SGRAエッセイ

  • 2016.03.31

    エッセイ486:ヴィラーグ・ヴィクトル「先生、母国(くに)に帰らないとダメですか?」

    日本の大学は帰国を前提とした留学生受け入れから根本的に脱却しなければならない。初めて来日してから既に13年間が経とうとしている。この滞日期間のほとんどを高等教育機関で過ごしてきた。しかし、留学生の卒業後の帰国を当たり前のように考える教育指導には未だに違和感が残る。様々な先入観に敏感で、開かれたはずの社会学を専攻した後、寛容さが最も求められる社会福祉学の分野に身を置いている。それにも関わらず、「帰国後どうしますか?日本で勉強したことを母国でどのように活かしますか?」と直接聞かれた経験が非常に多い。さらに、周囲の留学生に向けた同じ質問を耳にした回数を含めると、数えきれない程である。卒業後の帰国と母国への貢献は、場合によって日本の奨学金の応募要件の中にすら明記されている。帰国以外の選択肢を想定しない鈍感な接し方に、長年に渡り日常的に直面すると、自然とその心情の背景を考えることを余儀なくされてしまう。   まず、留学生の卒業後の定住化による日本の多様化を否定的に考える排他性、難しくいえば排外主義がしぶとく根付いているように感じる。2020年のオリンピックと最近の流行語に照らし合わせてみよう。あくまでも一時的な「お客さん」として「おもてなし」には全力を尽くす反面、基本的に「他者」として捉えがちである。この他者化の枠から踏み出せていない人が多い。これでは、相手はいつまでも「輪の外の人」のままである。「輪の外の人」は、日本人ではないため、またハーモニーを乱すため、複数の意味で当然「和の外の人」としてみられる。文字通りに「外人」になってしまう。要するに、対等な立場で同じ土俵に立たせてもらえないわけである。その上、文化的な多様化と治安悪化を必然的に結び付ける言説では、この「外人」があたかも「害人」であるように語られる極端な傾向まである。   しかしながら、留学生の帰国を好む風潮に影響を及ぼす潜在的な意識の方がより深刻なように思う。一言でいえば、相当数の人は悪気がなくとも優越感をもっている。即ち、「せっかく<進んでいる>日本で勉強させてもらったことを有効活用して、<遅れている>母国のために努めなさい」という暗示が背景に読み取れる。このような知識及び技術移転という海外援助や国際貢献の延長線上での留学生受け入れの位置づけは、特に非欧米圏出身者に対して強いようにみえる。しかし、人種主義に走った日本人論や至上主義的な側面をもつナショナリズム、あるいは一元的に物事をみてしまう自民族中心主義(エスノセントリズム)のような単純なものだけではない。むしろ、植民地主義の系統も引き継いでいる先進国の新興国に対する傲慢さとパターナリズムを想起させる。アジア太平洋諸国からの学生なら、まさしく大東亜共栄圏思想を連想しかねない。   もちろん、深く考えず「留学生は帰国するもの」と決めつける人も大勢いるはずだ。ところが、このような想像力の乏しさというか、無知も、上述のような各種イデオロギーの影響を無意識のうちに受けていることを忘れてはならない。留学生の卒業後の帰国を前提とした態度の背景には根深いものが潜んでいそうである。   そして、鈍感な接し方と態度は、行動として偏見に満ちた扱い方に転じやすいことも事実である。例えば、奨学金申請時の先述した帰国要項は最も露骨な制度化された差別の現れの一つである。他に、論文執筆における研究指導の例を挙げても良い。筆者の経験からして、せっかく日本にいながらも母国の研究を勧める指導教官は、社会科学の分野では残念ながら稀ではない。日本国内では、この類の研究調査のための環境がもちろん十分に整っておらず、留学した意味が曖昧になってしまう。しかも、東アジア出身の学生なら、日本植民地ないしは占領時代の研究が好まれる傾向がある。仮に周囲の多くが望む通りに、中国や韓国の学生が母国に帰ったとしよう。論点の整理の仕方と最終的な主張のまとめ方にもよるが、日本統治時代に関する卒業論文の出身国における評価は極めて難しいところがあることはいうまでもない。日本留学中に取り組んだ研究について安心して履歴書に書けないリスクさえ伴う可能性がある。   