SGRAかわらばん

エッセイ785:白川誠「春に嘯く」

3月も啓蟄を過ぎ、暖かくなる日が増えてきました。春の到来を感じさせる晴れの日にこれまでの研究生活をのんびりと振り返りながら、この原稿を書いています。

 

嘘である。今日は朝から寒いうえに雨が降っている。学会発表や報告書作成、査読依頼の対応に残りの実験と標本の整理、研究室の片付けなどにかまけているうちに締め切りも残り3日を切ってしまった。良い文章を書くには適度に追い込まれることが必要だと聞いたことがあるが、私の場合、悲しいことに追い込まれる状況にあっても一向に筆は進まず、心身が疲弊していくばかりである。このくらいの文字数なら2時間もあれば余裕で書けると嘯(うそぶ)いた2時間前の自分に悪態をつきながら未だ机に向かっている。

 

博士課程での研究は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大の影響をもろに受ける形で始まった。2020年の4月2日に資料を受け取りに大学に行った後、6月末まで研究室に入れなかったことをよく覚えている。その後も研究室での滞在時間の短縮や、演習林での野外調査の延期などの制限を受け、当初の研究計画も一部変更を余儀なくされることになった。

 

このように、目に見えないものに振り回された4年間であったが、その一方で様々なご縁にも恵まれた。特に、2023年度は渥美国際交流財団の奨学生として貴重な経験をさせていただいた。財団ならびに元奨学生(ラクーン)の皆様が企画してくださった交流会では、人文・社会科学のほか、自然科学でも工学や医学など、普段自分が接する機会のない研究領域(と私も思われていたのは想像に難くない)を扱う同期の方々と交流することができた。各々のバックボーンや研究分野、研究アプローチが大きく異なることから、最初は不安もあった。しかし、韮崎でのワークショップをはじめ、研究報告会や新年会での餃子作りなどを通して相互にやり取りを重ねる中で、それらが違えども、苦労する点は意外と似ていたりすることなどを知るとともに、日々研究に取り組む同世代の人がこんなにたくさんいるのだと嬉しくなった。「龍吟じ虎嘯く」とはこのような時に使うのだろうか。

 

「相互のやり取り」という語に関連して、自分の研究についても少し触れたい。私は、マツ科やブナ科などの樹木、それらと地下部で共生関係を結ぶ外生菌根菌と呼ばれる真菌、根のまわりに生息する根圏細菌の三者を主な対象として、それらの相互作用に関する研究を行っている。これらの共生微生物は、宿主樹木から光合成産物の供給を受ける代わりに、宿主の成長促進や、植物病原菌に対する抵抗性の向上などに寄与することが明らかになっている。一般的に微生物といえば、カビやバイ菌などといったネガティブな印象を持たれがちだが、これらのように、植物の生育に不可欠なものも数多く存在することを知ってもらえると幸いである。

 

こうした森林生態系における微生物に関する研究を志したきっかけは定かではないが、研究を続けると決心した一端には、『蟲師』という漫画の影響があったような気がする。この作品では、「蟲」と呼ばれる、生命の根源に近いとされる架空の存在が引き起こす現象と人間とのやり取りが描かれている。研究を始めた当初、私は周囲と比べて研究対象の生物に対する偏愛が欠けているのではないかと後ろめたさのようなものを勝手に感じていた。しかし、医師や研究者を兼ねる主人公の、蟲に対して「奇妙な隣人である」と明確に線引きをしたうえで関わっていくスタンスに、それぐらいの距離感で向き合う研究者がいても良いのだと思い直した覚えがある(当該の描写は『春と嘯く』というエピソードで確認することができる)。なんだか話が上手くまとまり過ぎている気がするので、都合の良い記憶の後付けかもしれない。いずれにせよ、今後も地面の下(しばしば地表)にいる奇妙で興味深い隣人たちの研究を続けていければと考えている。

 

多くの方々の助けを借りて博士号を取得するところまで来ることができた。この場を借りて厚く御礼を申し上げる。来年度からは、相変わらず先行きが見えない研究生活が続くが、新たな環境や研究テーマにワクワクもしている。「どうにかなるさ」、と嘯いていきたいものである。

 

<白川誠(しらかわ・まこと) Makoto SHIRAKAWA>
埼玉県出身。2023年度渥美国際交流財団奨学生。東京大学大学院農学生命科学研究科附属アジア生物資源環境研究センター特任研究員。2018年に東京農業大学で修士号(林学)、2024年に東京大学で博士号(農学)を取得。森林圏に生息する微生物の分類と保全、利用に関する研究を行っている。2025年4月より千葉県内の私立大学に助教として着任予定。

 

編注:このエッセイは2024年春に書いていただいたものです。

 

 

 

2025年3月20日配信