-
2026.02.05
研究対象である十郷用水の取水口・鳴鹿大堰
私は近世日本の水資源、とりわけ灌漑用水の管理をめぐる領主権力と地域社会の関係について、越前国北部(現:福井県あわら市・坂井市)をフィールドに研究している。現代の日本においても、米不足に見舞われた2024年以降、米作りを行う地域が注目されるようになった。私はこれまで灌漑用水が潤す大規模な平野、すなわち米作りを主に行ってきた地域のフィールドワークや聞き取り調査に携わってきた。そこでは、「とにもかくにも重要なのは水と燃料」であることや、用水の暗渠化が行われた数十年前まで近世以来の水利慣行が残っていたことなど、興味深いお話を聞く。特に関心を抱いたのは、「用水は連続して流れているが、隣村は〇〇藩領で、自分の村は〇〇藩領」という意識が今も残っていることである。現代の感覚でいえば、行政区画は異なるけれども、隣村同士、生活に必要な用水を共有しているのだ。
現代では想像がつきにくいが、近世日本では、隣り合う村同士が異なる藩の支配下にあり、またその支配もしばしば変更された。修士課程までは、領主支配が入り混じる地域の行政区画における地域運営を研究していたが、行政区画だけを検討していては、元々関心のあった領主支配を越えた人々のつながりが見えてこないというジレンマを抱えていた。そこで、修論提出後に、米穀生産が盛んな地域においてとりわけ重要な用水に関する研究に取り組んでみようと決意した。
まずは、領主支配が錯綜した状況下で、行政区画を飛び越えて流れる用水を誰が管理していたのか、という点を明らかにしたいと考えた。史料を読み始めてみると、越前国北部の用水では、数人の百姓(世襲)が主導し、巨大な用水を管理していたことが判明した。さらに史料を読み進めると、彼らは異なる領主の意向をいかに調整し、複数の領主支配のもとにいる地域住民の利害をどのように調整していたのか、彼らは一枚岩で業務を遂行できていたのか、など次々に疑問が湧き、博士論文を執筆することができた。
ところで、近世史研究、とりわけ地域史や村落史では、近世の発達した文書行政により残された大量の古文書を扱う。研究対象を選ぶ際には、史料がたくさん残っている文書群(数千点)を選ぶのがより良いとされている。一方、私が主に検討対象とした文書群はわずか400~500点で、周辺に残されたものを加味しても1000点に達するかどうかというものであった。
150年間に及ぶ用水管理に関する日記があったり、残存する史料のかなりの割合が用水に関するものであったりと、用水を研究するには良質な史料群であった。点数もコンパクトで全体像が俯瞰しやすく、ある意味で「扱いやすい」史料群であったことも、博士課程から研究対象を変えた身にとっては、幸運であったと思う。修士課程までは、自分がどこに向かうべきなのかがわからず、当然研究も苦しいことが多かったが、博士課程から始めた用水の研究では、研究のすべての工程が俄に楽しくなった。
しかし、博士課程から着手した研究であったこともあり、研究助成の取得や投稿論文の審査通過などの「成果」は実りにくかった。そのため、このまま突き進んで良いのか自問自答を繰り返す日々だったが、用水研究の楽しさと指導教員の先生方による叱咤激励により、突き進むことができた。そのような時に、知り合いから渥美国際交流財団の話を聞いた。「国際交流」という私の研究とはかけ離れたテーマを掲げていることや、これまで研究助成にはほとんど通ってこなかったトラウマもあり迷ったものの、七転び八起きの精神でトライしてみたところ、幸いにも採択していただいた。
初めて財団の活動に参加した際には、普段は運営側も参加者側も約9割が日本人という学会ばかりに足を運んでいる身としては、様々な国籍に少しとまどいも覚えたが、「酒好き」は万国共通であることがわかり、すぐに打ち解けることができた。学問的にも、財団の活動に参加することで毎回新たな発見があり触発された。日本国内にしか向いていなかった研究の視線を外に開いていただいたことには非常に感謝している。そのような研究がいつ結実するのかは定かではないが、常にそのような視点を持ってこれからも邁進していきたい。
<黒滝香奈(くろたき・かな)KUROTAKI Kana>
神奈川県相模原市出身。2024年度渥美国際交流財団奨学生。専門は日本近世村落史、地域史、用水研究。2025年3月、一橋大学大学院社会学研究科修了、博士(社会学)。同年4月より一橋大学大学院社会学研究科特任講師(ジュニアフェロー)。