シンプルな声かけについてあまりにも深読みして考え過ぎているかもしれない。しかし、日本に留学する学生が帰国を前提とした質問の嵐に日々耐えなければならない環境は、グローバル化時代の大学教育には相応しくなかろう。ともかく、「留学はいいが、就労や定住する者としてはあまりウェルカムではないよ」というメッセージが、意図されたものではないとしても、はっきりと発信されている。   倫理的な観点に加え、ここで考えなければならないのは日本にとっての損失である。先進国の共通課題である少子高齢化により、国際的な労働市場は既にグローバル人材のための奪い合いが始まっている。今後、国々の競争は激しくなっていく一方である。嫌でも少子高齢化の世界的な動向の先頭を走っている日本では、人材確保の課題はあらゆる分野で急務になってきている。国内就労と日本定住をより肯定的に認めるキャンパス風土の構築は、人材、いや「人」が集まる国になるために必要である。また、誰しも住みやすい国づくりと、誰しも生活しやすい社会づくりは、日本の多民族化・多文化化のための絶対条件の一つである。したがって、卒業後の進路についてもっとオープンな姿勢を意識した大学の国際化はたいへん有意義な取り組みであり、期待と責任も大きい。     -------------------------- <ヴィラーグ ヴィクトル Virag  Viktor> 2003年文部科学省学部留学生として来日。東京外国語大学にて日本語学習を経て、2008年東京大学文学部行動文科学科社会学専修課程卒業(文学学士[社会学])。2010年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科前期課程卒業(社会福祉学修士)。同大学社会事業研究所研究員、東京外国語大学多言語・多文化教育研究センター・フェロー、日本学術振興会特別研究員を経験。2013年度渥美奨学生。2016年日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科後期課程卒業(社会福祉学博士)。上智福祉専門学校、昭和女子大学、法政大学、上智大学、首都大学東京非常勤講師。日本社会福祉教育学校連盟事務局国際担当。国際ソーシャルワーカー連盟アジア太平等地域会長補佐(社会福祉専門職団体[日本社会福祉士会]にて)。主要な専門分野は現代日本社会における文化等の多様性に対応したソーシャルワーク実践のための理論及びその教育。 --------------------------   2016年3月31日配信
  • 2016.03.03

    エッセイ485:デール・ソンヤ「私にとっての『国際化』」

    このコラムでは、大学の「国際化」について考えてみたい。そもそも、「国際化」というものは、どのようなことを指しているのだろう?本コラムは、文部科学省や大学で実際にある方針ではなく、単に自分が見たこと、経験したことを中心に「国際化」について考えていきたい。 「『国際化』イコール英語能力および外国人学生・研究者・教員の存在」であるという考え方は強いだろう。国際的な規模で研究を発信するため、英語能力は必須である。英語で学術的な論文を書くことと英語で国際的な学会で発表することは、研究者としても、大学の代表としても重要なことである。また、外国人が存在することで学生や教員が「異文化」と触れ合う機会が自然と増えるだろう。英語の重要性については賛成しているし、大学に属する外国人の増加は、悪いことだと思っていない。しかし、それだけで大学が「国際的」になるとは思っていない。そもそも、「国際化」とはどのようなものを目指しているか、「国際的」な大学というのはどういうものなのか、検討する必要がある。 国際的な規模で、他の大学と競争することは大学の国際化に必須である、という意見は多いだろう。しかし、私にとって大学の国際化に関する問題はもっと根本的で、大学に限られたものではない。私にとっての国際化は、大学のランキングや英語能力や外国人の存在よりも、考え方と態度の変容である。 「いつも授業で、日本人は後ろに座って、われわれ『外人』が前に座っているな。