SGRAエッセイ

  • 2025.02.27

    エッセイ784:黄若翔「日本留学が教えてくれたこと~比較法の重要性と人との出会い~」

    2016年4月、私は東京大学大学院法学政治学研究科修士課程に入学し、労働法を専攻することになりました。それまで台湾の大学で法学を学んできましたが、日本の大学院で学ぶことは私にとって大きなチャレンジでした。   東京大学の労働法の指導教員や先輩たちは、私を暖かく迎え入れてくれました。ゼミでは活発な議論が行われ、教授からは丁寧な指導を受けることができました。当時労働法専攻の大学院生は私1人だけで、寂しさを感じることもありました。日本語での議論についていくのは容易ではなく、日本の社会や文化になじむのにも時間がかかりました。   そんな中、私は渥美国際交流財団に出会いました。財団の奨学金を受け、イベントに参加したりする中で、同じように日本で学ぶ留学生たちと交流を深めることができました。来日6年目にして、初めて日本で帰属意識を感じる場所が見つかりました。母国を離れ、異国の地で学ぶ私たちにとって、渥美財団は心の支えとなりました。財団を通して出会った友人たちは、今でも大切な存在です。   振り返ってみると、「留学」を通じて初めて比較法の重要性と価値を理解することができました。どの国でも、市場の背景や社会状況は異なりますが、共通の問題点が存在することに気づきました。この共通認識を踏まえた上で、各国の市場背景の違いなどに基づいて法政策を分析することが可能になるのです。   例えば、学部時代に台湾大学法学部で日本の労働法に関する論文を読む機会がありました。東亜ペイント事件の判決で示された転勤命令について、業務上の必要性がない場合や不当な動機・目的がある場合や、労働者に「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合」等、特段の事情がない限り権利の濫用に当たらないとされた点が当時は理解できませんでした。日本の判例法理はなぜ使用者の配転命令をそこまで認めるのだろうと疑問に思っていました(東大法学政治学研究科への入学にあたり、この問題意識とワークライフバランスをテーマに研究計画書を提出しました)。   その後、東大で本格的に労働法を学ぶ中で、日本の労働市場が長期雇用慣行・終身雇用制を採用し、厳しい解雇規制によってこの制度が支えられていることを理解しました。特に能力不足の労働者に対する解雇制限が極めて厳しい状況で、使用者に広範な配転命令権を認めることで、不適任の労働者を他の部門に配置換えできるようにし、長期雇用慣行と厳しい解雇規制を成り立たせていることが初めて分かりました。   逆に、台湾の労働市場は雇用の流動性が高く、能力不足の労働者に対する解雇に関する規制が相対的に緩やかであり、これが台湾及び日本の法政策の違いを浮き彫りにしています。日本へ留学しなかったら、他者の目となって自国や他国の法制度を分析する機会は得られず、比較法という学問の真髄を体験することは難しかったかもしれません。   大学院での研究は決して楽なものではありませんでしたが、指導教員や先輩、そして渥美財団の支援があったからこそ、乗り越えることができました。日本での経験は、私の人生を大きく変えてくれました。日本の社会や文化に触れ、多様な価値観に出会ったことで、視野が広がりました。   渥美財団で出会った仲間たちとは今でも交流を続けており、互いに刺激し合いながらそれぞれの道を歩んでいます。日本留学は、私にとってかけがえのない経験となりました。東京大学の恩師や先輩方、渥美財団の皆様には心から感謝しています。これからも日本と台湾の架け橋となるべく、研究と教育に励んでいきたいと思います。   <黄若翔 HUANG_Jo-Hsiang> 台湾の新竹県で生まれ育つ。中学校卒業後台北に進学し、国立台湾大学法学部を卒業(2016)。同年、思鴻教育財団の奨学金を得て、日本の東京大学大学院法学政治学研究科へ留学し、修士号(2019)および博士号(2024)を取得。在学期間中、東京大学先端ビジネスロー国際卓越大学院奨学生、渥美財団奨学生および日本学術振興会特別研究員(DC2)に選出される。博士号取得後、日本独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)にて研究助手を務めた。現在は台湾の国立清華大学科技法律研究所に助理教授として勤めている。     2025年2月27日配信  
  • 2025.02.20

