身近な人であるかのような不思議な感じがした。そして私の研究も、根本的にはこの地から始まったんだ、という実感が湧いた。予期しなかった小津との出会いが、私を小津の方へ一歩近寄らせたのである。

 

それ以来、いわゆる小津めぐりは留学生活における一つの課題となった。上野公園の西郷隆盛銅像、鎌倉の大仏、京都の龍安寺、尾道の鉄道などから小津の足跡をたどった。ドイツの世界的な監督であるヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)はドキュメンタリー映画『東京画』(1985)にて、東京にはもはや『東京物語』(1953)の様相がない、とがっかりしていた。しかし私は、すでに変わったもののなかで変わっていないものを見つける度に、つかの間ながら小津とつながっているような気がした。その時だけは、戦争を挟む歴史的な屈曲のなかで捉えていた白黒の小津が、私のなかで総天然色に染まった。だが、その直後にはいつも小津の不在が惻々として心を打った。『東京物語』から変わっていない尾道の穏やかな海は、いつかここに存在していた小津の眼差しを私に共有させると同時に、あっという間に過ぎ去った彼の生涯を浮き彫りにしたのである。

 

長谷正人は、小津の遺作『秋刀魚の味』(1962)で、娘が嫁に行った後に映される空になった2階の娘の部屋や階段のショットが、娘と父親が「ともに過ごした時間があっという間に過ぎ去ってしまった」ことを観客に感じさせると指摘する。長谷の言う「あっという間に過ぎ去った」時間感覚は、他の小津映画のみならず、私の小津めぐりにも当てはまる。この感覚は、小津映画のなかでは肝心な場面の意図的な省略によって強調されており、小津めぐりにおいては、今の私には知りようがない、小津の生涯におけるところどころの空白によって生じるのだろう。切ないとか、空しいとかでは表すことのできない複雑で奇妙な時間感覚が、尾道の煌(きら)めく波と共に私に絶えず流れ込んだ。小津めぐりは、小津との出会いと別れの繰り返しだった。

 

振り返れば、小津映画の謎に対する好奇心が研究の世界へ私を導き、その謎を自分なりに解いていくなかで目した小津の揺るがぬ強さが研究の指標になってくれた。そして小津めぐりは、留学生活の活力源として精神的な支えになった。研究で疲れた時にも、挫折した時にも、日本のどこかに残っている小津の軌跡を辿ることは、常に彼の存在/不在を生々しく喚起し、乱れた心を引き締めることができた。作品を見る経験と、監督の足跡を追う経験との共鳴は、私の小津像をカラフルに彩り、視野を拡張した。これは日本に留学したからこそ得られた貴重な経験だった。今考えてみると、研究だけでなく、足掛け8年の日本での生活それ自体が小津に導かれたようである。あっという間に過ぎ去る時間のなかで、私の見た小津の眼差しをどう継承していくべきか、未解決の、おそらく一生の課題となるこの問題を心に刻みつけ、その答えに少しでも近づける方向へと、次の一歩を踏み出したい。

 

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<具慧原(グ・ヘウォン)Koo Hye-won>
2020年度渥美国際交流財団奨学生。韓国出身。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻(美学芸術学)。国立釜山大学芸術文化映像学科学士。東京大学大学院博士前期課程修了。大使館推薦による国費外国人留学生(2014~2019)。研究テーマは「小津安二郎の受容史・言説史」「1920~1960年代の日本映画史」。

 

 

2021年7月29日配信