もはや私たちを怖がっているようにみえるね」。この会話は、日本の「グローバル30」の一つの大学で耳にした。この発言者は、アメリカ人の留学生で、同じ留学生の仲間と楽しくおしゃべりしていた。このような経験は、珍しいことではない。私も何回も授業で同じような風景を見たことがあり、留学生は積極的に授業に参加する一方、日本人の学生はあまり声を上げないことが講師の間でも当たり前のように語られている。また、違う大学で、二人の留学生とそれぞれの学生生活について話していた。大学で、日本人の友達を作ることはなかなか難しい、という話題になり、一人の学生が自分の経験について語った。数少ない日本人の友達の一人が、同じ日本人の友達に「なんでいつも外国人と一緒にいるの?」といわれたそうだ。国際関係という学部においても、「日本人」と「外国人」が分けられていることが残念ながら現実のようである。 日本人の学生はなぜ積極的に授業に参加しないと思われているのか、日本人の学生はなぜ外国人の学生に怯えているように見えるか、私にとってこの二つの質問は大学の「国際化」に根本的に繋がっている。そして、この二つの質問は大学の問題だけではなく、実は教育と「育ち」に関する全体的な問題である。 私は、日本で博士課程の教育を受ける側として現場を見たが、他の教育機関を経験する機会はなかった。しかし、話を聞くと生徒や学生が自分の意見を発信する機会はあまりないそうだ。例えば、歴史の問題では出来事を記憶することが優先されており、その出来事はなぜ歴史的に重要なのか、現在社会においてどのような影響を与えたのか、などの質問に対する答えもあくまでも記憶するべき一問一答になっているようで、生徒が考える機会はない。また、学校で政治に関する議論をすることが支援されていないようで、そのような意見を組み立てる経験もあまりできないように見える。他の人と違う意見を持ってもいい、しかもその異なる意見について話すこともいいことだよ、ということは、多くの人に身に付けられていないように思う。それは、日本人学生の消極的と思われる態度と繋がっていると思う。子どものころからこの態度と考え方に慣れていないため、いままでの習慣が大学に入ることでいきなり変わるわけではない。 これと関連する良くない習慣は、「外国人」は「日本人」と違うと考えることである。この前提として、「日本人」はみんな一緒という先入観がある。「日本人」はみんな一緒だから、ちょっと違う人は考え方が違うから仲良くできない、違うからきっとコミュニケーションするだけで面倒くさい、違うから怖い。このような意見は、実際に学生から聞いたものである。まず、「日本人」はみんな一緒という考え方が間違いである。単なる便利な神話であり、差別行動や民族主義を認めるために使われている。日本人の中でもさまざまな文化的な違いが存在しており、「日本人」という一体的な文化や人種があるというのは怪しいものである。しかし、そう信じている人は多い。社会的に、その神話を支えるための習慣や行動がたくさん存在している。そのため、帰化した在日韓国人が韓国語の名前を使わないようにしたり、「外国人」という理由で物件の賃貸を拒否されたりすることがある。 大学の国際化のために、大事なのは個人の違いを認めること、そして個人の意見の違いを受け止めることだと考えている。そうすれば、大学はもっと活発で、包括的な場になるだろう。国際化は大学の問題だけではない。小さいころから外の世界に目を向け、その世界に存在する多様性を受け止めることが一番大事なことではないだろうか。そうやって育つと、「国際化」が自然と来るのではないか。 <デール、ソンヤ Sonja Dale>一橋大学社会学研究科特任講師。上智大学グローバル・スタディーズ研究科博士号取得。ウォリック大学哲学部学士、オーフス大学ヨーロッパ・スタディーズ修士。2012年度渥美奨学生 *本稿は、2014年度Global Voiced From Japan (GVJ)のコラムコンテストで優秀賞を受賞したものですが、著者およびGVJ関係者のご承諾を得て、転載させていただきます。 2016年3月3日配信
  • 2016.02.18

    エッセイ484:謝志海「日本の景気の今後はインド次第?」