    エッセイ783:チャン・ジュンシ「アカデミア研究者と社会人の道の岐路で」

    2024年9月に博士号を取得する際、アカデミア研究者としてのキャリアを追求するか、あるいは企業の世界へ移行するか、という選択を迫られました。日本での留学経験を振り返ると、すべては9年前に名古屋大学の学部プログラムに入学したときから始まります。この経験が学問的に豊かになるだけでなく、個人的な成長や文化への没頭の貴重な機会を与えてくれたからです。   学部時代に私が参加したグローバル30というプログラムは、様々な国や背景からの学生を受け入れていました。多様なバックグラウンドを持つクラスメートとの交流は新しい文化や視点を学ぶ機会となり、ハイキングやジャズ音楽など多くの新しい興味を見出すこともできました。その後は東京大学大学院に進学し、修士課程を修了、博士課程に進みました。博士課程は私の人生において最も挑戦的で、かつ充実した経験の一つでした。   まず、博士課程は非常に時間とエネルギーを要するものであることを強く実感しました。研究や論文執筆に集中するためには、日々の時間管理と自己犠牲が欠かせませんが、このプロセスを通じて、自己管理能力や粘り強さを向上させることができました。また、数々の試練や挫折に直面しながらも、それらを乗り越える戦略を身につけることができました。「擬似天然チオペプチド創薬プラットフォームの開発」という研究テーマが異なる学問領域や専門知識の統合を必要とする複雑な問題に関連するため、様々な学際的なアプローチが求められました。さらに、博士課程は独自の研究を行い、その過程で自己表現と創造性を発揮する場でもあります。自分自身のアイデアや仮説を探求し、それらを実証するための研究を進めることは非常に豊かな体験でした。新しい知識や発見を生み出す喜びは、私の努力への報酬であり、研究への情熱をさらに燃やしました。   これらの9年間を通じて自分の強みや弱みを理解し、克服する方法を見つけたことは、私のキャリアと人生の中で非常に重要なスキルになると感じています。多様な学術的追求に参加し、最先端の研究に没頭し、同僚や指導者と意義深いつながりを築いてきたことで、学生として、そして学術研究者としての生活は充実していました。時折疲れることもありましたが、そのような困難にも関わらず、興味を追求し、情熱を存分に追求する自由を大切にしてきました。   いざ卒業、となった時に根本的な問いに直面しました。基礎研究や教育を通じて知識とイノベーションを推進するために学術の道を進むべきか、それとも企業や産業の環境で専門知識を活かすべきか。産業界でのキャリアはより快適で安定した生活を約束するかもしれませんが、個人的な興味に没頭する自由を手放すことが心に重くのしかかります。   自分の旅を振り返ると、私は常に社会に意味のある貢献をし、影響力のある発見をすることを志してきました。この志が学術的努力を通じて研究の機会を追求し、直面する課題に立ち向かうよう私を導き、実験室、教室、文化的浸透のいずれの経験でも私の視野を広げる原動力となっています。   私は幸運に恵まれ、博士課程で行った研究を続けることができるスタートアップに参加することになりました。ここで世界に意味のある貢献をし、イノベーションを起こし、積極的な変化をもたらすという強い使命感に駆られています。   <チャン・ジュンシ CHANG Jun-shi> クアラルンプール出身。2015-2019:名古屋大学理学部化学科学士(阿部研究室)、2019-2021:東京大学大学院理学系研究科化学専攻修士課程 (菅研究室)、2021-2024:同博士課程。現在はDayra Therapeutics社勤務。     2025年2月20日配信
  • 2025.02.14

