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エッセイ809:大元慶子「見えない障がいから社会を照らす――アノソグノシアと制度のはざまで」

日頃、電車やバスを利用していると、杖を突きながらゆっくりと歩く人や、車椅子で改札を通る人とすれ違う機会が増えた。近所では毎夕決まった時間に、麻痺した手足を懸命に動かしながら散歩する方の姿を目にする。高次脳機能障害の研究に携わるようになってから、私の視線は、こうした人々の存在を自然と捉えるようになった。街でこれほど多く出会うのは、社会のバリアフリー化が少しずつ進み、外に出やすい環境が整いつつある証かもしれない。

 

しかし、私が向き合ってきたのは、外見からは決して窺い知ることのできないもう一つの障がい、アノソグノシア(anosognosia)病態失認である。アノソグノシアとは、自らの障がいや疾病を認識できない神経学的状態を指す。ギリシャ語の a(否定)、nosos(病気)、gnosis(認識)を語源とし、1914年にフランスの神経学者バビンスキー(Babinski, J.)によって命名された。例えば、脳卒中により左半身が完全に麻痺しているにもかかわらず、本人は「私の手は動いている」と断言する。促されても動かない手を見つめながら「上げています」と答えるその言葉は、虚偽でも心理的否認でもない。脳の損傷によって、自己の身体状態を監視し、評価する機能が失われているのである。この障がいが「見えない」と言われるのは、二重の意味においてである。外見から判断できず、周囲が気づきにくい。そして当事者自身にとっても、自らの障がいが「見えない」。この二重の不可視性は、医療や福祉の制度設計と深刻な齟齬(そご)を生む。

 

交通事故で片腕を欠損した場合、身体障害としての機能喪失は明確であり、障害等級も認定され、支援へとつながりやすい。一方、高次脳機能障害、とりわけアノソグノシアを含む症状は、画像所見や神経心理学的検査、日常生活能力の総合評価によって判断されるが、当事者は自らの困難を訴えることができない。「困っていることはありません」と語る人が、申告を前提とした制度の入口に立つことは、極めて難しい。

 

また、彼らは若年・中年期であっても、高齢者の認知症を前提とした福祉サービスに振り分けられることが少なくない。しかし、神経変性疾患によって進行する脳萎縮の認知症とは大きく異なり、外傷や脳血管障害によるアノソグノシアの脳で起きたダメージは、時間と訓練によって回復が十分に期待できることが医学的に示されている。それにもかかわらず、現在の制度はこうした脳の可塑性を十分に織り込めていないままである。その結果、当事者は医療と福祉の狭間に置かれやすい。

 

さらに、当事者にとってのリハビリテーションは、過酷である。多くが「脳疲労」と呼ばれる全身の倦怠感に近い症状を抱え、努力すればするほど消耗していく。また、リハビリテーションは毎回できていないとの評価を受け、当事者の心を傷つけてしまいがちである。しかも本人は、自分が障がいを負っているという自覚を持てないまま、日常生活の中で、かつての自分との違いに少しずつ気づかされていく。その過程は、家族をも疲弊させる。

 

この見えない断絶に橋を架けてきたのが、医療ソーシャルワーカーである。博士課程でのエスノグラフィー調査(行動観察調査)を通じ、その実践を間近で見てきた。退院支援や制度調整にとどまらず、社会生活へと踏み出すための支援を、当事者の回復段階に合わせて編み直していく。その営みは、英国で定義された「社会的処方」と重なる。理論上は「処方は福祉の職務ではない」と整理されがちであったが、福祉の現場はすでに、当事者の人生を再構築するための処方を実践している。

 

見えない障がいを、制度と社会の言葉に翻訳すること。それは、権利を可視化する行為である。自ら声を上げることが難しい人々の現実を、研究として社会に差し出すこと。その積み重ねが、異なる背景やもろさを抱えた人々が、同じ社会の成員として尊重される土壌をつくる。アノソグノシアという不可視の障がいから社会を見つめ直す作業は、国や制度の違いを越えて、私たちがどのような社会に関与していきたいのかを静かに問いかけている。

 

<大元慶子(おおもと・けいこ)OMOTO Keiko>

大阪府出身。2024年度渥美国際交流財団奨学生。2015年大分県立看護化学大学大学院看護学修士取得。2018年~2024年関東学院大学看護学部助教。関東学院大学大学院文学研究科障害社会学専攻博士後期課程在籍。

 

 

2026年3月5日配信