    テクノロジー、インターネットの急速な発展によってボーダレス化が進むが、それと矛盾するかのように国際社会の問題がより複雑化している。学者やアナリストであっても、2016年に経済や世界情勢がどのようになるかを予測するのは極めて難しい。 世界経済の目下の懸念は、昨年から続く原油安、中国経済の減速、EUの先行きの不透明さ、そして米国企業の伸び悩みであろう。その上、日本では1月末に日本銀行が初のマイナス金利を発表した。その後日経平均は乱高下から下落の一途をたどっている。先日、斜め読みした日本経済新聞のある証券アナリストの予測では「日経平均が上昇基調に転ずるには、インドの経済成長が加速するなど新たなテーマが必要になる」。アセアン(ASEAN)ではなくインド。今回はここに注目したい。 インドは今経済に限らず様々な事象で注目を浴びている。しかし日本に住んでいると、インドの情報が思いのほか入ってこない。日本人はカレーが大好きだというのに。そんな遠い国インドが日本人にとって身近になりつつある。ソフトバンクの孫正義社長が後継者に選んだのは、日本人ではなくインド人であった。このニュースはその後継者が得る巨額の役員報酬の額とも相まって、大々的に報道された。と同時に、孫社長がインド企業へ多額の投資をしている事も知られることになる。2014年にはモディ首相も来日し、日本人のインドへの関心はますます大きくなっている。 インドの経済成長は日経平均を押し上げる程のパワーを持っているのだろうか?インドそしてインド人について知れば知るほど、日本とインドとはなんと真逆の立場であろう。日本は世界に先駆け高齢化と人口の減少が止まらない。一方インドは国民の約半数が25歳以下、人口密度の高い国で、中国のような人口のコントロールも行っていない。人口は増え続けている。もうそれだけでも若くてエネルギッシュなイメージに圧倒される。 そして気付けばインドは優秀な経営者輩出国となっていた。世界的な大企業のCEOはインド人が名を連ねている。「インド人CEO、世界を制す」という特集を組んだ雑誌、日経ビジネス(2015年9月28日号)の「なぜインド人CEO?」のコラムに3つの理由が分析されていた。 1.英語やITスキルなど世界に通用する能力を持つ人材の層の厚さ、2.多様性を前提とした考え方や経営手法が多国籍企業にマッチ、3.厳しい環境で培われた我慢強さや創造性や変化対応能力である。これらが日本の経済に影響を与えるのは不思議ではない気がする。そしてこの3つの理由のいずれも今の日本人に不足しているのではないだろうか?孫社長もそれに気付いたがゆえに後継者を日本人から選ばなかったのだろうか? 何もインド人が最強で、日本人はそうではないと言っている訳ではない。インドには問題がたくさんある。根強いカースト制度、多様な宗教国ゆえの宗教間の対立、男性が支配的な社会。しかしその複雑な社会で粘り強く這い上がることが、グローバル世界に生きる術なのかもしれない。 私の出身地中国、今住んでいる国日本、そのどちらとも違うインドへの関心が冷めやらぬ今日この頃である。  英語版はこちら  <謝志海(しゃ・しかい)Xie_Zhihai>共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。  2016年2月18日配信 
  • 2016.02.12

    エッセイ483:王慧雋「留学生の日本語学習を支援する仕事」

    気がつけば、大学院の修士課程に進学するために2007年3月に来日してから、もう10年目を迎えようとしている。初めて日本に来たのは2005年の夏で、インターンシップ事業の研修生として、東京で大学3年目の夏休みを過ごした。初めての海外生活で、実に新鮮かつ刺激の多い2ヵ月だった。それは、大学1年生のときから習ってきた日本語を使い、ホームステイ先の家族、研修先の会社の社員、また日本に来てから知り合った友人など、様々な人と話をする楽しさに目覚めた期間でもあった。のちに大学卒業後の仕事を考えはじめた私は、その日本滞在の体験がきっかけとなり、より多くの日本語を学ぶ外国人が自分と同じように、日本語で伝え、相手を理解する楽しさを体験できたらと思うようになった。