    エッセイ782:ロバート・クラフト「歴史(学)と<美>」

    長い間一つの研究課題に取り組んでいると、もともとは知的興奮から選んだテーマでも、いつの間にか味気なくなってしまうという経験をしたことがある研究者は少なくないだろう。私も長年にわたって歴史研究に従事する過程で頭が疲れることがあり、その際に、失われつつあった「思考散歩」の楽しさを再び感じさせてくれたのは、一人の先輩との対話であった。そのなかでの話題に歴史(学)と「美」の関係があった。以下にそのときに湧いてきたとりとめのない考えを少しまとめてみたい。   まずは、歴史が美的判断の対象となり得るかどうかという問題である。そういった判定につながる観察の対象となり得る客観としての「歴史自体」のようなものはないであろう。歴史はむしろ人間の作ったストーリーであり、ストーリーテリングから切り離しては存在しない。確かに、単に過去のものとその変遷を「歴史」と定義すれば、人間がそれを物語ることを必要条件としない存在があるといえるかもしれない。しかし、それがひとたび「歴史」になると、その存在は消える。この一度消えた存在を復活させて現在共有できるのは、結局人間の物語る歴史である。歴史学もその一種に違いない。   では、ストーリーとしての歴史は美的判断の対象となり得るだろうか。私は、なり得ると思う。ただし、このストーリーとしての歴史の何を対象にするかにより、判断の性質が異なってくると考えられる。   例えば、(一)芸術としての歴史を対象とし、その「美」を判断する場合は純粋な美的判断に近いといえよう。歴史小説や詠史、歴史映画など、おそらくどのような歴史叙述でも、それなりに芸術的な観点から美的判断をくだすことが可能であろう。ただし、歴史学に関していえば、あくまで私見だが、多くの研究書は、客観性を高めようと努めているためか、言語用法がかなりテクニカルであり、そこに「美」を認めることは難しい。   他方、(二)歴史として語られるものを対象とする場合、美的判断が純粋ではなくなることがある。社会の激変に直面する人間が過去を美化する現象がその例として挙げられる。近代において産業化・資本主義化・都市化していく社会から失われてしまう過去の美風に憧れた人々にとっては、その客観、すなわち彼らの見た「歴史」は美しく見えたのであろう。デジタル化に伴ってまだ把握しきれない変化を受けている現代社会においても似たような傾向があるように思われる。しかし、この場合、憧れる過去の美風は単に「美しい」だけではなく、「善い」ものでもあり、理性を介し概念をつうじて理解されるようである。すなわち、それには社会・美風が何であるべきかというある目的の概念が含まれ、さらには「そういう美風のある社会に生きたい」「社会にそうあって欲しい」というような、ある種の関心が含まれているのである。   歴史学の文脈においてはどうか。歴史学者が過去の「美」を掘り出そうとすることもまれにあるかもしれないが、普段は研究対象とする人物や事象を批判的な目で見ている。私も自らの研究で過去の思想家が書いた文章を読んでいる際に、その美しい語句や一見して崇高な思想に対して美的感情を抱くことはあるが、その裏にあるさまざまな問題を分析していくにつれて、その美しさがだんだん?がれ落ちていく。その理由は、単に観察において対象を判定するのみならず、そこに何らかの道徳的観念が関与してくるからだと思う。歴史学の研究対象が人間と人間社会である以上、その対象をめぐる判断には、人間がどうあるべきかという目的の概念および人間にどうあって欲しいかという関心が含まれてくるのは当然である。美しいと判断しても、その場合の「美」は「善」と結びあっており、あえていえば「随伴的な美」である。歴史研究の一つの意義が過去から教訓を得ることにあるとすれば、この研究には現代社会をより善いもの、より美しいものにする可能性もあるのではないだろうか。   <ロバート・クラフト Robert KRAFT> ドイツ出身。2010年から2018年までライプツィヒ大学(ドイツ)で日本学を専攻。学士課程と修士課程においてそれぞれ1年間千葉大学に短期留学。2019年に筑波大学の日本史学の博士課程に編入学。2024年に博士号(文学)を取得。       2025年2月13日配信
  • 2025.01.30