2026年2月5日配信
-
2026.01.29
私の専門分野は古代の仏教彫刻史である。仏像を研究する際、すでに刊行された写真資料などを参照するだけでなく、現地で仏像を調査し、詳細な研究資料を入手する必要がある。日本における8年間の研究生活を振り返ってみると、一番印象に残っているのは、やはり自分が参加した数々の仏像の調査だ。
2018年の夏休み、初めて本格的な仏像の調査活動に参加した。場所は岩手県の中尊寺。当時は自分が何をすべきか全く分からず、指導教官の指示をこなすだけで精一杯だった。現場の緊張感と自分の無力さを今でも鮮明に覚えている。日本の仏像研究は長い歴史がある。仏像に対する調査の方法などに関しては、厳格な学術規範が確立されている。私は多くの現場を経験し、ようやく仏像を調査する方法を熟知することができた。しかし、仏像の特徴はそれぞれであり、毎回多くの新たな知識を得る。そして、普段の旅行では行けない日本の地方を回り、多くの楽しい思い出ができた。
同じ時期、奈良文化財研究所蔵の薬師寺西塔跡塑像片の調査に参加した際は、初めて仏像の撮影を任された。これをきっかけに、それ以降はほとんど、私が仏像の撮影を担当した。しかし、仏像をどう撮るかについて、どこにも書かれていない。仏像には色々な種類がある。尊格からみれば菩薩像、如来像、神将像などがあり、姿からみれば立像、坐像、半跏像などがある。木彫像、塑像、乾漆像など材質もさまざまだ。2018年の夏休み以降、数々の調査現場で指導教官の松田誠一郎先生(東京芸術大学美術学部教授)より一から仏像の撮影を教わった。「仏像を撮影すること自体は高い撮影の技術が必要ではなく、重要なのは仏像に対する理解である」と、松田先生はいつもおっしゃっていた。仏像の何を撮っているかを正しく理解していないと、仏像を上手に撮ることができないということだ。
例えば、仏像の頭部を撮影する時、カメラの位置は仏像の目線に合わせる必要がある。仏像は視線を下に向けていることが多いため、頭部の正面を撮る時、仏像の視線にあわせて、目より低い位置で少し上に向けてカメラを構える。そうすると、仏像の顔の雰囲気がよく伝わってくる。位置だけでなく、カメラ自体の設定やライティングなども各カットによって異なる。留学中の仏像撮影の経験は、かけがえのない財産となった。そして、いつの間にか展覧会の図録に載っている仏像の写真を撮影の点から鑑賞することが趣味の一つとなっている。
松田先生は千葉県文化財保護審議会委員を務めていたため、千葉県の多くの仏像調査に参加する機会を得た。これらは仏像を修理するための事前調査であることが多い。県の文化財関係の担当職員や仏像を修理する方々など、多くの関係者が参加する。文化財の保護に多くの方々が関わっていることに深い感銘を受けた。特に仏像は研究の対象だけでなく、信仰の対象でもあり、お寺の歴史、またはそれを信仰する人々の絆がある。自分が微力ながら仏像の保護に貢献できたことを誇りに思う。
2023年、博士論文の執筆のため、関係する仏像の調査を行った。特に高知での調査は私が計画したもので、印象深い。仏像調査は、ほとんどの場合、時間がごく限られている(大体午前10時から午後4時まで)。現場にいる時間を無駄にしたくないために、事前に調査の時間配分を決め、調査機材などをお寺に送った。調査する前には、仏像の写真を見ながら調書を作成し、現場で特に確認したい点を把握しておいた。お寺は山奥にあるため、交通ルートなどの確認やタクシーの手配も重要である。前日まで調査がうまくいくか心配していたが、幸いにも現場でこれまで知られていなかったことを発見し、奇麗な仏像の写真も撮ることができた。この達成感こそが、私の研究生活を支えてきた。そして、数年前、中尊寺の現場でただボーと立っていた自分を思い出すと、自身の成長を実感するとともに、次の調査での仏像との新たな出会いが楽しみでならない。
<閻志翔(えん・ししょう)YAN Zhixiang>
中央美術学院人文学院美術史専攻学士、東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻日本・東洋美術史研究分野修士、同大学院美術研究科美術専攻芸術学研究領域(日本・東洋美術史)博士。2021年4月〜2023年9月、日本学術振興会特別研究員(DC2) 。2024年度渥美奨学生。現在、京都大学人文科学研究所外国人特別研究員