さらに、そうした人の日本語学習を支援する仕事に携わりたいと思い、日本の大学院で日本語教育を専攻することを決心した。 大学院に進学して以来、研究に専念していたが、昨年の4月に、主に留学生を対象に日本語の授業を実施する大学の日本語教育機関で助手の仕事に就いた。それまでの8年間は、一留学生として勉学を進めてきたが、今度は留学生の日本語学習をサポートする側として教育活動の補佐に携わるのだ。日本語の授業を実施することはないが、身近な立場から、留学生がより良い日本語の学びができるようにお手伝いする。日本語でのコミュニケーションの楽しさを覚え、日本語教育を学ぶという道を選んだ自分にとって、まさに本望というべき仕事だ。初めて日本に来た時のことを思い出すと、日本でこのような仕事に就く機会が得られるとは夢にも思わなかった。 助手の仕事に就いてもうすぐ1年が経つが、特に最初に手伝った日本語科目履修に関する個別相談会のことが印象深くて、ときどき思い出す。その日、相談会の会場に到着したのは、開始時間より少し前だったが、日本語の授業科目をコーディネートし、実際の授業も担当している教員と、それぞれ英語や中国語、韓国語で相談に対応できるボランティアの方々が既に着席しており、準備万端のようだった。開始時間になると、会場の外に留学生の姿が現れはじめた。緊張しているせいか、会場の様子を窺っているだけで、中に入ろうかどうしようかと躊躇している人も少なくなかった。会場の外をうろうろしていて、なかなか中に入ろうとしない留学生たちに声をかけ、会場内へ案内したところ、何人かから不安げな眼差しを向けられた。特に、日本語がまったくしゃべれない人の場合、助けて!という心の声が聞こえそうな眼差しだった。そうした留学生の不安を少しでも和らげようとして、なるべくゆっくり、所属や困っていることなど、話を聞くように心がけた。 誘導と案内の仕事を手伝っているうちに、一つ気づいたことがある。来場者はみな、日本語の授業の履修に関する相談のために来ているはずだが、実際は何を相談すれば良いかが分からないという人もいた。何人かの中国人留学生を、先生とボランティアのところに案内しようとしたところ、「何を聞いたらいいかを考えてから行く」と言われたのだ。自分も留学生なので、緊張しているのは身にしみるほど分かるが、正直なところ、少し驚いた。支援する側としては留学生が困っていることを解決するために設置した個別相談会だが、留学生にとっては、相談というのは必ずしも気軽にできるものとは限らないもののようだ。日本語があまりできないから、不安で躊躇することは普通に考えても分かる。どうやらことばの問題だけではなく、大きな会場で面識のない人と相談することに不慣れなこと、あるいは、相談しようとする意識をこれまで持っていなかったからということもあるかもしれない。 相談のテーブルに向かう前に質問を一生懸命考えている留学生たちの姿を見ていて、彼らの真剣さに感服したと同時に、同じく留学生の身分を持つ自分がこれまで体験したことがないものを味わえたような気がした。自分が留学生として来日したとき、大学で日本語を専攻したというのもあって、意思疎通で特に困ったことはなかった。しかし、今の留学生たちは、日本語ができる人よりも、むしろあまり話せない人のほうが多い。助手の仕事に就いて留学生に接する機会が多いこの1年間、常にそう感じている。しかも、同じ母国語で話す留学生であっても、日本語のレベルだけでなく、来日するまでの経験など、それぞれが抱えている背景も留学の目的も様々で、まさに多様化の時代であることを実感させられる。 一人ひとり異なる留学生の日本語の学びをサポートしていくうえでは、もちろん、自分の経験をそのまま活かせるところもあるが、それだけを頼りにすると、想像すらつかないことも多いだろうと、今はそう思う。悩みや困っていることが似ているとしても、それぞれ持つ背景と目標が違うのであれば、方程式のような問題の解決法はない。まずは、それぞれがこれまでどのような学習をしてきて何を目指しているのか、そして、今、何に不安や躊躇を抱えているのかなどの話を聞くことから始めなければならない。2月が終わったら、また新しい留学生たちを迎える時期となり、留学生向けの支援活動も展開されていく。まだまだ経験が浅いが、一人ひとりの話にきちんと耳を傾ける姿勢を忘れず、頑張っていきたい  英語版はこちら -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------<王慧雋(おう・けいしゅん) WANG_Huijun>早稲田大学大学院日本語教育研究科博士後期課程在籍。2015年4月より、早稲田大学日本語教育研究センター助手。明治大学理工学部中国語非常勤講師。   2016年2月11日配信 