    エッセイ781:何星雨「異文化における育児の苦境」

    「刮痧」(監督:鄭暁龍、2001年上映)という中国映画がある。「刮痧」とは専用の板で背中をこすって皮膚を充血させ、様々な症状を改善する伝統的な中医療法である。映画では、米国で暮らす中国人3世代家族の子育てを取り巻く異文化間の葛藤を描写している。主人公は人前でも息子を厳しくしつけるべきだという文化信念を持ち実践していた。そして、主人公の父親は、ある日熱が出ている5歳の孫に「刮痧」の治療法を行った。後に息子の背中にある大面積の傷を医者に発見され、深刻な虐待の証拠として警察に通告される。さらに日常的な体罰を行っていたことも米国人の知人に指摘され、一家は強制的に親子分離を要求されることになった。中国文化に根差した親子観念、育児様式と西洋の人権観念、社会制度との間の矛盾は、その後親権をめぐる主人公と児童福祉施設との裁判で露呈する。   そうした葛藤が日本社会でも現実になるのはおかしなことではない。私は7年間、日本と中国の児童虐待について研究している。儒家文化に根差した親子観念は類似していたが、社会制度の変化とともに、現在の日本と中国では「児童虐待」の扱いが異なってきている。中国では親による子どもへの体罰が一般的な事象であり、極端な暴行を加えない限り、「良い家庭教育の方法」として認められると言っても過言ではない。日本では2000年に『児童虐待防止法』が制定されて以来、児童虐待の範囲がどんどん拡大されており、身体的・心理的な暴力やネグレクトを含めた不適切な養育が虐待として非難されている。また、虐待の疑いがあることに気づいたら、保育士や教師、小児科医など子どもに身近に関わる人だけでなく全国民が通告する義務を課せられた。   一方、日本では家族形態が多文化・多民族化の様相を呈している。法務省によると2023年6月時点で日本に中長期滞在している中国人は82万人を超え、国別1位。中国にルーツを持つ未成年の子どもも最多だ。中国の伝統文化に触れながら育てられている子どもが非常に多いということである。しかし「児童虐待」への扱いや認識の差異は、家庭という閉鎖的空間において育児を通して具現化される。中国人親にとっては育児の壁となり、また、日本社会での児童虐待防止に支障をきたす。   知り合いの中国人母親による出来事がきっかけで、異文化の児童虐待防止の課題を垣間見ることができた。この母親は子どもをしつけようと思い、つい2歳の子どもに体罰的な行動を行った。隣人が泣き声を聞いたのか、保育園の先生が体の傷に気づいたのか、自宅で児童相談所と警察から事情調査を受けることになった。母親はとてもショックを受け、混乱して「自分の子どもを虐待するわけがないのに」と大泣きしながら訴えたという。   こうした事例は珍しくない。生活経験を投稿できる「小紅書」(RED)という中国の人気ソーシャルメディアのアプリがある。そこでは類似した経験を訴えた日本在住の中国人母親による投稿が多数見られる。「親として自分の子どもを厳しくしつけるのはダメですか?」「育児は他人と関係ないのに通告されるのはなぜ?」など、日本の「児童虐待」への扱いや制度に対して困惑を感じているようだ。彼女たちを責めるつもりはない。日本語を知らない者もおり、日本語を知っていても日本の児童虐待に関する情報を知ることは難しい。ただ「これまでの文化信念=ちゃんとしつけようと思ったのに」vs.「現代日本の法制度=虐待者として疑われ、調査された」の苦境に立っており、「どうしつけすれば良いのか?」に関する的確な援助を必要とする。この苦境が親の育児ストレスに繋がり、より深刻な虐待に至る可能性があるからだ。   日本の児童虐待の早期予防に関する主な取組みは、日本人の虐待リスクを基準に成り立ったものであり、虐待のリスクを踏まえながら、母子保健や啓発活動などを通して親を支援することが基本である。しかし子育て中の親の持つ文化背景がどんどん多様化する中、虐待の早期予防に向かうリスクアセスメントに画一的な判定を使用しているのは適切ではないと考える。不思議に思うのは、「児童虐待」という子どもの権利に関する緊急性の高い課題を抱えているのに、これだけたくさん日本で暮らしている中国人や外国人の親たちが、日本の福祉制度の情報を入手しにくいため援助を受けられないことや、文化背景を配慮した育児に関する的確な援助がめったに提供されていないことである。私は児童虐待予防の視点から在日中国人親の子育てを支援していけたらと考えている。   <何星雨(か・せいう)HE Xingyu> 中国・浙江省杭州市出身、2015年7月に来日。2023年度渥美財団奨学生。2024年3月に東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科を修了し、博士号を取得。日中両国の児童虐待予防に関心を持っている。現在は子どもの権利と保育に関する研究を続けながら東京家政大学、文教大学、女子栄養大学の非常勤講師として務めている。     2025年1月30日配信