  • 2016.01.28

    エッセイ482:謝志海「移り気な消費者に苦戦する高級ブランド」

    高級ブランドを扱う企業にとって、今日ほど消費者の行動が予測しにくい時代はないだろう。誰もがスマートフォンを持ち、日夜インターネットにアクセスしている今日、検索履歴や購入履歴から顧客の好みは容易に分析できそうなものだが、そう簡単にはいかないようだ。ロゴを見ただけでブランド名が誰にでもわかるような世界的老舗ブランド企業が、移り気な消費者行動に翻弄されているような気がしてならない。 これまでの高級ブランドと消費者の立場を考えると、ブランド企業側がロゴと共にインパクトの強い(悪く言えば露骨な)マーケティング手法で商品を打ち出し、消費者がそれに憧れる、という構図だった。そして裕福で社会的地位の高い者がそれを手にすることが出来た。高級ブランドを買う余裕の無い人は、それを持てる人にも憧れる。そしてブランドイメージは更に高い位置を得た。ところが、最近のソーシャルネットワーキングサービス(SNS)やユーチューブ(YouTube)を見ていると、人々は昔ほどブランドを崇拝していない気がする。彼らの興味はどこへいったのだろうか? ハーバード・ビジネス・レビュー(日本語版2015年11月号)で興味深いリサーチをみつけた。題して「『非顕示的消費』に対抗する高級ブランド」。最近の傾向として、消費者は自分が所持するブランド物が目立つことを嫌がるようになってきたという。この流れは欧米から強まってきたが、最近では中国でもブランドロゴの入った洋服や鞄の売り上げが落ちている。全世界で高級ブランドを避ける傾向があると指摘するこの消費者行動の調査は、おそらく3つの要因がこの変化を後押ししていると分析している。一つは、ファストファッションによる質の高い模倣品と、ブランドのディフュージョンライン(高級ブランドの普及版)(例:アルマーニ(Armani)のディフュージョンラインはアルマーニ・エクスチェンジ(Armani_Exchange))を通じて高級ブランドが中流層にまで行き渡ったため、ロゴがかつてのように裕福さの証ではなくなった。二つ目として、そもそも上流層の消費者が、あからさまなステータスシンボルに引きつけられなくなった。三つ目は、ソーシャルメディアのおかげでニッチブランドがブームに乗るようになった。例えば、ハンドバックのブランドで言えば、グッチよりは、(ブランドロゴ表示がない)ボッテガ・ヴェネタ。コーヒーだと、スターバックスよりはブルーボトルコーヒー。 このリサーチは、主に上流層のブランドロゴ離れについて分析しているが、重要な顧客層である中流層のブランド離れも先に挙げた3つの要因が深く関係している。まず、ファストファッションの台頭は避けて通れない。全ての人がおしゃれを楽しめる時代になった。そこへインターネット、スマートフォンが普及し、いつでもどこでも知りたい情報にアクセスできるどころか、自分も発信出来る立場となった。写真投稿SNS、インスタグラムに自撮り(セルフィー)を投稿して自分が身に着けているものを紹介することが全世界で流行っている。これを毎日のようにするとなると、高級ブランドの鞄を一つ持つよりも、ファストファッションでたくさんの服を買ってコーディネートする方がバリエーションも増える。現にインスタグラムで人気の「ファッショニスタ」は着こなし上手な人であって、高級ブランドをたくさん持っている人ではない。 前述の要因の三つ目、ソーシャルメディアによるニッチブランドのブームについては、このリサーチによると、社会経済的な階級を問わず、同好の士が「かすかなシグナル」を互いに送り合うことができるという。どういうことかというと、インターネット上では社会経済的な階級という壁がなく、誰でも自由にサイトからサイトを行き来出来る。そうすることで、同じ好み、目的を持った者が自然と集まる。沢山の目に留まることで流行が生まれる。例えば、日本に旅行に来る中国人が、これまでは化粧品を買って帰ると言えば、お約束の様にSKⅡ (エスケーツー: 高級化粧品)だったが、今では街のドラッグストアで、フェースパックなどを買っている。それらは、すでに日本へ旅行した人が買って、使ってみて良かったとブログなどに書いているお墨付きのものだ。企業が多額のお金をかけて広告を打ち出した情報よりも「日本へ旅行、買い物」という同じ目的を持った人たちからの情報を元に、消費者は買い物を楽しむ。 中国人の全てが高級ブランドを買わなくなった訳ではない。銀座に行けば今日もブランドショップに中国人観光客がたくさんいる。だが消費者の選択肢が増えたのは確かだろう。彼らは高級ブランド店にもドラッグストアにもドンキホーテにも行く。高級ブランドを持つことが皆にとってのステータスシンボルではなくなった。SNSの普及により高級品を持つことよりも、経験の方が、ステータスが上になってきているのではないか。なぜなら経験はSNSでシェアしやすい。買った高級品をひけらかすよりは「いいね」の共感を得やすい。 ソーシャルメディアの存在が、消費者の行動と嗜好をも変えてしまうことを、高級ブランドを扱う企業のマーケティング担当者は想定していただろうか。ハーバード・ビジネス・レビューのリサーチの結論として、ブランドロゴを顕示しないトレンドは、高級感は社会的というよりも個人的なものになるとしている。誰もがわかる、ロゴが目立つ鞄よりは、ブランドタグは内側だけについている、しかし洗練されたデザインの鞄を持っていることの方がステータスが高いということだ。そう、「個人的」がキーワードである。今ネット上ではフェイスブックやインスタグラムという、消費者が全てを自分で開設するページがある。この個人的な居場所から友人や趣味のページへと繋がっている。 SNSではないが、お気に入りの画像を保存するサイト、ピンタレスト(Pinterest)は個人的に「所有」して楽しむ事に特化している。ネット上にある気に入った画像やサイトを自分のボードにブックマーク(ピンする)、洋服、インテリアなどとカテゴリー別に画像を整理でき、興味のある人がそのボードを見に来ることももちろん可能なので、自分のセンスを顕示するチャンスでもある。お気に入りの画像を集めることによって、自分の世界観を構築するだけでなく、すでに所有しているかのような気持ちになれる。例えば、まだ持っていない憧れのブランド時計の画像を自分のボードにピンすることによって、その時計に少し近づけた気分を味わえる。これぞまさに持たずして楽しむネット上の居場所、これが中間層の「個人的」な嗜好の顕示と言えるのではないだろうか。 裕福な消費者はさりげない贅沢を楽しむようになり、その他の消費者は所有することにこだわらずして楽しむようになってしまった。このような二極化は今後どうなっていくのか予測しづらい。しかしロゴの露出を控えて顧客の変化に適宜対応できている企業もあるという。ブランドを扱う企業のマーケティングは今後も試練を強いられるであろう。 英語版はこちら <謝志海(しゃ・しかい)Xie Zhihai>共愛学園前橋国際大学専任講師。北京大学と早稲田大学のダブル・ディグリープログラムで2007年10月来日。2010年9月に早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程単位取得退学、2011年7月に北京大学の博士号(国際関係論)取得。日本国際交流基金研究フェロー、アジア開発銀行研究所リサーチ・アソシエイトを経て、2013年4月より現職。ジャパンタイムズ、朝日新聞AJWフォーラムにも論説が掲載されている。 2016年1月28日配信 
  • 2016.01.07

    エッセイ481:葉文昌「歴史表記問題について」

    歴史は勝者が作ると言う。でもそれは一国国内と、国家主義での出来事に限定される。一国で勝手に歴史を作ったとしても、隣国で別の歴史解釈が語られていれば、後世の人々はどちらかの歴史解釈のみを鵜呑みにはできない。また民主主義の下では様々な解釈が出る上に政権交代が起こるので、権力者の思惑通りにはなりにくい。 私は小学校の1~3年生の時、日本で学んだ。そこで豊臣秀吉の伝記を見たが、伝記があるから偉い人との認識でしかなかった。しかし台湾帰国後、歴史の教科書に彼は悪者として描かれていた。また私は日本統治時代を信奉する家庭で育った。親から聞く日本統治時代は「治安も建設も良かったが、国民党時代は何もかもがダメだった」であったが、学校教育では中国視点での解釈となり、日本に対する表現は良いものではなかった。また、日本統治時代を経験した人にも「厳しい弾圧を受けた」「差別があった」という人も大勢いることがわかった。同じ場所で同じ時代を経験したとしても、感じる事はさまざまなのだ。このような経験から、一部の人の経験だけで歴史を解釈するのは傲慢だと思うようになった。 科学は誰が解釈しても同じ結果だとすると、今の教育の歴史教科書は科学ではない。歴史教科書はどうあるべきか?以前、韓国と中国の歴史研究者と日本有識者でお酒を飲みながら話す機会があった。彼らは、日中韓の歴史研究者の間で研究会を立ち上げ、お互いに認められるような歴史教科書を作ろうと努力している。歴史のすり合わせの過程で1番の苦労は異国人同士のコミュニケーションなのだそうだ。翻訳の力量によって意味が違ってくるし、かといって英語を共通語として使えば、薄いコミュニケーションしかできなくなるとのこと。更に国内の大御所の多くは、英語が喋れないそうだ。 科学の世界では、誰が見ても一様になるよう安易な言葉で説明するのがいい。歴史も事象の表記に限定して、わかりやすい表現にすれば、簡単な英語でもコミュニケーションが取れるのではないかと私は言った。しかし歴史研究者が言うには、歴史表記には、因果関係の説明や細かいニュアンスを使った解釈等が必要なので、安易な言葉を使った歴史の表記は無理であるということだった。 歴史家は単純な事象をややこしくしているように思える。例えば日本の歴史表記においても、失敗したクーデターは「乱」、成功したクーデターは「変」としている。同じクーデターなのにややこしい。このような表現の複雑さを「日本語の奥ゆかしさ」とする人がいる。日本人の言う「奥ゆかしさ」とは私が台湾で接してきた中国人が言う中華的文化の「深奥、奥妙」と同一である。だからこれを言う人は多くの場合、他国文化への無理解があるように思える。このようなややこしい歴史表記も元を辿れば中国由来である。他の例を挙げると中国の歴史書では戦争について、戦、囲、入、滅、伐、侵、人を殺す事については殺、誅、弑、殲の表現がある。戦争について、戦、囲、入、滅、は文字通りで事象を表しているが、伐は悪者退治、侵は侵略で、主観的な表現となる。現在のシリア情勢を例にとってみれば、その複雑さから、立場によってどの関係国も伐にも侵にも表現されることがわかるのではないか。だからこそ歴史はできる限り安易な言葉で、且つ善悪感情を排除して記述すべきだと思う。 先の日中戦争を表現してみると、日本軍が中国に「出兵」したとなる。「侵略」や「征伐」などの主観的表現は不要である。また「出兵」と表記すれば、これまでの歴史の中の他国への出兵は「征伐」で、他国による自国への出兵が「侵略」となるような精神分裂状態から解放される。出兵の善悪については小学校一年生の時に先生から「先に手を出す人、武器を持込む人が悪い」と教わっているので、歴史学で改めて善悪を説く必要はない。解釈について多くの異見がある歴史事象については、双方の歴史学者が、証拠を検証して確証が得られる部分だけを記述し、異論ある部分は双方の意見を注釈して若い人に考えさせれば良い。 英語版はこちら <葉文昌(よう・ぶんしょう)Yeh_Wenchang>SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2001年に東京工業大学を卒業後、台湾へ帰国。2001年、国立雲林科技大学助理教授、2002年、台湾科技大学助理教授、副教授。2010年4月より島根大学総合理工学研究科機械電気電子領域准教授。 2016年1月7日配信